>>675

>>> 今さら製品化するわけじゃないから当然ですよ。
>>製品化するとは言ってない。でも可能性の話をしてる訳だが。

スペックの話をしている中、製品化するわけでもないのに製品化の可能性の話を持ち込むのはそれこそ関係ない話であり【無意味】ですね。

大容量ROMの実現性であれば、前提の妥当性なので意味はあると思いますが。

>>それなら50に続く一連のレスで「実現可能」「安価に提供可能」と答えたのは間違いだったと認めたら?

大容量ROMという前提の妥当性を答えているだけなのでなんら間違いではないですね。

どうやっても不可能だというならそう言ってください。
でも、不可能ではないんでしょ?


>>>> 容量さえあればは前提条件ですからね。
>>50は「その前提がおかしい」と、その前提条件を話題にしてるだけだからな。

どこがおかしいのですか?
製品化するわけではありませんよ。

>>> 技術的に実現できるのであれば、時期や原価などは問いませんよ。
>>それなら余計に50に対しては「そうですね」で終わってた話じゃん。

技術的に不可能では無い上、現在媒体原価は下がっているので、「そうですね」とはなりませんよ。
むしろ「違いますね」ですね。

>>そんなレベルの話じゃない。「ROM容量さえあれば」は容量を増やすだけの話だろうし

そうですよ。

>>「逆は無理」ってのは何でもアリの話でもないはず。

ROM容量があっても、SFCをCD-ROM2に移植するのは無理だろうというだけですが、どこがおかしいのですか?

また、当時のROM容量を増やす手法としてバンク切り替えはFCやPCEでも確立されています。
SFCにおいて「ROM容量があれば」は実現可能な当時の技術の延長線上の話になりますね。
逆にマジコン方式は現在可能な技術の延長線上にあります。


>>それは「容量(さえ)あれば」ではなく「容量も○○も××などもいろいろあれば」って話になる。

こういう発想をする事自体、「容量さえあれば」が既存技術の延長線上にあることを理解できていなかったことを表しています。


製品化の話をする上でスペックの話やコストの話は必要かもしれませんが、スペックの話には製品化もコストの話も不要であり、関係のない話ですね。
あるとすればそれは本体の話であり媒体の話ではありませんよ。