蘇るファミコン必勝本 [無断転載禁止]©2ch.net
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昨日発売されたのですが、今日AMAZONから届いた人も多いでしょうか。 ジャンプのファミコン大神拳とどっちが早かっただろうか
今思うと堀井もよくあんな時間があったな 暇だったからゲーム作ってコンテスト応募してたんでしょ
むしろ忙しくなってもDQ4辺りまでライター続けてたのがすげえ いやドラクエで大ヒットした後も大神拳を続けてたじゃん
時期的に2や3やFC版オホーツクを作ってる時もやってたからすげえなって
あとヒッポンの本格的な批評よりも早かったプレFC批評的なものでは
同時期のコロコロでもあったな
子供向けとはいえ、こういうゲームは良い・良くない的なゲーム批評は
記事でもあったし漫画の「熱血ファミコン少年団」とかでもしていたな >>240
ごめん、意見が一致してたw
当然凄いって言ってるはやっぱりドラクエで忙しくなってからも
レビューをやってたって意味 >>238
明石家さんまさんにもインタビューしてたよね。
ナムコのADVで。
当時のキャラゲとしてはなかなか面白かったと思うけど、
響あきらさんは「それでも僕は首を横に振る」と手厳しかった。 レビューだと結構高得点付けてたけどその後の特集記事でシナリオが単純というか平板で当たり前
奇想天外なゲームが好きな僕にとっては退屈なゲームだったみたいなこと言ってたな
無敵モードとキャラゲーの記事炊いてきた
ttp://iup.2ch-library.com/i/i020642455415874511245.jpg
ttp://iup.2ch-library.com/i/i020642466415874611246.jpg >>229
>>230
こういうレビュー
ttp://iup.2ch-library.com/i/i020642477415874711247.jpg 改めて読んでみるとキャラゲーに関しては単なる好き嫌いでしかない感じだな
マッスルタッグマッチにせよハットリ君にせよ、原作関係なくつまらなかったら
絶対に投げ出してたが明らかに面白かったよ
20代の奴にありがちだが「俺はキャラゲーなんて嫌いだしどれもつまらないに
決まってる」って自分を頑なに洗脳してたからつまらなく感じてただけじゃね?
実際、子供だってキャラゲーであってもつまらんゲームは即座に投げ出してたし、
ろくに売れてなかったよ。アレとかコレとか
ttps://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1603/12/news001.html
しかしこの記事には驚いた。まさか響氏がこの人と同一人物とは
なんだってー!!!!!! 意外と響あきら=MMRイケダっての知られてないのよな
俺も知ったの比較的最近だわ
そのインタビュー記事だと響はアーケード派みたいなこと言ってるけど
同時にパソコン派でもあった印象
本人も認めてるけどファミコン軽視してた感じは確かにあったな >>244
ありがとう。
何十年ぶりにこの記事を読んだよ。
当時のことが蘇った。
でも、隠れキャラに言及していたのは記憶がなかった。
カリオストロにコナンとハイジ?
そうだったのか・・・これも知らなかった。 >>232
俺は船取った後、シナリオが崩壊しているとは感じなかった。
逆にV以降だとストーリーが一本道だとかね。別にいいんだけど。
戦闘のバランスもUはシビアぐらいで、目茶苦茶とは感じなかった。
ドラクエUはあまりにも面白すぎて、こんなに面白いものにケチ付ける奴なんているのか
と言うのが、多くの人の反応だったのではなかったか。 とりあえず成沢が具体的に批判してたのは結果がヒントを先行する可能性がある点だった
わずか1/2ページのスペースで87年のソフト総括しなきゃならんから仕方ないだろうけど
今改めて見ると酷評ってほどのもんでもないけど当時はこれでも結構過激な内容で
ドラクエ2批判するなんてとんでもないみたいな風潮もあったから
読者コーナーにも成沢批判の投書がいくつか載ってたなあ
ttp://iup.2ch-library.com/i/i020643100115874011210.jpg >>239
ファミコン神拳と必勝本の比較ならファミコン神拳
85年夏に始まってる
必勝本は86年から
ただ前身となるファミリーコンピューター必勝本となると85年6月だからファミコン神拳より前 >>250
ドラクエ2が盛り上がってた頃のファミコンのコマンド入力式RPGなんてドラクエとドラクエ2とディープダンジョン位だから
やれるゲームといえばファミコンしかなかった俺はそういう物だと思ってやってたな
滅茶苦茶なのかどうかも比較対象がなかった ドラクエ2以降は船をとったら自由度が飛躍的に増すっていうのが、面白さになっている。
俺もプレイ当時は面白かったから気づかなかったが、自由度が増して生じる矛盾に切り込むところが、
さすが成沢さんといったところか。
とはいえ、俺からしたら、むしろ、ゼルダの伝説に当時流行りのRPG要素(経験値をためてレベルアップ)を導入した
リンクの冒険の方が中途半端な気がした。
女神転生に目をつけているところはさすがだと思う。 ファミコン神拳 は、北斗神拳の「あたた」でゲームレビューをしていたが、
面白すぎて「た」が収まりきれないぜ、と絶賛したのがドラクエ。
今にして思うと身びいきもあると思うが、それがきっかけでドラクエを購入したなぁ。
ファミコン神拳も辛口で、たけしの挑戦状をこき下ろしていた。これは当然か(笑)
でも、FF2をボロクソに言ったのは結構物議を醸した気もする。 ファミコン神拳はジャンプという立場の強さを活かして
結構素直な批評があったな ファミコン神拳はキングオブキングスが不当な位低評価だったのは納得いかない 週刊少年マガジンのMMRは面白かったなぁ。
あの頃はノストラダムスの大予言の存在があってオカルトが熱かった。
TVタックルでもUFOを取り上げるのが名物化していたし、
海外ドラマでもX-ファイルが流行っていたしね。
響あきらさんがあのMMRの一員だったのは衝撃だった。 ファミコン神拳はナムコのゲームには低評価与える事多かったな
ファミリーサーキットやワールドコートなんかもかなり低評価だったし 五島勉の大予言本は何冊か読めば
解釈がコロコロ変わっていることに気付く >>255
?そんな記憶は俺にはない。ゆう帝が堀井雄二だった事の方が、響などより俺には驚きだったが、
ドラクエをあたた診断をやらなかった理由がそれで分かった。随分後になってからの事だけど。
FFU酷評の記憶もないけど、戦闘のバランスが滅茶苦茶なので、これこそ仕方ない。
でも面白かったけどね、FFU。ゲームってプログラム技術がどうだろうと、グラフィックや
戦闘のバランスがどうだろうと、要は面白ければ良いのだから。 >>258
>>響あきらさんがあのMMRの一員だったのは衝撃だった。
なんだってー!! 今から見ると堀井達よりも
鳥嶋色の強いページだったな ゆうてい、みやおう、きむこうだったっけ。
ドラクエにも登場したけど内輪ネタだったんだね。
>>259
ファミリーサーキットは車体同士の衝突がなく、すり抜けるから駄目という評価だった。
…いや、そうじゃないだろう。あえて衝突しないようにしたことで、
レースとタイム、セッティングの面白さに集中できるようにしたのだ。
画期的な取捨選択でゲーム性を高めた好例。 >>239
堀井雄二はファミコン神拳の前に他誌でファミコンゲーのレビューをバリバリ書いてたよ
ドンキーコングの1面低スコアアタックとかw >>264
その3人組がファミコン神拳より前に他誌でゆう坊・ミャオ・キムとして書いてたよ
ドラクエ2が出た後の奥義の書特別編で、キム皇が読者の質問に答える形でゆう帝みや王キム皇の3人が元々別のとこで書いててジャンプに移ってきたことをカミングアウトしてる >>256
みや王が手がけたメタルマックスには甘々で「自分が手がけたゲームを悪く言う奴がどこにいるか」と開き直ってたけどな メタルマックスは名作だからいいけど。
しかし、当時のジャンプゲームを素直に批評しなかったのは、
大人の事情というやつだと子供ながらに思った。 神拳は燃えプロの評価が物凄く高くて
後にクソゲー扱いされたのは
その反動もある気がする
作りは粗いが別に遊びないわけでもないし >>269
タイトルがアヤフヤだったのでググってみたら、「ファミコン神拳 奥義大全書 巻の四 ドラゴンクエストII」らしい
ドラクエ2攻略ページ一辺倒ではなく、所々に制作者インタビューやWizの紹介記事や3Dダンジョンゲームブックやファミコン神拳のページができるまでの漫画や読者の質問にキム皇が答えたりするコーナーが色々載ってたりする 横からだけどその内容の本は、奥義大全集特別編 キム皇のファミコン神拳110番だと思う 110番は手元にあるけど>>266の記述は見当たらんぞ 3人ヨーイドンで初めてもゆう帝はエディタでデータ書き換えしやがる、はカミングアウトしてたがな >>273
そうだったか、それは失礼
その本もドラクエ以外の事に言及してたからついそれに載ってると思い込んでた >>275
いやあんたは間違ってないよ
110番にはダイヤモンドの騎士でのキム皇レベル上げ自慢も載ってるしね そういや、ジャンプ放送局のさくまあきらさんも「桃太郎伝説」を作ったし、
アシスタントには横山智佐さんもいたんだよね。
ジャンプがムチャクチャ売れていた時代だけど、今思えば脇役の企画でも
恐ろしく豪華なメンバーが揃っていた。 「竜王は生きていた」はジャンプで、サングラス取った顔がイケメン(当時そんな言葉はなかったが)
だった記憶があるのだが、今ネットで見れる顔は俺の記憶とまるで別人。
俺は何かと勘違いしているのだろうか? >>276
フォローありがとうね
そういやキム皇って必勝本時代に必勝テクコーナーに1、2回ゲストで来てたような
ドラクエ2の開発中の画面に出てたモンスターが一部実際のゲームに出てないのはどうして?って質問に
ボツになった、他にもモンスターがいっぱいいたけど全部容量の犠牲になった、みたいな返事してた記憶 もう昔のゲーム記事懐古スレになっとるなw 楽しいからいいけど
ファミコン神拳ではしれっとオホーツクに消ゆも高評価してたなw
名作だからいいけど 大学のサークルにあすなろあすながいて
感動したことある ジャンプの投稿で誰もが覚えているのが竜王は生きていたさん。
必勝本の投稿で誰もが覚えているのが野安ゆきおさん。
野安さんはその後、ゲームライターになって、今でもたまに見かける。
竜王さんは? ダイヤモンドの騎士は遠藤雅信は好きじゃないから、
ファミコンにはリルガミンを先にUとして移植したと言っていた。
キム皇はダイヤモンド好きだったんだね。
堀井雄二はウィザードリィはTがあまりにも良くできていた、
Tにウィザードリィの魅力が集約されていたなんて事を言っていた。
人それぞれだが、ベニー松山はどうだったんだろうね。 堀井雄二がOUT読者とした約束の日まであと8168日
なんでその日に決まったのかまでは知らないけど
意外と行けそうな気がしてきたなぁ そのOUTとか言う雑誌で、堀井雄二とみそが一緒に働いてたのね。
みそが、あこがれのOUT編集部で堀井雄二の手伝いをさせて貰っていた、
と言う感じだったのか、知らないけど。 そういえばみそって堀井に取材はしてたけどさくまとはJBS以降絡みがないな
あの2人の性格からして疎遠になりそうな感じはあるけど
>>281
あすなろあすなってその後編集者だかライターだかやってたような ファミ通での堀井雄二とさくまあきらの対談で、さくまあきらが堀井雄二の
すすめで100万出してAppleを買ったが、使い物にならなくて、結局ゲームだけ
やっていたなんて言ってた。 他の会社はまだ家庭用パソコン出しても、使いものにならないから出さなかったのかな。
ジョブスがいなくても、数年遅れたかもしれないが、結局家庭用パソコンは出ていたのかな? 当時のゲーム誌に堀井がパソコンを初めて使ったのって27歳だって書いてあって
結構驚いた覚えがある
それから2、3年でエニックスのゲーム制作コンテストで入選したり、
その後すぐにポートピアやオホーツクを作ったのか、天才だ!って思ったな
当時としてはPCに触れるのがそのくらい遅いのも普通だったんだろうけど >>292
堀井が風俗ライターやってた当時はワープロが無くて原稿は手書き当たり前だったからなぁ >>280
110番の巻末にも開発中のオホーツクが特集されてる
ゆう帝ミヤ王が刑事コンビでキム皇がルフランのホステスのどいん画とか集英社、アスキー入り乱れの滅茶苦茶カオスな構図だよな >>277
さくまあきらがドラクエのようなゲームを作れ!
と指示を受けて桃太郎伝説を作りだしてわからない事があるとちょっと電話で聞いてくる、
と言って堀井雄二に電話して聞いてた、というエピソードが好き >>246
ファミコンのクソゲーを挙げるときに必ず出てくると言われる「忍者ハットリくん」。
しかし、俺はどうしても駄作論には同意できないんだ。
そこそこ面白かったと思う。まぁ、ハットリくんじゃなければミリオン行かないだろうけど。 クソゲーではないけど名作でもないってところか
そういやベニー松山が一番嫌いなファミコンゲームにハットリくんの名前挙げてたな
ファミコン本体買い直す際に抱き合わせでついてきたこともあるんだろうけど ハットリくんなんて全然クソゲーの代名詞じゃないでしょ
必ずその名が出てくるなんていうのはスーパーモンキー大冒険とか
たけしの挑戦状とかあのレベルじゃないと
同じ藤子系ゲームならオバQワンワンパニックの方が駄作だと思う >>298
そうかぁ?いきなり激ムズになるのが難点なだけで最初の方の面に限ればワンワンパニックは良く出来てると思うけどなぁ ハットリくんはもちろん、たけしの挑戦状すらも俺はクソゲーとは思わなかったね。
両方、それなりに楽しく遊んだよ。
必本の誰かが書いてたのが、スーパーアラビアン。
あれは金出して買った人はショックだったろうね。
俺はエレベーターアクション。アーケードのが面白いと友達が言ってたので買ったんだが、後悔。
4900円だか忘れたが、近所のおもちゃ屋で定価で購入。
ワンワンパニックは激務ムズで、親指がいたくなった記憶。あれもクソゲー。 スーパーアラビアンをクソゲーと言ってたのは山下章
発売日に買ってきて遊んだけどいつまでたってもおもしろくならないからカセットぶん投げた
その時カセットについた傷は今でも残ってるって必勝本最終号のコラムで書いてた
ついでに一番嫌いなファミコンゲームとしてもスーパーアラビアンを挙げてた 必勝本ではデビルマンをクソゲー扱いしていた記憶がある。 実写映画も邦画史上最大のクソ映画扱いされてるんだから
気の毒というか Theナムコブックで成沢大輔に「ナムコのデビ婦人シリーズ」と言われてたあのデビルマンな アニメはお子様向け。
しかし、漫画はお子様には強烈すぎる名作がデビルマン。 デビルマンはヒッポン本誌のレビューも成沢がやってたな
あとヒラ坊もレビューやってて2人とも酷評 ファミコンのキャラゲーでこれは!と思ったのは「キャプテン翼」くらいかな。
サッカーゲームとしてのゲームデザインも斬新だけど、
あのゲームデザインは原作の世界ともマッチしている。
高橋名人の冒険島とかグーニーズも良作だと思うけど、
そもそもあのキャラである必然性がない。 高橋名人にしたから、ミリオン届いたんでしょう。ワンダーボーイじゃそこまで売れてない。
音楽も良くなってたけどね。形は違えど、セガ初のミリオンセラーと言えなくもないのだろうか?
グーニーズはゆう帝が面白いと書いてたね。キャプテン翼はファミ通で中村光一が絶賛と言う程
でもないけど、良く書いてたね。 バンダイのキャラゲーでも、面白かったのがあって、
ディスクのキン肉マンとドラゴンボールU。カセットのキン肉マンもそこそこ。
最悪なのが、遠藤雅信が命をかけたとか言うCMのZガンダムね。 >>309
ディスクのキン肉マンはヒューマン開発らしい
もしかしたら後のマッスルグランプリのベースなのかもしれぬ 同じくディスクの仮面ライダーBLACKもヒューマン開発だったかな サブカルに強かったJICCの雑誌だったからキャラゲーをよいしょする気もなかったのかな ディスクの任天堂のプロレスもヒューマン開発。
ドラゴンボール2はバンダイなのにと驚いた。 サブカルと言えば>>246の響あきらインタビューだとだんだんサブカルに傾いていったってなってるけど
創刊時から他誌に比べてサブカル寄りの傾向はあったと思う
宝島のVOW担当してた古矢徹がファミコンバラエティ劇場担当してて小中学生おいてけぼりのイカれた記事連発してたし
あと今ふと気づいたけど響インタビュー、同じく創刊号ライターだったターミネーター辻にはひとことも触れてないのね >>313
そうだったんですね!
プロレスは良作でした。 任天堂プロレスと王位争奪編のキャラ造形は確かに被るな
どちらもヒューマンと知って納得 スーパーになった後だったと思うけど確かみそがPCEのフォーメーションサッカーを推してたと思った
確かにとても面白かった ファミリーテニスは相手にネットに出られるとロブで逃げるしかないが、
ファイナルマッチテニスはパッシングが通るから100点という読者投稿がアタと思う。
確か鈴木みそさんもそれに同意していたはずだ。 ファイナルマッチテニスはトルシエの通訳やってたダバディが大絶賛してたな
ヒッポンきっかけで買ってハマったスポゲーといえばレッスルボール 今と言うか、もう随分前からなんだが、「あのゲーム」を作っていたのが同じ会社だったと、20年以上もの月日を経て分かるとは。
オホーツクと鬼ヶ島、MOTHERを作った会社が同じだったなんて。
ま、鬼ヶ島とMOTHERは任天堂が作ったんだと、当時は思っていたんだけど。 当時は下請けや外注の存在なんかユーザーにはほとんど認知されてなかったからなあ
販売メーカーが自前で作ってると思ってた 当時じゃエグゼドエグゼスがなんで徳間書店から出るんだろう?位の疑問だな >>320
ソフトニカの公式飛んだら再始動って書いてあってビックリなんだ 飯野賢治がゲーム批評でスヌーピーコンサートの批評をしてたんだが、そこで
任天堂が作ったと言う噂があるけど、MOTHER2のスクロールがガクつくので?と思ったら、
開発はHAL研だったなんて事があったので、このゲームも任天堂の仲の良い下請けが作ったのかもしれない
なんて書いていた。飯野賢治すらも当時(1995年)は知らなかったんだね。 この話面白くて、飯野賢治の言う通りだったんだけど、ただその会社がファミコンでありながら
スクロールのガクつかないMOTHER1を作ったパックスソフトニカと言う会社だった。
何故MOTHER2もパックスソフトニカが作らなかったのだろう。
パックスソフトニカ制作ならば、MOTHER2も良いものになっていたと思うくらい、MOTHER1の出来が良かった。 マザー2は開発が行き詰まって、岩田さんが作り直したんじゃないの?
ちなみにマザーはタイレル辻さんが、ゲーム開発のことが分からない人(糸井さんのこと)がゲームを作ると駄目になる例として挙げていた。
ゲームを作る人はプログラムを書けるか、最低でもそのハードでどんな事ができるか
熟知していないと駄目なんだ、と言うのがその理由。手厳しかった。 タイレルのレビューは開発者視点という面では、そこそこ興味深い切り込みだったけど
肝心のレビュー内容は、気をつかって言えばマニアックで硬派な評価
ハッキリ言っちゃえば客観性に乏しく、単に自分の好き嫌いだけで評価してた感じ
ゲームの面白さとかに関しては、完全に一般ユーザーと感覚がズレてたとしか思えなかった タイレル辻はネクロマンサーを『ゲロゲロに凄い出来ですぜ』と言ってたね。
俺は出だしだけやって、引き込まれずに止めちゃった。
別に数百円で叩き売られていたのを買ったから、いいんだけど。
MOTHERは必本だったか覚えていないんだけど、糸井さんの表現したい事を
できていたら、もっと良いゲームになっていたでしょう、みたいな事を言ってた人がいたね。
俺は任天堂(当時は任天堂開発だと思ってた)だからこそ、あれだけの出来になったんだと
思ってたけどね。 タイレル辻さんはイース3も酷評していた。
その理由は2までBGMを担当していた古代さんが、3には関わらなかったということだった。
BGMもゲームの面白さの重要な要素なんだ、って言ってた。
さすがに自身の単行本で同じことを指摘したときには、名指しは避けていたけど。 正確なニュアンスは忘れたけどBGMが凡庸なイース3は駄作じゃ!だったかな
BGMもゲームの重要な要素というのは確かだけど、それだけで駄作認定というのはさすがに短絡的すぎないかと感じたな
まあ上にも書いた通りタイレルのゲーム評ってアレすぎてそもそも信用してなかったけど
MOTHERはヒッポンだと田尻智が欠点とかも指摘しつつも割と好意的な評価してたな 正確なニュアンスは忘れたけどBGMが凡庸なイース3は駄作じゃ!だったかな
BGMもゲームの重要な要素というのは確かだけど、それだけで駄作認定というのはさすがに短絡的すぎないかと感じたな
まあ上にも書いた通りタイレルのゲーム評ってアレすぎてそもそも信用してなかったけど
MOTHERはヒッポンだと田尻智が欠点とかも指摘しつつも割と好意的な評価してたな タイレル辻のタイレルはスチュワートで有名なティレルとは違うんだっけ?
読者が質問していたが回答を忘れた >>333
ブレードランナーのタイレル社から取ったと書かれてた記憶 ファミコン雑誌スクランブルでチラッと紹介されてたG&Gって雑誌は本当に出ていたんだろうか
芸文社といえばのちにネオジオフリーク出してたけど >>328
ネクロマンサーはソフト作りすぎたこともあるんだろうけど、
どこでも980円以下で投げ売られてて、それでも捌けず長い間売れ残ってたな
誌名は思い出せないけど、どこかのゲーム雑誌のPCエンジン特集で、
田尻智が人を楽しませようという気が微塵もないゲームだと、バッサリ切り捨ててたのが記憶に残る ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています