神有電車という今はもう名が変った戦前の電車名
戦前の有馬温泉の描写
元兵庫県民・手塚治虫の本領発揮だね

手塚先生、デビューしてから長い間、自分が関西人だって色を作品にほとんど出さなかったのに
晩年、80年代に入ったから、アドルフや「どついたれ」とか、元関西少年の
戦後間もない頃の無法地帯だった阪神地区を、うろついていた時期の思い出を作品にするようになった
自分をモデルにした戦後漫画だと「紙の砦」なんかもあったけど、
大坂人のどぎつさや、焼け跡の生き抜くたくましさなんかを前面に出したのは、やっぱり、「どついたれ」以降かな
50代になって、ようやく自分の中で当時の辛い思い出を消化できたのかもしれない

同年代で同じ大坂出身で、なおかつSF作家でもある、小松左京や筒井康隆も、戦後まもない頃の
大阪の少年時代の思い出を小説やエッセイで書いてるけど、やっぱり戦後まもない頃の大阪・神戸の人々と、その光景は
生き残るためにみんな必死で相当エゲツないもんな、「どついたれ」はそれを描こうとしたのに、中途終了なのはほんと惜しい
空襲の後、峠が「となりの奥さん、よく焼けたなー」とか、ブラっユーモア飛ばしてたけど、これもまさに戦争体験者である手塚の本領

まあ、同時期、近い場所(西宮)にいた火垂るの墓の兄妹も、あんな環境に子供二人じゃ、そりゃ一か月と持たずに野垂れ死にするわな