ソフトバンク孫正義の“恩人”ハドソン創業者の今 6月 18日

地域情報 ・ 北海道新聞 ・ 2016年6月

2016年6月18日北海道新聞朝刊3面より

6月18日の北海道新聞朝刊3面「ひと2016」欄にハドソン創業者の工藤裕司さんが紹介されました。

工藤さんは後志管内ニセコ町出身で、25歳の時に札幌で実弟と「 ハドソン 」を創業しました。

熱狂的な鉄道ファンで、国鉄C62形蒸気機関車のハドソン形という車軸配置から社名を取りました。さらには、郵便番号をC62にちなんだ「062」にするため、本社をわざわざ豊平区平岸に置いたというこだわりぶり。

もともとはアマチュア無線ショップでしたが、パソコンソフト開発で高い技術力を発揮し、一躍日本を代表するパソコンソフトメーカーとなります。そんなとき出会ったのが現ソフト
バンクの孫正義社長です。当時すでに全国に流通・販売ネットワークを築き順風満帆だったハドソンでしたが、若き孫正義の可能性にかけ良好な関係にあった取引先との関係を断ち切り、すべての商品を卸す独占契約を結びました。

ソフトバンクはこれをきっかけに事業拡大に成功し、今日の繁栄に結びついています。以来現在に至るまで孫正義社長は工藤さんを「恩人」と呼び、特別な関係が続いています。

その後ハドソンは、任天堂の家庭用ゲーム機ファミリーコンピュータのソフトメーカーとして「桃太郎電鉄」「ボンバーマン」などのヒット作で名をはせましたが、工藤さんは15年前に
経営から退き、大学時代を過ごした浅草に移住。親交がある落語家の三遊亭円歌師匠からもらった三遊亭あほまろを名乗り、文筆、写真、映像など多彩な活動を続けています。

自ら企画・監督して2008年に作ったのが35ミリ映画の「ゆめまち観音」。関東大震災前の浅草六区の繁華街などを実物の25分の1のジオラマと人形で再現し、
活弁つきで浅草に生きる人びとの人情喜劇に仕上げました。

映画は7月1〜3日に札幌市中央区南2西5の札幌プラザ2・5で、各日1回、本人の解説をつけて上映します。