>>564 続き
【 力道山 と 前田山英五郎(八代高砂親方) 】

また、一説に広く流布されている「空手チョップ」は、極真空手総帥の大山倍達が伝授したと、
梶原一騎が「空手バカ一代」で吹いたものだから、世間ではそう信じられているが、全く違う。

なるほど、力道山も大山倍達もグレート東郷も同じ朝鮮人であるが、
ここにもう一人別の朝鮮人が登場する。

中村日出夫 (空手家) である。
※ 中村 日出夫(なかむら ひでお、民族名:姜 昌秀(カン・チャンス、? ??)、1913年6月16日 - 2013年1月8日)は、
朝鮮半島出身の空手家。空手道拳道会初代会長。空手十段。

『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』によれば、同じく朝鮮半島北部出身の力道山と力士時代から親交があり、
力道山から朝鮮語で兄さんを意味する「ヒョンニム」と呼ばれ慕われていたという。
相撲を廃業しプロレスに転向する際には空手を伝授、これが力道山の代名詞となった必殺技・空手チョップ誕生に繋がったとされる。

素手で材木を切断する『垂木切り』の演武で知られている。
これは、中村の正拳突きや手刀で打たれた材木が「折られた」というよりは「切られた」ような滑らかな断面になることから名付けられた。

元極真会館全日本チャンピオンの盧山初雄は、極真会館を禁足処分となっていた時期に中村の内弟子として稽古に励んでいた。
後に全日本大会で旋風を巻き起こした下段蹴り(ローキック)は、この時期に体得したものであるという。
盧山は後年、著書などで折に触れて中村門下だった頃の話をしているが、当時20代で体力もピークだったにも関わらず、
既に50代だった中村に手も足も出なかったと述懐している。