【村上もとか】六三四の剣 六本【剣道】
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その前に「がんばれ元気」があったから、あまり気にならなかったな 韮山先生て、いつから奈良に住んでたのだろう
東京都内にある八雲学院大学の職(あるいは剣道部監督または顧問?)を勇退したのが、
修羅が小学高学年の時期で、その時点から奈良(韮山の故郷?)に住んだのだろうか 中学生編やらなかったのは小学生で強くなりすぎたからというのもあったのではないかな
高校生になったら六三四の強さが現実寄りに修正されてた >>280
それもあるけど、小学生編クライマックス以上のテンションで描くのは、
このまま連続した流れの中では、もう無理って判断したんじゃないか?
だから一度リセットかけたというか、六三四たちを、外見デザイン含めて、
別物にする必要があったから、中学編を飛ばしたんだと思う。
中学編やっちゃうと、どうしても話の流れはそのままになるし、
キャラデザの変化をやるにしても、もっと緩やかなものになっちゃうしな。 だからこの漫画って、六三四vs修羅の試合をやっちゃうと、
どうしてもそこがテンション最高潮になっちゃうから、高校生編では直接対決を
3年生までさせなかったよな。宿敵とは最後まで当てないって方式
それだけに、小学校編で5年6年と二年連続で二人の公式試合をやらせて、
6年の時は、5年の時よりちゃんともっと盛り上げたのは凄いと思った。 小学生の頃読んでて父ちゃん仕事辞めるし、母ちゃん一本で食っていけるのかと思ったが。
女教師でも年収600万位貰ってりゃ楽勝だな。
無職の親父はいい具合に死ぬし、教師と再婚。
佳代は良い人生歩んでるなあ。 JINのドラマがめちゃくちゃ大好きなやつに
「JINの作者の六三四の剣って面白かったよな?」って聞いたら
「うそ!?六三四の剣の作者と同じなのか!?知らなかった」
こういうやつ結構いるらしい 六三四って毎日40キロ走ってガタイもいいし身長も割とあるのに
体重はそんなでもないよね
最低でも80キロはあるべきだと思う >>285
いかに原作が、ひいては今の日本人に漫画が読まれてないってことだな 鹿児島の城山で日向と対戦したムサシだけど
竹刀のツバから上の部分を試合中に触るのは反則なんじゃないの?
審判がいないから反則負けにはならないんだろうけど。 しかし何で昔の全日本選手権は檜舞台上で試合させたんだろ?
突きよりも場外間際で体当たりを食らったらヤバい
剣道では落ちた時の受け身の練習などしないし… >>282
村上もとか氏って、こういう盛り上げ方っていうかまとめ方というか巧いよな。
「赤いペガサス」でも、せっかくユキと相思相愛になったペペを事故で死なせて、
日本GPでのケンとマリオ・アンドレッティの一騎打ちに話を上手に持っていった。
もし、日本GPにペペが居たら話の焦点がボヤけてしまってたろうしなぁ…。
「六三四の剣」で嵐子が怪我してインターハイを辞退したのはこれに似てる。
インターハイにもし嵐子が出場していたら、これまた話はボケボケだったろうw >>290
基本的に、話の焦点を絞るためのストーリーとキャラの”整理”がうまいよね。
さばききれるキャラクター数の上限を、よくわかってるというか。
でもRONでは、初めて整理に失敗したよな・・・
JINではまたうまくやったと思うけど。 初めて六三四と出会った時の乾は割と爽やかなキャラだったが
あれはかまととぶっていただけなのだろうか? >>291
あ〜なんかわかる
結構ドライだよね作者として
中学時代も読みたかった
嵐子も怪我しなかったら?
つか、成長ともにチート化
日高の優遇ぶりに比し有働の捨て駒ぶり
等々・・・
修羅って構えとか技とかで奇策を用いないと
六三四に対抗できないんだよな パワーの六三四、技巧の修羅って感じだからそれでいいんじゃないの
父親と同じように世を捨てて山ごもりの修行をしたり、日本全国を行脚してまで
大会に望むような奴に、堂々と正面から打ち合い合戦やっても
勝ち目があるわけがない 親父が死んだとき31歳で東堂が32歳って俺より年下かよ・・・ 鹿児島に行くと常時剣道着が30人以上待ち構えてるのかッ!? あれ漫画的イベントそのものだが燃えたのはたしかだな >>300-301
つか、実際にあれだけ大人数の剣士が港に集合したら、一体何事かと
警備会社か警察がすっ飛んできてもおかしくないよなw 九州編は日高と六三四の決闘が危険すぎて吹く
あんなところでやるなよと思ってしまう 鹿児島県民は本当に朝に立ち木稽古してから仕事行くのかケンミンショーで取り上げればいいのに >>300
途中でトラブルがあったりで六三四が引き返したり別のところへいっていたら
あいつらかわいそうなことになっていたな 「夏木はこんのか!!」
「チェストー!!このままでは気がすみもはん!!
手当たり次第に民家に火をつけ木剣で叩き壊してくれもんそ!!」
「チェストー!!」
みたいになってたろう 高校の時に、ただ髪がボサっと伸びてただけだったんだが剣道の大会出た時
あいつ六三四の劍の六三四に髪型そっくりだなとか周りで話されてるのが聞こえてきた
幕末時代劇で何度も焦点をあてられる官軍となった薩摩軍の
調子コキぶりは今の鹿児島県民にとって迷惑だろうな 六三四って中学校時代走り込みだけでも最低一日40キロだっけ 六三四の最後ら辺は日本有数の剣士としか思えないほど修行こなしてた
感じだったのに社会人相手には普通にボコられてたのはおどろいた 時代が時代だから仕方がないとは言え
一歩間違えれば体壊すよな…が修行が多かったな
とっちゃのところへ修行へいったときもうさぎ跳びで階段を上るとかやっていたし 嵐子の方言のきつさから言って、昭和初期がモデルだったりして 最後の方で嵐子が言ってた
「あんたは岩手の虎だべす〜!!」
は
「あなたは岩手の虎ですよ」
が正しい訳ですか? 確かに嵐子とていの方言のきつさは同じぐらいだなw
でもキャラによって訛りはコントロールしていて、同じ女でも、
母っちゃはかなり抑えている。
80年代のリアル岩手女はこんな感じ? はっきりと嵐子以外の女の子キャラはそれほど訛ってなかった
もなみちゃんって六三四君には自分の想いが届かないから乾に走ったビッチ そういや時代設定は70年代中盤〜90年代前半ってことになるのかな とっちゃが死んだときには、まだ東北新幹線は開業していなかった 小学校2年くらいでとっちゃが死亡だっけ
1982年に東北新幹線開業らしいから
六三四は1974年より前に生まれたってことに じゃあ父っちゃと六三四が全日本選手権で武道館に行った時は
夜行列車だったのか。
そして帰らぬ人になった父っちゃの遺骨を盛岡に運んだのも・・・
手元にないから忘れちゃったけど。
藤堂の家に行った時は、東京で新幹線に乗り換えて、
六三四が富士山を見て驚いてたのは覚えてる おそらくこれを利用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84181%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A
武道館での大事故の報を受け、佳代が東京に急いだ際にも乗った
この系列に乗車中に、栄一郎が息を引き取ったことを佳代が察する描写があった
初めて奈良に行くとき、盛岡から上野までは夜行だったかもしれないが 単純に方言は親の言葉使いから影響するから嵐子の両親が岩手の辺境の地出身と見た 確認した
とっちゃと六三四が正月休みに奈良へ向かう、全日本二連覇に臨んだとっちゃと六三四が東京へ向かう、
とっちゃが倒れたと連絡を受けてかっちゃが東京へ向かう、
この三つの場面で乗ったのは、どれも「(在来線)やまびこ」だった
当時の東北本線最速の特急列車だ
青年編になると、盛岡を発つ場面そのものが描かれることはなくなってしまっている
時期的には東北新幹線の開業に伴い、特急が新幹線運行に切り替わっていた時期だと思われるが 青年編は、修羅が盛岡に来て、帰ってゆくシーンならあるな
列車名までは分からんけど、とりあえず新幹線じゃなくて
夜行列車で帰っている。 あそこの場面好きだ
清々しい
インスタントコーヒーもラーメンも美味しそうw 修羅「旅費の請求書は君にまわしといてもええかな」
六三四「な、なして!?」 修羅は金持ちっぽいけどなw
藤堂家ってのは、あの屋敷といい、爺やみたいな人がいるところといい、
地元の有名な旧家かなにかなのかね?
国彦さんは仕事はなにやってんだろうか。
父親が亡くなっても、修羅は医大行くのを諦めてないところをみると、
食うには全然困らないようだけど、広大な山林地主とかなのかな。 たぶん仕事はしてない。無能力者だろう。
家が超金持ちなんだろう。しかしうらやましい 父っちゃも、いかに公務員でローン組みやすそうとはいえ、
20代後半で盛岡市内にマイホームがあるって何気にすごくないか。
借家か、親の持ち家を受け継いだ可能性もあるが・・・ バカラッチって時代設定は、書かれた当時の現代だよね?
85年ごろ読んだと思うんだが、日本のどこかにはこういう小学生たちもいるんだって、
当時は信じきっていて、憧れてたんだが、今読むとテレビとかも出てこないし、
もしかして青葉学園の時代と同じ感覚で書いてたんじゃないかって思うんだが・・・。
ちなみに、ずっと後年になって読んだ好きなあの子〜だと、冒頭で街に遊びに来て、
ちゃんと文化に触れてるんだってホッとしたw
こっちでもやっぱりテレビとかゲームとかは全然出てこないが、三千円持って
買い物とかしてるから、やっぱり現代なんだろうなあ。 東京近郊の感覚だと、、夫婦がまだ20代で、子供がまだ小さい
親子三人なら、2DKぐらいのマンションか団地住まい、
貯蓄のためにアパート暮らしでも珍しくないぐらいって感じなんだが、
夏木家がわざわざ一軒屋を借りてたのはなぜなんだろう。
田舎の公務員だと、それが普通なんだろうか?
漫画だからといえばそれまでだがw、もとか先生って、
結構そのへんのリアル感はこだわるタイプだと思うんで。 田舎には借家が多いんだよ。
家の周りも六三四ん家みたいの沢山あった@昭和。 六三四の少年時代の舞台は大体盛岡駅周辺っぽいから岩手の中では家賃は高そう
…って言うか一等地 公務員なら貸すほうとしても安心できるモンな
退職したら今度は嫁さんが教職になったし そういやとっちゃたちの大学時代あたりって
とんでもシゴキ全盛期で水分補給とか当然禁止の時代だよね
とっちゃのしごきはやばかったみたいだし
何人か死に追いやったり障害を残したりしてもおかしくないな 母「鬼〜!!うちの息子は先輩のあなたに殺されたと
部員のみんな言ってるわ!!水も飲ませずシゴきまくったと!!」
東堂「そうですよお母さんあなたの息子は私が殺した」 モデルにしたのが"領主様"だった柳生家だからな
リアル柳生家の本家は、今は名古屋に移ってるみたいだけど 修羅家は財産ありまくってるから剣道ニートで十分なんだろうな
働きたいならお好みでって感じで。羨ましい限りだ 40年以上外界との接触を断ち、競技としての剣道に背を向けて
一心不乱に練磨してきた怖さはあるだろうけど
ただのスポーツマンじゃない実力日本一の剣士のとっちゃが
やられるというのは想像しにくいな
防具を外して本当に真剣で立ち会うならもしかしたら、があるが 東堂親子よりも夏木親子の方が、
瞬発力や持久力、柔軟性などの身体能力に優れているように思える。 六三四って嵐子の言葉を全て理解出来ていたのかな?
六三四に比べても数段訛りがキツいが 作者が岩手方言を教わるために取材した相手が
明治生まれのおばあさんだったのかいな 幼いころの六三四と修羅の身体能力はなんであんなにすごかったんだろう
普通保育園児が中学生に勝てないよ… >>360
若い高知県民は「しゃっしもうた!」とか言っても通じる
あまつさえ自分で使ったりする 嵐子って六三四の事をちゃんとムサシって発音できたのだろうか?
ムサス(スはシとスの中間みたいな)と呼んでいたりして? アニメではそういう発音だった時もあった<ムサス
でも普通にムサシって言ってる時も多かったな >>358
問題ないと思うぞ
互いに方言を使いながらも、日高と会話が通じる方がはるかに不可解だ とっちゃって
22歳で大学卒業→警察学校(22〜23)→機動隊(23〜)→かっちゃと結婚(23〜24)
→六三四誕生(25)→全日本選手権優勝(31)→死亡(32)でいいのかな
かっちゃとの年齢差って1〜2歳なのかな そんくらい
4歳以上離れていたら、学生運動参加者と機動隊員として対面した際に
「夏木先輩」という認識が生じるのが不自然になってしまう でも警官になって一年目の新人が、いきなり機動隊に配属されるものなのか? 九州編で戦ったごつい高校生が石を普通に突きで砕いていたけど
あれって実際できるものなの? 読み返すと岩手を出るときのとっちゃの台詞が死亡フラグにしかみえない 満喫でなにげに手に取って読んだら舞台が地元でびびったw
珊瑚橋とかリアルに書かれてるわ 乾は自分の肉親よりも古沢を慕っているし尊敬してそうだ 古いカセットテープを引っ張り出して聞いたら
ラジオドラマ「六三四の剣」の録音が出て来た(笑)
1983.3.26 NHKラジオ第1「ラジオ・ヤング・マガジン」にて放送 >>377
どんな内容だったか非常に気になってしまう(´・ω・`) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています