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力道山・木村戦での木村政彦の自筆の確約書は
1954年12月の試合直後に
木村、力道山両者を取材した記者によりスクープされています。
最初の試合で引分、次の試合で木村が力道山に勝ちを譲るという
念書、確約書の存在は衝撃でした。
この念書について力道山は合意のサイン、捺印をして送っていないので
合意していないという主張。
木村はサインしていなくても受けて取っているので合意という見解。
確約書に両者合意していて力道山がブック破りしたか
力道山が合意していなかった、どちらの言い分が正しいかは
両者が亡くなっているので憶測にすぎません。
少なくとも木村の自筆の確約書、念書には木村のサイン、捺印はあったが
力道山のサイン、捺印はなかったというのは事実。
2通のうち片方が破られているので話し合いが
スムーズにまとまっていなかったとも思われます。
試合前に両者が会ったのはコミッショナー立会いのときだけ。
木村が真剣勝負で力道山に挑戦すると宣言したとき
興行側は壮絶な試合になる事は望んでいなく
毎日新聞の当時の部長が木村と交渉しています。
木村自筆の確約書のシナリオは毎日新聞が考えて
木村も力道山が合意するならという事で了承したという話がありますが
毎日新聞が力道山を説得できたかははっきりしていません。
力道山を説得できたかは関係者が亡くなっているのでグレーです。
試合は1954年12月に試合があり、1955年2月に手打ち式がありました。
いずれにしても関係者が亡くなっているので
力道山、木村の言い分、どちらかに決めつけるのは全て憶測にすぎません。