0075愛蔵版名無しさん (ワッチョイ 6d5e-W19S)
2022/01/30(日) 18:32:22.40ID:ODQbM5DS0一条天皇以前は存命の后は「全部で三人」、それ以降は「全部で四人」という人数制限があった。
以前の天皇のきさきとして立后した人が三人いたら、当時の天皇にきさきがいなくても
立后させられないんだよ。
源氏物語のモデルの時代からして、后は全部で三人までの筈。
弘徽殿大后、藤壺中宮以外にもう一人誰かいたんだろうね、后が。
その人が冷泉帝の時に亡くなって、秋好が立后したのだと思われる。
藤壺が中宮に立てられたタイミングは遅めなんだけど、本来は藤壺の母が亡くなった時に
后の座が一つ空いてるはずなので、桐壺帝の立后がなぜ遅れたかは政治的事情かも。
もっとも、そこらへん細かい辻褄を考えて描かれてるとは限らないけど。
藤壺の兄が后腹なのに東宮にならなかった理由もよく分からない、とかあるからね