「ドカベン」スレの不思議 ★2
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「ドカベン」と称していながら、殆んどドカベンについて語っていない。
ところどころ「あぼーん」(自動)となっていて投稿内容がろくに分からない(´;ω;`)
何かよほどマズイ内容のスレになっていることを予感させます。大丈夫ですか?(´;ω;`)
※前スレ
「ドカベン」スレの不思議
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/rcomic/1648074309/ 意外と前スレ、最後のほう、ちゃんとドカベンの内容に寄り添った
内容になっていました。
以前存在した作者の悪口ばかり言っている不快な投稿者は消えてくれたようです。 >>1乙
ところで義経くんは実在が確認されたから次は武蔵坊くんを探そう すぐに次スレが立つとはw 乙
ご指摘のあるとおりかなり活発でまともな流れになってきてたからね 義経姓は九州に多いそうです。
源氏の末裔でしょうか。 岩鬼正美は1977年4月1日生まれ。
日本には「四月一日」という珍姓が何と実在します。
読み方は、四月一日と書いて「わたぬき」
宮崎県を中心に10人ほど実在。
また「八月ついたち」という珍姓も実在します。
読み方は「ほずみ・はっさく・やぶみ・ほづみ」と
さまざまで、全国に何と80人ほども実在しているそうです。 上の文章、訂正箇所がありました。
正しくは「八月一日」と書く名字ですm(_ _)m >>6
1970年生まれの俺が子供の頃から読んでたのになんで岩鬼が7歳下なんだよ? >>9
1994年秋のドラフト1位入団。
ソースはドカベン・プロ野球編の1巻。 キャッチャー森なんて表現もあったのにな
まあ辻褄を合わせる必要があったんだろう ドカプロ開始の時に設定をその年に合わせたのだな。元々は1950年代ぐらいの生まれのはずなんだけども 巨人-阪神戦を見に行った時 王がホームラン打ったな 武蔵が甲子園に行けなかったこと一切根に持ってないのがすこ いちおう土井垣と犬飼小次郎はプロ編でもハム・鷹へ入団した設定かw >>16
そうですね。04年からそれぞれ新球団の東京スーパースターズと
四国アイアンドッグスの監督(選手兼任)になりました。 弁慶高校は初球をど真ん中と予告することで明訓のセオリーを崩したわけだけど、
本当にそれを実行することはなかったと思うけどね。
土井垣よ、勝負はそんなに甘くはない。 >>18
かなりの客がいたんだよ
どんな理由であれ宣言通りにしなかったら客は野次し放題になるだろうから、チームの士気に影響する もしも土井垣が義経の挑発に乗らず、いつもの安心安定の鉄板明訓オーダーだったら、どうなっていたんだろうな プロ野球編に出ていたことですが
犬飼小次郎はプロ1年目10勝10敗だったが
新人王は土井垣将が獲得した、と出ており、
ドカベン46巻の内容と明らかに矛盾しています(´;ω;`)
そもそも土井垣・小次郎両人共に夏の甲子園の途中までは
母校の高校の監督だったのですが(´;ω;`) 「初球ど真ん中ストレート!」
そう宣言されたところで別に観客側にとってはな
真ん中ねらったって外れることもあるわけだし 実行しなかったところで「なんだったのアレ」で終わる話だろう 卒業してどれだけ経ってもちゃんと鍛えてたら高校時代のユニフォーム着れるとか言い出したけど
あれは他では聞いたことのない訳のわからない理屈だったな
それとも日本のどっかにはそういう風潮があったんだろうか 初球真ん中ストレート で、山田を一番に起用するってのが、
そこまで考えてたのが武蔵坊なのかと想像すると、なんか解せないな。
そんな策を労してまで勝つことを優先してたと、あの超能力者の武蔵坊にしては
することがなんかせこい。 岩鬼に目潰しでも食らわせてど真ん中打たせりゃ良かったんじゃないのかと >>13
当時の岩鬼は巨人ファンでしたね。
堀内投手がメガネを掛けていない時代でした。 >>20
義経の負担が重くなって3、4点くらいは取られてると思うけどね
土井垣も
「あのセリフにはなんらかの意図がありそうだが
うちはいつも通り戦うだけだ!」
で良かった。明訓で重要なのは山田以上に岩鬼。その岩鬼がまるで機能しなかったわけだからまけた。 今思えば、不動の明訓オーダーでの敗退が見たかったな >>13
土井垣プロ初本塁打の試合をスタンドでは土門剛介と谷津吾郎が
観戦していました。 >>32
初打席の対戦相手が村上之宏投手
やや物足りない数字ながら新人王に輝いたものの故障で早々に引退
「あぶさん」でルーキー開幕投手に抜擢などの話も描かれているが
やはりプロ選手にとって無印ドカベンに登場する方がはるかに希少な機会だろう 武蔵坊は殿馬をやたらと警戒してたな。
だけど殿馬に打たれたとしても山田にはHRさえ打たせなければ
弁慶は勝てるんじゃないか。里中には武蔵坊を抑える力は無いし。 球道くんじゃ野球王国千葉とか言ってたはずなのにサッカーはしょっちゅう市船とか流経大柏とか優勝してんのに何で?
関東各県の最後の甲子園
山梨 2023年
神奈川 2021年
埼玉 2017年
栃木 2016年
群馬 2013年
東京 2011年
茨城 2003年
千葉 1975年 >>35
球道くんの連載開始が1977年だから 水島先生は強かった千葉のイメージがあったんだよね 当時、千葉は習志野と銚子商業が二年連続で優勝した印象が強い。
あと江川卓の作新を破ったり、とくに銚子商業はドラフトでも
木樽、篠塚、宇野、土屋、尾上などを輩出しているし。
習志野には谷沢、掛布といった超大物もいた。
門田博光の伝記にも、千葉代表と戦いたかったと書いてあったな。 >>33
奇しくもプロ野球編準拠で土井垣がドラフト指名受けた年(1992オフ)に大沢親分も現場復帰していたのが運命的。 千葉は実は春の選抜優勝経験がないことを長いこと知りませんでした。
不明を恥じる次第(-_-;)
夏は甲子園2連覇達成で強いイメージがあるのですが。
でも水島作品では、しっかりと春の選抜優勝校を輩出していました。
青田高校。水島ワールドではプロレス団体みたいに複数の団体に分裂していたのでしょう。
最後の山田世代3年夏に統一されて明訓高校対青田高校の春の優勝校同士の
カードが実現したのでしょうね(←苦しい解釈😓) >>38
私も偶然辻褄が合っていることに気が付いて、ついニヤニヤしていました。
あと、新潟明訓高校出身の広島カープ・小林幹英投手が後になって
高校時代に山田太郎にホームランを打たれた、とありましたが、小林投手が3年で
山田太郎が1年生だったとすると違和感なく、ハマります。
プロ野球編のオールスターでは2学年上の小林幹英投手がリベンジを
果たしていました。 >>36
その数年後には球道のライバル校が甲子園初戦で完敗して
「野球王国・千葉のレベルはこんなにも落ちたのか!」なんてセリフが
まあ実際は当時でも公共放送のアナがそこまでは言うまいが おはようKジローの舞台となった冠学園も千葉。
夏の甲子園全国優勝。
ドカベン・ドリームトーナメント編では3人がプロ入り
しているのを確認。 >>35
水島作品では茨城県のチームは存在感が薄かったですね。 甲子園100年だかのドカベンコラボでいろいろグッズ出てるな
明訓野球部の野球帽とか
でも改めて見るとなんか変 スポーツ漫画の観客や実況・アナって、冷静に考えると辛辣すぎんだろ相手中高生だぞって発言たまにするよね 木内幸男の甲子園見参が10年早かったらドカベンの茨城組も…。
(山梨県勢も80年代半ばに東海大甲府が出てくるまで存在感薄かったはずだが、作中での扱いが良いのは堀内恒夫効果なん?) 殿馬の秘打回転木馬はあれ完全にダブルスイングでアウト(三振)なんだけど、
さすがにその件に関してはルールにうるさい御大もノーコメントだったわな。 剛球仮面(初代=池畑三四郎)の大回転投法は完全に
ボークですね。
と言うより、あの投げ方でストライクを取れるピッチャーは
多分世界のどこにもいないとさえ思います。
ドカベンのドリームトーナメント編ではソフトバンクに
入団していて、京都ウォーリアーズ戦で微笑三太郎に
対して一球だけ投げています。 >>49
負けたおかげで救われた江川学院
勝ってたら旅館とかに嫌がらせとかあっただろうな 山田敬遠策は、ネットがあったら総叩きだろうな、中はw >>48
今年の春の選抜で山梨学院が県勢初の全国優勝を
達成しましたが、夏の甲子園はまだ決勝進出が
なかったと思います。
ところがドカベンでは甲府学院が決勝に進出して
通天閣高校に惜敗。原動力となった賀間剛介は
プロで山田らと同僚。主に代打要員として登場。
最後の巻も登場していて良かったと思います。 満塁で敬遠されて打点1を挙げる山田太郎。
スタンドのサチ子は実は4打席目の敬遠は怒っていない。 >>51
旅館に会いに行って中に会えなかった谷津吾郎😭 仮想武蔵坊で土井垣にめった打ちにされた里中なのに、その対策はまつたく取らなかった。
なんのための仮想武蔵坊なんだかw 武蔵坊対策したのに、あっさり義経の挑発に乗ってるし あれの目的は土井垣が自分のバッティングを自慢したかっただけではないのか あーいう人の言うこといちいち否定から入るやつはいつか刺される 同調しない奴ほど人には同調圧力かけるもんな
だから絶対に楽しいはずむ会話にならない
仕事が続かない人にその手の人が多い >>50
わびすけの、投球動作中途まで左右どちらで投げるか分からんフォームは、当時の規則ではボークにならないちゅう回答もあるな。 両投げの投手が存在しなかったからな。
その後 南海に入団した近田の登場によって、投手は事前に左右どちらかで
投げるのかを申告しなければいけないことになった。
スイッチヒッターは一打席で何度も打席を変えることが可能だし、
そうなるとキリがなくなるからな 昔は2ストライクを取られたら打席を変われないという
ルールがありました(一球さん2巻参照) 光高校からソフトバンクに行った荒木新太郎も
スイッチピッチャー。 >>58
義経&山田のバッテリーがプロで実現した時に
山田は義経に、初球ど真ん中のストレートを要求
していました。忘れやすい作者も高校時代の予告
投球は、しっかりと記憶していました😊 >>64
変更を認識しておらず恥をかいたのがダントツと剣 ルール改正をさり気なく作品の中に折り込んでおりますね。
犬飼武蔵の打球をセンターの義経がスーパーキャッチして
そのままスタンドに転落してしまったシーンがありましたが
審判がマイクを持って「以前ならばホームランでしたが昭和
54年にルールが改正されて、スタンドに転落しても
ボールをキャッチしていればアウトとなりました」
みたいな説明がありました。
義経は29歳でプロ入りしましたが、土井垣監督が
うまく使いこなしている感じで、高校野球の監督時代
よりも明らかに進化した跡がうかがえました。 >>57
甲子園では武蔵坊は全打席左打席でしたね。スイッチヒッターなのでしょう。
義経は甲子園では明訓戦での9回裏のみ右打席だった記憶があります。
プロでは左打席に立った記憶がありません。 >>71
それについて記述はなかったよね
左打ちなのか武蔵坊はって誰か言いそうだけどね 谷津吾郎も1年秋の時点では右打ち。
里中から2打席連続ホームランを打った時は左打ち。
それから数日しか経っていないのに、白新と練習試合で対戦した時は右打ち。
2年秋に小林真司に打ち取られた時は左打ち。
大甲子園1巻で左打ち。総合すると途中から左打ちに転向した打者。 「あれれ?なんだい満太郎のやつ!」「右打席に入ったぞ」(親父の成りすまし)
あんなギャグ漫画でもこれぐらいの整合性は持たせるのに御大ときたら いわき東の足利速太は高校時代は左投げ
だったのにプロでは右投げに(*﹏*;) 足利もプロか?
ぶっちゃけ微笑なんかより納得できる
実際一番確実なのは足と守備なんだよね
もうアマチュア時代の動きで通用するかどうかわかる
ピッチングとバッティングはマジで水物 >>57
一応第3打席で敬遠策は取りました。
(それを打たれましたが) >>77
微笑三太郎は最終的には2012年新加盟の球団・京都ウォーリアーズの
兼任監督になりました。 武蔵坊対策ってただの敬遠か?
それって対策と言えるのかな? だれでも考え付くやんか。
そう考えると、得点の8割が足利なんだから、足利を封じるには
9番打者を出塁させておけばかなり有効なんじゃないのか?
足利が出塁したとしても、一塁にくぎ付けだし、走塁に気を取られることもなく、
塁が埋まるから守りやすいし、ワンヒットなら一点入る確率も低くなる。 明訓高校戦が武蔵坊最後の試合だったようです。
3年夏は分かりませんが岩手県代表が太平洋の花巻高校で
武蔵坊の登場シーンなし。
最後まで武蔵坊自体は大事に扱われていて、たびたびドカベン・
シリーズには登場していたのは救いでした。 >>77
緒方とセットでの入団。他に赤城山から国定忠治と木下次郎も。 >>80
第2打席ではオーバースローからの落ちる球で勝負。 >>86
作中に本当に「徳川家康さん」と紹介されていますよ。 >>47
ドリームトーナメント編では実況しているアナウンサーは全て
花巻高校出身で明訓高校春夏連覇時の監督だった太平氏の長男の
太平洋でした。3年夏の甲子園準々決勝でノーヒットノーランも
達成。準決勝で紫義塾にサヨナラ負け。
プロに行かなかったもののむしろ扱いが凄く良かったことに
ホッとした印象を持ちました。
広島VSロッテでは父親の太平氏がゲスト解説に。
ちなみに太平元明訓高校監督の下の名前は分かりません(´;ω;`) 山田太郎のじっちゃんの名前も分かりません(´;ω;`) >>69
私もダントツの作中でいつの間にかルールが変わっていたことを
知りました。 そもそもツーストライクから打席をかえてはならないなんてルールは
元からないですよ。 都市伝説です。 >>85
一時期多摩川の河川敷でホームレス生活を送っていたのは衝撃的な話。
1試合3000円の審判のアルバイトを務めていました。 フォアマンは四国アイアンドッグスに行ったほうが良かったかなぁ >>97
その話は知らんけど
衝撃もなにも初登場時は「通りすがりの古事記」設定だったやんかさ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています