孝標女が藤壺中宮でも紫の上でも明石の御方でもなく
夕顔と浮舟に心惹かれ自分もかくありたいと願ったのはとても面白い
地味で大人しい喪女の孝標次女が
中流の身ながら(夕顔は両親が三位中将とその北の方だし浮舟も認知はされていないが宮の娘なので身分は卑しくないけれど)
貴公子の中の貴公子に愛されて絶頂のうちに人生に別れを告げたい
それは皇后になる事より素晴らしい事だと真剣に思っていたという事は
彼女は心のうちに破滅願望を秘めていたんだろうか
天神様はあの世で「私が政争に破れなければお前を中宮にできたのになあ、
でもその場合お前が生まれていないか……ハハ……」と嘆いてそう

孝標女の時代には紫式部の真筆にせよ他者の手になるものにせよ
既に宇治十帖が源氏物語の正当な巻として認識されていたのも地味に重要なポイントだよね
当時真筆である事が疑われていた事から
あさきではばっさり存在を切り捨てられていた竹河は
娘の嫁ぎ先を間違えると家族も不幸になりますよという教訓も当時の貴族階級の女性にとって実用的だし
玉鬘が薫の音色に異母弟(柏木)を思い出し
嫁がせた長女にかこつけて50を過ぎた自分に未練たらたらの冷泉帝を見て
「何だか源氏の君を思い出すわ、何故かしら?」と
作者と読者と源氏しか知らない秘密(冷泉帝が源氏の子であり薫は源氏の不義の子である事)をにおわせて
(空蝉を除いて)源氏との関係が詳細に語られる最初の女君である夕顔の娘である彼女の口を通して
読者にその事を認識させるのは近代にも通ずる小説の手法でとても興味深い