1983年の全日本プロレス [無断転載禁止]©2ch.net
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新日の陰に隠れがちだったが、83年は全日も熱かった。
ハンセン、ブロディの全盛期
そしてなんといってもテリーの引退www この頃の超獣コンビは凄かった。
反則負け以外で負けないんじゃないか?と思った。 しかしハンセン、ブロディ組がインタータッグに挑戦することはなかった テリゴはキャラが薄かったな。
ダニスも同じく。
スタハンがキャラや実績が凄すぎた。
だからテリゴ、ダニス、スティウィがスタハンに追い付けなかった。
スタハンやブルブロはドリファやテリファを超えたのに。
超えたとは大袈裟か。
でもスタハンが偉大すぎた。
それで下の世代の外人が煽りを喰らってもうたんよ。 テリーがハンセンにブルロープで引きずり回された試合ってこの年でしたっけ?
テレビ中継で不自然なカット入っててプロレス雑誌見たらテリーが首吊り状態のシーンだった それは82年だ。
スタハはテリファを徹底的に痛ぶった。
ブルブも。
ドリファとテリファがぼろ雑巾みたいになって。
スタハはテリファとの対戦では極悪ヒールと化していたかんな。
スタハ自伝でその理由も記されとったが。
ジャイバやジャンツが存在感なかったし。
リュウゲンもまだまだで。
テリファ頼りなのもわかるわ。 おとーちゃん間違ってるで
>>14
83グランドCCの大阪大会だな テリーがブルロープで絞首刑にされたのは82年9月の大阪府立だったかな。
80年4月のブッチャーの割れたビール瓶をテリーの胸に突き刺しとかも。
大阪府立は凄い内容が多い。 新日でもブッチャー絡みの流血戦はだいたい大阪府立。
坂口
ホーガン
ローデス
マードック タイガーvs小林の初マスク剥ぎも大阪。素顔ほとんど見えるほど破ったのも
大阪。 ローデスも大阪では流血試合ばかり。
80年12月 シン
81年12月 カーン
82年 1月 ブッチャー
それぞれの試合でローデスは大流血。 また大阪は荒れた試合が多い。 いい意味で。
上記三試合以外ても
>>18
80年 4月 テリー×ブッチャー
82年 9月 テリー×ハンセン
80年 5月 バックランド×ローデス(意外にも両者流血の荒れた試合に)
80年12月 ファンクス×ブッチャー、カマタ(だっけ?)
81年 5月 猪木、ローデス×ハンセン、ホーガン(シンが乱入して空前の大乱戦に)
81年11月 シン、上田×シーク、ルーイン
82年11月 猪木×木村(国際側に加担した小林が猪木の髪を切る暴挙)
わかるだけでも。
それぞれ荒れた試合だった。 >>23
テリーvsハンセンは83年4月じゃないか?
ブルロープで絞首刑の奴だよな そうだっけ?
82年9月はなかった?
記憶が曖昧だわ。 後は80年12月は馬場&鶴田vsブッチャー&カマタ、シン組とシーク組は81年12月、猪木と木村の髪切りマッチは82年の9月だな。 82年9月はテリーとハンセンの初シングルだな。後楽園で、ロン・バスの介入があってテリーがリングアウト負けの奴だと思う やはり記憶がゴッチャだわ。
82年11月のは猪木×はぐれ軍団の1×3だったか。
資料ないとわからんわ。 >>18
2つ上のレスも読めないのか、おとーちゃん テリーファンクとスタンハンセンの試合はエキサイチングだったな。
テリーファンクがいつもやられていた。
スタンハンセンはテリーファンクとの試合では極悪ヒールと化した。
ブルーザーブロディも。
二人ともジャイアント馬場やジャンボ鶴田との対戦では極悪ヒールにはならない。
ザファンクス、特にテリーファンクとの試合では極悪ヒール。
タイガージェットシン顔負けの極悪ヒールぶり。
ザファンクスが壊れると思った。
お前らもそう思うだろ。 引退したテリーも年末にはマネージャー、翌年はレフェリー
そして遂には復帰してしまった
元の人気を得られると思ったみたいだが。
でも元の人気は得られず。 テリーはこの年で終わった。
復帰後のテリーは全く別人、別物。 テリーが引退して10年後に電流爆破なんてやるなんてその時は
誰一人も想像できなかっただろうね。 大仁田はこの頃から流血戦多かったんだな。ゲレロ戦やジプシージョー戦等。
テリーの影響? チャボにトロフィーでボコボコにされた時、トロフィーの一部が大仁田の体に刺さってなかった?
あの時大仁田の表情がなんか恍惚とした表情にも見えて怖かった。 大仁田のジュニアに挑戦したレスラーってなんか魅力的だったな。
ロッキージョーンズ、ヘクターゲレロ、チックドノバン、マイクデービス、
そしてチャボゲレロ。
このクラスのレスラーっていかにも昭和プロレスだよね。 この年のジャイアントシリーズに異色の外国人レスラー参戦。
名前も宣伝写真の風貌も期待した。
その名はマイクドゲンドロフ
喰わせものだった。 >>44
その巨漢ギャングを何度もバックドロップで投げきったと豪語する凱旋帰国の渕、 >>48
蔵前でのチャボのインタージュニアへの挑戦試合
セコンドの大仁田がとにかく目立った ドゲンドロフは間違いではないよ。
90年代のウイリアムスとかが参加していたUWFのビデオではそう発音されているよ。
>>50さん
オープニングですこしだけ出てた気がします。 >>47
ハンセン&バスの行ってこいはどっちもノーテレビ
シン&上田はリマッチがノーテレビ
雑誌を読んでない層を完全に置き去りにしてましたね シン&上田の時は週刊化した最初の頃で速報性の威力を実感 >>56
フレアーが最高に楽しいツアーだったって語ってたのはこのシリーズだったか? IWGPに対抗してグランドチャンピオンカーニバルワクワクしたなぁ。
ケリーのミズーリ州タイトル開催は画期的だったと思う。
話は変わるが同時期に来日したゴールデンボーイ チックドノバン
優しかったなあ。
マイクデービスも優しかった。
あとドスカラスにツーショットで写真頼んでターザン後藤がシャッター
押してくれた事があったがこの時は死んでも良いとガキながらマジ思ったわ。笑 グランドチャンピオンカーニバルで京都府立体育館が満員になったんだよな 蔵前で連日の興行合戦がいずれも満員って、東京人どんだけ金持ちなのか?と思っていたわ(´・ω・`) スレーター&パイパーは当時新日で話題になっていたアドニス&オートンに
匹敵する魅力あるコンビだね。
最強タッグでハンセン&ブロディとの対決とか見たかったな。
二月に来日したトミーリッチも使い方次第では化けたかも。
華、雰囲気はあったかな。
やはりこの時期ブッチャーがいなくなったのが外人にも影響あったと思う。 >>67さん
たしかにそのとおりなんですが、1984はリング外の話題が春くらいから
賑やかでリング上より先行していたイメージあるんですよね。
あとあくまでも個人的な感想なんですがテリーが引退したのも
イメージとして残っているかも知れません。
世界チャンピオンが、ケリーとマーテルというイメージも影響しています。
私の世界チャンピオンはレイス、ニック、バックランドで終わって
しまっています。 >>65
これが最後のスレーターの晴舞台
リッチは入場場面が実に華やかだった この時期、良い若手ガイジンが集まってたけど流してしまった感じがする。
超獣コンビ偏重で使いこなそうともせず埋没パターンが多かった。
これはジャパンプロ提携時にも同じ事がいえる。
勿体無いケースの数では定評のある新日を上回るかもしれない。 >>69
入場と言えばカブキの入場からコール時の毒霧までは最高だった。 レイスが、81年後半から86年前半まで83年に一時的にNWA王者に
返り咲いた時期を除いて頻繁に来日していたけど、馬場や鶴田の相手役と
いう役割を果たしたことで、ハンセン・ブロディ・シン・ファンクス以外
の外人がそれまで担っていた役どころはレイスが独占したからね。 馬場のPWFへのリターンマッチの時と最後のNWA王者としての来日の二度 最強タッグ札幌大会
ハンセン、ブロディVS鶴見、モンゴリアン
一見、札幌に不釣り合いなB級カードだがハンセンとブロディの圧倒的な攻撃、特にダブルドロップキックは圧巻!
フィニッシュのラリアットも迫力満点で、超獣コンビの強さを堪能できたのは鶴見とモンゴリアンが己の役割をきちんと果たしたから・・・と今になってわかる話。 この年の馬場ー上田はレフリーも加担した制裁マッチだったね。
セコンドの天龍が必要以上の試合加担して椅子で上田をボコったのに
レフリーのジョー樋口は馬場の反則負けを取らずに放置。
試合の順番も凄惨な試合になって後味が悪くなる最悪の場合を想定して
セミファイナル(メインは鶴田ーシン)で組まれたんだよね。
けど実際はセミファイナルが大盛況でお腹一杯になり、メインは不完全決着という事もあり
イマイチ盛り上がらなかったんだけどね。
馬場ー上田をメインにしてれば最高の興行だったんだけど危険過ぎてメインに組めなかったんだろうね。 八年前の馬場vs大木も荒れ試合を警戒してかセミに回されたし 馬場対上田の真相ってマスコミに夫人の悪口暴露が原因なんだろう。
なんか引くなぁ。 新春ジャイアントS
馬場 vs タイガージェットシンのシングルマッチで
シンの凶器を取り上げた馬場が逆上して反則負け
倉持アナ:馬場さん、反則負けですよ
馬場:どうして俺が反則負けなんだよ
のやり取りが、当時学校で流行った >>85
セミじゃなくてダブルメインなんだが、それに生中継の枠に入れるために
先に試合を行うことはよくあるだろう。 前年の黒タイツチェンジ、テーズ流バックドロップ直伝の鶴田がちょっと足踏み状態。
ハンセン&バス、続いてシン&上田にインタータッグを奪取され首をかしげて意気消沈w
上田は73年の日プロ崩壊からまさに10年ぶりの戴冠。胸中、よぎるものがあったのでわ?? ブロディからインター奪取してその年の東スポMVPなんだが、最強タッグも
鶴龍でメインで初めてファンクスがメインから外れたけど、テリー引退したか
ら当然だけど、確実に時代が動いていたんだよ >>90
あれが蔵前のメインに天龍が出た唯一の興行 >>89
私怨で上田を制裁しても、インタータッグを巻かせて埋め合わせする律儀な馬場。 >>59
そうか。グラチャンはIWGPにあて付けた3シリーズだったんだ
そういえばIWGP決勝の2日後に同じ蔵前で鶴田フレアーのNWAだったが
これもあてつけだな。馬場エゲツなしw >>93
惜しいな、6日後だ。フレアーvs鶴田の蔵前は結構満員だったよね。 >>94
でももし猪木がIWGPスンナリ戴冠していたら
それこそイヤミで鶴田にNWAとらせていたなかな?
そういう意味でも舌出しKOは悔やまれる結果だw >>95
蔵前直後にレイスへ王座移動の流れがあったから、アクシデントの体で鶴田をねじ込んで、ひっそりアメリカでレイスに移動とかw >>96
なるほど!レイス戴冠は鶴田の短期王座終了に用意されていた!
しかし猪木の負け、というよりホーガンがベルト取ってしまったから
フレアーのままでよくなった。しかしレイスには予定通りと… フレアーからベルトとらせて貰う手はずにしといて
臨時ボーナスも期待してきたフレアーに対して
猪木がIWGPとらなかったからその話はなしにしてくれ
なんてドロナワは考えにくいけどねえ。
だって猪木戴冠ならず、鶴田はNWA奪取となった方がさらにすごいわけでさ。 猪木の結果次第・・って面白いね。
最初から勝てない、引き分けにしてくれって言われてるのに「善戦マン」って可哀相だよな・・ 猪木はIWGP優勝して鶴田はNWA獲れませんでしたじゃ全日本終わっちゃうよ! >>100
それが大方の予想だから、当たったところで潰れたりせんだろ。 >>97
たとえ負けてもアメリカそれも当時のセントルイスでの防衛戦が実現したわけだからそれも見たかった
>>102
あの入場テーマには燃えた この時代は新日も全日もお互いの結果や状況を視野に入れていた。
それで自分達の展開を作って。
そう考えるとお互いの存在が必要不可欠だったな。 >>94
ファンクスやハンセン抜きであれだけ入れた意義は大きい
馬場とブロディのPWFもだがやはりチャボと井上のインタージュニアが良かった >>59
ケリー来日予告のアイオブザタイガーにはドキドキした IWGPでの猪木の失神がなければひょっとしたらテリーの引退試合は
猪木と絡んだかもしれないって新間が語ってたけどどこまで本当かな。
テリーは猪木戦を熱望したし、当時のゴングでも新間がたとえ対抗戦は
無理でも新日本の提供試合をやりたいっていってたけど。 1983年9月号別冊ゴングにテリーファンクのインタビュー記事があったな。
アントニオ猪木とのシングルマッチを希望していた。
そこでテリーファンクはジャイアント馬場VSアントニオ猪木のシングルマッチにも言及。
国立競技場に朝4時に試合開始でも超満員になるのは間違いなし。
しかし負けた方はその試合を最後に引退。
負けた方の団体は崩壊。
二人の戦いはそれだけ大きなものを背負っている。
こんな事を言うちょった。
テリーファンクはアントニオ猪木を意識していた。
でもアントニオ猪木はテリーファンクの事はあまり認めていなかった。
テリーファンクVSアブドラーザブッチャーの試合を『残酷ショー』と酷評。
悪い意味でプロレスリングの範疇を越えてもうた、と。
自分とタイガージェットシンの試合を引き合いに出して比較しながら。
自分とタイガージェットシンの試合はギリギリプロレスリングの範疇内だった、と。
でもテリーファンクVSアブドラーザブッチャーはプロレスリングの範疇外。
そういう事も踏まえてアントニオ猪木はテリーファンクをあまり認めていなかったみたいで。
むしろアントニオ猪木はドリーファンクジュニアを認めていた。
ドリーファンクジュニアとはまた戦いたいとも言うちょったし。
しかしテリーファンクが新日本プロレスリングに上がった時にゃアントニオ猪木との絡みも実現かと思うた。
対決はなくとも組むとか。 猪木がテリーを認めてない、ってのはないだろ。
そう言った方が面白い、とか受ける、とはあってもな。 AJPW 1983年
ハーキュリーズ・ヘルナンデスは全日ではやや並の体格に見えた。
http://www.cagematch.net/?id=8&nr=6&page=8&s=4200 正月シリーズで
ミルマスカラス、ウルトラセブン組が実現
高杉はこの頃が一番いい扱いだったな >>112
ジュラシックパワーズの頃に比べれば華奢だよ。 テリー引退試合でのゴディは相手に花を持たせるなんて優しいな。
あれで決まるとは思えないから 個人的にこの年の最強タッグは
好きじゃない・・・
翌年があまりの豪華の面子と
前年度の方が良しと思う。
テリー引退と
マスカラス参戦が今更?という感想
リッキーをブレイクさせるとか
レイス不参加が残念かな・・・・ この年は不穏試合と言われているハンセン・ブロディ組とマスカラス兄弟の対戦があった。 日本でも活躍した元プロレスラーのジミー・スヌーカさんが現地時間の15日、
米国で死去したと現地の複数のメディアが報じた。73歳。死因は不明だが、胃ガンを患い、体調を崩していた。
フィジー出身のスヌーカさんは69年にハワイでデビュー。鍛え上げられた肉体美と空中殺法で、
80年代にはWWF(現WWE)の人気レスラーとなった。71年にはグレート・スヌーカのリングネームで
日本プロレスに初来日。その後、全日本プロレスの常連外国人となり、81年にはブルーザー・ブロディとの
タッグで世界最強タッグ決定リーグ戦で優勝するなど活躍し、新日本プロレスにも参戦した。
96年にはWWF殿堂入り。15年には殺人と過失致死容疑で逮捕された。 >>121
蔵前
大阪
札幌
名古屋
福岡
確かに
しかし84年の国技館はなしでも
81年〜85年の会場も
よく似たようなものでしょう? 一番会場のバリューが高かったのはオープンタッグじゃない? オープンタッグ
後楽園
名古屋
寝屋川
広島
福岡
福井
新潟
仙台
秋田
大分
高知
大阪
蔵前 単に優しく接してくれたのでなのですが
この年に二度来日したマイクデービスが好きでした。
当時頂いたサインや写真は今でも大切にしていますよ。
たしか翌年に新日本に来日しましたよね。 マイクデービス 大仁田戦は、懐かしい
早世でしたが 83年の外人面子
シン、リッチ、マスカラス、ドスカラス、
ハンセン、ブロディ、ファンクス、ケリー
レイス、フレアー、ニック、スレーター、
チャボ、パイパー、ゴディ、ギャング
ウインダム、
抜けた人いる? >>131
失礼
メインクラスばかり入れたつもりが
彼らも入れないとダメですね。 全日本ファンには悪いけど、
面白さがこの年までが
新日本>全日本
だった・・・
しかし翌年から
立場が逆転していく・・・ 猪木失神が生中継だったらどうだったろう?
更に反響が凄かったと思うんだが。
あの試合が生中継じゃなかったのが惜しい。 詳しい人いたら教えて
テリー・ファンク
ニック・ボックウィンクル
テッド・デビアス
この人たちのフィニッシュホールドって何? >>109
猪木からしたらテリーは一番嫌なタイプだとおもう。馬場鶴田よりデンジャラスだし。 IWGPに対抗するグランドチャンピオンカーニバルって響き燃えたなぁ。
でも対抗のIWGPの参加面子がしょぼがったから
トーンダウンした感じ >>136
テリー スピニングトーホルド
ニック 足4の字固め
デビアス フライングエルボー(鳥栖大会で栗栖からフォール取った) >>139
ありがとう
昭和スレにも書き込みして回答得ました テリーと対戦したら猪木も食われてしまいかねない。
だから猪木はテリーを嫌ったっちゅうか避けた。
これは大仁田にも同じ理屈で対戦を避けた。
っちゅうか大仁田とは本人から挑戦されたかんな。
テリーとは対戦の具体性はなかった。
ただテリー自身が『引退前に猪木戦を』と勝手にコメントした程度。 猪木としては馬場よりテリーとの試合が脅威だったのでは?
馬場相手なら自分が注目を浴びる自負があっただろう。
しかし相手がテリーでは確かに食われかねないとも思うし。
ましてや引退発表後のテリー相手ならばなおさら。 大仁田ってエプロンから飛び降りなければ膝は大丈夫だったのかな?
ジャーマンで決着後足引きずってたしぐさしてたが。 >>142
でもテリーの一人芸というか、くどいパフォーマンスには猪木ファンパフォーマンス一斉にあざけ笑うんだろうなあ。
例によってロープに捕まって足バタバタの際、アウェイの会場ではどんな反応になる事やら。 暗くてださかったからなぁ、この頃の全日。
エースの馬場がとろくてださかったのが一番。
鶴田はジェスチャーがわざとらしくて感情移入できないし。
クラスでも嘲笑の的だったな、全日は。 >>145
お前もクラスで嘲笑の的だったもんな(笑) 当時のプロレスファンは、8割以上が新日派だったから、全日ファンはさんざん馬鹿にされたよね。
だけど今になって考えると、プロレスファンだって事自体が、、、 何でプロレスファンだったことがコンプレックスなのかわからんな。
普通に趣味だろ。
プロレス好きでああだこうだ言われたことねぇし、てか世間って別にそんなことどうでもいいと
思ってるから。 しかしこの頃の全日は暗くてださかったw
録画放送だから●分経過とか、ダイジェストで試合を雑に編集したりと余計ダサさが際立って
いたw
実際に会場に見に行っても不人気だったから立ち見が500円でしかもガラガラだったから
リングサイドまで行って勝手に座ってたw
皮肉な意味でも全日は貴重だったよw
楽しかったなw >>143
あの時、あの飛び降りパフォーマンスさえしなければ引退には繋がらなかったよ
しかしながらその時の映像は全く見つからないが
これは当時日テレがこの試合を録画してなかったんだろうな
のちの小林邦明へのガチ襲撃はしっかり映像残ってるだけに残念 >>150
大仁田が膝の皿を割った試合はG+プロレスクラシックで放送した >>150
大仁田はこの年の頭頃から既に膝が悪化してて、名古屋でのドスカラス戦が凡戦に終わった時、雑誌ではその事を指摘されてた。
遅かれ早かれ膝はパンクしてたと思う。 ゼンニプロレではテリファ引退がこの年の全てだろう。
ジャンツやリュウゲンも本格的に前面に出てきて。
ジャイバは完全にジャンツはリュウゲンにバトンタッチした。 この年新日本ではアドニス&オートンが猛威をふるったが
全日本でも匹敵する魅力あるチームが結成されたよね。
スレーター&パイパー
できれば最強タッグでみたかったなぁ。 アドアとボブオーのコンビは良かった。
ボブオーが問題起こさなければもっと見られたはず。
ディクスとロディパは雑誌でしか印象なかったが。 テリー引退の蔵前大会は全日で一番の客入りだったらしい。
過去の蔵前大会の中で。 俺が見に行ったある日のカード
若手バトルロイヤル
天龍対キラートーア
鶴田対ブラッド
馬場ファンクス対スタンブルーザーテリー デビアスは馬場に「もう少し目がパッチリしていたら人気が出るのに」と言われていたね。 つーか、目がもう少し大きければNWA王者になれたって言ってたな >>163
健吾と同じだな。
健吾「新間さんから目を二重にしてきたら売り出してやると言われた。
でも俺の顔で二重はおかしいだろ・・・」 テドデは大型だったからもっと身体を活かしたファイトすれば良かった。
スタハやブルブにも遜色ない巨体だったし。 鶴田が本当にブロディからインターをとるなら、ちゃんとピンでとらせるべきだった。
鶴田が本当にブロディからインターをとるなら、テリーの前座じゃなくて他の日のメインでやるべきだった。 >>169
オレもTVで見てたんだけど
あんな小賢しい勝ち方で客は大盛り上がりで
なんか幻滅したけどね。
当時のブロディに傷つけたくなかったんだろうけど
ブロディなんか退屈な試合しかできないんだし
鶴田にスカッと勝たせろよと思った あれは鶴田勝ってオレはウオオーと喜んでた。その頃に藤波が相手忘れたけどリングアウトで勝った流れがあった気がする(長州だったかな)
そんなこともあって武道館でブロディが鶴田からピン取った驚きは凄かった
セミのハンセン天龍がどう決着したのか覚えていないけど、ブロディが客席になだれ込んだところまでハッキリ記憶に残ってる リングアウト勝ちでも納得した時代。決着が付けばいいんだよ、その時は 同じリングアウトでも藤浪は場外で大技を決めてリングインした、引きずり下ろしただけの鶴田とは価値が違う、
っていうファンの投稿をプロレス雑誌で見て苦笑した記憶がある あのオープンタッグだって反則勝ちなのに伝説になった >>170
当時俺は良い試合だと思ったけどな
勝ち方にはみんなそれほどこだわってなかった気がするけど
だからこそプロレスの幅があったわけだし >>175
だよな
当時は実力(格)が拮抗してる場合、完全決着になる発想そのものがなかったからね そこに至るまでの攻防に十分な説得力があったからな
その前の試合で渕が負けていたのもとにかく勝ってインターを巻いてくれれば良いというムードを作ったかもだが これまでなら樋口失神からのグダグダのノーコンテスト。だからリングアウトでもあれはあれで良かった。 ジャンボがブロディのインターに挑戦したのは過去何度だっけ?
アメリカでも挑戦して失敗、この蔵前大会で獲れなかったら天龍に挑戦権を譲ると背水の陣を敷いたから、ジャンボが勝った瞬間は素直に嬉しかったよ。 完全決着がいいとは思わないね。
四天王プロレス大嫌い。 >>177
渕のジャーマンが決まったとき勝ったと思ったんだがな 両リンや反則無効試合は便利なツールでもあった。
やっぱりUの存在が新日や全日にも影響を及ぼしたみたいで。
Uの完全決着にファンも同調していいた。
それで新日や全日にも完全決着を求める傾向に。
Uは不完全決着を完全に排除したシステムで大成功したし。 テリーは引退後もマネージャー、レフェリーと常に目立つ存在に。
そういうのがなくて復帰の流れの方がまだ多少は支持されたかも。 テリファ自体はこの年で終わった。
スタハやブルブの時代へ。 テリー引退も全日は興行ダメージはなかった。
全日は既にハンセン人気に支えられていた。
テリーやマスカラスの時代は終わってたんだな。 テリファは飽きられてたからね。
ミルマも同じく。
ファンはスタハやブルブを指示。
ザファン、ミルマ、ハリレは一昔前の扱い。
スタハやブルブ、ハルホがこの時代の主流。 >>181
一番良いのは
完全決着と不透明決着の混ぜたやつ 天龍唯一の蔵前メイン登場
また最後のローリングドリーマー使用 土曜トップスペシャルでの特番が定着してきた頃だね。 定期と合わせて二時間半
新日本よりも凄かったんだよな 土曜トップスペシャルは楽しみだった。
2時間も放送だったし。
最強タッグも最終戦はスペシャルで見たかったなあ。 >>195
あれ?
土曜トップスペシャルって、放送時間が1時間半でなかったっけ。
83年か84年頃なら、土曜の夜7:00からルパン三世PARTV放送してた記憶あるし。 日テレは木曜スペシャルでやるという発想はなかったのか? >>199
娯楽番組は土曜と日曜という認識が強い時代だからね。
でも裏番組にはドリフとひょうきん族があったから視聴率は厳しかったね。 裏番組状況からすれば十分に合格点だったんだよな
それが後のゴールデン復帰にもつながる
確かテリー引退の時は十四パーセントくらいあったとか テリー引退の蔵前が全日歴代蔵前大会で一番の入りだった。 翌年は国技館が改装中とはいえ何故文体なのかね?
メンバーは相当強力だったから武道館と言わずとも東体でも十分満員になったろうに。 テリー引退は、たしか子供たちにとっても夏休み最後の日じゃなかったっけ。
ひとつの時代が終わる、という雰囲気だった記憶がある。 >>204
都内主要会場が取れなかった。
武道館も東体も。
それで横浜文体に。 翌年は初の武道館だったが当時は使えたはずの両国じゃなかったのはなぜか >>207
たまたま取れなかっただけでは?
まあこのあたりから全日は武道館が定着した。
新日は80年9月30日(猪木20周年)以来90年11月1日まで10年も武道館を使わなかった。
90年以降は武道館を使ったが。
でも新日の武道館の興行は何か手抜き興行感が否めなかった。
カードから会場内設営等全てに於いて。
新日は両国やドームがあったかんな。
武道館はさほど神経注いでなかったのかも。
両国の興行はG1以外でも力入れてた感じがしたし。 新日本の90年代武道館大会は全日本に対して「ウチは両国もドームも武道館もできますよ。」という上から目線が感じられたな。 >>208
80年代前半からのファンとしては武道館=大きな興行っていうイメージがなかったな
蔵前をはじめ、各都市、大相撲が開催される会場、プラス田コロが大きな興行というイメージだった
それ以上となると、後楽園球場、みたいな >>208
85年で二回86年で三回87年は五回と次第に増やしていったのもポイント
当時のファンとしては武道館がいつのまにかレギュラー化していったのに驚いたかも
>>209
あの時のIWGPタッグ戦こそが新日本のタッグのベストバウトだった印象
とにかく十年の空白期で一番惜しかったのはやはり初代タイガーの試合が無かった事
佐山にとって因縁の会場でもあるだけに
そういえば今日は新日本が初めて純粋なプロレス興行で武道館を使った最初の日だったか >>211
でも武道館で不入りが続いてたら90年に東体&両国に切り替えてたと思う。 >>210
80年9月30日(猪木デビュー20周年)
四大タイトルマッチ
★NWFタイトルマッチ
猪木VSケン・パテラ
★WWF世界ヘビー級タイトルマッチ
★バックランドVSハンセン
★WWFジュニアタイトルマッチ
★藤波VSロン・スター
NWAジュニアタイトルマッチ
★木村VSチャボ・ゲレロ >>210
90年11月1日
★IWGPタイトルマッチ
長州VS橋本
★IWGPタッグタイトルマッチ
武藤、蝶野VS馳、佐々木
★IWGPジュニアタイトルマッチ
ライガーVSペガサス・キッド(クリス・ベノイ)
★藤波復帰試合
藤波VSベイダー
★スペシャルマッチ
斎籐VSシン
※ベイダーの負傷欠場で藤波VSシンに変更 >>210
武道館はかつてはオールスター戦の開催地でもあり都内ビッグマッチ専用会場だった。
90年以降は新日も年に1回か2回?武道館で開催した。
しかしやっぱり武道館は全日のイメージが強い。
そん代わり両国は新日のイメージしかない。
少なくとも90年代はね。 90年代は保険の意味もあってかいろんなとこを使ってたこともあったから、新日=両国のイメージもない。
強いていえばG1=両国か? >>213
じゃんけんピコピコハンマーデスマッチ3本勝負
坂口征二VSストロング小林
これはガチだった >>216
俺は新日=両国っちゅうイメージはあったね。
新日は常に両国を使用していた。
G1でそれが確固たるものに。
逆にそれで新日=武道館のイメージは更に遠退いた。
武道館は完全に全日が独占で。
新日は都内だと両国とドームだね。
あくまで前の話で今は見てないからわからんが。 平成新日本での武道館となるとマサの引退興行も思い出す >>182
もう一度と思ったんだが結局その奪取は世界ジュニアになってから 新日の武道館はイスを少なく設置してたらしい。
全日は武道館ではビッチリとイス設置して。 >>219
いつもは2月は両国なのに98年とマサ引退興行の99年は武道館だった。
両国はちょっとした改修工事でもやってたのか? >>221
90年代初頭に新日の武道館見たけど、椅子は目一杯組んでた。
00年代は少なかったかもしれんが(これは全日も同様か)。 >>223
90年代初頭は新日も武道館でもいいカード組んでた。
でも夏のG1が恒例化してから武道館が手抜き興行になって。
手抜き興行してるつもりはなかっただろうが。
でもそう見えた。
実績は武道館の手抜き興行より両国の夏のG1に力を注いでいるのがわかった。
逆に全日は武道館に力を入れて。
まあそっから新日=両国で全日=武道館という図式が。
新日は92年からドームは1・4に固定して。
1月のドームと夏の両国。
そうなると武道館が手抜きに見えても仕方がない。 >>224
91年11月5日 武道館
蝶野ー藤波
橋本ー長州
武藤&馳ーノートン&リックスタイナー
野上ー保永
全てタイトルマッチ
確かに好カード組んでるね。 >>225
90年11月1日 武道館大会主要カード
・IWGP選手権
長州×橋本
・IWGPタッグ選手権
武藤 蝶野×馳 佐々木
・IWGPジュニア選手権
ライガー×ペガサス
・藤波復帰試合
藤波×ベイダー
・特別試合
斎藤×シン
ベイダー負傷?欠場でカード変更
・藤波復帰試合
藤波×シン
やはりいいカードを提供してる。
藤波×シン以外は内容的にも良かった。 この時のIWGPタッグは名勝負だったな
あとベイダー・ビガロ対スタイナーズも武道館だったか 知り合いから教えてもらった簡単確実稼げる秘密の方法
知りたい方だけみるといいかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
2B5OV アイオブザタイガーのケリーか
ケリーのアイオブザタイガーか 新日は改築後の東体も93年から98年まで年1ペースで組んでたな。
全日は90年のこけら落としが天龍離脱でケチがついたから、以後やらなくなったが。 日プロ時代の馬場の試合貴重だけど、いかんせん試合がつまらん
セコンドの顔ぶれ見てるほうが面白い 馬場の一発ごとに観客がドーッと沸くのがポイント
後のハンセン戦でようやく復活 >>230
東京体育館は勿体なかった。
1万は収容できるし交通の便もいい。 ブロディとマスカラスが激突した不穏試合もこの年だったか この年の3月にハンセンとバスを上野動物園で見かけてめちゃくちゃ興奮した思い出があるなぁ…小5くらいだったから余計に… ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ バスもハンセンとほぼ同サイズだったね。
体型もそっくりで。
年齢的にも近くてバランスが取れていたと思う。
ハンセンとゴディもサイズや体型がそっくりだったが、年齢的に開きがあった。
一回り違って干支(丑)が同じだし。 ちなみにデラプロだかビッグレスラーに
丑年生まれのハンセンは牛並の暴れっぷりと書いてあったのを思い出した。
そして丑年生まれのハンセンは牛丼が大好きと牛丼食べてる姿が。 外国人に干支の概念が通じるかは疑問だが、ハンセンならインテリだから「ユーは丑年だから暴れ牛なんだよ」と説明したら笑ってくれそうだな。 外国人は干支や元号は興味なし。
でもシンやハンセンはそれらに興味を持っていたそうな。
やっぱり親日家だったから日本でも大成したのだろう。 マードックも日本で成功した部類だが、干支や元号なんかまるで興味なさそうだもんなw
焼鳥や居酒屋は好きでも。 日本の歴史には興味なさそうだな、マードック
箸の使い方や金の単位は熟知していたらしい、マードック
シンも日本の金の単位はしっかりと熟知していたと。 年末の最強タッグにはバリーウィンダムも初来日したけど残念な成績だったね >>249
リッチもそうだったけどシンとガンガン当てればよかったんだよ。 >>251
リッチとブッチャーの流血戦はジョージアの黄金カード。 この頃の全日のテレビ中継では、年に1回か2回は、「アントニオ猪木」の名前が出てた。
UNの歴史に言及してたのかよく覚えてないけど、
新日の中継では全日の存在じたいまったく感じさせない状態だったから、
日テレ=倉持が、妙に公平で視野が広い印象を受けた。 >>254
古舘や桜井も流れでレイスやシークの名前を出した事もあった。
シークは取り敢えず元新日にもなるが。
あと移籍前のブッチャーの名前を出した事も。 83テリーさよならシリーズの開幕戦で「初来日では、あのアントニオ猪木と対戦しています」と実況して山田さんも少し解説していたね。 >>255 コブラのデビュー戦ではマスカラスの名前も古舘が出していた。 猪木vs藤波が藤波の足の負傷で流れてvsアンドレに変更になったとき、小鉄がサンマルチノの名前を出していた 猪木VSシンの試合で過去の火炎攻撃の話に。
その流れでシークの名前が出た。
あとやはり猪木VSシンの試合でブッチャーの名前も。
あっ、これはブッチャー移籍挨拶後だったわ。
猪木VSシン最後のシングルんときに。 ウォリアーズ初来日の鶴龍戦で猪木の名前が出た。
『このインタータッグはかつてはG馬場、A猪木も巻いたタイトルです』
よく猪木の名前を出したな、と思った。 まもなくBI砲のインタータッグが見られる
そういえばそれが両国での唯一のインタータッグだったか 最強タッグに参戦したモンゴリアン・鶴見組は不参加チームがあった為の代役かね。
明らかに白星配給の役割だよなあ しかしハンセンとロン・バスにインタータッグを巻かせたのはなんだったんだろうな。短期間の行ってこいでどっちもノーテレビだったし。夏のシン&上田もリターンマッチはノーテレビだったし 最強タッグに参加したモンゴリアンは、二度と全日参戦はないと思っていたが、名前変えて一度だけ再参戦したな。相変わらずしょっぱかったが。 秋のジャイアントシリーズ後楽園、デビアスと天龍のUN戦がメインだったんだな。何気に天龍シングル初メインかな?それともフレアーのNWAに挑戦した時ってメインだったのかな >>267
あぁ、馬場&鶴田とブロディ&スヌーカか。さすがに世界戦とはいえフレアーと天龍のメインじゃ弱いか。ありがとう 鶴田はインタータッグ前哨戦でギャングにピン負けしていたのか >>266
この年の正月後楽園の上田戦がシングル初メイン。 クラシックで鶴田のインター奪取ロードを放送
ただし僅か半年後にAWA王座まで奪ったので影になった印象 ジャンボのインター奪取の道のりは長くてイライラさせられたものだよ。 その間にレイスとの抗争でUNの価値が大きく上がっていた印象だったので特筆とまでの印象は無かった えっ、なんでインターに絞らなくちゃいけないの、って当時は思ったけどね インターを取ってもこれといった相手はブロディくらいだったし この時ってテレビ中継は何時からやってたっけ?
テリーの引退はゴールデンで見たような 関東は土曜夕5:30 プラス不定期で土曜7時から2時間スペシャル
2月(カブキとリッチが目玉)、9月(テリー引退、試合は8月)、12月(4年ぶりの生中継、カブキとフレアーが目玉) 土曜トップスペシャルは全日も力入れていたのがわかる。
カードや内容も。
視聴率もそれなりに取れてた。 「馬場さん何をしたら喜ぶかね」と言って事切れた元子 181荒らしじゃないが (ガラプー KKfe-okJb)2018/12/27(木) 21:11:05.63ID:0oZvcvzjK>>182
シークは静
シンは動
暴れるシンの方が迫力はあるが、不気味さではシークが上。
ブッチャーも不気味さはあったが、シークとシンの中間か。
暴れる度合いではシンの方が上で不気味さはシークの方が上。
ブッチャーの場合は二人にはない愛嬌があったが。
それが二人を上回る人気に繋がった。
しかしそれと同時にヒールとしての評価が二人より落ちる。
そういう記事があった。
愛嬌を得ずにヒールとしての評価を二人と同等に保った方が良かったか?。
或いは愛嬌で二人を上回る人気を得て良かったか?
う〜ん、踏ん張ってうんちょボチョッ
う〜ん、ブッチャーはどちらが良かっただろうか? 283丹羽さんだが、
シークも若き時分は体が分厚くパンパンでパワー派だったと。
あまり話題にならないけどフレアーも体がパンパンでパワー派。
フレアーの場合はパワーを感じさせる試合はなかったが。 284庭師だが、
フレアーはNWA王者前には『パワフルなファイトの期待のホープ』とか。
肉体派とも紹介されていた。
次期NWA王者に最も近い男とも言われた。
最初はフレアーはレイスからではなくローデスから奪取したな。
ローデスを繋ぎ王者にした意味は? 286ニーハロだが、
フレアーはタイトルが無ければどんな位置付けだったか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています