蘇るファミコン必勝本 [無断転載禁止]©2ch.net
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昨日発売されたのですが、今日AMAZONから届いた人も多いでしょうか。 >>338
それとは違うんだろうけどネクロマンサー2は出てる >>338
あの手の商品に1、2本紛れ込んでるイロモノ枠、怪作枠だと思ってる
出来はさておき初期タイトルゆえに知名度はそこそこあるはずだし
ヒッポンのレビューだとタイレルは自画自賛と2の宣伝に終始してて
もう一人のヒラ坊は家庭用RPGでもっとも宗教の香りがする、その辺が好きとだけ言って
ゲームそのものの具体的な評価は避けてたな
確か総合評価は5点満点中4だったはず キム皇はPCエンジンのコントローラーは、操作性が滅茶苦茶悪いなんて言ってたけど、
俺は別に悪いとは感じなかった。
悪いのはメガドライブのだね。メガドライブミニには当然メガドライブ2の小さい方の
コントローラーが使われているが、なんで最初からあれが作れなかったのか。 メガドラの3ボタンコントローラーはマスターシステム以前の比べれば遥かに使いやすいよ
あれ使い辛いってのは手が凄く小さいか、方向ボタン↑が正面に向くように持ててないから 思えばキム皇のレビューも辛辣というより悪意と偏見に満ちてたなあ メガドライブの十字キーは勝手に斜めに入ってしまうんだよね。
だから、スーパーモナコGPとかやると、コーナーを曲がるときに勝手にシフトチェンジしてしまって、ゲームの難易度をむやみに上げていた。
当時からHORIにコントローラーを作ってもらえ!とか、
任天堂の十字キーを見習え!とか、散々に言われていた。
そのストレスに加えて、キラータイトルのテトリスがお蔵入りになったり、
サードパーティの参入が鈍いことも相まって、
だから任天堂に勝てないんだよ!とかまで言われていた・・・ キム皇のジャンプの連載記事は面白かったな。
あれを単行本化で復刻してくれたらと思うのだが、皆は出たら買う? ネクロマンサーはジャンプで大きく扱われていて
知名度はかなり高いと思うよ そういや元ヒッポンのライター陣って今でもそこそこ名前見かけるけど
タイレルは全くと言っていいほど名前見ないな… みそがファミ通で「あんたっちゃぶる」始めた時はその号でしあわせのかたちが無かったこともあって
色々びっくりした記憶が ちゃっきりみそ、亀仙人まっちゃん、ヒラ坊、ターミネーター辻、響あきら、
…が初期ライターかな?はっきり覚えてないけど。
成沢大輔、夢枕獏は亡くなった。
あと山下章、ベニー松山、手塚一郎のマイコンBASIC組は元気しているのかな? 山下、ベニー、手塚はベントスタッフで健在
あと細かい突っ込みだけどヒラ坊はライターでなく編集者、夢枕獏でなく北枕獲 プッツン黒須はフォトグラファーとして最近も活動してたような、年齢的に仕事はリタイアしたって人も結構いそうだ みそがあんたっちゃぶるで「ファミ通とヒッポンの原稿料はどっちが高いですか」って
読者のハガキに対してノーコメで誤魔化してたな
あとファミ通でとか初期必本でのみそのイラストが紹介されていて
「今の方が絵が上手くなってる」って書かれてた ファミ通の水野店長とか渋谷洋一の方が気になる。毛利名人やその他の元ファミ通人気スタッフ。
今どうしてるんだろう。
浜村通信など早稲田出身なのは当時から知っていたから、今の地位は意外ではないんだけど、
あの当時、特に人気編集者と言うわけではなかったくらい、他に人気スタッフが大勢いた。 ポテイトゥ トメイトゥ タメイゴゥ
必本の鈴木みそのコラムで書かれてたけど元ネタあるの? >>353
水野店長ならシンゴジラに出てたらしいぞ
エキストラで 川村ハチベイ氏はmegumiの動画に新作iPhone購入の時にはガジェット好きおじさんで出てくる。 ヒッポン編集もかなり濃いメンツの集まりだったけど、世間的な知名度はあまり高くなかったのかね
創刊編集長の丸井(丸の中に井の特殊記号)、二代目編集長のハルク、少年宝島から移籍したマッキー
スレタイの本にもインタビューは載ってなかったから既に宝島社は辞めてるんだろうけど 伊藤岳彦表紙号って
17,19,21,22.24,26,28,29,31,32,33号で合ってる? マッキーって確か女性編集者だったよね?
初代と二代目絵の編集長は印象ないな。
やっぱ顔は平林さんだと思う。
必勝本を辞めた後も活躍されているので、一読者として鼻が高い。 ヒラ坊は必勝本時代の末期に人事異動で必本離れてるのよなあ
移動することなくヒッポン編集部にいていてくれてたらと惜しまれる 「ドラゴンクエスト」大ヒット連発なぜ? 30年前の伝説の熱狂
https://news.yahoo.co.jp/byline/kawamurameikou/20200524-00179152/
ドラクエの良かったのが、製作者側が決して「泣けます。」とか言わなかった事。
FFだと発売前に坂口が「泣けます。」とかMOTHERも糸井重里が「エンディングまでに3回泣ける。」とか、
FF5のエンディングをスタッフ皆で見ながら、泣いていたスタッフがいたとか。
まさに自己陶酔。
それがどこのシーンを指しているのかは分かるんだけど、俺は感動すらしなかった。 ドラクエは背中から震えが来るシーンが何回かあったが、製作者は決して言わなかったね。
中村光一がドラクエから離れてから何年も経ってから、「やる前に泣けますとか言われると絶対泣けないじゃ
ないですか。」なんて言ってたよ。堀井雄二だけでなく他のスタッフもそれが分かってた。
そこがドラクエの良かった所の一つ。 >>362
エニックスがガンガン創刊前に出した「ドラゴンクエストへの道」って漫画を思い出した
今思うとあれ、所謂プロジェクトものの漫画のハシリだったな。しかも質も高かった
この間、ブックオフで通常のコミックス版を見つけて買ったんだが、実家にある
オリジナルの大きい版のやつ(黒表紙にスライムの絵のやつ)と比べて
中身がカットしまくりで失望した
マシリトなんて原稿を修正液(か切り貼り)されてまで存在をカットされてたから
本人から抗議されたのかね
驚きなのは漫画の発売時である平成元年から、ほんの数年前でしかない
昭和59〜61年くらいのゲーム業界を懐かしさを込めながら振り返ってる内容だった事
如何に当時のゲーム業界の1年1年が濃密だったかが分かる >>362
MOTHERの宣伝コピーはエンディングまで泣くんじゃないだったな
雑誌インタビューなんかでも糸井が大口叩きまくったこともあって
プレイヤーに余計な先入観を抱かせた感じ でも中村光一の信念は立派だし賛同したいんだけど
やっぱりFFで泣いちゃった奴、「感動した」を連呼した奴は
たくさんいるんだよなあ…MOTHERも同じ
実際はやる前に「泣ける」って言われても、その通りに
まんまと泣く奴はたくさんいる
「泣いてやるもんか」って身構えてしまうのは(俺もそうだが)
むしろ少数派なんじゃなかろうか 中村光一は、堀井雄二、鳥山明、すぎやまこういちの三人組より知名度が落ちるかも知れないけど、
ドラクエを国民的RPGにした功績は第一だと思う。
プログラマーが3日位徹夜して作ったシーンでも良くないと判断すれば、容赦なく切り捨てたらしい。
そりゃディレクターとしては当たり前の姿勢だけど、黎明期のRPG制作でそれができるのは流石。 >>365
必本もMOTHER発売前の糸井重里のインタビュー記事があり、今でも持っているけど、
それ読んでMOTHERを買う気になった。
1回も泣けなかったし、理不尽な所もあったけど、それでもMOTHER1は面白かった。
名作と言っても良いと思う。 >>366
「泣いてやるもんか」などと身構える人は、さすがに少数でしょう。
身構えても、身構えなくても、FF,MOTHERは感動出来る程のものではなかったって事だね。
感動できなかった人にとっては。
ドラクエV発売前の、ファミ通での堀井雄二、中村光一の対談で、中村光一が「今回は
ちょっと感動できるようなシナリオになってるんですよね。」なんてさらりと言ってた。
仮に中村光一がここで、坂口、糸井のように、絶対感動しますとか、泣けますとか吠えまくっていたと
したらどうだったか?やはり震えがくるような感動に変わりはなかっただろう。あれは、もう。 >>367
知名度が落ちるのは、本人の名前ではなくCHUN SOFTで入れてたからでしょう。
堀井雄二、鳥山明、すぎやまこういち、CHUN SOFT IN ドラゴンクエスト。
俺が思うにディレクターとしてよりも、ドラクエ1、2のプログラマーとしての功績ね。
内藤寛も、山名学も天才プログラマーだろうけど、ドラクエのプログラムの基礎作ったのは
中村光一でしょう。Uの時点である程度完成してるんだから。
ドラクエ11のエンディングスタッフロールの最後、プロデューサーの名前だったが、
その後にスペシャルサンクス、中村光一と入れてくれたら良かったのにと思ったくらい。 6でいきなり質が落ちた…なんか全体的にゲーム性が雑になったと思ったら
チュンソフトが抜けたからだったんだな
ドラゴンクエストへの道を読めばわかるが中村とチュンソフトの役割って
ただ堀井のシナリオを打ち込むだけのプログラマーとしての仕事だけに
留まってなかったし >>368
インタビューあったね
正直内容は殆ど覚えてないけどテレポートのアイディアは100点と言ってたことだけはなぜか覚えてる 5はチュンソフトなんだけど、内藤寛が抜け、山名学はプログラムやらず、
かといって中村光一がプログラマーにカムバックもせず、プログラムに
関しては難産だったろうね。なんとなくそんな感じもするし。
面白かったし名作だけど。 5はファミコンで作っていて、結構出来上がっていたらしいのだけど、
任天堂の山内社長がSFC出るから、どうしてもSFCで発売して欲しいと強く要望して、
エニックスも仕方なく5に移行したという経緯があった。
その辺りの紆余曲折があるんだろうね。
内藤寛と一緒にチュンソフトを抜けた高橋宏之がの制作に途中まで関わっていた、
と言っていたから、もしかしたら、それはファミコン版のことを指すのかも知れない。 4発売が90年2月
SFC発売が90年10月
3から4で2年掛かってるのに半年強で結構な所まで出来上がるもんかね 流石に5がファミコンはないわ
カーツ佐藤のジャストブリードじゃあるまいし アクトレイザーの発売が90年12月だから、普通に考えてSFCの話はそれ以前からエニックスに入ってるだろう。
問題はすでに一千万台以上普及しているファミコンと、
これからどれだけ普及するかわからないSFCを天秤にかけての経営判断じゃないか?
当時の開発期間からいって5をファミコンでというのはまだあり得る話だよ。
事実、5のシステムは4をかなり継承したものだしね。 俺もそういう噂話を当時聞いた事あるな。DQ4が出て半年くらい経った頃だと思うが
エニックスが任天堂に5はスーファミで出してくれって頼まれたって
学校で友達がそんな事を話してたってくらいのレベル
中学生としては、そりゃねえぜスーファミも一緒に買わなきゃいけないじゃん!
って懐の心配をしたのをよく覚えてる
結局スーファミとDQ5の発売が2年近く空いたので助かったが
でもその友達は単にテキトーな事を吹かしてただけだったが、
案外真相を突いてたって可能性もあるかも 『ドラクエ』ロト三部作が生んだ熱狂 ブーム当時を知らない世代の「憧れ」とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/f8692753c6a803145d2487216360dc640a8dfc18
ここの皆さんは、当時を知ってる人たちなんですが。
リアルタイムでやった人にしか分からない感覚はあるでしょうね。
11の感じ方も随分違っただろうし。 >>379
集英社のドラクエ4の攻略本だったと思うけど、中村光一がファミコンのカセットに特殊なチップ載せて
5を開発って言ってたよ。ドラクエ5の攻略本だったかな。どっちだったかな。 >>379
集英社のドラクエ4の攻略本だったと思うけど、中村光一がファミコンのカセットに特殊なチップ載せて
5を開発って言ってたよ。ドラクエ5の攻略本だったかな。どっちだったかな。 ミスって連投になってしまった。
>>375
だよね。企画して作り始めたぐらいじゃないかな。 じゃあやっぱりマジだったんだな
何メガにするつもりだったんだろうな
前作が4Mだから6Mか、限界の8Mまでやるつもりだったのか
仲間に出来るモンスターの数とか半分くらいになってたかも ドラクエ1も売れたタイトルだけど、普通に買えた。
でも、2の爆発が凄かった。
当時はゲームショップってあまりなかったから、百貨店とかおもちゃ屋とか
ディスカウントストアとか、なぜか質屋とか、そういう所で買うんだけど、
本数があまり入らないんで、手に入れるのに苦労した。
ちょっと前のコロナでマスクが手に入らなかった時を想像して欲しい。
〇〇でマスクが売っているらしい、という噂を嗅ぎつけて店に並ぶ感じ。
結局、2は父ちゃんの知人がクリアしたからと言って貸してくれたっけ。
3の入手法はよく覚えていないけど、何とか手に入った感じだ。 ファミ通 2018年11月15日号より
高橋宏之
某大手メーカーの精鋭チームが当時作っていたRPGタイトルでさえ、1画面にモンスターを8体並べると
いう事はできなかったんです。ですが、ドラクエ4ではそれができていました。
これが当時の技術力の差です。
このゲームってなんだろうね。コナミのMADARAかな? じゃあモンスター9体と主人公パーティー4人を表示していた
FF1はどんなとんでもない技術だったんだろう 誰かタイレル辻さんのFMTOWNS用ソフト『スペースオデッセイ』をプレイした猛者はいますか? >>387
横に8体並べる話なんじゃないか?
ドラクエ4は船が動く場面でも、凄い演出をしていたし、地味なようで技術を見せつけている。 >>386
MADARAの戦闘システムはウルティマタイプでドラクエとは別物だから違うんじゃない DQ1のカニ歩き以前にも画面上でちゃんと上下左右に
向きを変えるFCゲームなんて普通にあったのに、
なんでDQ1はやれなかったんだろう
あれ、そんなに容量を食うのかね? >>387
ナーシャ・ジべリ
この本で堀井雄二がハマってたような事を言ってる、ハイウェイスターはナーシャのゲーム。
女神転生の事も言ってるね。ドラクエモンスターズの時に、この記事の事を思い出した。 >>391
主人公だけでなく全キャラってのが結構容量くうのかな? 多分それを元ネタにしたのが大友克洋の短編「ハイウェイスター」
ワインディングばっかり走ってる内容だが >>391
そういやゼルダもハイドライド・スペシャルも向き変えてたね。
当時はそんな風には考えなかった。
横歩きは変な感じがした記憶はあるんだけど、じきになれたんだろうと思う。
ただ、ゼルダ、ハイドライドでは向き変えられるのに何故?とは思わなかった。 ドルアーガ→ハイドライド→ゼルダの方が今からすれば最新の流れなのだが
ドラクエのパソコンっぽさの方が
当時は大人っぽく感じていたな https://news.yahoo.co.jp/articles/f8692753c6a803145d2487216360dc640a8dfc18
初代『ドラクエ』を現役で遊んだユーザー(30代後半〜)は国産RPGの胎動に何を思い、
画面に映る勇者をどんな眼で見つめていたのか。
この事なんだけど、ドルアーガ、ハイドライド、ゼルダ、RPGじゃないけどポートピア
の存在が大きいんですね。 強い剣や鎧を手に入れていく事。エンディングスタッフロールはドルアーガ。
経験値を積み上げキャラを強くしていく、ハイドライド。
金を貯めて強い武器、防具を店で買う。セーブ機能はゼルダ。
堀井雄二の目論見通り、ゲームで長い文章を読む事に慣れたポートピア。 これらの事は経験してたが、ジャンプのドラクエの紹介記事読んで、
コマンド入力の戦闘。旅をし、世界に複数ある町を巡り町の住民から情報収集していく。
金を使い宿屋にとまり、体力を回復させる。
ハイドライドらにもあったと思うが、戦闘で魔法を使う事。
呪文で敵を眠らせて攻撃するなんて事。
こういった事が新鮮で、俺のまわりでは発売前から期待してた奴が大勢いて、
俺の小学校では凄く流行っていたね。 FC版ポートピアが出た時に新しいタイプのゲームが出た!って印象はあったが、
ドラクエ1の時もまったく同じように感じたな
アドベンチャーもRPGも小3とか小4だったので一切知らなかったから
だから文章が多いゲームがまた出た、みたいな連続した印象は全然なかったな
それで3年後くらいに「ドラゴンクエストへの道」を読んでドラクエの為に
ポートピアを出したと知って、そんな理由があったの?って驚いた覚えがあるw それにしても高橋名人やキャラバンなんかで子供たちのハートをわしづかみにしてた
アクションやシューティング中心のハドソンゲームの覇権を1987年を境にエニックスが
一気に奪い取ったのは圧巻だった
ハドソンがPCエンジンで任天堂から独立をはかったりせず、あくまでファミコンの
ソフトメーカーとしてドラクエと戦っていたらどうなったか興味あるが ドラクエ1は宝箱を「とる」コマンドがあったり、「かいだん」のコマンドで
階段を上り下りしたりと、ただ単にこなれてなかった印象がある。 アドベンチャーゲームのgetとかuse keyがまだ残ってたんダロウネw ザ・ブラック・オニキスと違ってマニアじゃなくてもとにかくまともにゲーム進行できたのが大きいね
ガライの町までプレーヤーを上手く誘導していた 落ちた姉妹スレ
ファミコン通信、ファミリーコンピュータマガジン、マル勝ファミコン、ファミコン必勝本、ファミコントップ、電撃○○、ゲーメスト
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1590590757/ ファミコン神拳その二を読んでドラクエが欲しくなったので
グラフィックは記号なので深く考えるのはよそう、という結論に至った
小5の俺の頭の中で勇者はどいんイラストの装備に身をまとっていたのだ 俺の頭の中ではシンシアもロザリーも超絶オメガ美少女だったし皆もきっとそう DQマスターズクラブにピサロってドラクエのキャラっぽくないって
投稿があったな。美形悪役ってそれまで一人もいなかったから
今にして思えば堀井も時代の流れに逆らえなかったのかな ドラクエは自分の名前を付けられるのも、新鮮だった記憶がある。 ゲーム雑誌のサマルトリアの王子の投稿イラストがイケメンチャラ男で
マジメそうなローレシアとイチャイチャしてるのばっかりだったのを見て
この層のマーケットもイケるでえってなったんカネw >>410
わかる!
しかし自分の名前を入れると外れ初期ステータスだったので
表を見ながら必死でアレンジ名を考えては計算してた 堀井雄二さんがドラクエ4はキャラクター主体のRPGの走りと述べていました。
パーティキャラの各々のストーリーを描きたいというのが動機だったそうですが、
悪役にもストーリーを付けたのは、ファミコン時代だったことを考えるとさすがです。
4でも一応、悪の魔王的存在がいるのですが、ピサロはまた違う存在で異彩を放っていました。
ただ、必勝本の評価が5点満点中4点(だったと記憶している。3.5点だったかも?)だったように、
必ずしも高評価ではなかったのが4なんだよね。 確か4点
レビュアーも通常2人なのが6、7人ぐらいいて感想もそれぞれまちまちだった
その後の号で思い出になる前にドラゴンクエスト4という特集記事もやってたな そういえば「ごいんきょクエスト」ってコーナー名、小学生の時から謎だったんだが
どういう発想で出てきたんだ?何か元ネタあるんだっけ >>414
誰のレビューか失念したが
「待つには長く、開発するには短い2年」というレビューが印象に残ってる
「思い出になる前にドラクエ4」は凄いセンスの特集だと思った レビュー内容まで覚えてないけどドラクエ4の評価厳しくされるのはAI戦闘のせいじゃないかと >>416
待つには長く〜はおぼろげながら記憶あるな
AI戦闘は北枕がキャラの個性みたいのを表現しようとしてるだったか、割と好意的な見方していてた ドラクエ4は発売前に情報を出しすぎて、発売日も延びて、プレイヤーが
やる前に疑似体験してしまっていたんですね。いまいちに感じたのは、それが原因。
エニックスが情報出しすぎた事は、反省していて5にでは改めると言ってた。
俺は後から繰り返しやってみて、ドラクエ4の評価が変わった。
シリーズ最高傑作だと今でも思っている。 ピサロが怒るのは当たり前で、すっきりしないなんて言ってた人が、
ファミ通か必本にいたけど、単なる勧善懲悪物ではないという事ではないか。
フェーダと言うゲームの製作者が、他のRPGの用に単なる勧善懲悪物にしたくなかったと、
自慢げに言ってたけど、そんなの一番有名なRPGで既にやってたわけで。
おおもとのウィザードリィがそもそも、そうなんだけどね。 4は俺も好き
各章ごとに行動範囲を限定しておつかいゲーム的な事をプレイヤーにさせつつピサロの暗躍の伏線を貼り続けるという
相当練られたシナリオなんだよね
堀井雄二の手腕に脱帽した でもやる事がいちいち小物っぽいんだよな
盗賊雇って村の宝盗ませたりとかw 確か4を最後にシナリオアシスタントの宮岡寛(ミヤ王)も抜けたんじゃないかな。 成沢さんだったかな?
4のAIバトルに「AIなのかなぁ(笑)」て言ってた。 堀井雄二と中村光一のドラクエ4発売前の対談では、当然AIの事は話していて、
よくできてるとか、最終的には的外れな事はやらなくなる、なんて言ってたんだが、
一体どう言う事だったのだろう。テストプレイではボスキャラ戦はやらなかった
なんて事あるわけないし。 ボス相手にも全滅を繰り返えして学習していけば(ラスボスは各形態事に)一応そうなるんじゃなかったか
不毛だが そうなのか。ボスキャラにザラキも繰り返しやってればAIが学習して
最終的にはやらなくなるのか。
ちなみに堀井雄二は何年後かに4のAIについて、「結構ヘンチクリンなAIで、色々言われたけど
あれで良かったと思っている。仲間と冒険したら実際あんな感じではないか。」みたいな事
言ってたけどね。 実際あんな感じかもしれない(笑)。
多分、戦闘中に主人公は「ザラキは効かない!」と叫んでいるんだろうが、
クリフトは「うるさい!」と言って聞く耳を持たないのだろう。 αの真ゲッターとかもうあるのに武蔵が意地でもゲッターを使い続けてるミタイナ。
「わかってる! でも俺にはザラキしかねえんダ!」ってカンジ?w >>427
ドラクエマスターズクラブの読者投稿にデスピサロ戦で何十回も全滅して学習させたら
最後には無駄行動一つもとらなくなったというのがあったな
あとこれまたマスターズクラブの投稿だけど、ザラキがボスに効かないという常識はあくまでプレイヤーのそれで、
ゲームのキャラや世界ではそんな常識はないから、ザラキとかも効くものと思って使うみたいな説上げてた人もいた ボスキャラがザラキ一発で死んだら萎えるというのは、プレイヤー及び開発者の都合だから。 確か最短3回の戦闘で一番優秀になるんだったかな?
アストロンを使うとAiが学習しやすいとかなんとか ぶっちゃけAIが戦い方憶え始める頃にはレベル上がって力押しだけで勝てちゃうんだよねぇ
クリフトはザラキ連発と4コママンガ劇場のせいでリメイク版ではヘタレ野郎にされてたな >>435
それは知らなかった。モンティのが効くのは知ってるけど。 馬車システムによるキャラ入れ替えを戦略に組み込むことさえ「誰でも攻略できる」ようにするコンセプトから断念したDQWのことだ。
AIに割けるリソースが仮に現実よりずっと多かったとしても、その挙動を戦略や戦術に組み込む作り込みはできなかっただろう。
AIというよりコマンド選択に条件が用意されているが、それが問題になるのはRTAのような特殊なプレイに限られ、レベル上げによって簡単に克服されてしまう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています