ザ・ファンクスを語ろう [無断転載禁止]©2ch.net
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いま改めて思えば、ファンクスは実力のドリーに人気のテリーという感じだったけど、プロレスの試合を面白く
作り上げていくセンスはテリーが圧倒的に上だったと思う テリーの試合は自由奔亡というか試合の流れやヤマを自在に
作り上げていって最後は勝ち負け関係なくテリーの世界になってしまう 全日でやったアレックススミルノフ戦だったか、試合が
スミルノフ有利に流れてたのをギロチンドロップ一発で形成を変えてしまい、もう名人芸しかいいようがなかった
70年代の試合で、新人のバックランドと組んで宿敵キニスキーと名前わからん小悪党のコンビとの試合を見たがもうテリー自由自在
小悪党をつかまえていじめ抜き、怒ったキニスキーが出てくるとリング内外を逃げ回る キニスキーがなんとか
テリーを捕まえてシュミット式バックブリーカーをブチ込んで勝ったが、試合は完全にテリーのモノ、まるで目立てなかったバック
ランドは試合終わってから小悪党にドロップキックいれてたけど手遅れ あぜんとしてた。とにかく
テリーは目立つんだわ おいしいところはすべてさらっていくし ブルブの引き抜き時にはアノキよりスタハが怒っていた。
ジャイバは許さないとか。
最初にアブチャを引き抜かれた時には。
だからブルブとアブチャがあの頃に試合やればガチ不穏試合になったはず。
もしもシングル組まれたら。
スタハVSテリファは作られた遺恨試合。
むしろ両者に信用信頼があったから名勝負にもなった。
でもアブチャとなら信用信頼は全くない。
特にテリーには。
いくらスーパーベビー同士でも試合になればギクシャクしたはず。
名勝負にはならなかっただろう。
不穏な中から危険な試合展開で逆に面白い試合になったかも。 80年頃にテリファとアノキの対決があればどうなっていたか?
結果はともかく客の反応が気になる気になる気になる木。
客の反応が気になるな。
アノキコールとテリファコール。
当時のゼンニプロレではテリファはジャイバ以上の人気だったし。 スピニングトーホールドが鳴れば細かい事なんかどうでも良いという感じ スピトにホノファが鳴れば館内大熱狂。
アノキとテリファの対決は見たかった。
80年か81年がピークだろうな。
でもアブチャやタジェシ引き抜きで信頼関係はない。
特にテリファはアノキ、シンニプロレを本気で潰そうとした。
スタハ引き抜きは正にそれ。 大貢献したザファンを称えよう。
今もリングに上がるドリファコールを。
ドーリーファッドーリーファッドーリーファッドーリーファッドーリーファッ
ドーリーファッドーリーファッドーリーファッドーリーファッドーリーファッ
ついでにまだ引退してないテリファコールも送ろう。
テーリーファッテーリーファッテーリーファッテーリーファッテーリーファッ
テーリーファッテーリーファッテーリーファッテーリーファッテーリーファッ >>115
アンイ→アノキ
チョシュリ→チョリキ
チョノマ→チョマサ
所々で変わってる。
ならサヴーは? ファンクスも日プロ時代はヤングフレッシュ兄弟と言われてたみたいだな。
馬場、猪木との対決でも日米若き対決とか。
まあ日プロ時代の四人の年齢考えたら当然だけど。 89年の最強タッグ出場してほしかった
ファンクスvsブッチャー&シン
ファンクスvsキッド&スミス
実現したのに >>405
同感。
88年か89年にファンクスが参加してたらブッチャー シンとの対決が実現した。
これは見たかった。
そうなれば互いに持ち味発揮で。
このカードなら最終戦の武道館か大阪だな。
ブッチャー シークとは一味違う展開が。
テリーとブッチャーが流血してシンとドリーは流血せず。
いずれにせよ惜しかった。
何故か入れ違い。
・87年ファンクス参加
・88年ブッチャー シン参加
・89年ブッチャー シン参加
・90年ファンクス参加
ブッチャーとテリーはもちろんだが、シンとテリーも相性合ったと思う。 88年はファンクスが完全不参加の最初の年だったんだよな
90年で最後の揃い踏みをした時は完全に衰えていて馬場の長期欠場を引き起こした事だけが特筆になった 90年最強タッグリーグのファンクス×ブッチャー・キマラはなかなか見応えがあった
互いに優勝争いから脱落していた消化試合とはいえ、
最終日蔵前で当たったものだからここぞとばかりブッチャーもテリーも出血大サービスw
あんたら事前に打ち合わせしてたんかと思わせるほど抜群のあうんの呼吸を見せてくれた
最後はブッチャー&キマラが血ダルマになりながら四方におじぎパフォーマンスで拍手喝采 衰えてたからこそ、ランドオブジャイアンツに勝った試合は感動しちゃったけど >>406
知らなかった
結構お互い元気な時に対戦してたんだな 超世代軍や殺人魚雷とはどういう試合をしていたかも気になる >>412
最強タッグの時にファンクスvs殺人魚雷を観に行ったけど
序盤は互角だったけど5分過ぎから25分あたりまで殺人魚雷がほぼ攻めてた(ほとんどテリーが捕まる)25分過ぎからファンクスも攻めたが結局ドローだった
会場は大盛り上がりだった セミで予定してた
三沢・川田vs馬場・アンドレが三沢欠場で無くなったのはショックだったな 二十分間も耐えたテリーが凄い
初期の四十五分だったらどうなっていたか >>414
飲みの席で川田が三沢を殴って負傷させて三沢欠場ってこの年だよね。 >>390
そのとおり!
テリーは本当に千両役者だったよね。 >>419
なんでスレによってバンビガキャラだったり普通だったりするの?
キチガイのフリするなら徹底しろよw ブルブはドリファ
スタハはテリファ
ジャンツはブルブ
ジャイバはスタハ
やっぱ相性が合う合わないっちゅうのはあるな。
リュウゲンもスタハと相性が合ったな。 知り合いから教えてもらった簡単確実稼げる秘密の方法
知りたい方だけみるといいかもしれません
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AD828 ファンクスとして、最後の最強タッグ参加となった1990年のテレビ中継でランドオブジャイアンツとの公式戦見たけど、館内盛り上がってたね ザファンがシンニプロレに登場したときゃ驚いたなあ。
フジナ、ボブバと対戦も凄い。
まあ更に後々にはシンニプロレでアブチャとテリファがタグチで対決だもんな。
更にチョリキと組んで。
チョマサやナカニもいたが。 2001年10月のドームだったか
ドリーとしてはそれが唯一の新日本出場だったか ファンクスは本当に偉大だった。
メガパワーズやスタイナー兄弟との試合も見たかったな。 初めて、ファンクス見たとき
親戚の叔父さんに、ドリーは何でハゲてるのって聞いたら
若ハゲって教えてくれたよ メガパワーズって谷津ハクだっけ?
スタイナー兄弟とはリズムが合わないのでは? メガパワーズってホーガン・サベージ組の名称じゃなかったっけ >>405
ファンクスvsキッド&スミスは91年でも
岡山とか高松の地方都市で行われてたね。 ファンクスとマレンコ兄弟の対戦をテレビ中継で見た記憶があったけど、1990年頃久々に来たときだったかな ザファンはダイキ、デビスとは84年と90年の二回対戦か。
サイキョタグリ公式戦で。
他のシリーズでも対戦してそうだが。 復帰後のテリファはチャプリみたいだったな。
スパヒ路線から破天荒なお笑い路線に。
テリファも復帰直後のファンの反応で色々悟ったんだろう。
前みたいな人気バクハは無理だと。
そんなら路線変更と。
ドリファの場合は年取ってもそのまんまのスタイルだった。
ミルマもスタイルは変わらず。
ドリファもミルマも同じスタイルで昔みたいに動けなくなっただけ。
テリファはスタイルが変わり。
またインディぺ時代にはデスマもやり。
テリファは幅広いスタイルだったな。 今日は大阪でカクタス・ホスと対戦した日
まさかカクタスがその後あそこまでなるとは誰も予想できなかったか ブッチャーのフォーク攻撃では
一刺し100万
テリーファンクは金に困ってたから
刺されるたびに喜んでた! ブッチャーがWWEの殿堂入りに選ばれた時、プレゼンテーターをテリーが務めた
その時ブッチャーは茶目っ気たっぷりにフォークを持参していた
テリーは満面の笑顔で、
「俺たちはこれ(フォーク)で、ジャパンでたっぷり稼がせてもらったんだ」と一言
一振り100万とか金に困っていたかは不明だが、カッポリ儲けたのは事実 >>430
ホーガン&サベージ
谷津&ハクはナチュラルパワーズ ブッチャーもテリーもあの試合で日本では大ブレイクしたからね。
思い入れは半端じゃないだろう。
あの試合がなければ二人ともただの人気外人で終わった可能性も。 デンって何だよ?
テリーもブッチャーも同じ試合で互いに大ブレイクしたのも面白い。
普通はどちらか片方が大ブレイクなんだが双方が大ブレイク。
猪木とシンはシンが大ブレイクだし。
猪木は元々確固たる地位があった。
その猪木相手にシンが大ブレイク。
藤波と長州も同じく。
既にステータスを築いていた藤波相手に長州が大ブレイクした。
長州の場合は結果的に大ブレイクしすぎて藤波を抜いてしまった。
しかしテリーとブッチャーは二人が同じ試合で。
その前から二人ともそれなりの地位はあったみたいで。
ただあの試合で爆発的な人気を得て。 デン…殿堂入りね。
いま思うとブッチャーは
何であそこまでテリーに
凶器攻撃をしたんだろう。
明らかに馬場や鶴田に
対してとは違う。
テリーからの依頼なんかな。 https://youtu.be/zqGT0MPFwbE?t=64
ブッチャーがタネ明かししてたけど、例えば実際のフォーク攻撃は01:29-のように寝かせて刺していた
いくらテリーと合意してやったこととはいえ、対戦相手をケガで欠場に追い込んだらメシの種がなくなるからな
ただ世界最強タッグリーグ決勝戦みたいにシリーズ最終日は、
明日のことを考えなくていいのでちょっとエスカレートすることはあっただろうけど
おまけ
https://www.youtube.com/watch?v=-Rll-_qpYYw
ブッチャーがレストランを開業して間もない頃の取材 最強タッグネタになるが、
この77年にラシク&クラップが参加してたら面白かった。
ブッチャー&シークとの試合は見もの。 1987年頃までのファンクスはまだ見れたが、数年後に久しぶりに来た時の姿見たときはさすがに厳しいと思ったな wikiによるとテリーは87-88年頃、WWEでも引退宣言してしばらくは俳優業に専念していたとのこと
ドリーはわからん https://www.youtube.com/watch?v=5UAwJlF4Qtk
テリーのオフィスでインタビュー
01:30 サブゥーの仲介で故ザ・シークに捧げたとされるブッチャーとのスリーショットが見られる テリーとブッチャーが昔から強い信頼関係にあったのはいい話だ。
当時なら夢が壊れた心境だろうけど。 >>454
開幕戦でいきなりハンセン・スパイビーに負けたし テリーってブッチャーやハンセンにボコボコにされるだけで、フォール勝ちって一回も無いんじゃね
特にブッチャー、シークのフォークや五寸釘でザクザクに切り刻まれて血だるまになった耳などをアピールしてるSMショーは好きになれなかったな 一部放送カットとなった割れたビール瓶を胸に刺したあたりがピークだったな
そこまで行ったらそれ以上の演出は無いだろうと
後出しになるがマンネリと揶揄される前にちょうど良いタイミングでブッチャーは移籍したとも言える ファンクスとブッチャー・シークではファンクスは特別劣勢に見えなかった。
見た目のサイズではファンクスの方が大きかったし。
ブッチャーは厚みがあったが、シークは明らかにファンクスより小さかった。
また年齢も二人ともファンクスより上。
特にシークはかなり高齢に見えたから。
だから凶器や反則を駆使しなければ戦えないと。
そんな印象があった。
しかしファンクスとハンセン・ブロディは状況が違った。
ハンセン・ブロディはファンクスより大きくて動けた。
年もファンクスより若かったし。
特にハンセンの馬力見てるとファンクスとは桁違いに見えた。
ブッチャー・シークとは違ってハンセン・ブロディではファンクスは全く勝ち目がない。
そんな印象だった。 ハンセンとテリーって志村といかりやみたいに、
「お前それ絶対に私情絡んでるだろ」としか思えないほどハンパない攻防が見ものだったよな 外人選手が追っかけ女を食い散らかしてるのは表に出ない不思議 >>462
長州とやる前から終わってただろ
復帰直後の最強タッグだけであとは嘘みたいに人気なくなってたからね
引退前みたくガキが群がったりなんかしなくなった テリーは一度引退したからねえ。
しかも引退3年前の80年から引退宣言までして。
マスコミもファンを煽りまくり。
82年最強タッグは『最後のファンクス』とか。
そりゃあボロボロでもファンクスの優勝だわな。
まあ最後の最後にはさよならシリーズも敢行。
引退試合もそれまでにない前代未聞の大盛り上がりで。
それで僅か1年で復帰しても顰蹙買うだけだろ。
事実テリーは復帰後は以前程の人気は戻らなかった。
戻らないどころか人気は下がる一方で。
テリーも馬場もまたテリー人気が復活と読んでいたみたいだけど。
見事に当てが外れた。 >>469
当初はこの3年でブッチャーとの抗争に必ず決着を付けると宣言していた。
引退宣言から残り3年でブッチャーとの抗争にピリオド。
しかし3年も待たずに翌年にはブッチャーは新日に移籍してテリーの前から消えた。
そして新たな敵のハンセン。
テリーの前に菅を表したハンセンがブッチャーの後釜でテリーの怨敵に。
途中ブロディやシンがテリーの新ライバルになると思われた。
また残りの遺恨相手のシーク。
しかし何れもブッチャーと比べるとインパクトに欠けた。
※あくまでテリーの怨敵という面に於いては。
そういう意味ではハンセンは最適だった。
ブッチャーとは全くタイプは違うもののテリーの怨敵にピッタリ。
またハンセンもそれらを理解していい仕事したと思う。
テリーの時代も最初の引退までだな。
復帰後は全く別のテリーと見てる。 残酷ショーでただ大量に血を流すだけのブッチャーと違って、ハンセン、シン、ブロディとはまた違った新鮮な抗争を見せてくれたな
ところで81年って移籍する直前までブッチャーと激しくやりあっていたけど、シークとは当たったんだろうか?
同じツアーに来日しているから少なくともタッグで対戦してるはずなんだが、ちょっと記憶にないんだよな テリーとハンセンの遺恨は意味不明だったけどなあ。
ハンセンはファンク道場出身だし。意味がわからなかった。 >>471
テリーとシークは81年最強タッグ公式戦で対戦。
雑誌だとテリーはお約束の流血だったが。
まあブッチャーとハンセンがいない半年はブロディ、シン、シークと抗争。
ブロディ、シンとは新たに抗争が開始。
全日もテリー(ファンクス)とブロディやシンの抗争を新たな看板にしようと。
またシークとは抗争継続。
だが、シークは81年で来日しなくなった。
ハンセン移籍でテリーの抗争相手はハンセンに。 >>436
これは良い試合だった
フイニッシュはドリーの空中胴締め ブッチャー
ファンクス
マスカラス
彼らが主役の頃の全日はこれまた味があった。
70年代後半から80年代初頭までだな。 ジュニア対ミスターレスリングのシングル戦を宮城で見たが
高度なテクニックの攻防は見応えがあった
最後は逆さ押さえ込みでジュニアが勝った 78年、日本で血の抗争してたドリーとシークが地球の裏側のデトロイトてタッグ組んでるだな。
https://www.youtube.com/watch?v=nM6w3hyxSEw
こんなの当時日本で表沙汰になったら全日の存亡にかかわる騒動になってたかも。 ザファンはやっぱりアブチャやザシクとの抗争が一番良かったのでは?
スタハやブルブだと明らかに劣勢で力の差を感じた。
またスタハやブルブはアブチャ、ザシクみたいな典型的な極悪ヒールではない。
ベビー対ヒールとの図式は変わらなかったが。
でもスタハやブルブはジャイバ、ジャンツ、リュウゲンとの対戦ではヒールにならず。
ザファンとの対戦の時には大ヒールへと変貌していった。 >>480
タジェシとドリファの体の差が凄い。
ドリファはこの頃は減量(病気?)で痩せ細っていた。
これはタジェシとザファンの初対決の時。
当時もリアル放送で見たが、タジェシ移籍二シリーズ目。
スタハがゼンニプロレに来なければタジェシももっと活躍できたかも。
タジェシとテリファは相性も良かったと思った。
アブチャとは違うが、テリファとタジェシもいい試合やってたと思うが。 物理的に短くなってるのに元の何倍も読みづらいんだからどうしようもない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています