アントニオ猪木 対 力道山 [転載禁止]©2ch.net
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もし猪木と力道山のシングルがあればどんな試合になったか?
力道山が63年に死去せずにいて。
それで日本プロレスが一足早く日本人対決を行えば。
68年〜70年頃に実現したと仮定して。 >>642
確かに寝技に才能はなかったのは自他とも認めるところでしょうね。
だからこそスパーで寝技についてやられながら研究していたのかもしれません。
寝技が苦手な事で力道山を甘くみたらやられるかもしれません。
当時の強豪のルーテーズ、デストロイヤーなども
寝技が力道山の弱点、アマレス出身者からみるとレスリング下手は指摘していますが
力道山のタフさ、強さは認めています。
力道山の気迫、執念のすごさは寝技、関節技で骨折などをたとえ受けても
立ち向かうようなすごさ、迫力があるかもしれません。
また、テイクダウンさせるのはルーテーズも難しいとコメントしていました。
テーズは他に以下のようにも答えています。
初めて力道山に会ったのはいつ、どこで?
「力道山に初めて会ったのは1956年、ハワイで。
彼の事を最初知らなかったので気に止めていなかったが
試合をやってみたら本当に強い奴でした。
相撲出身で始めは相撲スタイルでしたが
試合を重ねる度にどんどん強くなって
信じられないくらい勇気のある人でしたので
工夫に工夫に重ねどんどん強くなっていきました。」 テーズの力道山と初めてあったのは1956年は勘違いだと思います。
あるいはインタビューアーの和訳の間違い。
正しくは1953年。ハワイでの世界選手権でした。 >>519の記述にもありますが
デストロイヤーも力道山を一番評価していました。
デストロイヤーがインタビューで力道山がナンバーワン!!
−−日米通算で約8500試合を行ったと聞いたが、印象に残っているレスラーは
「力道山にはいつも感銘を受けたし、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、ジャンボ鶴田も、とても強かった」
−−最も印象に残っているレスラーは
「ナンバーワンといえば、力道山だろう。彼の空手チョップは他の誰よりも強烈だったよ」 1957年、昭和32年の力道山対ルーテーズの動画を観れば
力道山の企画力のすごさがわかります。
https://www.youtube.com/watch?v=eXS0PIGRnWA >>644
まあ骨折してなお闘うのは無理だと思うが、そんな風に喧嘩屋としてのメンタル面を過剰に評価される事で格闘家としての実力を過小評価されてきた部分はあると思う
あとテーズが言う試合をするたびに強くなった云々はセメントの強さというより
プロレスラーとして強く魅せる技術が上がってるという意味でしょう 全然関係ないですが
カールゴッチ対吉村道明
吉村道明はカールゴッチが高く評価した選手。
https://www.youtube.com/watch?v=_NLk44asym4 吉村道明って相撲出身では例外的にゴッチが認めるほどレスリングが上手でした。
プロの大相撲経験はなく、学生横綱からのプロレス転向だったからでしょうか?? キムコロの作者増田俊也は「力道山の強さは喧嘩自慢のレベルを越えてる。初期UFCならいいところまで行くと思う」とのべていたけど
大相撲で関脇までいったテイクダウンディフェンスと一説には中村日出夫直伝の現代の格闘家も評価する空手を持つ力道山なら
初期UFCで活躍できるというのは過大評価ではないと思う
第一回だとテイクダウンしなくてもガードポジションから攻めれるホイスは多分無理
それ以外だとやはり下からの足関節が使えるシャムロックと打撃で力道山を上回る可能性があるゴルドーは非常に面白い戦いになるだろう 力道山って若き日のボボ・ブラジルの世界一の頭突きを受けても
びくともしないで空手チョップしてますね。
FULL MATCH — Rikidozan, Toyonobori vs. Bobo Brazil, Lord Athol Layton: JWA Tokyo 1957
https://www.youtube.com/watch?v=yDKLFrdbDME 力道山が亡くなった時は悲しむより喜びだった。
喜びっちゅうより安堵感、安心感と。
これで力道山帝国の独裁体制から解放されたという解放感。
やっぱりそういう人間は亡くなると周囲はそういう心情になるのも致し方ないか。 >>190 にも記述があるように
1963年12月に力道山が亡くなったときに
ファンからお悔やみの電話が殺到とされています。
力道山の葬式には政財界、興行界、極道界の大物、芸能人、
プロスポーツ選手が参列しました。
この時代は政財界と極道の大物が一緒に出席する時代でした。
どんな興行でも裏の組織に挨拶抜きではできなかった時代でした。
力道山の葬儀は12月20日、大田区の池上本門寺で行われた。
各界の名士から一般のファンまで、訪れた人々は一万二千人を越え、
その列は寺から池上駅の近くまで500メートル以上に渡って続いたという。 >>654
これもすでに >>437 に記述されているように
安堵感、安心感と言うより
力道山が亡くなって得をしたのは後に「ダラ幹」と言われた
遠藤幸吉、豊登、芳の里、吉村道明の4人でしょう。
百田家から日本プロレスの実権をこの4人は奪いました。
しかし4人のうち、豊登は力道山の後を継いで社長になりましたが
ギャンブルまみれの素行の悪さですぐ追放されます。
次に社長になったのは芳の里でしたが
日本プロレス崩壊の原因とされ、悪者になされた感もあります。
取締役経理部長として権力を握った遠藤幸吉が一番得したかもしれません。
遠藤幸吉はリキパレス経営に困った百田家を助けようとした
当時取締役営業部長であった吉原功を追放しています。
吉原功はその後、国際プロレスを設立しました。
日本プロレスを分裂させたのは遠藤幸吉が原因でしょう。 >>654
力道山未亡人の著書によると力道山亡きあと
日本プロレス社長になった未亡人から日本プロレス幹部の4人
(豊登、芳の里、遠藤幸吉、吉村道明)が百田家が関わっていると
暴力団と関係あるように見られ体育館が借りられないとし
経営権を奪ってしまい、そのかわり将来は百田長男を社長にするという
約束だったようでしたが日本プロレス幹部がその約束を守らなかったので
裁判になり日本プロレスが2000万円払い和解したようです。
力道山未亡人は豊登はリキアパートから百田家が引っ越したあと
電話であやまってきたり、ギャンブル好きでどうしようもないところも
あるが力道山が一番かわいがったので憎めないところがあるとしていますが
遠藤幸吉に対してはよくない印象のようでした。 >>648
『あとテーズが言う試合をするたびに強くなった云々はセメントの強さというより
プロレスラーとして強く魅せる技術が上がってるという意味でしょう』
↑
テーズ自身、力道山をテークダウンさせるのは難しいとコメントしていましたし、
うがった見方をすれば切りがないでしょう。
それなりにトレーニングもしていましたし、相撲のままではなく進化はしたでしょう。
まずは歴史的証言、それを覆すなら証言した人々の心情を裏付ける根拠が必要ですね。 >>659
プロレスの試合で相手の強さを計れるというのが嘘くさいというか…
力道山とテーズの試合は毎回シュート気味になってるっていう証拠があるならともかく
昔のレスラーがプロレスの「試合」での強さについてする話す時は、どうしてもアングルとかブック等の業界の約束事を隠した上での発言になるのは避けられないから
そのままの言葉で鵜呑みにするのは慎重にならないと
(上でもデストロイヤーの発言をそのままにの意味で捉えてるっぽいけど)
そういった意味でテーズが力道山のスパーの強さには触れずに「力道山は喧嘩が強い」という発言は価値があると思うよ
他の同時代のレスラーの証言とも整合性が取れてるから
それと試合での強さがどうこうって話を同列に語っちゃうのは個人的にはない 力道山は弱いというイメージはないね。
まあこちらは話でしか知らない。
生前のリアル力道山を見ていたわけでもないが。
まあ強いというより怖いというイメージの方があるが。 力道山は力士時代の写真だと優しそうに見える。
でもレスラーになってからキツイ顔に。
まあレスラーになってからは色々大変だったから顔付きも変わったのかな? ノーピープルマッチ
時間無制限一本勝負
ラウンジのトイレ
〇猪木VS力道山●
(30秒)
※猪木の金玉握り→力道山の頭突き連発→猪木の金玉握り潰し→大量のゲロ吐き→力道山失神→切腹 力道山は猜疑心が強く、自己顕示欲が半端ない人間やったからな
けど同時に演出に異常に拘る、客を意識して喜ばせるために策を練るプロモーターとしての顔もあった
実際やれば、自分の強さを見せ付けるために猪木を五分で料理(勿論プロレス)
その後、客席を見渡してから『馬場!次はお前だ、上がってこい!!』と叫んだやろな 力道山にはレスラーを越えた怖さ、恐怖を感じる。
猪木にはない部分。 力道山は39歳で死去とあるけど歳のサバ読みで猪木は嘘だと自伝に書いてある
実際はどうなのかな 朝丘雪路さんが亡くなられた。
力道山と公の場(ラジオ)で最後の共演をした。
その少し後に力道山は刺された。 >>672
そうなんだ?
朝岡雪路さんも力道山と縁があったのか。
まああの年代の芸能人なら何らかの形で力道山とは縁がありそう。 力道山が
今の暴力教育反対の世の風潮の変わり目に生きてたら
どうなってたか気になるわ 力道山は人間としての器量もあったらしいな。
力で捩じ伏せる恐怖政治だけではなく。
しかし猪木や馬場はそこまでの器量はなかったと。
力道山は自分でプロレスを世間に広めたりと。
しかし猪木や馬場は力道山が敷いたレールの上に乗っただけ。
人間的な器では力道山と猪木、馬場では相当な差があった。
何かの記事に書いてあった。
それはその記事を書いた人の意見だが。
器量なら猪木より馬場の方があったとも書いてあった。
ただ猪木は器量とは別のカリスマ性を持っていた。
まあだからあれだけの希代の英雄になれたわけだが。 >>677
同じ様な事を長州も言ってた。
革命時代に長州は猪木を倒す事を目標にしていた。
しかし後々に長州が語ってた。
俺も辰っつぁんも猪木さんの首を狙い。
当時は全力でつっ走って。
絶対に猪木さんを越えてやると。
しかし今から考えたら越えられるわけない。
だって俺も辰っつぁんも猪木さんが敷いたレールで動いてるわけだから。
冷静に考えたら簡単。
でも当時は本気で猪木さんを越えてやると思ってたからね。
まあ当時の自分をバカだとは思わない。
それがあって俺も辰っつぁんも輝けた部分が大きかったし。
何年か前の長州のコメントだから最近だな。 前田は猪木にプロレスをさせなかった唯一の男。
簡単に超えたけどね。 猪木は蹴りに対応できないかんな。
橋本との対決でもそれがモロにわかった。 アノキはリキドの墓参りは定期的に行って欠かさないみたいだ。
やっぱりアノキに取ってリキドは特別な存在なんだろう。 >>688
力道山の人相悪く典型的な悪役顔だが、猪木も悪役顔。
この漫画の題名は? 多分闘龍伝という漫画だと思う。
リキパレスの字がリキゴウザンになっていたので
試しに力豪山で検索してみたらヒットしたw 猪木 対 荒川
見た目だけなら力道山 対 猪木の仮想対決になりそう >>660
『プロレスの試合で相手の強さを計れるというのが嘘くさいというか…』
⇒プロレス=ショー、ブックという基準の現代の常識だけで
全て嘘くさいと片付けてしまう事は意味がないし、それでは議論にもなりはしない。
プロレスにはショー的要素もあるがその中で実際はどうだっかを
力道山が生きていた時代の報道、過去の動画、
どのようなトレーニングをしていたか、
その時代を知っている人達の証言、
実際に戦った人達の証言から分析するしかない。
力道山が生きていた時代には何も言えず、
死んでから悪口を言っている人達よりは意味がある。
力道山をテークダウンさせるのは難しいというのはテーズだけではなく他も認めています。
また相撲時代はほとんど1分以内での戦いですが
60分戦える(ショー的なプロレスと言えど)のは肉体改造の表れでしょう。
プロレスを最初に始めたときはすぐに息があがっていたので。
どちらかというと木村政彦派のユセフトルコも以下のように語ってます。
「力道山という人は強かったよ。どうしてかというと稽古したもん。
あの人の稽古は凄いよ。おれらが怪我したり、風邪をひいたらぼろくそだった。
リキさんはね、下の人間にもやらせるけど、自分も稽古をちゃんとやる。
一番凄いよ。こんなに稽古が好きな人間はいなかったな」 力道山の強さて
シュートの強さじゃないんだよね。
木村戦みたいに目的の為には
手段を選ばない残酷さだよ。
謝罪して相手を油断させといて、
後ろから殴るみたいな卑怯で凶暴な性格にある。 >>693
『謝罪して相手を油断させといて、
後ろから殴るみたいな卑怯で凶暴な性格にある。』
↑
妄想ですか?
木村戦にしても後ろから殴るような事はしていません。 力道山の強さは怪我を押してでも試合に出場する精神力だったと思います。
プロレスは筋書きのあるショーと言いますがそれでもアクシデントなどがあり、実際に死人やけが人も出ているのも事実。
力道山もタッグ戦で怪我をしたことがあります。
それは1962年9月14日、シリーズの開幕戦となった東京で行われたアジアタッグ選手権試合。
[王者組]力道山&豊登 vs [挑戦者組]スカル・マーフィー&マコーニの試合。
この試合の乱闘で力道山は外人組の攻撃により『右胸鎖関節亜脱臼』の重傷を負い、翌15日から試合を欠場します。
しかし、当時絶大な人気者だった力道山の欠場に観客が不満を爆発させ騒然となり、暴動にもなりかねない感じとなったそうです。
そこで3日間休んだ後に力道山はアメフトのプロテクターを着けて リングに上がりました。
ただ、この怪我以降は力道山の空手チョップの威力もなくなったようです。
この頃から痛み止めを打って試合に出場したので興奮剤使用と言うわさもありました。
力道山自身もだんだんい嫌気をさしてきて引退も考えていた時期に偶然にも酒場で刺されました。
スカル・マーフィー戦の怪我をプロレス一流のアングルという見方もできない事はないが
欠場して興行に穴をあける事は力道山にとってメリットはないので事故だったのでしょう。 今はYouTubeで全盛期の力道山の映像も猪木の映像も見れるのだから、自分の目で見て
判断できる。
そういう点ではいい時代である。 >>694あくまでも喩えだよ。
力道山は木村を騙し討ちで倒してる。
引き分ける約束を
反古にしてね。
木村をリング上で
半殺しにした事で
力道山はプロレスラーとして
絶大な人気を得た。
こういう残酷さは
他のレスラーにはない。 >>698
『力道山は木村を騙し討ちで倒してる。 引き分ける約束を 反古にしてね。 』
↑
これについては現代の通説だが力道山が亡くなったあとの木村証言による一方的な話。
力道山は亡くなっているので反論の仕様がない。
1954年12月22日の試合直後に木村直筆捺印入りの引分の確約書がスクープされ話題になったが
力道山は自身はサインしていない、破っているので合意していない、
木村は合意していると当時も平行線だった。そして1955年2月10日に和解している。
力道山、木村、関係者も亡くなっているので真相は闇の中である。
木村政彦も「真剣勝負なら力道山に勝つ」と朝日新聞紙上で挑戦して引分を画策したのだから
それを信じた当時の国民をだましたとも言える。
『木村をリング上で 半殺しにした事で 力道山はプロレスラーとして 絶大な人気を得た。
こういう残酷さは 他のレスラーにはない。 』
↑
力道山対木村戦は当時も凄惨で不評だった。
特にこの試合で絶大な人気を得たわけではなかった。
力道山人気は木村戦前のシャープ兄弟戦ですでに絶大だった。
力道山の人気はあくまで企画力。
対外人戦での人気でしょう。
また、次々に招いた外人選手が当時の日本で盛り上がるタイプだったのでしょう。
最初に招いたシャープ兄弟、
それから木村、山口戦後のメキシコのオルテガ、
キングコングとのアジア選手権、二度目のシャープ兄弟、
ルーテーズ、そして各国の代表をまねいたオリンピックのようなワールドリーグ戦、
噛みつき魔ブラッシー、
覆面でありながら全米アマレスチャンピオンでもあるデストロイヤーなどなど >>698
『木村をリング上で 半殺しにした事で 力道山はプロレスラーとして 絶大な人気を得た。』
↑
力道山・木村戦は木村政彦側にとってはシャープ兄弟戦での名誉回復、
キャバレー木村&自身のプロレス団体(国際プロレス団)の
経営赤字補填のための資金獲得などメリットはあったが
業績好調ですでにシャープ兄弟戦で絶大な人気だった
力道山にとっては特にメリットはなく、する必要がない試合だったかもしれません。 いやする必要はあった。
対戦しなかったら、
力道山は臆病者だって木村に言われてる。
世間もそう見る。
木村を完全に倒した事で、
力道山は正真正銘
日本のプロレスの
トップになった。 ネトウヨが必死で木村政彦擁護してるけど映像観たら、あっ…(察し)ですわ 総督府というのは役所の名前であって行政単位じゃないよ
力道山は単に日本統治下の朝鮮出身
大阪府とかと混同しているのか? と思ったら上の方にめちゃくちゃ詳しい人がいてバカウヨタジタジで草 木村は木村でもラッシャーと力道山ならどちらが強かったかな? 体格ではラッシャーが一回り大きい。
しかしラッシャーは優しすぎる。
力道山は躊躇なく攻撃できるメンタルがある。 ラッシャーは自ら相手を潰すという考えはないからできないな。
潰しにきた相手を返り討ちならまだ有り得るが。
でも火が点く前に相手から潰されてしまう可能性がある。 猪木と力道山よりラッシャーと力道山の方が見たい気がする。 712ナイツだが、
力道山と橋本も見たいな。
恐らく小川との試合みたいになるか、あれを越えるか。
力道山ー木村と同じくなるかも。
生前の橋本は『力道山とはどういうお方だったか』と。
『猪木さんの師匠の力道山とは戦ってみたい』とも。
でもあの小川戦よりかなり前だったからな。
小川戦のあとならそんなコメントできないだろう。
いくら相手が故人でも。 >>713
714(アク禁)ないし だが、
力道山の肉声を聞ける動画ってあるらしいな。 力道山は朝鮮より日本の方が長かった。
15、6で日本に来て日本では20年以上。 >>715
お前はあと2年以内に死んだらみんな喜ぶよ 717(それは)ないな だが、
>>716お前さんこそ来週にもこの世から跡形も無く消え失せてくれ。 718(それは)ないわ だが、
>>716お前さんは骨の一片も残さず消え失せる責任がある。 >>718
おもしろーいw
早くみんなの期待に答えて孤独死しろよw 721なにー?だが、
>>720力道山のガチチョップ5発也 724何よ だが、
力道山は自分のバックに物を言わせていた部分があった。 725何語?だが、(お前のは)→>>719
一秒でも早くこの世から跡形もなく消滅しろって命令してんだろ。 晩年の力道山ではアントニオ猪木にシュートで極められい程強くなっていた 728浪浪花だが、
晩年の力道山は実際に体はボロボロだったみたいで。 日本プロレス時代にガチンコのセメントで鍛え上げられカールゴッチから基礎体力トレーニングとシュートテクニックを学んだアントニオ猪木
と相撲出身で頑丈な肉体と足腰が強い力道山では果たしてどうか 『山道力』って表札見たが、力道山意識して付けたのは明白。 >>729シュートでやるわけないよ。
それと昭和三十八年の頃なら、
まだまだ力道山の方が強いよ。
猪木が一番強かった頃て、
新日旗揚げ時ぐらいから、
アリ戦の頃だよ。 力道山と猪木 共に年齢的、肉体的な全盛期での比較。
強さなら力道山の上という意見が。
でもレスラーとしての幅広さは猪木が上だろうな。 相模原の力道山イベント
「怒涛の男」上映会&郷土史家、市長によるトーク
は、なかなか良かったですよ。
何が良かったかというと、力道山の試合シーンを見つめる観客のじいちゃんたちが良かった。
ネット環境無い人の中には50年ぶりの力道山だった人もいるだろう。
凝視する人、微動だにせずかすかに微笑む人、ハンカチを目に当てる人……
それらの顔がスクリーンの光に照り返されて。
体験出来なかった街頭テレビに参加できた気持ちです。
チケットは600円。 力道山は同胞意識が強く星野勘太郎や大木金太郎等のレスラーを可愛がっていた
プロレスは在日の娯楽だった時代 可愛がってはいたけど、
評価はしてなかった。
一番評価していたのは馬場だからね。 『力道山は同胞意識が強く星野勘太郎や大木金太郎等のレスラーを可愛がっていた
プロレスは在日の娯楽だった時代』
↑
星野勘太郎は1961年日本プロレスに入っているが
当時日本人上位選手のみが出場できる(途中から若手有望株も)
ワールドリーグ戦にも出場できていないので
それほど可愛がられたという感じでもないでしょう。
力道山は相撲出身ですが大相撲からスカウトした選手でも
日本プロレス初期からいる芳の里などはワールドリーグに出場できていません。
日本人準エースは初期は柔道出身の遠藤、それに並ぶのは大相撲出身の豊登でした。
次に多く出場したのは山口利夫の団体から移籍した学生相撲出身の吉村。
吉村はカールゴッチと名勝負してカールゴッチにも評価された業師でした。
若手有望株としては大木、猪木は4回目、5回目、マンモス鈴木が5回目に出場していますがいずれも負け役。
馬場は海外遠征していたせいで5回目で初参加していますが4勝2敗1分けと凱旋一時帰国となっています。
このワールドリーグの日本人出場選手から見てもわかるように
力道山は出身母体まどや民族などでひいきはせず、そのときの実力重視、華のある選手、特徴がきわだった選手を選んでいるのがわかります。
朝鮮系のみを優遇したという事実はないでしょう。 誤字失礼しました。
力道山は出身母体まどや民族などでひいきはせず、
↓
力道山は出身母体、民族などでひいきはせず、 >>739だから評価していたのは豊登と馬場だよ。
それと遠藤幸吉は
力道山の先輩なんだよね。
プロレス入りは遠藤の方が早くて、
デビューした直後は
力道山の方が頭を
下げた。
豊登や芳の里や
吉村道明と違って、
子分ではなかった。
他の奴みたいに殴ったり、
暴言を吐いたりは
絶対にしないし、
出来ない相手だった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています