力道山の死因について
1963年(昭和38年)12月8日。
深夜、赤坂のホテルニュージャパン地下にあった
キャバレー「ニュー・ラテンクォーター」に足を運んだ。
泥酔状態でトイレに立った折、
鉢合わせた暴力団員と足を踏んだ踏まないという些細なことで喧嘩となる。
この時相手の持っていたナイフで左下腹部を刺されてしまう。
近くの山王病院に入院、手術を受けた。
傷は全治一ヶ月と致命的なものではなく、当初は順調な回復を見せていた。
しかし15日夕刻、容態が悪化し再手術。
午後9時50分、息を引き取った。
死因は穿孔性化膿性腹膜炎とされた。
死後、真相について様々な憶測がなされる。
酸素吸入の管を自分で引きちぎった、
禁じられていた水分を摂るため花瓶の水を飲んだ、
付き人が重湯を飲ませた、
暴力団同士の争いに巻き込まれた、
果てはCIAによって葬られた…といったものまで。
しかし現在のところ、単なる医療ミスであったというのが有力な説とされている。
人並み外れた筋肉のためメスを入れることが難しく、当時の医師たちが筋弛緩薬を使用した。
自発呼吸ができなくなるため、気管内挿管を施す。
だがこれに失敗。無酸素状態に陥り、力道山は死亡したという。
気管内挿管が難しければ他の方法もあるのだが、
当時日本の医療現場において気管内挿管という技法は軽視されており、
トラブルに際し柔軟に対応できるほどの熟練者はあまりいなかった。
背景にはそんな事情もあったらしい。