アントニオ猪木 対 力道山 [転載禁止]©2ch.net
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>>788
「試合でね、頭割れた時に医者に行って治療して貰ったんですよ。そしたら『何だ!それ位の怪我で医者に行きやがって』とそこを又下駄か何かで殴られちゃいましたよ」と馬場が話してたことがある。二回位あったな。だけどいつからかこういう話は一切しなくなっていった。 >>790
それ凄い分かる。猪木て結構分かりやすいとこあって、ジャイアント馬場を本当に憎いんだろうな?と思ってたら、意外に馬場の悪口言う奴に機嫌悪くしたり、いまでも「さん」付けで話す。
しかし、師匠の力道山に対しては呼び捨てで、さん付けどころか、「力道山先生」とも呼ばない。
これが猪木の本音だろう。
猪木は本当は馬場と仲良くしたかったんだ炉な。
猪木「俺の新日本プロレスは格闘技で行きます。」
馬場「じゃ、俺の全日本プロレスは、プロレス独占するよ!」
猪木「はい!」
馬場「でもさ、寛ちゃん、力道山うざかったよね!」
猪木「多分、みんな思ってたと思う。」 いや、よく知りもしない
でゴマすって悪口に合わせられるってのが嫌なだけだろう。 >>791
国プロの社長も腕か肩やって病院生きなのにそんなもん気合いで直せって言われて放置したら上がらくなったとか聞いたな 馬場も殴られた事あるのか?
だとすると吉村ぐらいかな?
一切殴られなかった子分ていうのは。
遠藤は子分じゃないからね。
プロレス入りは力道山よりも早くて、
実は先輩だから。 空手からはローキック、骨法からは浴びせ蹴り、反則レスラーからはベアナックルと
何でも相手の技を自分の技に吸収していった猪木さん。
力道の影響を受けて手刀のレスラーになって欲しくないと思う個人的には。 空手からは手刀ではなく下段蹴りを吸収しているんだ猪木は。
力道対木村戦みたいなブック破りがあったとしたら猪木にも勝算はある。手刀は強力では
ないからね。 >>792
苦しい練習生時代を一緒に過ごしたんだもん。方向性の違いからたもとをわかちあっても
心はつながってるよ。 >>803
知らないなら出てくるな、無知、無能、恥知らず、大馬鹿野郎 >>806
オマエガクタバレ、シニゾコナイ。
オレガオマエノミモトサガシテトドメサスカ、ボケッ。 最初は「アントニオ猪木」じゃなくて「死神酋長」のリングネームでデビューさせようとしたんだからな。
今にして思えば猪木は結構コスプレ好きだかから晩年なら喜んでやりそうだが、若手の時にこれをやれというのは酷。
完全な怪奇レスラーじゃん えんどうこうきちがまだけんだいというじじつ。
りきどうざんはねんれいさばよみ。
もしいまもりきどうざんけんざいならひゃくちかいか。 >>799
この後キ○タマを潰したうえに顔面に蹴りを入れてKOしますね。 >>742
「それと遠藤幸吉は力道山の先輩なんだよね。
プロレス入りは遠藤の方が早くて、デビューした直後は
力道山の方が頭を下げた。
豊登や芳の里や吉村道明と違って、子分ではなかった。
他の奴みたいに殴ったり、暴言を吐いたりは絶対にしないし、出来ない相手だった。」
>>795
「遠藤は子分じゃないからね。プロレス入りは力道山よりも早くて、実は先輩だから。」
↑
プロレス界で先輩と言ってもわずかな差、タッチの差くらいであって敬うレベルではなかった。
遠藤幸吉はもともと木村政彦にあこがれプロ柔道に入ったがプロ柔道が崩壊してから
1951年、来日したボビー・ブランズらとともにプロレスのトレーニングを積んだ。
同じ頃、力道山もボビー・ブランズのところでトレーニングをしたのでほんの少しの差で遠藤が早かっただけ。
1952年に遠藤は大山倍達とともに米国にプロレス遠征したが力道山も同じ頃ハワイにてプロレス活動している。
その後、遠藤幸吉はプロレス界では木村政彦より力道山の方が活躍しそうと思い、風見鶏で力道山の日本プロレス協会にすり寄って来て入団した。
日本プロレス発足のメンバーだったので力動山は遠藤をある程度尊重はしたが敬うレベルではなかった。。
最初の頃は日本プロレス協会でナンバー2だったがその後、太りすぎてから道化役、格下になり下がった遠藤だった。
先輩という意味であれば木村政彦や山口利夫の方が力道山より先にプロレスを始めている。 【ZERO1】力道山奉納プロレス、
唯一の経験者であるアントニオ猪木氏が10.26靖国神社・奉納プロレスに来場決定!
https://proresu-today.com/archives/92708 力道山存命ならいつ頃引退したか?
亡くなる直前でも体はボロボロだったみたいで。
御愁傷様です。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています