>>604

『力道山が不当に大関になれなかったって論拠として説得力があると思う』

不当に大関になれなかったとは言ってません。
大関になれる可能性のある実績だったという事です。
大関候補とされた当時の報道を否定できる事ではありません。
大関になった力士はよほど酷い力士ではないかぎり休場はあっても
負け越しを何度もして勝率が昇進時より極端に悪くなって引退はほとんどないでしょう。
2場所連続負け越しして大関陥落した力士はまれにいますがそれは例外です。
なので大関昇進時の力士は横綱になったような力士、
スピード出世力士を除いて6割弱くらいでしょう。
大関になった以降の方が勝率が上がるケースは多々あります。
(昇進直前の3場所よりは勝率が下がる事はありますが
 通算成績が下がる力士はほとんどいません)
力道山は大関候補であって大関になっていないのでかなり優秀な方でしょう。


>>606
『関脇に上がってから一回勝ち越しただけで大関になる事は早々ないんじゃないかなあ』

横綱になった前田山など小結から関脇に経験なしに大関になっているケースがあるのが年2場所制です。
力道山は小結で10勝してますし、翌場所関脇で8勝、当時の基準では
次の場所で大きく勝ち越せば大関となるでしょう。
今の6場所制の基準、今の常識で考えてはいけません。
9勝1敗で準優勝したときも5枚しか上がらなかったのも残念だったでしょう。
それよりも肺ジストマが原因で3勝12敗となった唯一の負け越しが不運だったのでしょう。
ここで休場あるいはこの3勝12敗を除けば
幕内通算成績は6割2分1厘となり、歴代の大関の昇進時と比べても遜色ありません。
上位クラスとも言えます。

9勝1敗での優勝決定戦のきわどい負け方、
肺ジストマのときの親方、相撲協会の治療費の援助もない、見舞いもない冷たい仕打ち
廃業したときの1950年は朝鮮戦争が勃発、生まれ故郷が北と南に分かれ戦争、
日本と国交がなくなった上に故郷は戦争、里帰りもできなくなった憤りもあったのでしょう。
力道山の廃業は単純な話ではいろんな事が複雑にからんでいます。