旧司法試験ってまさに日本版科挙だったよな?
合格者が年にたったの数百人
合格率は3%前後で、もっと低い時期もあった
東大法学部卒のトップクラスの優秀層が
10年以上受け続けても合格しないのは当たり前だった
まさしく昔の中国の科挙みたいな過酷さがあったわな 旧司法試験末期は合格率1%とか1割ってたでしょ
新は50とか40だったけど そもそも科挙とはどういうものか分かっているのかねえ。
宮崎市定先生の著書くらい読んでいるのか? 大阪府三島郡島本町絡みの中田敏男は
被害者と社会に謝罪しろ
街のダニでド腐れのクズで人間のゴミカスのままで人生を終わりたくないだろ
それとも もう人生が終わったのか 学閥の強い大学トップ10
PRESIDENT 2017年2月13日号
01位 慶應義塾大学
02位 東京大学
03位 京都大学
04位 一橋大学
05位 早稲田大学
06位 東京工業大学
07位 大阪大学
08位 東京理科大学
09位 同志社大学
10位 明治大学、中央大学 問題がやばいと思う。
昭和の問題とか問題文に処分権主義とか一行どころか一単語の出題とかあったもんな。
他人と差別化できる答案なんてかける気がしない。 あんな学部の定期試験レベルの問題
で合格率5%って、昔の受験生はそんなに
レベル低かったの? 中央や日大の卒業生が大量に受験して倍率をあげていただけ。 >>9
旧試験の丙案導入直前期は受けてるレベルの層が高いので答案にも完璧さが求められた。論文は多いときは教養選択含め7科目の試験範囲は膨大。3日間14問14時間の試験をミスなく乗り切らなければならない。
自分のときなんて手形法が出ずにいきなり商法総則が出題して会場にどよめきがわいた。
択一も膨大な量の文章を読ませてパズルのような穴埋め、並び替えをさせる試験が連発。これも7割からひどいときには9割正解でも合格できなかった。
論文の試験会場にはクーラーはなかった。平成になってからは猛暑で会場内の温度が40度近くなることもザラ。男はランニング姿で汗をポタポタ垂らしながら答案書いてた。
要するに集中力を切らしてミスしたやつから落ちる試験だった。そのため、模試ではものすごくできるのに本番に弱くて浪人を続けているベテランも多くいた。もっとも大部分の受験生はそのような勝負できるステージに届いていなかった。当時は、在学中合格なんて一桁しかいなかったし卒1、卒2もすごく少なかったことはその現れといれる。
科挙も末期に受験者のレベルが上がりすぎて、技工的な設問が出ていたと言うし、ある意味似ているところがある。 >>11
? だって学部の定期試験の教室だって同じ状況だったんでしょ。
学部の定期試験レベルの問題もみんな解けないくらいレベルが低かったってこと? 平成に入ってからは、伊藤塾レック辰巳早稲田セミナで問題分析しまくりだったから(余計難易度は上がった)
論文12問中6問は当ててたから。俺なんか「予備校が当てるなんてしょうもない」と無視してたから、余計成績は上がらんかった 学部の定期試験レベルって、いつの時代の話をしているんだ?
少なくとも昭和50年後半は問題は難化したことで有名だし、平成元年以降も一見すると
平易そうだがさすがに基本三法で学部レベルのような出題などないよ。あれば教えて
欲しいもんだ。 >>12
すげえな、おまえ学部試験全部優だったんだな。
それ以前に学部試験レベルと言っている時点でもう実力は推して知れるが。
それ以前に、当時はまず7倍の択一に合格しなければならない。3時間半で当時の択一60問解いて45取れるか。落ちたら5月でその年の受験は終了。
A4の1枚にバラバラに並べられた長文(ところどころ空欄がある)があって、「次の1から7の文章を正しい順番に並び替えた場合に、3番目と7番目と15番目の空欄に入る単語の組み合わせはどれか?」
とかもう法律知識関係ないパズル問題みたいのが延々と続く世界。
単純な知識問題もないわけではないがそこで一問でも落とすようなら即ゲームオーバー。
今はそういう過去問は(今の試験の参考にならないので)あまり目に入らないだろうから想像できんだろうけどね。 旧司法試験は学部の講義ちゃんと受けてれば
受かる試験だった、それでも予備校に行き、
合格率低いのはいかに学生たちが主体性
のない勉強してたからだ、ってゼミの教授
が言ってたぞ。 中大や日大のベテラン受験生が神格化してただけだな。 >旧司法試験は学部の講義ちゃんと受けてれば受かる試験だった
法学部の講義だけで3年生で合格した方を複数存じているが、そういう方の多くは
学部卒ですぐに当時の東大法学部助手にならないかと声がかかるレベルの人材だよ。
京都でも同じだと言ってたな。>>16ってそのレベルの人間なのか、凄いね。
法学部の講義・演習だけで合格するというのは、当時、法学部新入生に向けて語られた
建前の話。予備校がなぜ隆盛を極めたのか、説明してもらいたいもんだ。主体性だけの
問題ではない。 択一試験の直前に、辰巳の総択模試があるんだが、4000人が受けて2000人ほど合格だからな。択一の全合格者数は3500人程度。そうなると、対等に戦うには、受けざるを得ないんだよな。 旧司法試験のころは大学の法職で司法試験は足りたと教授が言ってた。
択一は知識というより、基本的な条文とか判例からその場で考える試験だ、
知識だけで解こうとするからダメなんだって言ってたな。 「旧司法試験ってまさに日本版科挙だったよな?」とあるが、そもそも「科挙」とは
どういうものか明確にすべき。