1983年の全日本プロレス [無断転載禁止]©2ch.net
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新日の陰に隠れがちだったが、83年は全日も熱かった。
ハンセン、ブロディの全盛期
そしてなんといってもテリーの引退www この頃の超獣コンビは凄かった。
反則負け以外で負けないんじゃないか?と思った。 しかしハンセン、ブロディ組がインタータッグに挑戦することはなかった テリゴはキャラが薄かったな。
ダニスも同じく。
スタハンがキャラや実績が凄すぎた。
だからテリゴ、ダニス、スティウィがスタハンに追い付けなかった。
スタハンやブルブロはドリファやテリファを超えたのに。
超えたとは大袈裟か。
でもスタハンが偉大すぎた。
それで下の世代の外人が煽りを喰らってもうたんよ。 テリーがハンセンにブルロープで引きずり回された試合ってこの年でしたっけ?
テレビ中継で不自然なカット入っててプロレス雑誌見たらテリーが首吊り状態のシーンだった それは82年だ。
スタハはテリファを徹底的に痛ぶった。
ブルブも。
ドリファとテリファがぼろ雑巾みたいになって。
スタハはテリファとの対戦では極悪ヒールと化していたかんな。
スタハ自伝でその理由も記されとったが。
ジャイバやジャンツが存在感なかったし。
リュウゲンもまだまだで。
テリファ頼りなのもわかるわ。 おとーちゃん間違ってるで
>>14
83グランドCCの大阪大会だな テリーがブルロープで絞首刑にされたのは82年9月の大阪府立だったかな。
80年4月のブッチャーの割れたビール瓶をテリーの胸に突き刺しとかも。
大阪府立は凄い内容が多い。 新日でもブッチャー絡みの流血戦はだいたい大阪府立。
坂口
ホーガン
ローデス
マードック タイガーvs小林の初マスク剥ぎも大阪。素顔ほとんど見えるほど破ったのも
大阪。 ローデスも大阪では流血試合ばかり。
80年12月 シン
81年12月 カーン
82年 1月 ブッチャー
それぞれの試合でローデスは大流血。 また大阪は荒れた試合が多い。 いい意味で。
上記三試合以外ても
>>18
80年 4月 テリー×ブッチャー
82年 9月 テリー×ハンセン
80年 5月 バックランド×ローデス(意外にも両者流血の荒れた試合に)
80年12月 ファンクス×ブッチャー、カマタ(だっけ?)
81年 5月 猪木、ローデス×ハンセン、ホーガン(シンが乱入して空前の大乱戦に)
81年11月 シン、上田×シーク、ルーイン
82年11月 猪木×木村(国際側に加担した小林が猪木の髪を切る暴挙)
わかるだけでも。
それぞれ荒れた試合だった。 >>23
テリーvsハンセンは83年4月じゃないか?
ブルロープで絞首刑の奴だよな そうだっけ?
82年9月はなかった?
記憶が曖昧だわ。 後は80年12月は馬場&鶴田vsブッチャー&カマタ、シン組とシーク組は81年12月、猪木と木村の髪切りマッチは82年の9月だな。 82年9月はテリーとハンセンの初シングルだな。後楽園で、ロン・バスの介入があってテリーがリングアウト負けの奴だと思う やはり記憶がゴッチャだわ。
82年11月のは猪木×はぐれ軍団の1×3だったか。
資料ないとわからんわ。 >>18
2つ上のレスも読めないのか、おとーちゃん テリーファンクとスタンハンセンの試合はエキサイチングだったな。
テリーファンクがいつもやられていた。
スタンハンセンはテリーファンクとの試合では極悪ヒールと化した。
ブルーザーブロディも。
二人ともジャイアント馬場やジャンボ鶴田との対戦では極悪ヒールにはならない。
ザファンクス、特にテリーファンクとの試合では極悪ヒール。
タイガージェットシン顔負けの極悪ヒールぶり。
ザファンクスが壊れると思った。
お前らもそう思うだろ。 引退したテリーも年末にはマネージャー、翌年はレフェリー
そして遂には復帰してしまった
元の人気を得られると思ったみたいだが。
でも元の人気は得られず。 テリーはこの年で終わった。
復帰後のテリーは全く別人、別物。 テリーが引退して10年後に電流爆破なんてやるなんてその時は
誰一人も想像できなかっただろうね。 大仁田はこの頃から流血戦多かったんだな。ゲレロ戦やジプシージョー戦等。
テリーの影響? チャボにトロフィーでボコボコにされた時、トロフィーの一部が大仁田の体に刺さってなかった?
あの時大仁田の表情がなんか恍惚とした表情にも見えて怖かった。 大仁田のジュニアに挑戦したレスラーってなんか魅力的だったな。
ロッキージョーンズ、ヘクターゲレロ、チックドノバン、マイクデービス、
そしてチャボゲレロ。
このクラスのレスラーっていかにも昭和プロレスだよね。 この年のジャイアントシリーズに異色の外国人レスラー参戦。
名前も宣伝写真の風貌も期待した。
その名はマイクドゲンドロフ
喰わせものだった。 >>44
その巨漢ギャングを何度もバックドロップで投げきったと豪語する凱旋帰国の渕、 >>48
蔵前でのチャボのインタージュニアへの挑戦試合
セコンドの大仁田がとにかく目立った ドゲンドロフは間違いではないよ。
90年代のウイリアムスとかが参加していたUWFのビデオではそう発音されているよ。
>>50さん
オープニングですこしだけ出てた気がします。 >>47
ハンセン&バスの行ってこいはどっちもノーテレビ
シン&上田はリマッチがノーテレビ
雑誌を読んでない層を完全に置き去りにしてましたね シン&上田の時は週刊化した最初の頃で速報性の威力を実感 >>56
フレアーが最高に楽しいツアーだったって語ってたのはこのシリーズだったか? IWGPに対抗してグランドチャンピオンカーニバルワクワクしたなぁ。
ケリーのミズーリ州タイトル開催は画期的だったと思う。
話は変わるが同時期に来日したゴールデンボーイ チックドノバン
優しかったなあ。
マイクデービスも優しかった。
あとドスカラスにツーショットで写真頼んでターザン後藤がシャッター
押してくれた事があったがこの時は死んでも良いとガキながらマジ思ったわ。笑 グランドチャンピオンカーニバルで京都府立体育館が満員になったんだよな 蔵前で連日の興行合戦がいずれも満員って、東京人どんだけ金持ちなのか?と思っていたわ(´・ω・`) スレーター&パイパーは当時新日で話題になっていたアドニス&オートンに
匹敵する魅力あるコンビだね。
最強タッグでハンセン&ブロディとの対決とか見たかったな。
二月に来日したトミーリッチも使い方次第では化けたかも。
華、雰囲気はあったかな。
やはりこの時期ブッチャーがいなくなったのが外人にも影響あったと思う。 >>67さん
たしかにそのとおりなんですが、1984はリング外の話題が春くらいから
賑やかでリング上より先行していたイメージあるんですよね。
あとあくまでも個人的な感想なんですがテリーが引退したのも
イメージとして残っているかも知れません。
世界チャンピオンが、ケリーとマーテルというイメージも影響しています。
私の世界チャンピオンはレイス、ニック、バックランドで終わって
しまっています。 >>65
これが最後のスレーターの晴舞台
リッチは入場場面が実に華やかだった この時期、良い若手ガイジンが集まってたけど流してしまった感じがする。
超獣コンビ偏重で使いこなそうともせず埋没パターンが多かった。
これはジャパンプロ提携時にも同じ事がいえる。
勿体無いケースの数では定評のある新日を上回るかもしれない。 >>69
入場と言えばカブキの入場からコール時の毒霧までは最高だった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています