1983年の全日本プロレス [無断転載禁止]©2ch.net
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新日の陰に隠れがちだったが、83年は全日も熱かった。
ハンセン、ブロディの全盛期
そしてなんといってもテリーの引退www テリー引退は、たしか子供たちにとっても夏休み最後の日じゃなかったっけ。
ひとつの時代が終わる、という雰囲気だった記憶がある。 >>204
都内主要会場が取れなかった。
武道館も東体も。
それで横浜文体に。 翌年は初の武道館だったが当時は使えたはずの両国じゃなかったのはなぜか >>207
たまたま取れなかっただけでは?
まあこのあたりから全日は武道館が定着した。
新日は80年9月30日(猪木20周年)以来90年11月1日まで10年も武道館を使わなかった。
90年以降は武道館を使ったが。
でも新日の武道館の興行は何か手抜き興行感が否めなかった。
カードから会場内設営等全てに於いて。
新日は両国やドームがあったかんな。
武道館はさほど神経注いでなかったのかも。
両国の興行はG1以外でも力入れてた感じがしたし。 新日本の90年代武道館大会は全日本に対して「ウチは両国もドームも武道館もできますよ。」という上から目線が感じられたな。 >>208
80年代前半からのファンとしては武道館=大きな興行っていうイメージがなかったな
蔵前をはじめ、各都市、大相撲が開催される会場、プラス田コロが大きな興行というイメージだった
それ以上となると、後楽園球場、みたいな >>208
85年で二回86年で三回87年は五回と次第に増やしていったのもポイント
当時のファンとしては武道館がいつのまにかレギュラー化していったのに驚いたかも
>>209
あの時のIWGPタッグ戦こそが新日本のタッグのベストバウトだった印象
とにかく十年の空白期で一番惜しかったのはやはり初代タイガーの試合が無かった事
佐山にとって因縁の会場でもあるだけに
そういえば今日は新日本が初めて純粋なプロレス興行で武道館を使った最初の日だったか >>211
でも武道館で不入りが続いてたら90年に東体&両国に切り替えてたと思う。 >>210
80年9月30日(猪木デビュー20周年)
四大タイトルマッチ
★NWFタイトルマッチ
猪木VSケン・パテラ
★WWF世界ヘビー級タイトルマッチ
★バックランドVSハンセン
★WWFジュニアタイトルマッチ
★藤波VSロン・スター
NWAジュニアタイトルマッチ
★木村VSチャボ・ゲレロ >>210
90年11月1日
★IWGPタイトルマッチ
長州VS橋本
★IWGPタッグタイトルマッチ
武藤、蝶野VS馳、佐々木
★IWGPジュニアタイトルマッチ
ライガーVSペガサス・キッド(クリス・ベノイ)
★藤波復帰試合
藤波VSベイダー
★スペシャルマッチ
斎籐VSシン
※ベイダーの負傷欠場で藤波VSシンに変更 >>210
武道館はかつてはオールスター戦の開催地でもあり都内ビッグマッチ専用会場だった。
90年以降は新日も年に1回か2回?武道館で開催した。
しかしやっぱり武道館は全日のイメージが強い。
そん代わり両国は新日のイメージしかない。
少なくとも90年代はね。 90年代は保険の意味もあってかいろんなとこを使ってたこともあったから、新日=両国のイメージもない。
強いていえばG1=両国か? >>213
じゃんけんピコピコハンマーデスマッチ3本勝負
坂口征二VSストロング小林
これはガチだった >>216
俺は新日=両国っちゅうイメージはあったね。
新日は常に両国を使用していた。
G1でそれが確固たるものに。
逆にそれで新日=武道館のイメージは更に遠退いた。
武道館は完全に全日が独占で。
新日は都内だと両国とドームだね。
あくまで前の話で今は見てないからわからんが。 平成新日本での武道館となるとマサの引退興行も思い出す >>182
もう一度と思ったんだが結局その奪取は世界ジュニアになってから 新日の武道館はイスを少なく設置してたらしい。
全日は武道館ではビッチリとイス設置して。 >>219
いつもは2月は両国なのに98年とマサ引退興行の99年は武道館だった。
両国はちょっとした改修工事でもやってたのか? >>221
90年代初頭に新日の武道館見たけど、椅子は目一杯組んでた。
00年代は少なかったかもしれんが(これは全日も同様か)。 >>223
90年代初頭は新日も武道館でもいいカード組んでた。
でも夏のG1が恒例化してから武道館が手抜き興行になって。
手抜き興行してるつもりはなかっただろうが。
でもそう見えた。
実績は武道館の手抜き興行より両国の夏のG1に力を注いでいるのがわかった。
逆に全日は武道館に力を入れて。
まあそっから新日=両国で全日=武道館という図式が。
新日は92年からドームは1・4に固定して。
1月のドームと夏の両国。
そうなると武道館が手抜きに見えても仕方がない。 >>224
91年11月5日 武道館
蝶野ー藤波
橋本ー長州
武藤&馳ーノートン&リックスタイナー
野上ー保永
全てタイトルマッチ
確かに好カード組んでるね。 >>225
90年11月1日 武道館大会主要カード
・IWGP選手権
長州×橋本
・IWGPタッグ選手権
武藤 蝶野×馳 佐々木
・IWGPジュニア選手権
ライガー×ペガサス
・藤波復帰試合
藤波×ベイダー
・特別試合
斎藤×シン
ベイダー負傷?欠場でカード変更
・藤波復帰試合
藤波×シン
やはりいいカードを提供してる。
藤波×シン以外は内容的にも良かった。 この時のIWGPタッグは名勝負だったな
あとベイダー・ビガロ対スタイナーズも武道館だったか 知り合いから教えてもらった簡単確実稼げる秘密の方法
知りたい方だけみるといいかもしれません
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2B5OV アイオブザタイガーのケリーか
ケリーのアイオブザタイガーか 新日は改築後の東体も93年から98年まで年1ペースで組んでたな。
全日は90年のこけら落としが天龍離脱でケチがついたから、以後やらなくなったが。 日プロ時代の馬場の試合貴重だけど、いかんせん試合がつまらん
セコンドの顔ぶれ見てるほうが面白い 馬場の一発ごとに観客がドーッと沸くのがポイント
後のハンセン戦でようやく復活 >>230
東京体育館は勿体なかった。
1万は収容できるし交通の便もいい。 ブロディとマスカラスが激突した不穏試合もこの年だったか この年の3月にハンセンとバスを上野動物園で見かけてめちゃくちゃ興奮した思い出があるなぁ…小5くらいだったから余計に… ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
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体型もそっくりで。
年齢的にも近くてバランスが取れていたと思う。
ハンセンとゴディもサイズや体型がそっくりだったが、年齢的に開きがあった。
一回り違って干支(丑)が同じだし。 ちなみにデラプロだかビッグレスラーに
丑年生まれのハンセンは牛並の暴れっぷりと書いてあったのを思い出した。
そして丑年生まれのハンセンは牛丼が大好きと牛丼食べてる姿が。 外国人に干支の概念が通じるかは疑問だが、ハンセンならインテリだから「ユーは丑年だから暴れ牛なんだよ」と説明したら笑ってくれそうだな。 外国人は干支や元号は興味なし。
でもシンやハンセンはそれらに興味を持っていたそうな。
やっぱり親日家だったから日本でも大成したのだろう。 マードックも日本で成功した部類だが、干支や元号なんかまるで興味なさそうだもんなw
焼鳥や居酒屋は好きでも。 日本の歴史には興味なさそうだな、マードック
箸の使い方や金の単位は熟知していたらしい、マードック
シンも日本の金の単位はしっかりと熟知していたと。 年末の最強タッグにはバリーウィンダムも初来日したけど残念な成績だったね >>249
リッチもそうだったけどシンとガンガン当てればよかったんだよ。 >>251
リッチとブッチャーの流血戦はジョージアの黄金カード。 この頃の全日のテレビ中継では、年に1回か2回は、「アントニオ猪木」の名前が出てた。
UNの歴史に言及してたのかよく覚えてないけど、
新日の中継では全日の存在じたいまったく感じさせない状態だったから、
日テレ=倉持が、妙に公平で視野が広い印象を受けた。 >>254
古舘や桜井も流れでレイスやシークの名前を出した事もあった。
シークは取り敢えず元新日にもなるが。
あと移籍前のブッチャーの名前を出した事も。 83テリーさよならシリーズの開幕戦で「初来日では、あのアントニオ猪木と対戦しています」と実況して山田さんも少し解説していたね。 >>255 コブラのデビュー戦ではマスカラスの名前も古舘が出していた。 猪木vs藤波が藤波の足の負傷で流れてvsアンドレに変更になったとき、小鉄がサンマルチノの名前を出していた 猪木VSシンの試合で過去の火炎攻撃の話に。
その流れでシークの名前が出た。
あとやはり猪木VSシンの試合でブッチャーの名前も。
あっ、これはブッチャー移籍挨拶後だったわ。
猪木VSシン最後のシングルんときに。 ウォリアーズ初来日の鶴龍戦で猪木の名前が出た。
『このインタータッグはかつてはG馬場、A猪木も巻いたタイトルです』
よく猪木の名前を出したな、と思った。 まもなくBI砲のインタータッグが見られる
そういえばそれが両国での唯一のインタータッグだったか 最強タッグに参戦したモンゴリアン・鶴見組は不参加チームがあった為の代役かね。
明らかに白星配給の役割だよなあ しかしハンセンとロン・バスにインタータッグを巻かせたのはなんだったんだろうな。短期間の行ってこいでどっちもノーテレビだったし。夏のシン&上田もリターンマッチはノーテレビだったし 最強タッグに参加したモンゴリアンは、二度と全日参戦はないと思っていたが、名前変えて一度だけ再参戦したな。相変わらずしょっぱかったが。 秋のジャイアントシリーズ後楽園、デビアスと天龍のUN戦がメインだったんだな。何気に天龍シングル初メインかな?それともフレアーのNWAに挑戦した時ってメインだったのかな >>267
あぁ、馬場&鶴田とブロディ&スヌーカか。さすがに世界戦とはいえフレアーと天龍のメインじゃ弱いか。ありがとう 鶴田はインタータッグ前哨戦でギャングにピン負けしていたのか >>266
この年の正月後楽園の上田戦がシングル初メイン。 クラシックで鶴田のインター奪取ロードを放送
ただし僅か半年後にAWA王座まで奪ったので影になった印象 ジャンボのインター奪取の道のりは長くてイライラさせられたものだよ。 その間にレイスとの抗争でUNの価値が大きく上がっていた印象だったので特筆とまでの印象は無かった えっ、なんでインターに絞らなくちゃいけないの、って当時は思ったけどね インターを取ってもこれといった相手はブロディくらいだったし この時ってテレビ中継は何時からやってたっけ?
テリーの引退はゴールデンで見たような 関東は土曜夕5:30 プラス不定期で土曜7時から2時間スペシャル
2月(カブキとリッチが目玉)、9月(テリー引退、試合は8月)、12月(4年ぶりの生中継、カブキとフレアーが目玉) 土曜トップスペシャルは全日も力入れていたのがわかる。
カードや内容も。
視聴率もそれなりに取れてた。 「馬場さん何をしたら喜ぶかね」と言って事切れた元子 181荒らしじゃないが (ガラプー KKfe-okJb)2018/12/27(木) 21:11:05.63ID:0oZvcvzjK>>182
シークは静
シンは動
暴れるシンの方が迫力はあるが、不気味さではシークが上。
ブッチャーも不気味さはあったが、シークとシンの中間か。
暴れる度合いではシンの方が上で不気味さはシークの方が上。
ブッチャーの場合は二人にはない愛嬌があったが。
それが二人を上回る人気に繋がった。
しかしそれと同時にヒールとしての評価が二人より落ちる。
そういう記事があった。
愛嬌を得ずにヒールとしての評価を二人と同等に保った方が良かったか?。
或いは愛嬌で二人を上回る人気を得て良かったか?
う〜ん、踏ん張ってうんちょボチョッ
う〜ん、ブッチャーはどちらが良かっただろうか? 283丹羽さんだが、
シークも若き時分は体が分厚くパンパンでパワー派だったと。
あまり話題にならないけどフレアーも体がパンパンでパワー派。
フレアーの場合はパワーを感じさせる試合はなかったが。 284庭師だが、
フレアーはNWA王者前には『パワフルなファイトの期待のホープ』とか。
肉体派とも紹介されていた。
次期NWA王者に最も近い男とも言われた。
最初はフレアーはレイスからではなくローデスから奪取したな。
ローデスを繋ぎ王者にした意味は? 286ニーハロだが、
フレアーはタイトルが無ければどんな位置付けだったか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています