1983年の全日本プロレス [無断転載禁止]©2ch.net
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新日の陰に隠れがちだったが、83年は全日も熱かった。
ハンセン、ブロディの全盛期
そしてなんといってもテリーの引退www 俺が見に行ったある日のカード
若手バトルロイヤル
天龍対キラートーア
鶴田対ブラッド
馬場ファンクス対スタンブルーザーテリー デビアスは馬場に「もう少し目がパッチリしていたら人気が出るのに」と言われていたね。 つーか、目がもう少し大きければNWA王者になれたって言ってたな >>163
健吾と同じだな。
健吾「新間さんから目を二重にしてきたら売り出してやると言われた。
でも俺の顔で二重はおかしいだろ・・・」 テドデは大型だったからもっと身体を活かしたファイトすれば良かった。
スタハやブルブにも遜色ない巨体だったし。 鶴田が本当にブロディからインターをとるなら、ちゃんとピンでとらせるべきだった。
鶴田が本当にブロディからインターをとるなら、テリーの前座じゃなくて他の日のメインでやるべきだった。 >>169
オレもTVで見てたんだけど
あんな小賢しい勝ち方で客は大盛り上がりで
なんか幻滅したけどね。
当時のブロディに傷つけたくなかったんだろうけど
ブロディなんか退屈な試合しかできないんだし
鶴田にスカッと勝たせろよと思った あれは鶴田勝ってオレはウオオーと喜んでた。その頃に藤波が相手忘れたけどリングアウトで勝った流れがあった気がする(長州だったかな)
そんなこともあって武道館でブロディが鶴田からピン取った驚きは凄かった
セミのハンセン天龍がどう決着したのか覚えていないけど、ブロディが客席になだれ込んだところまでハッキリ記憶に残ってる リングアウト勝ちでも納得した時代。決着が付けばいいんだよ、その時は 同じリングアウトでも藤浪は場外で大技を決めてリングインした、引きずり下ろしただけの鶴田とは価値が違う、
っていうファンの投稿をプロレス雑誌で見て苦笑した記憶がある あのオープンタッグだって反則勝ちなのに伝説になった >>170
当時俺は良い試合だと思ったけどな
勝ち方にはみんなそれほどこだわってなかった気がするけど
だからこそプロレスの幅があったわけだし >>175
だよな
当時は実力(格)が拮抗してる場合、完全決着になる発想そのものがなかったからね そこに至るまでの攻防に十分な説得力があったからな
その前の試合で渕が負けていたのもとにかく勝ってインターを巻いてくれれば良いというムードを作ったかもだが これまでなら樋口失神からのグダグダのノーコンテスト。だからリングアウトでもあれはあれで良かった。 ジャンボがブロディのインターに挑戦したのは過去何度だっけ?
アメリカでも挑戦して失敗、この蔵前大会で獲れなかったら天龍に挑戦権を譲ると背水の陣を敷いたから、ジャンボが勝った瞬間は素直に嬉しかったよ。 完全決着がいいとは思わないね。
四天王プロレス大嫌い。 >>177
渕のジャーマンが決まったとき勝ったと思ったんだがな 両リンや反則無効試合は便利なツールでもあった。
やっぱりUの存在が新日や全日にも影響を及ぼしたみたいで。
Uの完全決着にファンも同調していいた。
それで新日や全日にも完全決着を求める傾向に。
Uは不完全決着を完全に排除したシステムで大成功したし。 テリーは引退後もマネージャー、レフェリーと常に目立つ存在に。
そういうのがなくて復帰の流れの方がまだ多少は支持されたかも。 テリファ自体はこの年で終わった。
スタハやブルブの時代へ。 テリー引退も全日は興行ダメージはなかった。
全日は既にハンセン人気に支えられていた。
テリーやマスカラスの時代は終わってたんだな。 テリファは飽きられてたからね。
ミルマも同じく。
ファンはスタハやブルブを指示。
ザファン、ミルマ、ハリレは一昔前の扱い。
スタハやブルブ、ハルホがこの時代の主流。 >>181
一番良いのは
完全決着と不透明決着の混ぜたやつ 天龍唯一の蔵前メイン登場
また最後のローリングドリーマー使用 土曜トップスペシャルでの特番が定着してきた頃だね。 定期と合わせて二時間半
新日本よりも凄かったんだよな 土曜トップスペシャルは楽しみだった。
2時間も放送だったし。
最強タッグも最終戦はスペシャルで見たかったなあ。 >>195
あれ?
土曜トップスペシャルって、放送時間が1時間半でなかったっけ。
83年か84年頃なら、土曜の夜7:00からルパン三世PARTV放送してた記憶あるし。 日テレは木曜スペシャルでやるという発想はなかったのか? >>199
娯楽番組は土曜と日曜という認識が強い時代だからね。
でも裏番組にはドリフとひょうきん族があったから視聴率は厳しかったね。 裏番組状況からすれば十分に合格点だったんだよな
それが後のゴールデン復帰にもつながる
確かテリー引退の時は十四パーセントくらいあったとか テリー引退の蔵前が全日歴代蔵前大会で一番の入りだった。 翌年は国技館が改装中とはいえ何故文体なのかね?
メンバーは相当強力だったから武道館と言わずとも東体でも十分満員になったろうに。 テリー引退は、たしか子供たちにとっても夏休み最後の日じゃなかったっけ。
ひとつの時代が終わる、という雰囲気だった記憶がある。 >>204
都内主要会場が取れなかった。
武道館も東体も。
それで横浜文体に。 翌年は初の武道館だったが当時は使えたはずの両国じゃなかったのはなぜか >>207
たまたま取れなかっただけでは?
まあこのあたりから全日は武道館が定着した。
新日は80年9月30日(猪木20周年)以来90年11月1日まで10年も武道館を使わなかった。
90年以降は武道館を使ったが。
でも新日の武道館の興行は何か手抜き興行感が否めなかった。
カードから会場内設営等全てに於いて。
新日は両国やドームがあったかんな。
武道館はさほど神経注いでなかったのかも。
両国の興行はG1以外でも力入れてた感じがしたし。 新日本の90年代武道館大会は全日本に対して「ウチは両国もドームも武道館もできますよ。」という上から目線が感じられたな。 >>208
80年代前半からのファンとしては武道館=大きな興行っていうイメージがなかったな
蔵前をはじめ、各都市、大相撲が開催される会場、プラス田コロが大きな興行というイメージだった
それ以上となると、後楽園球場、みたいな >>208
85年で二回86年で三回87年は五回と次第に増やしていったのもポイント
当時のファンとしては武道館がいつのまにかレギュラー化していったのに驚いたかも
>>209
あの時のIWGPタッグ戦こそが新日本のタッグのベストバウトだった印象
とにかく十年の空白期で一番惜しかったのはやはり初代タイガーの試合が無かった事
佐山にとって因縁の会場でもあるだけに
そういえば今日は新日本が初めて純粋なプロレス興行で武道館を使った最初の日だったか >>211
でも武道館で不入りが続いてたら90年に東体&両国に切り替えてたと思う。 >>210
80年9月30日(猪木デビュー20周年)
四大タイトルマッチ
★NWFタイトルマッチ
猪木VSケン・パテラ
★WWF世界ヘビー級タイトルマッチ
★バックランドVSハンセン
★WWFジュニアタイトルマッチ
★藤波VSロン・スター
NWAジュニアタイトルマッチ
★木村VSチャボ・ゲレロ >>210
90年11月1日
★IWGPタイトルマッチ
長州VS橋本
★IWGPタッグタイトルマッチ
武藤、蝶野VS馳、佐々木
★IWGPジュニアタイトルマッチ
ライガーVSペガサス・キッド(クリス・ベノイ)
★藤波復帰試合
藤波VSベイダー
★スペシャルマッチ
斎籐VSシン
※ベイダーの負傷欠場で藤波VSシンに変更 >>210
武道館はかつてはオールスター戦の開催地でもあり都内ビッグマッチ専用会場だった。
90年以降は新日も年に1回か2回?武道館で開催した。
しかしやっぱり武道館は全日のイメージが強い。
そん代わり両国は新日のイメージしかない。
少なくとも90年代はね。 90年代は保険の意味もあってかいろんなとこを使ってたこともあったから、新日=両国のイメージもない。
強いていえばG1=両国か? >>213
じゃんけんピコピコハンマーデスマッチ3本勝負
坂口征二VSストロング小林
これはガチだった >>216
俺は新日=両国っちゅうイメージはあったね。
新日は常に両国を使用していた。
G1でそれが確固たるものに。
逆にそれで新日=武道館のイメージは更に遠退いた。
武道館は完全に全日が独占で。
新日は都内だと両国とドームだね。
あくまで前の話で今は見てないからわからんが。 平成新日本での武道館となるとマサの引退興行も思い出す >>182
もう一度と思ったんだが結局その奪取は世界ジュニアになってから 新日の武道館はイスを少なく設置してたらしい。
全日は武道館ではビッチリとイス設置して。 >>219
いつもは2月は両国なのに98年とマサ引退興行の99年は武道館だった。
両国はちょっとした改修工事でもやってたのか? >>221
90年代初頭に新日の武道館見たけど、椅子は目一杯組んでた。
00年代は少なかったかもしれんが(これは全日も同様か)。 >>223
90年代初頭は新日も武道館でもいいカード組んでた。
でも夏のG1が恒例化してから武道館が手抜き興行になって。
手抜き興行してるつもりはなかっただろうが。
でもそう見えた。
実績は武道館の手抜き興行より両国の夏のG1に力を注いでいるのがわかった。
逆に全日は武道館に力を入れて。
まあそっから新日=両国で全日=武道館という図式が。
新日は92年からドームは1・4に固定して。
1月のドームと夏の両国。
そうなると武道館が手抜きに見えても仕方がない。 >>224
91年11月5日 武道館
蝶野ー藤波
橋本ー長州
武藤&馳ーノートン&リックスタイナー
野上ー保永
全てタイトルマッチ
確かに好カード組んでるね。 >>225
90年11月1日 武道館大会主要カード
・IWGP選手権
長州×橋本
・IWGPタッグ選手権
武藤 蝶野×馳 佐々木
・IWGPジュニア選手権
ライガー×ペガサス
・藤波復帰試合
藤波×ベイダー
・特別試合
斎藤×シン
ベイダー負傷?欠場でカード変更
・藤波復帰試合
藤波×シン
やはりいいカードを提供してる。
藤波×シン以外は内容的にも良かった。 この時のIWGPタッグは名勝負だったな
あとベイダー・ビガロ対スタイナーズも武道館だったか 知り合いから教えてもらった簡単確実稼げる秘密の方法
知りたい方だけみるといいかもしれません
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2B5OV アイオブザタイガーのケリーか
ケリーのアイオブザタイガーか 新日は改築後の東体も93年から98年まで年1ペースで組んでたな。
全日は90年のこけら落としが天龍離脱でケチがついたから、以後やらなくなったが。 日プロ時代の馬場の試合貴重だけど、いかんせん試合がつまらん
セコンドの顔ぶれ見てるほうが面白い 馬場の一発ごとに観客がドーッと沸くのがポイント
後のハンセン戦でようやく復活 >>230
東京体育館は勿体なかった。
1万は収容できるし交通の便もいい。 ブロディとマスカラスが激突した不穏試合もこの年だったか この年の3月にハンセンとバスを上野動物園で見かけてめちゃくちゃ興奮した思い出があるなぁ…小5くらいだったから余計に… ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ バスもハンセンとほぼ同サイズだったね。
体型もそっくりで。
年齢的にも近くてバランスが取れていたと思う。
ハンセンとゴディもサイズや体型がそっくりだったが、年齢的に開きがあった。
一回り違って干支(丑)が同じだし。 ちなみにデラプロだかビッグレスラーに
丑年生まれのハンセンは牛並の暴れっぷりと書いてあったのを思い出した。
そして丑年生まれのハンセンは牛丼が大好きと牛丼食べてる姿が。 外国人に干支の概念が通じるかは疑問だが、ハンセンならインテリだから「ユーは丑年だから暴れ牛なんだよ」と説明したら笑ってくれそうだな。 外国人は干支や元号は興味なし。
でもシンやハンセンはそれらに興味を持っていたそうな。
やっぱり親日家だったから日本でも大成したのだろう。 マードックも日本で成功した部類だが、干支や元号なんかまるで興味なさそうだもんなw
焼鳥や居酒屋は好きでも。 日本の歴史には興味なさそうだな、マードック
箸の使い方や金の単位は熟知していたらしい、マードック
シンも日本の金の単位はしっかりと熟知していたと。 年末の最強タッグにはバリーウィンダムも初来日したけど残念な成績だったね >>249
リッチもそうだったけどシンとガンガン当てればよかったんだよ。 >>251
リッチとブッチャーの流血戦はジョージアの黄金カード。 この頃の全日のテレビ中継では、年に1回か2回は、「アントニオ猪木」の名前が出てた。
UNの歴史に言及してたのかよく覚えてないけど、
新日の中継では全日の存在じたいまったく感じさせない状態だったから、
日テレ=倉持が、妙に公平で視野が広い印象を受けた。 >>254
古舘や桜井も流れでレイスやシークの名前を出した事もあった。
シークは取り敢えず元新日にもなるが。
あと移籍前のブッチャーの名前を出した事も。 83テリーさよならシリーズの開幕戦で「初来日では、あのアントニオ猪木と対戦しています」と実況して山田さんも少し解説していたね。 >>255 コブラのデビュー戦ではマスカラスの名前も古舘が出していた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています