ザ・ファンクスを語ろう [無断転載禁止]©2ch.net
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>>2
キン肉マン「大和魂が守ってくれるさ」
テリーマン「大和魂か・・・」
って奴か
でもテリーマンのモデルってマードックも入ってる気がする。
カーフブランディングが得意技だし。 長州にサソリを極められたテリーをドリーが場外から引っ張る
倉持「美しき兄弟愛」
ただの反則だろw ハンセンのインタビューを読むとテリーは地元の憧れだったんだな テリーとブッチャーは“あの試合”で双方が同時に大ブレイク。
それ以来は全日の看板カードに。
馬場の存在やマスカラス人気をも食って。 テリーファンの友人が
猪木ドリー戦で
テリーが姑息に猪木の足を引っ張って邪魔してる場面を見て
大ショックを受けてた Gスピリッツのテリーとハンセンの対談はイマイチだったな。
最強タッグにハンセンが乱入した時前後の話が知りたかった。 >>14
同意。終始当たり障りの無いトーク。
まあ仕方無いけど。 Gスピでこんな対談見たいな
猪木vsテリーorドリー〜団体を超えたライバル
ブッチャーvsシン〜俺がNO.1ヒールだ
井上vsストロング小林〜俺はオマエを許さない、俺の後のエースをしっかり務めろ
前田vsジョージ高野〜俺はオマエに敵わなかった・・・ >>13
そんなシーンあったの?
あの試合はベビー同士の名勝負で、そんな演出は無いと思っていた。
当時の外人は必ず悪いことをしなければいけなかったんだろうか。 >>16
猪木vsファンクス
テリーとハンセン同様、当たり障りのない昔話になりそう。
ブッチャーvsシン
気に入らない発言が原因で乱闘になり、通訳のウォーリー山口氏が乱闘に巻き込まれて流血する。
井上vs小林
終始シラケっ放し
前田vsジョージ
屁理屈vs天然ボケで会話が成り立たない
みたいな内容になりそう。 日プロ時代はドリーはともかくテリーはヒールだった。
ヒールっつってもヤンチャなドリーの弟って感じの。
確かドリーと猪木の試合で、猪木がドリーをコーナーに振った時。
シニアが素早くリングに上がってコーナーにベタリ。
そしてドリーはシニアに激突。
っちゅうてもコーナーに激突すんのを防ぐ為にシニアが自らドリーの防波堤に。
ドリーのダメージを和らげる為に。
確かこんなシーンを動画で見た記憶が。
あと日プロ時代はドリーとブッチャーは普通に組んでいたと聞いた。
たまたまシリーズが重なって、それでファンクスとブッチャーも組むカードがあったって。
この時代は日本人VS外人が基本、っちゅうか当たり前だったから。
だからファンクスとブッチャーのタッグも全く違和感ない。
意外なコンビでも夢のコンビでもなく。
こんな事を聞いた事ある。 新日は猪木がエースだが全日は外人のテリーがエースで年間通していないからダメだった。 日プロ崩壊以降、ファンクスとタイガーマスクはプロレス界に貢献しましたね
彼らに並ぶ存在は居ないんじゃないかな 新日は猪木一本だった。
81年から佐山タイガーが登場して二枚看板にもなったが。
逆に全日では馬場がエースの役割をテリーに任せていた。
でもテリーは一年中日本にいるわけではない。
トップは馬場。
全日の場合は複数エース制度だったな。
しかも本当のエースはテリーでも馬場でもなくブッチャーとまで言われてる。
しかし時が経って平成に入ると新日は複数エース制度。
逆に全日は三沢が絶対エースという立場に。
時が経って新日と全日の制度が逆になったのも面白い。
特に90年以降の新日は三銃士中心でも長州や藤波もいた。
更には猪木もスポット。
全日は鶴田がセミリした以降は完全に三沢の時代。
川田、小橋がどう頑張っても三沢がトップ。
馬場は既に象徴的立場に。
新日も三沢みたいに絶対エースを作れば良かったが。 テリー人気絶頂の頃の映像見ると、まるでアイドルを応援してるかのような女性が目立つな。
それまで若い女性ファンがあんなに、プロレス会場に来るってことはあったのだろうか。
クラッシュギャルズ全盛の頃のファンとノリが似てるようにも感じた。 でもテリーはブッチャーほど世間に知名度は浸透しなかったな。
マスカラスも同様。
テリーやマスカラスはシンやハンセンより知名度の浸透度合いは劣るだろう。
ブッチャー>>シン=ハンセン>テリー>マスカラス
こんな感じかな?
80年代初頭で。
まあキン肉マンのキャラにテリーマンとか、それなりに浸透はしていただろうが。
『テリー』という響きもよくて言い易いし。 >>22
新日の方が単独エースの全日より興行的に上だったんだから
ほかの選手の活躍の場を奪ってまで誰かを絶対エースにする必要はないよ
むしろ、なんで馬場は川田をもっと盛り立ててやらないのかなと不思議だった 90年代の新日は『何でも揃ったデパート』が売り言葉だった。
誰かが倒れても代わりは幾らでもいる。
永島が言ってたな。
で、70年代から80年代前半の全日もそんな感じ。
中心者ブッチャーとテリーの抗争、夏はマスカラス。
最強タッグはファンクス。
新日では外人が本当の意味での主役は有り得なかった。
でも全日は外人主体。
そして馬場もここぞという時には主役張って。
80年代前半の全日も『何でも揃ったデパート』だね。 >>19
テリーのド派手で不格好なアクションってシニアから継いだんだw
漫画タイガーマスクでもファンンクス親子はダーティな防衛しているし
日プロ時代は絶対ベビーではなかったと想像
逆に全日本では最初からベビー前提だろうね
鶴田を預けた先がヒールだとまずいだろうし 日プロ時代は外人=ヒールだったから。
反則しなくてもヒール扱いに。
だからファンクスも必然的にヒールと。
全日に移籍してからは確かにヒールではなくなったかも。
そしてテリーもNWA王者になった。
ファンクスとして日本でもある程度のステータスができた。
でも転換期はブッチャーとのタッグ戦だな。
これでテリーとブッチャー双方が大ブレイクした。
一つの試合で双方が大ブレイクって前代未聞だと前に記事で書いてあった。
どちらかが大ブレイクならあるけど。
或いは既に大ブレイクした者同士の凄い試合とかも。
やはりブッチャーもテリーもお互いが必要不可欠だったんだな。 >>19
日プロでも、ドリーとブッチャーのコンビは無いよ。
海外でドリーとシークはあるけど。 テリーが2回目の来日で
ドリーを差し置いて
馬場のインターに挑戦してるのは意外だな
この時点でシングルでそれほど大物だったっけ? テリーはブッチャーのフォークでブレイクした以降、全日でタイトル獲得してないよな。
NWA、PWF、インターヘビー、インタータッグ、UN、アジアタッグ・・・ タイトル路線よりアイドル路線になったんだな。
ブッチャーはタイトル幾つも獲得しとるが。
更にブッチャーはCカーニバル優勝もあったし。
でもブッチャーは最強タッグ優勝はなかった。 テリー、ブッチャー破り涙のチャンピオンカーニバル初優勝!!
テリー、ブロディ破り、兄ドリーが奪われたインターヘビー奪還!!
テリー、馬場の32文キャッチして伝家の宝刀でPWF奪取!!
外人にしては感動できるアングルができると思うが・・・ 秋山がデビューした直後に先輩レスラーからアドバイスを
求めていて、ドリーからは「いつまでもあると思うな親と髪」って
言われたとか。秋山にとって一番身にしみた言葉だとか。 ドリーって若貴の若みたいだね。
ルックスはお世辞にもカッコいいとはいえない(NWA王者だった頃はともかく)のに
テリーのアイドル人気のお蔭でドリーまで「世界のアイドル」とか呼ばれてた テリーはリングアウト負けや反則負けはあっても基本ピンフォール負けはNGとしてたらしい。 テリーがインタビューで
「俺は猪木は今でも大嫌いだが、素晴らしい選手であることは認めている」
って言ってて ちょっとじ〜んと来た パクった猪木からテリーへ感謝の言葉はあったのかな? 81年の引き抜き時には馬場よりテリーが怒っていた。
猪木は許さないとか新日を潰すとか。
最初にブッチャーを引き抜かれた時には。
だから猪木とテリーがあの頃に試合やればガチ不穏試合になったはず。
もしもシングル組まれたら。
テリーVSブッチャーは作られた遺恨試合。
むしろ両者に信用信頼があったから名勝負にもなった。
でも猪木とテリーなら信用信頼は全くない。
特にテリーには。
いくらスーパーベビー同士でも試合になればギクシャクしたはず。
名勝負にはならなかっただろう。
不穏な中から危険な試合展開で逆に面白い試合になったかも。 大仁田のファイトスタイルってテリーのパクりなんだよな >>35
それ、故・あおやま英雄がゴングの『ジャングルリング』で描いてたネタだぞw
>>42
メンタル的なところもよく似ている。感情を強く出してすぐ泣くところとか。
大仁田はテリーのことを「ずっと兄貴のような存在」と言ってる。
そう言えば“右利きテリー”ディック・スレーターは「アメリカでは『テリーが俺のスタイルを真似ている』と言われてるんだぜ」
と言っていたな。80年代前半だと実際そんな感じかもしれないな。 ファンクス×ウォリアーズほどマッチしなかった試合もないな。
双方ワーストバウトだな。 >>81
1981年なら不穏試合になればテリーに分があるだろう
テリーはぎりぎり全盛時の体格を維持してたし
猪木は糖尿病発症前後の最悪のコンディションだし
70年代ならともかく80年代はテリーの方が強いだろう
共に30代後半なら、日本人では外人の体躯には生まれついてのものだし敵わないだろうし >>48
スタンドの殴り合いならテリーだが
スタンドで組みつく、グランドになったら猪木の方が強いな。 アメリカではスピニングトーホールドって使用されてなかったのかな? >>50
確かドリーがキニスキーからNWA取った時のフィニッシュがスピニングトウホールド。
89年のテリーvsフレアーの時も使ってたが、スピニングトウホールドって痛みが伝わらない。
テリーのは足首グイグイやるがドリーのは回ってるだけで足のどこが痛いのか不明。 日プロ時代に猪木VSテリーはやってる3本勝負で2対1で猪木勝ち越し >>51
ドリーが馬場との初シングルでこの技で1本取ったときは
客がポカーンだったらしいね スピニングトーホールドって、相手の膝の裏側を攻める技かとずっと思ってたが
実は足首を固定させつつ、ひねり上げる技なんでしょ?
ずっと知らなかった、それまではギブアップするのは確かに疑問だった すぐ片足で蹴られて跳ね返されそうだが取り合えず食らいますw ステップオーバートーホールドを見栄え良くしてフィニッシュにしたモノ
って俺のプロレスごっこ経験から言ってみる >>57
昔はディーン・マレンコがWCWやWWEでのフィニッシャーに使っていたな>テキサスクローバー テキサスクローバーホールドでサンシャインからギブアップを奪いかけたんだぞ >>59
あれは効くよな・・・膝が抜けちゃうよ。
6,7年前の真樹日佐男の格闘技イベントでの5代目タイガー(美濃輪)のデビュー戦で
クルンやったら後楽園が大爆笑になった。
キックの興行でバチバチやってるのにドラえもんみたいなタイガーマスクがクルンと回ったから・・・w 佐山がダイビングヘッドバッドやるが相手まで届かずに自爆することがある。
当たらなくてもリングの振動で相手が跳ねるんだよ。
あれは効くぜ つべでプエルトリコでのファンクス、ロンスター✖マスカラス、インベーダーズっての見つけて軽くショック受けた
世界のアイドルがSMスナイパーなんだもん >>54
スピニングトウホールドって本当に効くのか?
余った足で蹴り倒されるのがお約束の展開じゃね? 中学生の頃にプロレスごっこで友達にかけられた時、脹ら脛が
こむら返りした様な感じになって本気で悲鳴上げたよ 紙テープでゴロゴロとかリアクションのが印象強いな。 >>68
スピニングトーホールド、テキサスクローバーホールド、回転揺り椅子固め >>71
ハンセンと抗争繰り広げてた時、テリーを応援してたがこの技で勝つイメージが湧かなかった。
いつかのハンセン戦で、ハンセンがブルロープでテリーを引きずりまわしたんだが、テレビ中継でその一部をカットして放送してた。急に場面が飛んでご丁寧に「30秒経過」のテロップが出てた。
後でプロレス雑誌で見たら首吊りシーンがカットされてた。 最強タッグでドリーのスピニングトウホールドで
ドリーが回転するときにタイミング合わせてクルッと抜け出したビル・ロビンソンを見て
「上手い!」と叫んだ実況席
上手いというか「それやっちゃ駄目だろw」と思った俺 89年ごろテリーがWCWでフレアーに挑戦した時スピニングトーホールドが
使用されてなかったけど権利上の問題でかな? 回ると派手だから回ってるだけだからな
回らず普通にかけると強力。ブラジリアン柔術でも反則になってるくらいに >>76
フレアーにスピニングトーホールドかけてたよ。
アナウンサーのジム・ロスもスピニングトーホールドと言ってた スピニング〜はハンセンとブロディ以外はもう片足で蹴り上げるやり方しなかった。
これはハンセンとブロディのみ許された特権だったのか?
シンですら蹴り上げて脱出はしなかった。
でも空いてる片足で蹴り上げて脱出ってのもネタになってた。
あれなら誰でも脱出しちゃう、できちゃうって。 ああいう相手の得意技を切り抜ける方法って、どういう線引きがあるんだろね。
前田が長州のサソリを自ら回転して崩すのは、プロレス雑誌にある意味掟破りと書いてあったが。 ジェリーローラーとのノーピープルマッチを前に
放送禁止用語連発のヒールテリー
ttps://www.youtube.com/watch?v=2peOLg5gqKY >>81
1度2度は逃げても3度目にはかからないとダメ。
前田がマシンと5年ぶりに闘った時もマシンのサソリを反転して足首取って膠着。
藤原、木戸は関節技の緩急つけた使い方がうまいが、前田関節技で流れを止めてしまう。 あの橋本が初ドームで長州との初シングルではサソリ返しで丸め込んでフォール。
当時の橋本からしたら長州にはあの勝ち方しか認められなかったのはわかる。
橋本も藤波のクイックを散々批判していたが、自身もかつては丸め込んでのクイックを使った事実。
まあブック前提のコメントだから橋本を責められないが。
でも橋本の藤波のクイック批判は半ガチにも聞こえたが。 時代の違いもあるんじゃないの。
三銃士や四天王の時代のプロレスに比べたら、昭和のプロレスは格とかしきたりとかがより強く存在してたと思うし。 >>86
テーズが出る興行でバックドロップを出してはダメ。
高杉「ギロチンドロップやったら井上から浜口の技だからやめろと言われた」
アニマルウォリアー「デビュー時に4の字やったらレフェリーにメインに出るフレアーの技だからやめろ。
何を使えばいいんだと聞いたら、自分の技を使え」
レイス「俺がNWA戦やる前にブレーンバスターが4,5発出た。これではメインで使っても沸かない」
鈴木「星野から俺と同じ水色タイツはやめろ。変えろと言われた」
こういうしきたりがあったからレスラーに個性が出て、メインも光った。
今や技のテレビゲームで全日四天王あたりが悪い。 【捕まえ方】万引き犯を追い詰めたら痔殺しちゃった東京電機大学中学校そばの店。
有名な万引き少年S君ことザキシマ?
あわててアトラス調布に行ってBエントランスから420をインターホンした。
部屋に入ると桐光学園中学校のザキシマ結子ちゃんも隣室で慎太郎さんに子宮の奥をつつかれていました。
体の反応を意地悪に楽しむ父=嶋崎慎太○の大声が聞こえていました。チビ亮介は勃キしてました。 ファンクスもハンセンの登場で世代交代だった。
年齢差はあまりなく今から思えばほぼ同世代なんだけどね。
むしろ後々のハンセンとゴディの方が世代の違いが。 兄貴はハゲだし、弟はあれだけ肉体的限界を訴え続けてりゃどうしても古く見えるよね テリーは大貢献したね。
でもファンクスは意外にも思ったほどは世間に浸透してなかった。
マスカラスも同じく。
日本のプロレス枠の中でしか存在感がなくて。
ブッチャーはもちろん、シンやハンセンの方が浸透していたみたい。 >>93
人気アニメの準主役のモデルにまでなったぞ>テリーマン ファンクスもマスカラスも全盛時代は世間に浸透してただろ。 プロレスファンじゃなくても顔と名前くらいは知ってたよな
ゴールデンの力は今以上に大きかった 最強タッグのファンクスvsキッドスミスが隠れた名勝負だと思います。 ファンクス、マスカラスはシン、ハンセン、ホーガン並みの知名度はあった。
ブッチャーやデストは更に頭一つ抜きん出ていたが。
あとはアンドレ、ブロディ、ウォリアーズあたりか。
確かにテレビの浸透力は凄い。
ゴールデンに放送してれば興味なくても自然と名前と顔がわかってしまう。
俺はAKBは全く興味ない。
でも数年前は前田、大島、板野、小嶋、篠田、高橋
こいつらは名前と顔は知ってた。
全く興味ないのに、だ。
他にもそん時の旬な歌手やタレントは自然と視界に入る。 90年頃のテリファはチャップリンに似てた。
ドリファはショートタイツだったが、テリファはこの時期からか、ロングタイツだったな。 ファンクスは近年はTシャツ着て試合してたな。
さすがに見せられない体になって。
あまり話題にならないが、テリーは現役時代はいい体してた。
マスカラスも近年はTシャツ着て試合していたな。 晩年はテリーはハードコア、ドリーはクラシックレスリング。
二人は全く対局なスタイルになった。 >>93-97
ファンクス、マスカラスはS52年から入場テーマに使用されたレコードが売れ始めた。
スカイハイは77年にはロッキーのテーマ等と並んで洋楽売上トップ、スピニングトーホールドも78年にはヒットチャートを上がっていった。
結果、プロレスファン以外も買ってマスカラス、ファンクスの名を浸透させて曲からプロレスに入りファンになった者もいた。 ザファンクス、ドリーファンクジュニア、テリーファンク、ミルマスカラス
彼等も全盛期にゃ世間に存在は浸透していた。
むしろハーリーレイス、ダスティローデス、ボブバックランドあたりは浸透してなかったな。
彼等こそプロレスリング内でのみ浸透して。
ディックマードックやアドリアンアドニスなんかも同じく。 ザファンクスはドリーファンクジュニアとテリーファンクのスタンスのバランスが取れていた。
実力のドリーファンクジュニア、人気のテリーファンクと。
二人とも人気、実力が備わった上で。
世界最強タッグ決定リーグ戦はザファンクスが主役のシリーズだったし。
全日本プロレスリングもザファンクス、主にテリーファンクで客を読んでいた。
あとはアブドーラザブッチャーとミルマスカラス。
ジャイアント馬場は外国人達に主役の座を譲っていた。
ジャンボ鶴田は論外圏外問題外。 111だが、ちみ達も>>110の意見には(チンポがホ)ォーケェー?バッチシ?完璧? ダイナミックなテリーと、どっしり構えたドリー。
この対比が良かった。 >>106
スピニングトーホールドは今でも最先端の名曲 今だと笑っちゃうんだけど、ファンクスが好きな小学校低学年のオイラは本当に超獣コンビが
嫌いだったなぁ だけどハンセンの引退セレモニーは東京ドーム見に行ったねぇ〜
天龍の引退セレモニーに2人で現れた時は現地で何かいい歳こいたオヤジがワクワクしたよ
皆長生きしてくれよ! >>95
番組で本物のビル・ロビンソンと対決させられたときに
ホリケン扮するテリーがテキサスジャブやってたのに吹いた 義理とか設定とかでなく本物の血縁関係としての兄弟で
世界最高峰のNWA世界ヘビー級チャンピオン王座につけたのは
ザ・ファンクスだけ!この記録は永遠に破られる事はない >>123
確かに。実は超獣コンビにやられてた総時間数で言えば、ドリーの方がずっと長い筈なんだよね。
テリーは試合始まってすぐやられて場外でダウンしてる事が多かったから。 髪の話。
ドリーはそのうちにバーンガニアみたいになるんだと思ってたが
今に至るもツルッパケになっていないのは脅威。
テリーは日プロの時の金髪と黒タイツがとてもカッコイイ。
オープンタッグの時の短髪もいいけどね。 ヨロヨロしながらムチで相手を叩くドリーは見たくなかった 兄弟対決の編集でドリーの方が扱いが良過ぎるとテリーが文句 >>110
鶴田はデビュー初期は人気があったがテリーや藤波の人気が出ると一気に後退
これはクツワダ事件の影響も大きかったはず 蔵前国技館でテリーの引退試合を観たが
あの「フォーエバー」連呼には騙されたなw >>131
それは90年代に入ってからの話じゃなかったかな?
関係が悪くなったのはテリーがシニアから相続した牧場(フライングメイヤー・ランチ)をドリーの相談無しに売却した事が原因らしいけど >>133
クツワダクーデターの件は当時知る人も少なかったしあまり関係無いんじゃないのかな
鶴田の場合はむしろ顔のほうれい線が目立ち始めて雰囲気がオッサン臭くなりだしたのに加えて
戸口が日本陣営入りして同世代の抗争相手が不在になったのが大きいんじゃないのかと クツワダクーデターの最大の後遺症は馬場と鶴田の関係を微妙な物にしてしまった事
馬場に遠慮の鶴田のファイトは精彩を欠くようになり馬場も腫物を扱うみたいになってしまい本当の意味での思い切った使い方が出来なくなってしまう というか松根さんが鶴田路線敷きかけた時期が決定打になった気がするよ あの年齢でプロレスの仕組みを理解した鶴田は頭いいよね
新団体が成功してたら海外でいい仕事できたと思う
アメリカ在住で大学に通いながら気楽にプロレスやってただろうね 勝つ時は丸め込みが多すぎ
ドリの空中胴締め落としはよかった ドリーってほんと救いようのない老人ポンコツレスラーになってから長いよなぁ
早く死ねばいいのにってレベル
ハンセンのことを「若くして引退した」とか言っていたけど、ただリングに上がって老醜晒してるだけの自分みたいな生き方が理想とでも思ってるのかね
テリーみたいに体を張るわけでもないし、マジ糞レスラーだと思う スタンハンセンが引退した時にゃドリーファンクジュニアはそう言うてたな。
『体を省みない全力ファイトの代償で彼の選手寿命を削った』
でも仰る通りでドリーファンクジュニアのファイトなら選手寿命には影響はないわな。
それでドリーファンクジュニアを否定はできないが。
テリーファンクはスタンハンセンとは別のスタイルながら確かに体を張った全力ファイト。
特に晩年のハードコアのデスマッチスタイルでは。
テリーファンクこそ体はボロボロだろ。
天龍源一郎の引退試合で終了後にはスタンハンセンと共にリングに上がった。
やはり膝や腰が悪いのか、スタンハンセンよりかなり小さく見えた。
スタンハンセンも膝が悪くて昔よりかなり小さくなったのだが。
まあテリーファンクもドリーファンクジュニアも70すぎ。
天龍源一郎ですら66の六度目のゾロ目年。
スタンハンセンも含めてみんながジャイアント馬場の享年を越えてしもうた。
ブルーザーブロディやアンドレザジャイアントは40代で亡くなっとる。
ちなみに共に公式年齢が誤表記だったアブドラーザブッチャーとドリーファンクジュニアは同じ年なんだよな。 てめえにゃ聞いてねえよ句読点無し野郎
絡んでくるんじゃねえよ知障の分際で ドリーファンクジュニアはある程度の年齢になればプロレスリングは体を動かす手段だと。
特にアメリカのプロレスラーは引退して体を動かさなくなると心臓発作で亡くなりやすい。
だからそれを回避する手段の一つとしてドリーファンクジュニアはリングに上がり続けていた。
スタンハンセンとは異なるし、テリーファンクとも異なる。
あとドリーファンクジュニアは人格者という話があちらこちらであった。
それは実際にゃわからぬが。
でもベビーフェイスはリングを降りたら評判が悪いのが多い。
ミルマスカラス ビルロビンソン。
ボブバックランドもルーズな人間だとか。
ビッグになったあとのハルクホーガンなんかも天狗になった。
大ヒールのタイガージェットシン アブドラーザブッチャー ザシーク 上田馬之助 フレッドブラッシー。
このあたりは常識人と言われてる。
でも>>152この生きる価値がないクズこそこの世に“排出”されたのが最大の間違い。
こんなクズは害虫で良かったのに。 お〜い、みんな〜、この>>152が一秒でも早くこの世から跡形もなく消滅する事を祈ってくれ〜。
ヤバイ、身元を調べられて火を付けられちゃうかな?
(笑) ドリーファンクジュニアはテリーファンクに比べたら体は痛んでなさそう。
テリーファンクは全日本プロレスリング時代から体を張ったファイト。
体を張ったっちゅうか相手からの攻撃を受けまくりボロボロのスタイル。
アブドラーザブッチャー 、ザシーク、タイガージェットシン、ブルーザーブロディ、スタンハンセン
特にスタンハンセンにはボロボロにされていたイメージが。
むしろジャイアント馬場の方が体自体は全然痛んでなかっただろう。
ジャイアント馬場は体の痛みとは全く別の部分で亡くなってもうたわけだが。
でもジャイアント馬場引退記念興行でザファンクスが来なかったのは残念だった。
かつてはあれだけ親密な関係だったのに。
ドリーファンクジュニアはギャラの問題で全日本プロレスリングと決別したらしい。
ギャラの問題から全日本プロレスリングに来日しなくなった。
テリーファンクは違うみたいだが。
でもドリーファンクジュニアもそれなりのプライドはあったろう。
もうすぐこの世から跡形もなく消滅する>>152にはプライドも必要ないが。
あとは全日本プロレスリングに長年に渡って大貢献してきたとの自負。 馴れ馴れしく泣き喚きながら絡んでくるんじゃねえよ
悔しかったか、ゴミ
ありとあらゆるスレでてめえが絡んできたら俺は同じ行動を取る
その度に顔真っ赤にして発狂してろクズ そういえば、ドリーの優しいバックドロップを引継ぐレスラーは誰だろ。 もう別にドリー見られればそれでいいけどね。
爺さんが好きなプロレス楽しんでるだけていいじゃん。
動きはスローモーだけど、動きそのものは現役そのままなんだよな。 テリーマンのモデル
テリーファンク(スピニングトーホールド、テキサスクローバーホールド)
ディックマードック(カーフブランディング、ナックルパート、ブレンバスター)
ケリーフォンエリック(義足) >>160
ケリーの事故はテリーマンの義足よりずっと後だろw フルネーム馬鹿の知識は所詮こんなもん、薄っぺらい妄想。 ――ドリーは28歳の若さでNWA世界ヘビー級王者になりますが、これって相当凄いことですよね?
小佐野 いやあ、大変なことですよ。以前も話したように
NWA世界ヘビー級王者は各地区を回ってその土地のチャンピオンの挑戦を受けて、
興行を潤わさなきゃいけない。
あのときのNWAってほぼ全米を網羅した大組織でしたしね。
――超激務ですよね。腕は一流であることは当然にして、ルーズなレスラーには任せられない大役。
小佐野 なぜ若いドリーがチャンピオンになれたのか。こればっかりはホントに謎。
ドリーはそれまでアマリロでのベルトしか獲ってなくて大したタイトル歴がないわけですよ。
それが28歳で世界チャンピオンになった。キャリアわずか5〜6年ですよ。 ドリーファンクジュニアは若くして認められたんだな。
若ハゲが貫禄と風格を感じさせた。
リアルでアントニオ猪木VSドリーファンクジュニアを見たかった。
ドリーファンクジュニアは細くてもエルボースマッシュは凄かったみたいだな。
まあテリーファンクとはタイプが異なる。
アントニオ猪木もテリーファンクはあまり認めてなかったみたいだし。
ドリーファンクジュニアのことは認めていた。
かなり前に一般雑誌にザファンクスの記事が掲載された。
そこには 右テリーファンクジュニア 左ドリーファンクとあった。
一般雑誌だからかと思うたが、テリーファンクジュニアって何だ?と。
間違えも程がある。 読みにくい上に下らない感想文か
馬鹿じゃねえの
間違えたから何だ?
「それはそれは大変な間違いですね」とでも言って欲しいのか?
お前が人様に同意を求めてもらえる身分の人間かよ
鏡見てからものを言え
滑稽な奴
npcのアニメ絵女相手に脱衣麻雀でもやってろ、お前にはそれがお似合いだ、ぼっち野郎 >>166お前は早く逝け
ドリーファンクジュニアとテリーファンクのシングルマッチもあったなあ。
二人とも二度とやりたくないっちゅうに言うちょったが。
ブルーザーブロディが怪我で欠場の穴埋めだったな。
まああの試合は60分フルタイム時間切れ引き分けかと思うたらドリーファンクジュニアの勝ち。
50分すぎだったな。
でもテリーファンクが復帰してからのザファンクスは落ちた。
ドリーファンクジュニアはとばっちり。
テリーファンク復帰に批判的なファンも多かったのはわかる。
しかしドリーファンクジュニアは悪くない。
言わば無関係。
ザファンクスの価値が落ちたのと同時にドリーファンクジュニアの価値まで落ちて。
ジャイアント馬場もそこは計算外だったろう。
あとせっかくテリーファンクが復帰しても直後にジャパンプロレスリング面々が登場。
全日本プロレスリングは長州力一色に。
テリーファンクの存在などはどうでもいい状況に。
そのテリーファンクと長州力のシングルマッチも1986年10月の両国国技館で実現。
テリーファンクが長州力にボロボロにされて最後はスコーピオンデスロックでギブアップ負け。
あの時のテリーファンクは虚しかった。
>>166お前はくたばれ >>166本当にこのバカはムキになって返してくるから笑える >>166テリーファンクジュニア ドリーファンクって書いたのはコイツと同類のクズ >>167
荒らすような書き方するから嫌われる、レスもまともに貰えない。
せめて普通に書け、そうすれば薄っぺらい内容でも多少はレスもらえるだろ。
今のお前なやってることはだだの荒らし、いい加減気づけ。 最初にこの糞詰まんねえキチガイぼっち野郎は俺のレスに喜んで返事してきたんだろうなぁ
自分がまともに返答して貰える人間だと思ってね
死ねばいいレベルの他人との会話も出来ないゴミ中年に居場所があるとでも思ったのかね
罵られて、頭たたき割られたぐらいの衝撃を受けたんだろうな、馬鹿の分際で 何の雑誌か忘れたが、テリーファンクジュニア ドリーファンクってのは驚いたわ。
でもザファンクスが世界最強タッグ決定リーグ戦で主役だったのは1982年大会までだな。
1983年にはテリーファンクが引退。
1983年大会は当然ザファンクスでは出場せず。
1984年にテリーファンクが復帰して世界最強タッグ決定リーグ戦にもザファンクスで再び参加。
でもかつての人気は取り戻せず。
優勝決定戦もジャンボ鶴田 天龍源一郎VSスタンハンセン ブルーザーブロディ。
もはや時代はザファンクスを求めとらんかったんよ。
1985年からはジャパンプロレスリングが全日本プロレスリングに登場。
ザファンクス 特にテリーファンクの居場所はなくなっていったのだ。
かつてのザファンクス人気 テリーファンク人気も長州力人気に完全に食われてもうた。
結果的にテリーファンクはその後はデスマッチ系のハードコア路線に。
そのテリーファンクと長州力が何とタッグチームを組んだ。
2010年1月4日 新日本プロレスリングの東京ドーム大会。
しかも相手はあのアブドラーザブッチャー。
新日本プロレスリングでテリーファンクとアブドラーザブッチャーの対決が組まれるとは。
しかもテリーファンクは長州力と組んで。
更にはその時は蝶野正洋も。
その前にザファンクスとしても新日本プロレスリングの東京ドーム大会に出場してるかんな。
相手は藤波辰爾 ボブバックランドとこれまた凄いカードでな。 >>176
両国での長州戦はテリーへの完全な引導でしたよね
私服で乱入したドリーも含めて
まさに蔵前に上った太陽が両国に沈んだ瞬間と >>5
テリーマンのカーフブランディングは、ブルドッキングヘッドロックの事だからな。 ザファンクスは蔵前国技館では眩しい程に輝いて両国国技館では見事に沈んで。
確かに私服で乱入したドリーファンクジュニアを谷津嘉章がリング下に落とす光景も虚しかった。
この時期にタイガージェットシンは飽きられながらもヒールとして強引に輝いていた。
特に長州力との試合はタイガージェットシンらしさを発揮できてもいた。
しかしこの日のザファンクスは惨めだったな。
テリーファンクも場外でパフォーマンス中にリング上の長州力から頭に蹴りを受けた場面も最悪だった。
更にはストンピング ナックル 張り手とテリーファンクを踏みにじる攻撃。
テリーファンクの良さは全く出せずに長州力のペース。
最後はスコーピオンデスロックでギブアップ。
少し前の宝島本にこの試合の記事があった。
テリーファンクは、ドリーファンクジュニアが乱入して反則負けになる前にギブアップ負けを選択した。
反則負けより潔いギブアップ。
こちらを選択したのはかつては全日本プロレスリングのスーパースターだったテリーファンクのプライド。
あの試合の最後にはそれを垣間見た。
こんな記事が書かれていた。
長州力やスタンハンセンとテリーファンクは大して年齢差はない。
しかしこの時代には世代が違う扱いに。 テリーファンク
1944年6月30日
スタンハンセン
1949年8月29日
長州力
1951年12月3日
当時は30代の長州力やスタンハンセンと当時40代のテリーファンク。
確かに世代が違う扱いでも仕方ない。
しかし全日本プロレスリングで一時代を築いたテリーファンク(やドリーファンクジュニア)のあの扱いはなあ…
でもテリーファンク復帰後はスタンハンセンとの試合はあまり組まれなかった感じがする。
組まれてもそれが中心ではなく。
ジャイアント馬場も昔のカードでまた盛り上げようとは思わなかったのかも。
またテリーファンクの人気低下もあり。
前に竹内宏介氏が言うちょった。
復帰したテリーファンクがまさか短期間であれだけ人気低下するとは予想外だった、って。
惜しまれて引退した分、復帰したらその反発の反動が大きかった。
しかも1年で復帰。
その間もマネージャーやレフェリーとしてリングには上がって。
『それなら引退するな』となり、それがテリーファンク人気低下に拍車を掛けた。
竹内宏介氏はこの様に語っていた。
だからテリーファンク復帰後にはザファンクスが全日本プロレスリングの中心に据える事はなかった。
1987年世界最強タッグ決定リーグ戦でのアブドラーザブッチャーとの公式戦すら放送されず。
それが当時のザファンクスの置かれた立場でもあった。 「テキサスの化石め!」と全日初登場のハンセンが場外でテリーをぶっ飛ばしたのが象徴的だったね。
その後ファミリーをリングに上げての涙の引退式…
確かアクション俳優に転身を目論んで引退を決意したと聞いた。実際題名は忘れたが当時の映画で用心棒のチョイ役(セリフ無し)で出演してるのを観て驚いた。
結局俳優への転身は失敗し、プロレス復帰。
このへんのセンスも悲しいものがあるな…。仮にも一時代を創ったレスラーだけに。 >>181
その後の最強タッグの武道館大会でファンクスとして長州・谷津の足を引っ張ったのが最後の一矢か その後の87最強タッグだと最終戦武道館ファンクスの公式戦すら無かったな。 開幕戦でハンセン・スパイビーにあっさりやられた時点で終わった 1990年世界最強タッグ決定リーグ戦でのザファンクスはもはや過去のザファンクスではなかった。
でも考えてみるとこの10年以上前から出場しとる。
10年以上も主役を張れるわけがない。
世界最強タッグ決定リーグ戦は1977年から1990年で13年の14回。
その中でザファンクスとしての出場回数は凄い。
1984年 1988年 1989年以外は1990年まで全て参加。
1985年は参加しなかったっけ?
でもジャイアント馬場だって参加回数は多いが、優勝は二回のみ。
スタンハンセンも1982年からは10年以上参加しとるが、1990年以降は優勝なし。
世代交代しとる。
しかしかつての世界最強タッグ決定リーグ戦の主役のザファンクスは後々は本当に落ちた。
扱いも何もかもが。
1988年に参加してアブドラーザブッチャー タイガージェットシンとの試合は見たかった。
この試合なら四人が四人の持ち味を発揮できただろう。
ただこの1988年は昭和天皇陛下が入院中。
それでプロレスリングも流血試合を極力避けていた、という記事を読んだ。
その為にアブドラーザブッチャーも殆ど流血なし。
テレビマッチでは。
地方はわからんが、雑誌等で見た限りではアブドラーザブッチャーは流血してなかった。
だからザファンクスとアブドラーザブッチャー タイガージェットシンでも流血なしだったかも?
しかしこの対決が流血なしだと物足りないな。
少なくともテリーファンクとアブドラーザブッチャーは。 ロングタイツを履き始めたテリー以降は、
ファミ悪の馬場さんみたいな扱い テリーがFMWに移籍した時は寂しかったなぁ。
やはり全日本に参加して欲しかったねぇ。
だから馬場死後に全日本に参加した時は嬉しかったよ。
数年前ドリーと全日本に参加した時に1986年位の全日本のユニホーム
持参していて凄く感動したよ。
ブッチャー復帰後に一度だけでもいいからもう一度テリー対ブッチャーを
全日本でみたかったなぁ。
1987最強タッグの時はテリーもコンディションかなりよかったし
ブッチャーも動けていたから。
残念でならないねぇ。 オープンタッグから数年間のファンクスは輝いてたね。
ブッチャー、シークも各々の役割を心得てあの頃の全日は面白かった。
テキサスブロンコ実の兄弟と黒い呪術師、シークは何だっけw
あのキャラ立ちと盛り上がりは今に至るまで最高峰だと思うな。 フルネームに「・」を打たないの読みづらいからやめろ。 >>186
最後にドリーに決めたハンセンのラリアットが90年代にラッシャー・木村やブッチャーなんかにも見せたスローモーションのような、超ソフト“温情ラリアット”だった。
同年6月に千葉でウィリアムスに決めた“超居合抜きラリアット”の1/50くらいの威力だった。 テリーファンクはかつてはスタンハンセンのラリアットを何度も受けたな。
その豪快な受け方。
1981年世界最強タッグ決定リーグ戦のあのラリアット。
あれが絵にもなったからテリーファンクのラリアット受けは定番シーンに。
ドリーファンクジュニアに食らわした柔かラリアットは覚えてないなあ。
1990年6月のスティーブウイリアムスへのラリアットはYouTubeでも見た。
あと1983年世界最強タッグ決定リーグ戦決勝戦で天龍源一郎に食らわしたラリアットは凄かった。
でも今から考えたら天龍源一郎の受け方が凄かったな。
ジャイアント馬場やジャンボ鶴田はラリアット受けの豪快なイメージはないなあ。
あとは1990年代に入ってからの三沢光晴 川田利明 小橋建太のラリアット受けは凄かったが。
1990年代に入るとスタンハンセンは至近距離からのラリアットを多用。
川田利明や小橋建太は一回転して体がエビ状になったり。
スタンハンセンと小橋建太がお互いに引退後に会談した場面がYouTubeにあった。
小橋建太が『スタンハンセンさんは…』というのが好感が持てた。 ここで見れるよ。
https://www.youtube.com/watch?v=WxM1GsTvgKE
ハンセン「自分はテリーほど強く殴ったレスラーはいない。またテリーも自分ほどに強く殴った相手はいない。」
「テリーを殴っても『この男は本当に効いているのか?』と思っていた。」
だからこそ2人の戦いはスリリングだったんだな。ウエスト・テキサスから不思議な因縁で結ばれた2人。
ハンセンがアメリカで出版した自伝『The Last Outlaw』を読むと、
デビュー時代のハンセンにとってテリーとマードックがいかに身近な存在だったかよく分かる。 ドリーは83年辺りまでは太ももはパンパンだったな。 90年にファンクスが最強タッグに参戦していたけど、まともに負けたのが
ハンセン&スパイビー組のみであとは時間切れ引き分けや両者リングアウトと
そこまで悪い扱いではなかったように思える。 ファンクスの試合で楽しかったの、ない。
ツマンネ、なんで人気あんねん!って。
アイドル(笑) >>195
テリーはオーバーアクションが酷好きて本当に効いてるのか演技なのか全く分からない。 ドリーが世界戦で馬場をテキサスブロンコスープレックスで投げたのは有名だが
YouTubeでテリーがタッグだったかシングルだったかで馬場をダブルアームで投げていた記憶があるんですよ
おおおおと思ったがその動画が探せない
テリーだとおもって実はドリーだったかも?
とにかく馬場がサイドスープレックスでなくダブルアームで投げられるなんてファンクス以外ありえないね ビルロビンソンはまったく馬場に歯が立たなかったね
ロビンソンは自分のスタイルの押し付けしかしないから馬場の評価は低かった
でもスター選手だからUN持たせたりはしていた
それなのにロビンソンは馬場はレスリングがまったく出来ないと書いていたな 昭和54年位からのロビンソンは衰え激しかったね。
ドリーは昭和55年のウェートダウンから下り坂になったね。
テリーは引退までかな。
でも1985年はかなり復活していたけどね。 91年の最強タッグで三沢川田と30分時間切れ引き分けをしてるが
どんな試合内容だったんだろう 雑誌によると三沢光晴と川田利明がザファンクスに合わせた試合だったと。
要するにグダグダな試合だったのは容易に察しが付く。
三沢光晴のエルボー、川田利明のキックも威力半減以下だったろう。
週刊プロレスにも週刊ゴングにも同じ様に書いてあった。
どちらかは忘れたが、『ザファンクスワールドに(三沢光晴と川田利明が)はまった』と。
ザファンクス上げ。
年齢的にザファンクスが、現役バリバリ相手にガンガンやっての30分フルタイムはキツイ。
三沢光晴も川田利明も20代だったし。
放送されたかは覚えてない。
仮に放送されたとしても見ていて内容は忘れたパターン。
でもザファンクスが1990年に世界最強タッグ決定リーグ戦に参加するとは。
しかもアブドラーザブッチャーまで。
10年前ならこのカードが世界最強タッグ決定リーグ戦の中心だった。
世界最強タッグ決定リーグ戦どころかその時代の全日本プロレスリングを象徴するカード。
しかし10年でメンバーは様変わり。
当たり前だよな。
10年でメンバーが様変わりしてなければ終わってる。
新日本プロレスリングだって1980年から1990年の10年でメンバーは様変わりしてるし。
10年で何人の人間が亡くなって、何人の人間が誕生すると思っとるんじゃい、お前ら。 フルネームに「・」を打たないの読みづらいからやめろ。 90最強タッグ三沢川田vsファンクス、新潟市体育館で観たけど、そんなに酷く無かったけどな
25年以上前の話なので細部まで記憶してないが、上り調子の超世代軍の勢いとファンクスの貫禄&客を沸かせる術がマッチして20分経過以降は観客総立ちで盛り上がりの好試合だったね
この試合ノーテレビだったが、もう一つ新潟市体育館のノーテレビで凄かったのは84年の鶴龍コンビvsキッドスミス。
これも全国のファンに見せたかった好勝負だった。 どっちかが三沢のタイガードライバー喰らったりしたの? >>209
当時の週プロに確か「試合前はファンクスの握手を無視した三沢、川田が試合後は自ら進んで握手を求めた。」と書いてあった。
2人とも30分の中でファンクスに何か認めるものを感じたんだろうね。 まだこの時点での三沢・川田もアジアタッグ卒業レベルで優勝戦線まで絡めていない この時点での三沢光晴はジャンボ鶴田も破ってるからトップレス、いやっトップ陣の一角だろ。
川田利明はまだまだだけど。
まあザファンクス自体が既に“過去の遺物”だったかんな。
当然ザファンクスは優勝戦線に残れず。
スタンハンセンダニースパイビーも優勝できず。
ダニースパイビーはまだしもスタンハンセンが優勝できずで。
しかも優勝決定戦でそのスタンハンセンが時間ギリギリ丸め込まれてフォールされて。
まあこの年は新たな顔のスティーブウイリアムスとテリーゴディ優勝は妥当かな。
ジャンボ鶴田 田上明も優勝できずだが。
田上明もまだ顔じゃない、と。
でもこの1990年世界最強タッグ決定リーグ戦は昔の顔が揃ってた。
ザファンクス アブドラーザブッチャー ディックスレーターと。
ディックスレーターなんかこの時はまだ37歳だから当時からしたらトシでもなかった。
若い頃から来日していたから昔の顔に見えたが。
しかしテリーファンク引退試合の相手のスタンハンセンとテリーゴディ。
まさかザファンクスがその7年も後にスタンハンセンとテリーゴディと対戦とは思わなかった。
しかも世界最強タッグ決定リーグ戦で。
それもスタンハンセンとテリーゴディはそれぞれ別々にタッグパートナーを従えて。
またザファンクスとアブドラーザブッチャーも然り。
かつての世界最強タッグ決定リーグ戦の顔のザファンクス。
むしろ全日本プロレスリングの顔だったな。
かなり前には一般雑誌に『テリーファンクジュニア ドリーファンク』と書かれたり。
前にも書いたが。
ザファンクスのスピニングトーホールドがもう片足で蹴られるのは虚しい。
テリーゴディやスティーブウイリアムスにもそれでカットされただろう。
ジャンボ鶴田や三沢光晴はそれはやらなかったと思うが。
スタンハンセンはアブドラーザブッチャーの毒針エルボードロップもツーカウントで返したが。 そう、1990年から。
ヒゲは1985年から。
でもドリーファンクジュニアがショートなのにアンバランスだったな。
果たしてテリーファンクの引退は本人の意思だったのか?
1980年秋のジャイアントシリーズ中に発表。
『3年後の誕生日に引退する』
それが原因でそれ以後はテリーファンクが参加したシリーズは満員が続いたらしい。
そういう観客動員の為だったのでは?
1980年頃は実は全日本プロレスリングも観客動員数がかなり落ちていたらしいし。
それでテリーファンクの引退宣言。
『来年』とかならわかるが、『3年後』って今から考えたら『?』だよな。
『それまでにアブドラーザブッチャーと決着を付ける』っちゅうても3年も要らんだろと。
当時はわからんかったが、今から考えたら3年後って中途半端以前におかしいわ。
しかも引退理由が『膝の悪化』で。
膝の悪化なら3年もしたら更に悪化すんだろ、と。
子供ながらにもこれは当時から思っていた。
そしてその決着を付ける相手のアブドラーザブッチャーは新日本プロレスリングに移籍。
全日本プロレスリングからはいなくなった。
代わりにスタンハンセンが来たのだが。
でもやっぱりあのテリーファンク引退宣言は何だったのか?
そう考えたら復帰は当たり前だな。
ジャイアント馬場も1983年7月のテリーファンクさよならシリーズでも言っていた。
『最後の最後までテリーファンクに引退撤回を求め続ける』と。
客寄せで引退宣言だったのか?
それともしスタンハンセンが移籍しなければブルーザーブロディと遺恨を作ったのか?
それともタイガージェットシン?
またはザシーク?
いずれにせよ今から考えたら謎を越えておかしい部分ばかりのテリーファンク引退宣言だったな。 1992年頃には川田利明や小橋建太 田上明もトップレスヌード、いやっトップレス裸女、いやっトップ陣の一角に格上げ。
1992年はジャンボ鶴田がセミリタイアしたかんな。
更に1993年にはテリーゴディも体調不良で来日しなくなった。
この頃あたりから『超世代軍』から『四天王』となっていったな。
外国人もスタンハンセンとスティーブウイリアムスが中心になり。
ただ四天王ばかりが全面的になりすぎた為にそれ以下が育たなくなった。
強いて言うたら秋山準くらいだろ。
高山善廣は別枠からだし。
大森隆男もいけそうだったが、結局は一定止まりに。
四天王(と秋山準)と他との差がありすぎた。
外国人もスタンハンセン スティーブウイリアムス(テリーゴディ)以下の差があった。
ダニースパイビー ゲーリーオブライト ジョニーエース パトリオット
外国人は沢山いたが、スタンハンセンやスティーブウイリアムスとの格差があった。
新日本プロレスリングも沢山いたが、同じ様な状況。
長州力 藤波辰爾 闘魂三銃士 あとは馳浩と佐々木健介
これ以下はイマイチ。
越中詩郎は平成維震軍の長で少し近かったが。
外国人勢もビッグバンベイダー クラッシャーバンバンビガロ スコットノートンが要であとは員数合わせの扱い。
>>219
バカなお前には難しいかw 会話が出来なくて誰にも受け入れられないない自分を正視できないから頑なに我を張るんだろうな
でも本当は他人が気になって仕方がないからたまに爆発する
屑犬の典型だな >>221
ゴメンゴメン、言い過ぎた。
機嫌直してくれ。
ザファンクスでも後々はドリーファンクジュニアとテリーファンクは別々の道を往ったな。
ドリーファンクジュニアは年を重ねても昔と変わらずのファイトスタイル。
テリーファンクはデスマッチ系のハードコアスタイルに。
まさかIWAジャパンプロレスリングでテリーファンクとタイガージェットシンが対戦とは思わなかった。
テリーファンクとタイガージェットシンは手が合ったと思う。
スタンハンセンが全日本プロレスリングに移籍しなければテリーファンクのライバルはタイガージェットシンだったはず。
ブルーザーブロディもいたが。
1981年創立10周年記念ジャイアントシリーズ。
ザファンクスVSタイガージェットシン マスクドXがザファンクスとタイガージェットシンの初対決。
タイガージェットシンがテリーファンクを大流血に。
両者の持ち味が発揮された。
最近までYouTubeにも上がっていたが。
1981年世界最強タッグ決定リーグ戦の開幕戦。
ザファンクスVSタイガージェットシン 上田馬之助。
これもいい試合だったな。
またもやテリーファンクが大流血。
タイガージェットシンはアブドラーザブッチャーの後釜は十分だった。
テリーファンクのライバル枠。
しかしそこでスタンハンセンが移籍してきた。
テリーファンクのライバル枠はスタンハンセンに取られてしもうたんよ。
スタンハンセンの移籍がなければタイガージェットシンがテリーファンクのライバル枠。
アブドラーザブッチャーの代わりに。
タイガージェットシンはアントニオ猪木やテリーファンクだと手が合った。
絶大なる支持を受ける大ベビーフェイスと徹底した大ヒールの対決。
これぞプロレスリングの醍醐味だんべ。 >>223
お前、あちこちで駄文垂れ流してるだろ。
フルネームカタカナ。荒らし。 >>223
インターを巡るドリーとブロディの抗争も良かった
特にブロディのキックでドリーが吹っ飛ぶ場面 >>226
わかる、わかる。やられっぷりが良かったよね。
あと、エルボーと言えばドリー。
決して三沢でない。 >>226
お互いに噛み合うよな、ブロディとドリーは。
ドリーが上手く吸収するし、ブロディもドリーを受けるし。
何か見応えがあるんだよな、あのチェスのようなテンポがさ。 ドリーファンクジュニアはブルーザーブロディと手が合った。
テリーファンクはスタンハンセンと手が合った。
テリーファンクはブルーザーブロディとも手が合ったと思う。
しかしドリーファンクジュニアとスタンハンセンは手が合わなかった感じがする。
テリーファンクは比較的暴走タイプとは手が合った。
アブドラーザブッチャー ザシーク タイガージェットシン
そん代わりテリーファンクはジャイアント馬場やジャンボ鶴田とはつまらなかった。
ドリーファンクジュニアはまだしもテリーファンクは暴走タイプが最も手が合った。
ミルマスカラスみたいなタイプなら逆に手が合っただろうが。
1979年世界最強タッグ決定リーグ戦でのザファンクスとマスカラスブラザースとの公式戦。
当時は夢の対決と銘打たれた試合。
特にテリーファンクとミルマスカラスの試合。
夢のカードらしく盛り上がった。
でもザファンクスは基本的にヒールとの試合で光る。
ザファンクスっちゅうよりテリーファンクだな。
テリーファンクの試合で流血なしだと物足りない。
アブドラーザブッチャーと同じだ。
テリーファンクVSアブドラーザブッチャーこそ全日本プロレスリングだった。 ブロディを人間風車で投げたのはドリーと鶴田だけ
その二人だけ認めていたんだろう >>231
そりゃロビンソンも投げてるんじゃないの? >>231
ブロディと対戦した選手で
人間風車の使い手がそもそも少ない >>231
猪木もブロディを人間風車で投げてたな。
そもそも人間風車やる人が少なかった。 >>239
猪木の投げ方はドリーより鶴田よりも低かった印象
とにかくブロディの本格的な売り出しの最初でドリーが相手を務めた意義は大きい ブルーザーブロディが日本に定着し始めた1981年春にはザファンクスとの抗争が原因だった。
1981年チャンピオンカーニバルにブルーザーブロディは四回目の来日。
アブドラーザブッチャーと手を組んでザファンクスと抗争。
アブドラーザブッチャーはこのシリーズを最後に新日本プロレスリングに移籍した。
※正確にはインターチャンピオンシリーズが最後だが。
その後はブルーザーブロディがザファンクスと抗争へ。
ザファンクスの抗争相手としてアブドラーザブッチャーの後釜へと。
その後はタイガージェットシンが移籍してきた。
またザファンクスのもう一人の抗争相手のザシークもいた。
しかしブルーザーブロディがザファンクスの抗争相手の後釜へと。
ブルーザーブロディはむしろドリーファンクジュニアと手が合った。
その後はスタンハンセンが移籍してきてザファンクスと大抗争。
それが全日本プロレスリングの定番になった。
実際に『テリーファンク引退』も絡めてこの抗争が全日本プロレスリングを支えた。
テリーファンクもスタンハンセンとの抗争が最後の花道になった。
※その後はまたテリーファンクも復帰したが。 確か移民の歌は81年のチャンカーがようやく使用開始か それまでのブルーザーブロディのテーマって何?
その前は1980年サマーアクションシリーズ第一弾に来日しとる。
移籍前のアブドーラザブッチャー最後の全日本プロレスリングだったが。
まあここでブルーザーブロディとザファンクスも遺恨を作れた。
アブドラーザブッチャーからブルーザーブロディへと外国人エース交代のシリーズだったな。
まあその後はタイガージェットシンやスタンハンセンを引き抜いたが。 >>240
ファンクス式人間風者の方が欧州式の人間風者より
大きく投げられる スコット・マギーvsジェシー・バー
https://www.youtube.com/watch?v=kt5n4s_XuL8
後年「プロレス・バカ」剛竜馬の盟友となるジェシー・バーですが(笑)
ファンク・ファミリーの一員として活動していたころですね。
マギーさん、ヒールであるバーに翻弄されて無残なやられ方してますが…
スコット・マギーどうのより、セコンドのドリーの「悪事」が興味深いかも(笑)
試合に介入し、寄ってたかってマギーをボコボコ。
日本とアマリロなど一部のエリア以外ファンクスは基本レッドネック系ヒールであったことは有名ですが
それを証明する動画かも。
「あ〜、これはやめてもらいたい。世界のアイドルが介入します!」
と倉持アナが実況しそうです(笑) 倉持「もうやめてくれスタン・ハンセン、テリーは牛ではない人間だぁー!」(笑) http://soukon1.up.n.seesaa.net/soukon1/image/retsudenEFBC9CE381B2EFBC9E.jpg?d=a1
札幌中島体育センターでブッチャーと対戦し、
フォークで左腕をメッタ刺しにされたテリー。
その夜ホテルでステーキを食ってるドリー&テリー。
左腕を故障してるのにステーキを食ってるテリー。
そんなテリーを、ステーキ食いながら心配するドリー。 テリーとシンの抗争を本格的にやればよかった。
でもテリーのライバル枠はハンセンになった。
ハンセン移籍でシンはかなり割を食った。 テリーとシンの抗争って何かみえみえっていうか、ブッチャーの代わりに単純
にシンですか?ってファンも受け入れ難い雰囲気があったような気がする。
だからブッチャー去り後はブロディがファンクスの最大の敵役(主にドリー
相手だが)になった。
シンは最初は当然ながら馬場にターゲットを絞ったが、この時期の馬場に極悪
ファイトで盛り上がるなんて無理過ぎるし、馬場も半分しらけながらファイト
するから感情移入なんて出来るわけがない。
ようやくシンがテリーとかみ合ったのは皮肉にもテリー引退直前の83年。
遅きに失した感があったが、テリーは極悪ヒールと絡むと異様にスイングする。
ブロディは独特のテンポとブッチャーやシンと違って凶器狂乱ファイターじゃ
ないからな、テリーとはイマイチ合わなかった。 ◆全日本プロレス(27日・両国国技館)
全日本プロレスの黄金時代に活躍したドリー・ファンク・ジュニア(75)
チャボ・ゲレロ(67)、ザ・グレート・カブキ(68)の
“レジェンド”レスラーがスペシャル8人タッグマッチに登場した。
元NWA世界ヘビー級王者のドリーは、チャボ、ウルティモ・ドラゴン(49)TAJIRI(46)と組んで
カブキ、西村修(45)、吉江豊(42)、木高イサミ(35)と対戦。
ザ・ファンクスのテーマ曲「スピニング・トーホールド」が国技館に流れると、オールドファンは大喝采。
タレント・山田邦子(56)から花束贈呈されると、ムチをマットに打ち鳴らすパフォーマンスで応えた。
長袖シャツ、ジーパンのまま試合を行ったドリーは、カブキのアッパーを耐えると、
ふらつきながらもエルボー・スマッシュを打ち返した。
“伝家の宝刀”スピニング・トーホールドを逆に仕掛けてくる西村に、
ドリーは首をつかんでそのまま丸め込み、12分9秒、首固めの勝利。
「日本で試合ができてうれしいです」と日本語で喜ぶドリーにチャボは
「アミーゴ(友だち)!」と握手して抱きついていた。 >>255-259
>ドリー・ファンク・ジュニア(75)
公式にはドリーが1941年テリーが1944年生まれという事になっているファンクスの2人だが
実はテリーの方が1941年の生まれでドリーの本当の生年は馬場と同じ1938年で今の御歳は78だという説がある
まあソースがフミ斎藤のサムライが放送していたECW中継での解説やトークイベントでの発言だから眉唾物ではあるんだけど >>263
まあね。
確かに、笑い半分楽しんで見てたよ。当時。
インチキくさいと思いながらも強さを測ってた。 シン信者だけどスレ落ちてるからここ貸してね
https://www.youtube.com/watch?v=LvwKY4PHG08
シン・カクタス × 山田恵介・テリー 1995IWA
単なるインディの地方巡業というにはあまりにも濃密な要素が詰まってるので紹介したい
70-80年代ならシンは本当に狂ってるというギミックも通用したが、
この頃はシンは良い人、カナダでは実業家という素の部分がすっかり露呈していた
それでも日本のリングでは、たとえどんなに小さな興行でも全力で悪を演じるシンに対し、
観客は明らかに敬意をもってシンコールを送っている(上田コールも同様)
猪木コールにせよテリーコールにせよ、リングの中で3カウントを奪って勝ってほしい、
との期待感より四方八方から自然発生していた従来のものとは微妙に異なるコールだ
シンもその空気を読み、まんざらでもないという表情を時折浮かべ、
悪の限りを尽くして相手をボッコボコに痛めつけ、たまに観客を襲うという自分のビジネスを展開
さらに試合後半、なんとテリーの太ももにシンがサーベルを突き刺した!!
…ように見せかけて、実はテリーのタイツをサーベルが貫通しただけで肉は無傷なのね(当たり前だw)
実はシンの凶器攻撃というのは、そのほとんどが凶器を握った手で殴ってるだけ
だから相手に致命的なケガを負わせることはないが、見ている方には、
「うわあ痛そう!」「とんでもない悪い奴だ」の印象を与えることができる
このサーベルも同様で、パッと見は太ももの肉を貫通しているように映るから効果は絶大
柄で殴るだけじゃなく、この歳で新たな使い方を開発するシンのプロ根性はすげえ
それに付き合うテリーも本来は痛くも何ともないはずなのに、
自分が今、観客からどう見られているかを瞬時に悟り、オーバーに痛がって足を引きずっている
テリーのM役はほんっと最高ww
老いてなお盛んなプロフェッショナルの仕事をまざまざと見せつけられた感じだわ シンのサーベル刺しはFMWで初披露だったな。
92年だからこの3年前か。 自伝でテリーマンについて「どこかの誰かさんにそっくりなのに、俺一銭も貰ってねぇよ…(´・ω・`)」ってぼやいてたのは草 >>27
これは嘘
ハンセン夫人はアリーナラッツ、所謂グルーピーでレキシントンクイーンという外専ディスコによく来てた http://jp.channel.pandora.tv/channel/video.ptv?c1=&ch_userid=hajimarin&prgid=54569552
シン、ドリー、ハンセンの素顔
いやーおもしれえw さすがにドリーも動けないなもう、、
鞭のパフォーマンスとか痛々しいわ 涙の引退→まさかの復帰でテリーが出てきた時の客の微妙な雰囲気は忘れられない
ECWが無かったら嘘つき外人レスラーとか呼ばれてたのかも 平成に入ってから、今のドリーより酷いレスラーって他に見たことないんだけど…
モンゴルマンとか末期のミスター珍だってまだドリーよりはマシだろ(ああいうキャラだし)
ドリーは別に老害キャラってわけじゃないんだろ?
テリーみたいに這いつくばってもしがみつくってわけでもない
ただ無理も何もせず立っているだけ
50越えて動けなくなったハンセンが引退したときに「まだ若いのに」とか言っていたけど、こいつ、他人からどう思われているかとか、判断する頭脳がないのかな? 馬場の32文喰うだけで白眼むいてピクピク、オーバーアクションのテリー テリファとアブチャの試合がゼンニプロレの看板だった。
81年にアブチャがシンニプロレに移籍してそれが終わった。
テリファとスタハの抗争はまた意味合いが違ったしね。 アブチャがいなくなってからはブルブやタジェシがテリファの新たなライバルになると思うた。
しかしテリファライバル枠は結局はスタハに。
この時代のジャンツは全くダメだったし、リュウゲンは更にその下。 アブチャ テリファ
何なんだよ
ジャンツ
週刊少年ジャンツかよ >>98
全日の中継で系列地方局が実況で、ドスカラスのことを「ドス・マスカラス」
テリー・ファンクのことを「テリー・ファンク・ジュニア」と、最初から最
後まで言っていた記憶があるのですが。 今のドリーには耐えられないよな。
その反面スピニングトーホールドを聞くと安心する部分もあるがそれだけなんだよね。
秋山社長ドリーはそろそろ隠居してもらおう。 ゼンニプロレ末期のドリファってかなりワガママだったって記事があった。
自分が最早ファンを呼べてるわけじゃないのに昔と同等のギャラを要求したり。
ジャイバも困っていたみたいだし。
アブチャは出戻りっちゅうこともあってか?そういうワガママはなかったと。 昨日はテリファの誕生日だったな。
もう73か。
ドリファ、アブチャと70超えて。 チェーンソー振り回してた、足のほっそいジイさんの記憶しかないな >>289
実況を系列地方局アナがすることは「ない」 >>289>>295
読売テレビの竹山だろ。
こいつ最初から下手だったけど、ドンドンさらに下手になっていったよな。
プロレス実況のみならず、ニュースも司会も何やっても下手なのに、何故か定年間際までアナウンス部にいられたのが不思議。 >>297
実況 竹山アナ 解説 田鶴浜さんのコンビの回は凄かったよな
そう考えると倉持と山田さんのコンビは安心して
見てられたわ
竹山アナ 最後の実況って いつ頃でしたかね? ファンクスはオリジナルホールドが多い。
スピニング・トーホールド
ローリング・クレイドル
テキサス・クローバー・ホールド ファンクス親衛隊て自然発生らしいけど、何か逸話とかある? >>303
いや、結構毎日毎週学校で中継後はプオタ話になるんだが
松永アナはサンデースポーツレギュラーだとか、倉持節とか古舘はとか話題は尽きなかったが
変なアナだったとかの話題が記憶に皆無だったんだよ。自信あったんだがなあ。
TV見れない週もあったから浅はかだったな。すまんね。気をつけるよ。 中京テレビの佐藤アナだったっけ
あんまり覚えてないけど、可もなく不可もなくな印象だった 昭和プロレスファン同士仲良くしろよ
おまいらが好きそうな動画置いとくからこれ見て機嫌なおしてくれ
https://www.youtube.com/watch?v=OJ2ImdXUrLQ ttp://geta88kitty.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2017/04/09/0107_2.jpg
これは良い雑誌だ買いたい >>306
佐藤アナは90年代前半の四天王プロレス勃興期の頃の実況は評判良かった タジェシとドリファの体の差が凄い。
ドリファはこの頃は減量(病気?)で痩せ細っていた。
これはタジェシとザファンの初対決の時。
当時もリアル放送で見たが、タジェシ移籍二シリーズ目。
スタハがゼンニプロレに来なければタジェシももっと活躍できたかも。
タジェシとテリファは相性も良かったと思った。
アブチャとは違うが、テリファとタジェシもいい試合やってたと思うが。 >>308
記号間違えた。
ザファンとタジェシはこの後のサイキョタグリ開幕戦でも対戦。
ウマノスもおり。 ああああああああああああああああああああああああ
うっっっっぜぜぜぜええええええ!!!!!!!!!
どーして略しているのに、逆にその何倍も読みにくくなるんだよ!!!! >>310
自殺しろ!!!!!!!!!!!!コラ!!!!!!!!!!!!!! 1979年の最強タッグ参戦時のドリーと翌年80年の最強タッグ参戦時のドリーは別人みたいだな。
何であんなに痩せていたのか NWA時代の身体を取り戻したみたいな実況あったよね ファンクスとは
テリー,ドリーの兄弟レスラーの愛称だとは気付かなかったよ。子供の当時は。
まあ大人になってからも、武藤とムタの区別がつかないと探り入れてくる似非プオタがいたが
知らんふりしたった。 人気のテリファ
実力のドリファ
ザファンはこういう縦わけがあった。
前にはパワーのテリファにテクニックのドリファと。
力のテリファと技のドリファってゆー感じで。
しかしテリファなんかスタハやブルブには明らかにパワーで劣った。
そうゆー意味ではテリファをパワー派にすんのは無理があった。 こいつの略語、単に読みづらさを狙って相手にイライラさせる目的以外に、
なんつーか狂気じみたものを感じるんだよね これしか自己アピールする術がないんだろ
早く死ねばいいのにな(笑) さよならテリーとか興行打ってた割には金不足で復帰なんだよな。
あんなヨボヨボで試合辞めて欲しいわ テリーがNWAチャンプだったってのが信じられんな
どんな防衛戦してたんだろう
場外でピクピク痙攣してリングアウト負け防衛してたのか
やられまくった挙句にスピニングトー・ホールドで逆転みたいな試合してたのか テリファは日本でアブチャとの試合をきっかけにヒーロー路線になったかんな。
ドリファはギリギリヒーロー路線には向くことはなかった。
逆にテリファはアブチャやスタハみたいなタイプ以外ではウケなくなった。
ザファンとジャイバ、ジャンツの試合なんかクソつまらなくてなあ。 ☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆ テリファはやはりテリマの生みの親みたいなものだ。
後ろのほうにドリファやジャイバ、スタハが見守っていたらとても面白かった。 ザファンはNWAテリトリで、ハリレやリクフと闘いチャンプだった。
後に、テリファがシニチオに挙がって株をだいぶ下げてしたっま感は否めない。
NWA副会長のジャイバが存命で目を光らせてたならば、こんなことはなかったろう。 >>336
だ か ら 死 ね っ つ っ て る だ ろ コ ノ ヤ ロ ー !
>>336
ザファン、というかテリファは元々スタハとテキサスベルトを攻防してたしな。
聖士ジャイバがゼニプロで目をつけ、アブザとの抗争をブックしたんだろう。 大昔ならザファンがシンニプロレに上がるなんて信じられなかった。
更にテリファとアブチャがシンニプロレのリングで対決とか。
でもゼンニプロレでザファンとロドウォの対決は本当に塩を超えていた。
全くかみ合わず。 >>339
自分にレスアンカーしてねえで死ねや
一分一秒でも早く 架空の話だが
もしもこのスレや同年代の集まる昭和プロレス系住民でオフ会があったとして
10人とか20人とかそこそこまとまった人数が集まったとして
そこに>>341が現れたら全員から力の限り罵倒されて追放されて終わればいい方
ヘタしたらフルボッコの半殺しの目に遭うだろうな オフ会でも、スタハ語で話したら
公共の場所でも、気兼ねなく。プロレストークに花が咲かせるよね >>346
>オフ会でも、スタハ語で話したら
通訳が必要
それ以前に呼ばれないだろうけどな >>347
オフ会は呼んでもいない変な奴が来る事は良くある 往年のテリファのスピトーはさしものスタハやハリレ、アブチャにもテキサスブロンコを発揮した、
ザファンの活躍はNWA副会長たる聖母ジャイバ率いる王道ゼニプロレあってこそのものだね。 最近、YouTubeでザ・ファンクスの試合観るのに嵌まってます
テリーのオーバーリアクション最高! テリファは大味ながらも肉がいい味を出していた。
そこにjドリファのコショーの効いた闘いがファンをピリリとうならせて黄金ゼニプロ風味を造った。
テリドリの味は七味の効いたテキサスであるな。
まさにザファンは名実とも、昔ながらの洋食屋さんにふさわしいだろう ブローディ「ザファンはどうかって!? テリファは最高さ!! 」 ザ・ファンがシンニプロレのドーム大会に登場したときは驚いた。
時代が変わったと痛感したぜぃ。
かつてのザ・ファンはゼンニプロレファミリーだったかんな。 特に80年頃はジャイバとアノキよりテリファとアノキの方が敵対しとった。
テリファは本気でシンニプロレを潰そうとしていたらしいし。
アブチャ引き抜かれた時にはジャイバ以上にテリファが怒り心頭。
それでタジェシとスタハを引き抜いた。 https://youtu.be/ro7q5Y5BATc?t=2509
ハンセン役(高山善廣)&ブロディ役(鈴木みのる) × テリー役(不明)&鶴田役(不明)
これを高山と一緒に見て爆笑するハンセンww
笑いのポイントが一般プロレスファンと同じなのが嬉しい 今でもファンクスは好きだけど近年のドリーには耐え難い物がある。
大切な夢を壊さないでほしいなぁ。
それを考えるとドリー同様に衰えてもまだプロレスラーを
演じれるマスカラスは凄いと感じるよ。 明治時代に生まれた人が全て100歳を超えてしまったように、
日本プロレスで活躍した経験のある現役レスラーも絶滅危惧種だよな
その一点だけでもマスカラスは偉大だ
決して他のレスラーをダメというつもりはない >>65
最弱アイドル超人のテリーマンが使う技だからなw >>68
マッスルドッキングの時の
キン肉ドライバー
テキサスタイフーン >>120
キン肉マンに出てくるタザハマさんのモデルね
ゆでもプロレス大好きだからw ドリーファンクjr体調不良で欠場ってなってて心配したけど、
復帰出来たみたいね、良かった良かった テリファがシンニプロレのドムへ、レフェとして出場してときは驚いた。
レフェなのに、入場時にゼンニプロレ版スピトーが鳴り響いていたっけw キン肉マンがぜんに、新日のプロレスがモデルで
国民的人気漫画、アニメになったってことは、その世代以降は
なんとなくテリー・ファンクとかプロレス知識は持ってるってことだよな。
確かにブロディのバッファローマンとかはわかりずらいが。
田鶴浜、とか、レッドシューズ・デューガンやらでてきたからな
、、っていって、おやはりオタじゃないとわからんかw 人気のテリファ
実力のドリファ
ザファンはこういう縦わけがあった。
前にはパワーのテリファにテクニックのドリファと。
力のテリファと技のドリファってゆー感じで。
アブチャがいなくなってからはブルブやタジェシがテリファの新たなライバルになると思うた。
しかしテリファライバル枠は結局はスタハに。
この時代のジャンツは全くダメだったし、リュウゲンは更にその下。 うぜえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! >>373
スタハがゼンニプロレに来なければタジェシももっと活躍できたかも。
タジェシとテリファは相性も良かったと思った。
アブチャとは違うが、テリファとタジェシもいい試合やってたと思うが。
ドリファはこの頃は減量(病気?)で痩せ細っていた。 うっぜええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! テリファはスタハやアブチャ、ドリファはブルブと手が合ったと言われていた。
ジャイバはスタハ、ジャンツはブルブ、リュウゲンはこれまたスタハと手が合った。 ザファンはやっぱりアブチャやザシクとの抗争が一番良かったのでは?
スタハやブルブだと明らかに劣勢で力の差を感じた。
またスタハやブルブはアブチャ、ザシクみたいな典型的な極悪ヒールではない。
ベビー対ヒールとの図式は変わらなかったが。
でもスタハやブルブはジャイバ、ジャンツ、リュウゲンとの対戦ではヒールにならず。
ザファンとの対戦の時には大ヒールへと変貌していった。 シンニプロレではバンベーやバンビガの次の位置付けで。
スコノーとはタイプや体型も似ていた。
スティウィとスコノーをもっと絡ませたら面白かっただろう。
バンベー、バンビガ × スティウィ、スコノー
テリゴ、スティウィ × バンベー、スコノー
こういうタグマ92年頃に見たかったなあ。 ザファンはフジナ、キムケンあたりとならいい試合したかも。
それかアノキ、フジナとか。
アノキ、サカグとザファンの試合も見たかった。
ニホンプロレ時代もやってなさそう。 ドリファの引退はなかったことになっとるな。
テリファの引退は普通にあったことになっとるが。
ザファン、ミルマ、正式に引退せずに亡くなりそう。
アブチャは実質引退同然だけどね。 テキサブロン テリファにスタハのウエスラリアが炸裂。
グレテキ ドリファにブルブの二ドロ炸裂。 いま改めて思えば、ファンクスは実力のドリーに人気のテリーという感じだったけど、プロレスの試合を面白く
作り上げていくセンスはテリーが圧倒的に上だったと思う テリーの試合は自由奔亡というか試合の流れやヤマを自在に
作り上げていって最後は勝ち負け関係なくテリーの世界になってしまう 全日でやったアレックススミルノフ戦だったか、試合が
スミルノフ有利に流れてたのをギロチンドロップ一発で形成を変えてしまい、もう名人芸しかいいようがなかった
70年代の試合で、新人のバックランドと組んで宿敵キニスキーと名前わからん小悪党のコンビとの試合を見たがもうテリー自由自在
小悪党をつかまえていじめ抜き、怒ったキニスキーが出てくるとリング内外を逃げ回る キニスキーがなんとか
テリーを捕まえてシュミット式バックブリーカーをブチ込んで勝ったが、試合は完全にテリーのモノ、まるで目立てなかったバック
ランドは試合終わってから小悪党にドロップキックいれてたけど手遅れ あぜんとしてた。とにかく
テリーは目立つんだわ おいしいところはすべてさらっていくし ブルブの引き抜き時にはアノキよりスタハが怒っていた。
ジャイバは許さないとか。
最初にアブチャを引き抜かれた時には。
だからブルブとアブチャがあの頃に試合やればガチ不穏試合になったはず。
もしもシングル組まれたら。
スタハVSテリファは作られた遺恨試合。
むしろ両者に信用信頼があったから名勝負にもなった。
でもアブチャとなら信用信頼は全くない。
特にテリーには。
いくらスーパーベビー同士でも試合になればギクシャクしたはず。
名勝負にはならなかっただろう。
不穏な中から危険な試合展開で逆に面白い試合になったかも。 80年頃にテリファとアノキの対決があればどうなっていたか?
結果はともかく客の反応が気になる気になる気になる木。
客の反応が気になるな。
アノキコールとテリファコール。
当時のゼンニプロレではテリファはジャイバ以上の人気だったし。 スピニングトーホールドが鳴れば細かい事なんかどうでも良いという感じ スピトにホノファが鳴れば館内大熱狂。
アノキとテリファの対決は見たかった。
80年か81年がピークだろうな。
でもアブチャやタジェシ引き抜きで信頼関係はない。
特にテリファはアノキ、シンニプロレを本気で潰そうとした。
スタハ引き抜きは正にそれ。 大貢献したザファンを称えよう。
今もリングに上がるドリファコールを。
ドーリーファッドーリーファッドーリーファッドーリーファッドーリーファッ
ドーリーファッドーリーファッドーリーファッドーリーファッドーリーファッ
ついでにまだ引退してないテリファコールも送ろう。
テーリーファッテーリーファッテーリーファッテーリーファッテーリーファッ
テーリーファッテーリーファッテーリーファッテーリーファッテーリーファッ >>115
アンイ→アノキ
チョシュリ→チョリキ
チョノマ→チョマサ
所々で変わってる。
ならサヴーは? ファンクスも日プロ時代はヤングフレッシュ兄弟と言われてたみたいだな。
馬場、猪木との対決でも日米若き対決とか。
まあ日プロ時代の四人の年齢考えたら当然だけど。 89年の最強タッグ出場してほしかった
ファンクスvsブッチャー&シン
ファンクスvsキッド&スミス
実現したのに >>405
同感。
88年か89年にファンクスが参加してたらブッチャー シンとの対決が実現した。
これは見たかった。
そうなれば互いに持ち味発揮で。
このカードなら最終戦の武道館か大阪だな。
ブッチャー シークとは一味違う展開が。
テリーとブッチャーが流血してシンとドリーは流血せず。
いずれにせよ惜しかった。
何故か入れ違い。
・87年ファンクス参加
・88年ブッチャー シン参加
・89年ブッチャー シン参加
・90年ファンクス参加
ブッチャーとテリーはもちろんだが、シンとテリーも相性合ったと思う。 88年はファンクスが完全不参加の最初の年だったんだよな
90年で最後の揃い踏みをした時は完全に衰えていて馬場の長期欠場を引き起こした事だけが特筆になった 90年最強タッグリーグのファンクス×ブッチャー・キマラはなかなか見応えがあった
互いに優勝争いから脱落していた消化試合とはいえ、
最終日蔵前で当たったものだからここぞとばかりブッチャーもテリーも出血大サービスw
あんたら事前に打ち合わせしてたんかと思わせるほど抜群のあうんの呼吸を見せてくれた
最後はブッチャー&キマラが血ダルマになりながら四方におじぎパフォーマンスで拍手喝采 衰えてたからこそ、ランドオブジャイアンツに勝った試合は感動しちゃったけど >>406
知らなかった
結構お互い元気な時に対戦してたんだな 超世代軍や殺人魚雷とはどういう試合をしていたかも気になる >>412
最強タッグの時にファンクスvs殺人魚雷を観に行ったけど
序盤は互角だったけど5分過ぎから25分あたりまで殺人魚雷がほぼ攻めてた(ほとんどテリーが捕まる)25分過ぎからファンクスも攻めたが結局ドローだった
会場は大盛り上がりだった セミで予定してた
三沢・川田vs馬場・アンドレが三沢欠場で無くなったのはショックだったな 二十分間も耐えたテリーが凄い
初期の四十五分だったらどうなっていたか >>414
飲みの席で川田が三沢を殴って負傷させて三沢欠場ってこの年だよね。 >>390
そのとおり!
テリーは本当に千両役者だったよね。 >>419
なんでスレによってバンビガキャラだったり普通だったりするの?
キチガイのフリするなら徹底しろよw ブルブはドリファ
スタハはテリファ
ジャンツはブルブ
ジャイバはスタハ
やっぱ相性が合う合わないっちゅうのはあるな。
リュウゲンもスタハと相性が合ったな。 知り合いから教えてもらった簡単確実稼げる秘密の方法
知りたい方だけみるといいかもしれません
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AD828 ファンクスとして、最後の最強タッグ参加となった1990年のテレビ中継でランドオブジャイアンツとの公式戦見たけど、館内盛り上がってたね ザファンがシンニプロレに登場したときゃ驚いたなあ。
フジナ、ボブバと対戦も凄い。
まあ更に後々にはシンニプロレでアブチャとテリファがタグチで対決だもんな。
更にチョリキと組んで。
チョマサやナカニもいたが。 2001年10月のドームだったか
ドリーとしてはそれが唯一の新日本出場だったか ファンクスは本当に偉大だった。
メガパワーズやスタイナー兄弟との試合も見たかったな。 初めて、ファンクス見たとき
親戚の叔父さんに、ドリーは何でハゲてるのって聞いたら
若ハゲって教えてくれたよ メガパワーズって谷津ハクだっけ?
スタイナー兄弟とはリズムが合わないのでは? メガパワーズってホーガン・サベージ組の名称じゃなかったっけ >>405
ファンクスvsキッド&スミスは91年でも
岡山とか高松の地方都市で行われてたね。 ファンクスとマレンコ兄弟の対戦をテレビ中継で見た記憶があったけど、1990年頃久々に来たときだったかな ザファンはダイキ、デビスとは84年と90年の二回対戦か。
サイキョタグリ公式戦で。
他のシリーズでも対戦してそうだが。 復帰後のテリファはチャプリみたいだったな。
スパヒ路線から破天荒なお笑い路線に。
テリファも復帰直後のファンの反応で色々悟ったんだろう。
前みたいな人気バクハは無理だと。
そんなら路線変更と。
ドリファの場合は年取ってもそのまんまのスタイルだった。
ミルマもスタイルは変わらず。
ドリファもミルマも同じスタイルで昔みたいに動けなくなっただけ。
テリファはスタイルが変わり。
またインディぺ時代にはデスマもやり。
テリファは幅広いスタイルだったな。 今日は大阪でカクタス・ホスと対戦した日
まさかカクタスがその後あそこまでなるとは誰も予想できなかったか ブッチャーのフォーク攻撃では
一刺し100万
テリーファンクは金に困ってたから
刺されるたびに喜んでた! ブッチャーがWWEの殿堂入りに選ばれた時、プレゼンテーターをテリーが務めた
その時ブッチャーは茶目っ気たっぷりにフォークを持参していた
テリーは満面の笑顔で、
「俺たちはこれ(フォーク)で、ジャパンでたっぷり稼がせてもらったんだ」と一言
一振り100万とか金に困っていたかは不明だが、カッポリ儲けたのは事実 >>430
ホーガン&サベージ
谷津&ハクはナチュラルパワーズ ブッチャーもテリーもあの試合で日本では大ブレイクしたからね。
思い入れは半端じゃないだろう。
あの試合がなければ二人ともただの人気外人で終わった可能性も。 デンって何だよ?
テリーもブッチャーも同じ試合で互いに大ブレイクしたのも面白い。
普通はどちらか片方が大ブレイクなんだが双方が大ブレイク。
猪木とシンはシンが大ブレイクだし。
猪木は元々確固たる地位があった。
その猪木相手にシンが大ブレイク。
藤波と長州も同じく。
既にステータスを築いていた藤波相手に長州が大ブレイクした。
長州の場合は結果的に大ブレイクしすぎて藤波を抜いてしまった。
しかしテリーとブッチャーは二人が同じ試合で。
その前から二人ともそれなりの地位はあったみたいで。
ただあの試合で爆発的な人気を得て。 デン…殿堂入りね。
いま思うとブッチャーは
何であそこまでテリーに
凶器攻撃をしたんだろう。
明らかに馬場や鶴田に
対してとは違う。
テリーからの依頼なんかな。 https://youtu.be/zqGT0MPFwbE?t=64
ブッチャーがタネ明かししてたけど、例えば実際のフォーク攻撃は01:29-のように寝かせて刺していた
いくらテリーと合意してやったこととはいえ、対戦相手をケガで欠場に追い込んだらメシの種がなくなるからな
ただ世界最強タッグリーグ決勝戦みたいにシリーズ最終日は、
明日のことを考えなくていいのでちょっとエスカレートすることはあっただろうけど
おまけ
https://www.youtube.com/watch?v=-Rll-_qpYYw
ブッチャーがレストランを開業して間もない頃の取材 最強タッグネタになるが、
この77年にラシク&クラップが参加してたら面白かった。
ブッチャー&シークとの試合は見もの。 1987年頃までのファンクスはまだ見れたが、数年後に久しぶりに来た時の姿見たときはさすがに厳しいと思ったな wikiによるとテリーは87-88年頃、WWEでも引退宣言してしばらくは俳優業に専念していたとのこと
ドリーはわからん https://www.youtube.com/watch?v=5UAwJlF4Qtk
テリーのオフィスでインタビュー
01:30 サブゥーの仲介で故ザ・シークに捧げたとされるブッチャーとのスリーショットが見られる テリーとブッチャーが昔から強い信頼関係にあったのはいい話だ。
当時なら夢が壊れた心境だろうけど。 >>454
開幕戦でいきなりハンセン・スパイビーに負けたし テリーってブッチャーやハンセンにボコボコにされるだけで、フォール勝ちって一回も無いんじゃね
特にブッチャー、シークのフォークや五寸釘でザクザクに切り刻まれて血だるまになった耳などをアピールしてるSMショーは好きになれなかったな 一部放送カットとなった割れたビール瓶を胸に刺したあたりがピークだったな
そこまで行ったらそれ以上の演出は無いだろうと
後出しになるがマンネリと揶揄される前にちょうど良いタイミングでブッチャーは移籍したとも言える ファンクスとブッチャー・シークではファンクスは特別劣勢に見えなかった。
見た目のサイズではファンクスの方が大きかったし。
ブッチャーは厚みがあったが、シークは明らかにファンクスより小さかった。
また年齢も二人ともファンクスより上。
特にシークはかなり高齢に見えたから。
だから凶器や反則を駆使しなければ戦えないと。
そんな印象があった。
しかしファンクスとハンセン・ブロディは状況が違った。
ハンセン・ブロディはファンクスより大きくて動けた。
年もファンクスより若かったし。
特にハンセンの馬力見てるとファンクスとは桁違いに見えた。
ブッチャー・シークとは違ってハンセン・ブロディではファンクスは全く勝ち目がない。
そんな印象だった。 ハンセンとテリーって志村といかりやみたいに、
「お前それ絶対に私情絡んでるだろ」としか思えないほどハンパない攻防が見ものだったよな 外人選手が追っかけ女を食い散らかしてるのは表に出ない不思議 >>462
長州とやる前から終わってただろ
復帰直後の最強タッグだけであとは嘘みたいに人気なくなってたからね
引退前みたくガキが群がったりなんかしなくなった テリーは一度引退したからねえ。
しかも引退3年前の80年から引退宣言までして。
マスコミもファンを煽りまくり。
82年最強タッグは『最後のファンクス』とか。
そりゃあボロボロでもファンクスの優勝だわな。
まあ最後の最後にはさよならシリーズも敢行。
引退試合もそれまでにない前代未聞の大盛り上がりで。
それで僅か1年で復帰しても顰蹙買うだけだろ。
事実テリーは復帰後は以前程の人気は戻らなかった。
戻らないどころか人気は下がる一方で。
テリーも馬場もまたテリー人気が復活と読んでいたみたいだけど。
見事に当てが外れた。 >>469
当初はこの3年でブッチャーとの抗争に必ず決着を付けると宣言していた。
引退宣言から残り3年でブッチャーとの抗争にピリオド。
しかし3年も待たずに翌年にはブッチャーは新日に移籍してテリーの前から消えた。
そして新たな敵のハンセン。
テリーの前に菅を表したハンセンがブッチャーの後釜でテリーの怨敵に。
途中ブロディやシンがテリーの新ライバルになると思われた。
また残りの遺恨相手のシーク。
しかし何れもブッチャーと比べるとインパクトに欠けた。
※あくまでテリーの怨敵という面に於いては。
そういう意味ではハンセンは最適だった。
ブッチャーとは全くタイプは違うもののテリーの怨敵にピッタリ。
またハンセンもそれらを理解していい仕事したと思う。
テリーの時代も最初の引退までだな。
復帰後は全く別のテリーと見てる。 残酷ショーでただ大量に血を流すだけのブッチャーと違って、ハンセン、シン、ブロディとはまた違った新鮮な抗争を見せてくれたな
ところで81年って移籍する直前までブッチャーと激しくやりあっていたけど、シークとは当たったんだろうか?
同じツアーに来日しているから少なくともタッグで対戦してるはずなんだが、ちょっと記憶にないんだよな テリーとハンセンの遺恨は意味不明だったけどなあ。
ハンセンはファンク道場出身だし。意味がわからなかった。 >>471
テリーとシークは81年最強タッグ公式戦で対戦。
雑誌だとテリーはお約束の流血だったが。
まあブッチャーとハンセンがいない半年はブロディ、シン、シークと抗争。
ブロディ、シンとは新たに抗争が開始。
全日もテリー(ファンクス)とブロディやシンの抗争を新たな看板にしようと。
またシークとは抗争継続。
だが、シークは81年で来日しなくなった。
ハンセン移籍でテリーの抗争相手はハンセンに。 >>436
これは良い試合だった
フイニッシュはドリーの空中胴締め ブッチャー
ファンクス
マスカラス
彼らが主役の頃の全日はこれまた味があった。
70年代後半から80年代初頭までだな。 ジュニア対ミスターレスリングのシングル戦を宮城で見たが
高度なテクニックの攻防は見応えがあった
最後は逆さ押さえ込みでジュニアが勝った 78年、日本で血の抗争してたドリーとシークが地球の裏側のデトロイトてタッグ組んでるだな。
https://www.youtube.com/watch?v=nM6w3hyxSEw
こんなの当時日本で表沙汰になったら全日の存亡にかかわる騒動になってたかも。 ザファンはやっぱりアブチャやザシクとの抗争が一番良かったのでは?
スタハやブルブだと明らかに劣勢で力の差を感じた。
またスタハやブルブはアブチャ、ザシクみたいな典型的な極悪ヒールではない。
ベビー対ヒールとの図式は変わらなかったが。
でもスタハやブルブはジャイバ、ジャンツ、リュウゲンとの対戦ではヒールにならず。
ザファンとの対戦の時には大ヒールへと変貌していった。 >>480
タジェシとドリファの体の差が凄い。
ドリファはこの頃は減量(病気?)で痩せ細っていた。
これはタジェシとザファンの初対決の時。
当時もリアル放送で見たが、タジェシ移籍二シリーズ目。
スタハがゼンニプロレに来なければタジェシももっと活躍できたかも。
タジェシとテリファは相性も良かったと思った。
アブチャとは違うが、テリファとタジェシもいい試合やってたと思うが。 物理的に短くなってるのに元の何倍も読みづらいんだからどうしようもない いつ頃か忘れたけど、くじ引きかなんかで兄弟対決になった事があったね。 大味ながら、ザファンとキラカの対決も異色だった。
柔よく剛を制した。
86年のサイキョタグリ公式戦でも対決している。 YOUTUBEで見た
テリーとハンセンがアメリカの河川敷で殴り合う試合が忘れられない 一、二年前に略語じじいが馴れ馴れしく話しかけてきたんで罵倒してやったら大発狂して粘着された
あれからあいつ、誰にも話しかけない独り言スタイルになったんだよなぁ
チキン野郎が(笑) WCWでフレアーvsテリー戦があったけど、この時テリーがスピニングトーホールドで
入場してなかったけど、これはビデオの差し替えだったのか本当に別の曲で入場されたのか。
あの曲以外で入場することなんてあったのかな? ファンクスのテーマ曲スピニングトーホールドは、日本のロックバンド・クリエーションが作った曲で日本限定。
テリーがアマリロでの自主興行でブレット・ハートと戦った際は、マカロニウエスタン調の曲が流れた。
恐らくテリー自身の選曲。 >>495
> あれからあいつ、誰にも話しかけない独り言スタイルになったんだよなぁ
あの野郎たしかに誰にもレスしてないよな
誰かにではなく「何かに」レスすることはたまにあるようだが >>496
テリーのWCWでのテーマ曲は『Once Upon a Time in the West』だな。
あの物悲しいハーモニカのテーマは、『スピニングトーホールド』とは真逆だw
日本ではあり得ない。 テリーの回転エビ固めが嫌いだったよ。
「なにが、テキサスブロンコだ?」と思ってた。 >>501
86年IWGP決勝戦は猪木>マードックで、セミの前あたりで前田&木戸vs外人で
前田が逆さ押さえ込みでピンして野次の嵐だった。
そえいえば、テリーのフィニッシュって何?
ブッチャー、シークらにスピニングトウホールドは決まってないよな? タイガージェットシンがカナダで「♪サーベルタイガー」を流して入場するはずもないだろ テリファとアブチャとの試合はホンマにおもしろかった! >>512
テリファとディクスレがアブブ軍と絡むのは熱かったなあ >>515
アブチャがテリファの胸にビール瓶の破片を突き刺した、80年のチャカニですな。 本物の省略はガラケーだよ
句読点も多くて無駄に長文で倒置法
最近の省略は真似してるレス乞食だろ
ただこの流れはまあネタみたいなもんだろ こいつが省略ガラケーだよ
自分のレス番を最初に書くことが多くて洒落に出来そうならしてる
最近省略しないのはアク禁にビビってるからw
634 お前名無しだろ (ガラプー KKae-vkHR) 2018/08/25(土) 13:30:24.43 ID:3BZU8R7cK
634 むさしだが、プロレスと空手は合わなそうだな。 初めて好きになった外タレが実は
ザ・ファンクスだった事に気付いた 海外でスピニングトーホールドを使用してなかってことは二人ともあまり
思い入れがなかったのかな。
ハンセンはメキシコ遠征でもサンライズを使用していたのに。 一口に海外と言っても広いけど、一般的にテリーは海外ではヒール役とされる
スピニング・トゥ・ホールドは思いっきり正義のヒーローみたいなテーマ曲だから悪役やってる時には不要なんでしょ
シンがカナダではサーベル・タイガーを使用していないみたいに 来日したら勝手にテレビ局が用意してるだけだし、ドリーとかあんまりそう言うので意気に感じるタイプじゃないっぽいし アンドレはMSGでもジャイアントプレス?
前に【世界のプロレス】でキマラの試合では入場は日本でのテーマと同じテーマ。
っちゅうかMSGと同じのを日本でも使用したのだろうが。
あのアフリカの民族舞踊みたいなテーマ。
キマラに合っていた。
アフリカのウガンダの人食い族出身という触れ込み。
こういうのが(少なくとも子供には)通用した時代が懐かしいわ。 ドリジュニのスタイルはアメリカではウケるんだろうか 第二回の夢のオールスター戦が実現していたらBI砲VSファンクスだったのかなあ?
ファン投票ではシン・ブチャー組に続く2位だったらしいけど猪木は飲まねえよな。むしろ鶴田藤波組が妥当かなあ >>530
いや、アンドレはNYではテーマ曲はなかった。
ただジャイアント・マシーンが逆輸入された時は『ジャイアントプレス』が使われたね。
カマラは日米であのテーマだったよ。84年くらいに使われ始めたと思う。
90年代だとWWFやWCW勢の来日で、そのテーマが日本でも使われるのが普通みたいになっていたけど。
80年代に日米両方で同じテーマ曲だったのって誰だろう?
思いつくところだと、
キマラ:アフリカ民族のイメージ曲
ウィリアムス:ボーン・イン・ザ・USA
ゴディ(&ヘイズ):フリーバード
マーテル:レッツ・ヒア・イット・フォー・ザ・ボーイ
ウォリアーズ:アイアンマン
こんなところしか思い浮かばない。
ちなみにカマラは今、集中治療室でケアされている状態で、かなり悪いらしい。 >>534
いわゆる外人引き抜き戦争前の開催でBI直接対決無しという仮定で
ファンクスVSハンセン・ホーガンあたりが濃厚かなあ
BIは前回に引き続きタッグというわけにはいかず、かと言ってシングル直接対決は絶望的に無理
なので馬場・鶴田組×猪木・坂口組が実現
当初のブックでは両リン引き分けというところ、猪木がブック破って鶴田をフルボッコ
同様に前回組んだ凶悪コンビも解消しブッチャー×シンの直接対決
こちらはブック通りノーコンテストで白黒つかず
などと妄想してみたw >>535
スカイハイ、吹けよ風、ブルーアイドソウル、
スーパーフライなんても日本限定だったのかな。 >>534
第1回の東スポ案で馬場が拒否したカード
「馬場vs猪木」「鶴田vs藤波」「馬場&猪木vs鶴田&藤波」「鶴田&藤波&原の三団体若獅子トリオ」「第1試合大仁田vs前田」
「健吾&星野vs極道」は星野と極道に日プロ崩壊時の遺恨があるからNG
「シンvsブッチャー」「佐藤vs藤原」はブッチャーと佐藤を潰す気か?とNG
猪木が唯一拒否したカード「馬場&猪木vsファンクス」は全日色が強すぎる。
馬場は過去に遺恨がある者の試合はNGで猪木は面白いからやらせろと言う。
当初、R木村vs坂口だったが猪木が「小林の方が遺恨があるから面白い」と提案し、吉原「どっちでもいい」
馬場に柔軟性がないからファンが見たいカード実現が難しい。 >>538
そう言えば小林はオールスター戦出場してないね?
大木と上田は拒否したみたいだが。
色々と二人の意にそぐわなかったみたいで。 >>537
知る限り『スカイハイ』と『吹けよ風・・・』は日本限定だったね。
マスカラスはWCWに上がった時は、スカイハイとは似ても似つかぬ曲だったよw
https://www.youtube.com/watch?v=tnYf5BKm9ws >>540
ストロング小林はセミでラッシャー木村と遺恨対決やってるよw >>542
そうだった、すんません。
セミなのに忘れてた、というより抜けてました。 シンニプロレでMSGリーグが流行ってた頃は、ゼンニプロレのザファンもまだ活き活きとしてて良かったな。
あの頃のバンベイ、バンビガ、ステウィとスタハ、ブルブ、テリゴの越境6人タッグも面白いカードだったろう。
今や、ほぼほぼテンゴクプロレに逝ったけれども、リキド、ジャイバ、ジャンツが蜷局をまいて待ち構えているだろう。 馬場が存命中にファンクスとして来日したのは1992年が最後かね >>546
そんなファンクスが2001年に新日ドームに上がったのは本当に驚いた。
テリーは1995年に一足早く新日に初登場。
時代が変わったと実感。
昭和の頃を知ってればファンクスが新日に上がるなんて絶対にあり得なかった。
引き抜き事件の際も新間は『ファンクス以外の主力外人全てに声を掛ける気構えはある』
『実質ファンクスは全日固定メンバーだからどう足掻いても無理』
『ファンクスは馬場と一心同体だからどんなに金を積んで、という次元ではない』
そんなコメントがあったくらいだし。 >>546
ドリファは日本人とよく組んでたけど、控室も日本人側?
テリファはあまり日本人と組まない >>548
いいから早く死ねよ
そもそも>>546のレスと全く関係ない質問してるんじゃねーよ知障
早く死ねよ >>548
それにテリーは日本人とよく組んだだろ。
主に馬場、鶴田、天龍のトップ勢だが。
でも昔の試合結果見ると『テリー、原』『テリー、石川』『テリー、井上』とかあったぞ。
たまにだが、そういう中堅層とも組んでた。 >>547
猪木が生涯のベストバウトとして現役時代から対ドリー戦60分ドローを挙げていた
一種のラブコールだと思うが当のファンクスは全く見向きもしなかったよな
それを考えると隔世の感がある
一心同体といえば1973-81の猪木とシンも同様だったと思う
「おれの力でニュージャパンをここまでメジャーにした」
「おれはニュージャパンのビジネスのために力を尽くした」
とシン自身が豪語していたし、それを否定する者もいなかった
事態が一変したのはテリーからの電話だった
シンが自宅にいた時、以下のような一報があったという
「ニュージャパンのエグゼクティブがアメリカに来てブッチャーと接触した
そこで契約書にサインが交わされたぞ」
それを聞いたシン、速攻で新日本プロレスへ折り返し電話をかけブッチャーとの契約は本当だとの回答を得る
シンはただ一言「ファック・ユー」といって電話を切ったという
「引き抜く」のは難しくても、強力な磁力を持ったキャラなら「押し出す」のは不可能ではないと思った事例 ブルブは、アブチャが良いライヴァルだった。
そこにザファンはアブチャ、ザシクと名勝負をしてたという評価もある。
結局、スタハ・ブルブ組 VS ザファン、又はロドウォのガチ真剣勝負が観たかった。 >>555
まだコピーが甘い
本物なら555だがと頭に付ける ブルブ?
タジェシとテリュゲ。
名勝負、連発であったなぁ〜! テリーはFMWに上がる関係で早くに全日離脱したけど、テリーがいなくなったあともドリーは全日に定期的に参戦してたね ドリーはワガママ放題で最終的には元子から切られた。 >>573
9 :お前名無しだろ (ガラプー KK4f-dXVR)[sage]:2018/09/16(日) 21:13:53.51 ID:XaVAqh7yK
訂正
>>1-7 >>10-999
お前らはチンポ派?それともチンコ派?
チン●を形容する時の話だ。
俺はチンポだな。 >>573
馬場の骨折→長期欠場も対ドリーが原因だよな
ロープ際で中途半端に馬場と絡んで場外転落した瞬間の白黒の静止画をよく覚えている
あの当時の馬場に大して腕力のない老いぼれのドリーがあの仕掛けは無いわーと思った
その頃から禍根のようなものでもあったのかな >>575
あれ、ドリーが昔からよくやってるムーブだから、あれを受けれなくなった馬場も同罪。
結果、馬場アンドレの負けない伝説が1年だけど持ったから、結果オーライ NWA世界ヘビーの連続防衛回数ってギネスに載ってる?
1年に100回は防衛戦やってたはずだから500回連続防衛くらいか? >>577
演劇のプロレスだからそれはないでしょうな。 >>578
演劇でも色々あるよ。
連続記録的なものなら、タモリの同一司会者による最多生放送バラエティ番組(「笑っていいとも!」5000回)
黒柳徹子による同一司会者番組の最多放送回数記録(「徹子の部屋」1万回) 581五杯(一気飲み)だが、
ドリーはガチでスタミナが凄かったらしい。 ファンクスは都内屋内大会場の全てに出てるんだよな
屋外の田コロだけはチームで出ていないが テリーが復帰を決意したのが田コロだったな。
田コロでハンセン、ブロディに袋叩きにされ大流血。
あんときは馬場、ドリーVSハンセン、ブロディだったか? 日プロ時代のファンクスってヒールコンビだったのかい?
NWA王者も基本ヒールが主流だったが 1995年にテリーが新日に上がった時に馬場のコメントとか聞く記者はいなかったんだろうか?
あと、ドリーが選手じゃなくレフェリーとしてUFOに上がってたよね
あの時期は馬場の存命時だったかな?
馬場の追悼ドームにファンクスが来なかったから、気になってたんだが…
3回忌ドームにはテリーは大仁田と組んで出たけどね
あとデストやブッチャーやマスカラスも出てた そういえば85,6年ぐらいにWWFに出た頃は
スパイとして送り込んだとか馬場が言ってたけど
公言していたらスパイでもなんでもないだろうという >>586
ドリーがレフェリーとしてUFO上がったのは99年3月14日(スバーンvs小川のNWA戦)で
馬場が亡くなった後 86年の長州vsテリー戦で試合を終えたドリ〜ーがスーツ姿でセコンドについてたけど、この時の姿がシニアソックリだった。髭生やして渋くなっていたし。 その長州対テリー、テリーがサソリでギブアップ、しかもドリーが助けようとしたのに負けるなんてよくあんなブック飲んだな
ドリーの手助けで反則負けでもよかったろうに >>590
その試合は元々は、フレアーのNWAに長州が挑戦する予定だった(PWFもかかっていたかな?)
もちろんチケットも売り出していた、それが直前になってフレアーの来日が中止
急場しのぎでテリーが代役で長州に挑戦する事になった
ここから先は想像でしかないけど
メインが代替カードの上、結末が不透明じゃあまりにもお客さんに失礼
せめて一応の決着だけは、というのがあの結末になったんではないかと…
あと別スレで以前によく言われていたのは、レフェリーのタイガー服部の独断でレフェリーストップにしたという説も。
そもそもあの試合は本当にテリーがギブアップの声を上げたの?という話もあるけど… こっぴどく負けたらもう一度立ち上がれテリー! みたいな流れになるって本人は思ってたんじゃないの
馬場的にはもう集客力もないのに高いギャラを要求するテリーへの制裁とかそんな程度だろうけど >>590
前に宝島本にはこう書いてあった。
テリーは反則負けになる位ならその前に潔くギブアップを選んだ。
かつての輝きは無くとも日本でトップを張り続けたテリー。
そのテキサスプロンコのプライド。
だからドリーの救出前にギブアップ表示を。
テリーは名誉ある敗北を選んだ。
まあこれもこの記事を書いた記者の思いに過ぎないけど。 595国語だが、
テリーマンのモデルとなったテリー 598コクわ、だが、
テリーは漫画キャラになったけんどもドリーはなってないか。 600だが、
日本ではドリーよりテリーの方が合っていたんだろな。 601無礼だが、
ドリファ テリファと表記してたバカは誰だ?
俺?
うるへー 波平 磯野父(57歳設定) ガラキチ、かなり高齢で実際にはのらくろとか読んでいた世代じゃないの >>601
なんか親しげに俺に絡んで罵倒されてから、一切他人との会話を拒むようになったよな
情けねーじじいだなお前(笑)
まあいいから早く死ねよ 家も車も妻子もいらぬ
>>601 はせめてスマホが欲しい 607群れな、だが、
テリー、復帰詐称がなければな >>608
シニアがちょくちょく乱入してたからヒールだね 610武藤だが、
全日後のファンクスは自然と脱ヒールとなった。
日プロ時代は外人=ヒールという図式の時代。 612無意に、だが、
>>611
日本では一回のみ。
アメリカではわからん。 >>7
一回アメリカ南部を特集したドキュメンタリー
見た事あるんだけど、南部というのは本当に大学フットボール熱高いん
だ。というよりアメリカのスポーツでNFLの次に大学フットボール
は人気がある。例えば、大学の有名選手はおそらく
南部のプロレス人気というのはこれに負うところが大きいんだろう。
大学の選手だけどNFLには行けないような選手が地元の団体でリングに上がる。
これが大きな要因なんだろうね。ファンクスなんて正にそういう選手だよ。 >>7
一回アメリカ南部を特集したドキュメンタリー
見た事あるんだけど、南部というのは本当に大学フットボール熱高いん
だ。というよりアメリカのスポーツでNFLの次に大学フットボール
は人気がある。おそらく南部のプロレス人気というのはこれに負うところが大きいんだろう。
大学の選手だけどNFLには行けないような選手が地元の団体でリングに上がる。
これが大きな要因なんだろうね。ファンクスなんて正にそういう選手だよ。 617無意な、だが、
無意な事を二回言うとるのも一理ないかんな。 85年ぐらいにWWF行ったとき馬場が「俺のスパイ」とか言ってたけど
そんなこと公言してるスパイという時点で無理すぎるとガキながら笑ってしまった
馬場とファンクスは大親友設定を守るためとはいえ なんだかんだいってもテーマ曲のスピニングトーホールドが鳴れば理屈無用の大興奮 手利井 気毒、土利井 妻健在?
佛茶引退興行、手利井 不参加、残念無念也。
他 芯 令酢 不参加。 煽りってみんなに読んでもらってなんぼなのに自ら読みにくくするアホw エロい女子プロレスラーは誰? [無断転載禁止]©2ch.net
214:お前名無しだろ (ガラプー KK1e-c4Bf)[]:2019/05/04(土) 21:48:56.00 ID:edO3BM0fK
井上貴子…(汗) 「天龍最後の大阪」と銘打って組まれた天龍テリー(+野沢)のタッグはテリーが肺炎でドリーに変更になり、
半年後の天龍引退ではテリーがセレモニーに来たもののドリーは来なかった 不安久酢来日、可能性低、残念無念。
佛茶 引退興行、手利井不参加。
土利井 参加。 テリー最後に秋山全日本が呼んでくれないかなぁ
ドリー呼べる実績あるんだから何とか兄弟そろって。いや、もう試合なんて
しなくていいから。 不安久酢 二人揃来日、今後皆無。
増烏 度酢烏、有。 57歳精神異常で無職のガラケーキチガイ…
そろそろ消えてほしい
いろんな意味で… >>634
貴様 早急死去希望。
貴様 生存価値皆無 物体也。 ファンクスノレイスツイトウコメントヲキキタイ。
フタリトモレイストハエンガアッタワケダシ。 ファンクスヤレイスハ、シンニチナラカナリオオキクミエタダロウナ。 >>621
むかし、あのラッキーコイン欲しかったなあ 78年ぐらいから82年まで、
全日本プロレスは基本的にファンクスが
エースだったよな。
鶴田はまだ星条旗パンツだったし
天龍は覚醒前。ロッキー羽田が第三の男
だったけど、全日本プロレスの日本人レスラー
応援してたちびっこなんていなかっただろ? >>644
ばかものが、ほんとうのえーすはぶっちゃーだろが。
いせきまえまではぶっちゃーちゅうしんだったんだよ。
てりーがえーすとみられていたが。
でもじつはとうじのぜんにちのえーすはぶっちゃー。
そのまわりにてりー、ばば、つるた、ほかがいじんがいた。 オマエラ臭えーぞー!
゙'. '.;`i i、 ノ .、
゙'. ,ト `i、 `i、 .、″
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` .,-''ヽ"` ヽ,,,、 !
、,、‐'゙l‐、 .丿 : ':、
、/ヽヽ‐ヽ、;,,,,,,,,,-.ッ:''` .,"-、
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,.イ:、ヽ/ー`-、-ヽヽヽ、 ´ .l゙`-、
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,<_ l_ヽ冫`'`-、;,,,、、、、.............,,,,、.-`": │ `i、
、、::|、、、ヽ,、、. ```: : : ``` 、.、'` .|丶、
.l","ヽ、,"、,"'、ぃ、、,、、、、.、、、.、、、_、.,,.ヽ´ l゙ ゙).._
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 ̄ \__、("二) ̄ ̄ ̄l二二l二二 _|_|__|_ テリーもさすがに引退だろうね。
全日全盛時代には晩年の姿は想像できなかった。
でもあれでテリー成功したし。 デストロイヤー追悼興業にはファンクスとして来日するのかね? 90年の最強タッグに地元に来ていたが面白かったな。20分ぐらい試合したけど飽きなかった
上手かったし、のらりくらりのテリーのファイトが良かった >>658
それを楽しめる人もいたろうが、イライラする人もいたんじゃね?
その時代だと ハンセンや長州のスタイルからしたらファンクスは退屈に見えたのだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています