日本の長きに渡る凱旋門賞への挑戦は、その栄冠を僅差で阻まれ続けた不運の物語だ
1999年のエルコンドルパサーは力強く先行し残り300mで3馬身の差をつけ、その勝利は目前かと思われたが
モンジューの強襲に遭い半馬身の差で勝利を奪い去られることとなった

その7年後、日本の競馬ファン達はディープインパクトを応援するべくロンシャンへ赴き
日本のスーパースターへ大金をつぎ込み現地の単勝は2.0倍にまで支持されることとなったが
そのディープもまた最後の400m勝負で敗れ、後に禁止薬物の検出により失格処分となった

2010年にはナカヤマフェスタがワークフォースに惜敗したが
これは二年後のオルフェーヴルの敗北のような物議を醸すレースではなかった

オルフェーヴルはフォワ賞を肩慣らしに本番へ臨み、
最後の直線で大外を堂々と突き抜けた瞬間、日本馬初の凱旋門賞勝利は間違いないものと思われた
しかし不運なことに、この日本の三冠馬は抜け出すとソラを使い右に斜行をはじめた
クリストフ・スミヨンはすぐに真っ直ぐに走らせようとするものの
このステイゴールドの腕白息子はそのままラチに激突し結果ソレミアにクビ差で敗れてしまった
しかし誰もがこのレースのベストホースはオルフェーヴルであることを疑わなかった

読者はオルフェーヴルの勝敗を分けたものが何だかわかるだろうか?
あるコメンテーターはオルフェーヴルがメンコを着用しなかったことは理解不能だと述べていた
事実、調教師の池江泰寿も馬房に入る直前まではメンコが必要だと考えていた
我々が推測できるのはメンコをつけていればスミヨンがオルフェーヴルを真っ直ぐ走らせることができたかもしれないということ
そしてもう一つ、オルフェーヴルを数々の勝利に導いた池添謙一なら、
ロンシャンを知り尽くしたスミヨンよりも良い結果を残せたかもしれないということだ

知っての通りオルフェーヴルは2013年にロンシャンに再挑戦し
フォワ賞で抜群のパフォーマンスを見せたが本番ではトレヴに完敗の二着に終わった

帰国後、オルフェーヴルは有馬記念に出走し八馬身差の圧勝でその強さを見せ付けた
2013年のワールドベストホースランキングのレースレートでオルフェーヴルを上回ったのは
トレヴとブラックキャビアの牝馬二頭のみだった