押井守のめぞん一刻批判

押井守 『コミュニケーションは、要らない』 p.131より抜粋

宮さんの言葉を借りるなら「あの五代ってお兄ちゃんが響子さんを押し倒せばそれで終わる」。
「結婚してくれ」と言えば物語は終わってしまうということだ。

言わないから、あの物語は何年も続いた。
何年も続けるためにあの男を優柔不断にしたわけだ。
いつも言うのだけど、主人公が優柔不断であるとか、根拠を持たないがゆえに起こるドラマはドラマではない。

そして、日本のアニメやマンガや小説の多くはこれに当てはまる。
ようするに未熟なのだ。
未熟であるがゆえに生起するドラマはドラマとは呼ばない。
ドラマとは「価値観の相克」のことだ。

これもまた、根源的にはコミュニケーションの問題である。
好きだと告白した先の結論を日本人が必要としているのかということだ。
少なくともアニメや漫画の世界では、その先にある結論は求められていない。

結局のところ、この国では異なる文化の摩擦も求められていないし、価値観の相克も求められてはいない。
だから本当のドラマも求められてはいない。
震災の被害にあった人たちの願いの大半も昔に戻りたいということだ。
安寧な日常以外に求めているものがないなら、コミュニケーションをとる必要もないのである。