【村上もとか】六三四の剣 六本【剣道】
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「夏木はこんのか!!」
「チェストー!!このままでは気がすみもはん!!
手当たり次第に民家に火をつけ木剣で叩き壊してくれもんそ!!」
「チェストー!!」
みたいになってたろう 高校の時に、ただ髪がボサっと伸びてただけだったんだが剣道の大会出た時
あいつ六三四の劍の六三四に髪型そっくりだなとか周りで話されてるのが聞こえてきた
幕末時代劇で何度も焦点をあてられる官軍となった薩摩軍の
調子コキぶりは今の鹿児島県民にとって迷惑だろうな 六三四って中学校時代走り込みだけでも最低一日40キロだっけ 六三四の最後ら辺は日本有数の剣士としか思えないほど修行こなしてた
感じだったのに社会人相手には普通にボコられてたのはおどろいた 時代が時代だから仕方がないとは言え
一歩間違えれば体壊すよな…が修行が多かったな
とっちゃのところへ修行へいったときもうさぎ跳びで階段を上るとかやっていたし 嵐子の方言のきつさから言って、昭和初期がモデルだったりして 最後の方で嵐子が言ってた
「あんたは岩手の虎だべす〜!!」
は
「あなたは岩手の虎ですよ」
が正しい訳ですか? 確かに嵐子とていの方言のきつさは同じぐらいだなw
でもキャラによって訛りはコントロールしていて、同じ女でも、
母っちゃはかなり抑えている。
80年代のリアル岩手女はこんな感じ? はっきりと嵐子以外の女の子キャラはそれほど訛ってなかった
もなみちゃんって六三四君には自分の想いが届かないから乾に走ったビッチ そういや時代設定は70年代中盤〜90年代前半ってことになるのかな とっちゃが死んだときには、まだ東北新幹線は開業していなかった 小学校2年くらいでとっちゃが死亡だっけ
1982年に東北新幹線開業らしいから
六三四は1974年より前に生まれたってことに じゃあ父っちゃと六三四が全日本選手権で武道館に行った時は
夜行列車だったのか。
そして帰らぬ人になった父っちゃの遺骨を盛岡に運んだのも・・・
手元にないから忘れちゃったけど。
藤堂の家に行った時は、東京で新幹線に乗り換えて、
六三四が富士山を見て驚いてたのは覚えてる おそらくこれを利用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84181%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A
武道館での大事故の報を受け、佳代が東京に急いだ際にも乗った
この系列に乗車中に、栄一郎が息を引き取ったことを佳代が察する描写があった
初めて奈良に行くとき、盛岡から上野までは夜行だったかもしれないが 単純に方言は親の言葉使いから影響するから嵐子の両親が岩手の辺境の地出身と見た 確認した
とっちゃと六三四が正月休みに奈良へ向かう、全日本二連覇に臨んだとっちゃと六三四が東京へ向かう、
とっちゃが倒れたと連絡を受けてかっちゃが東京へ向かう、
この三つの場面で乗ったのは、どれも「(在来線)やまびこ」だった
当時の東北本線最速の特急列車だ
青年編になると、盛岡を発つ場面そのものが描かれることはなくなってしまっている
時期的には東北新幹線の開業に伴い、特急が新幹線運行に切り替わっていた時期だと思われるが 青年編は、修羅が盛岡に来て、帰ってゆくシーンならあるな
列車名までは分からんけど、とりあえず新幹線じゃなくて
夜行列車で帰っている。 あそこの場面好きだ
清々しい
インスタントコーヒーもラーメンも美味しそうw 修羅「旅費の請求書は君にまわしといてもええかな」
六三四「な、なして!?」 修羅は金持ちっぽいけどなw
藤堂家ってのは、あの屋敷といい、爺やみたいな人がいるところといい、
地元の有名な旧家かなにかなのかね?
国彦さんは仕事はなにやってんだろうか。
父親が亡くなっても、修羅は医大行くのを諦めてないところをみると、
食うには全然困らないようだけど、広大な山林地主とかなのかな。 たぶん仕事はしてない。無能力者だろう。
家が超金持ちなんだろう。しかしうらやましい 父っちゃも、いかに公務員でローン組みやすそうとはいえ、
20代後半で盛岡市内にマイホームがあるって何気にすごくないか。
借家か、親の持ち家を受け継いだ可能性もあるが・・・ バカラッチって時代設定は、書かれた当時の現代だよね?
