ザ・ファンクスを語ろう [無断転載禁止]©2ch.net
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>>93
人気アニメの準主役のモデルにまでなったぞ>テリーマン ファンクスもマスカラスも全盛時代は世間に浸透してただろ。 プロレスファンじゃなくても顔と名前くらいは知ってたよな
ゴールデンの力は今以上に大きかった 最強タッグのファンクスvsキッドスミスが隠れた名勝負だと思います。 ファンクス、マスカラスはシン、ハンセン、ホーガン並みの知名度はあった。
ブッチャーやデストは更に頭一つ抜きん出ていたが。
あとはアンドレ、ブロディ、ウォリアーズあたりか。
確かにテレビの浸透力は凄い。
ゴールデンに放送してれば興味なくても自然と名前と顔がわかってしまう。
俺はAKBは全く興味ない。
でも数年前は前田、大島、板野、小嶋、篠田、高橋
こいつらは名前と顔は知ってた。
全く興味ないのに、だ。
他にもそん時の旬な歌手やタレントは自然と視界に入る。 90年頃のテリファはチャップリンに似てた。
ドリファはショートタイツだったが、テリファはこの時期からか、ロングタイツだったな。 ファンクスは近年はTシャツ着て試合してたな。
さすがに見せられない体になって。
あまり話題にならないが、テリーは現役時代はいい体してた。
マスカラスも近年はTシャツ着て試合していたな。 晩年はテリーはハードコア、ドリーはクラシックレスリング。
二人は全く対局なスタイルになった。 >>93-97
ファンクス、マスカラスはS52年から入場テーマに使用されたレコードが売れ始めた。
スカイハイは77年にはロッキーのテーマ等と並んで洋楽売上トップ、スピニングトーホールドも78年にはヒットチャートを上がっていった。
結果、プロレスファン以外も買ってマスカラス、ファンクスの名を浸透させて曲からプロレスに入りファンになった者もいた。 ザファンクス、ドリーファンクジュニア、テリーファンク、ミルマスカラス
彼等も全盛期にゃ世間に存在は浸透していた。
むしろハーリーレイス、ダスティローデス、ボブバックランドあたりは浸透してなかったな。
彼等こそプロレスリング内でのみ浸透して。
ディックマードックやアドリアンアドニスなんかも同じく。 ザファンクスはドリーファンクジュニアとテリーファンクのスタンスのバランスが取れていた。
実力のドリーファンクジュニア、人気のテリーファンクと。
二人とも人気、実力が備わった上で。
世界最強タッグ決定リーグ戦はザファンクスが主役のシリーズだったし。
全日本プロレスリングもザファンクス、主にテリーファンクで客を読んでいた。
あとはアブドーラザブッチャーとミルマスカラス。
ジャイアント馬場は外国人達に主役の座を譲っていた。
ジャンボ鶴田は論外圏外問題外。 111だが、ちみ達も>>110の意見には(チンポがホ)ォーケェー?バッチシ?完璧? ダイナミックなテリーと、どっしり構えたドリー。
この対比が良かった。 >>106
スピニングトーホールドは今でも最先端の名曲 今だと笑っちゃうんだけど、ファンクスが好きな小学校低学年のオイラは本当に超獣コンビが
嫌いだったなぁ だけどハンセンの引退セレモニーは東京ドーム見に行ったねぇ〜
天龍の引退セレモニーに2人で現れた時は現地で何かいい歳こいたオヤジがワクワクしたよ
皆長生きしてくれよ! >>95
番組で本物のビル・ロビンソンと対決させられたときに
ホリケン扮するテリーがテキサスジャブやってたのに吹いた 義理とか設定とかでなく本物の血縁関係としての兄弟で
世界最高峰のNWA世界ヘビー級チャンピオン王座につけたのは
ザ・ファンクスだけ!この記録は永遠に破られる事はない >>123
確かに。実は超獣コンビにやられてた総時間数で言えば、ドリーの方がずっと長い筈なんだよね。
テリーは試合始まってすぐやられて場外でダウンしてる事が多かったから。 髪の話。
ドリーはそのうちにバーンガニアみたいになるんだと思ってたが
今に至るもツルッパケになっていないのは脅威。
テリーは日プロの時の金髪と黒タイツがとてもカッコイイ。
オープンタッグの時の短髪もいいけどね。 ヨロヨロしながらムチで相手を叩くドリーは見たくなかった 兄弟対決の編集でドリーの方が扱いが良過ぎるとテリーが文句 >>110
鶴田はデビュー初期は人気があったがテリーや藤波の人気が出ると一気に後退
これはクツワダ事件の影響も大きかったはず 蔵前国技館でテリーの引退試合を観たが
あの「フォーエバー」連呼には騙されたなw >>131
それは90年代に入ってからの話じゃなかったかな?
関係が悪くなったのはテリーがシニアから相続した牧場(フライングメイヤー・ランチ)をドリーの相談無しに売却した事が原因らしいけど >>133
クツワダクーデターの件は当時知る人も少なかったしあまり関係無いんじゃないのかな
鶴田の場合はむしろ顔のほうれい線が目立ち始めて雰囲気がオッサン臭くなりだしたのに加えて
戸口が日本陣営入りして同世代の抗争相手が不在になったのが大きいんじゃないのかと クツワダクーデターの最大の後遺症は馬場と鶴田の関係を微妙な物にしてしまった事
馬場に遠慮の鶴田のファイトは精彩を欠くようになり馬場も腫物を扱うみたいになってしまい本当の意味での思い切った使い方が出来なくなってしまう というか松根さんが鶴田路線敷きかけた時期が決定打になった気がするよ あの年齢でプロレスの仕組みを理解した鶴田は頭いいよね
新団体が成功してたら海外でいい仕事できたと思う
アメリカ在住で大学に通いながら気楽にプロレスやってただろうね 勝つ時は丸め込みが多すぎ
ドリの空中胴締め落としはよかった ドリーってほんと救いようのない老人ポンコツレスラーになってから長いよなぁ
早く死ねばいいのにってレベル
ハンセンのことを「若くして引退した」とか言っていたけど、ただリングに上がって老醜晒してるだけの自分みたいな生き方が理想とでも思ってるのかね
テリーみたいに体を張るわけでもないし、マジ糞レスラーだと思う スタンハンセンが引退した時にゃドリーファンクジュニアはそう言うてたな。
『体を省みない全力ファイトの代償で彼の選手寿命を削った』
でも仰る通りでドリーファンクジュニアのファイトなら選手寿命には影響はないわな。
それでドリーファンクジュニアを否定はできないが。
テリーファンクはスタンハンセンとは別のスタイルながら確かに体を張った全力ファイト。
特に晩年のハードコアのデスマッチスタイルでは。
テリーファンクこそ体はボロボロだろ。
天龍源一郎の引退試合で終了後にはスタンハンセンと共にリングに上がった。
やはり膝や腰が悪いのか、スタンハンセンよりかなり小さく見えた。
スタンハンセンも膝が悪くて昔よりかなり小さくなったのだが。
まあテリーファンクもドリーファンクジュニアも70すぎ。
天龍源一郎ですら66の六度目のゾロ目年。
スタンハンセンも含めてみんながジャイアント馬場の享年を越えてしもうた。
ブルーザーブロディやアンドレザジャイアントは40代で亡くなっとる。
ちなみに共に公式年齢が誤表記だったアブドラーザブッチャーとドリーファンクジュニアは同じ年なんだよな。 てめえにゃ聞いてねえよ句読点無し野郎
絡んでくるんじゃねえよ知障の分際で ドリーファンクジュニアはある程度の年齢になればプロレスリングは体を動かす手段だと。
特にアメリカのプロレスラーは引退して体を動かさなくなると心臓発作で亡くなりやすい。
だからそれを回避する手段の一つとしてドリーファンクジュニアはリングに上がり続けていた。
スタンハンセンとは異なるし、テリーファンクとも異なる。
あとドリーファンクジュニアは人格者という話があちらこちらであった。
それは実際にゃわからぬが。
でもベビーフェイスはリングを降りたら評判が悪いのが多い。
ミルマスカラス ビルロビンソン。
ボブバックランドもルーズな人間だとか。
ビッグになったあとのハルクホーガンなんかも天狗になった。
大ヒールのタイガージェットシン アブドラーザブッチャー ザシーク 上田馬之助 フレッドブラッシー。
このあたりは常識人と言われてる。
でも>>152この生きる価値がないクズこそこの世に“排出”されたのが最大の間違い。
こんなクズは害虫で良かったのに。 お〜い、みんな〜、この>>152が一秒でも早くこの世から跡形もなく消滅する事を祈ってくれ〜。
ヤバイ、身元を調べられて火を付けられちゃうかな?
(笑) ドリーファンクジュニアはテリーファンクに比べたら体は痛んでなさそう。
テリーファンクは全日本プロレスリング時代から体を張ったファイト。
体を張ったっちゅうか相手からの攻撃を受けまくりボロボロのスタイル。
アブドラーザブッチャー 、ザシーク、タイガージェットシン、ブルーザーブロディ、スタンハンセン
特にスタンハンセンにはボロボロにされていたイメージが。
むしろジャイアント馬場の方が体自体は全然痛んでなかっただろう。
ジャイアント馬場は体の痛みとは全く別の部分で亡くなってもうたわけだが。
でもジャイアント馬場引退記念興行でザファンクスが来なかったのは残念だった。
かつてはあれだけ親密な関係だったのに。
ドリーファンクジュニアはギャラの問題で全日本プロレスリングと決別したらしい。
ギャラの問題から全日本プロレスリングに来日しなくなった。
テリーファンクは違うみたいだが。
でもドリーファンクジュニアもそれなりのプライドはあったろう。
もうすぐこの世から跡形もなく消滅する>>152にはプライドも必要ないが。
あとは全日本プロレスリングに長年に渡って大貢献してきたとの自負。 馴れ馴れしく泣き喚きながら絡んでくるんじゃねえよ
悔しかったか、ゴミ
ありとあらゆるスレでてめえが絡んできたら俺は同じ行動を取る
その度に顔真っ赤にして発狂してろクズ そういえば、ドリーの優しいバックドロップを引継ぐレスラーは誰だろ。 もう別にドリー見られればそれでいいけどね。
爺さんが好きなプロレス楽しんでるだけていいじゃん。
動きはスローモーだけど、動きそのものは現役そのままなんだよな。 テリーマンのモデル
テリーファンク(スピニングトーホールド、テキサスクローバーホールド)
ディックマードック(カーフブランディング、ナックルパート、ブレンバスター)
ケリーフォンエリック(義足) >>160
ケリーの事故はテリーマンの義足よりずっと後だろw フルネーム馬鹿の知識は所詮こんなもん、薄っぺらい妄想。 ――ドリーは28歳の若さでNWA世界ヘビー級王者になりますが、これって相当凄いことですよね?
小佐野 いやあ、大変なことですよ。以前も話したように
NWA世界ヘビー級王者は各地区を回ってその土地のチャンピオンの挑戦を受けて、
興行を潤わさなきゃいけない。
あのときのNWAってほぼ全米を網羅した大組織でしたしね。
――超激務ですよね。腕は一流であることは当然にして、ルーズなレスラーには任せられない大役。
小佐野 なぜ若いドリーがチャンピオンになれたのか。こればっかりはホントに謎。
ドリーはそれまでアマリロでのベルトしか獲ってなくて大したタイトル歴がないわけですよ。
それが28歳で世界チャンピオンになった。キャリアわずか5〜6年ですよ。 ドリーファンクジュニアは若くして認められたんだな。
若ハゲが貫禄と風格を感じさせた。
リアルでアントニオ猪木VSドリーファンクジュニアを見たかった。
ドリーファンクジュニアは細くてもエルボースマッシュは凄かったみたいだな。
まあテリーファンクとはタイプが異なる。
アントニオ猪木もテリーファンクはあまり認めてなかったみたいだし。
ドリーファンクジュニアのことは認めていた。
かなり前に一般雑誌にザファンクスの記事が掲載された。
そこには 右テリーファンクジュニア 左ドリーファンクとあった。
一般雑誌だからかと思うたが、テリーファンクジュニアって何だ?と。
間違えも程がある。 読みにくい上に下らない感想文か
馬鹿じゃねえの
間違えたから何だ?
「それはそれは大変な間違いですね」とでも言って欲しいのか?
お前が人様に同意を求めてもらえる身分の人間かよ
鏡見てからものを言え
滑稽な奴
npcのアニメ絵女相手に脱衣麻雀でもやってろ、お前にはそれがお似合いだ、ぼっち野郎 >>166お前は早く逝け
ドリーファンクジュニアとテリーファンクのシングルマッチもあったなあ。
二人とも二度とやりたくないっちゅうに言うちょったが。
ブルーザーブロディが怪我で欠場の穴埋めだったな。
まああの試合は60分フルタイム時間切れ引き分けかと思うたらドリーファンクジュニアの勝ち。
50分すぎだったな。
でもテリーファンクが復帰してからのザファンクスは落ちた。
ドリーファンクジュニアはとばっちり。
テリーファンク復帰に批判的なファンも多かったのはわかる。
しかしドリーファンクジュニアは悪くない。
言わば無関係。
ザファンクスの価値が落ちたのと同時にドリーファンクジュニアの価値まで落ちて。
ジャイアント馬場もそこは計算外だったろう。
あとせっかくテリーファンクが復帰しても直後にジャパンプロレスリング面々が登場。
全日本プロレスリングは長州力一色に。
テリーファンクの存在などはどうでもいい状況に。
そのテリーファンクと長州力のシングルマッチも1986年10月の両国国技館で実現。
テリーファンクが長州力にボロボロにされて最後はスコーピオンデスロックでギブアップ負け。
あの時のテリーファンクは虚しかった。
>>166お前はくたばれ >>166本当にこのバカはムキになって返してくるから笑える >>166テリーファンクジュニア ドリーファンクって書いたのはコイツと同類のクズ >>167
荒らすような書き方するから嫌われる、レスもまともに貰えない。
せめて普通に書け、そうすれば薄っぺらい内容でも多少はレスもらえるだろ。
今のお前なやってることはだだの荒らし、いい加減気づけ。 最初にこの糞詰まんねえキチガイぼっち野郎は俺のレスに喜んで返事してきたんだろうなぁ
自分がまともに返答して貰える人間だと思ってね
死ねばいいレベルの他人との会話も出来ないゴミ中年に居場所があるとでも思ったのかね
罵られて、頭たたき割られたぐらいの衝撃を受けたんだろうな、馬鹿の分際で 何の雑誌か忘れたが、テリーファンクジュニア ドリーファンクってのは驚いたわ。
でもザファンクスが世界最強タッグ決定リーグ戦で主役だったのは1982年大会までだな。
1983年にはテリーファンクが引退。
1983年大会は当然ザファンクスでは出場せず。
1984年にテリーファンクが復帰して世界最強タッグ決定リーグ戦にもザファンクスで再び参加。
でもかつての人気は取り戻せず。
優勝決定戦もジャンボ鶴田 天龍源一郎VSスタンハンセン ブルーザーブロディ。
もはや時代はザファンクスを求めとらんかったんよ。
1985年からはジャパンプロレスリングが全日本プロレスリングに登場。
ザファンクス 特にテリーファンクの居場所はなくなっていったのだ。
かつてのザファンクス人気 テリーファンク人気も長州力人気に完全に食われてもうた。
結果的にテリーファンクはその後はデスマッチ系のハードコア路線に。
そのテリーファンクと長州力が何とタッグチームを組んだ。
2010年1月4日 新日本プロレスリングの東京ドーム大会。
しかも相手はあのアブドラーザブッチャー。
新日本プロレスリングでテリーファンクとアブドラーザブッチャーの対決が組まれるとは。
しかもテリーファンクは長州力と組んで。
更にはその時は蝶野正洋も。
その前にザファンクスとしても新日本プロレスリングの東京ドーム大会に出場してるかんな。
相手は藤波辰爾 ボブバックランドとこれまた凄いカードでな。 >>176
両国での長州戦はテリーへの完全な引導でしたよね
私服で乱入したドリーも含めて
まさに蔵前に上った太陽が両国に沈んだ瞬間と >>5
テリーマンのカーフブランディングは、ブルドッキングヘッドロックの事だからな。 ザファンクスは蔵前国技館では眩しい程に輝いて両国国技館では見事に沈んで。
確かに私服で乱入したドリーファンクジュニアを谷津嘉章がリング下に落とす光景も虚しかった。
この時期にタイガージェットシンは飽きられながらもヒールとして強引に輝いていた。
特に長州力との試合はタイガージェットシンらしさを発揮できてもいた。
しかしこの日のザファンクスは惨めだったな。
テリーファンクも場外でパフォーマンス中にリング上の長州力から頭に蹴りを受けた場面も最悪だった。
更にはストンピング ナックル 張り手とテリーファンクを踏みにじる攻撃。
テリーファンクの良さは全く出せずに長州力のペース。
最後はスコーピオンデスロックでギブアップ。
少し前の宝島本にこの試合の記事があった。
テリーファンクは、ドリーファンクジュニアが乱入して反則負けになる前にギブアップ負けを選択した。
反則負けより潔いギブアップ。
こちらを選択したのはかつては全日本プロレスリングのスーパースターだったテリーファンクのプライド。
あの試合の最後にはそれを垣間見た。
こんな記事が書かれていた。
長州力やスタンハンセンとテリーファンクは大して年齢差はない。
しかしこの時代には世代が違う扱いに。 テリーファンク
1944年6月30日
スタンハンセン
1949年8月29日
長州力
1951年12月3日
当時は30代の長州力やスタンハンセンと当時40代のテリーファンク。
確かに世代が違う扱いでも仕方ない。
しかし全日本プロレスリングで一時代を築いたテリーファンク(やドリーファンクジュニア)のあの扱いはなあ…
でもテリーファンク復帰後はスタンハンセンとの試合はあまり組まれなかった感じがする。
組まれてもそれが中心ではなく。
ジャイアント馬場も昔のカードでまた盛り上げようとは思わなかったのかも。
またテリーファンクの人気低下もあり。
前に竹内宏介氏が言うちょった。
復帰したテリーファンクがまさか短期間であれだけ人気低下するとは予想外だった、って。
惜しまれて引退した分、復帰したらその反発の反動が大きかった。
しかも1年で復帰。
その間もマネージャーやレフェリーとしてリングには上がって。
『それなら引退するな』となり、それがテリーファンク人気低下に拍車を掛けた。
竹内宏介氏はこの様に語っていた。
だからテリーファンク復帰後にはザファンクスが全日本プロレスリングの中心に据える事はなかった。
1987年世界最強タッグ決定リーグ戦でのアブドラーザブッチャーとの公式戦すら放送されず。
それが当時のザファンクスの置かれた立場でもあった。 「テキサスの化石め!」と全日初登場のハンセンが場外でテリーをぶっ飛ばしたのが象徴的だったね。
その後ファミリーをリングに上げての涙の引退式…
確かアクション俳優に転身を目論んで引退を決意したと聞いた。実際題名は忘れたが当時の映画で用心棒のチョイ役(セリフ無し)で出演してるのを観て驚いた。
結局俳優への転身は失敗し、プロレス復帰。
このへんのセンスも悲しいものがあるな…。仮にも一時代を創ったレスラーだけに。 >>181
その後の最強タッグの武道館大会でファンクスとして長州・谷津の足を引っ張ったのが最後の一矢か その後の87最強タッグだと最終戦武道館ファンクスの公式戦すら無かったな。 開幕戦でハンセン・スパイビーにあっさりやられた時点で終わった 1990年世界最強タッグ決定リーグ戦でのザファンクスはもはや過去のザファンクスではなかった。
でも考えてみるとこの10年以上前から出場しとる。
10年以上も主役を張れるわけがない。
世界最強タッグ決定リーグ戦は1977年から1990年で13年の14回。
その中でザファンクスとしての出場回数は凄い。
1984年 1988年 1989年以外は1990年まで全て参加。
1985年は参加しなかったっけ?
でもジャイアント馬場だって参加回数は多いが、優勝は二回のみ。
スタンハンセンも1982年からは10年以上参加しとるが、1990年以降は優勝なし。
世代交代しとる。
しかしかつての世界最強タッグ決定リーグ戦の主役のザファンクスは後々は本当に落ちた。
扱いも何もかもが。
1988年に参加してアブドラーザブッチャー タイガージェットシンとの試合は見たかった。
この試合なら四人が四人の持ち味を発揮できただろう。
ただこの1988年は昭和天皇陛下が入院中。
それでプロレスリングも流血試合を極力避けていた、という記事を読んだ。
その為にアブドラーザブッチャーも殆ど流血なし。
テレビマッチでは。
地方はわからんが、雑誌等で見た限りではアブドラーザブッチャーは流血してなかった。
だからザファンクスとアブドラーザブッチャー タイガージェットシンでも流血なしだったかも?
しかしこの対決が流血なしだと物足りないな。
少なくともテリーファンクとアブドラーザブッチャーは。 ロングタイツを履き始めたテリー以降は、
ファミ悪の馬場さんみたいな扱い テリーがFMWに移籍した時は寂しかったなぁ。
やはり全日本に参加して欲しかったねぇ。
だから馬場死後に全日本に参加した時は嬉しかったよ。
数年前ドリーと全日本に参加した時に1986年位の全日本のユニホーム
持参していて凄く感動したよ。
ブッチャー復帰後に一度だけでもいいからもう一度テリー対ブッチャーを
全日本でみたかったなぁ。
1987最強タッグの時はテリーもコンディションかなりよかったし
ブッチャーも動けていたから。
残念でならないねぇ。 オープンタッグから数年間のファンクスは輝いてたね。
ブッチャー、シークも各々の役割を心得てあの頃の全日は面白かった。
テキサスブロンコ実の兄弟と黒い呪術師、シークは何だっけw
あのキャラ立ちと盛り上がりは今に至るまで最高峰だと思うな。 フルネームに「・」を打たないの読みづらいからやめろ。 >>186
最後にドリーに決めたハンセンのラリアットが90年代にラッシャー・木村やブッチャーなんかにも見せたスローモーションのような、超ソフト“温情ラリアット”だった。
同年6月に千葉でウィリアムスに決めた“超居合抜きラリアット”の1/50くらいの威力だった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています