蘇るファミコン必勝本 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
昨日発売されたのですが、今日AMAZONから届いた人も多いでしょうか。 みそに関してはヒッポンスーパーで91年からずっとコラム書いてたよね
どんぶりいっぱいのうんこをいくら貰ったら食えるかとか書いてた
結構おもろかったよ >>152
ほぼ全ての連載や読者コーナーを何の予告もなく平気で打ち切りやがったからなあ
それで抗議のハガキに対しわざわざ誌面使って挑発的な返答してたからどうしようもない
バーチャファイターの凄まじいオナニー特集記事も同様に誌面使って自己正当化だし もうヒッポンは読みません
さようなら
まさに同じ気持ちだったな >>155
あんたっちゃぶるが89年開始だから、やっぱり一時期ヒッポンを離れていたが
作家先生として凱旋したっぽいね
そういえばあんたっちゃぶるの読者からのハガキコーナーで
「ファミ通とヒッポンスーパー、どっちの方が原稿料高いんですか」って質問が来てたわw
あとファミ通で、ヒッポンの編集時代のみそのイラストが転載されていて
(ヒッポンの裏技コーナーだったと思う)、「今の方が絵が上手い」とか書かれてたな
遠回しに昔は下手だったと 消費税導入あたりからファミマガやファミ通が400円超えることもあった中
260円で踏ん張ってた分90年に入ってからの割高感が… ファミマガは忘れたが、ファミ通は280円で結構粘ってたと思うが
消費税導入が89年、ファミ通週刊化が91年だが280年だった
それから2年ぐらいして290円に上がった時に「ファミ通、そろそろ300円」とか
読者コーナーで皮肉らてれたが、実際に300越えたのは結構後だったと思う 490円ぐらいだっけ
月1だからそんなに高く感じなかったが ファミ通は週刊化前は300〜350円、合併号や付録が多い時は400円くらいになってたと思う いや90年代後半は290円だったよ
おれかってたし >>158
ヒッポンの連載コラムでも出版社から分厚い封筒が送られてきて
何かと思って見てみたら過去の原稿返却だったってマンガ描いてたな
(下手すぎて)オレは見たくなかったのに…ってオチ 元編集長の大塚ギチ大先生は去年の7月に脳卒中で倒れて現在闘病中
ツイッターで多くの人に裏切られたとか人間関係や会社むちゃくちゃにされたとか泣き言かいてるけど
1994年に自分がやったことは忘れているようだな >>137
No43〜No56が俺の必勝本空白時間なんだが
No57のファミスタ88予想で「ひさびさのみそ登場」、となってたから
この間にスタッフから抜けたんだろう
この辺りを知ってる人のレスを待とう >>165
別にギチ1人が悪い訳でもないしそもそもの原因は宝島社の
方針転換のせいだが、当時のあの読者おちょくったやり方はヘイト1人で買ったよね ギチって91年からヒッポンにいるんだな
中古価格担当だったらしい 成沢は50歳直前でなくなり、「戦犯」ギチも死にかけている
俺たちも健康には気を付けていきたいものだな
このスレ見てるのだからもうみんないい歳だろうしな 最近やたら早死してるよな
ブルマとかちびまる子とか
どうなってんだ タイレル辻はあの糞リニューアルの前にヒッポンから離れてたような気がするけどどうだったっけ PCEの担当が変わった記憶は無いが
SFCPCEMDは同じだったと思う リニューアル前にブロードウェイも迷走してんだよね
点数評価から星評価になって最終的には文字だけの評価になった気がする
あれも誰も望んでないのに勝手に変えたよね PCEの担当って最初バイク事故で死んだ人だっけ?
なんかそんな気がする
北なんとかだっけ 北枕獲
ヒッポン本誌だと不慮の事故で永眠と欄外で簡潔に書かれてただけで、バイク事故とまでは書かれてなかった
>>172
最初は北枕がやってたけど急逝したことでタイレルに交代
その後佐久間某とかいう人に変わってたと思う 北枕獲が急遽ヘルプで入った劇場版コブラの作画パートがパンフで使われてて嬉しかったと書いてたけど
その後パンフを入手したがどこに載っているのかわからなかった
確かドミニクがうんぬんと書いてあったと思うんだが 佐久間ってネオジオも担当してたような
移動したんかな >>141
俺はそれは見たことないから言及できぬが、ゲーム関連書籍ってゲームのデータ量が多くなるとそのデータを誌面に垂れ流しの傾向が多いと思う。
コーエーの関連書籍なんてひどいもんさ…。
それにその書籍を読んでゲームと一緒に楽しむ事が困難になったような気がする。
懐古主義全開で恐縮だが昔は良かった。
書籍内のちょっとした文面だけでも妄想を膨らませて楽しめた。
これも人の経験でさらなる欲と要求が出てくるから仕方ないんだけど。 バーチャのそれは今まで雑誌で見た中で1番酷いページの埋め方だったわ
ただバーチャのキャラが載ってるだけという
何がしたいんだ状態
ヒッポンはいい雑誌だったけど最低な終わり方したね
あれなら休刊できちんと終わらせた方がずっとよかった 自分も94年秋ごろにはいくらなんでも誌面変わりすぎだろと首をひねっていたが
その後の号の読者コーナーで文句言ってる人がいて、やっぱりみんな同じ感想なんだなと納得した
ネットのない時代だから、そういう苦情もタイムラグがあるんだよね
それでも半分惰性、半分は元に戻ることを期待して数カ月は買い続けてたけど翌年の春頃には買わなくなってた
それから一年立たずに休刊したんじゃないかな
95年の夏頃に久々に購入したけど戦犯の大塚後藤の名は編集者の欄からは消えてたけど
一度失った読者は戻ってこなかったんだろう その後もロクヨン、攻略の帝王と誌名変更とリニューアル繰り返しながら続いたけど98年に休刊
創刊号から買ってた身として一応最後まで買ったけど、はっきり言って惰性で買ってただけで最後の方は読んでもいなかった そもそも大塚達が実権握った時点で従来のヒッポンは終わってるからな
従来のライターみんな辞めたから大塚が表に出てこれたわけで
それ以前に既に死んでる こんなに愛されて叩かれ呆れられた雑誌も珍しい気もする 手元に何冊かヒッポンあるがやっぱソフトレビューが1番読み応えがあって面白いね
ヒッポンで推奨してたゲームが実際に面白かったのかといえば疑問も多かったが
やっぱ1人に全部やらせたら偏るね
その点ではファミ通のクロスレビュー方式の方がゲーム買う時の参考としては役立ったんだよね
昔のファミ通のクロスレビューをまとめた本読んでても
やっぱ4人いると誰か1人は自分が実際遊んだ時におもったこと書いてんだよね
ヒッポンだとライターおすすめだと大絶賛だけしかしないんだよね ココロンってあれ面白かったか?
個人的にはクソゲーに片足突っ込んでると感じたんだが
あの絶賛の仕方は何らかのタイアップっぽいんだが
実際開発会社のインタビュー載せてたし
たまにこういうことあるんだよねヒッポンは デビルマンの替え歌で
裏切り者の名をうけて〜
ドンキーコングを捨てて〜デビューした男〜
?
?
スーパーマリオで大ヒット
パート2でまたこけた
い〜まではゴルフ〜みに〜つ〜けた〜
ファミコンのヒーロー
マリオだ〜マリオだ〜!
という読者投稿があったが
ドンキーJrとドンキー3の歌詞が思いだせん 開発会社倒産したんだよな
ココロンもワゴンで3桁だったし 今はまた少し値が上がってるけどな
2600円くらい http://happy-hour.hatenablog.com/entry/2019/05/04/222039
ギチが逝ったか
必本的にはアレな人物だが、冥福は祈らせてもらう
しかしギチとベニ松に付き合いがあったのは意外だったな
必本編集方針変更をやった者と出て行った者だが
さすがに20年もたってそのことを引きずってはいなかったということか 今更死んだ人に恨みもクソもないわけだが
やっぱ部数に問題があったからテコ入れせざるを得なかったのかね?
ウイザードリィ押しだったり何かと尖ってた感はあって好きだったけど
確かに読者が限定されてるたかもしれん とはいえその読者を切り捨ててまで強行したリニューアル後の誌面に魅力がカケラもなかったのが…
コミックボンボンと並ぶ最低最悪のリニューアルだったと言い切れる DQやFFのコーナーを全部終わらせたのは相当数の恨みは買ってただろうな
さらにクレームつけた読者にも喧嘩売ってたし
自分はあまりそういうのに思い入れはなかったけどレビューの改悪や
誌面前体の手抜きが酷かったから買わなくなったけどね
なんというかゲームを紹介してないんだよ
画面写真を載せてキャプションや本文でゲームを伝える手間を省いて
宣材のCGをそのまま載せるだけで数十ページみたいな
それで数カ月後に立ち読みしたら名前も無くなってたからクビになったのかね?
https://imgur.com/dl05JvE 91年位から買うのをやめてしまった俺はいい思い出だけを持ち続けられるのかもしれんな >>195
何冊も単行本だしてきた各ゲームの読者コーナー打ち切った挙句この対応はマジ糞だな
当時はネットはほぼ普及してないし、イラスト投稿なんてできなかったから常連の激怒も当然
25年経っても言われ続けるのも納得
もう1人の戦犯後藤ってのは何してるんだ? その打ち切り方も予告とか全くなくて突然全部バッサリだからな
んで読者挑発とか最低レベルの常識や誠意すらない 後藤はフリーライターとしてじゅげむとか各種攻略本で名前は見たなぁ
サッカー系の記事とかも書いてたような
こいつもほぼ同罪なんだよね 今でいうなら新製品が出るたびに新スレ立ててるようなもんだろうか
本人たちが立ててるスレも結構あったから情報が確実で良い面もあったな >>199
ギチの悪名が轟いてるせいで影に隠れがちだけど後藤某のクソ所業も大概だったな ギチが叩かれてるのはその後ファミ通に行ってバーチャ関係の本出して結構露出してたからなんだよ
このギチってあのヒッポンのギチかってなって
ヒッポン潰しておいて自分はぬくぬくファミ通で何やってんだよって
さらに旧ヒッポン読者の怒りを買った
25年経っても言われるんだから相当だよ 仕事の質は総じて低いくせに世渡りだけ妙に長けてるという典型的業界ゴロだったからな >>202
ファミ通のバーチャコーナーでやってた小説?は子供心にきつかったな
当時はサブカルオタクなんて言葉知らなかったけど、なんとなく感じてたんだろうか ギチの追悼記事がいくつか出てるけど
伝説的ゲーム編集者とか誰もが憧れるとか書いてあって草
死者に鞭打つのは嫌だけどそれは違うだろと思う
普通にゲームの紹介記事作ることにおいては
全く才能なさそうだし 悪い意味で伝説ではあるな
編集者やライターとしては超無能の一言に尽きるけど人不快にさせる能力だけは天下一品 多くの人にとってギチはファミ通以降しか知らんからな
ヒッポン時代はヒッポン読者しかしらない 俺の場合ファミ通まるで読んでなかったこともあってヒッポンでやらかしたイメージしかない
まあそういうのは極一部だろうけど 成澤とかもそうだろうね
ヒッポン辞めたあとの方が有名
ただ本人はヒッポン時代の方が思い入れ有るみたいだったけど ヒッポン時代は良くも悪くも割と好きにやれてただろうしね 漫画のカバーデザインは良いものが結構ある
しかし今思えば本人がやっていたのかわからない バグボーイデラックスは続刊してほしかったなあ
あれ1冊だけだと物足りない 社名がJICC出版局から宝島社になったあたりから急激に失速したイメージがあるな 古市憲寿の本を読んでいると、ベニー松山の本、成沢大輔の文章を読んでた時の
感覚を思い出す。 任天堂はドクターマリオをスイッチ、スマホ向けに無料配信すべきですね。
縁起担ぐ意味で、世界中の人間がドクターマリオでバイ菌をやっつける。
きっと、世界から褒められる事でしょう。 北枕獲って亡くなっていたんですか・・・衝撃です。
タイレル辻さんとPCEとFM-TOWNSでRPG作っていましたよね。 多分、HIPPONNの全盛期に買うのを辞めたから、亡くなったのは知らなかった。
ウィザードリィの小説もまだ連載していたと思う。
タイレル辻さんはネクロマンサーの続編を作っている、グロいとか言っていたのを覚えているけど、北枕さんが亡くなったからお蔵入りしたのかな? 92年だったかな
ttp://iup.2ch-library.com/r/020629800815874011280.jpg アド間違えた
ttp://iup.2ch-library.com/i/i020629800815874011280.jpg >>221
ありがとうございます。
今、読んでも衝撃ですね。
タイレル辻さんはご存命なのでしょうか。
今でも、本棚に著作があります。 成澤大輔は攻略本のタイトル通り、一生ダビスタで遊び続けていたかもしれないけど、
その一生が49年だったとは。 成沢さんはダビスタに出会って人生が変わった気がします。
俺なら10点満点中100点をつけるってべた褒めしていましたから。
ドラクエ2を酷評したり、MDダライアス2に3点をつけたり、
辛口批評で物議を醸したのが懐かしい。 レッスルボールに10点の評価付けただけでも全部許せるわ
それを信じて購入してアホみたいにハマったからなぁ… 成沢さんの思い出。
・PC88版シルフィードを絶賛していて移植を熱望していたんだけど、MEGA-CD版はそれほどでなかったみたい。
・SLGは嫌いと断っていたが、セガのアドバンスド大戦略は絶賛していた。
・シャイニング&ダクネスを高評価していたが、後に評価が変わったみたい。
・ドラクエ2は酷評していたが、ドラクエ3は評価していた。 ドラクエUを酷評したのは、読者から怒りの声がたくさんあったようで、
ナムコの編集部対抗ゲーム大会でも、怒られていたとか。
ファンタシースターTを絶賛してたね。 そうそう。
ファンタシースターのスムーススクロールダンジョンがお気に入りで、
でも、MDの2では3Dダンジョンがなかったからお冠だった。
それがシャイニング&ダクネスの高評価にも繋がったんだよね。 そしてwikiによると4では制作者への人格攻撃ともとれる表現をしたとか。
なんて書いたんだか知ってる人もこのスレには多いのだろうけど、俺は知らない。 俺も知らない。
でも、成沢さんの辛口評価はメーカーにとって耳が痛かったみたいで、
セガモデムのサービスが始まったころも、セガがサービスを全然更新していなくて、
それを誌上で批判したら、セガがすみません、と謝っていた。 ドラクエUの批判に関しては、時間が経つと成沢の見方も、受けいられ始めた。
ファミ通がそうだった。時間が経ってからだが。
なにより中村光一が、成沢の批評を肯定するような事を言っていた。 批判内容自体はそんなに変でもなく的外れな事言ってもなかったしな ドラクエ2は時間がなかったからゲームバランス悪いまま直せなかったんだよね。 開発に時間をかければアラを少なくすることもできたかもしれないのに惜しいと一応フォローも入れてたな 雑誌による本格的なFCゲームレビューの黎明期でもあったからな
まだ色んなノウハウが確立していなくて、批評する方もされる方も
慣れてなかったってのがある
昔、文壇とかで今とは比較にならないようなシャレにならん
対立が沢山あったのと同じ ゲームの批評という面でファミコン必勝本の果たした役割は大きいと思う。
ファミマがはゲームの紹介とウソテクがメインだし、
ファミ通はクロスレビューあるけど、文章短いし、半分は大手の宣伝?みたいなところがあった。
ゲームの出来を批判すると、ソフトメーカーから新作を貸してもらえなくなる(つまり、新作の紹介ができないので紙面が成り立たない)っていうのがあるから。
そりゃ、ソフトメーカーの立場から言えばそうだ。あくまで宣伝のために貸すのであって、叩かれるってことは売れなくなるということだから。
だから、偏りはあったにせよ、辛口レビューを載せた必勝本がいまだに読者の心に残っているんだと思うよ。 俺は響あきらさんの批評で目覚めたよ。
当時、シューティングゲームに無敵モードがあるのは当たり前だったんだけど、
無敵モードはゲームをつまらなくするって内容だった。
覚えている人いる? ジャンプのファミコン大神拳とどっちが早かっただろうか
今思うと堀井もよくあんな時間があったな 暇だったからゲーム作ってコンテスト応募してたんでしょ
むしろ忙しくなってもDQ4辺りまでライター続けてたのがすげえ いやドラクエで大ヒットした後も大神拳を続けてたじゃん
時期的に2や3やFC版オホーツクを作ってる時もやってたからすげえなって
あとヒッポンの本格的な批評よりも早かったプレFC批評的なものでは
同時期のコロコロでもあったな
子供向けとはいえ、こういうゲームは良い・良くない的なゲーム批評は
記事でもあったし漫画の「熱血ファミコン少年団」とかでもしていたな >>240
ごめん、意見が一致してたw
当然凄いって言ってるはやっぱりドラクエで忙しくなってからも
レビューをやってたって意味 >>238
明石家さんまさんにもインタビューしてたよね。
ナムコのADVで。
当時のキャラゲとしてはなかなか面白かったと思うけど、
響あきらさんは「それでも僕は首を横に振る」と手厳しかった。 レビューだと結構高得点付けてたけどその後の特集記事でシナリオが単純というか平板で当たり前
奇想天外なゲームが好きな僕にとっては退屈なゲームだったみたいなこと言ってたな
無敵モードとキャラゲーの記事炊いてきた
ttp://iup.2ch-library.com/i/i020642455415874511245.jpg
ttp://iup.2ch-library.com/i/i020642466415874611246.jpg >>229
>>230
こういうレビュー
ttp://iup.2ch-library.com/i/i020642477415874711247.jpg 改めて読んでみるとキャラゲーに関しては単なる好き嫌いでしかない感じだな
マッスルタッグマッチにせよハットリ君にせよ、原作関係なくつまらなかったら
絶対に投げ出してたが明らかに面白かったよ
20代の奴にありがちだが「俺はキャラゲーなんて嫌いだしどれもつまらないに
決まってる」って自分を頑なに洗脳してたからつまらなく感じてただけじゃね?
実際、子供だってキャラゲーであってもつまらんゲームは即座に投げ出してたし、
ろくに売れてなかったよ。アレとかコレとか
ttps://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1603/12/news001.html
しかしこの記事には驚いた。まさか響氏がこの人と同一人物とは
なんだってー!!!!!! 意外と響あきら=MMRイケダっての知られてないのよな
俺も知ったの比較的最近だわ
そのインタビュー記事だと響はアーケード派みたいなこと言ってるけど
同時にパソコン派でもあった印象
本人も認めてるけどファミコン軽視してた感じは確かにあったな >>244
ありがとう。
何十年ぶりにこの記事を読んだよ。
当時のことが蘇った。
でも、隠れキャラに言及していたのは記憶がなかった。
カリオストロにコナンとハイジ?
そうだったのか・・・これも知らなかった。 >>232
俺は船取った後、シナリオが崩壊しているとは感じなかった。
逆にV以降だとストーリーが一本道だとかね。別にいいんだけど。
戦闘のバランスもUはシビアぐらいで、目茶苦茶とは感じなかった。
ドラクエUはあまりにも面白すぎて、こんなに面白いものにケチ付ける奴なんているのか
と言うのが、多くの人の反応だったのではなかったか。 とりあえず成沢が具体的に批判してたのは結果がヒントを先行する可能性がある点だった
わずか1/2ページのスペースで87年のソフト総括しなきゃならんから仕方ないだろうけど
今改めて見ると酷評ってほどのもんでもないけど当時はこれでも結構過激な内容で
ドラクエ2批判するなんてとんでもないみたいな風潮もあったから
読者コーナーにも成沢批判の投書がいくつか載ってたなあ
ttp://iup.2ch-library.com/i/i020643100115874011210.jpg >>239
ファミコン神拳と必勝本の比較ならファミコン神拳
85年夏に始まってる
必勝本は86年から
ただ前身となるファミリーコンピューター必勝本となると85年6月だからファミコン神拳より前 >>250
ドラクエ2が盛り上がってた頃のファミコンのコマンド入力式RPGなんてドラクエとドラクエ2とディープダンジョン位だから
やれるゲームといえばファミコンしかなかった俺はそういう物だと思ってやってたな
滅茶苦茶なのかどうかも比較対象がなかった ドラクエ2以降は船をとったら自由度が飛躍的に増すっていうのが、面白さになっている。
俺もプレイ当時は面白かったから気づかなかったが、自由度が増して生じる矛盾に切り込むところが、
さすが成沢さんといったところか。
とはいえ、俺からしたら、むしろ、ゼルダの伝説に当時流行りのRPG要素(経験値をためてレベルアップ)を導入した
リンクの冒険の方が中途半端な気がした。
女神転生に目をつけているところはさすがだと思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています