>>306
まったく言い訳ばかりだな。

>>さらに「媒体原価はスペックなのか否か?」と問われれば、ROMのような媒体は
>>原価が製品価格に反映されるから、搭載量は製品化を考えれば限られてくる。

搭載可能な容量は本体スペックだが、発売された媒体の容量はスペックではない。
2Mのタイトルと16Mのタイトルとで本体スペックは変わらない。

また、本体発売直後の16MBのタイトルと本体発売10年後の16MBのタイトルでは媒体原価は大幅にさがっているが、本体性能は変わらない。


>>それもスペックと言えばスペックのうちだろ、と言う意味でそう答えている。

強引な言い訳に過ぎない。

>>その話はそれで終わりだろ。それ以上に何か問題があるのか?

終わりどころか、50がこの言い訳に言い訳を重ねていることが話が終わらない理由。


49では製品化の話などしていないし、49の時点で実現方法なども指定しているわけではない。

50は「そんなメーカーはない」というが、需要があれば原価が10倍であろうと100倍であろうとそれをつくるメーカーは存在する。

>>「実現可能」と言う必要もない。「そうですね」で終わった話。

製品化の話などしていないのだから「そうですね」とはならない。また、仮に製品化したとしても現在では媒体原価が当時の10倍から100倍になることはない。
お前の勝手な思い込みに同意できるところはない。


50は90年ごろ540MBのROMカートリッジを作れるわけがないと言いたかったのだろうが、媒体原価はスペックではないと一蹴されたことが気に入らず、延々と言い訳を重ねているだけだな。

>>「製品化としての移植」を意味するのは文脈的には明らかだし、

逆だろ。「製品化としての移植」の話などしていないのは文脈的に明らかなのに、50が勝手に製品化と言いだしただけ。


>「今現在なら安価で提供可能」
>「バンクROMで実現可能」
>「500MB級の容量で実現可能」

実際に実現可能だし、いずれも製品化などとは言ってない。
しかもはじめからスペックの話をしているのであって媒体原価はスペックとは関係ないと言っている。

「製品」という言葉が出てきたのは>>84。この時も「媒体価格や開発費を含んだ製品価格はスペックとは関係ない」と明確に言っている。

>>そもそも49は、最初から実現性度外視だったのか

実現不可能な話であればはじめから「ROM容量があれば移植できるだろ」などとは言わない。

「CPUが低いとはいえ、移植できるだろ」を製品化の話だと思い込んだ50が全ての元凶。