【松田隆智 原作】拳児 三才歩【藤原芳秀】 Part.2
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>>115
1で出来てた事が2で出来なくなってるのは読んでて情けなく無いか?
書道でなかなかの物が書けてたのに
続編で小学生以下の物見せられたら悲しくならないか >>116
俺は君の大人げなさが情けなく感じる。
もう50歳近いかそれ以上なのだろう。もう人の上に立ったり後進にアドバイスを送る立場ではないのか?
悪いところだけをつまみ上げて糾弾するのは小学生以下でもできることだ。 >>116
で、50近くなった熟年に近い大人が「吐き気を催す」だって。
10代の女子高校生が言うのは止めないが、いい大人が言う言葉か?
君はそれでいいのか?
武術のフォームが違うのが許せないというなら普段は何を見て過ごしてるの?鏡に映った自分? このスレに限った話じゃなかろうが、技法の批判する書き込みは具体性を欠くものがほとんどだろう
描かれたどの部分がおかしくて、正確にはこうする、という指摘になっていない
この技法は非現実的とか時代遅れとか書いても、ならばどういう描写ならリアルなのか書かねば説得力がない 具体的に言って分かる物なのか?
崩拳の引き手、手の甲が下を向いてるのに
突き出した拳は縦で横を向いてる
これはやりづらくおかしい
左右の拳は陰陽マークのように互いに向かい合う角度になる
これは空手の正拳突きでも同じ
つまりここから何が言えるのかと言うと
2のニセ拳児の身体の中ではキチンと動作が出来ておらず
全く理解出来ていない
身体の使い方から言って引き手の手の甲は横
1の爺ちゃんはちゃんとやってるし
太一も同じようにやってた 1で爺ちゃんが太一に崩拳を教えた
これは愛情だよ
本来、劈拳から教えた方が良いけど
太一のやりたい気持ちを尊重して崩拳を教えてくれた
でも2でも崩拳
爺ちゃんとはなんだったのか 具体的な話として引き手の甲の向きが出てきたが、形意拳各派全てでその原則通りの動きなのかな?
引き手を身体のどこにつけるかについては門派(形意拳限定という意味ではなく)によって腰の高さだったり胸の高さだったりするが、引き手の甲の向きについて(形意拳各派)で違いがあるのか、共通なのか?
手元にある「形意拳術」(人民体育出版社/ベースボール・マガジン社)の崩拳の解説(イラストあり)だと打ち出した拳は縦拳で、引き手は甲が下になってる >>124
その本の李徳印と言う人は中国政府の武術家で
48式太極拳の作成に関わった人だね
要するに世に広まってる表演太極拳の人
その本を読んだ事は無いから「こうしてる」って言われてもちっとも分からないが
拳児2のようなやり方は身体として非常に気持ち悪いし不合理だ
将棋の漫画なら必ずプロ棋士が名前を出して監修してるのに
何故、武術漫画になるとキチンと監修付けないのか疑問だわ
1は松田さん自身が原作で監修していたわけで
池上遼一の男組での猛虎硬爬山を教えたのも松田さんだけど
あれは監修したわけじゃないので
後から肘の形のおかしさを自身が指摘している
肘の内側を外向きに出すと背中を通って
引き手側もやはり外向きに張り出される
その方が自然で身体も気持ちいい
もっと詳しい理由があるけどここで説明するわけには行くまい サンデーうぇぶりで読める
拳ちゃん容姿と性格変わり過ぎ&3話の晶ちゃんにショックだな このスレ住人は格闘技フリーク?
それとも何かしら武術、武道を嗜むor嗜んだ人? 太一は1の横浜の公園でかなり練習した崩拳をやってみせていて
しかも絡んできた相手を倒せるほどだったのに
2で忘れていた
拳児は1で粘連随走の高級な戦闘法を身につけていたはずなのに
2で忘れていた >>129
>>130
ゴメン、言い方が悪かった。
3話以降も描いてるの?って聞きたかった。 >>136
単行本が出せる分までは続くと思う。
ていうかここで終わったら尻切れトンボってレベルじゃねーw >>131
自分の場合は武器については子供の頃に数年間剣道をやってた程度
素手の技法は学校(高校・大学)の授業で柔道を習ったぐらいで打撃系や古流、海外の技法は未経験の単なる格闘技ファン >>134の指摘以外にもツッコミどころが散見されるよね
張老師、孫には八極教えてたから晶ちゃんと血縁関係ないんで凛には
崩拳を教えたんだろうか?なのに大纏だけを抜き出して教えてる意味不明さ
拳児が教わったのはじいちゃんから八極小架までは学んでたから
それ以降に学ぶ技として教わったのに、基礎も知らず拳児に教えてっていう
レベルの子に教えててムチャクチャ
凛がやったのは崩拳なのに跟歩じゃなく震脚って言わせてて
中国武術に対してまったく知識ないし取材もしてないのが丸分かり
1の時も跟歩には触れず描写もおかしかったけど、触れずにいたから誤魔化せてた
それをそのまま流用してて余計な一言でぶち壊し
シナリオ協力の人か藤原先生か誰が考えてるのか知らないけど残念に思う 松田さんがいないからそこらへんはもう手抜きでいくんでしょ 初歩の段階で跟歩は意味が無いかもしれないが
いつまで初歩やねーんって 台湾のは李書文の八極拳でないことが明らかになってきたから松田さんは離れたんだろう
だから馬賢達や呉連枝のとこに拝師して武壇のことは語らなくなった >>145
それは間違いだよ
武術に置いてネットで真実は間違い
拳児での劉月侠=現実の劉雲樵はみんなが認知しているより遥かにすごい
大陸の武術は文革の停滞で進歩出来ない事情があるけど
劉雲樵は軍人で戦乱を生き抜き
数々の名人達から教わる事が出来て大きな発展をしている
伝統とは根幹を受け継ぎつつ進化発展させていく事であり
単なるコピーは伝承
まだまだその時期じゃないが
真実が明かされれば度肝を抜かれるよ
技法に関しても最終的には李書文の初めの弟子も最後の弟子も同じ事をしているよ 例えば李書文の初めの弟子の霍殿閣派の沖捶の第二段階は形意拳の崩拳のようになる
最後の弟子の劉雲樵派の衝捶も形意拳の崩拳のようになる
沖捶と衝捶は同じ意味
その他、八極拳の必要要素も同じ
分からない人達がそれぞれが発展進化させた練習法を見て
見た目が違うと言っているに過ぎない 拳児1の面白い所は台湾編までと良く聞く
それは台湾までのエピソードは松田さんの実体験や見聞きした物に基づいているからだと思う
登場人物の出来事は物語の都合上別人のエピソードだったりする事もあるけど
実際の出来事と照らし合わせると大変面白く
間違った事を書いていないと分かる 李書文の人柄について拳児が刊行された頃に分かるはずもなく
どこから人物像が来てるのかと言うと
恐らく劉雲樵の武術家としての側面だと想像する
拳児1の李書文のエピソードで弟子達に馬歩をやらせてるシーンがあったが
あれはシークレットサービス達の訓練が元だと思う
(実際の訓練はもっと壮絶なエピソードだが)
劉雲樵は武術になると非常に恐ろしくて
部屋に入って来るとみんな凍りついたように緊張したと聞く
その他の話も加味すると拳児の李書文像が浮かんで来る
拳児1で劉月侠は柔和なイメージで描かれているが
あれは武術以外の時のお客様用で
もし武術で不遜な態度を取ろうものならば
拳児1の李書文のようにタダじゃ済まないと聞く >>150
実際に山東小覇王の頃はヤンチャに描かれてたやん? その若き覇王を転ばせた六合蟷螂拳の達人の技量って……おっかねー…… 拳児1の劉月侠のイメージで見てるからネットで平気で舐めた事を書く奴が出てくるけど
もし李書文のような人物だと分かれば
ビビって何も書けなくなると思うよ 蘇崑崙のイメージはモデルとそっくりそのままだったらしい それはウーシュウとかいう雑誌で本人見たわ
そのまんま 教えてくれって門を叩いた人間が師に不遜な態度を取るもんかね?
お世話になってる先生や先輩から聞いた話だから疑う事無く信じてるんだろうけど
劉氏に教えを請うた生徒もそういう気持ちで師と接していたと思うけどね
生徒以外でも台湾武術界ではトップの位置にいた人なのに誰が不遜な態度を取れたんだか >>158
劉雲ショウ自身がそういう不遜な態度とってたやんw
武術を習おうとする血気盛んな若者が皆して拳児みたいな優等生なわけないやん
むしろボコられてから教えを乞うエピソードばっかやん? >>158
少なくとも師匠から「やれ」と言われた事をやらない人間は多いね
それを不遜と言えば不遜だろう
例えば辛い練習や難しい練習を「自分には早い」と端から諦めてしまったり
単純な練習を誤解して程度の低い物と見做してやらなかったり
そんなのが弟子を標榜してる事例はいくらでもある 中国武術では一般の練習生(確か学生と呼称してたのでは)と弟子(拝師してる)とは分けて考えられていたのでは
別の漫画で師匠の留守中に訪ねてきた人物が学生と揉めて学生達をのしてしまったが、師匠は冷静に負けた彼らはまだ学生で、拝師した弟子がやられたら自分の面目にも関わるが…と言うシーンがあった >>160
だから師匠もいい弟子に恵まれるかどうかが流派存続の死活問題なんだろね >>162
それは親しく無いと厳しい事や難しい事をやらせられないからだよ
今や金で弟子免状売ってたりするからあんま意味を感じないが まあ何にしろ相手が倒せるような動き出来るのは稀なわけで
それが出来るようにならないとなぁ
中国拳法が使えないって言う人達は
そもそも自分で武術出来ないの気づいて無いんだもんな 武術には細かいノウハウが色々あるだろうからね
日本の現代武道である剣道でも、竹刀を持つ手の指の力の入れ具合や、柄に対する手首の角度とか肘の締め具合などの一か所間違えるとまともな構えにならないくらいだし そのノウハウが競技としての進化なのが武術としての進化なのかは微妙だけど >>165
すげえブーメランだな
そんなに自信があるなら巌流島とか北斗旗にでて勉強してきたらいい 拳児1を否定する奴は武術を知らんもんな
拳児に助言を与えた盛大人のボディガードの言葉には感動すら覚えたよ
「手を出す時は、心に情けを残すな
心に情けが残っている時は、手を出すな」
武術の神髄だね 中国武術の人がでると生命のやりとりになってしまう
大きな大会では経歴で落とされるらしい、危険すぎるから >>169
あと男子が命を賭けてもよいと思うような状況は一生で一度か二度とか
そういう意味のセリフもあったような 拳児2の拳児は武術と格闘技の違いすら分かってないし
武術をおもちゃにしている 日本か海外のどちらのものか忘れたが、こんな意味の言葉があるそうだな
技は一つで良い、同じ相手に二度は使わない
つまりただ一つ使える技を見た相手は生きてはいないから
武術の技を秘密にすることは日本にも例があって、江戸時代にはお留め流と言って藩外に技を漏らしてはいけないという武術があった
その流儀を修めた者が脱藩でもしたら追っ手を向かわせるとか >>173
お前も頭で分かってるだけで出来なきゃどの道同じことだ 蘇崑崙が米軍兵を軽くあしらったのも
防具の上からの寸勁も本当みたいだね
長拳教師を倒したのは知ってたけど
松田さんはそれきっかけで八極拳を本気で学んでいこうと思ったんだと 原作本手元に無いから分からないのだけれど、太極拳の忽雷架の話だっけかな?
通りすがりの老夫婦の家へ立ち寄り、套路を教えてもらう話は好きだった >>181
ほら吹きのおじいさんが最後の別れの晩餐の後にテーブルを片付けて奥さんを外に出してこっそり秘伝を教えてくれる話だっけ。
実は達人だが普段は隠してほら吹きじいさんとして暮らしているというのがよかったね。 全部どっかで体験したか見聞きした事なんだろうね
台湾編以降は取材の感じだけど >>142
拳児2第3話の話しかな?
1話2話が衝撃的に酷くて読む気しない 形意拳の人はよく跟歩の有る無しを語るんだけど
跟歩は連続で打つ為の物で最初からやらない事もある 以前職場で自分は形意拳の門人と宣う御仁がいたけど、全くのデタラメだったw
意拳を知り合いに見せてもらおうかなと、聞こえる風に仄めかしたら次の日に腕をぐるぐる回していたw
スレチスマソ 「幻の拳法を求めて」の1ページ目か2ページ目で言われてる拳法家のろくでもないたたずまいそのまんまのコメントをしまくりの暇人が居座っててワロタ。
21世紀になってもこういう人はいなくなんないんだね。 >>188
いるんだよw
グーグル先生等で拾った知識をひけらかせば世間に通用すると思ってる輩でしょうね 実体験かどうか判断出来ないでネット知識と言ってる奴は
つまりそいつの物差しがネット知識なだけ
実体験が物差しの奴はおかしい事を具体的に指摘出来る 例えば拳児で行われてる八極拳の套路も
政治的な判断が利いていて
公平にする為に武壇の套路ではない あんな昔のマイナー漫画にそんな忖度効いてるかぁ?w >>193
僕が空手を始めた頃にはネットとか無かったんだが・・・w 俺が剣道やってた小学生の頃はネットやパソコン、スマホに携帯電話どころかワープロすらなかったな 休みの日には重鎮の先生方が集まる帯研に参加して教えて頂いたのだが
今でこそパソコンやネットやらがすぐに手が届くものだけど、経験に勝る学習はないと思う 毒手功の奴っておっぱいモミモミできないんでしょ?
かわいそう 空手でも武術としてやってる人は極少数になる
そういう人は割と中華武術と交流して台湾や中国へ行っている
拳児での空手家は爺ちゃんと知人だったりするけど
実際もそんな感じだし
写真撮ってFacebookに上げてたりするよ
外のインターネットじゃ分からないだろうけど >>201
毒手ってのは恐らく武侠小説から来ているんだと思うw
小説から実際の武林に影響を及ぼす事はよくあったそうな 毒手は胡散臭いなぁ
人体はある程度の薬物耐性があるとはいえ致死的な毒を素手に仕込めるとか医学的に説明つくのか? 毒手ってのは少林寺72芸から来てるらしいが
この少林寺72芸ってのは文革の後に捏造されたものらしい 鉄砂掌という物は実際にある
拳児に書いてあった通り
豆と鉄粒が入った袋などを叩いて手を強くする方法
武術でもサンドバックのような物を叩くが鉄砂掌のようにはやらない
意味合いが違う
拳児に置ける劉月侠は
身体を打って鍛える物を大道芸の武術として明確に分けていた
だけど鍛えているから侮る事は出来ないとも言っていた 鉄砂掌はまぁわからんでもない
でも刀不挿入だっけ?
金なんとかも怪しいw
切れるってw 松田さんはいろんな本で劉雲樵と出会った時の事を書いている
劉雲樵が「空手をやった事があるかね?」と松田さんに質問して
劉雲樵は机を手で打つ
そして「アイタタ......」とおどけて見せる
「私はこのような硬い物を割ることは出来ないがそれでも武術をやりたいか?」と
その当時の空手のイメージは極真空手のような物だったから
そのような事をしたのかもしれない 沖縄空手だと上地流だな
あたしゃ沖縄剛柔だもんで詳しくはわからないけど 松田さんは書籍でこう書かれている
「正直にいって、当時の私は中国拳法の威力そのものについて深い理解があったわけではなく、
心の片隅には空手道に対する未練が残っていた。
しかし、直接の指導にあたってくれた蘇 c彰師範と起居を共にして技術を学び、
また蘇c彰師範が各大学やアメリカ軍兵士の指導に随行することにより、
八極拳の威力の恐ろしさをかい間見ることができた。
そして生涯をかけて学ぶに足り得る学問であるとの認識を得た。
短身瘠軀の蘇c彰師範が2メートル近い背丈の格闘技に長じたアメリカ兵の猛攻をものともせず、一瞬の間に倒したり、
野球用のバットで思い切り叩いても平気な防具の上から、
軽く打っただけで相手を昏倒させる場面を見て、本気で修行をする覚悟ができた。」 >>210
アナタは詳しそうだから聞くが実際に暗勁みたいなものは存在するんだろか?
打法としてそういうものは空手の裏当てとか鎧通しみたいに日本の武道にも伝わってるみたいだけど、
拳児の暗勁って打法というより気を打ち込んで倒してるように見えるからさ
ジークンドーのワンインチパンチのように拳と対象物の距離が近いところから少ない動作で破壊力を出す技法は空手の大会の試割りで見た事あるんだけどね
(その空手では寸勁って言ってた気がする) 昔たけしの昼番組で骨法の通しを実演してたけど
今思えばメッチャ胡散臭いので中国拳のそういう技もなんか眉唾にしか思えん >>211
まああるけど
拳児で描かれているような認識とは違うかも
自分が暗勁まで達してるわけでは無いしねぇ
戦術の上で出てきたらやるだろうけど
あんま興味無いなぁ
単に暗勁で驚かせるだけなら
大道芸の武術と変わらないんじゃないかな 思えば、松田は大げさなことばかり書いていた
・西南戦争時に示現流で鉄兜ごと両断された遺体が数多く見つかった
・諸賞流は蹴りで鎧ごと内蔵を破壊する
・私が懇意の大東流の某は宮本武蔵や塚原卜伝をも凌ぐetc
取材した流儀を過剰に持ち上げて現代では馬鹿げてるとしか言いようが
当時はそれが通用した
松田は梶原一騎がそうしたように中国武術を空手バカ一代のような
コンテンツにしたかったのだろう 要するに暗勁とは相手に悟られるような動作を一切せず
思い切り打ってると言う事だからね
寸勁や暗勁が拳児2のような必殺技って事はない
確かに気と言う概念はあっても
気迫とか力の流れとかそういう部分を表しているので
別に不思議な事は一つもない
不思議と言えばみんな見えてるのに気づけない部分だな
気づけない事が不思議だと思う
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