【東大法学部首席卒業】山口真由【弁護士】Part3©2ch.net
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東大法学部首席・司法試験一発合格→財務官僚→
大手一流事務所弁護士→ハーバードロースクール留学
の山口真由さんについて語りましょう。
前スレ
【東大法学部首席卒業】山口真由【弁護士】Part2
http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/shihou/1437933351/ >>740
そういえば、菊川怜の後継者まだいないもんな
あいつは数十億単位でも儲けたんだろ?
結婚相手は間違えたが 山口も菊川もアスペっぽいよななんか変だよな
やっぱ突出した才能があるやつは欠けてる面もあるんだな 菊川は認めないいけど、高田なんとかは認めるのが東大女子。 菊川怜って東大卒業した人間が職業として芸能人になったんだと思ってたら
高校生当時すでに芸能人やっててそれで東大受験して合格したという話を見てすごい人なんだな、と思った
芸能人なんて中卒レベルの知識も危ういのばかりだろ
それで東大も簡単に入れるとこじゃなくて理一だからな
ついでに書くと国会議員の世界も東大から財務省みたいな超エリートもいれば今井絵里子みたいな中卒レベルもいるわけだろ
大卒だってどうしようもないバカもいるし
たから国会議員の上のレベルの人間は相手に話合わせるの大変だと思う
その点法律家の世界は司法試験というフィルターがあるから最低レベルは担保されてる(と想像する) ここ2、3年、企業法務系事務所からインハウスがブームの中、
あえて学者目指すのは自分の頭に自信があるんだろう。
文明堂の双子も、4大(森浜)〜ハーバードの姉はIT企業のYJC(ヤフージャパンキャピタル)に、
西村あさひ〜NYの妹はメルカリと、どちらも4大〜留学からIT系インハウスというルートを選択したように
結婚・出産考えれば福利厚生の充実してる大企業のインハウスになるのが賢い選択なんだけどな。 元々美人なのに整形するような心の弱さでよく勉強頑張れるよな モンスターだわ なんか誰かに似てると思ったら・・・鳥井美希かな、いや諸星エミリーか 八田あやこか何か知らんが、スタバのコーヒーのみながら、本郷の坂歩いてたな。
品がないけど、スタバが好きなんだろうな。スタイルは最高だった。他が駄目だった。 この人、2年でやめた職場を知り尽くしているような本を書いて
頭パッパラパーだな。2年間しかいなかった職場は普通の常識人だと
「腰掛け」にすらならないよ。 >>763
東大首席に馬鹿と言えるキミは相当賢いんだな(笑) >>763
最近、元検事の肩書きがほしくて検事になって数年でやめてしまう若手がままいて
検察庁は困っているという話を読んだ
だけどこの人は司法試験受かってるからいいけど
そうじゃない人間は財務省早期退職しても転身がむずかしいだろうに
まして財務省早期退職なんて一等当たりくじを破り捨てるに等しい行為だからな >>9
医者だと勉強極めてくうちに気がついたら医者になってた、というのが結構いるらしい
官僚だとそういうのいそうだな 俺なんて財務省(当時は大蔵省だったが)内定を蹴ったんだぜ >>763
普通の常識人ならな
こいつは普通じゃないだろ >>763 >>765
出世コースじゃなくて片山さつきコース、とはテレビに出てた時に本人が言ってたな。
彼女としては、先が見えたからずっと勤めるのが嫌になったのかもしれん。
それにしても、税務署長とかぐらいやってから辞めれば良かったのに、とは思うが。 彼女はテレビに出るのが好きみたいだから、もともと
役人には向いてなかったのかもしれない。 そうなのか山口ですら先が見える程度とは恐ろしい世界だ >>585
山口さんが21位だったって初めて知った
21位って、財務省入省者ではトップではなく、おそらく上に何人か居たはずだから
恥ずかしかったんだろうな あまりよくないんだろうな
まあcbookじゃ当たり前か 司法試験は3年生のときに合格したんだろ。
3年生合格者に順位まで問うのは酷な気がする。
公務員試験は4年生のときだから
順位を云々されてもやむを得ないが。 本職は試験勉強研究家だから財務省に長くいる必要はないよ
次は医師資格を取ればいい >>776
山口は山口でも山口厚判事は3年生の時に司法試験2位だよ。その時の1位が日比野先生。 今は東大大学院の博士課程で東大博士を目指しているの? >>778
日比野先生が1位だったって本当?日比野先生が今年定年されるまで20年以上
付き合いがあったが一度もそんな話は出なかった
山口厚先生の授業は山口先生がまだ助教授なりたての頃に受けたけど、100年に1人の
天才と言われてた。刑法1,2部とも優が貰えて嬉しかったなぁ >>774
しかし、NOTにそんな悪い成績で入れるもんだろうか? >>783
俺の知り合いは本番で滅入ってかなり順位が悪かったとか言ってたが入ったぞ
大事なのはコネじゃないかな? 100年に1人の天才とか言いすぎw
せめて10年に1人だろw
今から振り返っても、山口説は行為無価値を完全に乗り越えられなかったし。
助手論文なら30年に1人かな
早咲きだったね >>783
大手事務所は旧試東大現役合格なら基本的にOK(順位は問わない)
当時は3年生合格なら直ちに3年後の採用内定が出たという噂さえある
>>778
日比野1位、山口2位はいずれも都市伝説の類 厚は師匠の平野龍一から直接「2位だった」と告げられたらしい
それにしても、仮に日比野が1位だったとしたらすごいな
憲法で「ノモス主権とは」なんて研究してんだからな
まあない、だろう >>788
それ高橋基本書にあったわ
意味分からん箇所だわ >>785
当時、刑法の授業を受けていた学生の間でそう言われてた
今から振り返れば早熟なんだろうかね はあ?
司法試験二位と最高裁判事は後者の方がすごいだろ >>761
立教大学卒で加計学園監事から最高裁判事になった人もいる
あの人がすごいとは全然思えない
コネはすごいが >>781
山口厚にならってたのか
すごいな
俺は今その弟子に習ってるが、崇拝っぷりが伺えるわ
ホントにスゴい人だったみたいね >>795
>>781で書いた者だけど、当時受けた授業の中で一番論理的で、感銘を受けた記憶がある
授業では山口先生とか西田先生とか何人かの共著の演習本みたいなの(名前は失念)が参考書で
指定されていて、自分で団藤と平野、前田の基本書を読んで勉強していた
山口先生はいつ頃から弟子を取り始めたんだろう
僕が学生の頃仲が良かった「は○○め」(現東大教授)は、西田先生の弟子なんで、
僕の時代よりかなり後だろうけど
山口真由さんのスレなんで一応書いとくけど・・・民法の大村先生の授業は受けていない
米倉・平井とかだった
平井先生は亡くなってしまったし、時の経つのは早いなぁと思う 山口先生の弟子と言えば、山佳奈子・故島田総一郎・和田俊憲・深町晋也・古川伸彦・樋口亮介
だから山先生が院生か助手時代(93年)では?
山佳奈子(法学研究科・教授) 研究者になられた経緯が詳しく書かれてる
http://www.cwr.kyoto-u.ac.jp/rensai/kenkyusya/2010/09/25takayama.html
余談だけど、山口ゼミ生が在学中に司法試験に合格し、合格者講義のガイダンスでしゃべっていた
エピソードで、「東大から司法試験に在学中合格した今までの人生で挫折が一つだけある」
本当は刑法の研究者になりたかったが、先生から『無理だから諦めなさい』と言われたこと」と述べていた。
それくらい山口ゼミ生のレベルは高かったみたい。
山口さんも民法で良かったね。
刑法なら研究者の道は難しかったかもしれない。 >>796
山口違いでスレ違いなのは分かってるんだが、本当に羨ましい。
ローの同期のおじさんで芦部先生にならってた人に話を聞いた時と同じぐらい羨ましくて仕方ない。 じっと見つめる瞳。
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2018/04/post-c4da.html
なぜ、神聖ローマ帝国は英語に滅ぼされたのだろうか?
カール大帝が作った「スポーツ国家」を攻略するためには「女の子と話す」ことが
必要だった。
もっとも素直な言語はそのようにして作られた。
核兵器も出来た。 >>801
今思えばレジェンドの授業なんだろうね・・・・・・
憲法の授業は芦部先生は定年していて樋口陽一先生だったけど
その後、会合などで芦部先生とも何度も顔を合わせた
芦部先生は雲の上の人なので恐れ多くて挨拶くらいしかできず
かなり後に芦部先生のお葬式に参列した時、
周りのメンツが半端なかった 不謹慎ながら、サイン貰うか2ショット撮影して
おけばよかった ていうか何者だよ
芦部先生の葬式に参列ってしかも何歳だよw
ウィキペディアでみたら1999年に死んでるのに
少なくとも50代いじょうだな >>805
>>806
>>807
こういう反応が来るから書かないでおこうかと思ったけど >>801には一応反応しておこうと思って
書いた
刑法ではないが法学者で、芦部先生の葬式に参列したのは事実だよ
葬式は護国寺であった(この情報はウィキペディアには載っていないはず)
僕の年齢は今はそれなりの年齢(東大憲法が樋口陽一の時代と言う時点で推測できると思う)
芦部先生の葬式の参列者の中では一番若かった
最近急に山口さんがテレビに多く出るようになったので経歴調べたら、今は大学院に居るって
分かって、このスレを見つけて読んだら懐かしい話題もあったので書き込みもしてたけど、本来スレ違いの話題なんでもう書き込まないよ
これまでの書き込みで妄想と思うか本物と思うかはそれぞれに任せるけど、当時の実際に見聞きした人間しか分からないこと
を書いているのは分かると思う
司法試験はいろいろ制度が変わって大変だと思うけど、受験生の方は健闘をお祈りします 芦部教授の退官は1984年で、
樋口教授の東大在職は1980年から1995年までだから、
>>804 は(現役合格として)53歳〜43歳位となる。
ただし、芦部先生の死去(1999年)は、在学時の「かなり後」というのだから、
卒業後5年以上経っていたとして、46歳以上か。
要するに、アラフィフというところだね。 芦部先生に進路相談しただけで、芦部先生の直弟子を名乗る片山さつき・・・
芦部先生の講義は受けたことはあるようだが、第三類(政治コース)だからか法律の方はかっらっきし 官僚だと在学中に司法試験に合格して、退官後に弁護士資格を取るのも少なくないけど、片山とか豊田真由子とか何でそうしなかったんだろうか。 ネットの掲示板で油売ってるような学者に教わりたくない 山口真由とかいう整形おばさんにしても、金のためなら意見をころころ変えるような人間に教わりたくはない。 >>812
在学中に(旧)司法試験に合格することはそんなに簡単じゃない。
まして女性で司法試験に合格して官僚になったのは、年にもよるが、
せいぜい1〜2名程度のはず。 >>808
最初のレスから本物だって分かったわ
スレ違いだから本当に最後にしなきゃだけど、本でしか見たことない歴史の中の方達と過ごした時間は人生の宝すね このくらいやると全優と在学中司法試験合格
山口真由「講義はサボらず先生が述べた内容の要約をメモに採りながら授業を受け、
また講義はMDに録音し、家に帰ってから2倍速で再生しながら講義の内容を書き記し、
その講義ノートと教科書を元に法律を勉強して、すべて優を獲った」
「司法試験用の基本書は1冊に情報が集約されていて何度も読み返せる本を選び、予備校本のC-bookを70回と80回とか読んだ」 10年前とちょっと古い東大法学部の資料から、
3 年次終了時点で取得した単位の「優」比率別人数 ( 2008年度 )
<取得単位のうち優の比率>
9 0 % 以上 3名
8 0 % 以上〜 9 0 % 未満 13名
7 0 % 以上〜 8 0 % 未満 20名
6 0 % 以上〜 7 0 % 未満 30名
5 0 % 以上〜 6 0 % 未満 28名 「優」については受験者の30% 以内と定められている。
2004 年度進学者からは、学生の勉学意欲を一層高めることを目的に、
「法学部成績優秀者表彰規則」を定め、成績が優秀な学生について表彰する制度を創設したと。
ちなみに、学士助手制度があった頃の目安としては、優が80%以上ないと認められなかった
と聞いたことがあるので、全体の上位3%以内で、15人くらいしか該当しないのか。 卓越貰えるのが大体15人とかそれくらいの人数かな
俺は二留だしよく知らないけど 難関大学院は『大人の試験』です。米国ではエリートはほとんどが欧米大学院を目指し、マスター修士号をめざすので高学歴でなければ話になりません。
LLM大学院やMBA大学院、CPA大学院が当たり前。
L.Aニューヨークやボストンのトップクラスの大学ではスタンフォードMITプリンストン大学院に進学します。
ht tp://www.youtube.com/watch?v=hYQxB-JSqJc
これが世界のグローバルスーパーエリートの現実です。スタンフォード大学院、カリフォルニア大学院バークレー校(米国)
オックスフォード大学院、カリフォルニア工科大学院(米国)ハーバード大学院ロンドン大学院インペリアルカレッジ(英)、プリンストン大学院、イェール大学院 >>818
基本書と予備校本を使ったのか?それとも予備校本を基本書と言ってるのか? 最年少合格者の体験記(在学中/司法試験2位合格)
東京大学 山口厚
九月三〇日。法務省の中庭で合格者の中に自分の名を見つけた時、私は、うれしかったには
違いないが多少それとも違う感じをいだいた。ほっとしたというのとも違う気持ちである。何
だか「あっけなく」ここまできてしまったという感じなのである。自分の実力の程度はわかっ
ているつもりだけに、ほんとうに合格してしまってよいのかと思われたのである。私は、今年、
初めて受験して合格してしまった。
ほんとうに運がよかったと言える。編集部の方に「体験記」の執筆を依頼された時も、果た
して私の書くものが、「合格体験記」たりうるのかとの気持ちもなくはなかった。私は、種々
の苦労の中で合格をかちとった人々とは異なり、比較的恵まれた環境の中で勉強してこれたか
ら、これといった苦労話もないし、二〇才という年齢にしても、参考になりうるような事は書
きえないのではないかと思われたからである。しかし、私がペンを執ったのは、この程度のヤ
ツでも「合格しうる」のだということを解ってもらい、若干なりとも参考になれば、と思った
からである。
私は、昭和四四年、東京・目黒区の中学校から「受験校」東京教育大学付属駒場高校へ進学。
いろいろと動揺もあり、一時は本気で、大学で語学を専門にやろうと思ったこともあったが、
この頃から、中央法学部に在籍していた従兄の影響等や、漠然とした法曹へのあこがれもあっ
て、法学部を志望するようになった(そして、司法試験も考えるようになったのである)。大
学は、高校の環境もあり、迷わずに東大を志望する。
昭和四七年。東大一本しか受験しなかったが、幸いに合格。四月には、東京大学教養学部文
科一類の学生となった。ストライキのために若干遅れたが、講義が開始。法学の講義の時の先
生の、早くから司法試験のための特別の勉強はしない方がよい、との話を守ったためもあり、
また語学の勉強や、経済学の勉強がおもしろいこともあり、秋休み頃まで、全く司法試験のた
めの勉強はしなかったのである。 しかし、まわりの人の中で憲法の本を読み出す人が出たりして、秋休み頃より、シビレをき
らした形で、憲法T・Uを読み出した。しかし、「法律の本はなんと読みづらいのか」という
感じしか残らなかった。現在記憶がはっきりしないが、二冊を一回通読したところで、中断と
いう形になったと思う。学内試験の準備に追われ、語学に追われたのである。
昭和四八年四月。いよいよ、憲・民・刑の専門の講義が開始。これに合わせて、春休みから
三科目の教科書を読み出す。とにかく民法は、我妻講義を読み始めたのだが、難しいやら、う
んざりするやらで、とうとう、担保物権で中断。薄い本に乗りかえる(現在でも、我妻講義を
基本書にしている人には頭が下がる)。また、友人と憲法の判例等を読みあう等の勉強もやっ
た。一年の時に、本を読んでいたので、憲法に若干余裕があるという程度であった。本を読ん
でも、時間がたつとすぐ忘れる、わからない、といったぐあいで、司法試験までの道のりの遠
いことをしみじみと感じさせられた。
それに、私は、サボるということが出来ないタチ(?)なので、マジメ(?)に授業には出
て、語学の予習をやっていたために、法律書を読む時間はあまりない。語学がなければどれだ
けよいかと思うほど、「単語調べ」に精を出したのであった。でも、どうにか夏休みが終わっ
た時点で、一通り、三科目は読んだという感じを得ることはできた。若干ウンザリしながらも。
秋休み明けから、友人にさそわれるままに勉強会を作る。これは非常に勉強になった。疑問
点がはっきりしたり、新たな興味が出てきたり、これで、法律学というものが、少々好きにな
れたような気がする。この頃から刑法が好きになった。団藤先生のわかりやすい講義のためも
あったが、理論の着実な論理性にひかれた。それもこの勉強会で得たことである。 憲・民・刑が一通り読めたという気持ちからか、この一〇月頃より、刑訴にも手を出したわ
けである。しかし、一、二度通読したのだけれども、よくわからないし、興味もうすれていく
等で、ほとんど頭にはいらない。この頃は、とにかく、団藤先生の刑法理論について、いろい
ろと読み、考えるのが、「おもしろく、楽しかった」という位で過ぎてしまうことになる。
一人で本を読んでいることの不安ゆえに、真法会の答練(通信)に申し込んだのもこの秋で
ある。しかし、とにもかくにも実力がないのだから、毎回の短答の問題が難しく、全く通らな
い。二、三回出した程度で出すのは、やめてしまった(毎週問題を送って下さったのには、申
し訳なく思っております)。しかし、短答のきびしさ、自分の実力のなさを、ほんとうに身に
しみて感じさせられたのは、なににもまして、勉強になったと今にして思われる。どの位すれ
ば合格できるのかとため息の出る日々であった。
明けて、昭和四九年。商法に手をつけてみる。すぐに学内試験のために中断。このときの勉
強は、能率的であった。試験を目前にしての勉強と、そうでない勉強と、これほど頭に入る具
合が違うのかと思われた。試験終了後、商法を一回通読し、あとは短答の勉強にかかる。条文
と問題集をむさぼるようにやった(この四月に、法学部へ進学)。しかし、どうしても、合格
水準には、一、二点足りないようである。でも、一すじの「もしかしたら合格するかも」とい
う期待をもって、当日会場の立教大学に向かった。
試験後も、全く自信無し。一、二点足りずに不合格と信じていたところ、合格。とにかくあ
わてた。なにせ、刑訴に商法がほとんど白紙。約一月、その二科目を「やり狂った」という次
第である。私という人間は、試験を前にするとファイトが出てくるようで、読む片端から頭に
入るという感じで読めた(講義を少しサボるのは残念だったが)。 それでも、商法・刑訴は不安のままに、論文の試験に入る。今年落ちても、来年があるサ。
マア、様子でも見てヤレ、という気持ちで試験場にのりこむ。かなりひどい答案を書いてしま
った。商法はやはりダメ。刑訴も、第二問は、頭をひねりまわして、珍理論をこしらえあげて
きた。これで、もう不合格を確信。試験後は、来年にそなえて、民法等を読みはじめていた次
第。去年よりは、進歩しているはずというのが唯一の救いであった。
八月三一日。合格発表を、「不合格を確認」するために見に行く。ところが、意外にも自分
の名を合格者の中に見つけた。驚いたのと、うれしかったのとは、もう言葉にたとえようもな
い。夢中で、友人のところへ電話をかけていた。この日飲んだビールの味のうまかったこと!
論文も意外に合格してしまったので、またまた、あわてた。とにかく、手薄なところを読む
ばかりのことをやって、試験をむかえたのである。とても不安であった。全く自信がなかった。
また、今年落ちても来年の口述があるということだけをたよりに、試験に入って、一八日から
二七日の午後の最後まで、なんとかがんばりきれた。試験官の先生方もあまり難しいところを
聞いてこられなかったし、運がよかったのである。そして、あの九月三〇日を迎えたのである。
以上でおわかりのように、私は、予想外の合格をくりかえし、かなりの「泥縄」でここまで
来てしまったのである。正に運がよかったのだし、まぐれ当たりとも言えよう。ほんとうに、
無我夢中のうちに合格したという感じなのである。あまり学説も知らないし、判例も知らない、
私のような者でも、司法試験に合格することは可能なのである。私は、人生経験もない若年ゆ
えに、これ以上のことを述べる資格をもたないものと思う。
この「体験記」を読まれた方が、自信をつけられる足しにもなればと思い、私を見守ってい
てくれた、まわりの人々に、この日のあることを感謝しつつ、ペンを置くこととしたい。
(住所 東京都目黒区○○町○−○−○) >>809
樋口は芦部てはなく小林直樹の後任のはず >>829
こういうの読んだら余裕で合格出来る気になるが
この人は天才だからな恐い恐い >>829 この時点で、東大教授、最高裁判事になる予見可能性がある。凡人には
まねできないね。 山口厚は学生時代は憲法が得意で憲法の山口と呼ばれていたらしいね
憲法学者なんかにならなくてよかった 回り見てると勉強不足でも地頭いいやつは合格してるんだよな
話してみて、あ、きれるな、ってやつ
まあ勉強を通して頭よくなることはあると思うから俺は諦めないが 山口厚氏の出身高校は(現在の)筑駒だが、高校時代はそれほど
秀才の誉れ高くなかったとも聞く(伝聞につき真実保証なし) >>839
書斎の窓に載った井田の山口各論書評に、助手時代の山口のドイツ語発音に関する記載がある て言うか高校時代出来たやつって伸び悩まないか?
俺の時代は一番だったやつは大学卒業すらしてないぞ
俺は二番手だったが司法試験でド坪に嵌まったし まあまだ諦めてないが
それ以下のやつらが成功してる 加毛明先生も山口厚先生と同じ筑波大附属駒場高校の出身
去年の加毛明先生の民法第1部の試験なんて6割が不可だったけど、
他の大学なら必修の民法1部で6割不可って問題になるんじゃないかな。 そういえば、加毛先生も山口真由さんと同じで東大首席で総長賞の秀才か。
東大のHPで確認したら、総長賞で表彰されているのは4人いるけど、
首席卒業自体は毎年1人いるはずなので、東大法学部成績優秀者で総長賞を受けるのは、
全優で首席だけということなのかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています