アントニオ猪木 対 力道山 [転載禁止]©2ch.net
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725何語?だが、(お前のは)→>>719
一秒でも早くこの世から跡形もなく消滅しろって命令してんだろ。 晩年の力道山ではアントニオ猪木にシュートで極められい程強くなっていた 728浪浪花だが、
晩年の力道山は実際に体はボロボロだったみたいで。 日本プロレス時代にガチンコのセメントで鍛え上げられカールゴッチから基礎体力トレーニングとシュートテクニックを学んだアントニオ猪木
と相撲出身で頑丈な肉体と足腰が強い力道山では果たしてどうか 『山道力』って表札見たが、力道山意識して付けたのは明白。 >>729シュートでやるわけないよ。
それと昭和三十八年の頃なら、
まだまだ力道山の方が強いよ。
猪木が一番強かった頃て、
新日旗揚げ時ぐらいから、
アリ戦の頃だよ。 力道山と猪木 共に年齢的、肉体的な全盛期での比較。
強さなら力道山の上という意見が。
でもレスラーとしての幅広さは猪木が上だろうな。 相模原の力道山イベント
「怒涛の男」上映会&郷土史家、市長によるトーク
は、なかなか良かったですよ。
何が良かったかというと、力道山の試合シーンを見つめる観客のじいちゃんたちが良かった。
ネット環境無い人の中には50年ぶりの力道山だった人もいるだろう。
凝視する人、微動だにせずかすかに微笑む人、ハンカチを目に当てる人……
それらの顔がスクリーンの光に照り返されて。
体験出来なかった街頭テレビに参加できた気持ちです。
チケットは600円。 力道山は同胞意識が強く星野勘太郎や大木金太郎等のレスラーを可愛がっていた
プロレスは在日の娯楽だった時代 可愛がってはいたけど、
評価はしてなかった。
一番評価していたのは馬場だからね。 『力道山は同胞意識が強く星野勘太郎や大木金太郎等のレスラーを可愛がっていた
プロレスは在日の娯楽だった時代』
↑
星野勘太郎は1961年日本プロレスに入っているが
当時日本人上位選手のみが出場できる(途中から若手有望株も)
ワールドリーグ戦にも出場できていないので
それほど可愛がられたという感じでもないでしょう。
力道山は相撲出身ですが大相撲からスカウトした選手でも
日本プロレス初期からいる芳の里などはワールドリーグに出場できていません。
日本人準エースは初期は柔道出身の遠藤、それに並ぶのは大相撲出身の豊登でした。
次に多く出場したのは山口利夫の団体から移籍した学生相撲出身の吉村。
吉村はカールゴッチと名勝負してカールゴッチにも評価された業師でした。
若手有望株としては大木、猪木は4回目、5回目、マンモス鈴木が5回目に出場していますがいずれも負け役。
馬場は海外遠征していたせいで5回目で初参加していますが4勝2敗1分けと凱旋一時帰国となっています。
このワールドリーグの日本人出場選手から見てもわかるように
力道山は出身母体まどや民族などでひいきはせず、そのときの実力重視、華のある選手、特徴がきわだった選手を選んでいるのがわかります。
朝鮮系のみを優遇したという事実はないでしょう。 誤字失礼しました。
力道山は出身母体まどや民族などでひいきはせず、
↓
力道山は出身母体、民族などでひいきはせず、 >>739だから評価していたのは豊登と馬場だよ。
それと遠藤幸吉は
力道山の先輩なんだよね。
プロレス入りは遠藤の方が早くて、
デビューした直後は
力道山の方が頭を
下げた。
豊登や芳の里や
吉村道明と違って、
子分ではなかった。
他の奴みたいに殴ったり、
暴言を吐いたりは
絶対にしないし、
出来ない相手だった。 力道山は相当強かったらしいが、最強クラスではなく。
猪木も言うに及ばず。
強さ=力道山
演出=猪木
力道山は猪木より強さはあったが、猪木ほどの演出力はなかった。
猪木は力道山ほど強くなかったが、力道山以上の演出力があった。 じゃあ最強クラスって誰と誰なん?
で、その根拠は? プロレスラーの誰が強いとか、あんまり意味無いと思うんですよね。プロレスは芸術、表現物だから。
「紅白出場歌手で誰が一番料理が上手いか」みたいに、何だかよく分からない疑問ってことなっちゃうと思う。
誰が強いか、よりも、誰が強さを表現できるか、がプロレスなんだから、それぞれが一番グッと来たレスラーが「実は最強」でいいんじゃないでしょうか。
医学博士の父は生前「ブロディ」って言ってましたけど、多分肉体主体で考えてたんでしょう。 紅白歌手に喩えるならば
誰が一番歌唱力があるか 華があるか 応援したくなるか…などであり
料理の上手さなど関係無い プロレスも同じ
プロレスラーの強さを論じる事に無意味さや虚しさを訴える人達は
何やらコンプレックスめいたものを感じますな >>747 そうだよ。プロレスの本来的で素直な楽しみ方
(後述のA視点)で言うと全く同意でその通り。
だけど……
>>744から始まってる視点はそうじゃないじゃん。
「強さ」とは別に「演出力」などが存在してるって前提の話でしょ?
・素直に楽しむをAの見方。
・プロレスの仕組みを分かった上での見方をBとすれば、
Bの話をしてるの。
そりゃ、歌手に料理力なんて関係ないに決まってるじゃん。
「コンプレックス」云々の言葉もABごっちゃだから出てくる。 プロレスの仕組みを分かった上で~ って言う人は
具体的には何も説明出来ないけどな だから、そういう見方より素直に楽しむ方が良い……って言ってんだけど。
仕組み云々は、「そういう見方にはあんまし意味がない」の例として挙げてるのは分かるだろ。 >>744
『力道山は猪木より強さはあったが、猪木ほどの演出力はなかった。
猪木は力道山ほど強くなかったが、力道山以上の演出力があった。』
猪木自身のコメントに以下がありますので
猪木の演出力は力道山の演出力が手本と言えます。
>>204 での以下の『』内の記述にあります。
『俗に戦後の4大有名人として力道山、美空ひばり、長島茂雄、石原裕次郎が
あげられるが、NHKの知名度調査では力道山が92%を越えたことがあり、
この記録はいまだに破られていない。
アントニオ猪木氏は常々力道山は他の3人と違って
プロレスというジャンルをすべて自らが創り、
自己プロデュースをした点が凄いと語っている。』 総合格闘技ブームの頃に[プロレスの見方を知った上で楽しみむ]と称する人や総合格闘技の宣伝に乗っかった人達は「実戦にはプロレスラーは通用しない」とか「プロレスと違って真剣勝負の総合は~」など主張しておりましたな
当時の2ちゃんねるでもブロディやアンドレは強くないという論調が殆ど(実際は毎度同じ人が繰り返し投稿していたのだが)
しかし全盛期のブロディアンドレや猪木、力道山のファンからするとプロレス最強説は何ら揺いでおりませんな
そもそも総格自体をプロレスと見做していたし、ボクシングルールに準じたボクサー同士の闘いであってもプロレスのリング上であればプロレスになります
この理屈からすれば、柔道着を着た小川に橋本が負けたり
高田がヒクソンに連敗してもプロレスは負けておりませんな
強いて言えば新日やUWFが負けた事だが当時のファンからすればショックだったと思いますな
もしも現役の力道山が日本プロレスのリングで1968年~1970年頃に猪木と闘ったと想定すると 世代交代を懸けた大一番やワールドリーグ決勝、アクシデント的に発生した番外試合、半引退状態の力道山とのエキビジョンマッチなど… プロレスの上手さは
猪木の方が上だよ。
ただ演出力やプロデュースは力道山の方がずっと上。
ルーテーズに勝って
インターのタイトルを作ったり、
ワールドリーグ戦とか画期的な事を考えた。
何よりもプロレスの
パイオニアで、
国民的娯楽にしたのが大きい。 猪木が前に語っていたのが
『俺(や馬場さん)は所詮は(力道山が作ったレールに)乗っかっていたに過ぎない』
また長州も同じ事を言っていた。
『俺(や辰っつぁん)は(猪木さんが敷いたレールに)乗っかっていただけ』
『だから猪木さんを越えるなんて無理な道理』
そういう観点からしたら確かに道理だわな。
でも力道山がやらなかった(できなかった?)事を猪木はやってきた。
猪木ができなかった事を長州はやってきた。
しかしそれだけでは前者を越えたとは言えないし。 マスカラス相手なら猪木、ブラッシーなら力道山、この4者といずれも相性良いのがデストロイヤー
一番上手いのはデストロイヤーだが、常駐エースとしての安定感では馬場ですな
猪木は煌々たるテレビ照明のリングで映える
海外の薄暗いリングだと地味な印象となってしまい
力道山のほうがインパクトありそうですな
同じ土俵上で師匠を超えるのは困難
猪木が力道山に勝つとすれば官僚側と東左側陣営の強力なゴリ押しを受けての一発勝負かもしれませんな 元関脇力道山は上半身の強さは凄いが下半身は弱く細かった 757な、粉だが、
力道山は下半身もやたら強かったかんな。
上半身は言うに及ばず。 猪木は本当に力道山を恨んでたんだな。と思う話がここ。
ジャイアント馬場に対しても最後まで呼び捨てせずに、逆にジャイアント馬場に対して悪口を言う人間がいたら「お前らに何が分かる!」と怒る。
逆に力道山に対しては、師匠にも関わらず、ずっと呼び捨て。更に力道山からやられた虐待を自ら語る。本当に憎んでるだろ。
タラレバ話だが、猪木がアリと戦った時期に力道山も生きてたら、猪木は力道山に対してもシュートを仕掛けた可能性大。
しかし力道山が生きてたら、猪木はアリと戦える可能性0だったが。 759な、コクだが、
力道山はガチ頭お菓子屋だったかんな。 >>760
絶対こんな綺麗な理由じゃなかったんだろなぁ >>760
努力に根性...
80年代まではどんな逆境もこれで乗り切れると誰もが信じてたけど
結局それは世の景気が良かったからそうなってただけだったんだよ
戦後の経済成長が頭打ちになりバブルも崩壊して
ネットとSNSで誰もが言いにくい事を世に発信できるようになった今
この時代のメッキは完全に剥がれた もし二人が全盛期の状態で退治したら凄惨な試合になりそうだな
もとからキチガイの力道山と力道山を殺したいほど恨んでる猪木の戦いだからな 「後ろから包丁で刺して、海へ飛び込んでブラジルまで泳いで帰りたい」と本気で思って包丁を眺めていたそうだからな。
でも出来なかった、と 766ナロムだが、
>>765
泳いでブラジルに帰る事ができなかったんだろ。 力道山は上背大したことないけど見るからに喧嘩強そうだ せっかくのいいスレだったのにカスが湧いて残念
上の方で理路整然と考察をしてくれた方、ありがとう 今の時代は色々と分析できる時代になってきた。
やっぱり単純な強さでは力道山が上だろう。
、あず度胸というか気持ちの部分で力道山だろう。
相手を殺る気概が力道山にはあったみたいで。
試合ではそういう気持ちはなくてもいざとなれば。 力道山知ってる人は皆とにかく怖いと言ってるね。ビール瓶でぶん殴るとか日常的だったと聞く。刺されて入院していても酒持って来い!と馬場猪木に物投げつけていたようだ。で傷口を悪化させて死亡。 >>770
『刺されて入院していても酒持って来い!と馬場猪木に物投げつけていたようだ。で傷口を悪化させて死亡。』
↑
全く違います。そもそも馬場は刺されて入院中に米国遠征中で日本にいなかった。
>>199
>>201
にありますように
力道山の死因は医療ミスである事が判明しています。 >>772
『あくまで有力な説であって、判明とまでは言えない』
↑
少なくとも医療ミスに対して確固たる反論根拠をあげる事のできる証言がない事だけは事実ですね。
馬場は刺されて入院中に米国遠征中で日本にいなかったのも事実ですね。 スーパースター列伝に描かれていた入院中の暴飲暴食
あれは創作で実際にはそんな無茶はしなかったとのこと
力道山だって死にたくなかっただろうし
まさかあれで死ぬとは本人も思ってなかったみたいで >>173
ゴッチは力道山と猪木とどっちが強いか聞かれて
難しい質問だ。力道山は一言でいうとレスラーではなかった。
レスリングでは猪木の足にも触れられないだろう。
しかし喧嘩では別だ。喧嘩では力道山のほうが強いだろう。
恐らく猪木よりハングリーだったのかもしれない。
と答えてましたね。
ちなみに、あなたはレスリングと喧嘩とどっちが強いですか?と聞かれて
わたしは両方強い、と答えてましたね。 >>762
いやお上と著名人がずっと嘘を発信してる。 猪木が「今、死と向き合う猪木/力道山没後55年インタビュー
[2018年12月15日9時18分 ]」で語る
『付け人やったから、やたらめったらぶん殴られたわけじゃないが、訓練でたたかれるのは全然問題なかったけど、そうじゃないときのね。もう怨念なんか持ってませんけど。言葉でああしろ、こうしろじゃなくていい生きざまでオレに教えてくれたのが大きいと思いますね。』
『力道山時代の我々が先輩から聞かされたような話をしていた。それは大事な遺伝子と言えると思う。私は力道山の遺伝子をみんな分かって理解してもらいたいと思うけどね。』
https://www.nikkansports.com/battle/news/201812150000188.html 猪木って力道山を『力道山先生』と言わないでまんま『力道山』だよね >>780
アク禁にビビって省略と語呂合わせやめたヘタレw 力道山 狂気、猪木 狂気、別物。
猪木場合、内側発散。
力道山場合、外側発散。
力道山→強
猪木→巧
力道山 傍若無人、正真正銘 気違人間。
周囲 与恐怖。 普通のレスでも語呂合わせジジイだとバレるから慌ててキチガイキャラにしましたーw
でも中身は普通のおもろないジジイですーw 力道山が生きていたら、
馬場と猪木はどうなっていたか?
あの当時馬場は
アメリカで活躍していたから
ずっといただろうね。
猪木は日本にいて
前座だけど、
力道山の後継者になれたかだな。 力道山 丼荒川、体型、風貌、酷似。
猪木引退記念番組、力道山役、荒川。 >>96
そうだよな、誰かのファンというのは本当は
こうなんだよな。そう考えるとプロレスとか猪木のファンと
言うのはこういう感じの人あんまりいなくて、すれっからしと言うか
屈折しとるね。春一番はどんな感じだったんだろうかね。
とりあえずあんた正しいよ あの時代のレスラーは大体は力道山に殴られてるんじゃないかな?
殴られないのは馬場ぐらいだろう? >>788
力道山にいくら殴られてもギャンブル癖を改めなかった豊登は、こうしてみるとすごいな 若い頃の猪木の体を見れば、力道山より強いと分かる
あの時代にヒョードルみたいなガタイしてた
それはで俺は40代以降の腕も細くなった猪木のイメージしか頭に無かったから見てビックリしたわ >>788
「試合でね、頭割れた時に医者に行って治療して貰ったんですよ。そしたら『何だ!それ位の怪我で医者に行きやがって』とそこを又下駄か何かで殴られちゃいましたよ」と馬場が話してたことがある。二回位あったな。だけどいつからかこういう話は一切しなくなっていった。 >>790
それ凄い分かる。猪木て結構分かりやすいとこあって、ジャイアント馬場を本当に憎いんだろうな?と思ってたら、意外に馬場の悪口言う奴に機嫌悪くしたり、いまでも「さん」付けで話す。
しかし、師匠の力道山に対しては呼び捨てで、さん付けどころか、「力道山先生」とも呼ばない。
これが猪木の本音だろう。
猪木は本当は馬場と仲良くしたかったんだ炉な。
猪木「俺の新日本プロレスは格闘技で行きます。」
馬場「じゃ、俺の全日本プロレスは、プロレス独占するよ!」
猪木「はい!」
馬場「でもさ、寛ちゃん、力道山うざかったよね!」
猪木「多分、みんな思ってたと思う。」 いや、よく知りもしない
でゴマすって悪口に合わせられるってのが嫌なだけだろう。 >>791
国プロの社長も腕か肩やって病院生きなのにそんなもん気合いで直せって言われて放置したら上がらくなったとか聞いたな 馬場も殴られた事あるのか?
だとすると吉村ぐらいかな?
一切殴られなかった子分ていうのは。
遠藤は子分じゃないからね。
プロレス入りは力道山よりも早くて、
実は先輩だから。 空手からはローキック、骨法からは浴びせ蹴り、反則レスラーからはベアナックルと
何でも相手の技を自分の技に吸収していった猪木さん。
力道の影響を受けて手刀のレスラーになって欲しくないと思う個人的には。 空手からは手刀ではなく下段蹴りを吸収しているんだ猪木は。
力道対木村戦みたいなブック破りがあったとしたら猪木にも勝算はある。手刀は強力では
ないからね。 >>792
苦しい練習生時代を一緒に過ごしたんだもん。方向性の違いからたもとをわかちあっても
心はつながってるよ。 >>803
知らないなら出てくるな、無知、無能、恥知らず、大馬鹿野郎 >>806
オマエガクタバレ、シニゾコナイ。
オレガオマエノミモトサガシテトドメサスカ、ボケッ。 最初は「アントニオ猪木」じゃなくて「死神酋長」のリングネームでデビューさせようとしたんだからな。
今にして思えば猪木は結構コスプレ好きだかから晩年なら喜んでやりそうだが、若手の時にこれをやれというのは酷。
完全な怪奇レスラーじゃん えんどうこうきちがまだけんだいというじじつ。
りきどうざんはねんれいさばよみ。
もしいまもりきどうざんけんざいならひゃくちかいか。 >>799
この後キ○タマを潰したうえに顔面に蹴りを入れてKOしますね。 >>742
「それと遠藤幸吉は力道山の先輩なんだよね。
プロレス入りは遠藤の方が早くて、デビューした直後は
力道山の方が頭を下げた。
豊登や芳の里や吉村道明と違って、子分ではなかった。
他の奴みたいに殴ったり、暴言を吐いたりは絶対にしないし、出来ない相手だった。」
>>795
「遠藤は子分じゃないからね。プロレス入りは力道山よりも早くて、実は先輩だから。」
↑
プロレス界で先輩と言ってもわずかな差、タッチの差くらいであって敬うレベルではなかった。
遠藤幸吉はもともと木村政彦にあこがれプロ柔道に入ったがプロ柔道が崩壊してから
1951年、来日したボビー・ブランズらとともにプロレスのトレーニングを積んだ。
同じ頃、力道山もボビー・ブランズのところでトレーニングをしたのでほんの少しの差で遠藤が早かっただけ。
1952年に遠藤は大山倍達とともに米国にプロレス遠征したが力道山も同じ頃ハワイにてプロレス活動している。
その後、遠藤幸吉はプロレス界では木村政彦より力道山の方が活躍しそうと思い、風見鶏で力道山の日本プロレス協会にすり寄って来て入団した。
日本プロレス発足のメンバーだったので力動山は遠藤をある程度尊重はしたが敬うレベルではなかった。。
最初の頃は日本プロレス協会でナンバー2だったがその後、太りすぎてから道化役、格下になり下がった遠藤だった。
先輩という意味であれば木村政彦や山口利夫の方が力道山より先にプロレスを始めている。 【ZERO1】力道山奉納プロレス、
唯一の経験者であるアントニオ猪木氏が10.26靖国神社・奉納プロレスに来場決定!
https://proresu-today.com/archives/92708 力道山存命ならいつ頃引退したか?
亡くなる直前でも体はボロボロだったみたいで。
御愁傷様です。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています