>>107
いや、あなたのいうこと間違ってるから。

源氏物語がモデルにした自体は醍醐天皇・村上天皇のあたりと言われてるけど
平安時代の醍醐天皇には内親王の「妃」がいたんだよ

その他、円融天皇のきさきだった尊子内親王は「火」と「妃」の掛詞である「ひの宮」
という仇名がついてたので、その時代にも「内親王=妃」という概念は存在した
通称として「女御」といわれたりもするけど、あくまで通称だからね

藤壺宮の「輝く日の宮」という仇名は、尊子内親王の仇名にひっかけて、「太陽のように
美しい宮」と「妃の宮」の掛詞だと言われてる
藤壺宮が、律令制上の妃の地位を正式に与えられていたのかという点については
諸説があるけれども

その他、平安中期に成立して源氏物語に影響を与えた王朝ものの宇津保物語には
はっきり内親王が「妃」の地位についたと書かれてる

ともかく平安時代は制度が変わって「皇族大臣以上の娘は一律「女御」で入内」というのは
明らかに間違いですよ