【東大法学部首席卒業】山口真由【弁護士】Part3©2ch.net
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東大法学部首席・司法試験一発合格→財務官僚→
大手一流事務所弁護士→ハーバードロースクール留学
の山口真由さんについて語りましょう。
前スレ
【東大法学部首席卒業】山口真由【弁護士】Part2
http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/shihou/1437933351/ >>783
大手事務所は旧試東大現役合格なら基本的にOK(順位は問わない)
当時は3年生合格なら直ちに3年後の採用内定が出たという噂さえある
>>778
日比野1位、山口2位はいずれも都市伝説の類 厚は師匠の平野龍一から直接「2位だった」と告げられたらしい
それにしても、仮に日比野が1位だったとしたらすごいな
憲法で「ノモス主権とは」なんて研究してんだからな
まあない、だろう >>788
それ高橋基本書にあったわ
意味分からん箇所だわ >>785
当時、刑法の授業を受けていた学生の間でそう言われてた
今から振り返れば早熟なんだろうかね はあ?
司法試験二位と最高裁判事は後者の方がすごいだろ >>761
立教大学卒で加計学園監事から最高裁判事になった人もいる
あの人がすごいとは全然思えない
コネはすごいが >>781
山口厚にならってたのか
すごいな
俺は今その弟子に習ってるが、崇拝っぷりが伺えるわ
ホントにスゴい人だったみたいね >>795
>>781で書いた者だけど、当時受けた授業の中で一番論理的で、感銘を受けた記憶がある
授業では山口先生とか西田先生とか何人かの共著の演習本みたいなの(名前は失念)が参考書で
指定されていて、自分で団藤と平野、前田の基本書を読んで勉強していた
山口先生はいつ頃から弟子を取り始めたんだろう
僕が学生の頃仲が良かった「は○○め」(現東大教授)は、西田先生の弟子なんで、
僕の時代よりかなり後だろうけど
山口真由さんのスレなんで一応書いとくけど・・・民法の大村先生の授業は受けていない
米倉・平井とかだった
平井先生は亡くなってしまったし、時の経つのは早いなぁと思う 山口先生の弟子と言えば、山佳奈子・故島田総一郎・和田俊憲・深町晋也・古川伸彦・樋口亮介
だから山先生が院生か助手時代(93年)では?
山佳奈子(法学研究科・教授) 研究者になられた経緯が詳しく書かれてる
http://www.cwr.kyoto-u.ac.jp/rensai/kenkyusya/2010/09/25takayama.html
余談だけど、山口ゼミ生が在学中に司法試験に合格し、合格者講義のガイダンスでしゃべっていた
エピソードで、「東大から司法試験に在学中合格した今までの人生で挫折が一つだけある」
本当は刑法の研究者になりたかったが、先生から『無理だから諦めなさい』と言われたこと」と述べていた。
それくらい山口ゼミ生のレベルは高かったみたい。
山口さんも民法で良かったね。
刑法なら研究者の道は難しかったかもしれない。 >>796
山口違いでスレ違いなのは分かってるんだが、本当に羨ましい。
ローの同期のおじさんで芦部先生にならってた人に話を聞いた時と同じぐらい羨ましくて仕方ない。 じっと見つめる瞳。
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2018/04/post-c4da.html
なぜ、神聖ローマ帝国は英語に滅ぼされたのだろうか?
カール大帝が作った「スポーツ国家」を攻略するためには「女の子と話す」ことが
必要だった。
もっとも素直な言語はそのようにして作られた。
核兵器も出来た。 >>801
今思えばレジェンドの授業なんだろうね・・・・・・
憲法の授業は芦部先生は定年していて樋口陽一先生だったけど
その後、会合などで芦部先生とも何度も顔を合わせた
芦部先生は雲の上の人なので恐れ多くて挨拶くらいしかできず
かなり後に芦部先生のお葬式に参列した時、
周りのメンツが半端なかった 不謹慎ながら、サイン貰うか2ショット撮影して
おけばよかった ていうか何者だよ
芦部先生の葬式に参列ってしかも何歳だよw
ウィキペディアでみたら1999年に死んでるのに
少なくとも50代いじょうだな >>805
>>806
>>807
こういう反応が来るから書かないでおこうかと思ったけど >>801には一応反応しておこうと思って
書いた
刑法ではないが法学者で、芦部先生の葬式に参列したのは事実だよ
葬式は護国寺であった(この情報はウィキペディアには載っていないはず)
僕の年齢は今はそれなりの年齢(東大憲法が樋口陽一の時代と言う時点で推測できると思う)
芦部先生の葬式の参列者の中では一番若かった
最近急に山口さんがテレビに多く出るようになったので経歴調べたら、今は大学院に居るって
分かって、このスレを見つけて読んだら懐かしい話題もあったので書き込みもしてたけど、本来スレ違いの話題なんでもう書き込まないよ
これまでの書き込みで妄想と思うか本物と思うかはそれぞれに任せるけど、当時の実際に見聞きした人間しか分からないこと
を書いているのは分かると思う
司法試験はいろいろ制度が変わって大変だと思うけど、受験生の方は健闘をお祈りします 芦部教授の退官は1984年で、
樋口教授の東大在職は1980年から1995年までだから、
>>804 は(現役合格として)53歳〜43歳位となる。
ただし、芦部先生の死去(1999年)は、在学時の「かなり後」というのだから、
卒業後5年以上経っていたとして、46歳以上か。
要するに、アラフィフというところだね。 芦部先生に進路相談しただけで、芦部先生の直弟子を名乗る片山さつき・・・
芦部先生の講義は受けたことはあるようだが、第三類(政治コース)だからか法律の方はかっらっきし 官僚だと在学中に司法試験に合格して、退官後に弁護士資格を取るのも少なくないけど、片山とか豊田真由子とか何でそうしなかったんだろうか。 ネットの掲示板で油売ってるような学者に教わりたくない 山口真由とかいう整形おばさんにしても、金のためなら意見をころころ変えるような人間に教わりたくはない。 >>812
在学中に(旧)司法試験に合格することはそんなに簡単じゃない。
まして女性で司法試験に合格して官僚になったのは、年にもよるが、
せいぜい1〜2名程度のはず。 >>808
最初のレスから本物だって分かったわ
スレ違いだから本当に最後にしなきゃだけど、本でしか見たことない歴史の中の方達と過ごした時間は人生の宝すね このくらいやると全優と在学中司法試験合格
山口真由「講義はサボらず先生が述べた内容の要約をメモに採りながら授業を受け、
また講義はMDに録音し、家に帰ってから2倍速で再生しながら講義の内容を書き記し、
その講義ノートと教科書を元に法律を勉強して、すべて優を獲った」
「司法試験用の基本書は1冊に情報が集約されていて何度も読み返せる本を選び、予備校本のC-bookを70回と80回とか読んだ」 10年前とちょっと古い東大法学部の資料から、
3 年次終了時点で取得した単位の「優」比率別人数 ( 2008年度 )
<取得単位のうち優の比率>
9 0 % 以上 3名
8 0 % 以上〜 9 0 % 未満 13名
7 0 % 以上〜 8 0 % 未満 20名
6 0 % 以上〜 7 0 % 未満 30名
5 0 % 以上〜 6 0 % 未満 28名 「優」については受験者の30% 以内と定められている。
2004 年度進学者からは、学生の勉学意欲を一層高めることを目的に、
「法学部成績優秀者表彰規則」を定め、成績が優秀な学生について表彰する制度を創設したと。
ちなみに、学士助手制度があった頃の目安としては、優が80%以上ないと認められなかった
と聞いたことがあるので、全体の上位3%以内で、15人くらいしか該当しないのか。 卓越貰えるのが大体15人とかそれくらいの人数かな
俺は二留だしよく知らないけど 難関大学院は『大人の試験』です。米国ではエリートはほとんどが欧米大学院を目指し、マスター修士号をめざすので高学歴でなければ話になりません。
LLM大学院やMBA大学院、CPA大学院が当たり前。
L.Aニューヨークやボストンのトップクラスの大学ではスタンフォードMITプリンストン大学院に進学します。
ht tp://www.youtube.com/watch?v=hYQxB-JSqJc
これが世界のグローバルスーパーエリートの現実です。スタンフォード大学院、カリフォルニア大学院バークレー校(米国)
オックスフォード大学院、カリフォルニア工科大学院(米国)ハーバード大学院ロンドン大学院インペリアルカレッジ(英)、プリンストン大学院、イェール大学院 >>818
基本書と予備校本を使ったのか?それとも予備校本を基本書と言ってるのか? 最年少合格者の体験記(在学中/司法試験2位合格)
東京大学 山口厚
九月三〇日。法務省の中庭で合格者の中に自分の名を見つけた時、私は、うれしかったには
違いないが多少それとも違う感じをいだいた。ほっとしたというのとも違う気持ちである。何
だか「あっけなく」ここまできてしまったという感じなのである。自分の実力の程度はわかっ
ているつもりだけに、ほんとうに合格してしまってよいのかと思われたのである。私は、今年、
初めて受験して合格してしまった。
ほんとうに運がよかったと言える。編集部の方に「体験記」の執筆を依頼された時も、果た
して私の書くものが、「合格体験記」たりうるのかとの気持ちもなくはなかった。私は、種々
の苦労の中で合格をかちとった人々とは異なり、比較的恵まれた環境の中で勉強してこれたか
ら、これといった苦労話もないし、二〇才という年齢にしても、参考になりうるような事は書
きえないのではないかと思われたからである。しかし、私がペンを執ったのは、この程度のヤ
ツでも「合格しうる」のだということを解ってもらい、若干なりとも参考になれば、と思った
からである。
私は、昭和四四年、東京・目黒区の中学校から「受験校」東京教育大学付属駒場高校へ進学。
いろいろと動揺もあり、一時は本気で、大学で語学を専門にやろうと思ったこともあったが、
この頃から、中央法学部に在籍していた従兄の影響等や、漠然とした法曹へのあこがれもあっ
て、法学部を志望するようになった(そして、司法試験も考えるようになったのである)。大
学は、高校の環境もあり、迷わずに東大を志望する。
昭和四七年。東大一本しか受験しなかったが、幸いに合格。四月には、東京大学教養学部文
科一類の学生となった。ストライキのために若干遅れたが、講義が開始。法学の講義の時の先
生の、早くから司法試験のための特別の勉強はしない方がよい、との話を守ったためもあり、
また語学の勉強や、経済学の勉強がおもしろいこともあり、秋休み頃まで、全く司法試験のた
めの勉強はしなかったのである。 しかし、まわりの人の中で憲法の本を読み出す人が出たりして、秋休み頃より、シビレをき
らした形で、憲法T・Uを読み出した。しかし、「法律の本はなんと読みづらいのか」という
感じしか残らなかった。現在記憶がはっきりしないが、二冊を一回通読したところで、中断と
いう形になったと思う。学内試験の準備に追われ、語学に追われたのである。
昭和四八年四月。いよいよ、憲・民・刑の専門の講義が開始。これに合わせて、春休みから
三科目の教科書を読み出す。とにかく民法は、我妻講義を読み始めたのだが、難しいやら、う
んざりするやらで、とうとう、担保物権で中断。薄い本に乗りかえる(現在でも、我妻講義を
基本書にしている人には頭が下がる)。また、友人と憲法の判例等を読みあう等の勉強もやっ
た。一年の時に、本を読んでいたので、憲法に若干余裕があるという程度であった。本を読ん
でも、時間がたつとすぐ忘れる、わからない、といったぐあいで、司法試験までの道のりの遠
いことをしみじみと感じさせられた。
それに、私は、サボるということが出来ないタチ(?)なので、マジメ(?)に授業には出
て、語学の予習をやっていたために、法律書を読む時間はあまりない。語学がなければどれだ
けよいかと思うほど、「単語調べ」に精を出したのであった。でも、どうにか夏休みが終わっ
た時点で、一通り、三科目は読んだという感じを得ることはできた。若干ウンザリしながらも。
秋休み明けから、友人にさそわれるままに勉強会を作る。これは非常に勉強になった。疑問
点がはっきりしたり、新たな興味が出てきたり、これで、法律学というものが、少々好きにな
れたような気がする。この頃から刑法が好きになった。団藤先生のわかりやすい講義のためも
あったが、理論の着実な論理性にひかれた。それもこの勉強会で得たことである。 憲・民・刑が一通り読めたという気持ちからか、この一〇月頃より、刑訴にも手を出したわ
けである。しかし、一、二度通読したのだけれども、よくわからないし、興味もうすれていく
等で、ほとんど頭にはいらない。この頃は、とにかく、団藤先生の刑法理論について、いろい
ろと読み、考えるのが、「おもしろく、楽しかった」という位で過ぎてしまうことになる。
一人で本を読んでいることの不安ゆえに、真法会の答練(通信)に申し込んだのもこの秋で
ある。しかし、とにもかくにも実力がないのだから、毎回の短答の問題が難しく、全く通らな
い。二、三回出した程度で出すのは、やめてしまった(毎週問題を送って下さったのには、申
し訳なく思っております)。しかし、短答のきびしさ、自分の実力のなさを、ほんとうに身に
しみて感じさせられたのは、なににもまして、勉強になったと今にして思われる。どの位すれ
ば合格できるのかとため息の出る日々であった。
明けて、昭和四九年。商法に手をつけてみる。すぐに学内試験のために中断。このときの勉
強は、能率的であった。試験を目前にしての勉強と、そうでない勉強と、これほど頭に入る具
合が違うのかと思われた。試験終了後、商法を一回通読し、あとは短答の勉強にかかる。条文
と問題集をむさぼるようにやった(この四月に、法学部へ進学)。しかし、どうしても、合格
水準には、一、二点足りないようである。でも、一すじの「もしかしたら合格するかも」とい
う期待をもって、当日会場の立教大学に向かった。
試験後も、全く自信無し。一、二点足りずに不合格と信じていたところ、合格。とにかくあ
わてた。なにせ、刑訴に商法がほとんど白紙。約一月、その二科目を「やり狂った」という次
第である。私という人間は、試験を前にするとファイトが出てくるようで、読む片端から頭に
入るという感じで読めた(講義を少しサボるのは残念だったが)。 それでも、商法・刑訴は不安のままに、論文の試験に入る。今年落ちても、来年があるサ。
マア、様子でも見てヤレ、という気持ちで試験場にのりこむ。かなりひどい答案を書いてしま
った。商法はやはりダメ。刑訴も、第二問は、頭をひねりまわして、珍理論をこしらえあげて
きた。これで、もう不合格を確信。試験後は、来年にそなえて、民法等を読みはじめていた次
第。去年よりは、進歩しているはずというのが唯一の救いであった。
八月三一日。合格発表を、「不合格を確認」するために見に行く。ところが、意外にも自分
の名を合格者の中に見つけた。驚いたのと、うれしかったのとは、もう言葉にたとえようもな
い。夢中で、友人のところへ電話をかけていた。この日飲んだビールの味のうまかったこと!
論文も意外に合格してしまったので、またまた、あわてた。とにかく、手薄なところを読む
ばかりのことをやって、試験をむかえたのである。とても不安であった。全く自信がなかった。
また、今年落ちても来年の口述があるということだけをたよりに、試験に入って、一八日から
二七日の午後の最後まで、なんとかがんばりきれた。試験官の先生方もあまり難しいところを
聞いてこられなかったし、運がよかったのである。そして、あの九月三〇日を迎えたのである。
以上でおわかりのように、私は、予想外の合格をくりかえし、かなりの「泥縄」でここまで
来てしまったのである。正に運がよかったのだし、まぐれ当たりとも言えよう。ほんとうに、
無我夢中のうちに合格したという感じなのである。あまり学説も知らないし、判例も知らない、
私のような者でも、司法試験に合格することは可能なのである。私は、人生経験もない若年ゆ
えに、これ以上のことを述べる資格をもたないものと思う。
この「体験記」を読まれた方が、自信をつけられる足しにもなればと思い、私を見守ってい
てくれた、まわりの人々に、この日のあることを感謝しつつ、ペンを置くこととしたい。
(住所 東京都目黒区○○町○−○−○) >>809
樋口は芦部てはなく小林直樹の後任のはず >>829
こういうの読んだら余裕で合格出来る気になるが
この人は天才だからな恐い恐い >>829 この時点で、東大教授、最高裁判事になる予見可能性がある。凡人には
まねできないね。 山口厚は学生時代は憲法が得意で憲法の山口と呼ばれていたらしいね
憲法学者なんかにならなくてよかった 回り見てると勉強不足でも地頭いいやつは合格してるんだよな
話してみて、あ、きれるな、ってやつ
まあ勉強を通して頭よくなることはあると思うから俺は諦めないが 山口厚氏の出身高校は(現在の)筑駒だが、高校時代はそれほど
秀才の誉れ高くなかったとも聞く(伝聞につき真実保証なし) >>839
書斎の窓に載った井田の山口各論書評に、助手時代の山口のドイツ語発音に関する記載がある て言うか高校時代出来たやつって伸び悩まないか?
俺の時代は一番だったやつは大学卒業すらしてないぞ
俺は二番手だったが司法試験でド坪に嵌まったし まあまだ諦めてないが
それ以下のやつらが成功してる 加毛明先生も山口厚先生と同じ筑波大附属駒場高校の出身
去年の加毛明先生の民法第1部の試験なんて6割が不可だったけど、
他の大学なら必修の民法1部で6割不可って問題になるんじゃないかな。 そういえば、加毛先生も山口真由さんと同じで東大首席で総長賞の秀才か。
東大のHPで確認したら、総長賞で表彰されているのは4人いるけど、
首席卒業自体は毎年1人いるはずなので、東大法学部成績優秀者で総長賞を受けるのは、
全優で首席だけということなのかな? 主な東大学士助手出身法学者
1953年 金子 宏
1954年 新堂幸司 松尾浩也
1955年 田宮 裕
1956年 塩野 宏
1957年 兼子 仁
1961年 平井宜雄 米倉 明
1962年 青山善充
1963年 藤田宙靖 石田 穣 野村好弘
1964年 阿部泰隆 淡路剛久
1966年 町野 朔
1967年 高橋和之
1968年 菅野和夫 伊藤 眞 浦部法穂
1969年 小早川光郎 中山信弘 江頭憲治郎 西田典之 大塚龍児 加藤雅信
1971年 高橋宏志 井上正仁
1972年 能見善久 前田雅英
1975年 日比野勤 岩原紳作 山下友信 野坂泰司
1976年 内田 貴 山口 厚 伊東研祐
1977年 神田秀樹
1978年 道垣内正人 宇賀克也 内野正幸 角紀代恵 棟居快行 水野紀子 近藤光男 1979年 長谷部恭男 高田裕成 安念潤司
1980年 佐伯仁志
1981年 大塚 直 酒巻 匡 山口二郎 山本 弘
1982年 道垣内弘人 大村敦志
1984年 森田宏樹 橋本博之 山本和彦 黒沼悦郎
1985年 石川健治 和仁 陽
1986年 松下淳一 神作裕之 上嶌一高 弥永真生
1987年 大澤 裕 沖野眞已 白石忠志
1988年 山本隆司 藤田友敬 今井猛嘉 蟻川恒正
1989年 川出敏裕 毛利 透 畑 瑞穂
1990年 大杉謙一 水町勇一郎
1993年 橋爪 隆
1994年 浅野博宣
1996年 垣内秀介 田中 亘 島田聡一郎
1997年 宍戸常寿 菱田雄郷 高橋美加
1998年 和田俊憲
1999年 笹倉宏紀 杉山悦子
2001年 古川伸彦
2002年 樋口亮介
2003年 加毛 明 木村草太 “気が弱い弁護士”だからこそできる、会社を守る仕事
松井さより(インハウスローヤー) 株式会社クレディセゾン
この記事に出てる人の経歴を検索すると長島大野常松に在籍だった。
大手渉外事務所ってやっぱ激務なんだな。
http://www.asahi.com/and_w/articles/SDI2017112177421.html
『弁護士になって約3年間は企業法務専門の弁護士事務所に勤務しました。
でも、忙しいときには朝方まで仕事をしていったん帰宅し、またすぐ出社するなんてこともあって、
同じく弁護士として働く夫とは顔を合わせる時間もなく、「冷蔵庫の牛乳が減ってるから帰ってきてるんだな……」みたいな生活が続きました。
転機が訪れたのは29歳。多忙すぎる生活がたたって身体を壊し、長期的な治療が必要な状況に。
「この生活をこの先ずっと続けていけるの?」そう思ったら、素直にもう体力の限界だなと。
それで一度退職して、働き方を見直すことにしたんです』 インハウスローヤー(弁護士):松井さやかさん(36歳)
松井 さやか(弁護士)だった・・・・・ >>844-845
見事なまでにバカばっかりw
東大の学卒助手なんて何の勲章にもならない無用の長物の証拠だね この人、整形が崩れてきたのか、鼻の付け根が何か入ってるみたいに超不自然に盛り上がってるから早くメンテナンス行ったほうがいい 森友問題でテレビに出るようになってから白い服ばかり着てるけど、狙ってんのがわかりやすすぎ。白い服で正直な印象を与えようとしてる。嘘つきなのにさ。 去年4大事務所パートナー同士の話の輪に加わることがありその時に、
4大事務所では激務に耐えられる若さと、
弁護士5−6年目くらいで留学に行くので,
少し勉強すれば留学に必要な英語力(TOFEL iBT 100点〜110点)を身に付けられる地頭と、
早期に司法試験に受かった法律への適性、
の3点を兼ね備えたポテンシャル採用を続けてきたが、
法科大学院制度になってからは、ポテンシャル採用方針は変わらないにもかかわらず、
どこの事務所でも入所してくる弁護士の質が下がったって話してた。 具体的には、勉強体力がない奴が目立つ(勉強量について来れず1年目で辞める)。
新司法試験自体1回で受かるのが当たり前になり全能感を持っていて、
法律のプロの仕事を舐めている(事務所が要求する=クライアントが要求する質を満たせず2年目で辞める)。
採用する男女比9:1くらいだったのが7:3に変え、女性にも出世のチャンスを与えたが、
ほとんどの女性は結婚・出産を考える始めた途端に辞めて企業や自治体に転職するわ
一般民事事務所で時短勤務や主婦になるわ(3−4年目で辞める)。
何のために以前よりも多いお金と長い時間を掛けてまで難関資格を取ったのか理解できないとのこと。 法律への適性は個人差あるよな
例えば俺は仕事でも勉強でも得意なやつは最初から出来るが苦手なやつは最後まで出来ない
法律は粘ってはいるが最初から酷かった
適正試験の点数は良かったがあれでは測れないとこがあると思うわ >>848
田舎で東大法学部に合格した時点で大天才扱いだよ。
試しに自分の住んでいる市を調べてみ。
数十万人都市でさえ、10年に1人くらいしか東大法学部の合格者は出ないから。
まあ、スーパー進学校がゴロゴロある東京では話は別だが。 >>852
アホか。
衣装ってテレビ局が用意するもんだろ。 真由たんに
セクハラしたい
ε=ε=(ノ≧∇≦)ノ >>861
最近、財務省絡みでよくコメンテーターとして出てるけど、これについては流石にどうだろうか……。 山口とかいうおばさんは保守派に媚びを売る犬だから、セクハラも批判しないだろう。Metooを批判するくらいだし。 82年入省組って問題が多いよな。
この世代は谷間の大学入試とか第一ゆとり世代とか言われてる世代で
競争が緩く物理的にレベルが低いんじゃないのかね。 >>865
保守派ねえ。
もし、彼女が将来選挙にでも出るとすれば、保守派で行くとも言い切れないかな。
自民党は空いてる選挙区が中々ないし、まして彼女の出身の北海道は「赤い大地」だから。
ああいうタイプは変わり身も早いし、立憲民主党をはじめとする野党連合で出た方が勝てそうとなったら、そっちから出馬するんじゃない? >>867
一連の安倍擁護や正論の寄稿を読む限り、とても野党から出馬する人には思えない 合理的に考えて、日本一頭のいい女性が
何の権限もない野党から出馬したら国家の損失だろ。
仮に大臣になればかつての上司を顎で使えるわけだし。
まあ、今の嘘つき不祥事の安倍がいつまでも辞めない限りは
自民党も野党に転落してまう恐れがあるが。 国民のことを考えず我が身のことばかり考える人が政治家になることが、国家の損失だよ >>870
政治家って大なり小なりそういう所あるから。
あの人らだって生身の人間だし、(大抵は)家族もいるのに、落選したら次の日からどうやって生活していくんだい? “胸触っていい?”「福田淳一財務省事務次官」のセクハラ音声
https://www.youtube.com/watch?v=jj1mhwW_m3w
(リンク先のyoutube 書き起こし)
記者:財務省と森友学園、どうなんですかね。
福田:今日ね、今日ね・・・抱きしめていい?
記者:だめです
福田:じゃあ(旦那)は浮気しないタイプなの?
福田:予算通ったら浮気するか?
福田:いやいや手を縛って良いから
福田:手を縛ってあげる 胸触って良い?
記者:だめですよ
福田:手縛って良い?手縛られて良い?
記者:そういうこと本当にやめてください
福田淳一
https://www.dailyshincho.jp/wp-content/uploads/2018/04/1804131300_1.jpg
神奈川県立湘南高等学校卒業
旧司法試験合格
東京大学法学部卒業
1982年 大蔵省入省
2004年 財務省主計局主計官
2015年 財務省主計局長
2017年 財務事務次官
同期組には、片山さつき(自民党参議院議員)、迫田英典(元国税庁長官)、佐川宣寿(元国税庁長官)などがいる よくネタで政治家になるだろうとか言われてるけど、生活に困らない限りならないように思える
基本的に他人に干渉したくもされたくもないタイプの人だよね。
「財務省時代は、終電で帰れたことはほとんどありませんでした。
当日の朝刊に何か載れば業務スケジュールがガラッと変わる。
国会が始まると特にそうで、主体的に予定を決めることができなかった。
弁護士も、企業法務をやっていたのですが、お客さまの都合で2徹、3徹(2、3日の徹夜仕事)になったりする。
現在は弁護士登録を外していて、実務は離れています。
研究者は周りに流されにくい職業で、希望の生活サイクルに合うんです」 >>873
誰でもそうだろ いくらなんでもここまで極端だとさ 2018年医師国家試験合格率
受験者数 合格者数 合格率
日本大学医学部 123 114 92.7% (天野教授の母校)
東京大学医学部 120 108 90.0% (偏差値日本一)
大阪大学医学部 127 114 89.8% (中村教授の母校) 使命感なんて言ってると過労死するぞw
使命感なんてのは所詮は自己満足なんだよ。 結局法律系資格って馬車馬のような働きと高収入がセットだからなぁ >>872
82年組は逮捕されたのもいたな。
>>873
政治家には向いてる性格とは言えないね。
まあ、実際に政界にいる(あるいはいた)中にも、適性に欠けてる奴がいるけど。
「向いてない」のベクトルが違うかもしれないけど、山尾とか豊田とか。 気持ちいい。
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2018/04/post-ab0c.html
女性がきれいになるためには、「行きたい美容院に行く、近所の歯医者に行く」方法(現象学)
の研究が必要になる。
今は「子供のお弁当」「愛妻弁当」が主流だが、
いずれは「詩の解釈が抜群だ」という方向に向かうだろう。
スポーツ選手との結婚とサラリーマンとの結婚が変わらなくなってきたのだ。 四大事務所(山口さんは財務省を辞めた後、NOT入所)に就職したら、
留学前の5年間は、午前3〜4時(早い部署は2時)になってようやく仕事が終わって帰れるぜ!
と思ったら、午前9時には事務所に戻らないといけない…なんてのがデフォだったから.....
だからみんな事務所の近くに住んでたし、帰る時間も惜しむ時は自分の個室の床で寝たよ。
四大で5年くらいいたらかなり鍛えられるので、留学から帰ってきた後も、
カンさえ戻ればまたすぐに企業法務系での活躍は問題なく出来るので、
修行だと思って、留学してNYバー合格までがんばれといったところか。
独立は顧客獲得能力が問われるので未知数だが、
四大だとおおかたは留学前後までに結婚するので、
都落ちして一般民事やる奴も少数だがいたりしたな。 >>879
山口さんのような天才は、今の愚劣な親の七光り政治家に似てなくて当然だよ。
新しい時代のリーダーは、天才であることがまず重要。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています