アントニオ猪木 対 力道山 [転載禁止]©2ch.net
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もし猪木と力道山のシングルがあればどんな試合になったか?
力道山が63年に死去せずにいて。
それで日本プロレスが一足早く日本人対決を行えば。
68年〜70年頃に実現したと仮定して。 >>430
つまり、プロレススーパースター列伝の「私は泣いた 泣いた ただ泣いた」 (アントニオ猪木・談)は、あながち嘘では無いと、
嬉し泣きと言う意味合いで、 >>416
支える場所がのやつを読んだとき俺は素直に感心したけど
プロレス嫌いの友人に見せたら「猪木がまちら切れるだろうな」と言ってた こういうのを息子の百田光雄が聞いたら複雑だろうな。 >>430
>力道山が亡くなった時は周りは悲しむよりも安心した、と。
> 悲しむ事もなく喜ぶ事もなく安心した。
>これで『力道山から解放される』との安ど感。
安ど感と言うより
力道山が亡くなって得をしたのは後に「ダラ幹」と言われた
遠藤幸吉、豊登、芳の里、吉村道明の4人でしょう。
百田家から日本プロレスの実権をこの4人は奪いました。
しかし4人のうち、豊登は力道山の後を継いで社長になりましたが
ギャンブルまみれの素行の悪さですぐ追放されます。
次に社長になったのは芳の里でしたが
日本プロレス崩壊の原因とされ、悪者になされた感もあります。
取締役経理部長として権力を握った遠藤幸吉が一番得したかもしれません。
遠藤幸吉はリキパレス経営に困った百田家を助けようとした
当時取締役営業部長であった吉原功を追放しています。
吉原功はその後、国際プロレスを設立しました。
日本プロレスを分裂させたのは遠藤幸吉が原因でしょう。 >>432
>ユセフトルコですらホッとしたんだっけ?
ユセフトルコは木村政彦を慕って木村政彦の柔拳興行などに参加していましたが
裏切って木村政彦の国際プロレス団ではなく、力道山の日本プロレスに入り、
力道山のマネージャー的な仕事もしたりしていました。
力道山が1963年に亡くなり
木村政彦が1993年に亡くなりましたが
木村政彦がグレイシーブームなどで復権すると
木村政彦よりの発言をしています。
まさに風見鶏と言えるでしょう。 猪木と力道山の師弟関係は大相撲のかわいがり的なところだけで誤解されていますが
猪木の力道山に対する熱い想いの発言もあります。
『
猪木は力道山が刺される日までは
「ことある毎になぐられるのでうらみをもっていた。」と話しました。
巡業が終わって帰ってきた日、力道山が刺された日の昼間に
大相撲関係者と力道山がマンションでお酒を飲んでいた。
合宿所に一人でいた猪木も
力道山のマンションに呼ばれ、かけつけ3杯飲まされた。
そのとき、大相撲の親方が猪木に向かって「こいつはいい顔しているね。」
力道山もにっこり笑ってうれしそうに「そうだろー」と言った。
その言葉に猪木はすくわれたと語ってました。
それまでは自分の事をどう思ってるかわからなかった。
自分に目をかけてくれると思った。
「怖い存在は人間には必要。
力道山が亡くなってからも永く怖い力道山の夢を見たが最近は見なくなった。
笑っている力道山の夢を見るようになった。」
』
『
「力道山を偲ぶ会」にて
アントニオ猪木「(力道山師匠の事を)語りだすと
1時間、2時間じゃ終わりません。張本先輩も業界は違いますけど
「力道山門下生」として会うと力道山師匠の話をします。
師匠の(没)50周年ということで、素晴らしい人が集まっていただき
嬉しく思います。師匠の「馬鹿やろ!」と言う言葉が印象に残っています。
』
国会でも師匠力道山について熱く語っています。
https://www.youtube.com/watch?v=DD2b0xCghAw&t=29s >>430
>力道山が朝鮮にいた頃は南北に分かれていなかったんだよな。
>だから力道山=北朝鮮ってのはないわな。
>でも朝鮮人気質は力道山は持っており、それが独裁体制。
これも歴史的背景をご存じないコメントですね。
朝鮮半島の北エリアで育つと独裁気質、朝鮮民族であれば独裁気質と考えるのは単純すぎる考え方。
力道山が生まれ育った15歳(1939−1940年)くらいまでの時代の朝鮮半島は日韓併合時代で大日本帝国の一部だったときです。
朝鮮半島には日本の役所、警察もあり、朝鮮民族も日本語教育を受け、日本文化を学んでいたときです。
日韓併合時代は朝鮮半島の朝鮮民族も大日本帝国の帝国臣民とされ日本人でした。
同じ朝鮮民族でも1945年に日本敗戦後に独立し、反日教育で育った世代とは力道山は違う世代です。
北朝鮮を建国した金日成(1912年4月15日 - 1994年7月8日)は7歳から満州、中国で育ち、中国共産党に入党、
その後、ソ連共産党の支援で北朝鮮の指導者になっています。
力道山が朝鮮半島で育った15歳までの間は金日成の影響力がなかった、まじわりのなかった時代です。 力道山が大相撲に入門したのは戦前の昭和15年。
「朝鮮から連れられてきた」と至るところで見かけるが、>>440が言うように
当時は朝鮮は「日本」。つまり沖縄とか北海道から出てきた、と同じような
感覚だったろう。 >>444
当時、朝鮮半島は大日本帝国が統治してたけどコリアンが朝鮮半島から
日本へ行くためには渡航証明書が必要だった。
渡航証明書がないやつらは密入国してた。 >>446
日韓併合後、(明治43年、1910年)は
朝鮮人も大日本帝国臣民になったため
朝鮮人労働者の内地(日本本土)渡来は自由となった。
しかし、朝鮮人の渡来が多くなりすぎ、
内地(日本本土)日本人の雇用を圧迫したため
以下のように朝鮮人の渡来を制限はしています。
1925(大正14)年10月以降 「渡航諭止制度」開始
・無許可労働者募集(ブローカーによる労働者募集)に応じる者でないこと
・日本国内で就職先確実である者
・日本語を理解できる者であること
・必要な旅費以外一定額以上の所持金がある者
・モルヒネ中毒ではない者など
この条件を満たさない者が密航したケースはありますが力道山は関係ありません。
日本本土に渡来した朝鮮人は参政権もあり、日本軍の将校になった者もいます。 >>446
「渡航証明書がないやつらは密入国してた。」
↑
密入国は御幣があるでしょう。
1910-1945年の日韓併合時代の朝鮮半島は大日本帝国の一部でそこに住む朝鮮民族も帝国臣民だったのですから。
確かに日韓併合からの朝鮮民族の内地(日本本土)への渡来自由化により内地(日本本土)の日本人の雇用を圧迫したため
途中から渡航証明書が必要になったのは事実で、
渡航証明書がなく渡来したものもいましたがそれはは密入国というより密航が正しいでしょう。
渡航証明書の条件は >>447 のような条件なのでまじめな渡航者にとってはそれほど厳しいものではありませんでした。
なので力道山も正規に渡航できています。
1940年以降、内地渡航緩和が行われ、炭鉱だけでなく、工場、会社などへも道が開かれたています。
当時の新聞では、福岡県の日産鉱業所では、400人の朝鮮人が採用されて、
新築の住居が与えられ、一人当たり月々20円以上朝鮮に送金したと報道されています。 >>442
チャンピオン太での力道山対死神酋長役の猪木については
>>216 にありますね。
力道山のハワイでのデビュー戦の相手は
チーフリトルウルフ(小さな狼酋長)という相手だったので
それにあやかったのでしょうか?? >>448です。
誤字失礼しました。
密入国は御幣があるでしょう。
↓
<訂正後>
密入国は語弊があるでしょう。 >>428
『シウバやショーグンを知らない世代も増えたと言う事でしょうか
彼達の方がよっぽどえげつない強烈な蹴りや踏み付けを
グラウンドでしてたのですが・・・ 』
↑
確かに >>428 さんの言われるように
シウバやショーグンの方がえげつない蹴り方ですね。
今のUFCルールしか知らないか、又は
力道山対木村政彦戦のyoutubeでの動画でコメントされている方の多くが
力道山イコール悪、木村政彦イコール正義で観ているので
プロレスのルール上認められているサッカーボールキックを
ひどすぎると非難するのかもしれません。
「対戦相手ボロボロ」ヴァンダレイ・シウバの全盛期がヤバすぎる!
プライド 総合格闘技
https://www.youtube.com/watch?v=mOUh2GsJ4uY
マウリシオ・ショーグン
総合格闘技 ファイター ひどい/ヤバいシーン編 - ベストファイター
https://www.youtube.com/watch?v=N36t4-b8QZw 『力道山さんWWE殿堂入り』
世界最大のプロレス団体WWEは24日、都内の池上本門寺にある故力道山さんの墓前で、力道山さんの殿堂入り記念トロフィーを親族に贈呈した。
WWEは毎年、プロレス界の功労者に殿堂入りの表彰を行っており、力道山さんは、レガシー部門で日本人初受賞となった。
http://www.nikkansports.com/battle/news/1812729.html 力道山も今や歴史上の人物的な存在だな。
自分が子供の頃に歴史で教えられた徳川家康、源頼朝みたいな存在。 1995年に放送されたものですが戦後の力道山時代の人気がわかります。
【プロレス】終戦50年特別企画 金曜の夜 日本は燃えた 1
https://www.youtube.com/watch?v=JO2DMN8UFB8&t=102s 1995年に放送された戦後50周年プロレスの続き。
猪木が政治家を志したのは力道山の影響とコメントしています。
馬場・猪木のコンビもなつかしいですね。
【プロレス】終戦50年特別企画 金曜の夜 日本は燃えた 2
https://www.youtube.com/watch?v=9Ou7z9Yv3yg 何にせよ仮定なんだから、全盛期同士の方が良くないか?
両者共に技の知識はあるとしてね(この技術は力道山は知らないが猪木は知ってるとかじゃなくて)。 猪木の全盛期は
クリス・マルコフとの激闘を制して
初制覇した1969年第11回ワールド大リーグ戦の優勝あたりから
1976年異種格闘技戦開始頃前後でしょうか?
26歳から37歳くらい。
力道山の全盛期は
ルーテーズが初来日した1957年頃あたりから
インターナショナル選手権獲得した1958年でしょうか?
力道山が33歳から35歳くらい。
力道山は晩年の1962年タッグ戦で外人組の反則で肩を痛めてから
空手チョップの威力もなくなったと思います。
怪我の直後はアメフト姿でがんばりましたがその後は戦い方が変わりました。
両者の全盛期ではどうでしょう?? 打撃の打ち合いは若干力道山、グラウンドでの展開は若干猪木、スタミナは五分といったところか。
しかし猪木も喧嘩ファイトは得意。
師弟関係ではなく、同期、もしくは初顔合わせの遠慮のない試合なら、6:4で猪木有利と予想。 力道山が生きてたら、猪木は相撲取りになってた(されてた)
猪木はついてた >>459
寝技に関しては力道山は全く技術が無いから転がされたら猪木の圧勝かと 寝技が苦手な事で力道山を甘くみたらやられるかもしれません。
当時の強豪のルーテーズ、デストロイヤーなども
寝技が力道山の弱点、アマレス出身者からみるとレスリング下手は指摘していますが
力道山のタフさ、強さは認めています。
力道山の気迫、執念のすごさは寝技、関節技で骨折などをたとえ受けても
立ち向かうようなすごさ、迫力があるかもしれません。
また、テイクダウンさせるのはルーテーズも難しいとコメントしていました。 >>460
『力道山が生きてたら、猪木は相撲取りになってた(されてた)
猪木はついてた 』
↑
猪木が入門したばかりの頃は雑談で
そんな事も話した事はありますが本気だったかは不明。
力道山の構想としては猪木が20歳になったら米国遠征させるでした。
1963年に力道山が生存中に20歳になった猪木は
米国遠征が決まっていましたが
遠藤幸吉との試合中に怪我をして延期になりました。
1963年末に力道山が亡くなり力道山生存中に米国遠征は実現せず、
翌年、米国遠征しています。 >>464
MMAで相撲出身の選手の試合を見てたら打撃に対応できてないし割とあっさりテイクダウン取れてるとこあるから
力道山もンなもんじゃないかと >>466
MMAでの相撲出身の選手は引退したピークを越えた選手ですし、
MMAは頭突き禁止、肘うち禁止、顔面攻撃禁止というMMAに慣れた戦い方を覚える必要があります。
なのでMMAルールであれば当然、MMAの戦いに慣れた、ちゃんと訓練を受けた選手が強いでしょう。
MMAはカレッジレスリング経験のある選手で打撃を学んだ選手が強い傾向があります。
アマレスのメダリストが必ずしもMMAで活躍できているわけでもありません。
柔道のメダリスト石井もMMAでは苦戦している事からMMAの戦い方に対し臨機応変に対応できるかです。
どのスポーツ出身が強いかというより対応力があるかです。
グレイシー一族にプロレスラーは撃破されましたがプロレスラー桜庭にグレイシー一族は撃破されました。
また力道山の時代は日本はプロ格闘技と言えば大相撲と拳闘しかなかった時代。
柔道人口も多かったですが食っていけなく、
満州の虎と言われ後にプロ柔道、プロレスで活躍した山口利夫なども一時大相撲入りしています。
拳闘はプロはあったが軽量級中心、
つまり、力道山の時代は身体能力のすぐれた大柄の選手は大相撲を選んだ時代です。
なので現代のいろんな格闘技から大相撲を選んだのでなく、日本中から身体能力の優れた体格ある者が大相撲に選ばれた時代です。
なので現代の引退した相撲取りのMMAでの実績が参考にならないでしょう。
ましてここはMMAルールで語るのではなく、プロレスルールでの猪木対力道山の話題です。
頭突き禁止、肘うち禁止、顔面攻撃禁止、サッカーボールキック禁止などのMMA(UFC)ルールの強さは関係ないでしょう。
なお、MMAではパンチOKですがプロレスではパンチ(こぶし)は禁止です。MMAの強さは関係ありません。 >>466
力道山はボクシング好きでボクシングの練習もしていました。
力道山はヘビー級ボクサーも目指しましたが
当時の日本のボクシング協会はプロレスラー力道山が二つの格闘技を選ぶ事を許しませんでした。
リキボクシングジムも日本のボクシング協会からの指示で会長にもなれず経営者にとどまっています。
力道山の夢は日本からのヘビー級ボクシング世界チャンピオン誕生でした。
なので現在のMMAに転向した打撃に弱い相撲取りとはちょっと違うでしょう。 >>468
エディ・タウンゼントは力道山がハワイからよんだんだな 土俵の鬼と言われた横綱初代若の花は力道山を恩人としていました。
以下は横綱初代若の花の言葉。
「私が入門した二所ノ関部屋というのは、優秀な先輩ばかりおりました。
佐賀ノ花関、佐賀ノ花という方は大横綱大鵬を育てた方です。
それに、神風関、力道山関、琴錦関、私の師匠になった大ノ海関、十勝岩関など、関取衆が十何人いました。
若い時分に、こういった優秀な先輩と稽古させてもらったというのが、
小さな私が2年半で十両に上がれた理由であることは間違いありません。
中でも、一番稽古が厳しかったのが、力道山関です。
2人で2時間ぶっつづけで稽古をしたことが伝説のようになってますけど、本当によくそんな稽古をやったもんですよ。
私らの頃は、先輩に稽古をつけてもらって、
こちらのほうから、「もういいです」なんてことは言えない時代ですからね。
もう、稽古をつけてもらうってことは、ありがたくてありがたくてね。
本当に、涙が出るくらいありがたかったんですよ。
だってそうでしょう。天下の関取衆が、
「この若い衆は強くなるから」っていうふうに目をかけてくれなかったら、稽古なんてつけてくれないんだから。
「こんなヤツ、いくら稽古しても強くならんわ」ってヤツには、関取衆だって声をかけませんよ。
コイツは将来性がある、と見抜いた者だけ、関取衆が引っ張り上げてくれるわけです。
だから、若い衆が関取衆に稽古をつけてもらえるってことは、本当に感謝しなきゃいけないんですよ。
そういうふうな気持ちにならなきゃね。」 猪木と曙のスオパーリングで
猪木が軽く曙をグランドに持ち込んで関節極めまくってたから
横綱でそれなら、関脇止まりの力道山だと エディ・タウゼントは6人(藤猛、海老原博幸、柴田国明、ガッツ石松、友利正、井岡弘樹)の世界チャンピオンを誕生させました。
1962年、ハワイ巡業で知り合った力道山に招請されて来日。
「日本からヘビー級のボクサーをつくる」ため、力道山が創設したリキジムでトレーナーを務め藤猛を世界チャンピオンに。
力道山が亡くなり、リキジムの後は田辺ジム・船橋ジム・米倉ジム・金子ジムなど各ジムから招聘を受け、合計6人の世界チャンピオンを誕生させる。
力道山って先見の明は本当にすごかったですね。 >>471
そういうレベルの思考しかできないなら
力道山は相撲時代横綱だった東富士がプロレス転向したときにかなわなかった事になる。
力道山はプロレス転向して体作りも行い、
相撲は1分程度の勝負が決まるが60分フルに戦えるように身体改造もしている。
東富士は身体改造しなかった。
曙も相撲引退後、総合格闘技、K-1、プロレスでも身体を作り直していない。 両者が同年代か初顔合わせという状況なら確かに見応えありそう。
それなら猪木も萎縮する材料がない。
また力道山も 弟子には負けられない との気負いもなくなる。
打撃で力道山 寝技で猪木ってとこだな。 日プロ時代に日本人の世代闘争があれば面白そうな。
力道山 遠藤 吉村 芳の里
馬場 猪木 大木 鈴木
大木は年齢的には力道山側か。
でも立場的には馬場、猪木側に。 横道にそれますが力道山、豊登、馬場が組んだタッグ面白いですね。
1963年なので力道山が亡くなった年。
馬場の動きが速いです。外人組も強い。
Rikidozan, Toyonobori & Giant Baba vs Killer Kowalski, Gino Marella [Gorilla Monsoon] & Killer X (JWA 3-27-63)
https://www.youtube.com/watch?v=l_2f6EZpTCk 琴音竜って1961年に力道山門下になり、リキボクシングジム所属で1962年にはミドル級の東日本新人王にも輝いているんですね。
★琴音会長の誕生日会★
http://ameblo.jp/shiy0512/entry-11161962492.html 以下のリンクの写真になつかしい面々が
撮影されたのは恐らく62年の2月頃だと思われます。
ひとりずつ名前を列記致します(敬称略)。
最前列左から“頭突きの金ちゃん”こと大木金太郎、当時の寮長で力道山の付き人だった“ボンちゃん”こと田中米太郎(桂浜)、
現役生活が短かった長谷川丹次、晩年は全日本プロレスのレフェリーを務めた林牛之助(当時は林幸一)、
中列左よりまだデビュー前だった星野勘太郎(当時は星野建夫)、同じくデビュー前の元UWFレフェリー北沢幹之(のちに高崎山猿吉→魁勝司)、
全日本プロレスで馬場の懐刀だったマシオ駒(当時は駒秀雄)、入門3年目のアントニオ猪木(当時は猪木寛至)、
山本(のちに俳優に転向“原田力”の名で時代劇などで活躍)、
最後列左よりミツ・ヒライ(当時は平井光明)、本間久六(当時は本間和夫、のちにプロモーター)、
谷口(大相撲出身、馬場に匹敵する身長を誇ったがレスラーとしては短命で終わる)、
上田馬之助(当時は上田裕司)、そしてボクサーの琴音竜(琴音隆裕)。
日本プロレス合宿所
http://ameblo.jp/ryosukenasa/entry-10843400312.html
全日本格斗打撃連盟総裁・琴音隆裕
「師・力道山」と「盟友・猪木」
私は、力道山が創設した『リキ・ボクシングジム』のボクサー第1号であり、
盟友として当時の合宿所時代から現在に至るまでのアントニオ猪木の素顔を最もよく知る人物のおひとり、
琴音隆裕氏にお話を伺ってきました。
Gスピリッツ次号は3月30日発売です
http://ameblo.jp/ryosukenasa/entry-10840709007.html 猪木に対する力道山のイジメで一番ひでえと思ったのは、飼い犬の訓練?かなんかで猪木を実験台にしたってやつ。
猪木を噛み付かしたりしたんだろうか?
でかい犬?
まじで朝人のやることはひでえは。 日本プロレス協会の昭和28年(1953年)7月1日設立時の所属レスラー
力道山→1924年11月14日 - 1963年12月15日
遠藤 幸吉→1926年3月4日 - (現91歳)
田中 米太郎(力道山相撲時代の付き人:四股名は土佐風)→1928年1月2日 - 1995年8月31日
元十両 玉ノ川(二所ノ関部屋)(本名:恵良 正行)→ 1924年3月6日-
元幕下 新高山(花籠部屋)羅生門 綱五郎→ 1920年3月5日 - 生死不明
元幕内 駿河海(出羽ノ海部屋)(本名:杉山 光夫)→ 1920年1月1日 - 2010年11月24日 >>486
力道山も大相撲新弟子時代はそれ以上にひどい仕打ちは受けていました。
力道山の弟子への鍛え方は一般の人には
理解できないかもしれませんが大相撲流のかわいがりです。
かいわいがりを乗り越えて出世する事を恩返しと相撲界で言われています。
新弟子時代に力道山に鍛えられた横綱初代若乃花は力道山を恩人と言っています。
大相撲に生きた人たちでないと理解できないかもしれません。 1954年12月力道山対木村政彦戦前後に力道山の日本プロレス協会に入ったレスラー
ユセフ・トルコ(柔拳マッチの選手)→ 1930年5月23日 - 2013年10月18日没
芳の里(大相撲・二所ノ関部屋)→ 1928年9月27日 - 1999年1月19日没
豊登(大相撲・二所ノ関部屋)→ 1931年3月21日 - 1998年7月1日没
渡辺 貞三(柔道)→1930年11月29日- 2003年2月15日没
金子武雄(重量挙げ全日本ライト級チャンピオン)→1930年1月15日没
阿部脩(大相撲。大成山)→1925年5月6日(故人) なんだかこちらは2chとは思えない優れた的確な記述があり素晴らしいですね。もちろんプロのモノ書きの方も参入されているようで
(ムフフフフ)ムフーーは、猪木氏的とさせていただきましたが。
253のやうなけしからん輩も居るのでしょうが、かくしゃくとして理路整然と、意に介さないところが大人のスレッドです。
去年復刻された50年前の週刊新潮にも、力道山急逝の時期の記事があり参考になります。
相撲、プロ野球よりも、当時の歴然とした人気最上位がプロレスといった記載があります。 >>488誇大表現も混じってるからな
テーブルのガラスを割って食べてたとかいらん嘘情報きしょい 逆に息子の百田光雄氏と猪木がシングルやったら
どんな試合になるのか興味わくわ
猪木は馬場とちがって生涯メイェベンターだったから
前座とよばれてるレスラーとは新日本でもなかったんだよ
そっからして想像できない VS荒川、VS永源 VS栗栖
星野、小鉄もなかったかなあ
全日本系なんか全く想像もつかない >>495
猪木は第1試合で鈴木みのるとかとやってたよ それはどうでもいい
ミスター第一試合の百田光雄氏との試合を想像したまえ 89年2月に猪木は長州にシングルで二度目のフォール負け。
ケジメと称して一からの出直しで3月シリーズから第一試合に。
そこで第一試合で鈴木みのるとも対戦。
シリーズ全部に第一試合出場かは忘れたけども。 >>495
百田光雄は力道山の息子というだけで全く弱いレスラーなので全く関心ありません。 百田ならサイズ的に星野か小鉄が合うな。
でも強さなら段違いだろうけど。 寛至vs力道山
開始直後、力道山の張り手1発で寛至がもんどりうって倒れスリーカウント >>13
脳内でやけにリアルに想像できるなー
って思ったらラッシャー木村で想像してたwww >>504
カール・クラウザー(ゴッチ)とビル・ミラーも グレアは気の毒だな。
カルゴとビルミに絞められて、後年はアンイにリングでやられて。
実際には彼らよりグレアの方がまともだったかも知れない。 >>489
==豊登(大相撲・二所ノ関部屋)→ 1931年3月21日 - 1998年7月1日没
間違えました。豊登は立浪部屋所属に訂正します。 力道山と馬場や猪木のタッグ対決でも見たかったなあ。
まあ力道山時代はまだ生まれてなかったけど。 ドラマのリハで、狼酋長イノキとリキさんが、ガチ対決したと、確か梶原のエッセイで書かれてたよな。
「おい寛至!手加減するな思い切りこい!」と力道に怒鳴られ!
若きジュリアン・ソレル如き(赤と黒な)猪木のナックルが力道を襲う!
力道劣勢の中、ここ1番にしか出さない頭突きで猪木をマットに沈めた。
と、梶原ワールド全開のストーリーはプロレスファンなら、知ってるはず・・・。 むかしそれ読んだな、懐かしい
新日寄りなのは週プロだったけど、一騎さんが書くのは決まってゴングだったよね
ターザン山本大嫌いだし、俺も新日ファンだけど買うのはゴングだった アノキとリキドのリングでの対決を見たかった。
ジャイバよりアノキの方がリキドとの対決はおもろそうだ。 力道山も豊登にだけはめったに手を挙げなかったらしい。豊登は怪力なうえ切れると手がつけられなくなるから。
相撲の現役時代、自分の部屋の親方に対してナタで斬りかかったこともあるという逸話の持ち主。 猪木が力道山をネタに北朝行きまくって話題になってる。
力道山は地獄でどう思ってるだろうか?
もっとも力道山の頃は南北分断されてなかったが。
たまたま力道山の故郷が北部だったから今の北朝の位置で。
運も良かったな。
これが南部だったらただの韓国だし。 ☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆ 68歳の時のルーテーズのインタビュー。
https://www.youtube.com/watch?v=exwCIA3Kiw0
初めて力道山に会ったのはいつ、どこで?
「力道山に初めて会ったのは1956年、ハワイで。
彼の事を最初知らなかったので気に止めていなかったが
試合をやってみたら本当に強い奴でした。
相撲出身で始めは相撲スタイルでしたが
試合を重ねる度にどんどん強くなって
信じられないくらい勇気のある人でしたので
工夫に工夫に重ねどんどん強くなっていきました。」
力道山が刺されたニュースはどこで聞きましたか?
「カルフォルニアで聞きました。
びっくりしました。
彼の性格がそうしたのでしょう?
刺されてから3時間も飲んでいたそうですね。
そんな無茶な事をしてはいけなかった。
すぐ病院に行けばこんな事にならなかったのに。
彼の性格がそれをさせなかったのでしょう。
スーパーマンではないのに。
彼はナイーブな神経を持っていましたが彼は認めなかった。
彼はいつでも強い男になりたかったんですね。
私には彼の個性がとってもなつかしい。
東京に行く度にと必ず力道山のお墓に行きます。
力道山に出会うという事はいつもドキドキする出来事でうれしかった。
力道山は凄いいい奴でしたよ。」 デストロイヤーがインタビューで力道山がナンバーワン!!
−−日米通算で約8500試合を行ったと聞いたが、印象に残っているレスラーは
「力道山にはいつも感銘を受けたし、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、ジャンボ鶴田も、とても強かった」
−−最も印象に残っているレスラーは
「ナンバーワンといえば、力道山だろう。彼の空手チョップは他の誰よりも強烈だったよ」
旭日双光章受章のデストロイヤーさんインタビュー
引退から24年、いまの生活は? 「力道山がナンバーワン」
http://www.sankei.com/world/news/171103/wor1711030002-n1.html 【プロレスラーの格闘技戦績 】
ボブ・サップ21-31
華 DATE7-9
アレクサンダー大塚6-13
長井満也5-8
坂口征夫5-7
柴田勝頼4-12
河野真幸3-5
ショーン・オヘア3-5
ジャイアント・シルバ2-6
安田忠夫2-4
曙1-13
石澤常光1-5-1
橋本友彦1-4
石川雄規1-3
杉浦 貴1-3
カール・マレンコ1-2
北尾光司1-2
堀田祐美子1-2
木村浩一郎1-2
安生洋二0-7-2
トム・ハワード0-7
高田延彦0-6-2
トニー・ホルム0-4
太刀光0-4
佐野巧真0-4
高山善廣0-4
谷津嘉章0-3
中西学0-2
タカ・クノウ0-2
真霜拳號0-2
KAZE0-2
レイディー・タパ0-2
中野龍雄0-2
松永弘光0-2
小原道由0-2
永田裕志0-2
アステカ0-1-1
ニック・ミチェル0-1
キッド・キャッシュ0-1
アーロン・アギレラ0-1
藤田豊成0-1
ネイサン・ジョーンズ0-1
TAKAみちのく0-1
日高郁人0-1
マンモス佐々木0-1
矢野啓太0-1
矢野通0-1
田中翔0-1
カト・クン・リー0-1
ブラソ・デ・プラタ0-1
ゼウス0-1
エル・ソラール0-1
CMパンク0-1
佐山 聡0-1
獣神サンダー・ライガー0-1
バン・バン・ビガロ0-1
スティーブ・ウィリアムス0-1
通算67-214-6 勝率23% 力道山 享年39(実際には44?)
馬場 享年61
猪木 現在74 >>520
プロレスラー出身で総合格闘技チャンピオンになったブロックレスナーやグレイシーキラーと言われた桜庭や藤田和之など総合格闘技で活躍した選手が多く抜けていますね。 >>520
ダン・スバーンもジョシュ・バーネットもシャムロック兄弟も抜けてるし。強い奴、全部抜いてるでしょ。 【プロレスラーの格闘技戦績 】
橋本友彦1-4
直 DATE1-5
石澤常光1-5-1
曙太郎1-13
安生洋二0-7-2
トム・ハワード0-7
高田延彦0-6-2
張替美佳0-5
トニー・ホルム0-4
太刀光0-4
佐野巧真0-4
高山善廣0-4
船木誠勝0-3
佐藤綾子0-3
前川久美子0-3
谷津嘉章0-3
ハンス・ナイマン0-3
冨宅飛駈0-2-1
中山香里0-2
中森華子0-2
石川雄規0-2
ダビド・ハハレイシビリ0-2
中西学0-2
タカ・クノウ0-2
真霜拳號0-2
KAZE0-2
レイディー・タパ0-2
中野龍雄0-2
松永弘光0-2
小原道由0-2
永田裕志0-2
アステカ0-1-1
ブラザーヤッシー0-1
ストーカー市川0-1
水波綾0-1
鳥巣朱美0-1
クリストファー・ヘイズマン0-1
ニック・ミチェル0-1
キッド・キャッシュ0-1
アーロン・アギレラ0-1
藤田豊成0-1
ネイサン・ジョーンズ0-1
TAKAみちのく0-1
日高郁人0-1
マンモス佐々木0-1
矢野啓太0-1
矢野通0-1
田中翔0-1
カト・クン・リー0-1
ブラソ・デ・プラタ0-1
ゼウス0-1
エル・ソラール0-1
CMパンク0-1
佐山 聡0-1
獣神サンダー・ライガー0-1
バン・バン・ビガロ0-1
スティーブ・ウィリアムス0-1
前田日明0-0
【通算4-137-7勝率2%】 >>525 は
>522, >523 に記述されているように
桜庭、ブロックレスナーなどの実績を残した選手を無視したデータなんで意味ありませんね。
また、曙は確かにプロレスラーでもありますが先にK1、総合格闘技をやっているので総合格闘技出身プロレスラーと言う解釈もできます。 【プロレスラーの格闘技戦績 】
橋本友彦1-4
直 DATE1-5
石澤常光1-5-1
曙太郎1-13
安生洋二0-7-2
トム・ハワード0-7
高田延彦0-6-2
張替美佳0-5
トニー・ホルム0-4
太刀光0-4
佐野巧真0-4
高山善廣0-4
船木誠勝0-3
佐藤綾子0-3
前川久美子0-3
谷津嘉章0-3
ハンス・ナイマン0-3
冨宅飛駈0-2-1
中山香里0-2
中森華子0-2
石川雄規0-2
ダビド・ハハレイシビリ0-2
中西学0-2
タカ・クノウ0-2
真霜拳號0-2
KAZE0-2
レイディー・タパ0-2
中野龍雄0-2
松永弘光0-2
小原道由0-2
永田裕志0-2
アステカ0-1-1
ブラザーヤッシー0-1
ストーカー市川0-1
水波綾0-1
鳥巣朱美0-1
クリストファー・ヘイズマン0-1
ニック・ミチェル0-1
キッド・キャッシュ0-1
アーロン・アギレラ0-1
藤田豊成0-1
ネイサン・ジョーンズ0-1
TAKAみちのく0-1
日高郁人0-1
マンモス佐々木0-1
矢野啓太0-1
矢野通0-1
田中翔0-1
カト・クン・リー0-1
ブラソ・デ・プラタ0-1
ゼウス0-1
エル・ソラール0-1
CMパンク0-1
佐山 聡0-1
獣神サンダー・ライガー0-1
バン・バン・ビガロ0-1
スティーブ・ウィリアムス0-1
前田日明0-0
【通算4-137-7勝率2%】 >>527 も
>>522 , >>523 に記述されているように
桜庭、ブロックレスナーなどの実績を残した選手を無視したデータなんで意味ありませんね。
しかもここはアントニオ猪木対力道山という
プロレスラーを話題にするところなので
総合格闘技などの実績を話題にするところではありませんね。 【プロレスラーの格闘技戦績 】
橋本友彦1-4
直 DATE1-5
石澤常光1-5-1
曙太郎1-13
安生洋二0-7-2
トム・ハワード0-7
高田延彦0-6-2
張替美佳0-5
トニー・ホルム0-4
太刀光0-4
佐野巧真0-4
高山善廣0-4
船木誠勝0-3
佐藤綾子0-3
前川久美子0-3
谷津嘉章0-3
ハンス・ナイマン0-3
冨宅飛駈0-2-1
中山香里0-2
中森華子0-2
石川雄規0-2
ダビド・ハハレイシビリ0-2
中西学0-2
タカ・クノウ0-2
真霜拳號0-2
KAZE0-2
レイディー・タパ0-2
中野龍雄0-2
松永弘光0-2
小原道由0-2
永田裕志0-2
アステカ0-1-1
ブラザーヤッシー0-1
ストーカー市川0-1
水波綾0-1
鳥巣朱美0-1
クリストファー・ヘイズマン0-1
ニック・ミチェル0-1
キッド・キャッシュ0-1
アーロン・アギレラ0-1
藤田豊成0-1
ネイサン・ジョーンズ0-1
TAKAみちのく0-1
日高郁人0-1
マンモス佐々木0-1
矢野啓太0-1
矢野通0-1
田中翔0-1
カト・クン・リー0-1
ブラソ・デ・プラタ0-1
ゼウス0-1
エル・ソラール0-1
CMパンク0-1
佐山 聡0-1
獣神サンダー・ライガー0-1
バン・バン・ビガロ0-1
スティーブ・ウィリアムス0-1
前田日明0-0
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