昭和時代のゲーム生活ってどんなのだった?
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>>490
MSXハイドライドU(PC ROMカセット初のバッテリーバックアップ)は
10年チョイ消えなかった。 >>498
当時近所のデパート屋上にドラクエ1あったけど
100円で20分か30分のみプレイ可能で
ほりいゆうじ えにつくす どらごくえすと だよ
の呪文でなんとか時間内にクリアしようと果敢に挑んでたなw
確かレベル25で主要装備もほぼ充実してた記憶がある あれ
まるかつの ばかやろ ばかやろ まぬけ
の呪文だったかな?
どっちか忘れたw 多分>>501の方(レベル25)
>>502はレベル8だからありえない
一応金ガッポリで普通のレベル8よりは断然有利だけどとても30分で竜王は倒せまい マル勝系ならば
まるかつは やつはりせかい
いちだつた のだよ
でしょ
これならLv20と少し劣るけどロトの剣と水鏡の盾装備
あとはドームドーラーでロトの鎧さえ取ればすぐ竜王を倒しに行ける。 ドラクエ11でなんか面白いふっかつの呪文知ってる?
1回クリアして放置なんだが、暇なんでまたやりたくなってきた できれば序盤から有利なやつとかあればおながいします そういえば何でDQにマル勝系の復活の呪文なんて入れたんだろう
堀井orエニックスと角川の間に何かコネみたいなもんあったっけ? パスワードを間違えた子が、くわたきよはら…でクリアしていた。 ローラ姫なしクリアを目指すなら
いのきばば…
のレベル26がオススメ ドラクエTとUの最強レベルの復活の呪文は今でも覚えてる。
学校の成績は中の下だったのに、こういうことの物覚えは我ながら驚異的w 最近は芸能界で慶祝・不祥事のニュースがあると取り敢えず復活の呪文に入れてみるネットニュースがあるな
2015年の「さかいのりこよ こむかい たしろまさし あすか」は笑った >>499
俺もw
ついでにクイズダービーと日本むかし話も欠かさず見てた >>17
>昭和ったらゲームウォッチだろw
ファミコン買う前がカセットビジョンとゲームウォッチだったな…
まずゲームにBGMが無かった >>389
昭和に想像できた未来のゲーム像は「LDゲームが家で遊べるようになる」が精一杯だったな
それもメガCDの時点で実現できてしまって、それ以降はずっと未知の世界 昭和のゲーム生活を知りたければゲームセンターあらし
と言う漫画を読んでみよう えっ本物の戦車でタンクバタリオンやったり
地球より大きいプロジェクターでギャラクシアンやってたんデスカースゴーイ >>514
それより前だけど
VHDで映像の途中に選択肢が出るタイプのアドベンチャーゲームがあった
父が誰かからプレイヤー借りてきたんで遊んでた 年上の親戚または幼なじみがいると、その子の方が財力があって沢山ゲームを持っているので
楽しく家に通った(そこんちが中流家庭以上だった場合)
>>514
自分は射撃ゲーム等のエレメカと同じものが家庭のTVで出来るようになると思ってた
最近VRという形で実現したけど まだ子供は外で遊ぶものという常識が残っていたので、
太陽電池を積んだゲームウォッチをわざわざ外で遊んだ
後にゲームボーイが登場してテトリスの対戦をわざわざ外でやったが、あの液晶は直射日光下では見づらかった >>519
そだそだ
親父が風邪で仕事休んでた日、遊びに来た友達3人とファミコンやってたら友達が親父に追い出された
1人残った後で親父に言われたのは
ファミコンやりにくる友達なんか作るな!
典型的な石頭親父だった
もう死んだけど 友達の友達の友達みたいな
知らないやつが遊びに来てファミコンやってたな
俺も知らないやつの家に遊びに行ったこともあるし 知らないやつの家で昼食までご馳走になったことがあるなw
俺は友達じゃないんだがそこんちのお母さんが俺の分まで用意してくれた >>521
あるあるwww
俺の家で長々と『夢工場ドキドキパニック』やってさ。
あいつ誰やねん!と今思う。 「あいつん家、こんなゲームがあるんだぜ!」って友達に言われて
未知のゲームを求めて知らない奴の家に行く
こんなケースが80年代の全国各地で発生してたんだよなw
それと何故か直接の友達じゃなく友達の友達ほどソフトもそうだが、
SG1000、カセットビジョン、セガマークV、PCエンジンCDロム2等、
ファミコン以外の物珍しいハードを持ってたりする法則 でも思えばそういうゲーム目当てで押しかけていった奴or押しかけて来た奴と
後で親しくなって本当に友達になった事って一度もないな…
>>520の親父さんの言ってる事は決して全て間違ってるわけではなかったのかも
ゲーム目当てだけでは友情は生まれない、みたいな?
この親父さんは直接の友達を追い出したのはヒデーがw
ボール遊びやドロジュンでw共に汗を流した奴らとか、漫画の貸し借りで
親しくなった友達は数多いのにな だいたい財力とか能力が対等でないと友情って発生しないヨネ。
(この場合なら同じファミコンやメガドラ・エンジン持ってる子)
両方とも下の子は上の子と仲良くされててもまず、
友達じゃなくて「ペット」と思われてるから注意w >>526
いやあそれも違うな
金持ちの奴もいじめられっ子に転落する事もあれば、成績やスポーツが
必ずしも同じレベルの奴ばかりが固まるって事もなかったよ
今は知らんが昭和の小学校は結構雑多でカオスな感じ
ペットなんて表現も当時は友達が大しておらず、あまり子供社会の
人間関係を知らないガキだった奴が大人になってから身に着けた
「イキり語」でしょw
いや必ずしも>>526がそうだと言ってるわけじゃないよ、うん >>525
うちのおやじも>>520と似たようなもんだったよ
さすがに追い出しはしなかったけど
友達と遊ぶならやれボールで遊べとか虫取りしろとか
ボールなんてそんなクソなもん学校でたくさんだろ
家でやったところで人数も少なくてつまらんし >>527
別に匿名なんだから思い出に補正かけてイイヒトぶらなくてイイノヨw
>>525で言っちゃってる本音はもう取り消せないデショ。
ボキちんはキミのゲス思い出を肯定して助けてあげてるノニ、
自分だけイイコチャンになって逃げようとする子の人間関係もホドが知れてるワネェ。
だから押し掛けても友達になってもらえなかったノヨォ〜w >>524
友達の友達の兄貴が持ってたFC三國志に触れたのが自分にとっての初めての光栄ゲーだった
自分もやらされたが小3では当然理解できず。 >>527
公立小学校・中学校は大体そんなもんだよね。 >>525
>でも思えばそういうゲーム目当てで押しかけていった奴or押しかけて来た奴と
>後で親しくなって本当に友達になった事って一度もないな…
一概にそうとも言えんよ
そんなのと今でも友達だし家族ぐるみでの付き合いにもなってる
お互いの結婚式にも呼び合ったし >>528
>ボールなんてそんなクソなもん
翼くんが怒りそうだw >>530
子供の頃はアクションとかシューティングとか
自分で動かして倒す、面クリ、
とかのほうが面白かったよね 俺、中核市の住宅街で育ったから、そもそもボール遊びする土地がなかった。
裏路地で数人でサッカーなんてやろうものなら人の家の庭にボールが入って面倒だった。
犬がいたりすれば尚更。車や通行人も当然来るから、あまり楽しかった思い出がない。
ただ、ファミコンが爆発的に流行った時でも「子供は外で元気よく遊ぶもの」という
風潮がまだ強かったので、あまり当時の大人からは良い印象は持たれなかったと思う。 幼稚園児だったけど
友達が誰一人ゲーム持ってない中、親のパスワードで遊んでたわ
盆や年末にじいちゃん家行くと、1つ好きなの買ってもらってたけど、
まあ幼稚園児が選ぶもんなんてクソゲーしかなくて結局何百回とやっても1面か良くて2面まででクリアできずに置かれていって、
平成になって小学の友達とやったりもしたけどスーファミ出てやらなくなった >>530
クラスに一人は
三国志マニアがいたよね >>533
キャプテン翼がパチンコになった時
「今度はぱちんこが友達だ!」
って言ってたから怒らないとは思うよ。 ファミコンをやりに家に友達、幼馴染がよく来ていた。
ドラクエ2とか桃鉄とか邦夫くんとかやって盛り上がった。
ファミスタでゲーム大会やったりしたなぁ。
でも、ファミコンに飽きてくると皆家に来なくなるんだよね。笑
つまり、そいつらはファミコンをやりに来たのであって、
俺の存在はどうでも良かった、と。 >>533 >>538
そうだパチンコになった時にそう言ってた
「玉(ボール)はトモダチ」と書くべきだったと思う(「友達」じゃなく「トモダチ」と書くべき)
今ではボールとは疎遠な翼くんでありました
あの台自体もガロのスペックにテキトーにくっつけただけでキャプツバらしさをまるで活かせてなかった
まあそれ以前に「おれたちのこの怒りはボールにぶつけよう」と八つ当たりじみたことを言ってたのでボールに絶交されたのかも >>539
逆に「○○(俺)の家に行くとファミコンしかやらないから行きたくない」と言われたことがある
サッカー大好きな子だったので、運動が全くできない俺とは嗜好が合わなかったんだろうだったら
または俺がよほど嫌われていたか 小学生の頃はファミコンあっても
割と外でも遊んでたな
中学生くらいになると
ゲームばっかりになった ボードゲームも好きだった
定番の人生ゲームはもちろんだけど
バンダイのドラキュラの館ゲームと言うのが特に好きだったな
また遊びたいな なんだかんだでゲームを通してできた友達が今親友になってる人ってけっこういるんじゃないか? ネットで対戦もいいけど
同じ部屋で同じコタツに入って一緒にゲームするのは良い パーティジョイのマリオゲーム4人でよくやったけど面白かったなぁ
大事にとっておいたのに価値を理解できない親父に捨てられたんだった
きっと今なら万近くで売れたのに 親の世代だとガキ大将みたいな存在がいて、近所の年のはなれた子供達がまとまって遊んでいたらしいが、さすがにそんな経験はないな
知らない奴と遊んだ経験はあるが、友達の友達か友達の兄弟だった ガキ大将って面倒見が良くて仲間がいじめられたら放っておけないような人間でないとなれなかったらしい
なぜかゲーム好きにはそういう性格の人が少ないな ある日住宅地を歩いていたら、大正生まれくらいの知らない婆様が「そこに友達がいっぱいいるよ!遊びな!」と言ってきて
何でこの人が俺の友達のことを知ってるんだろう?と思いながら行ってみたら単に学年も違う顔も知らない奴らがたむろしてるだけだった
婆様には「知らない奴といきなり遊ぶどころか話しかけるのすらキツい」というのがわからなかったんだろう たまに近所の子供で集まって遊んでたのう
3つ4つ上のあんちゃんにラジコン触らせてもらったりした
スパルタンXや北斗の拳のボスの倒し方教わったり
あと夏休みの子供会で海やディズニーランドに行ったりするのが楽しみだった スーパーに置いてあった魔界村をクリア出来た
(実は1周だけだけど英語読めないから意味わからない)
とクラスで自慢したら誰も信じてくれなくて喧嘩になった覚えが 団塊ジュニア世代でマンションなんかに住んでいると、
年齢層の違う近所の子どもたちで遊ぶシチュエーションはよくあったよ。
大抵は野球だけど、ファミコンが出てきてから、みなだファミコンをやって遊ぶのが一つの定番になった。 子供会っていう組織が未だによくわからない
同級生でも参加する人としない人がいて、俺はよくわからずに参加しない方を選んでしまった
子供会が廃れていった理由って色々あるんだろうけど、テレビゲームの普及って大きく関係している気がする
当時はリクリエーションより日々進化するゲームの方が新鮮に映った 子供の数が少なくなったのと共同体の帰属意識が薄れたのだろうネェ。
俺らが子供の頃は町の金持ちや企業家って町内のためなら
当然のように私財を提供したもんだケドもうそういうのも無いんデショ。 そういえば子供会ってあったな。参加するかしないか微妙な気分だったな
親しい友達と一緒と言うものでもなかったし
ただ子供会で参加した芋掘りは妙に楽しかった記憶がある
テレビゲームとは全く異なる楽しさだな 町内会に子供会があって、どっかにキャンプに行った記憶がある。
キャンプ場の公衆トイレが・・・だったのは覚えている。 >>559
昭和じゃなく平成初期だけど当時の子供たちは子供会行事をゲムボ対戦の機会として活用してた気がする
確かそんな行事を何度か見たことがあるけど子供たちが対戦ケーブルでゲムボやってる光景ばかり見た 海なし県なので夏休みは海が定番で、たまに遊園地
気前良くディズニーランドだった年は、出来たてのスペースマウンテンやビッグサンダーマウンテン
帰りのバスでドラえもんやキン肉マンの映画を流してた
あと公民館に集まった時にみんなで星矢視聴した
アスガルド編の最初のほうだったかなあ…何か百裂技を浴びせて勝つとこ 子供会って元々健全な青少年の育成のために発足されたらしいが、遊園地やアニメも含まれるのか
地域によって随分内容が違うんだな >>561
ゲムボって略し方は初めて見たが、ググってみたら結構ポピュラーなのね
自分の周りでは基本略さずに、受け狙いでゲボと言うことがあったぐらいでした もう高校生のお兄ちゃんだったからジービー(キリッダッタノヨw ゲムボは1988(昭和63)年時点で発売できる状態だったにもかかわらず創業100周年に合わせて発売するため翌年になった
結果的に昭和史にその名を刻めなかった クラスの医者の息子がファミコンを買ってもらえない代わりにボードゲームやテーブルゲームを沢山持っていて、
その中にテトリスのボードゲームもあったなあ、どういうルールだったかなあ、と思い出して調べていたら見つけた
このページにある「対戦型テトリス」だった
https://broad.tokyo/news/3534 小学生の時、誕生日プレゼントかなんかでボードゲーム『関ヶ原』を買ってもらったが、
難しすぎて訳が分からなかった。
子供はシンプルなゲームが一番。 ゼットガンダモのゲームブック買ったら
戦闘判定がボードゲーム持ってないと出来なかったおw そういやあ子供会の行事はそれそのものよりもGB持ち寄って対戦するのばっかり楽しみにしてたっけ
めっちゃ懐かしい平成2.3年頃だった 足漕ぎ車を持ち寄って10人ぐらいでF1レースごっこをしたことがあるのう
当時は公園が無く道路を使った
傍から見たら見たらちびっ子暴走族やな
点在する民家と田んぼしか無いような場所で車など殆ど通らない道だったが
思い返すと少々デンジャラスだったかも知れぬ ゲーセンとか半年違ったら進化が凄かったしな
とにかくゲームに限らず年単価でいろいろ進化してたよな
日本もつくば万博やったり敗戦はしたけど追いつけ追い越せと小坊の俺も感じた
親父は今からはコンピュータの時代が来るから補導とかしないでそう言う仕事に就けるように教育すればいいのにって言ってたな
まぁゲーセンはヤンばっかだったけど顔なじみになればいい人多かったけどなぁ RPGで主人公キャラに自分の名前を入れてた
これは今もかな? ゲーセンのゲーム≫家庭用のゲーム
だった頃
遠くのゲーセンに友達と自転車で行って
ファミコンの移植元のオリジナルのゲームをプレイしたら表現力に感動した 家族で行ったボーリング場で初めてアーケードのRタイプをやった
PCエンジンのIは余裕でノーミスクリア(コンバイラーまでね)できるのに
レバーに慣れなくてドブケラすら見れず終わった記憶 アーケードは人違いならぬコントローラー違いがあった
ディグダグなのにコントローラーがでっかいトラックボールのついた「五目ならべ」とか
「もし動かなかったら100円玉がパーだからやめようかな・・・」なんて思った子供が本当にいた
実際はちゃんとできる インベーダーのボタン移動は有名だね
俺には遊びにくかった あらし、ロッキー、風雲児、リュウ、ゼミナールといったゲームプレイヤー側のマンガが充実していた >>578
ファミコン少年団、ファミコンCAP、ファミコンジョーここらも見逃せない
「ファミコン」とつかないけど高橋名人物語もあった
あとファミコン探偵団ってのもあったけど、これはちょっとゲームプレイヤーの漫画とは言えないかも
ファミコンゼミナールは昭和63年初期には普通にゲームの中に入り込んだ漫画(主人公たちがゲームキャラになりきる形)になったのが残念だった >>581
ゼミナール後期と風雲児のドッドチェンジはちょっと違う
ドッドチェンジはあくまでプレイヤーとしてのスタンスには変わりない(つまりコントローラーを持っていたりスコアの概念がある)
ゼミナール後期はハナっからゲームの中にいて終始ゲーム内のキャラになりきってしまっていた 昭和のゲームライフといえばとにかくファミコンとつくものには飛びついた>>578>>580のマンガも愛読書だったし攻略本、ファミマガとかも
あとボードゲームなんかも買ったし文房具もゲームモノにこだわった
大事にしてたのに20年ぐらい前にクソオヤジに捨てられた
オヤジはそれ以前から「そんなもんゴミだ!捨てろ捨てろ」としつこかったけど新入社員研修の合宿の間に捨てやがった
おそらく今全部売れば何十万〜百万級の価値になるはずだっただけに恨んでも恨み切れない
そのオヤジももう死んだけどオヤジが大切にしてた歴史小説とかなんて1円にもならなかった(何百冊もあったけど)
どっちがゴミだよとつくづく思う ファミコン世代の俺らの中でお父さんが既に他界された人って多いのかな?
うちの親父、70過ぎてるけど、まだ全然元気だが。
iPhoneを使いこなしPayPayによる決済も俺より先に使い始めた。 >>584
うちもピンピンしてるよ80過ぎたけど
親父の機嫌が悪いとファミコンやってるだけでぶん殴られた
ついには目の前でフロにブン投げて沈めてぶっ壊す暴挙に出た
その後バイトして買いなおしたけど(高校生だったから)それすら容赦なく壊しやがった 父親に限らず母親も悪いことはなんでもファミコンのせいにするのがお決まり相場 うちの場合母親の方が
ピコピコうるさいとか言ってたな 無理解な親父のせいでゲーム開発したいという夢をブッ潰された少年たちが多かったんじゃないか?
俺の親父も「そんなもんは仕事じゃない!お遊びだ!」とかいって結局その手の学校に入れてくれなかった
結局一応コンピュータを教えてくれる学校には入ったけど単に「一応コンピュータを使う」だけのクソな仕事に就くことしかできなかった
にもかからわず親父は「お前の夢が叶って良かったな!頑張って働くんだぞ」と白々しいことを言いやがった
ちなみにその会社は1年で辞めた 思春期の子供が「家にいてもツマンネ」とか言って夜中の繁華街をほっつき歩いたり
不良グループや暴走族に入ったりするよりは、まだ家で徹夜でゲームしてるほうが
マシだと思うのだが。
あの当時の親たちは子供からゲームを取り上げて何をさせたかったんだろう。 ワイの爺は海軍の通信将校やってて、田舎にも怪しげな無線機が大量に転がってたな
そのせいか親父もゲームも目の敵にするようなことはなかったのう。時間には煩かったが 昔はドリフとかひょうきん族が目の敵にされて、次はファミコンが目の敵にされて、
アニメを見るやつはオタクだと言われ…
といろいろあったが、志村けんさんが亡くなった時は偉人扱いだし、
アニメも宮崎駿などで見る目が変わったし、
今は大人も子供もゲームしているからね。
あのときの非難は何だったの?って感じ。 >>589
当然勉強
小学生とかが遊ぶにしてもボール遊びとかいうちょっとも面白くないクソな遊びをさせたかったんでしょうよ
上の方で誰かさんが言ってたけどボールなんぞで遊ぶなら学校で充分
そっちの方が人数もいるし ジブリ映画も一般的な評価が上がってきたのもこの頃だよな。
普段、アニメ等に興味のない親父から「すごく評判の良い映画があるから観に行こう」
と強く言われて観たのが『となりのトトロ』だった。
確かに面白かった。親の言うこともたまには聞いてみるもんだと思った。
・・だがしかし!その後の同時上映の『火垂るの墓』で完全に心をへし折られた。
包帯ぐるぐる血まみれのお母さん、叔母からの冷遇。妹が空腹の末、正常な思考が失いドロ団子を食べたり
平和な時代にぬくぬくファミコンや漫画、アニメ、お菓子で育った少年にトラウマを植え付けるには十分過ぎる内容だった。
今思えば両方とも日本を代表するアニメ映画だし、リアルタイムで観れてよかったけど、
いくらなんでもトトロと落差ありすぎだろ、と。 >>591
>あのときの非難は何だったの?って感じ。
勉強の邪魔になると危惧したものの子供たちはそれに逆らってドリフも見たしファミコンもやりまくった
でも大人なってみればちゃんと就職して結婚して孫の顔も見せてくれた
つまり杞憂に終わったのでもう叩く理由はない
ジブリはどうかわからんけどドリフ(志村)には自分たちも楽しませてもらったからそりゃ偉人になる
>今は大人も子供もゲームしているからね。
そりゃ当然
あの頃のゲーム少年少女が今は父や母と呼ばれるようになった
自分たちがゲームで育った世代でありゲームは決して毒ではないことも知っている
あと任天堂が家族でゲームというコンセプトで開発してるから高年齢層でも親しみやすくなった
ファミコン時代は当時の大人(昭和30年以前の生まれ)向けはせいぜい将棋・囲碁・麻雀ぐらいしかなかった
特に囲碁や将棋なんて大人からすればCPUがヘッポコすぎて相手にならなかったからつまらなく感じただろう
あと野球やゴルフもあったけど操作すらままならないなんてこともあった >>591
全員集合はPTAで問題視された話は有名だけど、ひょうきん族にそんな話はあんまり聞いたことないな
実際ひょうきん族って視聴率しても30%を超えたことすらなかったぐらいで記録的に高かったわけじゃないし
テレビ史で見ればせいぜい中の上クラスにすぎないけど
「全員集合を土曜8時の王者から引きずり下ろした大金星」
で歴史に残る番組になったみたいなもんだし
しかもそれにしたって「ひょうきん族の大成」よりも
「ドリフターズの全員集合へのモチベーション低下による自滅」の方が大きいぐらいだから その後はカトケンが爆発的に面白かったのう
ひょうきんは懺悔とタケチャンマンとパーデンネンとアミダババアぐらいしか知らない
カトケンの頃になると自分の周りで見てたやつ皆無だったかもなあ
>>587
スーファミ以降になるとクロノトリガーやスパIIのサントラのガイルステージの曲は褒めてた >>594
宮崎事件のときはアニメ漫画ひどい叩かれてたよな
今じゃ政治家がアニメ漫画利用してるくらいだし
時代が変わりすぎてるわ コミケを特集していた番組で女性リポーターが
「皆さん!ここに10万人の宮崎勉がいます!」と発言をして
物議を醸した、なんて話聞いたことあるけど、ただの都市伝説だよね?
ネットはないけどビデオデッキはだいぶ普及していた頃だし。
誰かしら動画は保存しているはずだが、未だにその動画がネットにアップロードされているのを
観たことがない。 まぁ、ドラクエが流行る前から、PCでWIZとかやってたからなぁ。日本のお得意のモノマネで
凄いの作ったなぁー。って。ファミコンはチャンネル選択権の少ない学生には厳しい製品で。。。
ずっとPCばかりで、ドラクエVの流行も「ふーん、そんなんが流行ってるんか?」って感じ。
地デジになって漸くゲーム専用テレビが出来た感じ(遅ればせながらPS・SS自己流行の波) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています