>>703

そのあたりは読者個人の感覚によって解釈が違うとしか言えないと思います。

私は、植野の「葛藤していた」は学級裁判での「私も悪かったような気がします」と同じ保身のための言葉だと思っています。
学級裁判での植野は、本当に「自分は石田の西宮イジメを止めたくても止められなかった」という葛藤の記憶を
自己正当化のために作り出していたんじゃないでしょうか。

石田は、橋の上の言い争いの前に、観覧車の中で植野が西宮にイバリちらしているところを見ています。
「私は謝らない」、「イジメはメッセージだった」、「西宮のせいで石田は友達を失った」。

こうした言葉は川井に対しては発せられない。学級裁判の時と変わらない植野の変節を石田は見せつけられてしまったんです。

「植野も川井とそう変わんねぇ。目クソ鼻クソだ」という言葉は、二人とも自分に都合のいいように記憶を捏造しているともとれます。