>>239 力道山がブック破りがはっきり通説になったのは力道山死後の話です。
それは1954/1955年の新聞、雑誌の記事からも明らかです。
1963年の力道山が亡くなる頃には
力道山・木村戦はほとんど話題にも上らなくなっています。
力道山対木村戦は1954年12月に試合があり、
1955年2月に手打ち式があるまでもめています。
いずれにしても関係者が亡くなっているので
力道山、木村の言い分、どちらかに決めつけるのは全て憶測にすぎません。
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シャープ兄弟戦でプロレスは日本国内で大人気になりましたが
1954年12月力道山・木村戦の壮絶、悲惨な内容でプロレスは
一時人気がなくなりましたが
4年もたった1959年の第一回ワールドリーグ戦で復活したわけではなく
力道山が企画した1955年11月のキングコングとのアジア選手権や
1957年のルーテーズとの世界選手権で完全復活しています。
特にルーテーズとの世界選手権は大手新聞の朝日新聞も報道しています。
なので木村戦で大手新聞が報道をやめているのは事実誤認です。
1959年の第一回ワールドリーグ戦は大相撲で大鵬人気、プロ野球での長島人気などあり
プロレス人気が負けてきたのでそれへの対抗策としてできた企画でした。