【萩尾望都】トーマの心臓・2【ギムナジウム】
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
肉体とか有限の生命を感じさせるところがいいと思う。
「トーマ」3音に対して「しんぞう」4音なのも座りがいいと思う。 トーマの肝臓つうたらアル中患者の闘病記みたいだなw 再飲酒の罪悪感からユーリは神学校に行く事を決意する これがBLなんですか
少年同士の恋だとはわかるけど…
すっごく精神性なものだし、なにかの比喩かな…とも
けど、最後までユーリへの想いがテーマになってるし トーマのホモ祟りにあたって女を抱く道を捨てざるを得なくなったユーリかわいそす >>863
ええっ!! トームってそんな意味があったのかー!!!!
で
トーマと何の関係が? >>861
姉妹編というかプロトタイプというか
「11月のギムナジウム」と読み比べてみると
「11月」のほうが登場人物の口調か荒っぽい
主人公がエーリクだから、エーリクの口の悪さに引っ張られたようなだけでもないだろうけど
「あの子は香料入り砂糖菓子だもの 食べたらさぞかしおいしいだろ」なんて
いかにも┌(┌ ^o^)┐ 神様おいらは今日、アントワープと言おうとしてアンテ・ローエと口走りました
懺悔します 特定の世代しかわからないし大丈夫
ちょっと悲しいけど 少し前に読んで感動した
特に終盤の美しさが素晴らしい、最後まで読むとまた初めから読み返したくなる
畳み方として完璧
ところで借りぐらしのアリエッティがトーマの心臓のオマージュだと聞いたのだけど、
トーマ好きの人が見たら感動できるようなものでしょうか?
宮崎駿が「これはトーマの心臓なんだ!わかるか!」というようなことを口走ったとらしいのが胸熱なのですが 原作の床下のこびと達シリーズ大好きだし、アリエッティも見たけど
どこがトーマなのかわからない
でもこびとシリーズは面白いよ アリエッティ最後の方のとってつけたようなセリフ以外トーマらしいとこはないよ あらら、じゃあ急いで見ることもないか
こびとシリーズだけ探してみようかな
レスありがとうございます 昨夜の「三月のライオン」エンドカードが
萩尾望都先生筆であった件
このごろ珍しいコメディー風 連載当時の編集はBLをやめろとはいわずにむしろ煽ったのだろうか? 萩尾先生はともかく
竹宮先生の「風と木の詩」は
描かせてもらえるまで何年も実績を積んだとか
なんかで読んだけど
ぐぐったら
以前このスレで紹介された記事が出てきた
ttp://www.news-postseven.com/archives/20160221_386628.html?PAGE=2
>普通の女の子と男の子が好き合う話ですらわけがわからなくて困ってんだぞ、俺は。
って少女漫画の編集としては酷すぎ
少コミの編集者は作家に自由にやらせたい方針だったとか
どこかで読んだけど >>877
今と時代も常識も全然違うんだよ
特に当時の編集なんて 報道か文学やりたかったのに漫画それも少女=小学生以下向けのジャンルに配属されたんだから不満だらけだ
(70年代に入るまで高校生以上が少女漫画を読むことが想定されていない) >>877
>少女漫画の編集としては
山本さんのこと知らないの? マット・ソーンのインタビューから
ソーン……登場人物がみんな男の子であることについて山本氏は何も言わなかったんですか?
萩尾……何も。私が小学館へ移籍して山本さんが担当編集者になってから、
山本さんは最初の二本か三本のラフをチェックしただけで、
それ以降はただ完成原稿を受け取るだけでしたから。
ソーン……(笑)本当ですか? 打ち合わせもチェックもなし?
萩尾……長編作品の場合にだけは、どういう計画なのかを作家に尋ねていましたけど。
ソーン……言い換えれば、あなたはそれだけ信頼されていたということですね。
萩尾……それは分かりませんけど。私がどういうものを思いつくかを見るのを
楽しみにしてくれていたようではありますけどね。
たぶん私の作品を面白がってくれていたとは思います。私が完成原稿を持っていくと、
山本さんはその場で読みはじめるんですが、それについては何も言わないんですよ。
こちらはかなり真剣ですよ。山本さんの表情の変化を一つも見逃すまいとするんです。眉の動かし方とか(笑)。
それを観察しながら「よくないと思ってるのかな? いいと思ってるのかな?」って。
原稿を読み終わっても山本さんが何も口に出さなかったら、「ふう! 今回も大丈夫だった」。
テレパシーが必要だったんですよ(笑)。
ソーン……しかし山本氏ってユニークな人物ですね?
萩尾……ええ、そうですね。私の原稿を読み終えると、山本さんは映画とか本とか
他の作家の漫画とかについて語り出すんですよ。でも私の作品の話はしたことがない(笑)。 BLとかわざと煽るという発想が今の人らしいね
腐女子なんてそういう人種がいることすら想定外
トーマは連載中アンケートが最下位で予定より早く打ち切られた
連載が終わってから人気が出て編集は続編描かない?と持ちかけたけど
萩尾さんはあれはもう完結した話ですからと断った
という逸話を聞いた事がある 打ち切られそうになったがバカ売れしたポーの一族の続編をエサに最後まで描いたんじゃなかったっけ >>883
>予定より早く打ち切られた
そういう事実はないよ。
アンケート結果は良くなかったけれど
担当の山本さんは最後まで萩尾さんを信じていたよ。 wikiで確かめてきた
>>884さんが正解
以下引用
連載初回の読者アンケートが最下位だったため、編集長から打ち切りを宣告されたが、「もう少しで終わりになるから」とかわしているうちに『ポーの一族』が単行本化され、初版3万部が3日で完売し、『トーマの心臓』の評判も上がり連載は最終回の33回まで続くこととなった >「もう少しで終わりになるから」とかわ
す萩尾さんが目に浮かぶようだ
勝手な偏見かもしれんけど飄々としてるよね 「あれはもう完結した話です」はポーの一族終了後読者編集者に続きを切望されて言ったことばだったと思う
トーマの心臓の後「湖畔にて」「訪問者」を描いてるし、ユーリが神学校へ行かなかったらどうなるかと考えたことが
「残酷な神が支配する」を描くきっかけだったとか(トーマと残酷は全然別の話だが)
やっぱり編集にせかされて描いたから消化不良だったんだろうか
もし自由に思いきり描いてたらどんな話になったのかな 読んでみたかった スレチかな?
IVCという映像メーカーについて。
多くの貴重なクラシック映画のDVDをリリースしている割に映画に対する愛が感じられない。
これはあくまで噂だけど、一旦IVCが日本での権利を獲得してしまうと、
他のメーカーがその映画のリマスター版等をリリースしようとしても
版権の問題で阻まれてしまうとも言われている。
北米ではワーナーがRKO映画の特典満載で高画質なリマスター版をリリースしているのに、
日本ではIVCが版権を持っているため、国内リリースは同社のPDレベルの画質のソフトのみ…
なんて話も。
で、トーマの心臓のヒントとなった「悲しみの天使」の話。
かつてにっかつからVHSがリリースされていたが、後にIVCから再リリース。
後にDVDが発売されるも廃盤。
一部から熱い要望があるにも関わらず、再発叶わず旧版のプレミアムが高騰。
再発の要望が無視され続け、他メーカーからのリリースも無いのは
上記IVCの体質に原因があるのではないか? 『ぱふ』に載った高寺彰彦の「だいなみっくるぽ」が面白かった
ドイツに行ってユーリとか関係者に当時の話を聞くの エーリクが大学生で恋人もいて、最後に例の陸橋から花束投げて帰る、ってやつでしたね
本気にした人もいたみたいで後で問い合わせが来たとか 「訪問者」で9歳のオスカーが
「パパはねお金があって戦争はおわってて大学に行って…」って言ってるから
戦後20〜30年ってところだろうか
社会から隔絶されたような塀の中の話だから すきなように読んでいいと思うけど 現代劇だと思っていたから、執筆当時の「現代」である1974年だと思っていたのですが
「小鳥の巣」は1959年が舞台なんですよね
なんで15年前に設定したんでしょう
「グレンスミスの日記」のラストが現代だとドキッとすると思うんだけど…
最初から「エヴァンズの遺書」以降の構想があった(「エディス」を現代にする予定だった)のかな まあ「小鳥の巣」は別作品だからと言えばそうだし
オスカーとエーリクが週末にガールハントに出かけるところなんか
いかにも現代(当時)の西ドイツのいなかを紹介してますよという感じなんですよね >>894
オスカーパパが言う戦争が二次大戦なら1970年代くらいの話かな 11月のギムナジウムは読んだけど訪問者も読んだ方が時代背景わかりやすいみたいだね
教えてくれてありがとう 「訪問者」は「トーマの心臓」のスピンオフだけど
「11月のギムナジウム」は別作品だよ 某大学では、放射線の講義になると教授が演台にラジウム鉱石を置いて見せたという
教授が退官した今でも、演台からは放射線が検出されると聞いたことがある ラジウム温泉は微量すぎて毒にも薬にもならないらしい
それなのに信じて入ると効果がでることがあるのが人体の不思議 11月のギムナジウムのフリーデル見て思った
オスカーが言ってた財布事件前のユーリこんな感じだったのかもしれないなって
まだ張り詰めた雰囲気もなくて特に目立ったりもしないが親身に転入生の面倒見たり
様子がおかしい級友を気にかけたりまさによき委員長って感じだった ユーリがユダ、サイフリートがサタン、トーマはキリスト、エーリクは復活後のキリスト
キリストがユダの代わりに死んで神への許しを乞うてあげたように
トーマも不信心の罪をユーリの代わりに贖ってあげた
エーリクは神の遣いなので、作中の神は同性愛を肯定している
ユダも生きていればキリストから赦されただろうというアガペーを説いている
と捉えました。間違ってますか? http://www.news-postseven.com/archives/20130210_170585.html
>ドイツでは遅くとも1980年代前半には、体罰が法律で完全に禁止されていました。
>基本、子供の生活態度の管理をする担当は学校ではない、というのがドイツの共通したスタンスです
歴史(?)の老教師がムチでエーリクをたたいたり
シュロッターベッツ・ギムナジウムは、かなり規律がきびしい感じにみえるんだけど
元ネタの映画はどうだったんだろう。 >>912
映画というのが【悲しみの天使】の事なら舞台が1920年代初頭のフランスでカトリック寄宿学校という時点でお察し
日本で言えば大正時代で第一次世界大戦ごろの話だ 懐かし漫画のようにだれでもネットで稼げる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
9805I >>910
>エーリクは神の遣いなので、作中の神は同性愛を肯定している
この一行のみ余計な気がする
同性愛が悪いとか良いとか、そんな低次元な話ではないと思う おおっ!
「悲しみの天使」原作を翻訳してネットで公開している人が!
ttp://blaalig.a.la9.jp/amities.html >>916
訳者のことばが素晴らしい
> この翻訳の動機となったのは、映画『悲しみの天使』よりも、
> むしろ萩尾望都先生の『トーマの心臓』でした。
> 萩尾先生には深く感謝します。 マリエとエーリクの関係ってなんだったんだろう?
マリエは異様に奔放だけどエーリクと仲良いし放任してる訳でも無いし
あの異様な奔放さもなんなんだろう? >>918マリエは息子を可愛がっているように見えるけど、自己愛の強い人。
自分を愛してくれる人がいないと不安になるのだろう。
恋人が居ないときは愛情を息子に求め、
エーリックも母親に依存。
これは残神を読んで、改めて気がついた。 サンドラはあかんやつやけど、マリエはなんか憎めないからずるいような
母親なのに恋人がいっぱいいるって連載当時はもっと非難されるようなことだったのかな?
そんな描き方でもないよね 私も同じくマリエはいい人の印象
エーリクの素直で天真爛漫な性格はマリエから譲り受けたと思う
マリエの恋人(ユーリ?)も感じいいしエーリクとうまくやっていける人だし、
彼女は周囲といい人間関係を築けてきたように表現されているんじゃないかな マリエはいいけどサンドラはだめってのは納得できないなあ
マリエにグレッグが接近してエリックが虐待されるとか条件をそろえてくれないと判断できないw マリエは自分自身が財産持ってたから強いよな
金持ち男でも自分や息子を傷つけるような男だったら捨てると思う
サンドラはおちぶれた家の娘だから弱かった エーリクに首絞めの問題行動があったのはマイナスポイントでしょ マリエがエーリクを愛してるのは本当だと思うし、
女性キャラとして魅力的で悪くはないと思うんだけど
子どものケアが出来てなかったとこがマイナスポイント
エーリクが首締めるまで自分を追い詰めないようにきっちり自律+教育+愛情表現した上で
恋人を次々に……だったら、全然問題なかったと思うw 倒れた校長先生をオスカーとユーリが見守るところの、「許していた?」〜「僕は待っていたそれだけ」に何回読んでも泣かされる
流れ切って申し訳ないけど >>923
トーマのエーリクとマリエ親子像があまりにも良い方に出来過ぎてて、この設定でいくと普通もっと悪い方に転がるんでないの?って転がりすぎて奈落に落ちたのが残神だと思ってた >>910
自殺は本来ならキリスト教では罪なので
作品の中でのキリスト教は、道徳とか良心とかいう、主人公たちが自己を肯定するための規範という以上の意味はないと思う。
ユーリは暴力に負けてそれを自ら否定した事で罪悪感を持ち、友達とも自分とも正面から向き合えない不幸な状態に陥った
それに気づいた何人かの少年たちが、様々なアプローチでユーリの目を開かせた
その全てにユーリは神の愛を感じたということじゃないのかな? 萩尾望都を初めて読んだのは小学生の頃で、ポーの一族はすごくおもしろかったけど、トーマの心臓はよくわからなかったなあ
特に、なんでユーリがサイフリートたちとの夜のことであんなに自分を責めてるのか、トーマを拒否し続けたのか、
オスカーや先生たちも背中の傷の件をあれほどタブー視してるのか理解できなかった
大人になってから、あれは性的な暴行だったという話を読んで、やっと全てが腑に落ちた わたしもだ。
わたしがトーマを読んだのは中学生の時だったが
あの描写から性的暴行を思い描くことができず、
話の流れを理解できなかった。 まあそれが当時の少女漫画の限界というか、打ち切りをちらつかせる編集長をうまくごまかしながら最後まで描き上げた萩尾さんのギリギリの線だったんでしょう
わかる人にはわかって、想像の及ばない少女達には見たままに受け取れる二重構造 トーマは読めば読むほどわからなくなってきた
最初に読んだ時の方がまだストンと心に入ってきたかも 最後まで謎として残るのは、トーマは本当に何も知らなかったのだろうかということ
トーマがユーリに送って読まずに捨てられた手紙の中には何が書いてあったのか?
なぜトーマの詩がよりによってユーリの運命を変えた本「ルネサンスとヒューマニズム」の中にあったのか?
偶然というにはあまりに出来過ぎていて、あの話の中で神の奇跡があるとしたら唯一これだけなんだけど… トーマには性的暴行なんてこと想像もできないとおもうな
オスカーでさえ「リンチだ」としか知らなかったんじゃないかとおもう >>938
エーリクがユーリの背中の傷のことを聞いた時のオスカーの狼狽っぷりを見ると、オスカーはわかってたと思う
トーマの「ぼくの翼をあげる」というのも、なんとなく、わかって言ってたような感じがする トーマとつるんでたアンテがああいう性格だったんだから、トーマも外から見るより複雑な内面しててもおかしくない
自分を「成熟しただけの子供」なんて表現できるのは、かなり大人びた目を持っている トーマは早熟でロマンティストな少年だった
そして中二病の常として、永遠なるものに対する憧れがあった
その前提で考えても、やはり自殺という選択は乱暴すぎる気がして、ある程度はユーリに起こった事件を推察していたのではないかと思う 久々に読んで、「愛を失った人たちがそれを取り戻すはなし」であることに改めて気付きました
今まで、登場人物が揃ってから、具体的にはサイフリート登場以後の展開が
登場人物が複雑なだけに、よくわからなかったのです
しかしながら今でも「リーベってどの子?」状態
それと、すげー描写に気付きました。
ギムナジウムを訪ねたユーリ・シド・シュバルツが帰ってゆくシーンの一こま
「そうだ/私たちは/過ごせる/だろう/明るい湖/季節を/追って/幸福に
――――
だけど/君
――――」
こまの右側はユーリ・シドのモノローグで、まんなかにエーリクの顔があると、
左半分はエーリクのモノローグになるんですね
ユーリ・シドの述懐と同じ事をエーリクも思っていて、でも、とエーリクひとりの思いになってしまう
なんかすごい 心理描写の巧みさと表現の美しさにおいては、個人的にはトーマはポーより優れていると思う
あれを週間連載でやったんだからなぁ… そういう論点でポーとトーマを比較するのはどーかと思うがw 「一瞬と永遠と」の文庫版あとがきに
「トーマの心臓」はネームに六日、絵に一日って書いてあった
構成や言葉の選択に重点が置かれてたのはまちがいないかも 同意ですが、後半の絵がかなり荒れている理由がわかった気がします
後年の週刊連載作品である「百億の昼と千億の夜」や「スターレッド」と比べるとかなり荒れているんだけれど、構成はすごい
エーリクがヴェルナー家を訪ねる回は、本来週刊連載マンガであれば
「なんだ、トーマと親戚なんだね」を読者に伝えるだけでもOKなんだろうと思うのですが
先にブッシュ先生を出しておいて、ブッシュ先生はエーリクを疎ましく思ってないと読者に見せてから
「ずれてるなブッシュ先生」の理由が当日の「君なんか孫の歳だよ」で説明される
と同時に、「ドイツ中に散っとる」と家族の話だよと前フリ
この回はエーリクが、トーマはどんな子だったか知る回で、
しかも第一回の扉絵の伏線が回収されるという綿密さです
これさえ見せれば、もうヴェルナー家とごたごたする必要は(ストーリー上)ないわけで
「もう来ません」「部屋も見ません」
そうエーリクにいわせる為に、先にユーリ・シドが来て和解しているわけで
しかも、直前にオスカーが「聞きたい?」と大事な秘密の前フリをして
「聞かない」と答えるシーンがあり
直後にその話になってラストになだれ込むという >>937
レドヴィ「ぼく、彼の図書券もってるんだ…あとで見せたげるよ
彼が自習室に忘れていったの
トーマの図書券ね…ユーリが読んだ本の後を追ってるんだ
きみ(アンテ)がカケのことなんてもちだすずっと前からだよ……」
サイフリートに惹かれたユーリが、サイフリートの読んだ「ルネサンスとヒューマニズム」を読む→
ユーリの読んだ本と知って、トーマが「ルネサンスとヒューマニズム」を読む→
サイフリートに惹かれたユーリの想いを感じただろうトーマが
自らの決意をしたためたメモを「ルネサンスとヒューマニズム」に挟む
ということでは? ユーリが読んだ本を読みながら ユーリを想って詩を書いたのはわかる
それをそのまま本に挟んじゃったのは無意識じゃないかな
レドヴィがユーリにプレゼントすることまで予想できないでしょ
トーマは死ぬ前に日記を燃やしてる
日記の中にもユーリへの想いが書かれてて
家族がみつけてトーマの死はユーリの責任だと責めないようにと考えたんじゃないかな
家族には事故死としかみえないように
あの詩が残ったのは「偶然」でいいんじゃないかな レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。