ザ・ファンクスを語ろう [無断転載禁止]©2ch.net
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ここで見れるよ。
https://www.youtube.com/watch?v=WxM1GsTvgKE
ハンセン「自分はテリーほど強く殴ったレスラーはいない。またテリーも自分ほどに強く殴った相手はいない。」
「テリーを殴っても『この男は本当に効いているのか?』と思っていた。」
だからこそ2人の戦いはスリリングだったんだな。ウエスト・テキサスから不思議な因縁で結ばれた2人。
ハンセンがアメリカで出版した自伝『The Last Outlaw』を読むと、
デビュー時代のハンセンにとってテリーとマードックがいかに身近な存在だったかよく分かる。 ドリーは83年辺りまでは太ももはパンパンだったな。 90年にファンクスが最強タッグに参戦していたけど、まともに負けたのが
ハンセン&スパイビー組のみであとは時間切れ引き分けや両者リングアウトと
そこまで悪い扱いではなかったように思える。 ファンクスの試合で楽しかったの、ない。
ツマンネ、なんで人気あんねん!って。
アイドル(笑) >>195
テリーはオーバーアクションが酷好きて本当に効いてるのか演技なのか全く分からない。 ドリーが世界戦で馬場をテキサスブロンコスープレックスで投げたのは有名だが
YouTubeでテリーがタッグだったかシングルだったかで馬場をダブルアームで投げていた記憶があるんですよ
おおおおと思ったがその動画が探せない
テリーだとおもって実はドリーだったかも?
とにかく馬場がサイドスープレックスでなくダブルアームで投げられるなんてファンクス以外ありえないね ビルロビンソンはまったく馬場に歯が立たなかったね
ロビンソンは自分のスタイルの押し付けしかしないから馬場の評価は低かった
でもスター選手だからUN持たせたりはしていた
それなのにロビンソンは馬場はレスリングがまったく出来ないと書いていたな 昭和54年位からのロビンソンは衰え激しかったね。
ドリーは昭和55年のウェートダウンから下り坂になったね。
テリーは引退までかな。
でも1985年はかなり復活していたけどね。 91年の最強タッグで三沢川田と30分時間切れ引き分けをしてるが
どんな試合内容だったんだろう 雑誌によると三沢光晴と川田利明がザファンクスに合わせた試合だったと。
要するにグダグダな試合だったのは容易に察しが付く。
三沢光晴のエルボー、川田利明のキックも威力半減以下だったろう。
週刊プロレスにも週刊ゴングにも同じ様に書いてあった。
どちらかは忘れたが、『ザファンクスワールドに(三沢光晴と川田利明が)はまった』と。
ザファンクス上げ。
年齢的にザファンクスが、現役バリバリ相手にガンガンやっての30分フルタイムはキツイ。
三沢光晴も川田利明も20代だったし。
放送されたかは覚えてない。
仮に放送されたとしても見ていて内容は忘れたパターン。
でもザファンクスが1990年に世界最強タッグ決定リーグ戦に参加するとは。
しかもアブドラーザブッチャーまで。
10年前ならこのカードが世界最強タッグ決定リーグ戦の中心だった。
世界最強タッグ決定リーグ戦どころかその時代の全日本プロレスリングを象徴するカード。
しかし10年でメンバーは様変わり。
当たり前だよな。
10年でメンバーが様変わりしてなければ終わってる。
新日本プロレスリングだって1980年から1990年の10年でメンバーは様変わりしてるし。
10年で何人の人間が亡くなって、何人の人間が誕生すると思っとるんじゃい、お前ら。 フルネームに「・」を打たないの読みづらいからやめろ。 90最強タッグ三沢川田vsファンクス、新潟市体育館で観たけど、そんなに酷く無かったけどな
25年以上前の話なので細部まで記憶してないが、上り調子の超世代軍の勢いとファンクスの貫禄&客を沸かせる術がマッチして20分経過以降は観客総立ちで盛り上がりの好試合だったね
この試合ノーテレビだったが、もう一つ新潟市体育館のノーテレビで凄かったのは84年の鶴龍コンビvsキッドスミス。
これも全国のファンに見せたかった好勝負だった。 どっちかが三沢のタイガードライバー喰らったりしたの? >>209
当時の週プロに確か「試合前はファンクスの握手を無視した三沢、川田が試合後は自ら進んで握手を求めた。」と書いてあった。
2人とも30分の中でファンクスに何か認めるものを感じたんだろうね。 まだこの時点での三沢・川田もアジアタッグ卒業レベルで優勝戦線まで絡めていない この時点での三沢光晴はジャンボ鶴田も破ってるからトップレス、いやっトップ陣の一角だろ。
川田利明はまだまだだけど。
まあザファンクス自体が既に“過去の遺物”だったかんな。
当然ザファンクスは優勝戦線に残れず。
スタンハンセンダニースパイビーも優勝できず。
ダニースパイビーはまだしもスタンハンセンが優勝できずで。
しかも優勝決定戦でそのスタンハンセンが時間ギリギリ丸め込まれてフォールされて。
まあこの年は新たな顔のスティーブウイリアムスとテリーゴディ優勝は妥当かな。
ジャンボ鶴田 田上明も優勝できずだが。
田上明もまだ顔じゃない、と。
でもこの1990年世界最強タッグ決定リーグ戦は昔の顔が揃ってた。
ザファンクス アブドラーザブッチャー ディックスレーターと。
ディックスレーターなんかこの時はまだ37歳だから当時からしたらトシでもなかった。
若い頃から来日していたから昔の顔に見えたが。
しかしテリーファンク引退試合の相手のスタンハンセンとテリーゴディ。
まさかザファンクスがその7年も後にスタンハンセンとテリーゴディと対戦とは思わなかった。
しかも世界最強タッグ決定リーグ戦で。
それもスタンハンセンとテリーゴディはそれぞれ別々にタッグパートナーを従えて。
またザファンクスとアブドラーザブッチャーも然り。
かつての世界最強タッグ決定リーグ戦の顔のザファンクス。
むしろ全日本プロレスリングの顔だったな。
かなり前には一般雑誌に『テリーファンクジュニア ドリーファンク』と書かれたり。
前にも書いたが。
ザファンクスのスピニングトーホールドがもう片足で蹴られるのは虚しい。
テリーゴディやスティーブウイリアムスにもそれでカットされただろう。
ジャンボ鶴田や三沢光晴はそれはやらなかったと思うが。
スタンハンセンはアブドラーザブッチャーの毒針エルボードロップもツーカウントで返したが。 そう、1990年から。
ヒゲは1985年から。
でもドリーファンクジュニアがショートなのにアンバランスだったな。
果たしてテリーファンクの引退は本人の意思だったのか?
1980年秋のジャイアントシリーズ中に発表。
『3年後の誕生日に引退する』
それが原因でそれ以後はテリーファンクが参加したシリーズは満員が続いたらしい。
そういう観客動員の為だったのでは?
1980年頃は実は全日本プロレスリングも観客動員数がかなり落ちていたらしいし。
それでテリーファンクの引退宣言。
『来年』とかならわかるが、『3年後』って今から考えたら『?』だよな。
『それまでにアブドラーザブッチャーと決着を付ける』っちゅうても3年も要らんだろと。
当時はわからんかったが、今から考えたら3年後って中途半端以前におかしいわ。
しかも引退理由が『膝の悪化』で。
膝の悪化なら3年もしたら更に悪化すんだろ、と。
子供ながらにもこれは当時から思っていた。
そしてその決着を付ける相手のアブドラーザブッチャーは新日本プロレスリングに移籍。
全日本プロレスリングからはいなくなった。
代わりにスタンハンセンが来たのだが。
でもやっぱりあのテリーファンク引退宣言は何だったのか?
そう考えたら復帰は当たり前だな。
ジャイアント馬場も1983年7月のテリーファンクさよならシリーズでも言っていた。
『最後の最後までテリーファンクに引退撤回を求め続ける』と。
客寄せで引退宣言だったのか?
それともしスタンハンセンが移籍しなければブルーザーブロディと遺恨を作ったのか?
それともタイガージェットシン?
またはザシーク?
いずれにせよ今から考えたら謎を越えておかしい部分ばかりのテリーファンク引退宣言だったな。 1992年頃には川田利明や小橋建太 田上明もトップレスヌード、いやっトップレス裸女、いやっトップ陣の一角に格上げ。
1992年はジャンボ鶴田がセミリタイアしたかんな。
更に1993年にはテリーゴディも体調不良で来日しなくなった。
この頃あたりから『超世代軍』から『四天王』となっていったな。
外国人もスタンハンセンとスティーブウイリアムスが中心になり。
ただ四天王ばかりが全面的になりすぎた為にそれ以下が育たなくなった。
強いて言うたら秋山準くらいだろ。
高山善廣は別枠からだし。
大森隆男もいけそうだったが、結局は一定止まりに。
四天王(と秋山準)と他との差がありすぎた。
外国人もスタンハンセン スティーブウイリアムス(テリーゴディ)以下の差があった。
ダニースパイビー ゲーリーオブライト ジョニーエース パトリオット
外国人は沢山いたが、スタンハンセンやスティーブウイリアムスとの格差があった。
新日本プロレスリングも沢山いたが、同じ様な状況。
長州力 藤波辰爾 闘魂三銃士 あとは馳浩と佐々木健介
これ以下はイマイチ。
越中詩郎は平成維震軍の長で少し近かったが。
外国人勢もビッグバンベイダー クラッシャーバンバンビガロ スコットノートンが要であとは員数合わせの扱い。
>>219
バカなお前には難しいかw 会話が出来なくて誰にも受け入れられないない自分を正視できないから頑なに我を張るんだろうな
でも本当は他人が気になって仕方がないからたまに爆発する
屑犬の典型だな >>221
ゴメンゴメン、言い過ぎた。
機嫌直してくれ。
ザファンクスでも後々はドリーファンクジュニアとテリーファンクは別々の道を往ったな。
ドリーファンクジュニアは年を重ねても昔と変わらずのファイトスタイル。
テリーファンクはデスマッチ系のハードコアスタイルに。
まさかIWAジャパンプロレスリングでテリーファンクとタイガージェットシンが対戦とは思わなかった。
テリーファンクとタイガージェットシンは手が合ったと思う。
スタンハンセンが全日本プロレスリングに移籍しなければテリーファンクのライバルはタイガージェットシンだったはず。
ブルーザーブロディもいたが。
1981年創立10周年記念ジャイアントシリーズ。
ザファンクスVSタイガージェットシン マスクドXがザファンクスとタイガージェットシンの初対決。
タイガージェットシンがテリーファンクを大流血に。
両者の持ち味が発揮された。
最近までYouTubeにも上がっていたが。
1981年世界最強タッグ決定リーグ戦の開幕戦。
ザファンクスVSタイガージェットシン 上田馬之助。
これもいい試合だったな。
またもやテリーファンクが大流血。
タイガージェットシンはアブドラーザブッチャーの後釜は十分だった。
テリーファンクのライバル枠。
しかしそこでスタンハンセンが移籍してきた。
テリーファンクのライバル枠はスタンハンセンに取られてしもうたんよ。
スタンハンセンの移籍がなければタイガージェットシンがテリーファンクのライバル枠。
アブドラーザブッチャーの代わりに。
タイガージェットシンはアントニオ猪木やテリーファンクだと手が合った。
絶大なる支持を受ける大ベビーフェイスと徹底した大ヒールの対決。
これぞプロレスリングの醍醐味だんべ。 >>223
お前、あちこちで駄文垂れ流してるだろ。
フルネームカタカナ。荒らし。 >>223
インターを巡るドリーとブロディの抗争も良かった
特にブロディのキックでドリーが吹っ飛ぶ場面 >>226
わかる、わかる。やられっぷりが良かったよね。
あと、エルボーと言えばドリー。
決して三沢でない。 >>226
お互いに噛み合うよな、ブロディとドリーは。
ドリーが上手く吸収するし、ブロディもドリーを受けるし。
何か見応えがあるんだよな、あのチェスのようなテンポがさ。 ドリーファンクジュニアはブルーザーブロディと手が合った。
テリーファンクはスタンハンセンと手が合った。
テリーファンクはブルーザーブロディとも手が合ったと思う。
しかしドリーファンクジュニアとスタンハンセンは手が合わなかった感じがする。
テリーファンクは比較的暴走タイプとは手が合った。
アブドラーザブッチャー ザシーク タイガージェットシン
そん代わりテリーファンクはジャイアント馬場やジャンボ鶴田とはつまらなかった。
ドリーファンクジュニアはまだしもテリーファンクは暴走タイプが最も手が合った。
ミルマスカラスみたいなタイプなら逆に手が合っただろうが。
1979年世界最強タッグ決定リーグ戦でのザファンクスとマスカラスブラザースとの公式戦。
当時は夢の対決と銘打たれた試合。
特にテリーファンクとミルマスカラスの試合。
夢のカードらしく盛り上がった。
でもザファンクスは基本的にヒールとの試合で光る。
ザファンクスっちゅうよりテリーファンクだな。
テリーファンクの試合で流血なしだと物足りない。
アブドラーザブッチャーと同じだ。
テリーファンクVSアブドラーザブッチャーこそ全日本プロレスリングだった。 ブロディを人間風車で投げたのはドリーと鶴田だけ
その二人だけ認めていたんだろう >>231
そりゃロビンソンも投げてるんじゃないの? >>231
ブロディと対戦した選手で
人間風車の使い手がそもそも少ない >>231
猪木もブロディを人間風車で投げてたな。
そもそも人間風車やる人が少なかった。 >>239
猪木の投げ方はドリーより鶴田よりも低かった印象
とにかくブロディの本格的な売り出しの最初でドリーが相手を務めた意義は大きい ブルーザーブロディが日本に定着し始めた1981年春にはザファンクスとの抗争が原因だった。
1981年チャンピオンカーニバルにブルーザーブロディは四回目の来日。
アブドラーザブッチャーと手を組んでザファンクスと抗争。
アブドラーザブッチャーはこのシリーズを最後に新日本プロレスリングに移籍した。
※正確にはインターチャンピオンシリーズが最後だが。
その後はブルーザーブロディがザファンクスと抗争へ。
ザファンクスの抗争相手としてアブドラーザブッチャーの後釜へと。
その後はタイガージェットシンが移籍してきた。
またザファンクスのもう一人の抗争相手のザシークもいた。
しかしブルーザーブロディがザファンクスの抗争相手の後釜へと。
ブルーザーブロディはむしろドリーファンクジュニアと手が合った。
その後はスタンハンセンが移籍してきてザファンクスと大抗争。
それが全日本プロレスリングの定番になった。
実際に『テリーファンク引退』も絡めてこの抗争が全日本プロレスリングを支えた。
テリーファンクもスタンハンセンとの抗争が最後の花道になった。
※その後はまたテリーファンクも復帰したが。 確か移民の歌は81年のチャンカーがようやく使用開始か それまでのブルーザーブロディのテーマって何?
その前は1980年サマーアクションシリーズ第一弾に来日しとる。
移籍前のアブドーラザブッチャー最後の全日本プロレスリングだったが。
まあここでブルーザーブロディとザファンクスも遺恨を作れた。
アブドラーザブッチャーからブルーザーブロディへと外国人エース交代のシリーズだったな。
まあその後はタイガージェットシンやスタンハンセンを引き抜いたが。 >>240
ファンクス式人間風者の方が欧州式の人間風者より
大きく投げられる スコット・マギーvsジェシー・バー
https://www.youtube.com/watch?v=kt5n4s_XuL8
後年「プロレス・バカ」剛竜馬の盟友となるジェシー・バーですが(笑)
ファンク・ファミリーの一員として活動していたころですね。
マギーさん、ヒールであるバーに翻弄されて無残なやられ方してますが…
スコット・マギーどうのより、セコンドのドリーの「悪事」が興味深いかも(笑)
試合に介入し、寄ってたかってマギーをボコボコ。
日本とアマリロなど一部のエリア以外ファンクスは基本レッドネック系ヒールであったことは有名ですが
それを証明する動画かも。
「あ〜、これはやめてもらいたい。世界のアイドルが介入します!」
と倉持アナが実況しそうです(笑) 倉持「もうやめてくれスタン・ハンセン、テリーは牛ではない人間だぁー!」(笑) http://soukon1.up.n.seesaa.net/soukon1/image/retsudenEFBC9CE381B2EFBC9E.jpg?d=a1
札幌中島体育センターでブッチャーと対戦し、
フォークで左腕をメッタ刺しにされたテリー。
その夜ホテルでステーキを食ってるドリー&テリー。
左腕を故障してるのにステーキを食ってるテリー。
そんなテリーを、ステーキ食いながら心配するドリー。 テリーとシンの抗争を本格的にやればよかった。
でもテリーのライバル枠はハンセンになった。
ハンセン移籍でシンはかなり割を食った。 テリーとシンの抗争って何かみえみえっていうか、ブッチャーの代わりに単純
にシンですか?ってファンも受け入れ難い雰囲気があったような気がする。
だからブッチャー去り後はブロディがファンクスの最大の敵役(主にドリー
相手だが)になった。
シンは最初は当然ながら馬場にターゲットを絞ったが、この時期の馬場に極悪
ファイトで盛り上がるなんて無理過ぎるし、馬場も半分しらけながらファイト
するから感情移入なんて出来るわけがない。
ようやくシンがテリーとかみ合ったのは皮肉にもテリー引退直前の83年。
遅きに失した感があったが、テリーは極悪ヒールと絡むと異様にスイングする。
ブロディは独特のテンポとブッチャーやシンと違って凶器狂乱ファイターじゃ
ないからな、テリーとはイマイチ合わなかった。 ◆全日本プロレス(27日・両国国技館)
全日本プロレスの黄金時代に活躍したドリー・ファンク・ジュニア(75)
チャボ・ゲレロ(67)、ザ・グレート・カブキ(68)の
“レジェンド”レスラーがスペシャル8人タッグマッチに登場した。
元NWA世界ヘビー級王者のドリーは、チャボ、ウルティモ・ドラゴン(49)TAJIRI(46)と組んで
カブキ、西村修(45)、吉江豊(42)、木高イサミ(35)と対戦。
ザ・ファンクスのテーマ曲「スピニング・トーホールド」が国技館に流れると、オールドファンは大喝采。
タレント・山田邦子(56)から花束贈呈されると、ムチをマットに打ち鳴らすパフォーマンスで応えた。
長袖シャツ、ジーパンのまま試合を行ったドリーは、カブキのアッパーを耐えると、
ふらつきながらもエルボー・スマッシュを打ち返した。
“伝家の宝刀”スピニング・トーホールドを逆に仕掛けてくる西村に、
ドリーは首をつかんでそのまま丸め込み、12分9秒、首固めの勝利。
「日本で試合ができてうれしいです」と日本語で喜ぶドリーにチャボは
「アミーゴ(友だち)!」と握手して抱きついていた。 >>255-259
>ドリー・ファンク・ジュニア(75)
公式にはドリーが1941年テリーが1944年生まれという事になっているファンクスの2人だが
実はテリーの方が1941年の生まれでドリーの本当の生年は馬場と同じ1938年で今の御歳は78だという説がある
まあソースがフミ斎藤のサムライが放送していたECW中継での解説やトークイベントでの発言だから眉唾物ではあるんだけど >>263
まあね。
確かに、笑い半分楽しんで見てたよ。当時。
インチキくさいと思いながらも強さを測ってた。 シン信者だけどスレ落ちてるからここ貸してね
https://www.youtube.com/watch?v=LvwKY4PHG08
シン・カクタス × 山田恵介・テリー 1995IWA
単なるインディの地方巡業というにはあまりにも濃密な要素が詰まってるので紹介したい
70-80年代ならシンは本当に狂ってるというギミックも通用したが、
この頃はシンは良い人、カナダでは実業家という素の部分がすっかり露呈していた
それでも日本のリングでは、たとえどんなに小さな興行でも全力で悪を演じるシンに対し、
観客は明らかに敬意をもってシンコールを送っている(上田コールも同様)
猪木コールにせよテリーコールにせよ、リングの中で3カウントを奪って勝ってほしい、
との期待感より四方八方から自然発生していた従来のものとは微妙に異なるコールだ
シンもその空気を読み、まんざらでもないという表情を時折浮かべ、
悪の限りを尽くして相手をボッコボコに痛めつけ、たまに観客を襲うという自分のビジネスを展開
さらに試合後半、なんとテリーの太ももにシンがサーベルを突き刺した!!
…ように見せかけて、実はテリーのタイツをサーベルが貫通しただけで肉は無傷なのね(当たり前だw)
実はシンの凶器攻撃というのは、そのほとんどが凶器を握った手で殴ってるだけ
だから相手に致命的なケガを負わせることはないが、見ている方には、
「うわあ痛そう!」「とんでもない悪い奴だ」の印象を与えることができる
このサーベルも同様で、パッと見は太ももの肉を貫通しているように映るから効果は絶大
柄で殴るだけじゃなく、この歳で新たな使い方を開発するシンのプロ根性はすげえ
それに付き合うテリーも本来は痛くも何ともないはずなのに、
自分が今、観客からどう見られているかを瞬時に悟り、オーバーに痛がって足を引きずっている
テリーのM役はほんっと最高ww
老いてなお盛んなプロフェッショナルの仕事をまざまざと見せつけられた感じだわ シンのサーベル刺しはFMWで初披露だったな。
92年だからこの3年前か。 自伝でテリーマンについて「どこかの誰かさんにそっくりなのに、俺一銭も貰ってねぇよ…(´・ω・`)」ってぼやいてたのは草 >>27
これは嘘
ハンセン夫人はアリーナラッツ、所謂グルーピーでレキシントンクイーンという外専ディスコによく来てた http://jp.channel.pandora.tv/channel/video.ptv?c1=&ch_userid=hajimarin&prgid=54569552
シン、ドリー、ハンセンの素顔
いやーおもしれえw さすがにドリーも動けないなもう、、
鞭のパフォーマンスとか痛々しいわ 涙の引退→まさかの復帰でテリーが出てきた時の客の微妙な雰囲気は忘れられない
ECWが無かったら嘘つき外人レスラーとか呼ばれてたのかも 平成に入ってから、今のドリーより酷いレスラーって他に見たことないんだけど…
モンゴルマンとか末期のミスター珍だってまだドリーよりはマシだろ(ああいうキャラだし)
ドリーは別に老害キャラってわけじゃないんだろ?
テリーみたいに這いつくばってもしがみつくってわけでもない
ただ無理も何もせず立っているだけ
50越えて動けなくなったハンセンが引退したときに「まだ若いのに」とか言っていたけど、こいつ、他人からどう思われているかとか、判断する頭脳がないのかな? 馬場の32文喰うだけで白眼むいてピクピク、オーバーアクションのテリー テリファとアブチャの試合がゼンニプロレの看板だった。
81年にアブチャがシンニプロレに移籍してそれが終わった。
テリファとスタハの抗争はまた意味合いが違ったしね。 アブチャがいなくなってからはブルブやタジェシがテリファの新たなライバルになると思うた。
しかしテリファライバル枠は結局はスタハに。
この時代のジャンツは全くダメだったし、リュウゲンは更にその下。 アブチャ テリファ
何なんだよ
ジャンツ
週刊少年ジャンツかよ >>98
全日の中継で系列地方局が実況で、ドスカラスのことを「ドス・マスカラス」
テリー・ファンクのことを「テリー・ファンク・ジュニア」と、最初から最
後まで言っていた記憶があるのですが。 今のドリーには耐えられないよな。
その反面スピニングトーホールドを聞くと安心する部分もあるがそれだけなんだよね。
秋山社長ドリーはそろそろ隠居してもらおう。 ゼンニプロレ末期のドリファってかなりワガママだったって記事があった。
自分が最早ファンを呼べてるわけじゃないのに昔と同等のギャラを要求したり。
ジャイバも困っていたみたいだし。
アブチャは出戻りっちゅうこともあってか?そういうワガママはなかったと。 昨日はテリファの誕生日だったな。
もう73か。
ドリファ、アブチャと70超えて。 チェーンソー振り回してた、足のほっそいジイさんの記憶しかないな >>289
実況を系列地方局アナがすることは「ない」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています