力道山が亡くなった事件から30年後の1993年(平成5年)、
岐阜大学医学部教授である土肥修司氏の著書『麻酔と蘇生』(中央公論社)が
出版された。この書には、力道山の死因について書かれている。

<力道山の死は、出血でも、ショックでも何でもなく、単に、
運び込まれた病院で麻酔を担当した
外科医が気管内挿管に失敗したことであった。・・・・・・
問題は、筋弛緩薬を使用したために、外科医が気管内挿管の失敗を
くりかえしていた間、呼吸ができなかった(人工呼吸をしなかった)
ことによる無酸素状態が死亡の原因であった>

土肥教授によれば、力道山は筋弛緩薬によって筋肉は緩んだが、
太い首が災いし、気道が広がらずチューブの挿入に失敗したという。
土肥教授は留学先のアメリカで、力道山の手術について当時の医学生から
事情を聞き、のちに専門医として調査した結果を発表したのだった。