弘徽殿は朱雀帝即位直後に皇太后になっていたかと。
藤壺が中宮になったのは、それより前で冷泉帝が生まれた後。

桐壺帝に、藤壺宮が皇子を産む前に、后の座が一つ長年空いている状況で
弘徽殿が立后するのを阻止できる力があるかというと、ちょっと微妙じゃないかと
思われるので、どちらかというと、后の座が空いたのが藤壺が皇子を生んだ後だったため、
ちゃっかり藤壺を中宮にした、その後、もう一つ后の座が空いて弘徽殿が皇太后になれるように
なったタイミングで朱雀帝に譲位した、と考えるのが自然と言えば自然かも知れない。

桐壺帝の在位中に藤壺の母后が死んで后の地位が一つ空いたはずなんだけど、
その時点では桐壺帝の母が皇太后になった、とかいうことなのかもね。