蘇るファミコン必勝本 [無断転載禁止]©2ch.net
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昨日発売されたのですが、今日AMAZONから届いた人も多いでしょうか。 さとみが架空の編集者だった事は書かれてないね。
そんなに人気あったかなぁ。森下万里子のような人気ってなかったよね。 さとみが架空の編集者としか思えないが
最終回みたいなものにあとがきを書いてなかった? 必本もじゅげむも平林久和が関わらなくなってからつまらなくなった。 読んだけど、インタビューがごいんきょと目駄松しかないのがな
ベニーやみそ当たりの外部の人にも聞きにいけよな ベニー松山、みそ、ヒラ坊、山下章、成沢大輔(故人)は外せない。
ヒッポンエイジスの収録画像をDVDにして、付けて欲しかったね。 MOTHER発売時の糸井重里のインタビューを載せて欲しかった。 タイレル辻が悪い方にこじれたオタクの典型みたいな奴 ターミネーター辻がテクモに入社して
バラリス中野がバンダイだっけ?
ゲーム評価でメーカーに良い様に書けば入社させてくれたんだろうな タイレル辻ってネクロマンサーに関わった人?
「ネクロマンサーはゲロゲロに凄い出来ですぜ」なんて必本で言ってた。
ネクロマンサーはハドソン。ハドソンではなくテクモに入ったのか?
バイク事故で亡くなったんだよね。 一応初期サブカルな匂いは残ってたと思うが
ごいんきょインタビューくらいしか読むべきものがなかった
鈴木みそやヒラ坊に聞けなかったんかな?
後はみうらじゅんの頃やバグボーイクラブのページにもっと割いてほしかったかな さとみっておぼえてないな
JKの人は裏技で商品のカセット送ってくれた時に手書きの手紙が入ってた気がする
中の人は誰かわからんけど 「パックランドでつかまえて」はエンターブレインから復刻された。
なんで宝島社じゃないんだ。 本屋行ったら積んであった
JK編集=さとみちゃんなんだね あとは、清水博子とかいうJDの白パンストも良かった 成沢大輔のwikiに最終学歴は不詳と書かれているが、ジャーナリスト専門学校卒なのは
必本読者は知っている。
ただ早稲田高等学校卒業生なのは、あの当時は知らなかった。 マルカツはファミマガと仲悪かったり
いろいろあったな
ゲームボーイは同名ハード出たのが運の尽きだった
ファミコンチャンピオンやハイスコアも
あったな 早稲田高等学校卒業して大学行かなかったり、早大を12年かけて卒業したり、
東京芸大を除籍になったり。 そういう変わった人たちだから、あんなに楽しい雑誌が作れたのでしょう。
山下章はゲーム時間を作るために、東大受験は止めて一橋大にしたのでしょう。 小学生ながらVol36の表紙はD&Dベーシック(赤箱)のパッケージパkってない?と思ったな 隣り合わせの灰と青春、連載終了後のベニー松山へのインタビューなんてあったんだね。
毎週買っていたはずなのだが記憶にない。
載せて欲しかった。 他のゲーム雑誌は割と子供向けなのに比べて、必本は落ち着いてて、ややマニア向けっていう印象があったな。じっくり読み比べた訳じゃないからあくまで印象だけど。
wizや女神転生、ロマサガ、ココロンに出会えたのは必本のお陰だと思ってる。
中身も表紙も大人向け(アダルト的な意味で)になってからは冷めて離れちゃったな。 売れてんのか?
Amazon予約販売専門のイメージ。 そういやファミマガとかはファミコンの前作とかひたすらこき下ろしてスーファミの前作持ち上げてたけど
ヒッポンはそういうことやらなかったな
それに影響されてかファミマガ読者評価もファミコン作品全般に対して辛口になってるのに対し
ヒッポンはいいゲームはちゃんと推してたのが良かった
と、リアルタイムではファミマガ読者だった者の感想
ユーゲーとヒッポンを併読しながらのマイナーゲー漁りは至福であった 当時でも
他誌
「ゲームセンターで大ヒットのフェリオス」
必勝本
「ゲームセンターでそこそこヒットのフェリオス」
と書く必勝本に信頼を置けるっぽい事を書いた読者投稿が載ってたな >>34
近所の本屋に十冊くらいまだあった
誰が買うんだろう 「パックランドでつかまえて」
Amazonで2万円以上のプレミア価格だよ。
隣合せも以前はプレミア価格だった。 さとみは無理でも今でも業界にいるみそやかねこのインタビュー位は欲しかったよな
イラストレーターという言葉だけでかねこ統の名前すら出てこなかったから色々あるのかねえ 普通に考えたら当時のライターに書いてもらうよなあ
アフィまとめサイトかと思う内容 次回「しくじり先生」に高橋名人出演決定 「実はゲームが超下手」
「スーパーマリオは1-3までしか行けない」など空前絶後の暴露連発
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170523-00000111-it_nlab-ent
出演者にも名人世代が多く、動揺を隠せないリアクションも次々と飛び出る、
神回になりそうな放送は5月28日の21時58分から(テレビ朝日)。 2〜3年後には必本の「今週の高橋君」でお笑いのネタにされてた高橋名人。 ヒッポンスーパーと言う名称が良くなかったよ。
ファミコン必勝本のままで良い感じもしないので、変更は必要だったろうけど。
ヒッポンなんて言ってた? 書籍内ではヒッポンという名称が使用されてた
俺や友人はファミヒツと呼んでた 改称したのはスーファミが発売された直後くらいだな
ファミマガやファミ通みたいにそのままでもよかったような SFC発売直前な
100号越えた辺りから合併号ばかりで月イチになりだして嫌な予感してたんだ 250円、260円の値段が一気に上がったのもその頃だったか。
250円は安かったよなぁ。ファミ通みたいに広告だらけってわけでもなかったのに。
あの頃のファミ通の広告の量は凄かった。
金出して広告買ってるようなもんだと、言ってる人もいたくらい。 自分は投稿とかしなかったけどwiz友の会とか読者投稿が盛り上がってたのがある号から全部なくなって
サブカルの塊みたいに悪い意味でなっててその後すぐ消えた気がするけどどうしてああなったのかな >>51
350円→280円→250円、とどんどん安くなってるのが凄いよね
そのへんの経緯をごいんきょに聞いてほしかったな 数年前だとオクで1冊1500円近くになってた
纏め売りは知らんが スーパーファミコンの時代まではファミコン必勝本で通した方がマシだったと思うよ。
ヒッポン。記事でいいと思わないかなんて書かれてた記憶があるけど、センスのかけらもないと思ったね。 必本に限らないけど
バラ売りの場合どのゲームの情報が掲載されてるかが重要
発売前の情報(内容は薄いが開発時だけあった画像とかがあったりする)
発売直後くらいのマスクデータ、実際は本編に出てこないアイテムとか
発売してだいぶ経った時点の裏技(裏技まとめ本は文だけだが当時は写真もある)
攻略本や説明書にも載ってない開発サイドの情報、裏設定
実際売るならめんどくさくてせいぜい目次の写真だろうけど
表紙写真だけよりは売れると思うよ 数十年の時を超えて必(勝)本だからヒッポンだと気づいた
読んだ事ないけど 表紙見ると、FFUの名が何号かに渡って大きく出てるね。
この雑誌もファミ通と同じく、FFをビッグタイトルに仕立て上げるのに大いに貢献したよ。
メーカーとのタイアップは明らか。
ドラクエ派、FF派なんて言葉を作り出して、ドラクエのライバルに仕立てて、ビッグタイトルにする。
見事だったよ。 必勝本は別にFF2を推しちゃいなかったよ
バナナ絡みでDQ推し、ベント絡みでWIZ推しの雑誌
表紙だけじゃなく中も見て欲しいね ドラクエは推すとかじゃなく、どの雑誌も普通に特集してたけど。 >>61
夏前に各誌のドラクエ3特集がひと段落して新年のドラクエ4発表まで
読者投稿メインとはいえドラクエ関連の記事を切らさず続けたのは必勝本だけだと思ったが 確かにそうだったが、ウィザードリィと違いドラクエだと推してると言う感じがしなかった。
小説もあったね、そういえば。 読者投稿のあぶない水着装備中の僧侶とかのイラストでシコった 俺は89年を推すけどサブカル色が強すぎる気もするので88年説も納得 返品の山だったろうね。残念ながら第二弾はないだろう。 ファミ通とかファミマガよりもオクで高い理由は
流通が少ないのもあるだろうけど国会図書館に無いから ファミ通もファミマガも売れてただけで見るべき点はないからなあ
必本は後のベントスタッフ等カリスマライターのコラムが充実してるから資料的価値が高いんだよ うちにあるやつ寄贈しようか
あれ出版社じゃないとダメなの? ファミマガはゲーム紹介と攻略に特化
ファミ通はバカ記事や業界の暴露とか
必本は読み物、読者コーナー
雑誌ごとに住み分けはできていた時代だったかな
今読み返すと面白いのは必本だろうけど国会図書館にはSUPER以降のみ、なぜだ? ジャンル別のファンのコーナーもあったしな
ネット発達した現代からみるとちっぽけだけどさ >>72
webサイト見ればわかるが欠号分かつちゃんと手順さえ守れば誰でも寄贈OK
いきなりとか電話一本で送りつけるとかはしないように >>72
素晴らしい。ぜひして欲しいですね。SUPERなどよりはるかに価値のあるものだから。 さとみちゃんってファミ通の森下万里子みたいなものだったのではないのか? ディープダンジョンが表紙になった号から長いこと買ってたなあ。
ウィズを4大RPGの1つと紹介しててハテナ?と思ったり。
変になってきたのはベクトルなんとかいうのが出てきたあたりと思う。 平林久和が去ってからでしょう。おかしくなったのは。
じゅげむもそうだった。 ひっぽんって略称は、読者コーナーで「ひっぽんと呼んでる」って投稿が載って
それを担当がいたく気に入った、てのが最初だった記憶 >>85
そんな記憶が俺にもある。まさかホントに正式名称にするとはと、当時思った。
なんか、その前に「いいと思うでしょ」みたいな事言ってたけどまさかね。 みうらじゅんがイラスト描いてた、ちょっとエッチなコーナーがあったのも特徴 ウィザードリィが日本で結構売れたのはこの雑誌によるところが大きいよな
ライターにマニアックなのがそろってたから 神リメイク移植だったのが大きい。
必本の貢献もあるとは思うが。 パソコンの時点で各雑誌が特集組んで小雑誌付録や袋とじつける程度には元々ライター陣に人気あったんだろうね 読者投稿で「かいしんのいちげき」シリーズってのが面白かった
あとごいんきょクエストとか。ゴールドじゃなくてライフを集めるのは謎だったが >>85
俺の記憶だとBBCで略称をそれとなしに募集した時投稿者のパックマンて人が必本どうすかって投稿したのを
担当が気に入って採用になってたと思う
読者投稿欄はどの雑誌もだけど必本も濃いの揃ってたなー >>94
ファミコンの2コンで殴ってる「2コンのいちげき」とかね
あとムーンブルクの王女が服の下に鍋入れて、他の2人がモンスターに「責任とれよ」って言ってる
「にんしんのいちげき」ってネタは衝撃だったな >>95
必本ではないけどログインあたりに「ちょっぱあ卍」っていたなー
ゲーメストの吉崎観音とか みうらじゅんが連載してたの覚えてないわ。vowでやんす前後からのm.jファンやけど、小4くらいで既に出会ってたのか ブルーハーツBOXだとかの広告を覚えてる。
怪しげな出版社に思えたけど、残ったね。社名変えて。 ☆ 私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。現在、
衆議員と参議院の両院で、改憲議員が3分の2を超えております。
総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。
国会の発議は可能です。平和は勝ち取るものです。お願い致します。☆☆ レトロゆえに強力な副業ドットコム
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
ATY4M パックランドでつかまえてを、宝島社から復刻させるべき。
なんでエンターブレイン? ファミコン☆ぴあBOOK プロがすすめる最適購入ガイド ほんとうに面白いゲームソフト2
https://buyee.jp/item/yahoo/auction/w235010385
この本を復刻して欲しい。ファミコン必勝本スタッフが書いてるんだけど。 必勝テク道場とか買ってたな
悪魔城ドラキュラで聖水がボスに有効とそこで知ったが
小学生には使いこなせなかった思い出 全号表紙や簡易レビューを載せちゃったからな
もし第二弾があるなら当時のスタッフにマイク向けるか原稿書いてもらってくれ ベニー松山さんには、バスタードとセインを完結まで書き残しておいて欲しい。
今、世に出す事はできなくても、書き残しておけば、いつかそれはもうベニー松山さんが亡くなり
数十年経った後かもしれないけど、書き残して置きさえすれば、
世に出る事はあるかもしれないのだから。 必勝本スレがあったと驚いたら本のスレか
ヒッポンエイジスのメンバーだったとみさわ氏が言ってたけど
平林氏含む自分たちには声が掛かってなかったらしい
だからといって不信感はないらしいが
あと『さとみちゃん』はフィクションと思わせて実在
ソースはエイジスの第一回目 ヒラ坊に声がかからなかった?
はっきり言って平林久和の本だよ。ファミコン必勝本は。
じゅげむもそうだ。
一番売れていた時期は、平林久和が中心(必本)か深く関わっていた(じゅげむ)時期なんだから。 ビジュアル面の顔としてみそ、かねこの声もひろってほしかった >>119
本については平林氏、とみさわ氏、元宮氏の3人は全く知らなかったらしい
ま、否定はしないが、個人的には井上編集長に変わってからの方が
ヒッポンらしいアク強い面が出て面白かったよ
今は亡き成沢氏は攻略本出版の際、井上編集長に約束を多々反故にされて
「共に酒を飲みこそすれ、ダメな編集長だったよ」と言ってたがね 井上編集長って創刊編集長でなかったっけ
その次がハルクこと三橋編集長
ヒラ坊は必勝本時代の終盤に他部署に異動だったかな
そしてマッキーは確か週刊少年宝島からの異動 >>122
そうだったかな?
いま思えば自分はそのあたりの前後順があやふやな記憶だな
けど名称が変わってからの雑誌巻末コメントで
編集長の井上氏が、とあるライターが病欠したとき(ウィズ4コマの作山氏だ・笑)
『(病欠を伝える)電話の奥からストIIの音が聞こえた』という記述があったのでね
まぁ、違っていたら改めてすまない しかし詳しい人たちがいるものだな
自分は当時幾つかあったファミコン雑誌の一つとしか捉えていなかったが
幾つかの巡り合わせで幸運にも生前の成沢氏と酒を飲める機会が何度かあったんだ
上記のように、つたないヒッポンの知識で色々訪ねたが…
ここにいる住人たちのほうがよっぽど面白いことを聞き出せたろうな 何にせよあの本は引用名目で当時の誌面適当に採録した適当すぎる構成と
インタビューしたのが今も宝島社に残ってるごいんきょと目駄松だけといういい加減すぎる作りがなあ
無断盗用インチキライター松原圭吾が関わってるからいい加減なのも当然なのかもしれんけど 読者目線からするとヒッポンエイジスに呼ばれたメンバーだよね。
本当に凄いメンバーだったよ、本当・・・。 少なくとも当時の愛読者が求めてたのはあんな中途半端なカタログ本もどきなんかではないわな ヒラ坊に作らせろって事だ。当時の愛読者が求めてたのは。 広告は少なかったのに、何故あんなに安く出せていたのだろう? 実は提灯記事に広告料が出てた、というのとは真逆の雑誌だしな ゲーム批評より前にそんな雑誌はあったって事なんだが。
ただファミコン必勝本でも、ゲームマスコミがスクウェアと共謀して作為的に作り上げた
「FF派、ドラクエ派」と言う言葉、使っていたかな?FFをビッグタイトルに仕立て上げるのに
一役も二役も買っていたのはファミ通だが、ファミコン必勝本も一役は買っていた。
ファミコン必勝本はドラクエ、FF、ウィズ、女神転生だったか?の4大RPGだったかな? >>119
じゅげむに関しては同意するが
ヒッポンに関してはHipponSuper時代の方が俺は面白かったわ
ソフトレビューとかhippon super時代の方が充実してたよ
実際成澤のメガドラレビューとか印象に残ってるだろ
あれHippon Super時代だし 俺もこの本買ったのだがよかったのは全号の表紙見れることだけ
エイジス再編集してDVDで付けてくれたら良かったのに みそって当初は雑誌の一スタッフに過ぎなかったのが、
ファミ通で作家先生になった事で、ヒッポンにも作家として
古巣に錦を飾って帰ってきたって感じなの?
俺はヒッポンではイラストとコラムとか書いてた作家時代の
みそしか知らんのよね
スタッフ時代と作家時代に空白期間があるのかも知らない スーパーつまんなくて買うのやめちゃったな
ずっと毎号買ってたのに買うのやめるって結構な決断なんだよ 決断もくそもあるか。
おこづかいが無くて買えなかったか発売日忘れて買う意欲が失せたとかそんなところだろう。
うそ、ごめん。
俺もログイン(PCゲーム雑誌で恐縮だが)がつまらんくなって買うのやめたら
当時大学卒業前でアパートのゴミ捨て場で大量に落ちてたので拾ってしまった。
ヒトの事を言えた義理じゃない。
でも、過去に買い続けてた雑誌がつまらんという理由でかうのをやめたのは結構あるな。 ヒッポンスーパーつまんなくて買うのやめたと言っても2つの意味があるからな
94年後半からの誌面刷新以降ならほぼヒッポン読者全員だろうし バーチャファイターのピンナップで凄いページを取った時か?
自分もその頃に買うのをやめたわ そう
あれもほんと酷かったよな
なんだよこれふざけてるのかってなって買うのやめたわ その辺の事情関係者がきちんと話したこと無いよね
エイジスでも話さなかった見たいだし
今までいたライターが突然居なくなったし >>143
サブカル丸出しで子供心にコレジャナイ感が凄かった
当時はサブカルなんて概念知らなかったけど >>144
故・成澤大輔が著書で94年頃ヒッポンの編集方針の大幅変更に反発して宝島社と縁切ったと書いてあった
当時20歳くらいのギチに乗っ取られるくらい雑誌も斜陽期だったんだろうけど
ベニー、手塚、とみさわあたりには口にだすのも汚らわしい存在なんだろうな よりによってなんであんな無能な業界ゴロに仕切らせたんだろうな
それもベントスタッフやCBプロジェクトといった長年の有能な功労者の面々切ってまで >>146
なんの本?
初めて知ったわ
何かあったんだろうなとは思ってたけど
まさかそこまでトラブってたとは 君ら、そういう事情に色々詳しいのになぜ>>137には答えてくれんのだ? 成沢が担当してたコーナーだったCLUB邪教の館も2冊目の単行本はアスキーから出たしねえ
○○のすべてシリーズもベントとCBの面々が抜けてからはスッカスカな代物になったし
遠回しに雑誌を潰すために大塚や後藤呼んだのかと勘ぐりたくなる >>146
「成沢大輔のゲーム仁義」って本
巻末の作者の半生を振り返るコーナーで1994年のところに宝島社ともめた記述があった
ちなみにこの時期はすでにダビスタ伝道師になっていて、アスキーの仕事がメインだったようだ 誌面刷新するならせめてそれを読者に告知してからするのが礼儀だろう
本当に突然94年の10月号からまるっきり別の雑誌になったからな
読者は事情知らんわけだし突然変えられても詐欺みたいなもんだろ
買ってきて読んでみたらなんだこれになったし
いつ戻るのか分からんからしばらく不満でも買うわけで
本当に今考えても最低な行為だと思うわ >>151
ありがとう
読んでみるわ
本当にこの件は25年間ずっと疑問だったんだよね
ネットでも誰も正確な理由知らんかったしエイジスでも触れなかったし
やっと長年の疑問が解けたわ >>148
間違えて自分に返信してしまったw
上を読んでくれ
>>137 >>149
みそについてはもともと漫画家志望だったが編プロであちこちでライターやってて、当時の活動がつかみづらい
ファミ通であんたっちゃぶる始めた時にまたヒッポンでも仕事してたのかな? みそに関してはヒッポンスーパーで91年からずっとコラム書いてたよね
どんぶりいっぱいのうんこをいくら貰ったら食えるかとか書いてた
結構おもろかったよ >>152
ほぼ全ての連載や読者コーナーを何の予告もなく平気で打ち切りやがったからなあ
それで抗議のハガキに対しわざわざ誌面使って挑発的な返答してたからどうしようもない
バーチャファイターの凄まじいオナニー特集記事も同様に誌面使って自己正当化だし もうヒッポンは読みません
さようなら
まさに同じ気持ちだったな >>155
あんたっちゃぶるが89年開始だから、やっぱり一時期ヒッポンを離れていたが
作家先生として凱旋したっぽいね
そういえばあんたっちゃぶるの読者からのハガキコーナーで
「ファミ通とヒッポンスーパー、どっちの方が原稿料高いんですか」って質問が来てたわw
あとファミ通で、ヒッポンの編集時代のみそのイラストが転載されていて
(ヒッポンの裏技コーナーだったと思う)、「今の方が絵が上手い」とか書かれてたな
遠回しに昔は下手だったと 消費税導入あたりからファミマガやファミ通が400円超えることもあった中
260円で踏ん張ってた分90年に入ってからの割高感が… ファミマガは忘れたが、ファミ通は280円で結構粘ってたと思うが
消費税導入が89年、ファミ通週刊化が91年だが280年だった
それから2年ぐらいして290円に上がった時に「ファミ通、そろそろ300円」とか
読者コーナーで皮肉らてれたが、実際に300越えたのは結構後だったと思う 490円ぐらいだっけ
月1だからそんなに高く感じなかったが ファミ通は週刊化前は300〜350円、合併号や付録が多い時は400円くらいになってたと思う いや90年代後半は290円だったよ
おれかってたし >>158
ヒッポンの連載コラムでも出版社から分厚い封筒が送られてきて
何かと思って見てみたら過去の原稿返却だったってマンガ描いてたな
(下手すぎて)オレは見たくなかったのに…ってオチ 元編集長の大塚ギチ大先生は去年の7月に脳卒中で倒れて現在闘病中
ツイッターで多くの人に裏切られたとか人間関係や会社むちゃくちゃにされたとか泣き言かいてるけど
1994年に自分がやったことは忘れているようだな >>137
No43〜No56が俺の必勝本空白時間なんだが
No57のファミスタ88予想で「ひさびさのみそ登場」、となってたから
この間にスタッフから抜けたんだろう
この辺りを知ってる人のレスを待とう >>165
別にギチ1人が悪い訳でもないしそもそもの原因は宝島社の
方針転換のせいだが、当時のあの読者おちょくったやり方はヘイト1人で買ったよね ギチって91年からヒッポンにいるんだな
中古価格担当だったらしい 成沢は50歳直前でなくなり、「戦犯」ギチも死にかけている
俺たちも健康には気を付けていきたいものだな
このスレ見てるのだからもうみんないい歳だろうしな 最近やたら早死してるよな
ブルマとかちびまる子とか
どうなってんだ タイレル辻はあの糞リニューアルの前にヒッポンから離れてたような気がするけどどうだったっけ PCEの担当が変わった記憶は無いが
SFCPCEMDは同じだったと思う リニューアル前にブロードウェイも迷走してんだよね
点数評価から星評価になって最終的には文字だけの評価になった気がする
あれも誰も望んでないのに勝手に変えたよね PCEの担当って最初バイク事故で死んだ人だっけ?
なんかそんな気がする
北なんとかだっけ 北枕獲
ヒッポン本誌だと不慮の事故で永眠と欄外で簡潔に書かれてただけで、バイク事故とまでは書かれてなかった
>>172
最初は北枕がやってたけど急逝したことでタイレルに交代
その後佐久間某とかいう人に変わってたと思う 北枕獲が急遽ヘルプで入った劇場版コブラの作画パートがパンフで使われてて嬉しかったと書いてたけど
その後パンフを入手したがどこに載っているのかわからなかった
確かドミニクがうんぬんと書いてあったと思うんだが 佐久間ってネオジオも担当してたような
移動したんかな >>141
俺はそれは見たことないから言及できぬが、ゲーム関連書籍ってゲームのデータ量が多くなるとそのデータを誌面に垂れ流しの傾向が多いと思う。
コーエーの関連書籍なんてひどいもんさ…。
それにその書籍を読んでゲームと一緒に楽しむ事が困難になったような気がする。
懐古主義全開で恐縮だが昔は良かった。
書籍内のちょっとした文面だけでも妄想を膨らませて楽しめた。
これも人の経験でさらなる欲と要求が出てくるから仕方ないんだけど。 バーチャのそれは今まで雑誌で見た中で1番酷いページの埋め方だったわ
ただバーチャのキャラが載ってるだけという
何がしたいんだ状態
ヒッポンはいい雑誌だったけど最低な終わり方したね
あれなら休刊できちんと終わらせた方がずっとよかった 自分も94年秋ごろにはいくらなんでも誌面変わりすぎだろと首をひねっていたが
その後の号の読者コーナーで文句言ってる人がいて、やっぱりみんな同じ感想なんだなと納得した
ネットのない時代だから、そういう苦情もタイムラグがあるんだよね
それでも半分惰性、半分は元に戻ることを期待して数カ月は買い続けてたけど翌年の春頃には買わなくなってた
それから一年立たずに休刊したんじゃないかな
95年の夏頃に久々に購入したけど戦犯の大塚後藤の名は編集者の欄からは消えてたけど
一度失った読者は戻ってこなかったんだろう その後もロクヨン、攻略の帝王と誌名変更とリニューアル繰り返しながら続いたけど98年に休刊
創刊号から買ってた身として一応最後まで買ったけど、はっきり言って惰性で買ってただけで最後の方は読んでもいなかった そもそも大塚達が実権握った時点で従来のヒッポンは終わってるからな
従来のライターみんな辞めたから大塚が表に出てこれたわけで
それ以前に既に死んでる こんなに愛されて叩かれ呆れられた雑誌も珍しい気もする 手元に何冊かヒッポンあるがやっぱソフトレビューが1番読み応えがあって面白いね
ヒッポンで推奨してたゲームが実際に面白かったのかといえば疑問も多かったが
やっぱ1人に全部やらせたら偏るね
その点ではファミ通のクロスレビュー方式の方がゲーム買う時の参考としては役立ったんだよね
昔のファミ通のクロスレビューをまとめた本読んでても
やっぱ4人いると誰か1人は自分が実際遊んだ時におもったこと書いてんだよね
ヒッポンだとライターおすすめだと大絶賛だけしかしないんだよね ココロンってあれ面白かったか?
個人的にはクソゲーに片足突っ込んでると感じたんだが
あの絶賛の仕方は何らかのタイアップっぽいんだが
実際開発会社のインタビュー載せてたし
たまにこういうことあるんだよねヒッポンは デビルマンの替え歌で
裏切り者の名をうけて〜
ドンキーコングを捨てて〜デビューした男〜
?
?
スーパーマリオで大ヒット
パート2でまたこけた
い〜まではゴルフ〜みに〜つ〜けた〜
ファミコンのヒーロー
マリオだ〜マリオだ〜!
という読者投稿があったが
ドンキーJrとドンキー3の歌詞が思いだせん 開発会社倒産したんだよな
ココロンもワゴンで3桁だったし 今はまた少し値が上がってるけどな
2600円くらい http://happy-hour.hatenablog.com/entry/2019/05/04/222039
ギチが逝ったか
必本的にはアレな人物だが、冥福は祈らせてもらう
しかしギチとベニ松に付き合いがあったのは意外だったな
必本編集方針変更をやった者と出て行った者だが
さすがに20年もたってそのことを引きずってはいなかったということか 今更死んだ人に恨みもクソもないわけだが
やっぱ部数に問題があったからテコ入れせざるを得なかったのかね?
ウイザードリィ押しだったり何かと尖ってた感はあって好きだったけど
確かに読者が限定されてるたかもしれん とはいえその読者を切り捨ててまで強行したリニューアル後の誌面に魅力がカケラもなかったのが…
コミックボンボンと並ぶ最低最悪のリニューアルだったと言い切れる DQやFFのコーナーを全部終わらせたのは相当数の恨みは買ってただろうな
さらにクレームつけた読者にも喧嘩売ってたし
自分はあまりそういうのに思い入れはなかったけどレビューの改悪や
誌面前体の手抜きが酷かったから買わなくなったけどね
なんというかゲームを紹介してないんだよ
画面写真を載せてキャプションや本文でゲームを伝える手間を省いて
宣材のCGをそのまま載せるだけで数十ページみたいな
それで数カ月後に立ち読みしたら名前も無くなってたからクビになったのかね?
https://imgur.com/dl05JvE 91年位から買うのをやめてしまった俺はいい思い出だけを持ち続けられるのかもしれんな >>195
何冊も単行本だしてきた各ゲームの読者コーナー打ち切った挙句この対応はマジ糞だな
当時はネットはほぼ普及してないし、イラスト投稿なんてできなかったから常連の激怒も当然
25年経っても言われ続けるのも納得
もう1人の戦犯後藤ってのは何してるんだ? その打ち切り方も予告とか全くなくて突然全部バッサリだからな
んで読者挑発とか最低レベルの常識や誠意すらない 後藤はフリーライターとしてじゅげむとか各種攻略本で名前は見たなぁ
サッカー系の記事とかも書いてたような
こいつもほぼ同罪なんだよね 今でいうなら新製品が出るたびに新スレ立ててるようなもんだろうか
本人たちが立ててるスレも結構あったから情報が確実で良い面もあったな >>199
ギチの悪名が轟いてるせいで影に隠れがちだけど後藤某のクソ所業も大概だったな ギチが叩かれてるのはその後ファミ通に行ってバーチャ関係の本出して結構露出してたからなんだよ
このギチってあのヒッポンのギチかってなって
ヒッポン潰しておいて自分はぬくぬくファミ通で何やってんだよって
さらに旧ヒッポン読者の怒りを買った
25年経っても言われるんだから相当だよ 仕事の質は総じて低いくせに世渡りだけ妙に長けてるという典型的業界ゴロだったからな >>202
ファミ通のバーチャコーナーでやってた小説?は子供心にきつかったな
当時はサブカルオタクなんて言葉知らなかったけど、なんとなく感じてたんだろうか ギチの追悼記事がいくつか出てるけど
伝説的ゲーム編集者とか誰もが憧れるとか書いてあって草
死者に鞭打つのは嫌だけどそれは違うだろと思う
普通にゲームの紹介記事作ることにおいては
全く才能なさそうだし 悪い意味で伝説ではあるな
編集者やライターとしては超無能の一言に尽きるけど人不快にさせる能力だけは天下一品 多くの人にとってギチはファミ通以降しか知らんからな
ヒッポン時代はヒッポン読者しかしらない 俺の場合ファミ通まるで読んでなかったこともあってヒッポンでやらかしたイメージしかない
まあそういうのは極一部だろうけど 成澤とかもそうだろうね
ヒッポン辞めたあとの方が有名
ただ本人はヒッポン時代の方が思い入れ有るみたいだったけど ヒッポン時代は良くも悪くも割と好きにやれてただろうしね 漫画のカバーデザインは良いものが結構ある
しかし今思えば本人がやっていたのかわからない バグボーイデラックスは続刊してほしかったなあ
あれ1冊だけだと物足りない 社名がJICC出版局から宝島社になったあたりから急激に失速したイメージがあるな 古市憲寿の本を読んでいると、ベニー松山の本、成沢大輔の文章を読んでた時の
感覚を思い出す。 任天堂はドクターマリオをスイッチ、スマホ向けに無料配信すべきですね。
縁起担ぐ意味で、世界中の人間がドクターマリオでバイ菌をやっつける。
きっと、世界から褒められる事でしょう。 北枕獲って亡くなっていたんですか・・・衝撃です。
タイレル辻さんとPCEとFM-TOWNSでRPG作っていましたよね。 多分、HIPPONNの全盛期に買うのを辞めたから、亡くなったのは知らなかった。
ウィザードリィの小説もまだ連載していたと思う。
タイレル辻さんはネクロマンサーの続編を作っている、グロいとか言っていたのを覚えているけど、北枕さんが亡くなったからお蔵入りしたのかな? 92年だったかな
ttp://iup.2ch-library.com/r/020629800815874011280.jpg アド間違えた
ttp://iup.2ch-library.com/i/i020629800815874011280.jpg >>221
ありがとうございます。
今、読んでも衝撃ですね。
タイレル辻さんはご存命なのでしょうか。
今でも、本棚に著作があります。 成澤大輔は攻略本のタイトル通り、一生ダビスタで遊び続けていたかもしれないけど、
その一生が49年だったとは。 成沢さんはダビスタに出会って人生が変わった気がします。
俺なら10点満点中100点をつけるってべた褒めしていましたから。
ドラクエ2を酷評したり、MDダライアス2に3点をつけたり、
辛口批評で物議を醸したのが懐かしい。 レッスルボールに10点の評価付けただけでも全部許せるわ
それを信じて購入してアホみたいにハマったからなぁ… 成沢さんの思い出。
・PC88版シルフィードを絶賛していて移植を熱望していたんだけど、MEGA-CD版はそれほどでなかったみたい。
・SLGは嫌いと断っていたが、セガのアドバンスド大戦略は絶賛していた。
・シャイニング&ダクネスを高評価していたが、後に評価が変わったみたい。
・ドラクエ2は酷評していたが、ドラクエ3は評価していた。 ドラクエUを酷評したのは、読者から怒りの声がたくさんあったようで、
ナムコの編集部対抗ゲーム大会でも、怒られていたとか。
ファンタシースターTを絶賛してたね。 そうそう。
ファンタシースターのスムーススクロールダンジョンがお気に入りで、
でも、MDの2では3Dダンジョンがなかったからお冠だった。
それがシャイニング&ダクネスの高評価にも繋がったんだよね。 そしてwikiによると4では制作者への人格攻撃ともとれる表現をしたとか。
なんて書いたんだか知ってる人もこのスレには多いのだろうけど、俺は知らない。 俺も知らない。
でも、成沢さんの辛口評価はメーカーにとって耳が痛かったみたいで、
セガモデムのサービスが始まったころも、セガがサービスを全然更新していなくて、
それを誌上で批判したら、セガがすみません、と謝っていた。 ドラクエUの批判に関しては、時間が経つと成沢の見方も、受けいられ始めた。
ファミ通がそうだった。時間が経ってからだが。
なにより中村光一が、成沢の批評を肯定するような事を言っていた。 批判内容自体はそんなに変でもなく的外れな事言ってもなかったしな ドラクエ2は時間がなかったからゲームバランス悪いまま直せなかったんだよね。 開発に時間をかければアラを少なくすることもできたかもしれないのに惜しいと一応フォローも入れてたな 雑誌による本格的なFCゲームレビューの黎明期でもあったからな
まだ色んなノウハウが確立していなくて、批評する方もされる方も
慣れてなかったってのがある
昔、文壇とかで今とは比較にならないようなシャレにならん
対立が沢山あったのと同じ ゲームの批評という面でファミコン必勝本の果たした役割は大きいと思う。
ファミマがはゲームの紹介とウソテクがメインだし、
ファミ通はクロスレビューあるけど、文章短いし、半分は大手の宣伝?みたいなところがあった。
ゲームの出来を批判すると、ソフトメーカーから新作を貸してもらえなくなる(つまり、新作の紹介ができないので紙面が成り立たない)っていうのがあるから。
そりゃ、ソフトメーカーの立場から言えばそうだ。あくまで宣伝のために貸すのであって、叩かれるってことは売れなくなるということだから。
だから、偏りはあったにせよ、辛口レビューを載せた必勝本がいまだに読者の心に残っているんだと思うよ。 俺は響あきらさんの批評で目覚めたよ。
当時、シューティングゲームに無敵モードがあるのは当たり前だったんだけど、
無敵モードはゲームをつまらなくするって内容だった。
覚えている人いる? ジャンプのファミコン大神拳とどっちが早かっただろうか
今思うと堀井もよくあんな時間があったな 暇だったからゲーム作ってコンテスト応募してたんでしょ
むしろ忙しくなってもDQ4辺りまでライター続けてたのがすげえ いやドラクエで大ヒットした後も大神拳を続けてたじゃん
時期的に2や3やFC版オホーツクを作ってる時もやってたからすげえなって
あとヒッポンの本格的な批評よりも早かったプレFC批評的なものでは
同時期のコロコロでもあったな
子供向けとはいえ、こういうゲームは良い・良くない的なゲーム批評は
記事でもあったし漫画の「熱血ファミコン少年団」とかでもしていたな >>240
ごめん、意見が一致してたw
当然凄いって言ってるはやっぱりドラクエで忙しくなってからも
レビューをやってたって意味 >>238
明石家さんまさんにもインタビューしてたよね。
ナムコのADVで。
当時のキャラゲとしてはなかなか面白かったと思うけど、
響あきらさんは「それでも僕は首を横に振る」と手厳しかった。 レビューだと結構高得点付けてたけどその後の特集記事でシナリオが単純というか平板で当たり前
奇想天外なゲームが好きな僕にとっては退屈なゲームだったみたいなこと言ってたな
無敵モードとキャラゲーの記事炊いてきた
ttp://iup.2ch-library.com/i/i020642455415874511245.jpg
ttp://iup.2ch-library.com/i/i020642466415874611246.jpg >>229
>>230
こういうレビュー
ttp://iup.2ch-library.com/i/i020642477415874711247.jpg 改めて読んでみるとキャラゲーに関しては単なる好き嫌いでしかない感じだな
マッスルタッグマッチにせよハットリ君にせよ、原作関係なくつまらなかったら
絶対に投げ出してたが明らかに面白かったよ
20代の奴にありがちだが「俺はキャラゲーなんて嫌いだしどれもつまらないに
決まってる」って自分を頑なに洗脳してたからつまらなく感じてただけじゃね?
実際、子供だってキャラゲーであってもつまらんゲームは即座に投げ出してたし、
ろくに売れてなかったよ。アレとかコレとか
ttps://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1603/12/news001.html
しかしこの記事には驚いた。まさか響氏がこの人と同一人物とは
なんだってー!!!!!! 意外と響あきら=MMRイケダっての知られてないのよな
俺も知ったの比較的最近だわ
そのインタビュー記事だと響はアーケード派みたいなこと言ってるけど
同時にパソコン派でもあった印象
本人も認めてるけどファミコン軽視してた感じは確かにあったな >>244
ありがとう。
何十年ぶりにこの記事を読んだよ。
当時のことが蘇った。
でも、隠れキャラに言及していたのは記憶がなかった。
カリオストロにコナンとハイジ?
そうだったのか・・・これも知らなかった。 >>232
俺は船取った後、シナリオが崩壊しているとは感じなかった。
逆にV以降だとストーリーが一本道だとかね。別にいいんだけど。
戦闘のバランスもUはシビアぐらいで、目茶苦茶とは感じなかった。
ドラクエUはあまりにも面白すぎて、こんなに面白いものにケチ付ける奴なんているのか
と言うのが、多くの人の反応だったのではなかったか。 とりあえず成沢が具体的に批判してたのは結果がヒントを先行する可能性がある点だった
わずか1/2ページのスペースで87年のソフト総括しなきゃならんから仕方ないだろうけど
今改めて見ると酷評ってほどのもんでもないけど当時はこれでも結構過激な内容で
ドラクエ2批判するなんてとんでもないみたいな風潮もあったから
読者コーナーにも成沢批判の投書がいくつか載ってたなあ
ttp://iup.2ch-library.com/i/i020643100115874011210.jpg >>239
ファミコン神拳と必勝本の比較ならファミコン神拳
85年夏に始まってる
必勝本は86年から
ただ前身となるファミリーコンピューター必勝本となると85年6月だからファミコン神拳より前 >>250
ドラクエ2が盛り上がってた頃のファミコンのコマンド入力式RPGなんてドラクエとドラクエ2とディープダンジョン位だから
やれるゲームといえばファミコンしかなかった俺はそういう物だと思ってやってたな
滅茶苦茶なのかどうかも比較対象がなかった ドラクエ2以降は船をとったら自由度が飛躍的に増すっていうのが、面白さになっている。
俺もプレイ当時は面白かったから気づかなかったが、自由度が増して生じる矛盾に切り込むところが、
さすが成沢さんといったところか。
とはいえ、俺からしたら、むしろ、ゼルダの伝説に当時流行りのRPG要素(経験値をためてレベルアップ)を導入した
リンクの冒険の方が中途半端な気がした。
女神転生に目をつけているところはさすがだと思う。 ファミコン神拳 は、北斗神拳の「あたた」でゲームレビューをしていたが、
面白すぎて「た」が収まりきれないぜ、と絶賛したのがドラクエ。
今にして思うと身びいきもあると思うが、それがきっかけでドラクエを購入したなぁ。
ファミコン神拳も辛口で、たけしの挑戦状をこき下ろしていた。これは当然か(笑)
でも、FF2をボロクソに言ったのは結構物議を醸した気もする。 ファミコン神拳はジャンプという立場の強さを活かして
結構素直な批評があったな ファミコン神拳はキングオブキングスが不当な位低評価だったのは納得いかない 週刊少年マガジンのMMRは面白かったなぁ。
あの頃はノストラダムスの大予言の存在があってオカルトが熱かった。
TVタックルでもUFOを取り上げるのが名物化していたし、
海外ドラマでもX-ファイルが流行っていたしね。
響あきらさんがあのMMRの一員だったのは衝撃だった。 ファミコン神拳はナムコのゲームには低評価与える事多かったな
ファミリーサーキットやワールドコートなんかもかなり低評価だったし 五島勉の大予言本は何冊か読めば
解釈がコロコロ変わっていることに気付く >>255
?そんな記憶は俺にはない。ゆう帝が堀井雄二だった事の方が、響などより俺には驚きだったが、
ドラクエをあたた診断をやらなかった理由がそれで分かった。随分後になってからの事だけど。
FFU酷評の記憶もないけど、戦闘のバランスが滅茶苦茶なので、これこそ仕方ない。
でも面白かったけどね、FFU。ゲームってプログラム技術がどうだろうと、グラフィックや
戦闘のバランスがどうだろうと、要は面白ければ良いのだから。 >>258
>>響あきらさんがあのMMRの一員だったのは衝撃だった。
なんだってー!! 今から見ると堀井達よりも
鳥嶋色の強いページだったな ゆうてい、みやおう、きむこうだったっけ。
ドラクエにも登場したけど内輪ネタだったんだね。
>>259
ファミリーサーキットは車体同士の衝突がなく、すり抜けるから駄目という評価だった。
…いや、そうじゃないだろう。あえて衝突しないようにしたことで、
レースとタイム、セッティングの面白さに集中できるようにしたのだ。
画期的な取捨選択でゲーム性を高めた好例。 >>239
堀井雄二はファミコン神拳の前に他誌でファミコンゲーのレビューをバリバリ書いてたよ
ドンキーコングの1面低スコアアタックとかw >>264
その3人組がファミコン神拳より前に他誌でゆう坊・ミャオ・キムとして書いてたよ
ドラクエ2が出た後の奥義の書特別編で、キム皇が読者の質問に答える形でゆう帝みや王キム皇の3人が元々別のとこで書いててジャンプに移ってきたことをカミングアウトしてる >>256
みや王が手がけたメタルマックスには甘々で「自分が手がけたゲームを悪く言う奴がどこにいるか」と開き直ってたけどな メタルマックスは名作だからいいけど。
しかし、当時のジャンプゲームを素直に批評しなかったのは、
大人の事情というやつだと子供ながらに思った。 神拳は燃えプロの評価が物凄く高くて
後にクソゲー扱いされたのは
その反動もある気がする
作りは粗いが別に遊びないわけでもないし >>269
タイトルがアヤフヤだったのでググってみたら、「ファミコン神拳 奥義大全書 巻の四 ドラゴンクエストII」らしい
ドラクエ2攻略ページ一辺倒ではなく、所々に制作者インタビューやWizの紹介記事や3Dダンジョンゲームブックやファミコン神拳のページができるまでの漫画や読者の質問にキム皇が答えたりするコーナーが色々載ってたりする 横からだけどその内容の本は、奥義大全集特別編 キム皇のファミコン神拳110番だと思う 110番は手元にあるけど>>266の記述は見当たらんぞ 3人ヨーイドンで初めてもゆう帝はエディタでデータ書き換えしやがる、はカミングアウトしてたがな >>273
そうだったか、それは失礼
その本もドラクエ以外の事に言及してたからついそれに載ってると思い込んでた >>275
いやあんたは間違ってないよ
110番にはダイヤモンドの騎士でのキム皇レベル上げ自慢も載ってるしね そういや、ジャンプ放送局のさくまあきらさんも「桃太郎伝説」を作ったし、
アシスタントには横山智佐さんもいたんだよね。
ジャンプがムチャクチャ売れていた時代だけど、今思えば脇役の企画でも
恐ろしく豪華なメンバーが揃っていた。 「竜王は生きていた」はジャンプで、サングラス取った顔がイケメン(当時そんな言葉はなかったが)
だった記憶があるのだが、今ネットで見れる顔は俺の記憶とまるで別人。
俺は何かと勘違いしているのだろうか? >>276
フォローありがとうね
そういやキム皇って必勝本時代に必勝テクコーナーに1、2回ゲストで来てたような
ドラクエ2の開発中の画面に出てたモンスターが一部実際のゲームに出てないのはどうして?って質問に
ボツになった、他にもモンスターがいっぱいいたけど全部容量の犠牲になった、みたいな返事してた記憶 もう昔のゲーム記事懐古スレになっとるなw 楽しいからいいけど
ファミコン神拳ではしれっとオホーツクに消ゆも高評価してたなw
名作だからいいけど 大学のサークルにあすなろあすながいて
感動したことある ジャンプの投稿で誰もが覚えているのが竜王は生きていたさん。
必勝本の投稿で誰もが覚えているのが野安ゆきおさん。
野安さんはその後、ゲームライターになって、今でもたまに見かける。
竜王さんは? ダイヤモンドの騎士は遠藤雅信は好きじゃないから、
ファミコンにはリルガミンを先にUとして移植したと言っていた。
キム皇はダイヤモンド好きだったんだね。
堀井雄二はウィザードリィはTがあまりにも良くできていた、
Tにウィザードリィの魅力が集約されていたなんて事を言っていた。
人それぞれだが、ベニー松山はどうだったんだろうね。 堀井雄二がOUT読者とした約束の日まであと8168日
なんでその日に決まったのかまでは知らないけど
意外と行けそうな気がしてきたなぁ そのOUTとか言う雑誌で、堀井雄二とみそが一緒に働いてたのね。
みそが、あこがれのOUT編集部で堀井雄二の手伝いをさせて貰っていた、
と言う感じだったのか、知らないけど。 そういえばみそって堀井に取材はしてたけどさくまとはJBS以降絡みがないな
あの2人の性格からして疎遠になりそうな感じはあるけど
>>281
あすなろあすなってその後編集者だかライターだかやってたような ファミ通での堀井雄二とさくまあきらの対談で、さくまあきらが堀井雄二の
すすめで100万出してAppleを買ったが、使い物にならなくて、結局ゲームだけ
やっていたなんて言ってた。 他の会社はまだ家庭用パソコン出しても、使いものにならないから出さなかったのかな。
ジョブスがいなくても、数年遅れたかもしれないが、結局家庭用パソコンは出ていたのかな? 当時のゲーム誌に堀井がパソコンを初めて使ったのって27歳だって書いてあって
結構驚いた覚えがある
それから2、3年でエニックスのゲーム制作コンテストで入選したり、
その後すぐにポートピアやオホーツクを作ったのか、天才だ!って思ったな
当時としてはPCに触れるのがそのくらい遅いのも普通だったんだろうけど >>292
堀井が風俗ライターやってた当時はワープロが無くて原稿は手書き当たり前だったからなぁ >>280
110番の巻末にも開発中のオホーツクが特集されてる
ゆう帝ミヤ王が刑事コンビでキム皇がルフランのホステスのどいん画とか集英社、アスキー入り乱れの滅茶苦茶カオスな構図だよな >>277
さくまあきらがドラクエのようなゲームを作れ!
と指示を受けて桃太郎伝説を作りだしてわからない事があるとちょっと電話で聞いてくる、
と言って堀井雄二に電話して聞いてた、というエピソードが好き >>246
ファミコンのクソゲーを挙げるときに必ず出てくると言われる「忍者ハットリくん」。
しかし、俺はどうしても駄作論には同意できないんだ。
そこそこ面白かったと思う。まぁ、ハットリくんじゃなければミリオン行かないだろうけど。 クソゲーではないけど名作でもないってところか
そういやベニー松山が一番嫌いなファミコンゲームにハットリくんの名前挙げてたな
ファミコン本体買い直す際に抱き合わせでついてきたこともあるんだろうけど ハットリくんなんて全然クソゲーの代名詞じゃないでしょ
必ずその名が出てくるなんていうのはスーパーモンキー大冒険とか
たけしの挑戦状とかあのレベルじゃないと
同じ藤子系ゲームならオバQワンワンパニックの方が駄作だと思う >>298
そうかぁ?いきなり激ムズになるのが難点なだけで最初の方の面に限ればワンワンパニックは良く出来てると思うけどなぁ ハットリくんはもちろん、たけしの挑戦状すらも俺はクソゲーとは思わなかったね。
両方、それなりに楽しく遊んだよ。
必本の誰かが書いてたのが、スーパーアラビアン。
あれは金出して買った人はショックだったろうね。
俺はエレベーターアクション。アーケードのが面白いと友達が言ってたので買ったんだが、後悔。
4900円だか忘れたが、近所のおもちゃ屋で定価で購入。
ワンワンパニックは激務ムズで、親指がいたくなった記憶。あれもクソゲー。 スーパーアラビアンをクソゲーと言ってたのは山下章
発売日に買ってきて遊んだけどいつまでたってもおもしろくならないからカセットぶん投げた
その時カセットについた傷は今でも残ってるって必勝本最終号のコラムで書いてた
ついでに一番嫌いなファミコンゲームとしてもスーパーアラビアンを挙げてた 必勝本ではデビルマンをクソゲー扱いしていた記憶がある。 実写映画も邦画史上最大のクソ映画扱いされてるんだから
気の毒というか Theナムコブックで成沢大輔に「ナムコのデビ婦人シリーズ」と言われてたあのデビルマンな アニメはお子様向け。
しかし、漫画はお子様には強烈すぎる名作がデビルマン。 デビルマンはヒッポン本誌のレビューも成沢がやってたな
あとヒラ坊もレビューやってて2人とも酷評 ファミコンのキャラゲーでこれは!と思ったのは「キャプテン翼」くらいかな。
サッカーゲームとしてのゲームデザインも斬新だけど、
あのゲームデザインは原作の世界ともマッチしている。
高橋名人の冒険島とかグーニーズも良作だと思うけど、
そもそもあのキャラである必然性がない。 高橋名人にしたから、ミリオン届いたんでしょう。ワンダーボーイじゃそこまで売れてない。
音楽も良くなってたけどね。形は違えど、セガ初のミリオンセラーと言えなくもないのだろうか?
グーニーズはゆう帝が面白いと書いてたね。キャプテン翼はファミ通で中村光一が絶賛と言う程
でもないけど、良く書いてたね。 バンダイのキャラゲーでも、面白かったのがあって、
ディスクのキン肉マンとドラゴンボールU。カセットのキン肉マンもそこそこ。
最悪なのが、遠藤雅信が命をかけたとか言うCMのZガンダムね。 >>309
ディスクのキン肉マンはヒューマン開発らしい
もしかしたら後のマッスルグランプリのベースなのかもしれぬ 同じくディスクの仮面ライダーBLACKもヒューマン開発だったかな サブカルに強かったJICCの雑誌だったからキャラゲーをよいしょする気もなかったのかな ディスクの任天堂のプロレスもヒューマン開発。
ドラゴンボール2はバンダイなのにと驚いた。 サブカルと言えば>>246の響あきらインタビューだとだんだんサブカルに傾いていったってなってるけど
創刊時から他誌に比べてサブカル寄りの傾向はあったと思う
宝島のVOW担当してた古矢徹がファミコンバラエティ劇場担当してて小中学生おいてけぼりのイカれた記事連発してたし
あと今ふと気づいたけど響インタビュー、同じく創刊号ライターだったターミネーター辻にはひとことも触れてないのね >>313
そうだったんですね!
プロレスは良作でした。 任天堂プロレスと王位争奪編のキャラ造形は確かに被るな
どちらもヒューマンと知って納得 スーパーになった後だったと思うけど確かみそがPCEのフォーメーションサッカーを推してたと思った
確かにとても面白かった ファミリーテニスは相手にネットに出られるとロブで逃げるしかないが、
ファイナルマッチテニスはパッシングが通るから100点という読者投稿がアタと思う。
確か鈴木みそさんもそれに同意していたはずだ。 ファイナルマッチテニスはトルシエの通訳やってたダバディが大絶賛してたな
ヒッポンきっかけで買ってハマったスポゲーといえばレッスルボール 今と言うか、もう随分前からなんだが、「あのゲーム」を作っていたのが同じ会社だったと、20年以上もの月日を経て分かるとは。
オホーツクと鬼ヶ島、MOTHERを作った会社が同じだったなんて。
ま、鬼ヶ島とMOTHERは任天堂が作ったんだと、当時は思っていたんだけど。 当時は下請けや外注の存在なんかユーザーにはほとんど認知されてなかったからなあ
販売メーカーが自前で作ってると思ってた 当時じゃエグゼドエグゼスがなんで徳間書店から出るんだろう?位の疑問だな >>320
ソフトニカの公式飛んだら再始動って書いてあってビックリなんだ 飯野賢治がゲーム批評でスヌーピーコンサートの批評をしてたんだが、そこで
任天堂が作ったと言う噂があるけど、MOTHER2のスクロールがガクつくので?と思ったら、
開発はHAL研だったなんて事があったので、このゲームも任天堂の仲の良い下請けが作ったのかもしれない
なんて書いていた。飯野賢治すらも当時(1995年)は知らなかったんだね。 この話面白くて、飯野賢治の言う通りだったんだけど、ただその会社がファミコンでありながら
スクロールのガクつかないMOTHER1を作ったパックスソフトニカと言う会社だった。
何故MOTHER2もパックスソフトニカが作らなかったのだろう。
パックスソフトニカ制作ならば、MOTHER2も良いものになっていたと思うくらい、MOTHER1の出来が良かった。 マザー2は開発が行き詰まって、岩田さんが作り直したんじゃないの?
ちなみにマザーはタイレル辻さんが、ゲーム開発のことが分からない人(糸井さんのこと)がゲームを作ると駄目になる例として挙げていた。
ゲームを作る人はプログラムを書けるか、最低でもそのハードでどんな事ができるか
熟知していないと駄目なんだ、と言うのがその理由。手厳しかった。 タイレルのレビューは開発者視点という面では、そこそこ興味深い切り込みだったけど
肝心のレビュー内容は、気をつかって言えばマニアックで硬派な評価
ハッキリ言っちゃえば客観性に乏しく、単に自分の好き嫌いだけで評価してた感じ
ゲームの面白さとかに関しては、完全に一般ユーザーと感覚がズレてたとしか思えなかった タイレル辻はネクロマンサーを『ゲロゲロに凄い出来ですぜ』と言ってたね。
俺は出だしだけやって、引き込まれずに止めちゃった。
別に数百円で叩き売られていたのを買ったから、いいんだけど。
MOTHERは必本だったか覚えていないんだけど、糸井さんの表現したい事を
できていたら、もっと良いゲームになっていたでしょう、みたいな事を言ってた人がいたね。
俺は任天堂(当時は任天堂開発だと思ってた)だからこそ、あれだけの出来になったんだと
思ってたけどね。 タイレル辻さんはイース3も酷評していた。
その理由は2までBGMを担当していた古代さんが、3には関わらなかったということだった。
BGMもゲームの面白さの重要な要素なんだ、って言ってた。
さすがに自身の単行本で同じことを指摘したときには、名指しは避けていたけど。 正確なニュアンスは忘れたけどBGMが凡庸なイース3は駄作じゃ!だったかな
BGMもゲームの重要な要素というのは確かだけど、それだけで駄作認定というのはさすがに短絡的すぎないかと感じたな
まあ上にも書いた通りタイレルのゲーム評ってアレすぎてそもそも信用してなかったけど
MOTHERはヒッポンだと田尻智が欠点とかも指摘しつつも割と好意的な評価してたな 正確なニュアンスは忘れたけどBGMが凡庸なイース3は駄作じゃ!だったかな
BGMもゲームの重要な要素というのは確かだけど、それだけで駄作認定というのはさすがに短絡的すぎないかと感じたな
まあ上にも書いた通りタイレルのゲーム評ってアレすぎてそもそも信用してなかったけど
MOTHERはヒッポンだと田尻智が欠点とかも指摘しつつも割と好意的な評価してたな タイレル辻のタイレルはスチュワートで有名なティレルとは違うんだっけ?
読者が質問していたが回答を忘れた >>333
ブレードランナーのタイレル社から取ったと書かれてた記憶 ファミコン雑誌スクランブルでチラッと紹介されてたG&Gって雑誌は本当に出ていたんだろうか
芸文社といえばのちにネオジオフリーク出してたけど >>328
ネクロマンサーはソフト作りすぎたこともあるんだろうけど、
どこでも980円以下で投げ売られてて、それでも捌けず長い間売れ残ってたな
誌名は思い出せないけど、どこかのゲーム雑誌のPCエンジン特集で、
田尻智が人を楽しませようという気が微塵もないゲームだと、バッサリ切り捨ててたのが記憶に残る でも、なぜかPCエンジンミニに収録されているんだよね・・・
タイレル辻さんは2を作っていると言ったが、日の目を見ることはなかった。 >>338
それとは違うんだろうけどネクロマンサー2は出てる >>338
あの手の商品に1、2本紛れ込んでるイロモノ枠、怪作枠だと思ってる
出来はさておき初期タイトルゆえに知名度はそこそこあるはずだし
ヒッポンのレビューだとタイレルは自画自賛と2の宣伝に終始してて
もう一人のヒラ坊は家庭用RPGでもっとも宗教の香りがする、その辺が好きとだけ言って
ゲームそのものの具体的な評価は避けてたな
確か総合評価は5点満点中4だったはず キム皇はPCエンジンのコントローラーは、操作性が滅茶苦茶悪いなんて言ってたけど、
俺は別に悪いとは感じなかった。
悪いのはメガドライブのだね。メガドライブミニには当然メガドライブ2の小さい方の
コントローラーが使われているが、なんで最初からあれが作れなかったのか。 メガドラの3ボタンコントローラーはマスターシステム以前の比べれば遥かに使いやすいよ
あれ使い辛いってのは手が凄く小さいか、方向ボタン↑が正面に向くように持ててないから 思えばキム皇のレビューも辛辣というより悪意と偏見に満ちてたなあ メガドライブの十字キーは勝手に斜めに入ってしまうんだよね。
だから、スーパーモナコGPとかやると、コーナーを曲がるときに勝手にシフトチェンジしてしまって、ゲームの難易度をむやみに上げていた。
当時からHORIにコントローラーを作ってもらえ!とか、
任天堂の十字キーを見習え!とか、散々に言われていた。
そのストレスに加えて、キラータイトルのテトリスがお蔵入りになったり、
サードパーティの参入が鈍いことも相まって、
だから任天堂に勝てないんだよ!とかまで言われていた・・・ キム皇のジャンプの連載記事は面白かったな。
あれを単行本化で復刻してくれたらと思うのだが、皆は出たら買う? ネクロマンサーはジャンプで大きく扱われていて
知名度はかなり高いと思うよ そういや元ヒッポンのライター陣って今でもそこそこ名前見かけるけど
タイレルは全くと言っていいほど名前見ないな… みそがファミ通で「あんたっちゃぶる」始めた時はその号でしあわせのかたちが無かったこともあって
色々びっくりした記憶が ちゃっきりみそ、亀仙人まっちゃん、ヒラ坊、ターミネーター辻、響あきら、
…が初期ライターかな?はっきり覚えてないけど。
成沢大輔、夢枕獏は亡くなった。
あと山下章、ベニー松山、手塚一郎のマイコンBASIC組は元気しているのかな? 山下、ベニー、手塚はベントスタッフで健在
あと細かい突っ込みだけどヒラ坊はライターでなく編集者、夢枕獏でなく北枕獲 プッツン黒須はフォトグラファーとして最近も活動してたような、年齢的に仕事はリタイアしたって人も結構いそうだ みそがあんたっちゃぶるで「ファミ通とヒッポンの原稿料はどっちが高いですか」って
読者のハガキに対してノーコメで誤魔化してたな
あとファミ通でとか初期必本でのみそのイラストが紹介されていて
「今の方が絵が上手くなってる」って書かれてた ファミ通の水野店長とか渋谷洋一の方が気になる。毛利名人やその他の元ファミ通人気スタッフ。
今どうしてるんだろう。
浜村通信など早稲田出身なのは当時から知っていたから、今の地位は意外ではないんだけど、
あの当時、特に人気編集者と言うわけではなかったくらい、他に人気スタッフが大勢いた。 ポテイトゥ トメイトゥ タメイゴゥ
必本の鈴木みそのコラムで書かれてたけど元ネタあるの? >>353
水野店長ならシンゴジラに出てたらしいぞ
エキストラで 川村ハチベイ氏はmegumiの動画に新作iPhone購入の時にはガジェット好きおじさんで出てくる。 ヒッポン編集もかなり濃いメンツの集まりだったけど、世間的な知名度はあまり高くなかったのかね
創刊編集長の丸井(丸の中に井の特殊記号)、二代目編集長のハルク、少年宝島から移籍したマッキー
スレタイの本にもインタビューは載ってなかったから既に宝島社は辞めてるんだろうけど 伊藤岳彦表紙号って
17,19,21,22.24,26,28,29,31,32,33号で合ってる? マッキーって確か女性編集者だったよね?
初代と二代目絵の編集長は印象ないな。
やっぱ顔は平林さんだと思う。
必勝本を辞めた後も活躍されているので、一読者として鼻が高い。 ヒラ坊は必勝本時代の末期に人事異動で必本離れてるのよなあ
移動することなくヒッポン編集部にいていてくれてたらと惜しまれる 「ドラゴンクエスト」大ヒット連発なぜ? 30年前の伝説の熱狂
https://news.yahoo.co.jp/byline/kawamurameikou/20200524-00179152/
ドラクエの良かったのが、製作者側が決して「泣けます。」とか言わなかった事。
FFだと発売前に坂口が「泣けます。」とかMOTHERも糸井重里が「エンディングまでに3回泣ける。」とか、
FF5のエンディングをスタッフ皆で見ながら、泣いていたスタッフがいたとか。
まさに自己陶酔。
それがどこのシーンを指しているのかは分かるんだけど、俺は感動すらしなかった。 ドラクエは背中から震えが来るシーンが何回かあったが、製作者は決して言わなかったね。
中村光一がドラクエから離れてから何年も経ってから、「やる前に泣けますとか言われると絶対泣けないじゃ
ないですか。」なんて言ってたよ。堀井雄二だけでなく他のスタッフもそれが分かってた。
そこがドラクエの良かった所の一つ。 >>362
エニックスがガンガン創刊前に出した「ドラゴンクエストへの道」って漫画を思い出した
今思うとあれ、所謂プロジェクトものの漫画のハシリだったな。しかも質も高かった
この間、ブックオフで通常のコミックス版を見つけて買ったんだが、実家にある
オリジナルの大きい版のやつ(黒表紙にスライムの絵のやつ)と比べて
中身がカットしまくりで失望した
マシリトなんて原稿を修正液(か切り貼り)されてまで存在をカットされてたから
本人から抗議されたのかね
驚きなのは漫画の発売時である平成元年から、ほんの数年前でしかない
昭和59〜61年くらいのゲーム業界を懐かしさを込めながら振り返ってる内容だった事
如何に当時のゲーム業界の1年1年が濃密だったかが分かる >>362
MOTHERの宣伝コピーはエンディングまで泣くんじゃないだったな
雑誌インタビューなんかでも糸井が大口叩きまくったこともあって
プレイヤーに余計な先入観を抱かせた感じ でも中村光一の信念は立派だし賛同したいんだけど
やっぱりFFで泣いちゃった奴、「感動した」を連呼した奴は
たくさんいるんだよなあ…MOTHERも同じ
実際はやる前に「泣ける」って言われても、その通りに
まんまと泣く奴はたくさんいる
「泣いてやるもんか」って身構えてしまうのは(俺もそうだが)
むしろ少数派なんじゃなかろうか 中村光一は、堀井雄二、鳥山明、すぎやまこういちの三人組より知名度が落ちるかも知れないけど、
ドラクエを国民的RPGにした功績は第一だと思う。
プログラマーが3日位徹夜して作ったシーンでも良くないと判断すれば、容赦なく切り捨てたらしい。
そりゃディレクターとしては当たり前の姿勢だけど、黎明期のRPG制作でそれができるのは流石。 >>365
必本もMOTHER発売前の糸井重里のインタビュー記事があり、今でも持っているけど、
それ読んでMOTHERを買う気になった。
1回も泣けなかったし、理不尽な所もあったけど、それでもMOTHER1は面白かった。
名作と言っても良いと思う。 >>366
「泣いてやるもんか」などと身構える人は、さすがに少数でしょう。
身構えても、身構えなくても、FF,MOTHERは感動出来る程のものではなかったって事だね。
感動できなかった人にとっては。
ドラクエV発売前の、ファミ通での堀井雄二、中村光一の対談で、中村光一が「今回は
ちょっと感動できるようなシナリオになってるんですよね。」なんてさらりと言ってた。
仮に中村光一がここで、坂口、糸井のように、絶対感動しますとか、泣けますとか吠えまくっていたと
したらどうだったか?やはり震えがくるような感動に変わりはなかっただろう。あれは、もう。 >>367
知名度が落ちるのは、本人の名前ではなくCHUN SOFTで入れてたからでしょう。
堀井雄二、鳥山明、すぎやまこういち、CHUN SOFT IN ドラゴンクエスト。
俺が思うにディレクターとしてよりも、ドラクエ1、2のプログラマーとしての功績ね。
内藤寛も、山名学も天才プログラマーだろうけど、ドラクエのプログラムの基礎作ったのは
中村光一でしょう。Uの時点である程度完成してるんだから。
ドラクエ11のエンディングスタッフロールの最後、プロデューサーの名前だったが、
その後にスペシャルサンクス、中村光一と入れてくれたら良かったのにと思ったくらい。 6でいきなり質が落ちた…なんか全体的にゲーム性が雑になったと思ったら
チュンソフトが抜けたからだったんだな
ドラゴンクエストへの道を読めばわかるが中村とチュンソフトの役割って
ただ堀井のシナリオを打ち込むだけのプログラマーとしての仕事だけに
留まってなかったし >>368
インタビューあったね
正直内容は殆ど覚えてないけどテレポートのアイディアは100点と言ってたことだけはなぜか覚えてる 5はチュンソフトなんだけど、内藤寛が抜け、山名学はプログラムやらず、
かといって中村光一がプログラマーにカムバックもせず、プログラムに
関しては難産だったろうね。なんとなくそんな感じもするし。
面白かったし名作だけど。 5はファミコンで作っていて、結構出来上がっていたらしいのだけど、
任天堂の山内社長がSFC出るから、どうしてもSFCで発売して欲しいと強く要望して、
エニックスも仕方なく5に移行したという経緯があった。
その辺りの紆余曲折があるんだろうね。
内藤寛と一緒にチュンソフトを抜けた高橋宏之がの制作に途中まで関わっていた、
と言っていたから、もしかしたら、それはファミコン版のことを指すのかも知れない。 4発売が90年2月
SFC発売が90年10月
3から4で2年掛かってるのに半年強で結構な所まで出来上がるもんかね 流石に5がファミコンはないわ
カーツ佐藤のジャストブリードじゃあるまいし アクトレイザーの発売が90年12月だから、普通に考えてSFCの話はそれ以前からエニックスに入ってるだろう。
問題はすでに一千万台以上普及しているファミコンと、
これからどれだけ普及するかわからないSFCを天秤にかけての経営判断じゃないか?
当時の開発期間からいって5をファミコンでというのはまだあり得る話だよ。
事実、5のシステムは4をかなり継承したものだしね。 俺もそういう噂話を当時聞いた事あるな。DQ4が出て半年くらい経った頃だと思うが
エニックスが任天堂に5はスーファミで出してくれって頼まれたって
学校で友達がそんな事を話してたってくらいのレベル
中学生としては、そりゃねえぜスーファミも一緒に買わなきゃいけないじゃん!
って懐の心配をしたのをよく覚えてる
結局スーファミとDQ5の発売が2年近く空いたので助かったが
でもその友達は単にテキトーな事を吹かしてただけだったが、
案外真相を突いてたって可能性もあるかも 『ドラクエ』ロト三部作が生んだ熱狂 ブーム当時を知らない世代の「憧れ」とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/f8692753c6a803145d2487216360dc640a8dfc18
ここの皆さんは、当時を知ってる人たちなんですが。
リアルタイムでやった人にしか分からない感覚はあるでしょうね。
11の感じ方も随分違っただろうし。 >>379
集英社のドラクエ4の攻略本だったと思うけど、中村光一がファミコンのカセットに特殊なチップ載せて
5を開発って言ってたよ。ドラクエ5の攻略本だったかな。どっちだったかな。 >>379
集英社のドラクエ4の攻略本だったと思うけど、中村光一がファミコンのカセットに特殊なチップ載せて
5を開発って言ってたよ。ドラクエ5の攻略本だったかな。どっちだったかな。 ミスって連投になってしまった。
>>375
だよね。企画して作り始めたぐらいじゃないかな。 じゃあやっぱりマジだったんだな
何メガにするつもりだったんだろうな
前作が4Mだから6Mか、限界の8Mまでやるつもりだったのか
仲間に出来るモンスターの数とか半分くらいになってたかも ドラクエ1も売れたタイトルだけど、普通に買えた。
でも、2の爆発が凄かった。
当時はゲームショップってあまりなかったから、百貨店とかおもちゃ屋とか
ディスカウントストアとか、なぜか質屋とか、そういう所で買うんだけど、
本数があまり入らないんで、手に入れるのに苦労した。
ちょっと前のコロナでマスクが手に入らなかった時を想像して欲しい。
〇〇でマスクが売っているらしい、という噂を嗅ぎつけて店に並ぶ感じ。
結局、2は父ちゃんの知人がクリアしたからと言って貸してくれたっけ。
3の入手法はよく覚えていないけど、何とか手に入った感じだ。 ファミ通 2018年11月15日号より
高橋宏之
某大手メーカーの精鋭チームが当時作っていたRPGタイトルでさえ、1画面にモンスターを8体並べると
いう事はできなかったんです。ですが、ドラクエ4ではそれができていました。
これが当時の技術力の差です。
このゲームってなんだろうね。コナミのMADARAかな? じゃあモンスター9体と主人公パーティー4人を表示していた
FF1はどんなとんでもない技術だったんだろう 誰かタイレル辻さんのFMTOWNS用ソフト『スペースオデッセイ』をプレイした猛者はいますか? >>387
横に8体並べる話なんじゃないか?
ドラクエ4は船が動く場面でも、凄い演出をしていたし、地味なようで技術を見せつけている。 >>386
MADARAの戦闘システムはウルティマタイプでドラクエとは別物だから違うんじゃない DQ1のカニ歩き以前にも画面上でちゃんと上下左右に
向きを変えるFCゲームなんて普通にあったのに、
なんでDQ1はやれなかったんだろう
あれ、そんなに容量を食うのかね? >>387
ナーシャ・ジべリ
この本で堀井雄二がハマってたような事を言ってる、ハイウェイスターはナーシャのゲーム。
女神転生の事も言ってるね。ドラクエモンスターズの時に、この記事の事を思い出した。 >>391
主人公だけでなく全キャラってのが結構容量くうのかな? 多分それを元ネタにしたのが大友克洋の短編「ハイウェイスター」
ワインディングばっかり走ってる内容だが >>391
そういやゼルダもハイドライド・スペシャルも向き変えてたね。
当時はそんな風には考えなかった。
横歩きは変な感じがした記憶はあるんだけど、じきになれたんだろうと思う。
ただ、ゼルダ、ハイドライドでは向き変えられるのに何故?とは思わなかった。 ドルアーガ→ハイドライド→ゼルダの方が今からすれば最新の流れなのだが
ドラクエのパソコンっぽさの方が
当時は大人っぽく感じていたな https://news.yahoo.co.jp/articles/f8692753c6a803145d2487216360dc640a8dfc18
初代『ドラクエ』を現役で遊んだユーザー(30代後半〜)は国産RPGの胎動に何を思い、
画面に映る勇者をどんな眼で見つめていたのか。
この事なんだけど、ドルアーガ、ハイドライド、ゼルダ、RPGじゃないけどポートピア
の存在が大きいんですね。 強い剣や鎧を手に入れていく事。エンディングスタッフロールはドルアーガ。
経験値を積み上げキャラを強くしていく、ハイドライド。
金を貯めて強い武器、防具を店で買う。セーブ機能はゼルダ。
堀井雄二の目論見通り、ゲームで長い文章を読む事に慣れたポートピア。 これらの事は経験してたが、ジャンプのドラクエの紹介記事読んで、
コマンド入力の戦闘。旅をし、世界に複数ある町を巡り町の住民から情報収集していく。
金を使い宿屋にとまり、体力を回復させる。
ハイドライドらにもあったと思うが、戦闘で魔法を使う事。
呪文で敵を眠らせて攻撃するなんて事。
こういった事が新鮮で、俺のまわりでは発売前から期待してた奴が大勢いて、
俺の小学校では凄く流行っていたね。 FC版ポートピアが出た時に新しいタイプのゲームが出た!って印象はあったが、
ドラクエ1の時もまったく同じように感じたな
アドベンチャーもRPGも小3とか小4だったので一切知らなかったから
だから文章が多いゲームがまた出た、みたいな連続した印象は全然なかったな
それで3年後くらいに「ドラゴンクエストへの道」を読んでドラクエの為に
ポートピアを出したと知って、そんな理由があったの?って驚いた覚えがあるw それにしても高橋名人やキャラバンなんかで子供たちのハートをわしづかみにしてた
アクションやシューティング中心のハドソンゲームの覇権を1987年を境にエニックスが
一気に奪い取ったのは圧巻だった
ハドソンがPCエンジンで任天堂から独立をはかったりせず、あくまでファミコンの
ソフトメーカーとしてドラクエと戦っていたらどうなったか興味あるが ドラクエ1は宝箱を「とる」コマンドがあったり、「かいだん」のコマンドで
階段を上り下りしたりと、ただ単にこなれてなかった印象がある。 アドベンチャーゲームのgetとかuse keyがまだ残ってたんダロウネw ザ・ブラック・オニキスと違ってマニアじゃなくてもとにかくまともにゲーム進行できたのが大きいね
ガライの町までプレーヤーを上手く誘導していた 落ちた姉妹スレ
ファミコン通信、ファミリーコンピュータマガジン、マル勝ファミコン、ファミコン必勝本、ファミコントップ、電撃○○、ゲーメスト
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1590590757/ ファミコン神拳その二を読んでドラクエが欲しくなったので
グラフィックは記号なので深く考えるのはよそう、という結論に至った
小5の俺の頭の中で勇者はどいんイラストの装備に身をまとっていたのだ 俺の頭の中ではシンシアもロザリーも超絶オメガ美少女だったし皆もきっとそう DQマスターズクラブにピサロってドラクエのキャラっぽくないって
投稿があったな。美形悪役ってそれまで一人もいなかったから
今にして思えば堀井も時代の流れに逆らえなかったのかな ドラクエは自分の名前を付けられるのも、新鮮だった記憶がある。 ゲーム雑誌のサマルトリアの王子の投稿イラストがイケメンチャラ男で
マジメそうなローレシアとイチャイチャしてるのばっかりだったのを見て
この層のマーケットもイケるでえってなったんカネw >>410
わかる!
しかし自分の名前を入れると外れ初期ステータスだったので
表を見ながら必死でアレンジ名を考えては計算してた 堀井雄二さんがドラクエ4はキャラクター主体のRPGの走りと述べていました。
パーティキャラの各々のストーリーを描きたいというのが動機だったそうですが、
悪役にもストーリーを付けたのは、ファミコン時代だったことを考えるとさすがです。
4でも一応、悪の魔王的存在がいるのですが、ピサロはまた違う存在で異彩を放っていました。
ただ、必勝本の評価が5点満点中4点(だったと記憶している。3.5点だったかも?)だったように、
必ずしも高評価ではなかったのが4なんだよね。 確か4点
レビュアーも通常2人なのが6、7人ぐらいいて感想もそれぞれまちまちだった
その後の号で思い出になる前にドラゴンクエスト4という特集記事もやってたな そういえば「ごいんきょクエスト」ってコーナー名、小学生の時から謎だったんだが
どういう発想で出てきたんだ?何か元ネタあるんだっけ >>414
誰のレビューか失念したが
「待つには長く、開発するには短い2年」というレビューが印象に残ってる
「思い出になる前にドラクエ4」は凄いセンスの特集だと思った レビュー内容まで覚えてないけどドラクエ4の評価厳しくされるのはAI戦闘のせいじゃないかと >>416
待つには長く〜はおぼろげながら記憶あるな
AI戦闘は北枕がキャラの個性みたいのを表現しようとしてるだったか、割と好意的な見方していてた ドラクエ4は発売前に情報を出しすぎて、発売日も延びて、プレイヤーが
やる前に疑似体験してしまっていたんですね。いまいちに感じたのは、それが原因。
エニックスが情報出しすぎた事は、反省していて5にでは改めると言ってた。
俺は後から繰り返しやってみて、ドラクエ4の評価が変わった。
シリーズ最高傑作だと今でも思っている。 ピサロが怒るのは当たり前で、すっきりしないなんて言ってた人が、
ファミ通か必本にいたけど、単なる勧善懲悪物ではないという事ではないか。
フェーダと言うゲームの製作者が、他のRPGの用に単なる勧善懲悪物にしたくなかったと、
自慢げに言ってたけど、そんなの一番有名なRPGで既にやってたわけで。
おおもとのウィザードリィがそもそも、そうなんだけどね。 4は俺も好き
各章ごとに行動範囲を限定しておつかいゲーム的な事をプレイヤーにさせつつピサロの暗躍の伏線を貼り続けるという
相当練られたシナリオなんだよね
堀井雄二の手腕に脱帽した でもやる事がいちいち小物っぽいんだよな
盗賊雇って村の宝盗ませたりとかw 確か4を最後にシナリオアシスタントの宮岡寛(ミヤ王)も抜けたんじゃないかな。 成沢さんだったかな?
4のAIバトルに「AIなのかなぁ(笑)」て言ってた。 堀井雄二と中村光一のドラクエ4発売前の対談では、当然AIの事は話していて、
よくできてるとか、最終的には的外れな事はやらなくなる、なんて言ってたんだが、
一体どう言う事だったのだろう。テストプレイではボスキャラ戦はやらなかった
なんて事あるわけないし。 ボス相手にも全滅を繰り返えして学習していけば(ラスボスは各形態事に)一応そうなるんじゃなかったか
不毛だが そうなのか。ボスキャラにザラキも繰り返しやってればAIが学習して
最終的にはやらなくなるのか。
ちなみに堀井雄二は何年後かに4のAIについて、「結構ヘンチクリンなAIで、色々言われたけど
あれで良かったと思っている。仲間と冒険したら実際あんな感じではないか。」みたいな事
言ってたけどね。 実際あんな感じかもしれない(笑)。
多分、戦闘中に主人公は「ザラキは効かない!」と叫んでいるんだろうが、
クリフトは「うるさい!」と言って聞く耳を持たないのだろう。 αの真ゲッターとかもうあるのに武蔵が意地でもゲッターを使い続けてるミタイナ。
「わかってる! でも俺にはザラキしかねえんダ!」ってカンジ?w >>427
ドラクエマスターズクラブの読者投稿にデスピサロ戦で何十回も全滅して学習させたら
最後には無駄行動一つもとらなくなったというのがあったな
あとこれまたマスターズクラブの投稿だけど、ザラキがボスに効かないという常識はあくまでプレイヤーのそれで、
ゲームのキャラや世界ではそんな常識はないから、ザラキとかも効くものと思って使うみたいな説上げてた人もいた ボスキャラがザラキ一発で死んだら萎えるというのは、プレイヤー及び開発者の都合だから。 確か最短3回の戦闘で一番優秀になるんだったかな?
アストロンを使うとAiが学習しやすいとかなんとか ぶっちゃけAIが戦い方憶え始める頃にはレベル上がって力押しだけで勝てちゃうんだよねぇ
クリフトはザラキ連発と4コママンガ劇場のせいでリメイク版ではヘタレ野郎にされてたな >>435
それは知らなかった。モンティのが効くのは知ってるけど。 馬車システムによるキャラ入れ替えを戦略に組み込むことさえ「誰でも攻略できる」ようにするコンセプトから断念したDQWのことだ。
AIに割けるリソースが仮に現実よりずっと多かったとしても、その挙動を戦略や戦術に組み込む作り込みはできなかっただろう。
AIというよりコマンド選択に条件が用意されているが、それが問題になるのはRTAのような特殊なプレイに限られ、レベル上げによって簡単に克服されてしまう。 呪文無効化率が80%だったか、少なくとも絶対に効かないというわけではないから
ラカニトやバディであっさり死ぬことも りゅうおうもベギラマ通るしその頃はまだそういう考え方だったのだろう ワードナーにはマバディでHPを瀕死にまで下げてからとどめを刺した記憶がある。
いや、多分バディでは死なないと思ったから、マバディを使ったんだけど効いてよかった。 必勝本スレだとWIZの例を出しても浮かないからいいな
マバディはKODのハイプリーストポイズンジャイアント組に良く喰らった記憶がある
KODの小冊子(マップノートとデータノート)まだ現存してるぜ 知ってるかい 知ってるかい(フーフー) 生きてる鎧 ナイトオブダイヤモンド♪(ダイヤモンド!) 『隣り合わせの灰と青春』はワードナーを倒して終わりだっけ?
先行したライバルパーティが、グレーターデーモンの群れに全滅させられていた時には、
なかなかリアルだと思った。 ヒッポン本誌の連載はワードナ倒して終わり
あとがきで加筆込みの単行本発売の告知してた ジルワンで分解されたバンパイアロードが床からまた生えてきて
「実は」ってとこで連載終わりダヨネw 加筆がまた多くてね。いいんだけど。
なんで最後まで連載させなかったのか。
風龍にしても、何故約束通りの型で出さなかったのか。
パックランドで〜はなんでエンターブレインが復刻させてるのか。
この出版社は一体何やってるんだろう。 やっぱり記憶通りだったんですね。
単行本は読んだことないですが、ほとんどストーリー性のないWIZに話を肉付けしたのは、ゲーム小説としてはやはり画期的だと思います。 ウィザードリィは世界的なヒット作らしいが、他の国でもこういう小説、書かれていたのだろうか? もともとのWIZは大学生の作った内輪ネタ満載のゲームだったし
WIZがシリアス化したのは日本版からだっていつだかベニ松がツイッターで言ってたな
トレボー、ワードナは開発者、マーフィー、ボルタックは大学の仲間からとった名前だし
ドラクエだって初代ではファミコン神拳の3人だしたり
ロトのよろいの持ち主だった「ゆきのふ」も千田幸信Pからとったものだしね >>443
あと表紙の外国のネーチャン
雑誌掲載灰と青春は品川るみの挿絵が良かった
って品川るみ挿絵であってるよな?
自信なくなってきた 発達した兵器のUIがゲームっぽくてニンテンドーウォーと呼ばれた湾岸戦争が起こると
「でも人は死んでるし家族を失った人達の悲しみや恨みはリアルのものやで!」
って巻頭記事を組んだりして、やっぱり社会派出版社なんやなあって思ったノヨ。 >>449
あれ読んでいて、続き、最後が気にならなかったのか。
俺なんかは気になって早く読みたくて、しょうがなかったけどね。
本屋に注文していて、何度もまだ届かないのか問い合わせていた。 >>449
あれ読んでいて、続き、最後が気にならなかったのか。
俺なんかは気になって早く読みたくて、しょうがなかったけどね。
本屋に注文していて、何度もまだ届かないのか問い合わせていた。 >>457
ありがとう
手レポーター作動で吸い込まれる挿絵が印象に残ってる しかし、品川るみって今何してるんだろ
そもそもご存命なのだろうか
ちなみにうちにアリスの電脳遊園地あります 隣り合わせの挿絵と電脳遊園の連載ぐらいしか記憶にないけど他になんか描いてたっけ 昔の本屋の取り寄せって異様に時間がかかって、もう届かないもんだと思って、
他の本屋さんで見つけたやつを買うと、途端に届きましたと連絡が来る。
『隣り合わせ〜』は単行本自体、本屋さんで見たことがないから買う機会がなかった。 キム皇はパソコン版ウィザードリィUのレベル自慢をしてたけど、
それがどれぐらい凄いのかの説明で、ワードナを倒すにはレベル13(だったか?)
あればおつりが来るとかで、その○倍のレベルを持ってるなどと言ってたが、
何故Uのレベル自慢で、ワードナを倒すのに必要なレベルを持ち出したのだろうか? 2,3共にラスボスっぽいキャラがいないから
わかりやすいワードナのいる1で例えたんだろう 当時はディープダンジョン位しか知らなかった俺だが
今になればKODなら色々やりようはあるよな、なんて思えるのも必勝本を手に取ってしまった結果なんだろう
アップル版というハードルを考えればそれでも凄いけど >>463
2にラスボスがいないってのもあるけど、2は1の追加シナリオ、今でいうDLCみたいなもんだからかな だから、ファミコン版では2の移植が見送られ、3が先に移植されたんだよね。
まぁ、2も出したけど、アレンジが大変だったみたい。 そういえば、手塚さんがワードナの逆襲で小説書いていたような気がする。 書いてたよ
最初は必勝本(スーパーかな?)の付録小冊子
後に加筆してハードカバーで出た >>470
やっぱりそうだよね!単行本が出たことは知らなかったです。
ワードナの逆襲はファミコンに移植されなかったので、あの小説で体験した気分でした。 移植されてたらたけしの挑戦状超えを狙えるクソゲーになれたのに惜しかったネ。 KODであれだけの事をしたゲームスタジオだから
まともなゲームになってかえって賛否両論になってたかも ヒッポンだと謎はもはや狂的に難しく解ける方が異常であるなんて書かれてたなワードナの逆襲 手塚さんはそのワードナの逆襲をクリアしたんだろうか…。 ウィザードリィを中古で買ったんだが、凄いデータが入ってた。
ここまでやりこんだ人が、何故中古に売ったのだろう?と思った。
と言う俺も一回中古に売ったから、買い戻したんだが、レベル、アイテムが
俺とは大違いだった。 自分がワードナになって冒険者を相手にするなんて、楽しそうだと思ったんだけど
そんなにやばいのか。
5は評判良かったね。 似たようなコンセプトではポピュラスのピータ・モリニューが作った『ダンジョンキーパー』があるよ。
ジャンルはリアルタイムストラテジーだけど。
プレイヤーはワードナみたいにモンスターを率いて勇者たちを倒すんだ。名作。 PS1のKODをLV1から遊んだ事あるがいちおう倒せる敵は出てくるんだよな 当時はオリジナルKODに物凄く憧れたな
#1#2のアイテム表記も+式にかっこよさを感じてたけどPS版などを経験した今
結局ゲームスタジオ版が一番好きになってしまった #1で色々妄想できた人なら#4は面白いよ
情報シャットアウトして自力でマッピングやる暇あるといいね
今か >>478
今はコピーできるみたいだから出来るなら放流しようかな SFCのニンテンドーパワーにウィザードリィが移植された時、
FC版の開発資料が既に無い為、プログラムから解析していったなんて記事があった。
たしかじゅげむ。
何故、開発資料を厳重に保管しておかないのだろう?
そうしていても無くなる事はあるだろうけど、ゲーム会社の開発資料の扱いは、
どうもそんな感じではないようなのだ。 ファミコン時代はそこら変杜撰というかまだ黎明期だったからしゃーない
資料なんていちいち保存してる手間も置き場も発想もないって感じ
手軽な記憶媒体が紙やフロッピーディスクしかなければさもありなん よくあるパターン
1)成果物(ソフト、マニュアル)以外は保管してない
2)一定期間保管したら廃棄する
3)そもそも資料を作ってない ワードナの逆襲は、PCエンジンのナグザット版がおすすめ。
難易度が適度に下がって、ストーリーとゲームバランスが両立してる。
しかし、今ヒッポンスーパーのメタルスレイダーの攻略本を読んでいるんだが、
もはや攻略本というより資料集とファンブック並、値段以上の価値に思える。 >>489
他には、PS1にもアレンジで移植されたと聞いたなー。
手塚小説はちょっとエロかったです。まる。 ナグザット版といえば#1には面食らった
B4〜B9のエレベーターが作動しないのでマーフィーでLV13まで上げてマロールでB10に行ってたよ
エレベーターの作動法がわかったのはインターネットで調べられるようになってからだった >>490
青二才の僕は、たったあれだけのエロ描写だけで大興奮したものです。 ナグザット版WIZは一番最初に出た5の出来が酷すぎたことしか覚えてない
ウィズ友の会の投稿でもボロクソに言われてた 豆知識
ウィザードリィのすべてに収録されてる友の会には
後の忍者増田「増田厚」のイラストが掲載されている
クリティカルヒットでくびちょんぱされてるって今なら載せられない代物だが そういや信山★しんざんがヒッポンのいろんなコーナーに投稿してたの思い出した PCEのWIZはドロップシステムがこのエリアではどの敵倒してもテーブルA固定でしか出ないとかとにかくクソだった記憶しかないw >>486
黎明期って、80年代前半までなら分かるけど、FC版ウィザードリィは87年だよ。
今現在から振り返れば、黎明期と一括りにできるのかと言えば、そんな事はないのは
あの時代を知っている、このスレの人ならば分かるはずなわけで。 >>494
友達がいない事で読者の同情を買い、人気No1編集者になった人ね。
アクセラに移ったはずだが、その後どうなったのだろう? ウルティマZの資料を亡失したオリジン社の例もある。
資料の扱いは時期ではなく社風の荒廃具合が関係しているのだろうな。 90年代でもそんな感じだよ
ワークステーションでネットで作業用のデータや書類共有とかするの90年代後半だったな 昔のゲーム会社は山師が一攫千金狙って立ち上げたようなのばかりだったから
後世に資料残そうなんて志ある会社なんて数えるくらいしかなかったと思う
ヒラ坊は当時の取材先は上司のことを「アニキ」と呼ぶような奴らばかりだったってぼやいていた
でも一部に宮本茂や堀井雄二みたいな天才がいたからJICC辞めずに続けられたって セイブ開発の社長がアケアカの番組に出ていたが
ちょっとヤの付く自由業感あった ゲーム会社なんて一部に上場して、安定して、歴史ある会社にでもなれば、
意識も変わるかもしれんが、そうでもなければ職人集団だろ?
人の入れ替わりも激しいし、資料がちゃんと整理されていることを期待するほうがムリなんじゃないかな。 サターン時代のセガでも開発資料は、私物程度にしか残っていなかったんだそうな。
でも任天堂はそんな事はないんじゃないかな。
天外Uの開発資料はハドソンが引っ越した際、紛失したらしいがそれまでは残っていたという事だから。
会社によって違うのでしょう。 ハドソンといえばコブラ2用に寺沢武一が書き起こした原画と絵コンテ残ってないのかな
当時でも書籍化してたら絶対に買ったのに
ヒッポンスーパーのインタビュー回に原画は少し載っていたと思った >>507
そうそう
で>>176なんだけどさ
単行本の1巻にサインをもらったのは北枕だったか佐山アキラだったか コブラはクリント・イーストウッドをモデルにしたので(確かダーティハリー)、
声優は山田康雄を使いたかった、PCEで念願がかなったと寺沢武一が言ってのを思い出した。
ヒッポンのインタビューだったと思う。 まあ当時のでも資料はなくてもソースくらい残っててもいい気がするけど結局ロム焼くのでもう修正もできないしマスターロム取っておけばいいって感じよね ナイツをPS2に移植する際、開発データが無い為プログラムから解析するしかなくて、偉い苦労したのだそうだ。
開発データさえ残っていれば、容易にできたものを、お粗末だね。 ポリゴンの仕様からして違うのにソース有るだけで容易に出来る訳ねぇだろ スプライトのゲームは容易ではないかもしれないけど、ポリゴンなら余裕。
何故サターンでスプライトのソニック4を出さなかったのだろう。海外市場を考えたら。 中さんが作りたくなかったんだろう。
サターンは最強の2Dマシン。本来ならその実力を見せつけるべく最高のソニックを出すべきだったが。
変にプレステに対抗してポリゴンじゃなきゃ…というのが間違いだったんだろう。 堀井が保管してたDQの資料みたが方眼紙に記号と色つけただけだったなww
その程度なら完成品があれば開発中の資料はいらないだろって感じはする アセンブラはプログラムをした人にしか、何を書いてるのか分からないくらいのものらしい。 コブラと同じぐらいにルパン3もやってたから声同じだとキャラ被っちゃうネェw アセンブラでもZ80とかは読みやすい
6809とか6502は作るほうはあれこれ出来て本人はわかってるけどあとから他人が読むのはメンドイかな 黒竜王はコブラのエピソードの中でも完成度はピカイチ 国民的RPG同士の一騎打ちに意外な刺客?「一番好きなファミコンRPG」ランキング
https://futabanet.jp/articles/-/81347?page=1
FF3って発売初日に東京の量販店では2980円、3カ月後の7月には1980円で山積みで叩き売られていたんだけど。 ファミコンのROMは生産調整が難しいから、値崩れも多かったと聞くな
量販店でファミコン売ってたのも客引きが主な目的でゲームそのものでは儲からなかったとか
奇しくもみそがファミ通のあんたっちゃぶるでそんなこと描いてたな 知り合いが吉祥寺の露天で980円でFF3買ってきて
そこからはまって8まではやってたよ >10位がバツグンの知名度を誇る『ファイナルファンタジー2』だったことを考えると〜
いや、FF2までは知名度そんなに高くなかったよ。
やっぱ、ファミコン時代はドラクエのほうが圧倒的に知名度がある。
それよりもヒッポンユーザーにとっては女神転生、女神転生2、ウィザードリィが入っていないランキングには異議ありだ。 FF1,2も1980円、2980円で叩き売られていた。
FF3発売前から、スクウェアとゲーム雑誌が共謀してFF派、ドラクエ派なんて言葉を作為的に作り
ドラクエのライバルのビッグタイトルに仕立て上げ、その甲斐あって問屋に140万本押し込んだが、
もちろんそんなに売れるわけもなく、発売初日に2980円、3か月後には1980円で叩き売られるハメになった。
これが真相。 まぁ、FF2も前評判や宣伝ほど売れなかったし、3がミリオンというのも無理をした感があるな。でも、3は面白かったし、なかなか完成度が高かったら良いんじゃないの。
それがSFCでのヒット、PSでのブレイクに繋がったと言えるわけだし。 FF3は確かに面白かったね。
ドラクエもFFもファミコン最終作で、有力スタッフが離れたんだが、
FFは脚本家、寺田憲ニが抜けたからね。
寺田憲二には抜けて欲しくなかった。 FF5が出た後だと、ブランドイメージがドラクエと同じくらいになってたけど、
知り合った人間とゲームの話になると、「FFって面白い?」なんて言う人が
何人もいた。 そらまぁ、ジャンプのファミコン記事は堀井雄二(ゆう帝)がライターやってたから、
FFは俺のドラクエパクりやがって、てな気持ちだったんだろ。 FFはむしろドラクエとは違うものを作ろうとしていたでしょう。
FF2は戦闘のバランスが滅茶苦茶だから、酷評されてもしょうがない。
面白いんだけどね。感動はしなかったけど。 桃太郎伝説もそんなに面白いとは思わなかったんだよねぇ。なぜに3位?
ハドソンのRPGなら天外魔境2だろうね。
俺はCD−ROMが高くて買えなかったから随分後にDSでプレイしたんだけど、
このクオリティをリアルタイムでプレイしたらドラクエやFFよりも評価したと思うぜ。
当時の同級生が凄い!って唸っていたのもうなずけるよ。 天外魔境2はこれでもかこれでもかというサービス精神が凄いノヨネェw
それでいて日本古来の怨念とか泥臭さ生臭さもしっかり根底にあって。
志村けんのバカ殿とかだいじょうぶだあみたいなカンジw
この頃のREDカンパニーを知ってる者としては、
新サクラ大戦で2期OPが無くてガッカリしたノヨ。 >>531
俺は全然。良質なRPG程度だと思った。
天外Uが悪いのではなく世間の評価が異常。
ゲームの歴史に残る名作の評価だったから、どんなのかと思ったら。
じゅげむの100選にも入ってたね。 天外はカラーになったゲームボーイ?ってくらい見た目が酷いからね
時々入るアニメシーンだけでよく評価を上乗せできるなあって感じ
やりこみ要素や自由度もほとんどないから繰り返し遊ぶこともないし娯楽が少なかったPCEオタクが持ち上げてる印象 >>531
桃鉄のネームバリューかも知れん
あるいはごっちゃになってるか >>534
マイナー機種にありがちな、過大評価ね。
トレジャーの前川社長が、メガドライブだから目立てた部分があった、なんて言ってたね。
ゲームアーツもそうだよね。 どんなに出来がよかろうと、もともとドラクエの真似をすることからスタートした「桃太郎伝説」は4大RPGに比肩しない
成沢:1991 べつに出来もよくないでしょ
ウンコネタがジャンプ放送局読者に受けただけw 女神転生もウィザードリィの真似かも知れないが、よく魔物を仲魔にするアイデアと、
魔物の合成というアイデアを思いついて、ゲームに落とし込んだな、と思う。 4大RPGなんて必本だけの言葉。業界的にはない。
必本のスレだからいいんだけど。 むしろ昔の国産RPGなんてシナリオに沿った固定メンバーがいなくてエンカウントした敵を仲間にする方が多かった記憶がある クリスタルソフトのアスピックもケンシやミノタウロス、スケルトンを仲間に勧誘する。 愛すべきクソゲー『燃えろ!!プロ野球』 バグ続出も売れすぎてしまった伝説のソフト
https://magmix.jp/post/30434
読者投稿コーナーに10円で売られるチラシで「情けねーな、ここまで落ちるなよ」
なんてのがあった記憶がある。 燃えプロは必本だとそこそこの評価だったな
ヒラ坊がバグとは気づいてなかったようだけどストライク判定のいい加減さを指摘してた 燃えプロのフライデースペシャルは買ったな
燃えろ大リーグボールはスローライザー 燃えプロとかも仕様とか知らないから
当時の子供はそれなりに楽しんでいたんだよなあ TV中継視点の画面。
ファミスタと違うリアルなグラフィック。個人のバッティング、ピッチングフォームの再現。
黒人選手の色が黒いとか。
オーロラビジョン。
音声入り。
ゲームそのものは滅茶苦茶でも、こんなのだけで嬉しかった。
クソゲーなのは否定しないが、それでも楽しく遊んでいた。たけしの挑戦状と同じく。 見た目は凄くいいからな
ぶっちゃけそれだけでミリオン行ったようなもんだし セガも燃えプロと似たようなゲームを出していたと思うが、
あちらは話題にもならなかったな。 >>550
サンチェが使えるだけで
当時の子供は大満足だw Gの西本が使えるのも燃えプロだけだったので嬉しかった >>536
必本かファミ通か覚えてないけど、宮路洋一氏とみそがスーパーファミコン待望論と不要論?を
ディベートしてた。
面白い事に宮路氏が待望論側、みそが不要論?側だった。
みそは可能性だけならメガドライブで十分なんて言っていた。
宮路氏とみそ、逆なら分かるんだが。 >>557
必勝本のVOL87だな
「蘇る」でも数ページフィーチャーされてる号だがレビュー含めディベートには一切触れられてない
他のディベートは
ドラクエ5をやりたいか? yesえのんNo井上尚美
ゲームの作者は名前をもっと明らかに yesベニ松No某王手メーカー社員 ハードの性能でゲームが面白くなるならゲームセンターがもっと面白くていいはずだ
みその発言だったと思うけどこれだけが妙に記憶に残ってる >>558
思い出しました!
ベニマツさんはクリエーターの名前をもっと明らかにせよ!で、
某メーカー社員は引き抜きが怖いって言ってまあしたよね。
でも、時代はベニマツさんの主張通り、作者の名前が出る方向になりました。
ゲーム業界も成熟したということですね。 >>559
ゲームが面白くなるためにはハードの性能は必要。
64がポリゴン時代を切り開いてから性能は上がり続けたけど、
それを否定したら、今のゲームはないしね。
一方で、ハードの性能がなくても、あるいは性能を十分に使っていなくても、
面白いゲームは作れる。 ゲーム制作者の名前を出せというのは必本のPCエンジン増刊号でさくまあきらも言ってたな
ちゃんと作り手に責任持たさないとゲーム業界が長続きしないと スーパーマリオ3の取り扱い説明書に
開発者の名前が明記されていたのは印象的だった。
ディレクターは宮本茂じゃないのか、なんて思った。 >>559
原文と殆ど同じだ
記憶力凄いね
ちなみにそれに続くのは
「ファミコンより能力が落ちるゲームボーイが面白くて、
売れているのはハードの良し悪しですべて決まる事を如実に語っていると思う。
絵やサウンドの良さじゃないんだ」 >>560
メーカー社員は責任はメーカーブランドが背負うべき、という考えだったね
ゲーム作りは映画・小説よりも新聞や週刊誌の個人の関わり方に似ている、と結んでた 名前は出して当然だとは思うが
あいつが悪いとか
ろくな根拠も無しに言い出すアホは嫌いだ ドラクエ12は作ってるんだろうか?
天空シリーズで。 11が付いたはぐれメタルの2DS持っているけど、ドラクエ11はまだプレイしていないw ドラクエ3の時に、堀井雄二がロトシリーズはこれで終わりと言っていたが、
まあ、見事に完結していて、ロトの称号と言うのは一体どのようにしてできたものなのか?
なんて考えた事はなかった。
あの当時だと堀井雄二自身も考えていなかったのかどうなのか。
ドラクエ11発売前後の堀井氏のインタビュー記事などは見てないので、そういった
事を語っていたのかも知らないんだけど。 そもそも1しか構想してなくて、評判良かったから2を作ることになって、
3は完全に後付だけどロトの話が上手くまとまった堀井雄二自身が言っているから、
11もほぼ完全に後付でしょう。 1のロトがご先祖様設定も先人の教えに沿って攻略しやすくする、というのが目的だろうからな 勇者の子孫設定もとにかく他のゲームにはまだ無い設定を
入れたかったらしいよ
小説や漫画ではありふれていてもゲームではまだあまりなかったから
あとローラ姫を途中で助けられるようにしたのは姫を魔王から
助けておしまいってゲームばかりだったから しかし当時の堀井はゲーム作って、ファミ神やって、必本の連載やって、アウトの読者コーナーやって
いつ寝てたんだろうな わりと早い段階で組織(事務所)は作ってる
資料集めのアシスタントとかも使ってた
とはいえそれでも死ぬほど忙しかっただろうけど
ロトシリーズまでは村人1、村人2とかのセリフも全て自分で
書いてたらしいし
ドラクエ1の頃は追い込みになるとチュンソフトでデバッグ作業の
助っ人もやったらしい >>571
1を作っていた時には2、2を作っていた時には3が頭にあったなんて言ってた記憶があるね。
さすがに11は完全後付けかね。
必本にドラクエのウィズ友の会みたいなコーナーがあった記憶があるが、そこでも「そもそもロトの称号と言うのは
一体どのようにして生まれたものなのか?」なんて事が言われたことはなかったんじゃないか。
少なくとも俺の周りでは一人もいなかった。
リメイク作品を作ってるうちに、スタッフの誰かが言ったのか、堀井雄二自身が考えついたのか、
2ちゃんねるでその事を書いてた人がいたのか、サイン会なんかでユーザーに言われたのか、
堀井雄二に教えて欲しい。 でも実は小説の精霊ルビス伝説にその答えがあるんだよな
だから当時からそういう疑問を持っていた人はいるし、
一応、準公式?でその答えを出してはいた
中学生だった自分もなんとなく小説で納得してた
ロトの名ってこれがルーツなんだって
他のドラクエ本だと「知られざる伝説」とかでロトのルーツを扱われて
なかったのが意外だが、精霊ルビス伝説が先にやったからだろうな
逆に知られざる伝説のネタを久美が小説に取り込んだりもしてたし
お互いにサイドストーリーを補完しあってた感じ。堀井のいないところでw
つまり11は堀井が精霊ルビス伝説の説を30年近く経って否定した形になった ――ドラクエシリーズ全体のストーリというのは、Tを作る時から頭にありましたか。
「いや、全体のストーリーは、Tの時はまだ考えてなかったね。」
――その時点ではTだけ?
「そう。システム的には、Uをつくる気はあったんだけどね。」
――じゃあ、全体のストーリーができたのは、Vをつくる時だと。
「いや、Uをつくり始めた時には、Vの構想はあったから、Uをつくる時に全体のストーリーができあがったんだよね。」
JICC『ドラゴンクエストVマスターズ・クラブ』1988、P.6
「たしかに、ロトって聖書に出てくるんだけど、特にそれを意識してつくったわけじゃないんだ。語感がカッコイイんじゃないかと思ってつけただけなんだよ。あと、3人の賢者のことは、たしかにそう考えるとつながる部分はあるね。ただ、逆にあの後、勇者ロトは母親のトコロに仲間をつれて帰った、と考えてくれても良かったんだよ。だから、勇者ロトは最後に行方知れずになっちゃったんだよね。」
JICC『ドラゴンクエストVマスターズ・クラブ』1988、P.45
※3人の賢者のこと=Tの3人の賢者はVの勇者の仲間という読者の想像 11のさかのぼる前の世界は、パラレルワールドって事らしいけど、まあそこらへんはね。
ゲームなんだから。
3の最後、表の世界との間を、閉じてしまうのも必要なかったかもね。 VかWの時、ファミ通での宮本茂との対談で、未来神話ジャーバスが世界地図を採用していたから、
Vのマップをどうしようか悩んだなんて言っていた。クソゲーなんか気にする必要ないのにと当時思ったが。
そんな堀井氏は11発売、前年の「君の名は」の大ヒットをどう思ったのだろうか?
やり直し設定なんて、もう使い古されている、誰が使っても良い設定だったろうけど、
さすがにあそこまでの大ヒット(にふさわしい内容でもあった)は思うところあったはず。
よりによって、来年11を発売するこのタイミングで、まいったなーなんて思ってたかな。 流石にやり直し設定で君の名はは意識しないだろ
それ以上のメジャータイトルが山ほどあるうえ君の名は自体がパクリの塊なんだからw そういえばドラクエ7も過去に遡って、やり直しゲームだったね。 ドラクエ11はロトゼタシアと言う名称と、OP曲がVまでの曲に戻っている事で、このスレの人たちは
ロトシリーズだと思ってやっていたでしょうが、もしOP曲がW以降のものだったら、
ロトシリーズだと思っていたでしょうか。
ロトゼタシアだけだと、ロトシリーズだろう率が8割減ぐらいになっていたと思うのですが、
その方が良かったような気がする。 OP曲にVまでのを使用するのは、過去世界に戻ってからにした方が良かったのではないか。
あるいは最後までOP曲はW以降の物で通すか。
Vは容量の関係で、OPそのものが削られて、VではおなじみのOP曲を聴かずにやっていて、
最後にたった1回だけあの曲が流れた事により、余計にあの場面が引き立った。
制約だらけゆえの、偶然の産物。
11も、そうしていればVと同じくロトを告げられた場面でのみ、あの曲がたった1回だけ流れた、
29年前の再現ができたんだけどね。
もちろん違うのは、曲の出だしの部分だけなんだけど、その違いは大きいよね。 DQ11って発売前に主人公の彩色が竜王と同じだから1の前の時代の話で竜王の物語なのではって言われてたなw 3と1の間が何年経ってるかは結局公式では明かされてないんだっけ?
なんとなく2〜,300年って感じだけど
でも、ゆきのふってそんな遠い先祖ではなかったっけか 蘇るファミコン必勝本を読んだけど、さとみちゃんフィーバーはほとんど印象に残っていない。
でも、今更ながら、あのイラストは可愛い。
当時高校生のアルバイトだったらしいから、もう連絡も取れないのだろうけど、
せっかくならあの人は今のコーナーが有っても良かったんじゃないかな。 3の王様がラルス1世で1がラルス16世で
在位期間が平均30年+αとすると500年ぐらいカネ?
ムーンブルク王女が勇者は覚えないバギやイオナズンを使えるのは
ローラ姫=ラルス王家が賢者の血筋ナンカネw >>あの人は今
とりあえずそのさとみを描いてたかねことか、あとはみそにマイク向けてほしかったよな
いまだ業界にいるんだからさ スレの最初の方でも言われてるけどヒラ坊とかベントスタッフの面々のインタビューすらしてないからな
まあ無断盗用ライター松原圭吾が関わってる時点でろくなもんじゃないけど >>588
そんなに行かないんじゃない?
中世の世界観だとすぐ死んじゃったり、譲位したりってあっただろうし
徳川将軍も足利将軍も15代だけど240年と270年程度だった
江戸時代の天皇も16人だったし
そういえば4と5の間も何年経ってるか謎か
こっちは4の国や町が全て滅亡してるから千年くらい経ってそうな気がするが ……→ラルスZ世→ゆきのふX世→カンダタV世→トンヌラ]世→ラルス[世→……
といった系譜なら何千年でも稼げるけどね。 厳密に決めなくても良いことを真面目にやると
安彦ガンダムみたいな蛇足が出来る >>587
手紙が家に残っていればツイにでもあげて筆跡鑑定のプロたちに鑑定してもらえるのにな 次の蘇るHIPPON SUPER!!でヒラ坊、ベニ松、手塚あたりのインタビューがあれば、と。 別に甦る出さんでもベントスタッフ行けば一発で全部聞けるんでネノ ドラクエ4が、11の本家本元のロトの物語だったならば、ロン毛にはならなかっただろう。
あの時代のロン毛のイメージと言えば、長州力か武田鉄矢。 ドラクエ2の後の話を出してほしいのだよね。
歴史を見れば、新政権を打ち立てるまでは皆結束するのだけど、
出来上がったら内紛ばかりという例が結構ある。
室町幕府だって足利尊氏と弟の直義が争った観応の擾乱があるし、
その後も室町幕府と関東公方が対立したりと争いばかりだった。
悪の魔王を倒しました、めでたしめでたし、のその後を描いてほしいんだ。
ローレシアの王子とサマルトリア王子の血みどろの戦いと、
それに介入して王の座を狙うムーンブルク王女の野望を。 80〜90年代のゲーム雑誌業界の出来事を本にしてくれる物好きいないかな
「角川アスキーのお家騒動からインドマン骨折まで」って感じで そんなのまとめる物好きかつ根気あるライターなんておらんでしょ 自社や自分の自虐系エッセイならともかく
同業他社・他人をいじるようなのは流石に厳しいでしょう
ベントスタッフ内部で思い出レベルなら可能だろうが インドマンが大手重機メーカーの御曹司で幼稚舎から慶応と知った時はびっくりした インドマンがTV番組の取材で収入を聞かれた際、「ゲゲッ。同世代のサラリーマンの2倍から3倍」なんて
言ってた記憶がある。3倍から4倍だったかな? ファミコン必勝本といえば、スーパーマリオ9−1だけど、
そもそもあんな荒業、誰が発見したんだ?
オレも子供とはいえ、よくあんな事やったと思うよ。 必勝本本誌やバグボーイクラブの単行本に名前は載ってたけど実在の人物かどうかは不明
とはいえネタがネタゆえにメーカーからのリークの類ではないだろうから
誰かが解析か何かで見つけたのは確かだろうけど ベニーや手塚のほうが好きだったのに、佐山が出世しちゃったな こういう賞って書いてる内容よりも同業やオッサンに取り入る能力ダカラネw まあ順番からしたらセレクトはメモリが初期化されない事に気付いたか考えたかした人が
あとは都合のいい数値に書き換わるタイミングやソフトを色々試した感じかなあ
バックアップのソフトとかも書き込みタイミングでいじるとバグると想定して色々試したら再現できるようになったりしたし 出世というか、馳名義で「不夜城」出したの24年前だぞ
ゲーム関連でも「龍が如く」のシナリオ監修で名が知られてる そういやヒッポンでの佐山アキラの仕事ってほとんど記憶にないな
真メガテンのレビューで3D苦手だからみたいな理由で低評価下してた事ぐらいしか思い出せない ファミコン必勝本1990.8.3 100号記念特集号より 一部省略
亀仙人松っちゃん思い出を語る
必本で一番印象に残っているのはなんてったって、日本中を巻き込んだ『スーマリ256ワールド』に尽きる!!
まあこの手の企画にありがちなんだけど、今だから話そうシリーズとして、あの謎に包まれた『スーマリ256ワールド』
の出生の秘密?をバラしちゃおうではないか100号記念ツーことで。
思い出そうとしても思い出せない、必本創刊の頃。本誌で特集した『スーマリ256ワールド』を見て編集部に一人の小学
生が遊びに来たのじゃった。で、入ってくるなり編集長の井上さんをつかまえて「オジちゃん、スーマリの9−1の出し方
どうやるか知ってる?」「当たり前だろう。ウチの本に載っているくらいだから知ってるよ」 本当は9−1の出し方など
知らなかったヘンシューチョ。チョッピリ狼狽しながらも、ガキンチョに質問を浴びせたのだった。サスガ。
「ワタシは知っているけど、キミのやり方はどうやるんだい?」得意がってガキンチョはやって見せたのである。あの有名
なカセット差し替え技を!だんだん言葉使いの変わっていくヘンシューチョ。「ぼくう、私のやり方と同じだ、ワハハ・・」
こうして、『スーマリ256ワールド』は、スクープされたのだった。 >>610
ベニーは宮部みゆきに絶賛されるという勲章があるからな
リアルタイムで聴いてて誇らしかったよ
>>614
コブラはエロじゃなくてセクシーなの!と力説してた >>616
全然記憶にない…
コブラといえば今は亡き北枕獲が寺沢武一にインタビューしてたのは何となく覚えてる >>617
スーパーになってからだしな
でも北枕インタビューに近い号で言ってるはず
>>618
実際はある単行本の著者をべた褒めしてたらスタッフからベニーだと報告が入った
俺も最近のゲームは知らないからもしかしてベニーの事かなと思ったらそうだったんで無茶苦茶嬉しかったね 佐山って誰かと思ったら板東齢人のことか
今は佐山と前田をくっつけた名前を使っているのか 佐山アキラ=馳星周と言われるけど、全く記憶にないよ佐山って人。
ヒッポンで小説ならベニーと手塚だしね。
馳星周の不夜城は面白かったけど、Hで出すことを「俺は爆ぜた」と表現したこと以外に文章の印象は残っていないんだ。 まあヒッポンで小説書いてたわけでもないしね
もっともライターとしても記憶に残る存在でなかったけど 小説家になったのは書いていたゲーム雑誌がなくなったからだと言っていたから
実は物凄く関係があるw SFCウィザードリィVのレビューが印象に残ってるな
全編キャラ同士の会話で「酔いどれの墓標」の前日譚的な内容だった 俺たちは全員灰になったってオチのやつだったか
あれはレビューではなく別の何かだっけ >>615
うーん、この裏話だけど、信じて良いのかいけないのかよく分からない。
何かと物議を醸しだしたので、裏話という体裁をとって、小学生のせいにしたのかもしれない。 >>626
コミック版ウィザードリィの巻末コラムだと思う
ヒッポン本誌でウィザードリィVをレビューしたのは伏見健二 コミック版ウィズだったかd
全巻持ってたけどかなり前に処分しちゃったな… >>615
ファミマガはノイズだの何だの、宮本茂のコメントも載せていたような記憶は曖昧だが、
理由付けて、やり方を掲載しなかった。
当時ファミマガを買っていた俺には、スッパ抜かれた負け惜しみにしか思えなかった。
遅れても載せるべきだったよ。今思い返しても、見苦しい負け惜しみだよ、あんなの。
ファミマガしか買っていなかった読者の事も考えろよって。
ベースボールの端子部に金具を接触させる裏ワザのように、本体が壊れると言うならともかくだ。 ポプコムのレーニンの方が記憶にあるな
失恋の悩みに対して「クタクタになるまで運動をしろ(マジ)」と答えてた(気がする) >>630
ウル技の単行本の前書きで256Wもあったと売るためなら平気でウソを載せる雑誌もあったとか
名前こそ出さなかったけど露骨に必勝本批判してたな
ファミマガ本誌じゃ魔界村攻略記事にアーケード版のマップ載せたマル勝を
これまた名前出さなかったけど厭味ったらしく腐してたり
なんか妙に正義ぶってるというか、暗に自分たちが正当みたいなアピールしてるファミマガの体質が凄い嫌いだったわ ファミマガ編集部は他の攻略本雑誌の編集部から嫌われてて、
合同イベントやる時でも一社だけハブられてたって話だったな。 そういやナムコの編集部対抗ゲーム大会には一度も出てなかったな
さもありなん 王者ファミマガが負けるわけにはいかないのです。
勝っても自慢にならないし。
ファミコン必勝本が対抗ゲーム大会1位を大特集したのも負け組の意地なのです。 そういう変なプライドというか選民意識というか
お前らとは違うって見下し感が常にあったんだろうな ファミマガの妙なプライドの高さは老舗だった徳間書店の体質だと思うな
あと任天堂ソフトの説明書も作ってたし、バグ技認めるわけにはいかんかったんでしょ あの頃は徳間と角川は色々被っていたが
どっちかと言えば角川の方が格上感あった >>637
あとファミコン雑誌では一番最初に出たってこともあるから、余計に他誌を認めたくなかったんだろうな
まあ他誌批判はもとよりウソ技絡みのエピソードとかも含め、本質的に陰険だと思ってたけど でもファミマガはファミ通だけは対等のライバルとして認めてた気がする
ファミ通はファミ通でヒッポンのサブカル的なノリを参考にしつつ
打倒ファミマガなムードがあったが でも、ファミ通って最初は大コケしたんだよね。
TVCMも打って部数もかなり刷ったのに売れなかったって浜村さんが言ってた。 確かに最初の頃は正直パッとしなかったな
あの頃はハイスコアの方がまだ売れてたような気がする >>641
「どーして僕は父さんに勝てないんだー!」
「それはファミコン通信を読んどるからじゃよーん」
とかいうやつだったな
すぽぽーん! >>640
ファミマガ2代目編集長・山本直人の著書にファミ通のガスコン金矢から電話がかかってきて
ス−パーマリオ2の9面の出し方を教えてやって、当時の編集長に怒られたそうだ
パソ通でファミ通の初代編集長の小島文隆とも交流があったらしい 角川で思い出した
マリオのワールド9の初出って86年2月頃のコンプティークが初? 最初はファミマガしかなかったから、ファミマガ買ってたけど
いつしか乗り換えたね。86年のマル勝も面白かった。
それからファミ通、その後必本も合わせて買うようになった。
周りの奴にファミマガ買ってる奴なんか、いなくなってた。
あんなつまらないのが、結構生き残ってたんだね。
ファミ通だけが、広告の量が異常に多かったね。 ファミマガは良くも悪くもオーソドックスというか正統派の誌面構成で
他誌より没個性な反面癖もなかったから
そういうところが好きな読者も相応にいたんだろう
ヒッポンなんかはやっぱ読者選ぶようなアナーキーな内容だったし ジブリが出た出版社ダケアッテ
親が子供に安心して読ませられる雑誌だったんデショ。 ファミマガは攻略記事に関してはマイナー作品もある程度網羅してたからね
必本は本誌と攻略本で棲み分けしてた感じ ファミ通はオーソドックスな作りもやりつつ必本に倣って
ライターや編集者のキャラ立てをしたり、読者投稿コーナーで
シュールでマニアックな笑いを取り込んだりもしてた
ゲーム記事よりゲーム帝国が楽しみで買うとかマジであったし
漫画やコラムにも力を入れてた
結果的に各ファミコン誌のイイ所取りに成功してトップになり、
唯一の生き残りになったな ファミ通の誌面のノリは基本的にログインの系譜だし
コラムに力を入れたことも含めてポパイあたりにその源流があるんじゃない
必本にしてもその点は共通だとは思うが 唯一の生き残りになったのがいつ頃なのかも知らないが、たまに読んでもまるでつまらないね。
最初ファミマガしかないから売れていたのと同じ状態ではないか。
それがファミ通になったってだけで。 ファミ通は週刊化のタイミングが絶妙だったな、スーファミ発売後他ハード含めて作品数が急増する時期で
新作情報の鮮度では大きなアドバンテージがあった ヒッポンに関してはサブカル雑誌の元締みたいなJICC出版が刊行してたってのもあると思う 当時あったファミコン攻略雑誌って、
ファミマガ、マル勝、ファミ通、必本、ハイスコア、ビープ、後なんかあったかなぁ。
コンプティークやログインはPC系だし、単発だとファミコントップとか。 とりあえずゲームボーイとファミコンチャンピオン
他にも短期で消えたのがいくつかあったと思う コンプティークはパソゲーの記事少ないネタで
ファンロードの柱に採用されたことがある ファミコンBESTってのもあったなあ、キャラメルママが深く関わっていたらしく亀仙松ちゃんや鈴木みそが記事書いてた
あとわんぱっくコミックも一応ファミコン雑誌になるのかな その中でファミコン必勝本を選んだのは250円という破格の安さだったから。 今定期刊行しているゲーム雑誌ってファミ通(週刊)、ニンドリ(月刊)、電撃Nintendo(隔月)くらいか
エロゲ雑誌はBugbug、テックジャイアン、メガストアと月刊誌が3つも生き残ってるのに ゲーム雑誌の存在価値ってほとんど失われてるような現状だからなあ
ファミ通なんてもう10年ぐらいまだ出てたのって言われてるような気がする もう近所の本屋がなくなったからエロゲ雑誌を見ることもないんだが、まだ存在していたのか。良かったよかった。 浜村通信がネットはゲーム雑誌の敵って言ってたが
まあその通りだったよな
読者投稿ひとつ取っても何か面白い事思いついたら
ハガキにいちいち住所氏名を書いて送るよりも
ちゃっちゃと目の前のPCか携帯電話に書く。そんな風に00年代に
一般人の行動がモデルチェンジしちゃった
肝心のゲーム攻略も雑誌買わずともネットで一瞬で見れる
スマホがある今はどっちももっとお手軽になってる
これで雑誌が衰退しない方がどうかしてる >>661
その値段も確かに理由の一つだったし、しかも面白いんだよね。
俺はファミ通と必本の2冊を買ってた。87年から。 当時は専用の攻略本が出ないゲームは、攻略雑誌が頼りだったからなぁ。
ここで言うのもなんだが、俺はマル勝派だった。
不如帰の武将パラメータリストとか、ウルティマ3のダンジョン全MAPとか、
星をみるひとの「みさ」を仲間にする方法とか。
必本はベニ松の小説目当てに一時期買ってたかな。 個人的にマル勝の印象ってマダラ連載してた雑誌で、正直ファミコン雑誌としての印象はあまり残ってない
まあファミマガもファミ通もほとんど読んでなかったマイノリティなんだけど ファミ通が週刊初期の一時期に漫画がやたら増えてたんだが、
あっという間に皆リストラされて玉吉、みそ、岡崎つぐおしか
残らなかった覚えがある。羽生やるるるはその少し後かな
そういえば永井豪の連載もあったんだよな 隔週の頃から続いてたこやま基夫(アバタモ☆エクボ)も
週刊化後けっこうな期間続いてたはず
ファミ通は隔週の終盤にマンガ大賞ってのやってたから羽生生やるるる、
あんこなんかはその出身者
4コマは吉田戦車にまついなつきが週刊当初から描いていたが(吉田戦車は隔週から継続)
まついなつきも1年経たずに連載終了してた 大トロ倶楽部の片山まさゆきなんて終了時に新連載の告知出てたのにそのままフェードアウトしてたな >>666
ファミ通が衰退したのはゲーム雑誌で実質一人勝ち状態になって
驕ってたというか増長してたようなところもあったから
幾分そういうのも作用したと思う 玉吉はアスキー生え抜きだけど片チンは当時から若くして人気作家だったのに
よくファミ通はスカウト出来たな
ぎゅあん自己、ヅガン、大トロの三誌同時連載とか凄かったよ
この合間に出版社の麻雀大会とか雀荘経営とかもやってたんだから(潰れたけど) 必本は文字中心だったせいか、小説、コラムは充実してたけど漫画の印象はないな
ファミ通は売れっ子が書くことも多かったし
マル勝はメディアミックスの一環としてマダラやってたし
お堅いファミマガでさえ、神崎将臣のスト2がヒットしたしな マル勝はFF3のマンガもファミコン〜スーパーファミコンにかけ
2年間ずっとマダラとともに連載されていた
ゲームでシナリオ担当の寺田氏原作、スクウェア協力という事で
オリジナルながらゲームとの関わりがあるキャラが多く出てくるなかなかの佳作だった マル勝は矢野健太郎のドラゴンバスターもあったな
必本は創刊当時は若林健次とすのうちさとるのまんがが載ってたけど
若林は半年ほどでモーニングに移って、すのうちも1年ちょっとで連載終了
それから3〜4年ほど間が開いて石垣環のウィズ漫画連載だったか
あと必本というかJICCは一時期単行本描き下ろしのゲーム原作漫画よく出してたね あーあったな、ドラゴンバスターのマンガ
初期のマル勝はマント犬(ファミ通のネッキーみたいなマスコットキャラ)のマンガと
その2つがだいたい名前が挙がってくると思う
ファミマガも初期や後期にいくつもマンガが連載されてたんだけど、
たぶん一番有名なのはマンガトピックスっていう業界ネタものじゃないかと思うんだよな
あのディスクカードのキャラクターや仙人とかが出てくる奴
必本は全盛期と良く言われる80年代終わり頃が丁度マンガ空白期間だから、
印象がないのも仕方ないな ゲームボーイはファミコン丈載せてたし
漫画全く載せてなかったファミコン雑誌ってハイスコアぐらいか
もしかしたら載ってたのかもしれないけど自分は記憶にない… ファミコンチャンピオンって馬鹿にされがちだけどw俺は少なくともハイスコアよりは
好きだったんだよな
さすがに漫画出版社だけあってゲーム誌の中ではギャグマンガ層が強かったし
ややアバウトでカオスな感じの誌面も嫌いじゃなかったから休刊の時は
えーっ!って
結局ハイスコアよりも長持ちしなかったんだよな あとあれだ、たぶん少年漫画誌からのノウハウなんだろうが、
表紙のゲームキャラのイラストと、その号で扱ってるゲームタイトルの文字が
バカでかくて、スタイリッシュさのカケラもないw俗悪さが逆に子供心に
好きだったのかもしれない
ファミ通はネッキー、ファミマガはファミコンの擬人化キャラ(名前知らない)で
毎回表紙を固定してるスタイルだったが、ファミチャンはとにかく色いっぱい使って
ゲームキャラの全面押し出しで賑やかだったんだよね ずっと後の話だが
チャンピオンのゲームページは
結構率直にレビューしていて
そこだけ読んでいたな >>あと必本というかJICCは一時期単行本描き下ろしのゲーム原作漫画よく出してたね
海明寺裕のFF漫画がとても好きだった
後年の作品群を知った時は軽いショックだったぜ マル勝はちょくちょくヴァグランツの人がコンプから出張してカットを描いてたね
今思い出しても上手いカットだった
流石 >>681
ファミコンチャンピオンって個人的には短期で消えたイメージがあったけど
実際は89年まで出てたのね、失礼
あと編集長が元週チャン編集長の阿久津だったのも知った
ハイスコアは攻略一辺倒の硬派な紙面構成が災いしたか
ドラクエ2の出版差し止めの件以降一気に失速した感 >>686
平綴じになって復活した後のハイスコアはコラムページが面白かったな
衛藤ヒロユキのガンガンに描く前のコラムが特に
あと休刊号が発売前のファイナルファンタジー3特集だったんだけど、画面写真にシレッと忍者賢者が紛れ込ませてたアナーキー具合 前に国会図書館で初期のハイスコアを読んだ事があるんだが、
問題になったと思われるDQ2の記事のページが丸ごとごっそり切り取られてやんの
あれって訴訟沙汰になったものだから図書館側が自粛として切り取ったのか
ベルセルクの「深淵の神」の回みたくどこかのバカが貴重だからと切り取ったのか、
どっちなんだろうな
ちなみにそれまでハイスコアは毎号ドラクエ2の特集をしてたのに、次の号からは
いっさいドラクエ2を扱うのやめてたw
だからこの切り取られた記事の号が問題だったんだなと分かったんだが
余談だがハイスコア創刊号の頃って丁度ドラクエ1発売の直前だったんだが
新作紹介記事は小さなもんだった。他の無名の新作ゲーと変わらぬ扱い
これは他誌も確認してみたい ハイスコアは裏技のページではドラクエ2扱ってたけど
何かにつけ他誌では自主規制してたシドーとかの名前出してたな
出版差し止めされた恨みなのかもしれないけど正直見苦しかった
ドラクエ1は必本だとそこそこのページ割いて特集してたと思う
一番記憶に残ってるのはてつのさそりを2つのさそりと誤植してたこと ファミマガのザナドゥの紹介記事でRPGを知ったような記憶がある。
タイトル画面と武器屋の画像写真だけで、面白そうだと思った。
結局ザナドゥではなく、ハイドライドやドラクエでRPGに触れる事になったのだが。 ファミコン通信の創刊とドラクエ1の発売がほぼ同時期なんだが
創刊から冒険記的な内容で毎号紹介されてたし
その後付録として冒険ガイドブックという冊子も出していたな
RPGという存在自体ほぼ知られてなかったうえに
発売時期がマリオ2と1週間しか違わなかった事もあって
売上ランキングでも最高2位だったり今とは比べ物にならない話題性ではあったが
それでもそれなりの話題作として扱われていた感じ そういやドラクエ1とマリオ2は同時期発売だったか
必本はマリオ2も攻略情報含め結構ページ割いてたけど
ゲームレビューは結構辛辣だったな ハイスコアは誌面でも発売前後半年くらいプッシュしていたゾンビハンターが10万本と
雑誌の売上増につながるほどは売れなかったのも痛かった ゾンビハンターはお世辞にもあんま面白くなかったからなあ
あとファミマガがエグゼドやゴーストバスターズなんか出してたから
ゲーム雑誌の関係するゲームはつまらないみたいな印象も少なからずあったかも ドラクエはジャンプが取り上げていたからな
ゲーム雑誌を全く読んでいなかったオレでも知っていた 最初にどこかの誌面で見たDQ1の画面って武器屋で買い物してる所だったんだよな
どうのつるぎ……180ゴールド みたいな
FCしか知らない小学生なので、こういう風に金を貯めて「買い物」って概念のゲームは
知らなかったのでワクワクした
テキストゲーはポートピア、剣と魔法のファンタジーはドルアーガの塔で経験済みだったので、
それが一番新鮮だったんだよな >>688
ハイスコア出してた英知出版潰れちゃってるしどこにも残ってないか
大森田不可止がツイッターで言及したことあったけど、彼の元にもさすがにないか
あと国会図書館はファミマガの創刊号や創刊100号とか欠品になってたな
必勝本にいたってはHIPPONになってからしか置いてないし結構いい加減 自治体とかの図書館は別として
国会図書館に納本する義務は(罰則はないが)出版側にあるんだから
出版社がいい加減なんだよ >>697
マニアかコレクターは持ってるかもしれないけど、まあ放出したりとかせんだろうな ドラクエ2はリンクと発売日が1日違いだったな
1月26、27と
どっちがどっちだったかな >>696
ゼルダをやってた俺には、武器を半額で引き取ってもらえる事が新鮮で嬉しかったね。
ドラクエ1は強い武器、防具に替えたら、戦闘で明らかに実感できたね。
鉄のオノを買ったら、鉄のオノで叩いているような感覚。
ドラクエ2もそうだったし、果たしてその感覚が続いたのは何作目までだったのか。 >>702
3までかな。まあ4もそうだったかもしれない
5になると武器がどうこうよりモンスターが仲間になるから特殊能力が目立ってきちゃって
6以降はもう完全にそう。凄い武器を手に入れた、みたいなワクワク感は無くなったし、
戦闘でその武器を使ってる感覚と快感みたいなのも無くなった
まあそういうゲームシステムとか以前に、そうやってゲームの世界と一体化できる
感覚を持てる魔法の時間(消防時代)が終わっちゃったからかも 3になるとこちらの戦術も多彩になるのでちょっと感覚が弱まってる気もするな
4は〜4章まではその感覚が〜2に戻ってる気もする >>693
ゾンビハンターが10万本も売れたというのが意外 86〜87年ってファミコンバブル状態でどんな作品でもある程度は売れてる感じあったからなぁ
ソフトの発売数が激増して粗製濫造状態になった事もあって失速していくんだけど
あのたけしの挑戦状が50万を軽く超える数売り上げてるし… ファミコンバブルの始まりって85年のスーパーマリオの発売がスタートで、
翌年のハドソンの全国キャラバンで高橋名人ブームが全盛期を迎える
でもハドソンがPCエンジン立ち上げてFCから離れてしまって、
子供人気の覇権をエニックスのドラクエに奪われたあたりまでが最高潮だったな
昭和最後の4年間がファミコン黄金期中の黄金期
あれほど子供たちが一つのゲーム機だけに熱中した時期は無いし、今後永久になさそう 国図の必勝本まだ入ってないのか
持ってる人はしんで家族にゴミ回収出される前に寄付したほうがいいな 近真理だの断捨離だの。
20年ぐらい前に、そんな言葉はなかったが、やっちゃったんだよね。
必本もファミ通も年末特大号とか、堀井雄二などのインタビュー記事などがある号を
除いて、捨ててしまった。捨てなきゃ良かったなあ。
ヤフオクで高い金払って買い戻したりして。まあ、子供の頃と違い金はあるから
なんとかなるんだけど、やっぱり後悔だなあ。 雑誌って大抵取っておかずに処分しちゃうものだから、現存率がどうしても低くなるんだよな
ファミコンとか当時の子ども向けコンテンツだと、所有者本人が雑に扱うし尚更 ドラクエは苦労してゴールドためて高い武器や防具を買ったときの快感が良くできている。
凡百のRPGはその辺のバランスがいい加減だったりする。 創刊号から攻略の帝王まで一応全号揃ってはいるけど、現時点では手放す気はないな
もっとも保存状態はそんなによくなく攻略ページに自分でデータ書き込んでたり
創刊号とか一部の号はページが欠落してるようなありさまだけど >>712
編集部からみそが抜けたのって何号頃?
もし覚えてたら教えて欲しい
一時期買うのやめてて久々に買ったらいなくなってた 読者コーナーにみそさん戻ってきてという、イラスト付きのはがきが来てたの思い出した
でもそれが載った時期を含め、みそが抜けてたことに関しては正直記憶あいまい…
本誌確認して回答したいところだけど、現在全号まとめて物置にしまってるから即答できない、ごめん
連日の雨で出すのも厳しい状況なので数日ほど待ってちょ 中国では消えてしまった娯楽系の本が
日本で大事に保管されていたなんてこともあるね
向こうじゃ読み捨てみたいな扱いで残らなかった 日本人てやっぱコレクター気質みたいなところあるのかな
みそに関して若干思い出した
88年半ば頃だったかに行われた、ナムコの編集部対抗ゲーム大会の2回目も必本チームで参加して、
ファミリーサーキットでぶっちぎりの1位になってたから、少なくともこの時期までは必本にいたはず >>716
3月の43号だな
俺はそこまでは買ってて次から空白期間に入ってしまった みそがジャンプ編集部にいたのは必本の前?後?
あんたっちゃぶるの連載が始まった時、必本は読んでなかったので、
ああ、ジャンプ放送局の単行本に出てたあのお兄ちゃんか、って思ったな
ライターとして雑誌にいた人が、その後、漫画家先生としてその雑誌に凱旋とか
珍しいパターンだよね
あとは衛藤ヒロユキくらいか。あの人もDQゲームブックとかでライターやってて
のちに漫画家としてエニックスに凱旋 ジャンプにいたのは必勝本の前だよ。ライターとして本当にハシリの時
確か鈴木みそって名前自体マシリトの命名だったはず そのマシリトが担当していた猿渡哲也が海の戦士連載してた時アシもやってるのよな
後日ごいんきょクエストでクイズのネタにして、ヒントとして多分誰も知らないマイナーな先生(失礼)なんてやってた
ジャンプ放送局は多忙なさくまに代わって参加したけど大学の単位がやばくなって降板だったっけ
1年もいなかったような気がする 猿渡先生といえばある日ファンの女性から電話かかって来て、向こうの家に行く約束をし、
実際に行ったらしいんだが、後日みそが「どうでした?」って猿渡先生に聞いたら
「聞くなみそやん。俺もう電話帳に住所も電話番号も載せるのやめるから」
と先生が言ったらしい
「よっぽど怖い目に遭ったらしい。そんな猿渡先生も今では女房子持ち」
と、あんたっちゃぶるで若き日の思い出を暴露してたなw それは初めて知った
海の戦士はアンケでジャンプ放送局にも負けて、担当のマシリトからもボロクソに言われたと後年のインタビューで言ってたな
絵柄とか作風的にジャンプには合ってないなと当時でも感じてたから、青年誌に移って大正解だった漫画家だと思う >>716
その第2回大会でファミ通の浜村弘一とみそが初めて会ったと、あんたっちゃぶるで書いてたな
それが縁でファミ通で後に仕事もらったのかな
ゲームに詳しくてライター経験のある漫画家なんてレポート漫画には最適 ちゃっきりみそだよね。
オレの記憶ではナムコの編集部対抗ゲーム大会で活躍した後、
漫画家になりたいといって必勝本から離れたと思う。
その後、ファミ通で鈴木みそとして漫画を書いていたのは嬉しく思った。 ちゃっきりみそ時代も必本にイラスト描いてたのを後年見たけど
あんたっちゃぶる(の初回)より下手だったな。数年の間に努力したっぽい 下手つっても芸大油なんでデッサンの基礎は無茶苦茶凄いけどな >>707
バブルの始まりは84年末のゼビウスからじゃないかな
85年の春にはコロコロもボンボンもファミコン特集に力入れ始めたし
それに対抗してファミコン神拳も始まった
スーパーマリオが発売された頃にはもう加速しはじめてた印象 83年、いや84年の中頃までのコロコロ読みかえしてみるとゲーム関連の記事が
一切なくて凄く地味な雑誌だったな
ホビー関連といえばラジコンとチョロQの記事だけ
これが1年でファミコン一色に埋め尽くされるとは誰が予想したか
でもファミコンロッキーが失速し始めたころからゲーム記事のチェックは
コロコロとかよりもジャンプかファミコン専門誌に切り替え出すんだけどね
コロコロはビックリマンやミニ四駆も加わってカオスな感じになってきて
一つのゲーム記事があまり掘り下げられなくなってきたし
高橋名人を囲い込んでたからハドソンゲーとかには強かったが
RPGの攻略記事は弱かった >>730
コロコロは84年の6月号で一度ファミコンの特集をしていた記憶がある
すがやみつる先生の連載が最終回だったのとながいのりあき先生のコロコロ少年団の連載が始まった号だったと思う その記事覚えてる
コロコロでファミコンを扱ったっていうのが子供心にもちょっと驚いたから
そこから本格的にファミコンを扱うまでまたしばらく期間開くんだけど
あと初期のゲーム記事はファミコンだけじゃなくSG1000やカセットビジョンなんかも
一緒に扱ってた。当時のファミコンはまだ群雄の一人って感じだったな ファミコン少年団
単行本には未収録回があるとか。おとなのしくみも。
連載で読んでいたはずだが、何が未収録になったのか分からない。
読んでみたい。 安かったんで買うなら必本がデフォだったわ。
ベストプレープロ野球の発売元はファミ通だったが新データ版の選手パラメータは必本にも掲載許諾されてたな。
翌平成春の選手データはファミ通だけだったが ベストプレープロ野球は名作。
ベスト競馬ダービースタリオンも名作。 ベストプレープロ野球はSFCで作ってたらしいんだけどね。
SFCだから色々新しい事入れようとして、頓挫しちゃったんじゃないだろうか。
ファミコンでデータだけ変えて、低価格で出し続ければよかったのにね。
あるいはSFCだからって、別にグラフィックとか変えようとせず、基本ファミコン版のままSFCで
作れば良かった。 92年まで新データと日本シリーズ対応続いた。
エディット対応だから93以降の新データは暇人に入力してもらえって趣旨だろう
Windows版の後に新ベスプレがPS2でようやく出たけど
3D画面以外で目新しいのは牽制球と牽制悪送球ぐらいでは? ベスプレのWINをやって今更ながら気づいたのだが、SKIPの結果って何回やり直しても同じなんだよね。
つまり、試合開始前から計算で試合結果は決まっているんだよね(笑)。
突き詰めると、どこが優勝してどこが最下位かもも決まっている(笑いが止まらない)。
その辺りはランダムで計算すると信じていたのでなんか萎えました。
まぁ、プレイヤーが監督として介入することで色々変わるのでしょうが、
あるいは暇人プレイでシーズン中に選手の能力をいじるのなら変わるのでしょうが。 打撃指数1刻みでも変わるが
チーム順位は接戦でないと変わらんだろう。
FC初作はずっと広島監督でやってたが
セーフティバントが決まりやすかったから主力を何人か休ませても優勝争いは行けたが
2位以下の順位調整で他は主に大洋とか俊足多いトコも直接介入の傀儡に使った >>738
コンピュータの乱数は結局種からの計算計算で出しているからね。
普通は現在時刻や決定ボタンを押すまでの時間を種にして計算するのだけど、タコなプログラムだとそうなる。 ダビスタやウイポも馬なりで追うコース変えんと同じだったかな。
序盤で破産しそうな場合
馬券で資金調達可能だったか そもそもシミュレーションゲームのどこにどう乱数を入れるかはゲームデザインの方針によるだろ
ttps://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/dabisuta
ここらへんを読んでも薗部氏はそのあたりかなりストイックに考える印象だが FC版初代べスプレは西武が強い。
まず一番に「あきやま」を入れる。
強打者パワーもA、足もAだから出塁率が高い。
あきやまが出たら盗塁。これは高い確率で成功する。
そして2番打者に送りバント。
1死三塁にして3番打者はスクイズ。これで確実に1点が入る。
投手陣も強いからこの戦法で優勝間違い無し。 長打の弱い広島オタ向きだった
史実で低迷だった大洋もトリオ3人(屋敷・高橋雅・高木豊)と
ポンセ、パチョレックのクリーンナップは行ける打線。 左打者で足がAならセーフティバントが結構決まるから、
その後、盗塁、送りバント、スクイズのパターンで1点取れる。 >>738
SKIPって事は采配してないって事?
それなら当たり前じゃないのか? >>746
いや、いくらCOMが動かしているといっても、
毎回同じ結果ではなく、ランダム要素があるのかと思っていた。
完全に計算されていてその通りにしか動かないとは思っていなかった。 ターボファイルで引き分け試合作りやすくなってたっかな >>747
解説付きのドラクエTASを見てると乱数調整のために突拍子もない場所で薬草を捨ててたりしてる。 広島はともかく、阪神や大洋で優勝できるの?初代ベスプレで。 セーフティバントが決まりやすいから出来るで
阪神は、北村トップで
やまあきもスタメン上げるか
ピッチャーも弱いから3日後移行に先発予定の奴もリリーフ起用でフル回転させる
――
ベストプレープロ野球|選手データ一覧表|ファミコン攻略サイト
http://famicom.main.jp/best-play-baseball/1988.html 89年夏にベストプレープロ野球Uで遊んでいた記憶があるんだが、調べたらUが出たのは90年。
記憶なんて曖昧なものですなぁ。
データ改正版と勘違いしてるのかもと思ったが、投手交代の際の、投手の今日は調子が良くないだのの
セリフがあるの、Uだよね。 >>738
亀レスだが、聖戦以降のFEで一戦闘ごとの結果がリセットしても変わらないのと同じで
元々打席ごとにリセットして最良の結果を得ることが出来ないシステムになっていて
それはSKIPでも同じなのだろう ベスプレってむやみに監督が投手に声をかけに言ってはいけないんだよね。
声をかけるとランダムで投手の調子が変わっちゃうから、
ピンチを招いた時にかけるのは良いんだけど、
そうじゃないときに声をかけると調子が狂ってしまう。
俺は接戦で終盤なら、ランナーがいなくても強打者が来たら投手のもとに声をかけに言ったんだけど、
余計なお世話だったということだw
佐々木 「早く終えて、飲みにでも行きましょうか♪」 ファミコンの頃って名前をカタカナにすると外人ってことになって
どんなカウントでも積極的に打ってくるようになる仕様だったんだっけか >>757
その通り。
だけど、それだとイチローのエディットが難しい。 必本のスレなのにベストプレーのスレになっちゃってるじゃねーかw ベストプレープロ野球の編集部対抗戦で、必本はえげつないデータを作っていた。
他の編集部は一番は俊足、2番は巧打者、クリーンナップは長距離打者なんて
普通にやってるのに、必本だけ長打力Aでずらりと揃えて。
最初のベストプレー、長打力Aだとやたらと打つから。
他の編集部は必本のデータに驚き、優勝確実と見られたが結果は二位だった。 >>763
もちろんあるよ。
決められた合計ポイントをどのように振り分けるかと言う勝負で、
この対抗戦では、試合の采配はやらない。
あのデータ見た時、必本読者としては「いかにも」と思ったけどね。 初代は長打力があると有利。打撃10傑には長打者が並ぶ。
ただし、選球眼がBくらいはほしい。
広島のランスみたいに選球眼Eの長打Aは使えない。
篠塚みたいに選球眼A巧打Aの人は、長打力がないと率を残さないんだよね四球は選んでくれるが。 >>758
イチローは早打ちで有名だったから、むしろ再現性は高くなる
サブローはどうしたもんかね >>766
選球眼はB?
長打力がAだと選球眼がDでもかなり打っていた記憶がある。
Eでも結構・・それが最初のベストプレー。
だから長打力Aで揃えたのが必本編集部。 打撃全振りのチームがなかなか日本一にはなれないので
リアルと言えばリアル むしろ、初代ベスプレなら『マネーボール』的発想で出塁率重視の方がいいんじゃないか?
あと、投手力も重要だと思う。 ファミコンの野球ゲームって
名前だけ変えて向こうで平気で出ていて
あれだと面白さは7割くらいだろうな 野球ゲームといえばみそらがファミスタの防御率は球の軽さ重さか?なんて仮説を立ててたけど
多分捨て数値なんだろうな 89開幕版は数字がいじれたので
スタミナの仕組みを研究したわ
走者がいると倍消費していた ベスプレで残り3試合、首位と2位の直接対決、ゲーム差1というシチュエーションを経験したことがある。
2位が自分のチーム。だから、直接対決3連戦を3連勝しないと優勝できない。
もう心臓をバクバクさせて試合をした経験がある。自分で直接操作できない、という中で指揮を執る監督の心境がよく分かった(もちろん、現実と比較できないが)。 >>772
代打の一打席目は打ちやすい、なんて仮説も立ててたね。
これは後のファミスタで正式に採用された。 光栄の三国志で
兵がほとんどいない状態の呂布を大軍に突っ込ませたら死ななくて
これは武力は100以上なんじゃないかと思ったな
後でそうだったと明らかにされたが 初代の広島ランス、悪くなかったで。
というか長打Aだと足E 選球眼Eでも極端な低打率にするのはベスプレシリーズ通じてかなり困難 だよね。少なくとも初代はそうだよね。長打力さえAならば。
だから必本編集部は長打力Aの打者で揃えたのだから。 現実の野球の話だけど、このスレの人なら知ってると思うが、打率4割は
落合が「ヒットだけ打ってれば良いのなら簡単にできる」と言ってたね。
で、クロマティが規定打席に達した時点での、4割を実現した。
最終的には378だったが、優勝チームが決まり、消化試合に入ってから
打率を上げていって4割を達成するより、クロマティの方が価値があった。
イチローですら4割は達成できなかった。 打率4割はホームランバッターが、ホームランを捨て、ヒッティングに徹した場合に
実現できるのだが、結局ホームランバッターはホームランを打とうとするので
誕生しない、という事かな。
長打力Aだとやたら打つ初代ベストプレー、園部さんはそこら辺の事も考えていたのかな。 運が大きく絡むホームラン以外の安打を
狙えばもっと打てるなんてあり得ないよ
落合は必死に頑張ってあの率になっただけ そういえばベストプレイプロ野球スレもあったのにな。 ファミコンの頃はスポーツ=野球みたいな時代だったこともあってか野球ゲームの数もすごかったな
シリーズ化したのはファミスタ、燃えプロ、ハリスタ、ベスプレ暗いだったけど エキサイティングベースボールはクソゲーだった。
がんばれペナントレースは、良い評判はなかったし、
コナミがファミスタを超える野球ゲームを作るとはね。 >>783
ホームランナイターも2作出たけど
2作目がすごい劣化しててたまげた。 落合は2ストライクからの打率が当時の現役選手の中ではダントツに高く、
4割打てるのは落合しかないと言われていた。
もっとも、当時の分析なのその程度なので、今のセイバーメトリクス云々には遠く及ばないから、あてになる理論ではないと思うが。 >>784
ディスクのエキサイティングベースボールは点取り屋が育つと
フェンスにボールがハマって試合不能になるまでは70点ぐらいとれるからねえ。
ディスクで育てたチーム同士戦えるのはよかったのに。 >>784
パワプロの礎になった生中継68は曲が素晴らしいんだけど、ゲーム自体はかなりダルいw >>783
ウルトラ超人ベースボールとかキワモノ路線も出てたな
ソフトボールや高校野球など派製品も多数出てた FC末期には嗚呼!野球人生一直線なるカオスなイベントだらけのボードゲームもあったが
それを出したサミーが後にセガと統合して野球チームをもつことになろうとは ソフトボール天国はなかなかの名作だし
初代甲子園は谷繁や仁志など後の名選手がいて面白い 今、一番熱い野球ゲームってやっぱりパワプロなんだろうか?
俺はファミスタ派だけど。 パワプロの打撃システムの元祖はカシオの熱戦甲子園だよね ファミリースタジアム88のすべて買ったよ
今思うと「すべて」シリーズ1作目か? 糸井重里が面白い広告を作ってた、スーパーリアルベースボールは酷かったらしいね。
このゲームを作っていたのが、MOTHERを作ったパックスソフトニカだったとは。
糸井重里と名作RPGとクソ野球ゲームを、世に送り出していたって事だね。
ちなみに糸井重里は甲子園がお気に入りでした。 広告のコピーを依頼されたことがゲームを世に出した片棒なのかよ?w
まあ発売元がバップで日テレ系列の会社だったからな
1988年だから東京ドームの開場の年だったか 昔買った必勝テク道場の単行本とか
美品で残っていたら貴重なんだろうか 発売したものの即回収絶版になった3はそれなりに貴重なはず
1と2も今となってはそこそこレアかも 桃太郎伝説の攻略記事載せすぎてハドソンからお叱り受けた ハナっからネタバレのゲームなのに怒られるとこなんかないようなw もしかして今週の高橋君でハドソンのヘイト高めちゃってたからとか めざせゲームデザイナー
三国一の大バグ野郎
紙コンアトランダム
ファミコンスーパーヒットスタジオ
バグボーイクラブ好きだったな >>802
連続書き込みミス失礼
フライデースペシャル担当していた目駄松がファミコン必勝本最終号で
一番嫌いなファミコンゲームに単行本作りに一番苦労した桃太郎伝説と答えてたから
本の内容に関してハドソンと揉めたのは確実っぽい >>803
そういやバグボーイクラブも一時期「麹町画報」って名前変えてたな >>789
そのゲーム、広告はカルチャーブレーンらしく面白かったんだけど、実際のゲームはどうなのさ?
糸井重里は甲子園にハマっていて、「ファミスタはもう飽きた」なんて言ってたね。
ファミ通に出てたあの広告、面白かったでしょう。
スーパーリアルベースボール、面白そうで買おうと思ったくらい広告が良かった。
たぶん各雑誌のレビューが悪かったので、買うのを止めた記憶。
糸井重里は、役割は果たしていたと言う事だけど。
逆にMOTHERのコピー「エンディングまで泣くんじゃない」はいまいちどころか、
俺には最低レベルに思えた。理由は中村光一の言う通り。
それに実際、泣けない。泣かそうとしてるのは分かるんだけど、自己陶酔の世界。 MOTHERは当時友人から借りてプレイしたけど戦闘バランス悪い上にただクソ広いだけのマップに辟易した思い出しか無いな…
バードマン兄弟も押し付けがましく感じたし ヒッポンの読者投稿でもでかいこと言ってた割に大したことないゲームとバッサリ切り捨てられてたな
謎も全然解明されてないし、いいところは電車に乗れるぐらいとか ヒッポンのスタッフ絡みのゲームといえば
タイレル辻の邪聖剣ネクロマンサーとか
えのんや松っちゃんの虹のシルクロードとかか もっと後になるけどベニ松がシナリオ担当したGBのウィズ外伝2も 当時えのんが外部の人間だと知らずなんでジャンプ放送局のえのんが必本にいるんだろうって思ってたなあ ごいんきょクエストのロゴがドラクエそっくりとか言われたもんだが
そりゃデザインしたのが同じ会社なんだからセルフパロディで似てて当たり前だわなw マザーってぶっちゃけラスボスがクソカスボケ死ねとか民度低いセリフ連打するくらいしか見どころがないよね マザーって、ドラクエのルーラみたいなワープするやつは良かった。
それ以外の印象はない。というか、まともにプレイしなかった。 雑誌側が推してたから、その割には・・って反応。
俺も最初は期待外れだったけど、あとから好きになっていった。
ドラクエ4もそうだった。 ヒッポンに関しては鳴り物入りの作品よりも隠れた名作を取り上げてくれるのが有り難かった
レッスルボールとかマジカルチェイスとかゲームミュージックからの視点で見た超兄貴とか…これらは大体発売日に購入しに行ったわ >>817
ヒッポン自体は割と好意的な評価してたと思う
田尻智も連載ページで欠点とかしつつも概ね高評価
あとテーマは何だったか忘れたけどライター陣とゲストとの座談会で
糸井はいろいろやろうとしてたけどゲームの事よく知らないからああなったみたいな
褒めてるのか貶してるのかなんとも言えんこと言われてたのは覚えてる >>806
もしや?と思って「蘇る」のフライデースペシャル一覧で確認したらハドソンゲーム単体の攻略本って一冊もないのな
ゲームブックで迷宮組曲はあった様だが タイレル辻がゲームのプログラムやハードの性能のことがわからない人がゲームを作るとああなる、という感じでマザー批判していたけど。 >>819
クインティもそうだよね。
あれは連載を持っていた田尻智のゲームというのもあるけど、
クインティを推していたのはヒッポンだけだと思う。
同級生にゲーム貸してとせがまれて、クインティは?って言ったら、
なにそれ?知らない?みたいな反応だった。 >>823
あとやたら推してたのはバトルトードとファイアーエムブレムもかな
クインティは自分の所のライターやイラストレーターが関わってるからってのもあるかもw
でもただの身内贔屓で終わらないゲームの面白さがあったからだけどね >>822
タイレルはタイレルで人を楽しませるって発想欠落してるのがゲーム作るなって感じだったわ
レビューは基本自分の好き嫌いで決めてて客観性に欠け偏見も凄かったし
でもロックマンを発売前から評価してたのだけは先見の明はあったかなとも思う ヒッポンが推してた隠れた名作はダークロードもあったな >>821
あの時期のハドソン関連の攻略本は契約の問題じゃないのかな?
小学館のワンダーライフスペシャルでコロコロと絡んでたやつが独占でやってたかも >>823
当時ファミマガも田尻と絡んでたから結構推してたよ
ファミマガビデオで特設コーナーで田尻の解説付きで紹介とか特別待遇だった
一応ナムコでTVCMも打ったしそこそこは売れて利益も出たからこれでゲームフリークを法人化
後にポケモン輩出して超ヒットという流れを考えるとゲーム史的にも文化的にも重要なタイトルだよな そういえば虹のシルクロードは発売までが難産だったようで
発売後にヒッポン誌上で松っちゃんが色々とぶっちゃけようとしたら
まあまあとたしなめられてる記事があったなw >>820
その座談会か分からないけど、糸井重里が表現したい事が、きちんと表現できていたら、
もっと良いゲームになっていたみたいな意見があった。
俺はそうは思わない。パックスソフトニカだからこそ、あれだけ良いゲームになったのだと思う。 >>827
小学館からは確かにハドソンタイトルの攻略本は出てたね
ケイブンシャや徳間はハドソン攻略本どうだったかな? タイレルといえば、邪聖剣ネクロマンサーだが、FM-TOWNSで出したスペース・オデッセイというダンジョンマスターライクなゲームもあったはず。
プレイしたという人を見たことがないけど。 >>334
タイレルといえばお礼を言うの忘れてた!
ありがとう そう
最初はレビューや攻略本執筆の際はターミネーター名義だったけど
コンピューターの技術講座みたいな連載始めた頃からタイレルに変えたはず >>831
あの辺はファミコン初期でまだコロコロとタイアップを大々的にやってなかった頃だな
1986のWCコミックシリーズの攻略本からハドソンと独占契約な感じだった
あのシリーズはなぜかサン電子も絡んでて東海道五十三次とかマドゥーラの翼とか水戸黄門とかもあったw >>835
この評価わかるわぁ。よくぞ言ってくれましただな
あとタイレル辻って簡単に10点付けるので編集部から控えてくれと言われてたとか タイレル辻のコンピュータ講座では、SFCやPCエンジン、メガドライブの解説もしていたけど、新ハードについて68000を2つ積んだハードが出れば凄い性能になると言っていた。
実際の新ハードはポリゴン時代に突入したけど、タイレルもそれは読めなかったみたい。
コンピュータ講座ではポリゴンの解説もしていたけど、これが主流になると思う人は少なかっただろう。ちなみにレイトレーシングの解説もあって、当時は計算に莫大な時間がかかったが、次世代機ではリアルタイムレイトレーシングが標準。時代が追いついてきた感じだな。 コンピューター講座が始まるほんの数か月前に初のポリゴンゲー稼働(ウイニングラン)だからな 当時、ポリゴンゲームと言っても、一部の人を除いてあまりピンとくる人はいなかったんじゃないか。
ウィニングランと疑似3DのスーパーモナコGPを比べても、どっちが凄いかといえば、後者を支持する人が多いんじゃないか?
初期のポリゴンゲームはやっぱりグラフィックが寂しいものがあるし、ゲーム性も大きな差を感じないんだよね。
いや、やり込んだ人は「違う!」と言うかもしれないが。 カクカクポリゴンのレースゲームといえばバーチャレーシング好きだったな
>>837
ありがとう
87年か88年くらいで必本読まなくなってしまったからターミネーター辻の頃しか知らなかった スーファミゼルダOPのトライフォースとかスターフォックスとか 『シルフィード』や『ファンタシースター 千年紀の終りに』のレビューに於いて、
制作者への人格攻撃とも取れる表現をするなど、物議を醸す出来事も少なくなかった。
CB成澤のwikiに書いてあるんだけど、なんて書いてたの? >>842
個人的にポリゴンゲーを注目するようになったのは1991年のスターブレード辺りからかな
翌年にバーチャレーシングが出てこれは新しい時代が来たなと感じた流れ
当時ポリゴンゲー製作で最先端にいたセガの鈴木裕ですらここからわずか2年後に
テクスチャーマッピングまで進歩するとか予想してなかったくらいだし
この時期のゲーム業界の技術の進歩はめざましかったな ポリゴン以前の3Dゲームはやっぱセガのスペースハリアー、アフターバーナー、ハングオン、アウトラン、ギャラクシーフォースといったものを思い浮かべる。
共通点は、決められた道をリニアに進むことだよね。
スターブレードも凄かったけど、自由に動けるわけじゃなく、決められた道を進むガンシューティング。
実はこれらのゲームはメガドライブに出たんだけど、クオリティはアーケードには及ばない。
だから、次世代機はアーケードのクオリティに近づくことは想像できても、俺には3D空間を自由に動き回れるゲームが主流になるなんて想像もつかなかった。 >>847
そんなセガの体感ゲームの中ではパワードリフトだけは
3D空間をスプライトだけで擬似的に構築してたかな ポールポジション式はどこまで頑張っても曲がる感覚は作れんのよね
車が傾いているだけ 3D空間を自由に動き回れるゲームって原点はなんだろう?
一般的にはマリオ64と言われているが、もっとさかのぼれる気がする。 家庭用だとジャンピングフラッシュかな?
これの前身がX68のジオグラフシールか >>851
ありがとう。
でも、これって元ネタはスタークルーザーな気がするのだが。 >>853
>>854
その辺の時代だと3D空間設定でも移動制限ありの限定空間だかなあ
箱庭を左右だけじゃなく上下も空間もしっかり作って視点もそれに合わせて自由に動けるというのは
家庭用ではやはりジャンピングフラッシュが最初になるかな
手塚治虫の実験アニメのジャンピングをゲームに持ってきたとか言われてたね HIPPON SUPER!は好きだったんだけど、ゲームに飽きたんで、途中で離れた読者だけど、
最後は64必勝本になったんだっけ?
時代を読み間違えたといえばそれまでだが、当時のハードではN64の性能は半世代〜1世代進んでいたし、
先鋭的なハードだったから、そこに目をつけたのはさすがヒッポンと言えるかもしれない。 HIPPON SUPER!→必本スーパー!→64(ロクヨン)→攻略の帝王 必本スーパー!ってどういう風にリニューアルしたの?
まさか辛口レビュアーを軒並み切ったりしなかったよね??? >>858
俺はその辺から読まなくなったな
ベーマガも突然それまでのライター切って内容がつまんなくなって読まなくなったし ベーマガもライターの熱さが良かったんだし、切るとつまんなくなるのは必然だよね。
まぁ、そもそも投稿プログラム雑誌だといえばそれまでなんだが。 まあでもファミコンブームから立ち上げたゲーム雑誌だったわけだし
それで10年持てばよくやった方なのではなかろうか? ドラクエを使った「ゆうべはおたのしみでしたね」と言うドラマの
再放送が最近やってたので、見たのだが、面白かった。
電車男に少し似た所のあるドラマで、電車男の時は伊東美咲を知ったが、
ゆうべは〜で本田翼と言う女優を知った。
有名女優でホントのゲーム好きだったらしいが、俺は知らなかった。
ローラ姫抱っこして宿屋に泊って、「ゆうべは〜」のセリフを喜んでいた1986年の
ヒット曲の「破れたつばっさーで」なんてフレーズを口ずさみながら、ドラマを見ていた。 >>859
1988年だけだった、平成入ったら月刊PCエンジンとPOPCOM(PC買う余力無かったが)に乗り換え。
その2誌も毎月買ってたわけじゃないけど しかし今考えたらよくPCエンジンやメガドライブの規模で専門誌が数誌も出せたのはすごいな
ネットがなかったからそれしか情報源がなかっただけかもしれんが
PCエンジン全盛期は月刊PCエンジン16万部、マル勝12万部、FAN8万部くらいだったそうだが 当時でも実数でそのくらい出てたなら十分な数値だな
出版業界がまだ元気だった頃の話 PCエンジンも中期〜後期はCDROMの方が目立っていたから市場規模を考えると
メガドライブよりもマニアックだったとも言える。
それで10万部以上の需要があったのは凄い。 PCEのCDロムゲームって数ヶ月売上1位が続いたものですら10万も売れなかったような市場規模だからな
開発コスト高そうなのに酷い話だ PCEのCDゲームは単純コピーで複製できるんだよな。
当時はブランクCDRが一枚5000円だったらしいが。 市場がそれなりに盛り上がってたんだから
ソフトハウスの収益は別段悪くなかったってことだろ
何がひどい話なんだかさっぱり分からん 安くても利益出すには一定数出荷しなければならないけどな。
当時は再生産が速いのも利点だったらしいね。 PCEの時代は、PC98も元気だったし、
X68000やFM-TOWNSでも中小ソフトメーカーが頑張っていたでしょ。
つまり、それだけの市場規模でもやっていける時代だったんだよね。
天外魔境2も当時は金に糸目をつけなかったらしいけど、
今の時代の大作の制作費と比べるとずっと大したことなかったはずだよ。 本田翼はキムタクの安藤ロイドでエラい骨盤ガッチリしたおねえちゃんだなかわええなあと思ったのが最初。 レトロゲーマー世代には翼といえば大空翼なんだ。
女の子の名前に翼なんて。 ファミコンでは、ファミスタ並みの出来のサッカーゲームが出なかったね。
PCエンジンのフォーメーションサッカーがそれらしい。 サッカーは11対11で、野球と違って常に試合が動いているし、
選手の動きもそれぞれのポジションで複雑だから、ファミコンでは苦しいんじゃないの?
アメフトみたいに1プレイごとに試合が止まるなら作りやすいと思うけどね。
テクモボウルは名作だった。 ファミコンのサッカーって
任天堂のとバンプレストのコンパチヒーロー以外に
何があったっけ? ディスクシステムにコナミのサッカーがあって、あれはなかなか良い出来だったよ。 >>882
あーなるほど、エキサイティングシリーズのだ。 >>879
>>880
ファミコンはスプライト制限あるから任天堂のサッカーも6対6だったっけ
キャプテン翼みたいな方向へ舵取りしたテクモは上手かったなあ サッカーは足でするスポーツだから、アバウトなところがあるし、点が入りにくいスポーツだからまだゲーム化しやすいよ。
これがバスケットだと、人数こそ5対5だが、点が入りまくるスポーツだから(NBAだと100点以上取れるのが当たり前)、ゲームとしての表現が難しい。
点が入りまくるということは、ゲームの表現に当てはめると、打ったシュートはほとんど入るということになる。これだと大味にしかならない。
サッカーならタックルしてボールが取れるのは普通だけど、バスケットでスティールやブロックが普通に決まると、これもゲームとしては問題がある。だからといって、全く決まらないとザルなので、これまた大味になる。
レトロ時代にバスケットの名作はなかったといっても過言ではない。 >>882
思い出した。やった事あるって言うか、持ってた。書き換えてだけど。
雑誌の評価は悪くなかったような記憶も微かにあるが、そんなに良かったかな。
ゲームの歴史的にはフォーメーションサッカーなんでしょう。
テニスはもちろん、ちゃっきりみそが連載持ってた、ファミリーテニス。
バスケットボールは何なんでしょうね? コナミのエキサイティングバスケットは名作
バスケのスピード感を上手く出してた 曲も良かったし当時のコナミは全体的に一定水準以上のものを量産してた時期だった
ただ現在の使用キャラを点滅でやってたのでちょいわかりにくいとこもあったな 必勝本のPCゲー紹介記事で「アルファ」の女の子が裸にひんむかれてるスクショが乗ってて興奮したなあ 当時はファミスタの新作がでるたびにどの雑誌も選手のデータ集がついていたな
ファミスタの新作遊んでて思い出したわ ファミ通だったかな?ファミスタデータ下敷きみたいな付録もあったね アルファはプレイしたことがないのがほとんどだろうが(俺もそう)、
あの裸の画像だけは目の奥に焼き付いている。
当時としては結構、絵もうまいと思うから、裸のインパクトがあった。 エキサイティングバスケットってアーケードの「ダブルドリブル」の移植だったんだっけ? エキサイティングシリーズは、エキサイティングベースボールの
あまりに酷いイメージと、エキサイティングボクシングの風船叩くとかいう
バカげたイメージが強すぎて、クソシリーズな記憶でバスケもクソゲーだと思ってたんだが、
バスケは良かったんだね。そういや、ビリヤードは評判良かったし、
サッカーも悪くはなかったからね。同シリーズでも色々だったって事だね。 >>894
エキサイティングシリーズでダメなのがその2本だけで後は良作やぞw
後にコナミックシリーズへ変貌するがこれもたまにコナミックテニスみたいなクソが混じってた ファミスタ以外じゃディスクのアイスホッケーじゃないか? 痩せスピードタイプの操作が面白くて面白くて ディスクのバレーボールも良かったでしょ。
ほとんどのスポーツゲームはファミコンで、ファミスタ並みでなくてもある程度の物は作られている。
エキサイティングバスケはやった事ないけど、エキサイティングサッカー
程度なのだとしたら、ある程度には入れたくないなあ。 ある程度(以上)の物とは、
バレーボール、アイスホッケー、ファミスタ、ファミリーテニス、ファミリーサーキット、
サイドポケット、パンチアウト、マリオオープンゴルフ、テクモボウル、など。
サッカーだけではなく、プロレスゲームもなかったね。 エキサイティングバスケットは面白かったと思うぞ
ちょっとスティールが決まりやすいのが難点だか ディスクのプロレスもファイプロもなんだけど、エキサイティングサッカーと
同じく、その当時それなりに楽しく遊んでいても、なんか足りない感じだったんだよね。
決してファミスタじゃない。 アイスホッケーとかバレーボールとか、任天堂ディスクシステム系は手堅く遊べるイメージ。 ディスクのバレーボールはMSXからのグレードアップ移植でしょ? 任天堂アイスホッケーは面白かった
三人全員デブにするのが自分流だった エキサイティングサッカーというとコナミのエキサイティングシリーズではなく
アーケードでアルファ電子が出してた方を真っ先に思い出す >>902
スターマンといえばフライングクロスチョップも使い勝手良かったな ディスクのプロレス、必殺技よりもバックドロップ、
パイルドライバーの方が威力があったような気がした。 >>909
俺もラスボスは連続バックドロップで強引に押し切ってクリアしたわw
任天堂のプロレスといえば海外版はDPCMのサンプリングで観客の歓声が入ってるんだよな
マイクタイソンパンチアウトと同じやつだったけどこれがあると無いとでは大きく違う アーケードのテクノスジャパンの、エキサイティングアワーが
面白かった。
あれは、それなりのレベルのプロレスゲーム。
ファミコンではスペック的に移植しても、ダメになってたろうが、
PCエンジンにできなかったのかな? SFC末期の32メガのファイプロでも、エキサイティングアワーのグラフィックに
劣っていた。 必本て競合誌に比べると価格が安くてサブカル寄りだった感じ まあ当時のサブカル誌の宝島を出してたとこと同じJICC出版だからな いまだに当時のファンが付いているんだから、ファンの熱さはNo1でしょう。 必本は広告少なくて250円と糞安かったな
自分が初めて買ったときは値下げしましたと表紙に書いてあって280円の奴だった
次の号から250円になって「さらに値下げしました」と書いてあった メルカリで探してみたけどヒッポンスーパーしか見当たらんな キンコンカーンってずっとモンゴルだと思ってたわ…
対戦で選ぶと舐めプと思われてキレられるんだ ヒッポンの尖ったレビューのところだけを抜き出して成立したのが、
『ゲーム批評』だと思うんだが、あまり熱く語る人はいないような? >>922
ファミコン必勝本時代の88年のが最も洗練されていたと思うけどね。 >>926
ウィズの小説とか連載してた頃か
>>924
ゲーム批評は胡散臭い記事も多かったからなw >>924
事実誤認や結論ありきの難癖が多すぎて批評以前の問題だった
FF7のキャラの口調が突然変わるのはおかしい(ちゃんとプレイしてれば素になっただけとわかる)
SNKのキャラはシルエットにすると見分けがつかないからだめ(そんな漫画技法の話しゲームに適用されても)
ヒッポンレビューはゲームマニアの批評だけど、ゲーム批評は明らかにゲーマーじゃない ゲーム批評なんてちょっとクリエイターとパイプできるとそいつをヨイショばかりしてて全然フェアじゃなかったな
飯野賢二なんか散々持ち上げられてテングになった挙句上ったはしご外されてたなw 隣り合わせの灰と青春?当事自分は小4くらい。5つ上の姉貴が読んで、なんか知らんがめっちゃ怒ってたw 多分レベルの話が相当不自然に感じたのだろうとは思うが 個人的には転職したてのレベル1の侍が強過ぎるとは感じてたな。
それはともかく、隣り合わせの灰と青春が連載されてた頃は、
「小説であるにも関わらずレベルという概念を登場人物が話すこと」について
結構批判されてたのに、今となってはむしろあって当然、数字抜きでバトルしても
読者があんまり付いてこない時代なんだよなぁ。 俺はみそがコラム担当じゃなくてライターしてた頃が好きだな >>935
今回で辞めますとかそういうのはなくてなんか出なくなってたから
読者から問い合わせが来て今はライター辞めて漫画家業へ専念してますと説明があったような覚えがある
デビュー作はスピリッツに掲載されてたのは偶然読んでラッキーだったな >>930
テングになったからではなく、エネミーゼロがエイリアンのパクリだったからでしょう。
じゅげむの100選では、なんか理由付けて「だから100選には入らない」けれど
これもなんか理由付けて、「飯野賢治は評価したい」なんて言ってた。
ヒラ坊だったか必本のスタッフね。
あんな酷いパクリゲーム、論外だろう。ゲーム批評が正しい。 持ち上げて天狗になってダメになった1番の例じゃん… >>937
エネミーゼロはエイリアンよりもPCエンジンのサイレントデバッカーズというゲームのリスペクトだろう
音で敵を感知して倒すとかまんま同じ >>934
そういうのを有りと確定させたのは『角川スニーカー文庫』のフォーチュンクエストだろうね
富士見ファンタジア文庫と角川スニーカー文庫がラノベの始祖扱いだと思うんで
まぁこの作者も元ファルコムだっけか 『ゲーム批評』に投稿したら採用されたことがあるよ。
狙い目はちょっとマイナーなゲームで、そのゲームの持つ可能性を熱く語ることかな。
まぁ、でもそんなこと書いても購入の参考にはならないだろうし、実際、ゲーム批評の批評を読んで購入意欲が湧いたことはない。 俺は飯野のスヌーピーコンサートの批評読んで欲しくなって、買ったけど。
才ある人だったと思うけど、それがゲームクリエイターとしてではなかった。 >>941
ふむふむ・・・。
フォーチュンクエストは、既存のRPGに対するパロディ的な空気(レベルアップの歌とか)を出していたから当時でも許されたのかな、という気がしなくも無いけど、まぁ実績さえ作ってしまえば後はどうにでもなるというか。 元ファルコムと聞いて思い浮かぶのは新海誠かね。
それとも木屋善夫か古代祐三か。 大出世は新海だろうね
古代もゲームタイトル画面にクレジット載る作曲家っていうのはすごいけどね ファルコムっていつの間に予備校が入ってるビルじゃなくてファーレの方に移ってたんだな ファルコムって長い間、読売新聞の一面に広告を出し続けていたんだよなぁ。
指の先くらいのちっちゃな広告だけど。 知ってる知ってるw
いわゆる三行広告で90年代にやってた記憶 ザナドゥの忠実移植版をPCエンジンで出して欲しかった。
イース、ドラゴンスレイヤーはHuカードでも出して欲しかった。 ファザナドゥはあれはあれで面白かったけど本家ザナドゥをFCに移植して欲しかった
ファザはあまりに違っててファルコムが怒ったらしいな >>953
そのままだと難易度高すぎてクソゲー扱いされたかもしれんぞ
そもそも当時の技術でファミコンにベタ移植は無理だったかもな ファザナドゥは謎のゲームだよ。
ファミコンザナドゥを略したタイトルセンスも謎だけど、わざわざ別ゲームを作るならザナドゥである必要がそもそもないよね。 87年はファルコム作品のFC移植が続いたが
ドラスレ4 ナムコ
ロマンシア 東京書籍
ザナドゥ ハドソン
と発売元はばらけてたな
翌年だがイースはビクターだし
まるでジャニーズのカレンダーみたいだ ドラスレ4は名作だった。
こういうのを作ってほしかった。 ドラスレ4は唯一古代祐三が手掛けたファミコン音源BGMだったかな 何故イースはメガドライブで出なかったのだろう。
セガファルコムとか言う会社あったけど。 イース3は出たよ。
イース4がセガファルコムから出る予定だったけど開発中止。
イース1・2はPCエンジンで先に出て評判が良かったから、今更MDで出せないと思ったんじゃないかな?
でも、ソーサリアンが出たから良し! PCエンジンのイースは1・2が素晴らしかったのに3がカクカクスクロールだったのが残念だった >>964
出てた
レアのハーモニカの曲が太陽の神殿メインBGMで大変良かった… >>963
BG一面しかないから多重スクロール諦めてスムーススクロールにするか多重再現するためPC版準拠にするか選択迫られて後者なんだろうね
PCE版のソーサリアンもカクカクだった マーク3に1が出ていたんだから、メガドラ初期に2を出しておくべきだったよね。 Huカードでも出さなかった事の方が、不満だった。
CD機普及の為だろうけど。
大魔界村もスーパーグラフィックス版だけだったし。
スーパーグラフィックス普及の為だろうけど。 主にNECアベニュー販売のゲームでCDとHuのマルチ展開はそれこそ大旋風とか獣王記みたいな誰得なタイトルまでやってたが
しかし基本ゲーム部分がHuカードに全部収まるボリュームのものしかやらなかったんだろうね
そのうちCDありきのボリュームになってきたからHuカードでは出せなくなったんだろう スパグラとノーマルの両対応というのもなかなか簡単には行かない
まずノーマルエンジンの性能に合わせて作って、SGに挿したときにうまい具合にスプライトやBGが補強されるような作りにしないといけないので
結局SGのポテンシャルが出しにくくなってしまう >>972
大旋風や獣王記は当時は現役稼働なんだから誰得ではない
アーケードタイトルの移植は一定需要はあったしNECアベニューは
中期くらいまでは主にそういう方面の移植タイトルで市場をサポートするNEC系列の会社だった >>973
PCエンジンSGってのはノーマルのPCエンジンの映像チップを2個載せて
映像信号を合成して表示能力2倍ですとしてるるだけなんだよなw
ダライアスプラスの両対応はスプライトのみをそれぞれの映像チップに振り分けて
通常ステージではアームとショットを別々に、ボス面ではプレイヤーとボスを別々で処理してた この解説動画が実にわかりやすい
BGとかスプライトとか色分けしてみた【続・PCエンジン編】
https://www.nicovideo.jp/watch/sm18420767 >>971
テクモのファミコン初期作は難易度の上昇率もそうだけど真のエンディングの為の条件が厳し過ぎるのがねぇ…
ゲームとしては面白いんだけど グラディウス2もHuカードで出して欲しかったね。
音楽だけでしょ。違くなるの。なんで出さなかったのだろう? >>978
CDDAなら曲垂れ流しで良いけど内蔵音源だとその分メモリ圧迫するから各ステージ劣化するんじゃない? 8メガカードでようやくそれなりの移植になるんじゃないのかな
確か2面の二重スクロールの再現にも容量食ってたようだし >>974
NECアベニューは、アーケードゲームを可能な限り忠実に移植するのが
ポリシーだとか言ってた。
ふーんと思ったけど、下請けに出していたなんて当時は知らなかった。 R-TYPEを2枚に分けて出さざるを得なかったくらいだし >>982
まあユーザーには名前出ない限り見えないからわかんなかったけど
下請けに製作発注なんか世の中ではどの業種もどこでもやってることだしな パックスソフトニカだって知らなかったでしょ。あの当時は。
オホーツクと鬼が島とMOTHERを同じ会社が作っていたなんて。 >>987
作ったと言ったら少々語弊がある感も
下請けでプログラムを外注なんて大手じゃよくあることだし 今思えばオホーツクがモチーフの表紙があるのも凄い
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