85年ごろ読んだと思うんだが、日本のどこかにはこういう小学生たちもいるんだって、
当時は信じきっていて、憧れてたんだが、今読むとテレビとかも出てこないし、
もしかして青葉学園の時代と同じ感覚で書いてたんじゃないかって思うんだが・・・。
ちなみに、ずっと後年になって読んだ好きなあの子〜だと、冒頭で街に遊びに来て、
ちゃんと文化に触れてるんだってホッとしたw
こっちでもやっぱりテレビとかゲームとかは全然出てこないが、三千円持って
買い物とかしてるから、やっぱり現代なんだろうなあ。 東京近郊の感覚だと、、夫婦がまだ20代で、子供がまだ小さい
親子三人なら、2DKぐらいのマンションか団地住まい、
貯蓄のためにアパート暮らしでも珍しくないぐらいって感じなんだが、
夏木家がわざわざ一軒屋を借りてたのはなぜなんだろう。
田舎の公務員だと、それが普通なんだろうか?
漫画だからといえばそれまでだがw、もとか先生って、
結構そのへんのリアル感はこだわるタイプだと思うんで。 田舎には借家が多いんだよ。
家の周りも六三四ん家みたいの沢山あった@昭和。 六三四の少年時代の舞台は大体盛岡駅周辺っぽいから岩手の中では家賃は高そう
…って言うか一等地 公務員なら貸すほうとしても安心できるモンな
退職したら今度は嫁さんが教職になったし そういやとっちゃたちの大学時代あたりって
とんでもシゴキ全盛期で水分補給とか当然禁止の時代だよね
とっちゃのしごきはやばかったみたいだし
何人か死に追いやったり障害を残したりしてもおかしくないな 母「鬼〜!!うちの息子は先輩のあなたに殺されたと
部員のみんな言ってるわ!!水も飲ませずシゴきまくったと!!」
東堂「そうですよお母さんあなたの息子は私が殺した」 モデルにしたのが"領主様"だった柳生家だからな
リアル柳生家の本家は、今は名古屋に移ってるみたいだけど 修羅家は財産ありまくってるから剣道ニートで十分なんだろうな
働きたいならお好みでって感じで。羨ましい限りだ 40年以上外界との接触を断ち、競技としての剣道に背を向けて
一心不乱に練磨してきた怖さはあるだろうけど
ただのスポーツマンじゃない実力日本一の剣士のとっちゃが
やられるというのは想像しにくいな
防具を外して本当に真剣で立ち会うならもしかしたら、があるが 東堂親子よりも夏木親子の方が、
瞬発力や持久力、柔軟性などの身体能力に優れているように思える。 六三四って嵐子の言葉を全て理解出来ていたのかな?
六三四に比べても数段訛りがキツいが 作者が岩手方言を教わるために取材した相手が
明治生まれのおばあさんだったのかいな 幼いころの六三四と修羅の身体能力はなんであんなにすごかったんだろう
普通保育園児が中学生に勝てないよ… >>360
若い高知県民は「しゃっしもうた!」とか言っても通じる
あまつさえ自分で使ったりする 嵐子って六三四の事をちゃんとムサシって発音できたのだろうか?
ムサス(スはシとスの中間みたいな)と呼んでいたりして? アニメではそういう発音だった時もあった<ムサス
でも普通にムサシって言ってる時も多かったな >>358
問題ないと思うぞ
互いに方言を使いながらも、日高と会話が通じる方がはるかに不可解だ とっちゃって
22歳で大学卒業→警察学校(22〜23)→機動隊(23〜)→かっちゃと結婚(23〜24)
→六三四誕生(25)→全日本選手権優勝(31)→死亡(32)でいいのかな
かっちゃとの年齢差って1〜2歳なのかな そんくらい
4歳以上離れていたら、学生運動参加者と機動隊員として対面した際に
「夏木先輩」という認識が生じるのが不自然になってしまう でも警官になって一年目の新人が、いきなり機動隊に配属されるものなのか? 九州編で戦ったごつい高校生が石を普通に突きで砕いていたけど
あれって実際できるものなの? 読み返すと岩手を出るときのとっちゃの台詞が死亡フラグにしかみえない 満喫でなにげに手に取って読んだら舞台が地元でびびったw
珊瑚橋とかリアルに書かれてるわ 乾は自分の肉親よりも古沢を慕っているし尊敬してそうだ 古いカセットテープを引っ張り出して聞いたら
ラジオドラマ「六三四の剣」の録音が出て来た(笑)
1983.3.26 NHKラジオ第1「ラジオ・ヤング・マガジン」にて放送 >>377
どんな内容だったか非常に気になってしまう(´・ω・`) >>378
番組のパーソナリティは水島裕が担当。
ドラマの前にゲストで来ていた村上もとか先生へのインタビューもありました。
(名前の由来、剣道経験、舞台が岩手の理由など)
「六三四の剣」のドラマは6分ほどで、シーンは小学校時代の陣内との大将戦でした。
公開で収録が行われていたようで、効果音・音楽を含め、声優さんも生でその場で演じていました。
足を痛めた六三四が陣内に勝つまでの流れを(ラジオなので)やや説明過多になりつつもテンポよくまとめていました。 (続き)キャスト
夏木六三四:山本嘉子 藤堂修羅(回想シーン):戸田恵子 夏木栄一郎(回想シーン):嶋俊介 夏木佳代:谷育子
陣内:中尾隆聖 権藤:滝口順平 轟嵐子:吉田理保子 審判:長堀芳夫
アナウンサー:大山高男 応援団:津久井教生、三浦えいいち、江森浩子、弘中くみ子、定岡小百合
方言指導:菅原一高 トランペット:篠原国利
※聞き取りなので名前の漢字は違っているかも知れません。 >>379-380
軽〜い気持ちで書き込んだのに、キャスト・スタッフに至るまで詳細な情報をいただけるなんて・・・
NHKなので「FMシアター」や「青春アドベンチャー」のような感じかと思ったら、ちょっと違ってたんですねf^_^;
今回の件や他スレで「赤いペガサス」のシングルが存在することを知った件など、懐漫板の情報網の広さには脱帽です(><)
貴重な情報ありがとうございましたm(__)m 連投&微妙にスレ違いスマソ
「赤いペガサス」、シングルじゃなくてラジオドラマの主題歌らしいですね。
村上もとか先生自ら作詞を手がけたそうで。 ラジオドラマというとラジオの時間を思い出す。
とっちゃが死なずに悪のラスボスとして、成長した六三四の
前にたちふさがるとかストーリーを目茶目茶に書き換えられたり
したのだろうか >>208習いたいっつーなら習わせたりゃいいじゃないか
武道やってればいじめの心配もなくなるし >>380
面白いキャスティングだな。かっちゃの人が嵐子をやってたのか。
それにしても方言指導の「菅原一高」ってのが気になるな…まさか、サンダーマスクの人?! BSでおしん見てただが、おしんの言葉は嵐子と変わらないんだなっす。
岩手の偏狭では昭和の末期まであだな喋り方してたんだなっす。 六三四って自分の親を殺した人物とその息子ということで東堂親子にわだかまりを持っていたが
乾が修羅の事を卑怯者と六三四の前で言った時は本気で怒っていた
高校になった時にはわだかまりは消えていたみたいだな 修羅へのわだかまりは小学6年の時に消えている
日高が修羅をひきょう者扱いした時に怒っていた いや五年のときに完全に消えてたろう
剣道再開した時点ではまだ少しくすぶってたとしても もともと修羅に対してはわだかまりないんじゃない?
親父を憎んだだけで 国彦へのわだかまりだって、
無賃乗車で奈良へ行って
国彦本人にぶっとばされた時点で消えたよ 足を痛めた六三四が陣内に面抜き胴を決めたとき
打突後の残身が不十分だったのによく一本に認定されたよな >>403いったん消えたが長靴頭に投げつけられたのを
思い出してうらみはなかなか消えなかった >>289
>剣道では落ちた時の受け身の練習などしないし…
戦前の剣道では受け身の練習をしていました。
投げや掛け足があるからです。 日高って結局は六三四と修羅に公式では一度も勝てなかったのか!? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています