>>246
>>248
ケネディ暗殺のときは勿論、力道山が亡くなったときも
生まれているので当然知っています。
当時の事実も記憶だけではなく、ネットの噂話的記述ではなく
国会図書館で当時の新聞、雑誌報道を調べれば明らかです。
1955年2月に発売された力道山対木村戦の内幕について
記述された雑誌も持っています。
私はそのような客観的事実を知っていますが関係者が既に亡くなり
同じ土俵で話し合えない以上、
力道山、木村の言い分、どちらかに決めつけるのは全て憶測にすぎないと思います。
あなたの方がネットや
1970年以降の梶原本、最近の増田本などに影響されているのでしょう。
私の記述をちゃんと読んでください。
信用できないら国会図書館でお調べになってください。

>>243
試合後すぐに木村政彦直筆の確約書、シナリオが
公開、報道されたことも記述しています。

いずれにしてもどちらかに決めつけるのは関係者が亡くなっているので
憶測にすぎないでしょう。

なお、木村政彦は試合直後すぐのインタビューでは確約書の事は述べていません。
試合直後の力道山のインタビューに対し以下のように
木村が語った試合翌日の毎日新聞の談話記事があります。
「力道山は僕が引き分けようと言ったという話だが、
そのようなことを彼が言ったとしたら彼の心理状態を疑いたい。」
「私としては引き分けにしてくれなど
スポーツマンシップに反することは絶対に言わない」

1954/12/22に試合があり、12/24に木村直筆の確約書が公開、スクープされています。
スクープした記者は力道山、木村の両方から取材して力道山から確約書を入手しています。
いずれにしても確約書があったのは事実、
確約書に木村の捺印はあったが力道山の捺印はなかったのも事実、
確約書をお互い合意したかどうかについてなど
両者の言い分どちらが正しいかは闇の中でしょう。