1983年の全日本プロレス [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
新日の陰に隠れがちだったが、83年は全日も熱かった。
ハンセン、ブロディの全盛期
そしてなんといってもテリーの引退www 最強タッグ札幌大会
ハンセン、ブロディVS鶴見、モンゴリアン
一見、札幌に不釣り合いなB級カードだがハンセンとブロディの圧倒的な攻撃、特にダブルドロップキックは圧巻!
フィニッシュのラリアットも迫力満点で、超獣コンビの強さを堪能できたのは鶴見とモンゴリアンが己の役割をきちんと果たしたから・・・と今になってわかる話。 この年の馬場ー上田はレフリーも加担した制裁マッチだったね。
セコンドの天龍が必要以上の試合加担して椅子で上田をボコったのに
レフリーのジョー樋口は馬場の反則負けを取らずに放置。
試合の順番も凄惨な試合になって後味が悪くなる最悪の場合を想定して
セミファイナル(メインは鶴田ーシン)で組まれたんだよね。
けど実際はセミファイナルが大盛況でお腹一杯になり、メインは不完全決着という事もあり
イマイチ盛り上がらなかったんだけどね。
馬場ー上田をメインにしてれば最高の興行だったんだけど危険過ぎてメインに組めなかったんだろうね。 八年前の馬場vs大木も荒れ試合を警戒してかセミに回されたし 馬場対上田の真相ってマスコミに夫人の悪口暴露が原因なんだろう。
なんか引くなぁ。 新春ジャイアントS
馬場 vs タイガージェットシンのシングルマッチで
シンの凶器を取り上げた馬場が逆上して反則負け
倉持アナ:馬場さん、反則負けですよ
馬場:どうして俺が反則負けなんだよ
のやり取りが、当時学校で流行った >>85
セミじゃなくてダブルメインなんだが、それに生中継の枠に入れるために
先に試合を行うことはよくあるだろう。 前年の黒タイツチェンジ、テーズ流バックドロップ直伝の鶴田がちょっと足踏み状態。
ハンセン&バス、続いてシン&上田にインタータッグを奪取され首をかしげて意気消沈w
上田は73年の日プロ崩壊からまさに10年ぶりの戴冠。胸中、よぎるものがあったのでわ?? ブロディからインター奪取してその年の東スポMVPなんだが、最強タッグも
鶴龍でメインで初めてファンクスがメインから外れたけど、テリー引退したか
ら当然だけど、確実に時代が動いていたんだよ >>90
あれが蔵前のメインに天龍が出た唯一の興行 >>89
私怨で上田を制裁しても、インタータッグを巻かせて埋め合わせする律儀な馬場。 >>59
そうか。グラチャンはIWGPにあて付けた3シリーズだったんだ
そういえばIWGP決勝の2日後に同じ蔵前で鶴田フレアーのNWAだったが
これもあてつけだな。馬場エゲツなしw >>93
惜しいな、6日後だ。フレアーvs鶴田の蔵前は結構満員だったよね。 >>94
でももし猪木がIWGPスンナリ戴冠していたら
それこそイヤミで鶴田にNWAとらせていたなかな?
そういう意味でも舌出しKOは悔やまれる結果だw >>95
蔵前直後にレイスへ王座移動の流れがあったから、アクシデントの体で鶴田をねじ込んで、ひっそりアメリカでレイスに移動とかw >>96
なるほど!レイス戴冠は鶴田の短期王座終了に用意されていた!
しかし猪木の負け、というよりホーガンがベルト取ってしまったから
フレアーのままでよくなった。しかしレイスには予定通りと… フレアーからベルトとらせて貰う手はずにしといて
臨時ボーナスも期待してきたフレアーに対して
猪木がIWGPとらなかったからその話はなしにしてくれ
なんてドロナワは考えにくいけどねえ。
だって猪木戴冠ならず、鶴田はNWA奪取となった方がさらにすごいわけでさ。 猪木の結果次第・・って面白いね。
最初から勝てない、引き分けにしてくれって言われてるのに「善戦マン」って可哀相だよな・・ 猪木はIWGP優勝して鶴田はNWA獲れませんでしたじゃ全日本終わっちゃうよ! >>100
それが大方の予想だから、当たったところで潰れたりせんだろ。 >>97
たとえ負けてもアメリカそれも当時のセントルイスでの防衛戦が実現したわけだからそれも見たかった
>>102
あの入場テーマには燃えた この時代は新日も全日もお互いの結果や状況を視野に入れていた。
それで自分達の展開を作って。
そう考えるとお互いの存在が必要不可欠だったな。 >>94
ファンクスやハンセン抜きであれだけ入れた意義は大きい
馬場とブロディのPWFもだがやはりチャボと井上のインタージュニアが良かった >>59
ケリー来日予告のアイオブザタイガーにはドキドキした IWGPでの猪木の失神がなければひょっとしたらテリーの引退試合は
猪木と絡んだかもしれないって新間が語ってたけどどこまで本当かな。
テリーは猪木戦を熱望したし、当時のゴングでも新間がたとえ対抗戦は
無理でも新日本の提供試合をやりたいっていってたけど。 1983年9月号別冊ゴングにテリーファンクのインタビュー記事があったな。
アントニオ猪木とのシングルマッチを希望していた。
そこでテリーファンクはジャイアント馬場VSアントニオ猪木のシングルマッチにも言及。
国立競技場に朝4時に試合開始でも超満員になるのは間違いなし。
しかし負けた方はその試合を最後に引退。
負けた方の団体は崩壊。
二人の戦いはそれだけ大きなものを背負っている。
こんな事を言うちょった。
テリーファンクはアントニオ猪木を意識していた。
でもアントニオ猪木はテリーファンクの事はあまり認めていなかった。
テリーファンクVSアブドラーザブッチャーの試合を『残酷ショー』と酷評。
悪い意味でプロレスリングの範疇を越えてもうた、と。
自分とタイガージェットシンの試合を引き合いに出して比較しながら。
自分とタイガージェットシンの試合はギリギリプロレスリングの範疇内だった、と。
でもテリーファンクVSアブドラーザブッチャーはプロレスリングの範疇外。
そういう事も踏まえてアントニオ猪木はテリーファンクをあまり認めていなかったみたいで。
むしろアントニオ猪木はドリーファンクジュニアを認めていた。
ドリーファンクジュニアとはまた戦いたいとも言うちょったし。
しかしテリーファンクが新日本プロレスリングに上がった時にゃアントニオ猪木との絡みも実現かと思うた。
対決はなくとも組むとか。 猪木がテリーを認めてない、ってのはないだろ。
そう言った方が面白い、とか受ける、とはあってもな。 AJPW 1983年
ハーキュリーズ・ヘルナンデスは全日ではやや並の体格に見えた。
http://www.cagematch.net/?id=8&nr=6&page=8&s=4200 正月シリーズで
ミルマスカラス、ウルトラセブン組が実現
高杉はこの頃が一番いい扱いだったな >>112
ジュラシックパワーズの頃に比べれば華奢だよ。 テリー引退試合でのゴディは相手に花を持たせるなんて優しいな。
あれで決まるとは思えないから 個人的にこの年の最強タッグは
好きじゃない・・・
翌年があまりの豪華の面子と
前年度の方が良しと思う。
テリー引退と
マスカラス参戦が今更?という感想
リッキーをブレイクさせるとか
レイス不参加が残念かな・・・・ この年は不穏試合と言われているハンセン・ブロディ組とマスカラス兄弟の対戦があった。 日本でも活躍した元プロレスラーのジミー・スヌーカさんが現地時間の15日、
米国で死去したと現地の複数のメディアが報じた。73歳。死因は不明だが、胃ガンを患い、体調を崩していた。
フィジー出身のスヌーカさんは69年にハワイでデビュー。鍛え上げられた肉体美と空中殺法で、
80年代にはWWF(現WWE)の人気レスラーとなった。71年にはグレート・スヌーカのリングネームで
日本プロレスに初来日。その後、全日本プロレスの常連外国人となり、81年にはブルーザー・ブロディとの
タッグで世界最強タッグ決定リーグ戦で優勝するなど活躍し、新日本プロレスにも参戦した。
96年にはWWF殿堂入り。15年には殺人と過失致死容疑で逮捕された。 >>121
蔵前
大阪
札幌
名古屋
福岡
確かに
しかし84年の国技館はなしでも
81年〜85年の会場も
よく似たようなものでしょう? 一番会場のバリューが高かったのはオープンタッグじゃない? オープンタッグ
後楽園
名古屋
寝屋川
広島
福岡
福井
新潟
仙台
秋田
大分
高知
大阪
蔵前 単に優しく接してくれたのでなのですが
この年に二度来日したマイクデービスが好きでした。
当時頂いたサインや写真は今でも大切にしていますよ。
たしか翌年に新日本に来日しましたよね。 マイクデービス 大仁田戦は、懐かしい
早世でしたが 83年の外人面子
シン、リッチ、マスカラス、ドスカラス、
ハンセン、ブロディ、ファンクス、ケリー
レイス、フレアー、ニック、スレーター、
チャボ、パイパー、ゴディ、ギャング
ウインダム、
抜けた人いる? >>131
失礼
メインクラスばかり入れたつもりが
彼らも入れないとダメですね。 全日本ファンには悪いけど、
面白さがこの年までが
新日本>全日本
だった・・・
しかし翌年から
立場が逆転していく・・・ 猪木失神が生中継だったらどうだったろう?
更に反響が凄かったと思うんだが。
あの試合が生中継じゃなかったのが惜しい。 詳しい人いたら教えて
テリー・ファンク
ニック・ボックウィンクル
テッド・デビアス
この人たちのフィニッシュホールドって何? >>109
猪木からしたらテリーは一番嫌なタイプだとおもう。馬場鶴田よりデンジャラスだし。 IWGPに対抗するグランドチャンピオンカーニバルって響き燃えたなぁ。
でも対抗のIWGPの参加面子がしょぼがったから
トーンダウンした感じ >>136
テリー スピニングトーホルド
ニック 足4の字固め
デビアス フライングエルボー(鳥栖大会で栗栖からフォール取った) >>139
ありがとう
昭和スレにも書き込みして回答得ました テリーと対戦したら猪木も食われてしまいかねない。
だから猪木はテリーを嫌ったっちゅうか避けた。
これは大仁田にも同じ理屈で対戦を避けた。
っちゅうか大仁田とは本人から挑戦されたかんな。
テリーとは対戦の具体性はなかった。
ただテリー自身が『引退前に猪木戦を』と勝手にコメントした程度。 猪木としては馬場よりテリーとの試合が脅威だったのでは?
馬場相手なら自分が注目を浴びる自負があっただろう。
しかし相手がテリーでは確かに食われかねないとも思うし。
ましてや引退発表後のテリー相手ならばなおさら。 大仁田ってエプロンから飛び降りなければ膝は大丈夫だったのかな?
ジャーマンで決着後足引きずってたしぐさしてたが。 >>142
でもテリーの一人芸というか、くどいパフォーマンスには猪木ファンパフォーマンス一斉にあざけ笑うんだろうなあ。
例によってロープに捕まって足バタバタの際、アウェイの会場ではどんな反応になる事やら。 暗くてださかったからなぁ、この頃の全日。
エースの馬場がとろくてださかったのが一番。
鶴田はジェスチャーがわざとらしくて感情移入できないし。
クラスでも嘲笑の的だったな、全日は。 >>145
お前もクラスで嘲笑の的だったもんな(笑) 当時のプロレスファンは、8割以上が新日派だったから、全日ファンはさんざん馬鹿にされたよね。
だけど今になって考えると、プロレスファンだって事自体が、、、 何でプロレスファンだったことがコンプレックスなのかわからんな。
普通に趣味だろ。
プロレス好きでああだこうだ言われたことねぇし、てか世間って別にそんなことどうでもいいと
思ってるから。 しかしこの頃の全日は暗くてださかったw
録画放送だから●分経過とか、ダイジェストで試合を雑に編集したりと余計ダサさが際立って
いたw
実際に会場に見に行っても不人気だったから立ち見が500円でしかもガラガラだったから
リングサイドまで行って勝手に座ってたw
皮肉な意味でも全日は貴重だったよw
楽しかったなw >>143
あの時、あの飛び降りパフォーマンスさえしなければ引退には繋がらなかったよ
しかしながらその時の映像は全く見つからないが
これは当時日テレがこの試合を録画してなかったんだろうな
のちの小林邦明へのガチ襲撃はしっかり映像残ってるだけに残念 >>150
大仁田が膝の皿を割った試合はG+プロレスクラシックで放送した >>150
大仁田はこの年の頭頃から既に膝が悪化してて、名古屋でのドスカラス戦が凡戦に終わった時、雑誌ではその事を指摘されてた。
遅かれ早かれ膝はパンクしてたと思う。 ゼンニプロレではテリファ引退がこの年の全てだろう。
ジャンツやリュウゲンも本格的に前面に出てきて。
ジャイバは完全にジャンツはリュウゲンにバトンタッチした。 この年新日本ではアドニス&オートンが猛威をふるったが
全日本でも匹敵する魅力あるチームが結成されたよね。
スレーター&パイパー
できれば最強タッグでみたかったなぁ。 アドアとボブオーのコンビは良かった。
ボブオーが問題起こさなければもっと見られたはず。
ディクスとロディパは雑誌でしか印象なかったが。 テリー引退の蔵前大会は全日で一番の客入りだったらしい。
過去の蔵前大会の中で。 俺が見に行ったある日のカード
若手バトルロイヤル
天龍対キラートーア
鶴田対ブラッド
馬場ファンクス対スタンブルーザーテリー デビアスは馬場に「もう少し目がパッチリしていたら人気が出るのに」と言われていたね。 つーか、目がもう少し大きければNWA王者になれたって言ってたな >>163
健吾と同じだな。
健吾「新間さんから目を二重にしてきたら売り出してやると言われた。
でも俺の顔で二重はおかしいだろ・・・」 テドデは大型だったからもっと身体を活かしたファイトすれば良かった。
スタハやブルブにも遜色ない巨体だったし。 鶴田が本当にブロディからインターをとるなら、ちゃんとピンでとらせるべきだった。
鶴田が本当にブロディからインターをとるなら、テリーの前座じゃなくて他の日のメインでやるべきだった。 >>169
オレもTVで見てたんだけど
あんな小賢しい勝ち方で客は大盛り上がりで
なんか幻滅したけどね。
当時のブロディに傷つけたくなかったんだろうけど
ブロディなんか退屈な試合しかできないんだし
鶴田にスカッと勝たせろよと思った あれは鶴田勝ってオレはウオオーと喜んでた。その頃に藤波が相手忘れたけどリングアウトで勝った流れがあった気がする(長州だったかな)
そんなこともあって武道館でブロディが鶴田からピン取った驚きは凄かった
セミのハンセン天龍がどう決着したのか覚えていないけど、ブロディが客席になだれ込んだところまでハッキリ記憶に残ってる リングアウト勝ちでも納得した時代。決着が付けばいいんだよ、その時は 同じリングアウトでも藤浪は場外で大技を決めてリングインした、引きずり下ろしただけの鶴田とは価値が違う、
っていうファンの投稿をプロレス雑誌で見て苦笑した記憶がある あのオープンタッグだって反則勝ちなのに伝説になった >>170
当時俺は良い試合だと思ったけどな
勝ち方にはみんなそれほどこだわってなかった気がするけど
だからこそプロレスの幅があったわけだし >>175
だよな
当時は実力(格)が拮抗してる場合、完全決着になる発想そのものがなかったからね そこに至るまでの攻防に十分な説得力があったからな
その前の試合で渕が負けていたのもとにかく勝ってインターを巻いてくれれば良いというムードを作ったかもだが これまでなら樋口失神からのグダグダのノーコンテスト。だからリングアウトでもあれはあれで良かった。 ジャンボがブロディのインターに挑戦したのは過去何度だっけ?
アメリカでも挑戦して失敗、この蔵前大会で獲れなかったら天龍に挑戦権を譲ると背水の陣を敷いたから、ジャンボが勝った瞬間は素直に嬉しかったよ。 完全決着がいいとは思わないね。
四天王プロレス大嫌い。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています