>>168

>>>> 文脈から話を判断できないと何度も指摘されている、前々スレ49の苦し紛れの言い訳に過ぎないことがうかがい知れるだけで全く説得力がない。

前々スレ49の「スペック的に移植できるか」に対する前々スレ50の「大容量ROMは無意味じゃね?」から続く一連の話は文脈からして大容量ROMの実現性の話だ。

製品と製品化・製品レベルと製品化レベル・はそれぞれ意味が異なるが、書き方が悪いので文脈から判断できず、しかもいずれも「スペック的に移植できるか」とは見当違い。

>>>> 一般人に手に入るか入らないかで「スペック的に移植できるか」の答は変わらない。
>> そうだ。別にその回答は変わらない。不可能という回答も出ている。
> だが、その前提部分の「手に入る可能性があるのか、ないのか」の差で、その話自体が、机上の空論なのか現実を踏まえた可能性の話なのかが変わってくる。

技術的に実現不可能であれば前々スレ50の時点でそう言えばいいだけのこと。
製品化をするわけでもないのに「媒体価格」を持ち出すしてこじらせた理由になっていない。

現在ではSFC自作プログラムを開発・公開することも可能であり、他者がマジコンを使い実機で動作させることも可能だ。
製品を勝手移植することも可能だしマジコンを使い実機動作させることも可能だが、それを公開できないのは媒体原価が理由ではない。

>>>> そういう見当違いの話を持ち出してこじらせるのは止めろと言っているのがわからんのか。
> > 見当違いではない。机上の空論なのか違うのかで、議論に値する話なのかどうか、判断する事になるだろう。

「スペック的に移植できるか」の答は入手性により変わらることはない。

「スペック的に移植できるか」なおいて肝心の技術的に可能かどうかの議論を放棄して、なぜ机上の空論であるという判断を下すのか。

見当違いの話を次から次へと持ち込んでこじらせ続けているだけ。