つげ義春 総合スレ14 [転載禁止](c)2ch.net
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ここで会ったが100年目
次スレなかったので立てました
ファンの皆様お使いください 子供の日が近づく度に「ある無名作家」を思い出す
俺も佃煮をおつまみに河原で一杯やりたいよ ねじ式がガロに発表されてから
今年で50年にもなるんだなあ つげさん、80歳か
漫画描かなくなって30年
はやいもんだな、月日流れるの… 「つげ義春漫画術」上下巻を買った。
読みごたえがあるぜ。面白すぎる。
全集と交互に読むとまた楽しさもひとしお。 >>7
紙とペンを渡されても
「これは何をするものですか?」って言いそうう >>6
ねじ式50年か
初めて読んだのは発表から12年後だったけど
作品の地位は38年経っても、その頃とほとんど変わってないな >>16
だが、チャキチャキのイキのいい江戸っ子ではな〜い! 人情味溢れた、という感じではないよね
貧しさと肉欲がすぐそこにある 井月については漫画で描いたけど放哉、山頭火については言及してる? あるとしたら『無用者の系譜』について触れたインタビューかな
ちょっと今手元にないからわからないが >>23
それをオマージュしたのがアクション連載のボーダーの蜂須賀の部屋 >>26
偶然の一致で、名前も同じ「グロリア」だ!w 今週の文春で、立花隆がつげ夫人のこと書いてたな
60年代飲み屋を開業するんでやり方教えたらしい
意外なつながり >>29
これ何?山田英生って人が好きなまんがってこと? ちくま文庫なんてどこでも立ち読みできるんだから読んで決めればいい あの場面の「そうだよあげないよ」の芝居が大根過ぎて萎えた
あそこはもっと淡々と進めないと なるほど。
ところで双葉社の単行本の「長八の宿」、オトヨさんの台詞の「下男」が削除されてるね・・・ 隣に障子隔てて宿泊客いるとわかると、「咳払いが多くなるのも楽しい」って感覚、
人見知りのつげさんにしては意外だにゃ、って
リアリズムの宿読むたびに思います。 >>42
つげ氏は旅行中は結構社交的だよな
旅に行くとその場限りの関わりだからかもしれないが 二十代で読んだ時はどこが面白いのかいまいちよく分からなかったが、四十半ばで読み返してみたら俄然面白くてちくま文庫の全集を注文してしまった。届くのが楽しみ。 親父が13歳の頃、千葉に闇米買いつけに行った帰りに、江戸川越えたところで捕まった話を思い出した 無能の人だったかな、主人公一家が八王子に行くんだが、駅前は何もない辺鄙など田舎
なんだよね。
戦後誰の者だか分からなくなった一軒家に見ず知らずの人が住み着くとか
今では考えられないシーンが多々あるね。 去年か一昨年か、地元のスーパーで見かけたので一言ご挨拶しました。お元気そうではありました。 つげ氏は下戸なわけだが、もしつげ氏が酒を飲めたなら酒で安易に憂さを晴らしてしまい
旅に出ることはなく旅モノの漫画を描くことはなく我々はそれらの漫画を読むことはできな
かったははないだろうか うらやま!会いたいって言うか一緒に写真とらせて欲しいなぁ そういうファンをつげ氏は最も忌み嫌うとわかってて敢えてするのか?鉄面皮だな 遠慮してる時間なんてないんだよ。俺にもつげ先生にも >>55
それが嫌だから自作の展示イベントとかには行かないと言ってるな 何が嫌なんだ?少しはファンに感謝してサービスしろよ。にっこり笑えなんて言わないからお願いしますよ! ユニークで個性的な確実稼げるガイダンス
知りたい方だけみるといいかもしれません
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7AO 80越えのじいさんに無理言うなよ
老人は労るというのが普通の発想 >>64
この人ホント天才だわ
壊れて欲しくなかったなあ >>53
たいへん遅レスすみません、調布です。
生前の水木先生にも何回かご挨拶しました。 >>70
阿久津、ホントひどい
どうやったらそういう思考回路になるんだろう
有能な編集者ではあったらしいけど 文芸雑誌での金井美恵子と野崎歓の対談を読んでたら
昔つげ義春が金井の住所調べていきなり訪問してきたという話が… つげ氏金井ファンだったのか〜、昔の私小説ばかり読んでそうなイメージだけど
いきなり訪問という行動も意外すぎる。もし自分がされたら一番いやなことだろうに つげさんのドキュメンタリー映画とか無いよね、書籍はあるけど
描いてないけどドキュメンタリー作って欲しいなあ
断ってるんだろうなあ 確かに。話はいっぱいあったんだろうけどね
ひっそりと忘れられたように過ごしたいんじゃないかな 夢にも金井が登場しており
つげは乳を揉んでる。
金井はそれを知らないと思う。 やがて来訪する深沢七郎への対抗心(あくまでも夢の中での心理)での乳揉み行為というが
極度のオッカサン想いでモンローずきの深沢は異性に性的関心はないはず。 ねじ式の例のあそこを見ようと太海に行ってきた
実に鄙びた漁港という感じで、つげさんのイメージにぴったり
紅い花を着想したという大多喜の元旅館も健在
精神病院も一般病院になって立派になってたけど
あの川の雰囲気は時がとまったような感じだったな 「李さん一家」と「蟹」の落差は、考えさせられるものがある。
かつて神童といわれたが、やがて平凡な大人に、のケースに似ているような。 >>87
わかる
でも同時期の「やなぎや主人」は凄いじゃん
なんで「蟹」だけ出力30%みたいな……ガロ掲載じゃなかったからだろうか そのへんについては「漫画術」で語ってたような
後で調べてみるわ 「蟹」に関しては、そんな悪くないけどなあ。
「李さん一家」と単純に比べるのではなく、
つげ先生のもうひとつの一面として見るべきじゃない?
少し気を抜いた笑える作品、俺は好きよ >>68
最終回辺りって、モロ『海辺の情景』だったなあ。 そういえば、初出当時のは見てなかったんだよな(トオイメ 66.2月号の「沼」から68.8月号の「もっきり屋の少女」はその前後の作品と隔絶した完成度と感じます。
「やなぎ屋主人」もストーリーは興味深くはありますが、作品としては比較になりません。
つげの中から何かが失われ、二度と戻らなかったのだと思います。
つげさん自身もそれを自覚していたのか、「もっきり屋」は「沼」で台詞を頂いた、井伏鱒二の「言葉について」へのオマージュになっています。 「沼」で始まった円環がここで閉じたのであり、
「考えてみりゃあ もともと 考えることなんかなかったのだからね」
という台詞は「沼」から「ゲンセン館」までの作品が示唆しながらも、語らなかったことではないでしょうか。(意識や反省に対する、現実の生や単純な言葉の優位)
これを語ってしまってはその先はなく、終わりを予感しつつ、この台詞を書いたのでしょう。 チヨジやサヨコのような娘がどこかにいるような気がして、
僻地をへめぐり歩いた日々が僕にもありました。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています