今春、惜しまれつつ引退した福永祐一元騎手。
27年間におよぶ現役生活の中でGI・45勝(地方、海外含む)、日本ダービーは歴代2位の3勝。
紛れもなく日本を代表する名手であったが、ダービージョッキーの称号を手にしたは初挑戦から20年。

 ダービー初騎乗はデビュー3年目の1998年。
タッグを組んだのは皐月賞2着のキングヘイローで、当日も2番人気。
しかし、終始掛かり気味の逃げとなってしまい、直線に入ると一気に失速。

 その後、99年の桜花賞でGI初制覇を飾り、同年末の朝日杯3歳Sをエイシンプレストンで勝利。
後に香港G1を制すなど、大舞台へと活躍の場を広げていった。
だが、名手をしてもダービーのタイトルは遠い。
毎年騎乗を続けるが、07年アサクサキングス、13年エピファネイアの2着が最高。
特に13年はゴール前で先頭に立ちながらキズナの強襲に屈し2着。
悔しい結果となった。

 風向きが変わったのは17年夏、ワグネリアンとの出会いからだ。
同馬は瞬く間に3連勝。18年のクラシックに参戦。
だが、皐月賞では渋った馬場が響き7着に敗れ、ダービーでは17番枠。
内枠が有利とされる舞台で痛恨の枠順だったが、福永騎手は逆に「腹をくくった」という。

 レースでは福永騎手の覚悟が功を奏す。
皐月賞から一転、押して位置を取る競馬を選択。
折り合いを欠いて大敗も有りうる戦法だったが、他馬の後ろでなだめることに成功。
非常に良いリズムで追走。
直線は素晴らしい伸び脚を披露し、悲願のダービー制覇を決めた。

 その後の福永騎手は驚異的な活躍を見せる。
20年ダービーをコントレイルで制すと、秋には同馬で三冠を達成。
更に21年にはシャフリヤールで史上3人目の連覇。
5年間でダービー3勝。
加えてGI・45勝のうち17勝を18年以降に挙げるなど、全盛期を迎えた。

 だが、調教師転身のため今年2月末で騎手を引退。
人気、実力共にピークの中での引退に寂しさを感じたファンも多いだろう。
今後は調教師としてダービー出走、勝利を見据えている。
もし、騎手・調教師の両方でダービー制覇となれば87年橋本輝雄氏以来の快挙。
ファンはその日を心待ちにしている。


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