【フランス】ベルサイユのばらPart106【革命】
ベルサイユのばらについて引き続き「マターリ語る」スレッドです。
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ベルサイユのばら避難所
http://jbbs.livedoor.jp/comic/5244
※前スレ
【フランス】ベルサイユのばらPart105【革命】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/rcomic/1630249414/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured 政略結婚って言っても銀行家とは言え平民のネッケルの娘が花嫁
候補だったり、財産の有るイギリスの女性と婚約しようとしたり
結構金には執着していたね。国王一家逃亡の資金も借金だったんでしょ? >>420
ネッケルの娘(スタール夫人)てフェルセンと縁談があったの?
まあ確かに>>419の言うようにフェルセンは、アントワネットがフランス王妃じゃなければ見向きもしなかっただろうとは思う。 フェルゼンもアントワネットの死後 性格豹変して市民虐待しまくって殺されるという・・ >>422
フェルセンの家ってすごい名家なんだよね?元々そういう性格だったかもじゃない?フランス王妃のアントワネットの前ではアレだっただけでさ。 >>422
ゴキブリが虐待されて56されるといいなw >>419
逃亡のときもアントワネットの夫と子どもたち含めて愛情あったみたいだし
王家そのものも好きで守りたい雰囲気あったよね
自分の心の声として言ってたから本心なのかも フェルセンはアントワネット民衆に殺されて、その恨みでそれまでよくしてやってた民衆を虐げるようになり
その民衆に復讐で殺されるという救いのない未来だったね・・・ アントワネットを殺したのはフランスの民衆なのに虐げたのは
自国の民衆という。なんか頭のねじが一本抜けた人だな。 ハナっから民衆の事なんか眼中になかったんじゃね?
王妃同様に。 領民を人間と思ってなかったからペット可愛がるつもりで保護してたんじゃね? >>430
ベルサイユから逃げて王妃の役目も放棄してトリアノンで遊び暮らしていた
アントワネットにアメリカから帰国しても何も苦言もせず自分も恩恵に預かっていたからね。
首飾り事件が起きて慌てて二人そろって態度を改めたけれど。 仲が悪い姉がオーストリアから尋ねて来た時はトリアノンでは会わなかったそうな
(外交問題になるからベルサイユでは儀礼的に会ったのかな?)
その姉は相思相愛の相手と結婚した母親のお気に入り >その姉は相思相愛の相手と結婚した母親のお気に入り
そんなことがあったの?お兄さんがアントワネットに子供が出来ないことで
オーストリアから国王陛下に発破賭けに来たのは聞いたけれどね。
その姉とは仲が悪かったんだ。 他のきょうだいからは嫉妬され、距離を置かれていたらしい プロテスタントの国と縁組はしたくないから、
縁組できるならどこでもいいというわけもいかないし、
その中で大国フランスの王妃になれるんだから、嫉妬されたのかもね
スペインのハプスブルグ王室に先天的な障害のある子供が生まれることがあったのは、
縁組が限られたからだという話を読んだことがある ハプスブルクとアブスブルゴは相互に近親婚を繰り返したのに
弊害が出たのは後者だけだったのは何故? ウィキからだが、
カトリックで同格の条件を満たし縁組できるのは
フランス王家
ポルトガル王家
ボヘミア=ハンガリー王家
ポーランド=リトアニア王家
オーストリアの同族のいずれか
しかしフランスとは三十年戦争以来敵対関係
ポルトガル王家はフェリペ2世以後スペイン王家と同一に
ボヘミア=ハンガリー王家はフェルディナント1世以後オーストリアの皇帝家と同一に
ポーランド=リトアニアではヴァーサ家断絶後、特定の「王家」が存在しなくなった
→オーストリアの同族意外結婚相手がいない
※オーストリアの方がフランスと縁組したり、マリアテレジアのように格下の初恋相手と
結婚したり、まだ選択肢のバラエティがある
スペイン・ハプスブルク家の近親婚の程度を示す近交係数
初代フェリペ1世0.025
末代のカルロス2世では0.25
その間に行われた11組の結婚のうち、9組が叔姪婚
でもカルロス2世の同母姉マルガリータ(ベラスケスの絵画で有名)には障害はなく、
その娘のマリアアントニアの方が更に0.30と近交係数が高かった(きょうだいや親子間
の子より高い)がカルロス2世ほど健康不良ではなかったらしい
ただマルガリータも6人中4人、マリアアントニアは全ての子が早死 >>436 大国フランスの王妃になれるんだから、嫉妬されたのかもね
アントワネットとしては、姉が亡くなってしまったための繰り上げ婚だったわけだけど、他の姉妹から見れば嫉妬もあったかもね。 >>436
いや、母のお気に入りで唯一政略結婚をしないで、母のそばにいられたことで
その姉が他のきょうだいに距離を置かれた
マリア・テレジアの子どもたちは皆が母の愛情と関心を得ようと競争しているような
ところがあるらしい
んで、マリア・テレジアという人は側湾症の娘や天然痘の後遺症で嫁に行けなくなった
娘には冷たいだよね
側湾症の娘はきょうだい一番と言われる知性があり、父親とは仲が良かった
後年は修道院の運営に関わり、近隣の人々の尊敬を集めた 世界で最も有名なしゃくれ一族
後世ネタ一族扱いという悲劇
死ぬしか救われる道が無いド底辺よりかはましかもしれんが >>440 マリア・テレジアの子どもたちは皆が母の愛情と関心を得ようと競争しているような
ところがあるらしい
子だくさんだったからね。母である女帝の気を引きたかった、ていうのは分かる気がするわ。 >>441
しゃくれも、出る人出ない人いるよね。マリアテレジアとか、子供の頃スーパー美少女じゃん。 革命がおこらなかったらルイ16世の妹のエリザベトは何処かの国へ嫁いでたのか3婆みたいになってたのか気になる
史実とか読むと3婆とは正反対の性格だったようだが年とともにああなってたんかな
ベルばらだとまったく出てこずルイ処刑前後にモブみたいな顔に描かれてたけどw ルイ16性の妹のエリザベート王女は革命が起こらなくても残っていたと思うよ。
1歳で父、3歳で母を亡くして特にルイ16世夫妻と仲がよかった。他国に嫁いでしまうと帰ってこれないので独身を選んだとか。
一番のモブはクロティルドで、エリザベートとは5歳差。1775年に後のサルデーニャ王カルロ・エマニュエーレと結婚。
カルロ・エマニュエーレの妹二人はクロティルドの兄であるプロヴァンス伯とアルトワ伯と結婚。1775年なんでルイ16世が決めた結婚。 >>446
当時、フランス王女たちは、オーストリア皇女たちみたいに他国に嫁ぐのが普通だったの? エリザベート王女やそのきょうだいは王家のガヴァネス、マリー・ルイーズ・ジュヌヴィエーヴ・
ド・ロアン(結婚してマルサン夫人)の監督の下育てられた
名前でわかるとおり、マルサン夫人はロアン大司教とはいとこ
そしてロアン家の持ってる代表爵位がゲメネ公なんだな >>448
あの頃のフランスって、まだ完全にブルボン家で統一されてなかったんだっけ?それなら、海外に嫁にやるより国内の有力貴族に嫁がせるね。 >>446
仲の良い姉弟なら、上西門院と後白河もよね。 >>445
3婆の長女はすごい美人で、父親のルイ15世のお気に入りだったんだよね。嫁ぎ先を選り好みしてるうちに婚期を逃して、て、今でもありそうな話よね。 国王と王妃は仕方ないとしてもエリザベス王女は修道院送りとかでも
よかったんじゃないかと思う
いくら恐怖政治とはいえ一体どんな罪状で死刑にしたんだろう 三人のおばさま方のうちソフィーは1782年に亡くなったけど、残りの二人は
トリノのルイ16世の妹のところや、ナポリのアントワネットの姉のところで亡命生活を送り、
天寿を全うした >>447
他国に王室か王室の分家、フランスの王家の分家に嫁ぐか。コンデ公やコンティ公、オルレアン公ね。
とはいえ他国に嫁ぐ方が一般的。
3婆は他国の王室、しかも君主に拘ったのもある。 >>451
3婆の姉、ルイーズ・エリザベートはパルマ公と結婚して娘はマリーー・アントワネットの兄のヨーゼフ2世と結婚するのよね。ルイーズ・エリザベートの肖像画を見たけどルイ15世そっくり。
3婆の一番上は美人だったらしいが、嫁ぎ先の選り好みはあったのよね。コンティ公やドイツのザクセン公とか。だけど君主級に拘っていたとか。 >>455
美人と言われていたから自負があったのよね >>455
フランス王女しかもマダムロワイヤルとして産まれて美人だったから、父親のルイ15世も本人も、フランス並の大国の君主との結婚を望んでただろうね。ちょうど良い相手がいなかったのかな?父親が手放したくなかったのもあるかな? >>455
ヨーゼフ2世はこの妻にひとめぼれ
学問や音楽にも秀でた人だったけど体が弱く、二人の娘も早くに亡くなり、
本人も天然痘で死亡
結局王位は弟に行く >>457
ルイ15世は結婚しないのを許していたから
ルイ15世の子どもたちは寵姫たちを嫌っていたけど、ルイーズ・エリザベートだけは
里帰りした時にポンパドゥール夫人を気にいった
ポンパドゥール夫人は本妻の王妃に気を遣っていたから王妃との関係は悪くなかった
このあたりは名香さんが漫画に描いている
ルイ15世は絶倫かつ特定の相手にこだわる質だったらしく、最初は熱愛された王妃が音を上げ、
後にはポンパドゥール夫人も音を上げ、ポンパドゥール夫人は徐々に王好みの女性を
お膳立てする役回りになっていった ポンパドゥール夫人は王より政治的センスがあったから、マリア・テレジア、
エカチェリーナ2世と組んで、3枚のペチコートと言われたと高校の世界史でも習った
大黒屋光太夫はロシアに漂流し、人間的魅力と知性でロシア有力者を味方につけた末に
エカチェリーナ2世と謁見して、日本に帰る許しを貰うんだけど、謁見の際にエカチェリーナ2世
は話を聞いて涙を流したと伝わる
江戸時代の日本で暮らしていた人が莫大な権力と知性と情と寛容さを持った女性君主を
見て、驚きだっただろう 三枚のペチコートのロシアの相手はエリザヴェータ女帝。
エカチェリーナニ世はエリザヴェータ亡き後に即位した夫ピョートルを殺して女帝となった。 >>459
ポンパドゥール夫人は王妃を立てて王妃との仲も悪くなかったから、王女たちもポンパドゥール夫人に対して強くは出れなかったんだよね。やっぱりポンパドゥール夫人は頭良いよね。 >>461
エリザヴェータ女帝は、政治力はともかくスーパー美女だったんだよね。