刑法の勉強法■59
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244元ヴェテ参上2019/07/12(金) 08:29:25.59ID:PHEhDvbb
「行為意思」概念は必要か(4)
4 行為意思論の展開
中野概要以降、行為意思論は、鈴木左斗志「方法の錯誤についてー故意犯における主観的
結果帰責の構造」(1995年)、高山佳奈子『故意と違法性の意識』(1999年)、佐伯仁志
「故意・錯誤論」(『理論刑法学の最前線』〔2001年〕)を中心に展開された。
本稿では、高山・違法性の意識を中心に検討する。
高山は「故意から区別された意思は、行為の内容として理解されるべきである」とする(156頁)。
そして、「行為意思は、故意犯にも過失犯にも共通の要素であり、主観的違法要素である。・・・
行為意思は、犯罪論の体系において責任よりも前に位置づけられる。すなわち、違法要素である」
とする(160頁)
高山は、別の論文(「相当因果関係」クローズアップ刑法総論T頁以下)でも、「行為者の主観面
にも危険性の判断に影響を及ぼしうる要素があるが、それは、故意の意無ではなく、行使の属性
としての行為意思の内容である」(16頁)。「重要なのは、故意の有無ではなく、『狙って撃とうと
しているかどうか』である。では、そのような主観面は、やはり『実行行為』の要素として位置づけ
られねばならないのだろうか。その必要はないと思われる。『実行行為』ではなく、『行為』の具体的
属性とすれば足りるからである」とする(15頁)
高山の提言をまとめると次のようになる。
@行為意思は、行為の属性である。
A行為意思は、主観的違法要素である。
B行為意思は、故意と過失に共通する主観的違法要素である。 245元ヴェテ参上2019/07/12(金) 08:46:53.21ID:PHEhDvbb
「行為意思」概念は必要か(5)
(1) 行為意思は行為の要素か
「行為」「意思」という以上、「行為意思」は行為の要素であるとしなければ概念矛盾であろう。
主観的要素を責任論より前に繰り上げることを峻拒する中山博士も「犯罪行為自体は主観と
客観の有機的な統合体」であることは認めておられる(中山119頁)。しかし、行為に意思的
要素を認めるか否かは、いかなる行為論を採用するかで結論が異なってくる。
現に、行為を単なる「人の身体の動静」とする平野博士・町野教授・前田教授は、「行為意思」
を問題としていない。意思的要素を排除した社会的行為論―「何らかの社会的に意味のある
人の態度」−を採る中山博士・内藤博士は、「行為意思」を否定するだけでなく、「目的」も違法要素・
構成要件要素ではなく、あくまでも責任要素であるとされる(中山148頁、内藤164頁)
したがって、「行為意思」は、意思的要素を排除しない社会的行為論−「意思による支配の
可能な、何らかの社会的意味を持つ運動または静止」(曽根・原論95頁、高橋79頁)−あるいは
目的的行為論を採る限りにおいて認められる概念であるということになる。
問題は、睡眠中の動作や反射運動などを行為論で排除するのか(大阪地裁昭和37年7月24日)、
それとも責任論で排除するのか(控訴審=大阪高裁昭和39年9月29日)の選択にかかって
いる。犯罪論の第1関門である行為論では、できるだけ間口を広く構えておいて、構成要件該当性
⇒違法性⇒有責性で順次限定を図るというのが構成要件論の基本思想ではなかったのか。
この点について、平野113頁は「もともと犯罪論の構成に際しては、できるだけ、まずはじめに、
客観的・事実的な要素から出発し、しだいに主観的・評価的な要素に立ち入るというのが妥当
なのであるから、第1に検討すべき行為概念に、意思の有無という主観的な要素・・・をおりこむ
のは、必ずしも適当とはいえない」とする。町野124頁も「身体の動静以外の主観的要素は、
行為概念においてではなく、故意・過失あるいは責任能力という責任の段階で検討すれば足りる」
と明言する。 246元ヴェテ参上2019/07/12(金) 08:49:50.31ID:PHEhDvbb
「行為意思」概念は必要か(6)
(2)行為意思は過失犯にも認められるか
高山教授のほか、鈴木茂嗣91頁も、「行為意思」は故意と過失に共通する要素であるとする。
これに対して、曽根・重要問題168頁は、「行為意思」は故意の事実的基礎であるとする。
「行為意思」が行為の要素であるならば、行為とは、故意犯だけでなく過失犯・不作為犯を
包摂する概念であるべきであるから、当然、過失犯にも「行為意思」があるとするのが論理的
である。しかし、仮に過失にも意思的要素があるとしても、それが故意におけるのと同質のもの
であるかは問題である。
われわれは、目的的行為論が過失犯を包摂することに苦心したことを想起すべきである。
「ピストルを掃除する意思」(福田平『目的的行為論と犯罪理論』102頁)や「自動車を超スピード
で運転する意思」(同106頁)が過失犯における「行為意思」の実体であるとすれば、多くの
論者が指摘するように、構成要件外の法的に無意味な意思を行為概念の本質的な要素とする
ものであり、批判を免れない。
このように考えると、過失には「行為意思」は認められないといわねければならない。 247元ヴェテ参上2019/07/12(金) 08:55:19.46ID:PHEhDvbb
「行為意思」概念は必要か(7・完)
(3)行為意思は主観的違法要素か
以上の検討により、「行為意思」は、特定の行為論を採った場合に、しかも故意犯に限って
認められることが明らかになった。最後に、「行為意思」が主観的違法要素であるかが検討
されなければならない。「行為意思」が故意行為の要素であるとする前提から、それが主観的
違法要素であるとする結論を導き出すことができるかである。
主観的要素を違法性ないし構成要件まで遡らせることは、構成要件を違法類型または違法・
有責類型と解することによって初めて可能となる。しかし、遡れるのは構成要件までであって、
行為まで遡ることは(中野博士のように、明確に行為論において行為の違法性を論じるので
あれば別であるが)、一般の構成要件論を前提とする限り不可能である。行為の段階で違法性
を論じることはできないといわなければならない。
このような批判を回避するためには、「行為意思」を行為の要素ではなく、構成要件に属する
「実行行為」の要素であるとするのも一案であるが、高山・クローズアップ12頁以下は、実行行為
概念を否定している。
このように考えると、「行為意思」は違法性に属する主観的要素と解するほかない。しかし、
それは「行為意思は、行為の属性である」とする高山教授の大前提と矛盾する。
そもそも、「行為意思」概念設定の意図は、「後の行為を目的とする犯罪」を説明することに
あったはずである(山・違法性の意識153頁以下)。しかし、その説明なら、佐伯=平野説
以来認められている「目的」という主観的違法要素で可能である。「目的」とは別に、敢えて
「行為意思」という概念を設定することの意義が問われている。 >>206
刑法の勉強法■58から転載
著者は元ヴェテ参上氏
タイトルは「『行為意思』概念は必要か」 神山敏雄『不真正不作為をめぐる過失犯』(成文堂)ひとまず読了。
簡単にまとめると、不真正不作為形態の過失犯においては、保障人
的地位の論証が必要でこれが欠ければ構成要件該当行為は欠ける
ことになるとされる。
ただ残念ながら、過去発表された論文のみ収録されており、近年の
反対説(=過失犯においては注意義務のみ認定すれば足りる。日高・
稲垣・樋口説)に対する新しい再反論は掲載されていなかった。
この点、判例は過失犯の認定においては、注意義務のみ認定して、
作為義務については明示的に認定していないと思われる。
また、作為義務について一元論に立つならばともかく、類型論に立つ
ならば、作為義務と注意義務の違いはほとんどなくなってしまうの
ではないか、との疑問を抱いた。さらに考察を深めたい。 コバケン先生、このスレを見ているならあの晦渋で衒学的な文体を改めていただけませんか?
読みにくいったらありゃしないです >>196
用語が違えば違う意味であることを前提に理解しようとするのが普通だろう。
また「煎じ詰めれば同じ意味」の概念を態々異なる用語で表したら混乱するって思わないだろうか?
気にする人が出てくる原因はテキストの方にある、気がしないでもない…。 法解釈学が科学であるかどうかについて論争があったのは事実だが、
学問であることは争いはないのでは? そういう文脈で使う「科学」は学問の意味では?
まあこれも言葉遊びなんですがね 神山・不真正不作為をめぐる過失犯、作為義務と注意義務の関係について興味があったから読んだのだけれども、
保障人義務についての考察がとても秀逸だった。 >>215
大塚仁は、通説は保証者的地位(構成要件の要素)と保証者義務(違法性の要素)を
区分するが、実際問題、両者の区別は困難ではないかと批判するのだが
その点、神山はどう考えている? 明言はしないが保障人的地位と保障人的義務の二分説には立たないはず。
神山説は顕在的依存関係と潜在的既存関係ある場合に保障人義務を認める。
具体的には、
@不作為者が一定の法益との特別関係にあるため直接当該法益を保護する
義務(結果保障人義務)→顕在的依存関係及び潜在的依存関係の両者が問題。
A自己の管理する危険物、瑕疵ある施設、危険な業務等から当該法益の危険
が生じた場合、その侵害を防止する義務(危険源保障人義務)→潜在的依存関係。
B被監督者によって第三者の法益が侵害されるとか、管理されている危険な道具が
第三者によって犯罪手段として使用されるとかの場合、監督者・管理者がそれを
阻止する義務(犯罪阻止保障人義務)→潜在的依存関係。 井田教授が、抽象的事実の錯誤につき、通説である法定的符合説に反し、死体遺棄罪(190条)
と単純遺棄罪(217条)の符合を認めることにつき(講義刑法学210頁以下)、前から疑問に思って
いたが、理論構造109頁を読み直して疑問が氷解した。即ち、
「素人的認識にもとづくA罪の実現意思がB罪実現の意思と重なり合い、A罪の実現意思に
担われたB罪の事実の実現が、B罪の行為規範を侵害するといい得る限りにおいて、故意は
肯定される。このような考え方を規範的符合説と呼ぶことも可能であろう。
もちろん、行為規範は法益保護のために設定されるものであるから、保護法益が異なれば
行為規範も異なり、異なる法益侵害について故意の符合を認めることはできないのが原則
である。
たしかに、法的にみれば、生体と死体とは相互に他を排斥する概念であるが、いずれも
「人体」に包括されるし(平野)、しかも、具体的な行為事情に即した意味の認識のレベルでは
「生きているか死んでいるか明らかでない人」という上位概念を想定し(西原)、そういう状態の
人を遺棄するなという行為規範を考えることは可能である」
批判として、高橋207頁、佐伯288頁。 阿部純二刑法総論読み返してるんだが、コンパクトながらもクオリティ高いな。
主観を重視しすぎるきらいはあるけど、ドイツ刑法に比較的忠実で、
ドイツの学説にも言及している。司法試験の役には立たないけど。 このスレって自分以外は司法試験には受からなかったクソベテしかいないと思ってる
ワシは学生 >>219
阿部総論は読んだことがないが、木村亀二の門下生だから主観主義的なんだろうね。
阿部はむしろ木村亀二の刑法総論(有斐閣の法律学全集)を増補した業績で知られる。
発刊が昭和53年だから、昭和50年代は主観主義がなお有力であったことが分かる。
(なにしろ法律学全集の著者に選ばれるくらいだから)
ちなみに刑法各論は団藤=平川。 阿部総論は木村説に比較的忠実だが、
可罰的違法性の箇所は木村説を採らない。
「確かに法秩序は統一的なものであり、違法も一元的であることは認める
べきであるが、違法が一元的なものであるとしても、なお民法上の違法、
労働法上の違法、刑法上の違法について違法の強弱を認めることができよう。」
171頁。 >>222[
可罰的違法性の「質」の問題は、佐伯 千仭説によって展開された。そこでは、行政・民事法上
の違法と刑事法上の違法の質的区別、形式犯と実質犯の可罰的違法性の質的区別などが
指摘され、具体的には、公労法で禁止された違法な争議行為でも、郵便法上の犯罪類型の
可罰的違法性には直結しないとする判例の中にその趣旨を見出した(全逓東京中郵事件)
が、全逓東京中郵事件のこのような解釈については、2つの側面からの批判がある。
1つは、木村博士によるもので、違法は全領域にわたって統一的なものであるから、違法な争議
行為が労組法1条2項で正当化されることはあり得ないとする。
一方、井上祐司博士は、ちょうど逆の立場から、この判決が労組法1条2項の適用を認めた
のは、憲法判断にもとづくものであって、可罰的違法性論の論理によるものではないとした。
阿部博士は、こと可罰的違法性に関しては、師である木村説ではなく、佐伯千仭説をとった
ことになるね。 可罰的違法性論(司法試験レベル)
可罰的違法性論は、既に戦前において、規範的評価と可罰的評価を区別し、刑法の謙抑主義
を強調する宮本説によって提唱され、戦後は、とくに実質的違法性論と法益侵害説の立場から、
佐伯説によって全面的かつ体系的に展開された。その後、藤木説が、これを行為無価値論の
立場から、社会的相当性論として再展開するという経過が見られた。
藤木説は、可罰的違法性の「量」を問題にし、一見すると構成要件に当たるけれども、当該
罰則の予定する程度の実質的違法性がない行為は「構成要件該当性がない」とするもので、
その際の可罰性の判断基準は、被害法益の軽微性を含む「社会的相当性」からの逸脱の
軽微性(行為無価値)にあるとした。
これに対して、佐伯説は、可罰的違法性の「量」と「質」を問題にし、これを構成要件該当性
レベルのほか、構成要件には該当するが可罰的違法性がない場合(可罰的違法阻却)をも
含む点で、体系的にも藤木説と異なる。また、可罰性の判断規準も、明確に法益侵害の程度
(結果無価値)におかれる。「質」の問題としては、各法領域間の違法性の差、形式犯と実質
犯の可罰的違法性の質的区別、特別法で禁止された争議行為の違法性と刑法上の可罰的
違法性との関係などが挙げられていた。
なお、前田説は、「実質的犯罪論」の立場から、可罰的違法性を実質的な「違法阻却事由」と
同視し、一元的な「刑法的違法性」阻却論を主張するが、これは「違法だが可罰的違法性が
ない」という構成によって「法秩序の統一性」を確保しようとした本来の可罰的違法性論の趣旨
を離れて、刑法独自の「違法の相対化」を認める方向に至る点で、大いに疑問である。 高橋総論は重要判例については判旨をそのまま引用しており、百選要らずだな
井田総論は判例が手薄なのが欠点 明けましておめでとう。
>>224に関連して、誤解の多い「違法の相対性と一元性」について纏めてみた(学部生レベル)
学説の中には、違法性は刑法や民法、労働法や行政法などの法分野によって相対的である
という考え方がある(山口)。これを「違法相対性説」または「違法多元論」という。民法上は
損害賠償の原因となる行為や、公務員法上は懲戒の対象となる行為でも、刑法上犯罪を
構成するとは限らないから、違法性判断が各法領域ごとに異なることは明らかである、という。
中には、さらに、刑法において違法とは刑法的な違法そのものであるから、もはや可罰的
違法という言葉を用いる必要はなく、端的に刑法上違法か否かを問えばよい、と述べる
ものもある(前田)
しかし、このような考え方は正しくない。ある行為が違法であるか否かは、法秩序全体を通じて
共通でなければならない。そうでないと、刑法以外の法令が許容している行為でも、刑法で
処罰される可能性が残ってしまう。それは、明文で刑法以外の法令を根拠とする違法性阻却
を認める刑法35条にも反する。
また、次のようにも云える。民法上の不法行為や公務員法上の懲戒の対象となる行為が犯罪
になるとは限らないことは、違法行為に対する法律効果の相対性によるにすぎない、と(井田)
このように、憲法、刑法、民法、労働法、行政法などの多様な法分野から構成される法秩序は
相互に矛盾のないように、相互に矛盾・衝突を起こさないように解釈されなければならない
(「やわらかな違法一元論」。松宮、曽根)
違法相対性説の論者は、可罰的違法という考え方を認めるためには相対性説に立つべきだ
と主張する。しかし、もともとわが国で「可罰的違法性」という観念を提唱した宮本、佐伯千
両博士は、「法秩序の統一性」つまり「違法一元論」を前提にして、これを主張したことを想起
すべきである。 あけおめです。
今年は岩間康夫『製造物責任と不作為犯論』を読みながら年明けしたよw 「製造物責任と過失不作為犯」
(山中敬一「刑事製造物責任論における作為義務の根拠」関法60巻5号1頁に依拠、
法科大学院レベル)
製造物責任は、当初は、製造物の製造・販売における過失責任を意味していたが、最近問題
になっているのは、すでに販売され流通している製造物に後に重大な欠陥が見つかったため
それらを販売停止にし、またはそれらを回収して危険の実現を防止する義務を怠った過失で
ある(製造物過失)
判例としては「三菱自動車ハブ脱落事故」(平成24年2月8日)がある。最高裁は、被告人らの
職責から予見可能性と結果回避可能性を認め、さらに、予見義務違反と結果回避義務違反
を認定した。そして、結論として、義務違反にもとづく危険が現実化したとして、危険現実化論
を採って、因果関係を肯定した。
ところで、製造物過失事故は、すでに販売・流通している欠陥製品を販売停止にし、回収しな
いことによって行われるのであるから、「過失不作為犯」が問題になるはずである。そうすると、
被告人が保障人的地位に立つか、作為義務ないし作為可能性があるかが論じられなければ
ならない。しかし、上記判例は、そのような検討は行っていない。
被告人の地位・職責・義務がこのような作為義務を根拠づけるので、判例においても、その点
に言及がないわけではないが、それは、不作為犯固有の要件としてではなく、過失犯としての
予見義務や回避義務の要件の中で行われている。製造物過失における「組織過失」は、それ
自体で、組織形成責任を問うものではないが、その販売停止・回収措置の不作為が、組織の
構造に由来する場合には、欠陥製品を流通させながら回収しない組織の責任者の過失犯の
罪責が問われることになる。 岩間「製造物責任と不作為犯論」読書メモ。
欠陥製造物の回収義務(及び情報提供義務)について主に作為
義務の観点から論じたモノグラフィ。
先行行為に基づく作為義務を認めることが妥当なのか、シュー
ネマン流の結果原因の支配説から回収義務を導出することが
できるのか、などを通じて、作為義務を統一的・一元的に説明
することは困難であるとする。
本書の作為義務論は故意不作為犯のみならず過失不作為犯にも
妥当することを前提にしていると思われるが、近時有力な立場
によると、過失論においては、作為義務を問題にする余地はな
く、注意義務さえ認められれば足りるとされる(本書では注で
触れられている程度。稲垣・樋口ら)。この立場からすると、
故意犯構成か過失犯構成かにより大きな違いが出てくることに
なる。 >>225 の「百選要らず」というのが気になって高橋総論を通読したのだが
なるほど、判決文の紹介に多くの紙面を割き、判例解説も非常に充実している。
中には1頁半にわたって引用されている判決もある。
基本書Wiki で行為無価値では井田総論に次ぎ評価が高いのも頷ける。
行為規範・制裁規範の対置をスルーすれば十分基本書として使える。 井田の各論第2版を買った人の感想が聞きたい
それと最新判例はどこまでカバーしてる? 新・コンメンタール刑法 第2版
松宮 孝明 金澤 真理 編
(日本評論社)
予価:税込 3,740円(本体価格 3,400円)
発刊年月:2021.01(下旬)
ISBN:978-4-535-52534-4
判型:A5判
ページ数:544ページ
最新の法改正に対応し、新判例や重要学説を組み込みんだ改訂版。
簡潔・明瞭な解説で、判例・学説の「基本」がよくわかる。 ベテさんに質問。
不作為における作為義務、保証人義務の有無について、学説は、「事実的」要素・要件を提示し、「規範的」要素・要件に依ることを忌避する傾向があるけど、これは何故?
規範=べき論で外延が広がりがちだから? >>234
質問に正面から答える能力はないので、逆方向の見解があることを指摘するにとどめる。
「もっぱら具体的な社会現象としての事実に基礎をおく実質的根拠の独り歩きを認めることは、
法律上の形式的保障原則を掘り崩すおそれがあり、法的安定性の見地から規範的性格を有
する形式的根拠(法令・契約等)をむげに排斥することがあってはならないと思われる」
(曽根・原論453−4頁) 自分なりに調べたところでは、規範的構成要件要素についての記述だが、
「複雑な社会事象に対処するには規範的構成要件要素によらざるをえない
という事情があるにせよ、前述した明確性の原則の観点からは、構成要件は
できるかぎり具体的な、記述的な要素により構成されることが望ましい。」
(堀内捷三・刑法総論・48頁)との記述を見つけた。
しかし、刑法って正反対のことが言われたりするんだねw 曽根教授は別の論文では規範的考慮を批判している。
「客観的帰属論の考察方法は、事実的要素と規範的要素を混在させ、本質直感的に問題の
解決を図ろうとする思考の傾向が強い」(曽根「客観的帰属論の体系的考察」西原古稀)
これに対して、山中教授は次のように批判している。
「曽根教授の事実と規範とを峻別しようとする方法論からは、構成要件を価値中立的に構想
することが至上命題となり、規範的要素の「混在」を嫌われるのであろが、刑法解釈学が規範
学であるかぎり、犯罪論体系のどこかで規範的評価を考慮せざるをえない。・・・安易な規範
主義はいましむべきは当然であるが、規範的現実に目を塞ぐ安易な事実信仰主義も不毛で
ある」(山中・総論260頁注5) >>238
問題も解説もザ・普通
わざわざやるほどの価値はない >>231
令和2年9月30日の最決(同時傷害の特例に関するもの)まで一応言及されている。 >>240
ネモ爺ここにもわくのな
臭いから来なくていいよ 久しぶりに来てみたら、元ヴェテが来ていたのか
勉強になるなあ ほらよっ。百選8版に載ってないから。
他の者が先行して被害者に暴行を加え,これと同一の機会に,後行者が途中から共謀加担
したが,被害者の負った傷害が共謀成立後の暴行により生じたものとまでは認められない
場合であっても,その傷害を生じさせた者を知ることができないときは,同条の適用により
後行者は当該傷害についての責任を免れないと解するのが相当である。 >>243
補足おおきに。ちなみにこの判決文は、すでに裁判所ウェブサイトに収録さ
れている。 最高裁の判決・決定(判例集や裁判集に載るレベル)は、
裁判所ウェブサイトには当日か数日後には載るよ。 毎日、「最近の最高裁判例」ページをチェックするといいよ。
>>245
いや、井田先生の本ではLEX/DBを参照しているから、念のため。 >>244
その最高裁ウェブサイトをコピーしたんだけどw >>249
文句をつけているんじゃないよ。ここを見ている人に少しでも役に立つ情報
なら書いておこうと思っているだけ。 >>252
法律が趣味(受験生ではない)の推定年齢還暦超えのアスペ爺さん
いろんなスレに出没してはトンチンカンなレスしてる 基本刑法2(2版)の横領のとこ読んでて気になったのだが、
同書は「盗んだ預金通帳と印鑑で口座から10万を引き出した」という事例で、横領罪が成立しないとする。その理由として、行為者に「正当な払戻権限がない」から「預金に対する占有が認められない」ことを挙げている。
しかし、同罪に言う占有は濫用のおそれのある支配力をいい、容易に他人の物を処分しうる状態があれば
占有は認められるはずである。預金通帳と印鑑を所持していれば容易に預金を引き出せる状態にあると言えるから、占有を認めるのが自然である。
不動産の場合には、実体上の処分権がなくても登記名義があれば法律上の占有を認めるのに、なぜ預金の場合には正当な払戻権限を要求するのであろうか? 横領罪不成立の結論には賛成だが、その理由は、占有は認められるが委託信任関係を原因とするものではないから、というべきだろう。 >>254
本当に、その表現なの?
預金に対する占有と書いてあるの?
そこからして間違いのような気がする。
預金による(銀行にある金の)占有だろ? >>256
たしかに、預金による占有と書いてあるが、同時に預金に対する法律上の支配という箇所もあり、よくわからない。
俺の疑問は、通帳と印鑑があるなら何にせよ占有ありなのではないかということ。 あと、銀行内の現金に対する占有ではなく金額の価値に対する占有と
考えているようだ。物の概念も拡張されているとする。 >>255
そうすると、占有離脱物横領罪が成立するのか? >>259
いやいや、通帳と印鑑の盗取については窃盗罪、銀行から引き出した行為につき
詐欺罪(窓口利用の場合)。 それは分かってるけど、なぜ占有離脱物横領が成立し得ないの? >>260
まず「」はそのまま文章を一字一句違わずに抜き出すときに使うのであって自分で意訳した文章で使ってるから不正確で話が噛み合わなくなる
基本形法にも読めばしっかり書いてあるけど
まず預金の事実上の支配は銀行にある
なので預金は法律上の支配が問題となるというのが当然の大前提
そして「法律上の支配とは、法律上自己が容易に他人の物を処分しうる状態のことである。」
払戻権限が無ければ預金を処分しうる状態に無いのであるから法律上の支配は認められないというだけの話 >>260
「」での引用の仕方は不適切だった。著者にも申し訳ない。
ただ理解できないのは、283頁の設問1のXに横領罪が成立するとしているが、
その理由が「Xは、Aから登記済証などの書類を預かり、土地を自由に処分し
うる状態にあるので、土地はXにとって『自己の占有する他人の物』といえる」
からとしている(284頁)。
その前の記述には、「登記に必要な書類を預かっている者は・・・法律上の支配
を認めてよい」とある。
XはAから抵当権設定を依頼されたにすぎず、売却の権限はない。にもかかわらず
法律上自由に処分しうる状態であると言える根拠は、権限踰越の表見代理の成立が
ありうるからだと思うが、
民法上の外観法理によって委託者の物の所有権を侵害しうる状態を指して法律上の
占有があるというなら、預金通帳と印鑑を所持しているだけで正当払戻権限がない
場合にも、受領権者としての外観を有する者に対する弁済(民法478条)として銀行
は免責されてしまい、本人の金額の価値に対する権利を失わせてしまう可能性がある
のだから、同様に法律上の占有はあると考えられるんじゃないのか? 自分で言っといて何だが、外観法理も多分関係ないんだろうね。
というか、法律上の占有と本人の所有権移転の可能性も関係ない。
登記名義人とか登記に必要な書類の所持人とかが売却したら、法律上は
他人物売買で権利移転しないけど、本人の所有権の実現が「事実上」阻害
されるというのが問題なんだろう。
要するに「事実上の占有」とは言えないが、その物の経済的用法に従った処
分によって本人の所有権の円満な実現を阻害できる状態を「法律上の占有」
と言っているだけで、「法律上」の語に特に意味はないのかな。 >>265
そういうことでしょうね。
「法律上の占有」という表現ではなく、「法律上の支配」という表現の方が
適切だと思う。なぜなら横領罪でいうところの「事実上の支配」という状態も、
刑法という法律の目から見たら、それは「法律上の占有」と言えるからです。
横領罪を規定した法律(すなわち刑法)上の占有=事実上の支配+法律上の支配 >>261
現金に対する占有は銀行が金庫に保管して持っているから占有離脱物に当たらない
だろうな。行員に働きかけて引き出して占有を移転すれば詐欺罪。ATM利用なら
窃盗罪だろう。 結局、窃取した通帳・印鑑で金を引き出した事例で、横領罪の成立が否定される根拠
として法律上の支配の欠如をあげるのは誤りだってことになる。委託信任関係
がないから、というのが正解。
同様の事例が出題されたら殆どの受験生が委託信任関係がないから、と書くと思う。 >>268
結局ってどこから繋がってるの?
ほとんどの受験生が〜とか言われてもメジャーな基本書は受領権限がない場合、預金の占有認めないと書いてあるんだからほとんどの受験生は法律上の支配を否定するだろ
井田、基本形法、佐伯、刑法事例演習教材の解説と今手元にある資料は全て法律上の支配を否定してるし他説がある等の注釈もないのにこれらのメジャーな法律書が誤りだってことになるは意味不明
今まで占有認めた上で委託信任関係を否定するなんて見解見たことないが誰が主張してる学説でしょうか? >>269
学説はともかく、正当な売却権限はないが登記に必要な書類を持っている者に法律上の支配が認められて、
同じく正当な払戻権限はないが通帳と印鑑を持っている者には法律上の支配が認められないのは何故?
どう違うのか説明がないのは変だと思うのだよ。 試論だが、
後者の場合は預金の引出しに別途詐欺罪や窃盗罪が成立し得るからこれにより
担保できるからではないか?
前者の場合有効な売買契約を締結でき、それには委託物横領罪以外の
規範的障害はないのではないか。 >>270
どちらも正当な権限のない者が法的変動をもたらし得る
のに不動産の場合には法律上の支配があるとされ、通帳と印鑑の場合には
法律上の支配がないとされるのはなぜという疑問だが、
そもそも不動産の場合に法律上の支配があるというのは今や決定的になっているのか。
基本刑法は持ってないけど、山口各論増補版では、登記移転に必要な書類を所持して
いる場合につき、これを肯定する裁判例があるが山口は疑問を呈しているぞ。
つまり、山口は否定している。 >>270
散々不正確なこと言って勝手に学説はともかくって
ほとんどの学生が委託信任関係否定で書くって断言したの自分だろ
ほとんどの学生はまだ議論の少ない先進的な論点ならともかくどの基本書にも載ってるような典型論点でメジャーな基本書で一致してる見解を採らずにそれに反する俺の考えたオリジナル見解笑なんて唱えないんだが
ほとんどの学生がって言い切るってことは最高裁判例、通説・多数説だってことでしょ
言い切ったんだから誤魔化さずにそれを示してよ
しかも多数的な見解を誤りと断言してるんだから
しかしなぜ不動産の売却の方を勝手に正しい前提で窃取カードの方を間違ってるとしか考えないのか
>>272も言ってるようにあれは判例支持が多数説だが判例は昔の高裁判例だし山口厚は疑義的な意見だからどちらかというと意見が割れるのはあっちの方なのに
そもそも民法478条の効果を分かっているのか >>272
山口は読んでなかった。あくまで基本刑法の記述が変じゃないかって話で。
だが、もし正当な権限がなければ法律上の支配が認められないと考えるのだと
すると、取引系の行為に横領罪が成立するのは代理権がある場合に限られるよね?
そうなると同罪が成立するのは売却して受領した代金を勝手に費消する場合くらい
にならない? 代理権の逸脱は権限内から法律上の支配がないことになるだろうし。
>>273
煽るようなことを言ってしまうが、事例問題の演習をあまりやったことないんじゃな
いか? 短い時間で解答するためには論点でも何でもスッキリ理解してなくてはなら
ないし、自分の論証も自分で書いてて混乱するようなものではいけない。
不動産と預金の取り扱いの違いは、普通混乱しかしない。何の疑問も生じない人はか
なりボーっとしてるよ。短時間で論理的に書き切らなくてはならない試験においては
何の説明もなく矛盾したような理解をしていたのでは対応できない。必ず本番で頭ぐ
ちゃぐちゃになって「来年頑張ろう・・・」みたいになるよ。
まともな受験生なら矛盾の無いスッキリした論証で切り抜けるはずだと思う。そして
ここで矛盾がなく且つシンプルな論証は「委託信任関係がないから」だ。
必然的にそういう発想になるよ。普通の受験生なら。 >>274
全く1つも答えてなくて笑う
スッキリ理解しないととか言いながら基本形法という受験生向けに判例の立場で説明して論理的・体系的に一貫してないのが常識な本しか読んでないのがまず矛盾してるし
他の文献調べもせず怠惰な姿勢で勝手に混乱してるのは自分でしょ笑
基本形法の記述が変じゃないかって話だとするとなんで委託信任関係を否定になんのよ
支配的見解に反したオリジナルオナニー見解なんてあなた以外の受験生書きませんよ
受験生の俺が考えたオリジナルですなんて点数付かないけど委託信任関係否定って誰の見解なの?
混乱しかしないって混乱するのはお宅が不勉強だらかでしょ笑
だから民法478条の効果について答えてよ
そこ分かって無いから勝手に混乱してるんでしょって言ってるのに >>274
なんだこの人
ツッコミどころ満載だなww
事例問題の演習全くやったことないとか他人に言っておいて刑法の演習本で一番有名な事例演習教材やってないとか >>275
基本刑法は判例メインではあるけど、矛盾したような所は統一的な解説を試みて
いるよ。読んでみればわかるけど、背任罪の事務処理者のとこの対向関係・対内
関係とか。
判例の方が矛盾してるなら一言そう言ってくれればいいのだが。
あと民法478条は関係ないんじゃないか?
あなたはかなり実力者だと思うけど、受験生じゃないだろ? どっちかというと
研究者系に感じる。 >>277
いや受験者だけど
むしろ受験生じゃないと思わせるのはのはそっちだと思うよ
普通の受験生はメジャーな基本書に書いてあること吐き出すしそれと異なるオリジナル理論なんて展開しない
多くの学者は間違ってる俺の論証の方が正解なんて無駄な理論の検討に時間かけてて受験生じゃなくて学者みたいなことしてるの自分でしょ
しかしそんなに基本形法盲信してるのになんで基本形法が払戻権限がない場合は法律上の支配が無いという箇所だけ絶対に間違いと言い続けるんだろ
学者の多数説より俺の独自見解が正しい、しかもほとんどの普通の学生も同様に考えるなんて常識的に考えてもおかしいと思わないの?
478条は関係無いって自分が論拠として『受領権者としての外観を有する者に対する弁済(民法478条)として銀行
は免責されてしまい、本人の金額の価値に対する権利を失わせてしまう可能性がある』と書いてるじゃん
違うというのなら論証が色々なレスに点在して分かりにくいからもう一度占有を認めた上で委託信任関係が否定されるとする論証をまとめて書いてくれ >>278
いや478条は間違い。>>265に書いたとおり外観法理云々は法律上の支配とは
無関係だと思う。委託信任関係を否定するのに特別な論証はいらないだろう。通帳
・印鑑は盗取されているから委託信任関係などあるはずもない。
ならば委託信任関係がない、で横領罪はあっさり否定できるだろう。答案にそう書い
ても点数入るだろ? 同じ問題で不動産の事例と預金の事例が同時に出されたら
どう書くんだ? >>279
いやだから占有を肯定する理由が全く書かれてないでしょと >>280
占有は、通帳・印鑑を現に所持していることで充分肯定できない?
他人の物を自由に処分しうる状態があれば法律上の支配が認められるという
のだから、預金を自由に引き出せる状態にある以上、法律上の支配があり、
「占有」もあると考えるのが、取り敢えず自然ではないか。
もしかして、本人による何らかの委託があって初めて「占有」も認められる
という考え? 俺も色んな学説を詳しく知っているわけではないから、違う
というなら訂正してくれ。 不動産の場合、委託を受けずに登記名義や権利証を有している人にも
占有離脱物横領って成立すんだっけ?
法律上の占有って誤振り込みについては争いあるけど
基本的に委託物横領に限って認められる理論じゃないの >>281
初めから基本形法の記述に疑問があって自分はこうだと思うだけどどうなのかな?ってスタンスで一貫してたらもっとスムーズに話進んでたでしょ
レスごとに詳しくないからよくわからんみたいな初学者的立場と学者より俺の意見の方が正解みたいな刑法理論に聡いという立場でブレブレだから話が噛み合ってない
基本形法しか読んでない、疑問に思ったのに複数の文献にあたって調べない、基本形法をやたら信用してる割に基本形法の記述を間違いと一蹴、ほとんどの法律書が同意見なのにそれは間違いで素人の自分の意見が正解と断言、突然演習あまりやってない煽りをするも自分が一番メジャーな演習書を全くやってない完全ブーメラン、素人の自分しか唱えていない見解をほとんどの受験生も同意見であると言い切る
こんなんでまともな議論になるはずない >>281
それだと大方の学者の意見は間違いで俺の私見が正解と言い切る理由にならないでしょう
「預金による金銭の占有を根拠付けているのは払戻しの権限であって、事実上の処分可能性ではないから、預金通帳と印鑑を窃取した窃盗犯人が預金による金銭の占有を有しているわけではない」(佐伯仁志)
「通帳、印鑑を利用すれば甲は事実上、Hの預金口座から現金を自由に引き出すことができるが、預金による金銭の占有とはいわば法律上の占有であり、銀行に対する正当な払戻権限が占有を基礎付ける関係にあるから、このような事実上の可能性から「預金の占有」が導かれるわけではない、というのが現在の一般的な理解であろう」(刑法事例演習教材)
「法的支配(法律上の支配)が認められることが「預金の占有」を肯定しうることの前提であり、払戻し権限もないときには、預金の占有も認められない」(井田良)
初めから言ってるようにこれ以上説明必要無いと思うけど
自然とか必然的にとかほとんどの受験生はとか言ってるけど他に同意見の提示をしない以上そうではないよねって初めから言ってるんだが
これらの専門家の意見を上から目線で否定する理由を教えてください >>284
色々引用してくれてありがとう。
では、通謀虚偽表示の相手方みたいに委託を受けて登記名義だけを有している者、
または抵当権設定の代理権を授与されて登記に必要な書類を所持している者に占有
が認められるのか、についてその引用元に何か書かれているか?
前者では何の権限もないし後者でも売却の権限はない。
こういう場合にも正当な権限がなければ「占有」が認められないとするなら矛盾は
ないが、そうでないなら預金の場合と不動産の場合とでは何が違うのか。
不動産の場合も単なる名義人や書類の所持者は不動産に対する現実の所持はない。そ
の点は金銭の現実の所持は銀行にあって通帳の所持者にはないのと同じ。 >>285
書かれているかじゃないよホント偉そうに
なんでこの人全く自分で調べようとしないわけ
学者より俺の方が正しいとか言う奴に法律書引用したってどうせ受け入れないんだから無駄でしょこれ以上
引用は全部「預金による占有」はって書いてあるのが見えないのかね >>285
あなたの疑問の起点は分からないでもない。両者ともに現実に処分しうる
道具を所持している(不動産移転登記必要書類や通帳印鑑)のに
なぜ不動産の場合と預金の場合とで異なるのかということでしょう?
それは我々が容易く入手できる書物のどこにも書いてないと思う。
だから、推論するしかない。それを聞きたいのだと思う。
私は以下のように考えてみた。
不動産の場合には登記を保有する者に事実上の推定力を判例は認めている。
法律には規定されていないけど、法的に評価して、反証がない限り
認めてしまうのだから、かなり強い効力である。そこで、登記をすぐにでも
なしうる、移転登記に必要な書類の所持者に対しても、刑法上は法律的支配
を認めてしまおうということかな。
一方、預金の場合には、通帳と印鑑を持っているからといって、直ちに478条が
適用されるとは限らない。銀行の内部規定で免責条項を設け口座を設けるときに同意
を取るようなことがなされているのかどうかは知らないけど、とにかく、無過失
と言えるためには、尽くすべき注意を尽くさないと。
つまり、不動産の場合は登記に法的レベルで保護するくらいの実務の扱いがあるのに
預金の場合にはまだその水準にまでは到達していないから、と。 このまま放置でいいだろ
オナニー理論が多数派だと勝手に思い込んでくれるんだからライバル減るし >>288
>私は以下のように考えてみた。
受験生ごときが考えないでください
考えて説を立てることが許されるのは教授だけ
受験生は通説・判例の枠内で考えることのみ許される
と、中森教授なら言うだろう >>288
俺はちょっと反対かな。それだと、早い話が通帳と印鑑だけでは必ずしも自由に
引き出せず、そして本人の預金債権を失わせることにはならないということだろ?
それは「法律上の支配」の否定に結びつき、正当な払戻権限とは関係ない。
>>284を読めば分かるけど、諸先生方はみな預金を自由に引き出せる可能性は認め
ているんだよ。だから「法律上の支配」はあるけどそれでは「占有」と認めるに足り
なくて正当な払戻権限が必要としている。 >>292
違うよ
自分もよく読みなよ
事実上の処分可能性だけでは法律上の支配は認められないだぞ >>293
「法的支配(法律上の支配)が認められることが「預金の占有」を肯定しうることの前提であり、払戻し権限も
ないときには、預金の占有も認められない」(井田良)
→「占有」=(法律上の支配 + 払戻権限)ってことじゃない? >>292
あなたは、通帳と印鑑をもつ払戻権限のない者には、
法律上の支配はある、しかし横領罪にいう占有はない、というのですか?
私は、横領罪にいう占有は、事実上の支配もしくは法律上の支配があることをいい、
法律上の支配があれば占有があることになると理解しています。
そして、>>284に書いてあることは、その法律上の支配があるというためには
払戻権限が必要であり、払戻権限がなければ法律上の支配はない、ということだと
理解しています。 >>295
普通に読めばそうなる
>>294の読解力がヤバい >>295
失礼。井田良の理解を間違えた。その文章は
「法律上の支配」が「占有」の前提条件で、その「法律上の支配」の要件として
払戻権限が必要、と読めるね。
でもみんな「法律上の支配」の一般的理解を間違えているんじゃないか。「法律上の
支配」は別に明確な法的権限は必要ないんだよ。本人の物を自由に処分できてしまう
状態で、この”状態”というのは事実上の状態をいう。
そうでなければ無権限の登記名義人には何の権限もないから「法律上の支配」もない
はずだろ?
強調しておくけど、何の権限もない登記名義人や登記に必要な書類を託されただけの
者による支配も「法律上の支配」に当たるんだよ。
>>284の佐伯仁志は「事実上の処分可能性」を認めているが、それこそ一般的な意味の
「法律上の支配」だ(よって佐伯は「占有」=「法律上の支配」+権限と考えてる
ことになる)。
刑法事例演習教材の方も「預金による金銭の占有とはいわば法律上の占有であり」と
して「法律上の支配」の語を避けてわざわざ「法律上の占有」としている(つまり
占有=法律上の支配とは考えていない)。そして「このような事実上の可能性から
「預金の占有」が導かれるわけではない、というのが現在の一般的な理解であろう」
として、「事実上の可能性」(=一般的な意味での法律上の支配)の存在を肯定し
ている。
井田良の「法律上の支配」の使い方が少し特殊なんじゃないかな。 >>298
なんでこの人各レスごとにツッコミどころ満載なのにずっと自分が正しいみたいなこと言い続けてるんだよ笑
みんな間違えてるんじゃないかなだってwww
やはり5chで句点使う人はなんとやらだな ヴェテさん、そろそろまとめよろしく。
各論だからまだ勉強できてないという言い訳は無しねw >>300
各論はホントに勉強不足なんだが、井田各論初版299頁は
「不動産については、登記簿上名義人になっている者に占有が認められることになり、
また、たとえば、団体・組織の有する金銭の管理をまかされた者は、銀行預金口座の
通帳と印鑑を所持していることで口座の中の預金に対する占有(いわゆる預金の占有)
をもつ」
と、明確に書いている。
レスをつぶさに読んだわけではないが、いったい何をグダグダ議論してるんだろうと思ってた。 >>301
「団体・組織の有する金銭の管理をまかされた者は、銀行預金口座の
通帳と印鑑を所持していることで口座の中の預金に対する占有(いわ
ゆる預金の占有)をもつ」…この言い方は少し曖昧。解釈が分かれて
しまう。
→解釈1…「管理をまかされた者は、預金の占有を持つ。その理由は
『管理をまかされた者』は『通帳と印鑑を所持』しているからで
ある」。
→これだと、管理をまかされた者(=払戻権限を有する者)で
あっても、通帳・印鑑の所持を失えば預金の占有を失う。
通帳・印鑑の所持こそが重要なのだとすれば盗取者でも預金
の占有が認められる。
→解釈2…「『管理をまかされ』且つ『通帳と印鑑を所持』する者には
預金の占有が認められる」
→これだと管理の委託(払戻権限の授与)と通帳・印鑑の所持
がともにないと預金の占有は肯定できない。よって盗取者に
は占有はない。
どちらの解釈が正解なのかは文章から明白ではない。
不動産登記の場合には、単なる名義人(=正当な処分権限なき者)でも
登記があるだけで法律上の支配が認められていることからすれば、解釈1が
整合的ということになる。でもそうすると払戻権限が宙に浮いてしまい、結局
通帳と印鑑の所持だけで占有ありになるじゃないか、となる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています