ザ・ファンクスを語ろう [無断転載禁止]©2ch.net
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>>454
開幕戦でいきなりハンセン・スパイビーに負けたし テリーってブッチャーやハンセンにボコボコにされるだけで、フォール勝ちって一回も無いんじゃね
特にブッチャー、シークのフォークや五寸釘でザクザクに切り刻まれて血だるまになった耳などをアピールしてるSMショーは好きになれなかったな 一部放送カットとなった割れたビール瓶を胸に刺したあたりがピークだったな
そこまで行ったらそれ以上の演出は無いだろうと
後出しになるがマンネリと揶揄される前にちょうど良いタイミングでブッチャーは移籍したとも言える ファンクスとブッチャー・シークではファンクスは特別劣勢に見えなかった。
見た目のサイズではファンクスの方が大きかったし。
ブッチャーは厚みがあったが、シークは明らかにファンクスより小さかった。
また年齢も二人ともファンクスより上。
特にシークはかなり高齢に見えたから。
だから凶器や反則を駆使しなければ戦えないと。
そんな印象があった。
しかしファンクスとハンセン・ブロディは状況が違った。
ハンセン・ブロディはファンクスより大きくて動けた。
年もファンクスより若かったし。
特にハンセンの馬力見てるとファンクスとは桁違いに見えた。
ブッチャー・シークとは違ってハンセン・ブロディではファンクスは全く勝ち目がない。
そんな印象だった。 ハンセンとテリーって志村といかりやみたいに、
「お前それ絶対に私情絡んでるだろ」としか思えないほどハンパない攻防が見ものだったよな 外人選手が追っかけ女を食い散らかしてるのは表に出ない不思議 >>462
長州とやる前から終わってただろ
復帰直後の最強タッグだけであとは嘘みたいに人気なくなってたからね
引退前みたくガキが群がったりなんかしなくなった テリーは一度引退したからねえ。
しかも引退3年前の80年から引退宣言までして。
マスコミもファンを煽りまくり。
82年最強タッグは『最後のファンクス』とか。
そりゃあボロボロでもファンクスの優勝だわな。
まあ最後の最後にはさよならシリーズも敢行。
引退試合もそれまでにない前代未聞の大盛り上がりで。
それで僅か1年で復帰しても顰蹙買うだけだろ。
事実テリーは復帰後は以前程の人気は戻らなかった。
戻らないどころか人気は下がる一方で。
テリーも馬場もまたテリー人気が復活と読んでいたみたいだけど。
見事に当てが外れた。 >>469
当初はこの3年でブッチャーとの抗争に必ず決着を付けると宣言していた。
引退宣言から残り3年でブッチャーとの抗争にピリオド。
しかし3年も待たずに翌年にはブッチャーは新日に移籍してテリーの前から消えた。
そして新たな敵のハンセン。
テリーの前に菅を表したハンセンがブッチャーの後釜でテリーの怨敵に。
途中ブロディやシンがテリーの新ライバルになると思われた。
また残りの遺恨相手のシーク。
しかし何れもブッチャーと比べるとインパクトに欠けた。
※あくまでテリーの怨敵という面に於いては。
そういう意味ではハンセンは最適だった。
ブッチャーとは全くタイプは違うもののテリーの怨敵にピッタリ。
またハンセンもそれらを理解していい仕事したと思う。
テリーの時代も最初の引退までだな。
復帰後は全く別のテリーと見てる。 残酷ショーでただ大量に血を流すだけのブッチャーと違って、ハンセン、シン、ブロディとはまた違った新鮮な抗争を見せてくれたな
ところで81年って移籍する直前までブッチャーと激しくやりあっていたけど、シークとは当たったんだろうか?
同じツアーに来日しているから少なくともタッグで対戦してるはずなんだが、ちょっと記憶にないんだよな テリーとハンセンの遺恨は意味不明だったけどなあ。
ハンセンはファンク道場出身だし。意味がわからなかった。 >>471
テリーとシークは81年最強タッグ公式戦で対戦。
雑誌だとテリーはお約束の流血だったが。
まあブッチャーとハンセンがいない半年はブロディ、シン、シークと抗争。
ブロディ、シンとは新たに抗争が開始。
全日もテリー(ファンクス)とブロディやシンの抗争を新たな看板にしようと。
またシークとは抗争継続。
だが、シークは81年で来日しなくなった。
ハンセン移籍でテリーの抗争相手はハンセンに。 >>436
これは良い試合だった
フイニッシュはドリーの空中胴締め ブッチャー
ファンクス
マスカラス
彼らが主役の頃の全日はこれまた味があった。
70年代後半から80年代初頭までだな。 ジュニア対ミスターレスリングのシングル戦を宮城で見たが
高度なテクニックの攻防は見応えがあった
最後は逆さ押さえ込みでジュニアが勝った 78年、日本で血の抗争してたドリーとシークが地球の裏側のデトロイトてタッグ組んでるだな。
https://www.youtube.com/watch?v=nM6w3hyxSEw
こんなの当時日本で表沙汰になったら全日の存亡にかかわる騒動になってたかも。 ザファンはやっぱりアブチャやザシクとの抗争が一番良かったのでは?
スタハやブルブだと明らかに劣勢で力の差を感じた。
またスタハやブルブはアブチャ、ザシクみたいな典型的な極悪ヒールではない。
ベビー対ヒールとの図式は変わらなかったが。
でもスタハやブルブはジャイバ、ジャンツ、リュウゲンとの対戦ではヒールにならず。
ザファンとの対戦の時には大ヒールへと変貌していった。 >>480
タジェシとドリファの体の差が凄い。
ドリファはこの頃は減量(病気?)で痩せ細っていた。
これはタジェシとザファンの初対決の時。
当時もリアル放送で見たが、タジェシ移籍二シリーズ目。
スタハがゼンニプロレに来なければタジェシももっと活躍できたかも。
タジェシとテリファは相性も良かったと思った。
アブチャとは違うが、テリファとタジェシもいい試合やってたと思うが。 物理的に短くなってるのに元の何倍も読みづらいんだからどうしようもない いつ頃か忘れたけど、くじ引きかなんかで兄弟対決になった事があったね。 大味ながら、ザファンとキラカの対決も異色だった。
柔よく剛を制した。
86年のサイキョタグリ公式戦でも対決している。 YOUTUBEで見た
テリーとハンセンがアメリカの河川敷で殴り合う試合が忘れられない 一、二年前に略語じじいが馴れ馴れしく話しかけてきたんで罵倒してやったら大発狂して粘着された
あれからあいつ、誰にも話しかけない独り言スタイルになったんだよなぁ
チキン野郎が(笑) WCWでフレアーvsテリー戦があったけど、この時テリーがスピニングトーホールドで
入場してなかったけど、これはビデオの差し替えだったのか本当に別の曲で入場されたのか。
あの曲以外で入場することなんてあったのかな? ファンクスのテーマ曲スピニングトーホールドは、日本のロックバンド・クリエーションが作った曲で日本限定。
テリーがアマリロでの自主興行でブレット・ハートと戦った際は、マカロニウエスタン調の曲が流れた。
恐らくテリー自身の選曲。 >>495
> あれからあいつ、誰にも話しかけない独り言スタイルになったんだよなぁ
あの野郎たしかに誰にもレスしてないよな
誰かにではなく「何かに」レスすることはたまにあるようだが >>496
テリーのWCWでのテーマ曲は『Once Upon a Time in the West』だな。
あの物悲しいハーモニカのテーマは、『スピニングトーホールド』とは真逆だw
日本ではあり得ない。 テリーの回転エビ固めが嫌いだったよ。
「なにが、テキサスブロンコだ?」と思ってた。 >>501
86年IWGP決勝戦は猪木>マードックで、セミの前あたりで前田&木戸vs外人で
前田が逆さ押さえ込みでピンして野次の嵐だった。
そえいえば、テリーのフィニッシュって何?
ブッチャー、シークらにスピニングトウホールドは決まってないよな? タイガージェットシンがカナダで「♪サーベルタイガー」を流して入場するはずもないだろ テリファとアブチャとの試合はホンマにおもしろかった! >>512
テリファとディクスレがアブブ軍と絡むのは熱かったなあ >>515
アブチャがテリファの胸にビール瓶の破片を突き刺した、80年のチャカニですな。 本物の省略はガラケーだよ
句読点も多くて無駄に長文で倒置法
最近の省略は真似してるレス乞食だろ
ただこの流れはまあネタみたいなもんだろ こいつが省略ガラケーだよ
自分のレス番を最初に書くことが多くて洒落に出来そうならしてる
最近省略しないのはアク禁にビビってるからw
634 お前名無しだろ (ガラプー KKae-vkHR) 2018/08/25(土) 13:30:24.43 ID:3BZU8R7cK
634 むさしだが、プロレスと空手は合わなそうだな。 初めて好きになった外タレが実は
ザ・ファンクスだった事に気付いた 海外でスピニングトーホールドを使用してなかってことは二人ともあまり
思い入れがなかったのかな。
ハンセンはメキシコ遠征でもサンライズを使用していたのに。 一口に海外と言っても広いけど、一般的にテリーは海外ではヒール役とされる
スピニング・トゥ・ホールドは思いっきり正義のヒーローみたいなテーマ曲だから悪役やってる時には不要なんでしょ
シンがカナダではサーベル・タイガーを使用していないみたいに 来日したら勝手にテレビ局が用意してるだけだし、ドリーとかあんまりそう言うので意気に感じるタイプじゃないっぽいし アンドレはMSGでもジャイアントプレス?
前に【世界のプロレス】でキマラの試合では入場は日本でのテーマと同じテーマ。
っちゅうかMSGと同じのを日本でも使用したのだろうが。
あのアフリカの民族舞踊みたいなテーマ。
キマラに合っていた。
アフリカのウガンダの人食い族出身という触れ込み。
こういうのが(少なくとも子供には)通用した時代が懐かしいわ。 ドリジュニのスタイルはアメリカではウケるんだろうか 第二回の夢のオールスター戦が実現していたらBI砲VSファンクスだったのかなあ?
ファン投票ではシン・ブチャー組に続く2位だったらしいけど猪木は飲まねえよな。むしろ鶴田藤波組が妥当かなあ >>530
いや、アンドレはNYではテーマ曲はなかった。
ただジャイアント・マシーンが逆輸入された時は『ジャイアントプレス』が使われたね。
カマラは日米であのテーマだったよ。84年くらいに使われ始めたと思う。
90年代だとWWFやWCW勢の来日で、そのテーマが日本でも使われるのが普通みたいになっていたけど。
80年代に日米両方で同じテーマ曲だったのって誰だろう?
思いつくところだと、
キマラ:アフリカ民族のイメージ曲
ウィリアムス:ボーン・イン・ザ・USA
ゴディ(&ヘイズ):フリーバード
マーテル:レッツ・ヒア・イット・フォー・ザ・ボーイ
ウォリアーズ:アイアンマン
こんなところしか思い浮かばない。
ちなみにカマラは今、集中治療室でケアされている状態で、かなり悪いらしい。 >>534
いわゆる外人引き抜き戦争前の開催でBI直接対決無しという仮定で
ファンクスVSハンセン・ホーガンあたりが濃厚かなあ
BIは前回に引き続きタッグというわけにはいかず、かと言ってシングル直接対決は絶望的に無理
なので馬場・鶴田組×猪木・坂口組が実現
当初のブックでは両リン引き分けというところ、猪木がブック破って鶴田をフルボッコ
同様に前回組んだ凶悪コンビも解消しブッチャー×シンの直接対決
こちらはブック通りノーコンテストで白黒つかず
などと妄想してみたw >>535
スカイハイ、吹けよ風、ブルーアイドソウル、
スーパーフライなんても日本限定だったのかな。 >>534
第1回の東スポ案で馬場が拒否したカード
「馬場vs猪木」「鶴田vs藤波」「馬場&猪木vs鶴田&藤波」「鶴田&藤波&原の三団体若獅子トリオ」「第1試合大仁田vs前田」
「健吾&星野vs極道」は星野と極道に日プロ崩壊時の遺恨があるからNG
「シンvsブッチャー」「佐藤vs藤原」はブッチャーと佐藤を潰す気か?とNG
猪木が唯一拒否したカード「馬場&猪木vsファンクス」は全日色が強すぎる。
馬場は過去に遺恨がある者の試合はNGで猪木は面白いからやらせろと言う。
当初、R木村vs坂口だったが猪木が「小林の方が遺恨があるから面白い」と提案し、吉原「どっちでもいい」
馬場に柔軟性がないからファンが見たいカード実現が難しい。 >>538
そう言えば小林はオールスター戦出場してないね?
大木と上田は拒否したみたいだが。
色々と二人の意にそぐわなかったみたいで。 >>537
知る限り『スカイハイ』と『吹けよ風・・・』は日本限定だったね。
マスカラスはWCWに上がった時は、スカイハイとは似ても似つかぬ曲だったよw
https://www.youtube.com/watch?v=tnYf5BKm9ws >>540
ストロング小林はセミでラッシャー木村と遺恨対決やってるよw >>542
そうだった、すんません。
セミなのに忘れてた、というより抜けてました。 シンニプロレでMSGリーグが流行ってた頃は、ゼンニプロレのザファンもまだ活き活きとしてて良かったな。
あの頃のバンベイ、バンビガ、ステウィとスタハ、ブルブ、テリゴの越境6人タッグも面白いカードだったろう。
今や、ほぼほぼテンゴクプロレに逝ったけれども、リキド、ジャイバ、ジャンツが蜷局をまいて待ち構えているだろう。 馬場が存命中にファンクスとして来日したのは1992年が最後かね >>546
そんなファンクスが2001年に新日ドームに上がったのは本当に驚いた。
テリーは1995年に一足早く新日に初登場。
時代が変わったと実感。
昭和の頃を知ってればファンクスが新日に上がるなんて絶対にあり得なかった。
引き抜き事件の際も新間は『ファンクス以外の主力外人全てに声を掛ける気構えはある』
『実質ファンクスは全日固定メンバーだからどう足掻いても無理』
『ファンクスは馬場と一心同体だからどんなに金を積んで、という次元ではない』
そんなコメントがあったくらいだし。 >>546
ドリファは日本人とよく組んでたけど、控室も日本人側?
テリファはあまり日本人と組まない >>548
いいから早く死ねよ
そもそも>>546のレスと全く関係ない質問してるんじゃねーよ知障
早く死ねよ >>548
それにテリーは日本人とよく組んだだろ。
主に馬場、鶴田、天龍のトップ勢だが。
でも昔の試合結果見ると『テリー、原』『テリー、石川』『テリー、井上』とかあったぞ。
たまにだが、そういう中堅層とも組んでた。 >>547
猪木が生涯のベストバウトとして現役時代から対ドリー戦60分ドローを挙げていた
一種のラブコールだと思うが当のファンクスは全く見向きもしなかったよな
それを考えると隔世の感がある
一心同体といえば1973-81の猪木とシンも同様だったと思う
「おれの力でニュージャパンをここまでメジャーにした」
「おれはニュージャパンのビジネスのために力を尽くした」
とシン自身が豪語していたし、それを否定する者もいなかった
事態が一変したのはテリーからの電話だった
シンが自宅にいた時、以下のような一報があったという
「ニュージャパンのエグゼクティブがアメリカに来てブッチャーと接触した
そこで契約書にサインが交わされたぞ」
それを聞いたシン、速攻で新日本プロレスへ折り返し電話をかけブッチャーとの契約は本当だとの回答を得る
シンはただ一言「ファック・ユー」といって電話を切ったという
「引き抜く」のは難しくても、強力な磁力を持ったキャラなら「押し出す」のは不可能ではないと思った事例 ブルブは、アブチャが良いライヴァルだった。
そこにザファンはアブチャ、ザシクと名勝負をしてたという評価もある。
結局、スタハ・ブルブ組 VS ザファン、又はロドウォのガチ真剣勝負が観たかった。 >>555
まだコピーが甘い
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